2016年03月05日

検証「育鵬社の教科書」 反知性的封建主義、愚民下政策のトゥールとして 六

 さらに、育鵬社「中学社会 新しいみんなの公民」のP4445には「人権の歴史」とあり、「西洋における人権」「日本における人権」と、人権がまるで東西で違うものであるかのような小見出しがある。

 本文には、「大日本帝国憲法では、国民には法律の範囲内において権利と自由が保障され、その制限には議会の制定する法律を必要とするとされました(法律の留保)。

 第二次世界大戦後に制定された日本国憲法では、西洋の人権思想に基づきながら、『憲法が日本国民に保障する基本的人権は…侵すことのできない永久の権利として信託されたものである』(97条)とし、多くの権利と自由を国民に保障しています」とある。

 要するに、これは何が言いたいのかというと、押しつけ憲法によって、西洋の人権が押し付けられているが、日本における人権に戻すべきである、日本における人権とは、「法律の範囲内」で下々の民に対し、国家が保障してあげるものである、下々の民は国家のことをありがたく思え、というもの。つまり、我々国民の権利、自由を縛りつけたくて、しょうがないのである。(写真は育鵬社「中学社会 新しいみんなの公民」より)

  

日本における人権.jpg


 続いてP46の「基本的人権の尊重」の章では、「基本的人権の保障と充実は、何より重要な政治目的のひとつとして位置づけられなくてはなりません」とある。

 これも変な文である。

 例えば帝国書院の公民の教科書をみてみると、こう書いてある。

 「基本的人権は、国家や憲法によって与えられるものではなく、すべての人が生まれながらにして認められるべき権利です。日本国憲法でも、『国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない』(第11条)と宣言しています」

 つまり、基本的人権というのは、国家が「保証や充実」してやる、と称して国民にベタベタ近づいてきて与えるものではない。もともとある権利なのだから、国家は「尊重し妨げない」ことこそ必要である。

 育鵬社の教科書は、日本国憲法を殺す精神に満ち満ちている。

 無論、その育鵬社の教科書を読んでオベンキョウしているに違いない安倍自公政権も、日本国憲法を抹殺したくてしかたがないのである。

 (続く)

posted by ssk at 18:16| Comment(0) | 連載

2016年03月01日

原発プロパガンダ「讀賣新聞」 敗戦、占領下 十二の二

 さらに「讀賣新聞科学部編 原子力文明」には、こうある。

 「原子力とは何か、原子力はいかに理解すべきか、その平和的利用の現状ならびに将来の可能性はどうか、到来すべき原子力時代における社会生活の見通しは如何。原子力のもつ時代的意義にかんがみ、読売新聞社科学部においては、これらの問題についての公開講座をひらき(六月十三日)一般有識者の要望にこたえたが、当時の聴衆その他多数読者からの切望もあり、かつ出版社の熱心な要請もあるがままに、ここにその時の講演を加筆訂正するとともに、新たに理論的部門をも書き加え、本書を編集刊行することにした次第である」

 要するに、既述の、613日午後1時ー5時、有楽町読売会館ホールで開催した「原子力講演と映画の会」の内容をまとめたのが、この本、というわけ。

 (続く)

posted by ssk at 22:57| Comment(0) | 連載

2016年02月25日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 四十

 「さて、現実はまだまだ多い遺棄が少しでも減少するよう、その動物愛護の観点から日本動物ネットワーク京都の皆さんは、捨て犬、捨て猫の不妊・去勢の手術費用を自前で捻出し、昨年度は野良猫262匹の手術を全くのボランティアで実施されたということであります。

 野良猫の不妊・去勢手術を行うことにより野良猫の数を減らすことの効果は確実に得られております。京都市としてそういったボランティア団体の実績を評価し、目標達成のためにも野良猫の不妊・去勢手術のための何らかの助成を考えていく必要があると思いますが、本市の今後の野良猫対策への取組はどのように考えているのか、お聞かせください」

 これに対し、門川大作氏は、

 「今後の野良猫対策についてでございます。ペットを単なる愛がんの対象としてではなく、安らぎやいやしを与える人生の良き伴侶として飼われる方が多い一方で、虐待したり遺棄する等の憂慮すべき事態も起こっております。本市におきましては、本年3月京都市動物愛護行動計画を策定し、人と動物が共生できる潤いのある豊かな社会づくりを推進しているところであります。この目標の一つであります野良猫対策として、京都府警と連名の愛護動物遺棄防止ポスターを作成し、市民のお求めに応じて配布致しております。さらに、中村議員御提案の野良猫の避妊・去勢手術のための助成につきましては、野良猫が暮らす周辺地域の方々の御協力の下に動物愛護ボランティアともまた連携も致しまして、社団法人京都市獣医師会のまた全面的な協力を得て、来年度から政令指定都市では初めての取組として、家庭動物相談所において無償で避妊・去勢手術を行う制度を創設したいと考えております。これらの施策の推進によりまして野良猫の減少のみならず、人と動物が共生できるまち・京都の実現に向けて鋭意取り組んで参ります」

 「人と動物が共生できるまち・京都」と言っている点からみて、この時点ですでに、門川大作氏は、野良猫へのエサやり禁止を念頭に置いていたとみられる。

 時系列を整理すると、中村氏は、この答弁の6日後に、くだんのように、役人に対し、町内会の同意が必要という高いハードルに疑問を呈している。なので門川大作市長とは違い、少なくとも中村氏は、この不妊去勢手術への助成というのが、エサやり禁止条例への布石になるとは思っていなかったに違いない。

 だが、それから約一年半後には、既述のように、町内会の同意という高いハードルがあるにもかかわりず、まちねこ事業は、自分の提案でできた、と自画自賛する始末。

 要するに、一年半の月日のあいだに、役人たちに、まちねこ事業は正しい、と言いくるめられてしまった形だ。

 (続く)

posted by ssk at 20:00| Comment(0) | 連載

2016年02月24日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 三十九

 このように、中村氏は、当初は、「京都市動物愛護行動計画」に関与していなかった。だからこそ、前述のように市会で役人にあしらわれた。

 そして、これまで指摘してきたように、筆者の取材では、京都市の関係筋から、「あの条例(野良猫エサやり禁止条例)は、議員の要望で市上層部からのトップダウンで決まったもので、当初からエサを与えることを止めさせるのが目的だった」と聞いているが、前述の答弁をみる限り、この「議員」とは、中村氏ではないように見受けられる。

 なお、町内会の同意が必要、という要件に疑義を呈していた中村氏だが、この答弁から約1年半後の平成23228日の定例会では、

「野良猫対策について再度提言をさせていただきます。一昨年の10月定例会において提案し、政令指定都市で初めて実現していただきました野良猫の避妊、去勢手術の無償の取組は、京都市まちねこ活動支援事業として今年度から開始され、地域の方々また動物愛護団体の皆さんから大変喜ばれております」

 と、自画自賛している。

 ここでいう「一昨年の10月定例会」とは、くだんの町内会の同意に疑義をはさんだ6日前、平成211001日の定例会を指す。そこで中村氏は、

 「捨て猫対策から動物愛護についてお尋ね致します。本市では、これまで犬猫の不妊手術費用の助成や動物愛護フェスティバルの開催など動物愛護管理に関する様々な取組を実施されておられますが、更なる充実のため本年3月の京都市動物愛護行動計画策定は、門川市長の市長立候補の際の公約どおりに実行されたと改めて評価しているところでございます。この計画では犬猫の殺処分を10年後に6割減するとのことであります。昨年処分された犬猫は2,026匹で,そのうち1,867匹が猫であります。飼えないからといって安易に公園などに猫を捨てるケースが多いわけであります。そこで、この度京都市は京都府警と連携し、また、ボランティア団体、日本動物ネットワーク京都のデザイン協力も得てこのような啓発ポスターを作成していただいたことは誠に結構なことであります。

 こういうポスターでございます。愛護動物を遺棄した者は50万円以下の罰金、愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は1年以下の懲役、又は100万円以下の罰金に処せられるということもしっかり記載され、これまでより遺棄の抑止力になることと大変期待をしております」

 と、いい、門川市長に対し、こう質問している。

 (続く)

posted by ssk at 20:08| Comment(0) | 連載

2016年02月18日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 三十八

 中村氏は、

 「その地域において、いかに理解を得るかということ。これは、地域によって色々あろうと思うんです。

 平たく言うたら、大変うるさい人が多くて、そういうエサやりそのもの自身が駄目だと単純にその行為だけ見てペケにされるというか、そういう方の地域もありますやんか。ボランティア団体にしたら、そうじゃないんですよと。これはちゃんと去勢避妊の手術をして、そして元に戻すことによってその動物が生涯、その動物の一生をそこで終えるというね、そういう愛護の精神から是非ともそうさせてほしいということを言いますわな。地域の人に。そこで『分かりました』と。『ほんなら、どうぞ、そのように意に沿ってやってください』という地域もあれば『何でや』と。なかなか思いが通じないというようなところで、今後進める中で地域の方と、またそういったボランティア団体との一つのトラブルが発生する可能性も大いに考えられると思うんですよね。

 そういうときに、だれが中へ入って調整してくれるかといったら、やっぱりこれは行政の人が中へ入ってもらわなしゃあないと思うんですよ。そういったところも覚悟を持ってこの施策を進めてもらわんと、実ある施策にならんと、このように思うんですが、この辺はいかがですか?」

 と、言った。

 つまり、エサやりに反対する町内会がある時、役人があいだに入って町内会を説得して、地域猫活動を実施していくようにもっていく覚悟はあるのか?激怒してエサやりに反対する町内会長なんかとひざ詰めで談判し、地域猫活動を実行していく覚悟はあるのか、と聞いたわけである。実際のところ、地域猫活動を成功させていくためには、役人のサポートは不可欠である。

 この中村氏の質問に対し、望月雅史・保健衛生推進室部長は、

 「今先生御指摘のように、この野良猫の避妊ですね、これにつきましては、いろんな問題がございまして、昨日も臨時の衛生課長会議を開きまして、いつからするのか、受付をどこでするのか、対象となる猫は野良猫だけなのか、野良猫の捕獲ですね、その辺については行政が行うのか、手術に掛かる費用ですね。一応、獣医師会の方の御好意で一応無料ということになっておりますけども、実際にそれだけでいいのか、実際に手術後の猫は元の地域へ戻すのか、その辺の調整も踏まえて、今後、行政がやっていかなければならないということで、今後具体的に詳細を詰めていって、来年の4月から実施をしたいという風に考えております」

 と、これから決めていくというばかりだった。

 こうして市民の代表であるはずの市議とは、議会でまともに議論しないまま、まちねこ事業の制度はできた。まちねこ事業は、密室政治の産物なのである。

 (続く)

posted by ssk at 21:16| Comment(0) | 連載

2016年02月16日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 三十七

 そして、中村氏は、こう質問した。

 「御承知のように『京都市動物愛護行動計画』が3月に出来て,市長は6割野良猫減らすんやと、こういうことで具体的な数字を上げながら取り組んでいただいている最中という中で(中略)京都市獣医師会からの全面的な協力を得て、政令市としては初めての無償で避妊去勢の手術を創設すると、こういうことでございました。画期的なことやと思うんですけども、ついてはそこで一つのハードルがですね。

 要は地域の野良猫が住んでいる公園があったら、その公園の回りの方々との合意というか、そういった承諾を得るようなところのステップがあっての話だということで承っているんですけれども、それについて行政として、今私が多分そうやということでちらっと聞いてるんですけども、そういうことなのか。それについてどのようにかかわっていくような思いで取り組まれるのか。この辺も含めてお答え願えますか」

 つまり、これは、約半年後の平成224月からスタートする、まちねこ事業の避妊去勢手術は、「町内会の同意」という「高いハードル」が設けられることになる、と聞いているが、それは、一体どういうつもりなのか?という趣旨で、問いただしたわけである。要するに、町内会の同意を得れないエリアが続出することになり、そういうところでは手術の助成が一切出なくなってしまう、という懸念からであり、至極もっともな質問といえよう。

 なお、前述の通り、京都市は、まちねこ事業の中身を確定させる会議を、平成21年から22年にかけて6回開いている。その第一回目は、この中村氏の質問の約3か月後の平成211130日。この日の会議では、はやくも役人からは、「ハードルは高めに設定することを考えている。地域での取組ということが趣旨であり、地域に属さない方は基本的に対象外。合意形成をして行うものであり、何でもかんでも簡単に受け付けるものではない」という発言や、会議用の資料にも、「福岡市が京都市の行う手法に近いとみられる」と、避妊手術費の助成に高いハードルを設けている福岡市をモチーフにしていることをうかがわせる証拠が残っていることは、既に記した通り。

 つまり、中村氏の質問は、確度の高い情報をぶつけたものだったといっていい。

 それに対し、望月・保健衛生推進室部長は、

 「その辺の詳細につきましては今、保健所の方と詰めておりまして、また保健所を窓口として地域の方と相談をさせていただきたいという風に考えております」

 と、質問をかわすだけで、まともに答えなかった。

 これに対し、中村氏は、さらに問いただしていた。

 (続く)


 ※冒頭のカギカッコのなかの、(中略)までの一文を加筆した。(2016年2月18日)

posted by ssk at 19:49| Comment(0) | 連載

2016年02月15日

海と、天地の生き物を汚染するマイクロ・プラスチック 七の壱

海と、天地の生き物を汚染するマイクロ・プラスチック 七の壱


 また、資生堂は、

 「プラスチック製のマイクロビーズを配合している既発売の洗浄料については、人体に安全かつ環境への負荷が低い生分解性のある代替原料(セルロース由来など)に、段階的に切り替えていきます」

 と回答したが、この「生分解性のある代替原料」というのは、いわゆる「生分解性プラスチック」である。アメリカでは、マイクロプラスチックの禁止の州が出始めると、化粧品メーカーはこぞって生分解性プラスチックに走った。が、「生分解性プラスチック」は“法の抜け道”の役割を果たす。そのことは、後述する。

 (続く)

posted by ssk at 20:00| Comment(0) | 連載

2016年02月10日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 三十六

 では、自民党の京都市議・中村三之助氏は、黒幕といえるだろうか――? そのことを検証する。

 前述の、「門川市長は犬猫は好きですか?」と聞いてから約1年半後、中村氏は京都市会で、こう質問した。(平成21107日普通決算特別委員会第2分科会にて)

 「まず、初めに、今回の代表質問で保健福祉局に対してお願いしたことが2点ございました。一つは、野良猫対策についてであります」

 といい、京都市が同年3月に策定した「京都市動物愛護行動計画」を取り上げている。

 京都市が作成した「京都市動物愛護行動計画の進捗状況(平成21年度)」によると、同計画の「計画期間」は、「平成30年度までの10年間」。つまり、現在進行形の計画である。

 そこには平成30年の目標として、犬猫の殺処分数60%減、失踪及び保護犬の飼主の判明率65%、失踪及び保護猫の飼主の判明率40%などとある。

 そして、それらの目標達成のための施策として、終生飼養の徹底、咬傷事故の未然防止の徹底、保護・収容動物等の返還、譲渡の推進といったテーマごとに、現状の数字を示している。

 そのなかには、「犬猫の苦情件数」という項目もある。そこには「犬猫の不適切な飼育や取扱による糞の放置、鳴き声、臭い等の迷惑問題に対して、適正な飼育管理方法の啓発及び指導を推進する。」と、のちに野良猫エサ禁止条例のできる過程で散々、指摘されることになる数字が、この時点で、すでに出ている。(写真は「京都市動物愛護行動計画」より)


苦情件数.JPG


 さらに、同計画には、「所有者不明猫対策の推進」として、こう明記している。

 「所有者不明猫への無責任なエサやり行為防止に向けた取組」

 このように、門川大作市長になって、にわかに、京都市動物愛護行動計画」という10年もの長期計画ができて、その中で、明確に、「野良猫への無責任なエサやり行為防止」が、掲げられた。それは野良猫エサやり禁止条例が当初から仕組まれたものだったことを物語っている。

 さらに、その下には、「避妊・去勢手術の推進(所有者不明猫への拡充)」とあり、その下に、枠囲みの中に星マークで下線入りの、超重要事項として、こう書いている。

 「『まちねこ活動支援事業』の実施に向けて()京都市獣医師会と検討してきました」(写真は「京都市動物愛護行動計画」より)

  

エサやり行為防止に向けた.JPG


 (続く)

posted by ssk at 21:55| Comment(0) | 連載

2016年02月08日

原発プロパガンダ「讀賣新聞」 敗戦、占領下 十二の一

 そしてさらに、くだんの「讀賣新聞科学部編 原子力文明」には、


 「この原子力は、しかしその言葉が口の端にのぼる割合に、本当の意義が十分には理解されていない観がある。根本理論の難解であるにもわるがジャーナリズムによって原子力、原子爆弾、恐怖が一連のイクォールによって連結されるような傾きあるようにもよるであろう」


 と、原発イクォール原爆とするジャーナリズムを批判している。例によってのちの米国の「アトムズ・フォー・ピース(原子力の平和利用)」を先取りした言説である。


 それと、ジャーナリズムを批判している点が、いかにも国家権力と一体化したプロパガンダ讀賣新聞らしい。


 (続く)


posted by ssk at 20:00| Comment(0) | 連載

2016年02月06日

海と、天地の生き物を汚染するマイクロ・プラスチック 六

 さらに、こういう質問もした。

 「御社の製品(グループ会社の製品を含む)のうち、ポリエチレン末、ポリエチレン、ポリプロピレンのうちいずれかが含まれている製品を調べたところ、別表の製品があることを確認しました。これらに含まれる微細なプラスチック成分は、洗面所などで水に流されることにより、水道管を通り、下水処理施設を微細なため通過して、海に流れ、環境を汚染しています。そのことについての御社の見解をお聞かせ願います」

 さらに、こう聞いた。

 「昨年夏の筆者の質問に対する回答では、御社は『マイクロプラスチックビーズは、人体への安全性が高い原料ですが、海外において一部の消費者が環境面への懸念をしていることや法規制の動きがあることを十分考慮し、プラスチック製ではないセルロース由来などのものに段階的に切り替えていきます』と答えていました。その後、どのような取組みをされてきたか、今後はどうするのか、お聞かせ願います」

 これに対し、資生堂は、こう回答した。

 「昨年78月に当社が『ポリエチレン末』とお答えしたことについて 『ポリエチレン』は材料の名前、『ポリエチレン末』はその粉末であり、同じものを意味しています」

 「その他のご質問についての当社の見解について 当社が使用しているマイクロビーズは、人体に極めて安全性の高い原料ですが、欧米において一部の消費者が洗浄料などに含まれるプラスチック製のマイクロビーズの環境面への懸念をしていることを十分考慮し、20144月より開発した新しい洗浄料では、プラスチック製のマイクロビーズを配合していません」

 「プラスチック製のマイクロビーズを配合している既発売の洗浄料については、人体に安全かつ環境への負荷が低い生分解性のある代替原料(セルロース由来など)に、段階的に切り替えていきます」

 と、資生堂は答えた。

 この資生堂の回答について検証する。まず、「ポリエチレン」と「ポリエチレン末」が同じものなのに、当時、筆者に対し、当社のマイクロビースの成分表記は「ポリエチレン末」と答えた、という意味の回答について。

 これは、要するに、筆者を欺いたのである。資生堂は、ポリエチレンを使った製品の量は、びっくりするくらい多いので、使用製品の少ないポリエチレン末がそうである、と、ウソをついた。

 それは、単に筆者を騙すだけではなく、読者である消費者を、騙したことになる。つまり、資生堂は、自社製品を買ってくれる消費者にウソをつく会社である。

 (続く)

posted by ssk at 20:00| Comment(0) | 連載

2016年02月03日

検証「育鵬社の教科書」 反知性的封建主義、愚民下政策のトゥールとして 五

 そして、前述の「大日本帝国憲法の理念」の右隣には、英語の文書を載せている。キャプションには、こうある。

 「英文で書かれた日本国憲法の憲法草案 GHQの民政局は、各国の憲法を参照しながら英文で憲法草案を書き上げました。」(写真は育鵬社「中学社会 新しいみんなの公民」より)

  

押しつけ憲法論.jpg


 本文には、「マッカーサーは、日本の憲法の改正を政府に求め(中略)GHQは(中略)1週間で憲法草案を作成したのち、日本政府に受け入れるようきびしく迫りました。日本政府は英語で書かれたこの憲法草案を翻訳・修正し、改正案」を出し、それを一部修正をして、「日本国憲法として公布」しました、と記載している。安倍自公政権のいう、「押しつけ憲法論」そのものである。

 さらに本文横には、新聞の写真付きで「検閲を受けた出版物」とあり、「GHQは占領期間中、軍国主義の復活を防ぐためとして、徹底した検閲を行いました。(中略)そのため、自由な報道や表現は大きく制限されました」と、批判している。(写真は育鵬社「中学社会 新しいみんなの公民」より)

  

検閲.jpg


 ちなみに、GHQはたしかに検閲をしていたが、戦前・戦中の日本に比べれば、異次元にましである。

 大日本帝国憲法下の日本の言論は、検閲の嵐で、窒息死状態だった。

 そのことは、「太平洋戦争と新聞」(前坂俊之、講談社、20075月)に詳しい。同書によると、当時は、新聞法により、新聞は発行と同時に、内務省、警視庁、地方の特別高等課などに納本され、検閲された。同法23条には、「安寧秩序を紊(みだ)し、又は風俗を害するものと認めた時はその発売頒布を禁止し、必要な場合はこれを差し押さえることができる」と規定。出版法でも同様の条文があった。

 具体的な掲載禁止事項は、「捜査、予審中の被告事件に関する事項」「皇室の尊厳を冒涜する事項」「君主制を否認する事項」「共産主義、無政府主義を支持する事項」「国軍存立の基礎を動揺させる事項」「軍事上、外交上、重大な支障をきたすべき機密事項」「財界を撹乱し、その他、著しく社会の不安を惹起するような事項」「戦争挑発のおそれのある事項」「安寧秩序を紊乱する事項」「風俗を壊乱する事項」「その他著しく治安を某買いするものと認められる事項」などなど。

 こうした安寧秩序紊乱による新聞・出版の発売禁止処分数は、1926年(昭和元年)にすでに412件あった。その後、どんどん増えて、満州事変時の1931年には3,076件、翌1932年には4,945件に上った。(内務省警保局「昭和十年中に於ける出版警察外観」より作成(高木教典「言論統制とマス・メディア」より)。「太平洋戦争と新聞」より孫引き)

 育鵬社は、こういった大日本帝国憲法下で起きた歴史的事実は闇に葬り、GHQのことは、報道の自由と表現を大きく規制した、と、批判している。これは歴史健忘症ではない。悪意ある歴史修正主義そのものである。

 さらに、本文横には、「日本国憲法の基本原則」とあり、人間が、重そうな屋根を支えているようなイラストがある。 人間は三人いて、「日本国憲法」という土台の上に立っている。三人は、それぞれ「基本的人権の尊重」「国民主権」「平和主義」という名前があり、三人合わせて両手で「日本の政治」という重しを支えている。

 この絵がなんとも重苦しく、日本国憲法を暗に否定するものとなっている。((写真は育鵬社「中学社会 新しいみんなの公民」より)

  

重い.jpg


 この教科書を読む生徒のなかには、こうしした種々の小細工に洗脳されて、大日本帝国憲法に戻すべき、と考える者も出てくるに違いない。いや、すでにそうした洗脳された者は、世に出てきているに違いない。

 (続く)

posted by ssk at 20:00| Comment(0) | 連載

2016年02月02日

検証「育鵬社の教科書」 反知性的封建主義、愚民下政策のトゥールとして 四

 育鵬社「中学社会 新しいみんなの公民」のP40「大日本帝国憲法と日本国憲法」の章は、その見出しからして“印象操作”がほどこされている。

 どういうことかというと、「大日本帝国憲法と日本国憲法」という見出しのうち、「大日本帝国憲法」の字の上に「だいにほんていこくけんぽう」とルビが入っている。そして改行して、「と日本国憲法」となっているのだ。日本国憲法という字には、ルビはない。

 これにより、ただでさえ大日本帝国憲法の方が、日本国憲法より文字数が多い上、振り仮名を入れていることで、文字サイズが1.5倍ほど大きく見えるのだ。(写真は育鵬社「中学社会 新しいみんなの公民」より)

  

見出し.jpg


 それだけではない。

 印象操作をしたこの見出しの上には、カラーの洋画の写真がある。これは「大日本帝国憲法発布(和田英作「憲法発布式」)」。このように大日本帝国憲法をページのいたるところで権威づけしている。

 そして洋画の隣には、「五箇条の御誓文」が書いてあり、女子生徒のイラスト入りで、「五箇条の御誓文の理念は日本国憲法にも生きているのかしら。」と、日本国憲法に疑問を投げかけている。(写真は育鵬社「中学社会 新しいみんなの公民」より)

  

洋画.jpg


 本文では、大日本帝国憲法について、「この憲法は、アジアで初めての本格的な近代憲法として内外ともに高く評価されました」と、ほめちぎっている。

 そして、本文横のスペースには、極小サイズの細字で、こう書いてある。

 「昭和に入り、国際情勢の変化によって危機感を強めた軍部が、憲法の不備をついて政治の介入を強め、戦時体制が整えられるなどした結果、憲法の理想は、大きくそこなわれていきました」

  要するに、こういう育鵬社にとって都合の悪い歴史は、目立たないところに追いやっている。極小の字で書いてあるところが、本当は、こういう箇所は消したい、という本音が、ミエミエである。

 そして見開きの右側P41の上には、二つの文面を載せている。

 左側は、「大日本帝国憲法の理念」。上側には、赤色のルーペのイラストに「理解を深めよう」とあり、こう書いてある。

 「日本は万世一系の天皇が統治する立憲君主制であることを明らかにしました。天皇は国の元首であり、国の統治権を総攬する(すべてまとめもつ)ものであるが、憲法の規定に従って統治権を行使するものと定められました。具体的には、法律の制定は国民の意思が反映された議会の協賛(承認)によること、行政は国務大臣の輔弼(助言)によること、司法は裁判所が行うこととされました」

 そして、末尾には、こう書いてある。

 「国民には法律の範囲内で権利と自由が保障されました。」

 これは、裏を返せば、国民は、本然的に自由も権利もない奴隷的存在で、国家が決めた法律の範囲内でしか権利と自由が保障されない、つまり、国民の権利と自由は、国家のさじ加減一つでどうとでもなる吹けば飛ぶようなものでしかなく、国家の一存で、国民の権利と自由などいつでも抹消することができる、ということになる。

 実際、治安維持法のような法律もできた。それもこれも、大日本帝国憲法では、国民が主権者ではないからである。

 要するに、育鵬社は、国民の主権者の地位を剥奪したがっており、国民主権のいまの憲法を、苦々しく思っている。大日本帝国憲法下の時代に、時間を巻き戻したいのだ。(写真は育鵬社「中学社会 新しいみんなの公民」より)


大日本帝国憲法の理念.jpg


 (続く)

posted by ssk at 20:00| Comment(0) | 連載

2016年01月28日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 三十六

 中村氏は、こう言った。

 「世間では餌やりおばさんということで大変悪い方でまだ見る人が多いと。しかしながら、よく分かってる人は、去勢・避妊の手術をした猫に餌をやるというのは、これは1代で終わるということがあり、野良猫対策にもなるんだという、その事業としてはいいことなんですよね。

 野良猫というのは絶対家猫にはならんのですわ。だから、外で1代を終える、そのためには餌もやらなあかんということを分かってやってる人と、かわいそうや、かわいそうや言うて何でもかんでもそういう去勢・避妊もしてない猫を何でもええから餌をやってるというのとは、全然そのやってる行為は見た目は一緒でも中身が違うんですよね。

 だから、そういったところの理解もしてもらえるような啓発の内容のプリント、そういうものも含めた形のやつの今までのプリントを変えていただいて、より市民に、この野良猫対策と同様、どういう形でこれをやってるかということの趣旨を分かってもらいやすい、分かりやすい案内プリントにしてもらって、そして大々的に市民しんぶんに載せるなど、いろんな広報活動をやっていただきたいと思いますので、その点よろしくお願いいたしますが、一つ御決意を聞かせていただいて終わります」

 つまり、エサやりの中でも、いいエサやりと、悪いエサやりがいる、という趣旨である。が、中村氏のいう、いいエサやりとは、まちねこ事業によるエサやりのみを指しており、自腹を切って避妊去勢手術をして片付けているエサやりのことは、排除している。

 その証左として、中村氏のこの発言に対し、高木博司・保健福祉局長は、こう言っている。

 「まちねこ事業の趣旨が市民の皆さんによく理解できるように、特に先生今御指摘の、野良猫に餌をやるという行為は一緒でも、そこにある思い、あるいは動物に対する思いが違うと、そういったことが市民の方々にも理解できるような方面の啓発にも力を入れていきたいという風に思っております。」

 ここでいう、「野良猫に餌をやるという行為は一緒でも、そこにある思い、あるいは動物に対する思いが違う」というのは、つまり、まちねこ事業に参加しないエサやりは、動物に対する思いが欠けている、だから、そういう悪いエサやりは、罰しなければならない。というわけで、この中村氏と役人の、出来レースのやり取りのあと、エサやり禁止条例が、いよいよ形作られていく。

 そして、平成27220日、ついに「京都市動物による迷惑等の防止に関する条例」が可決成立するのだが、このときの京都市会の議長は、中村三之助氏だった。

 (続く)

posted by ssk at 20:00| Comment(0) | 連載

2016年01月27日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 三十五

 話を、元に戻す。

 「門川市長は犬猫は好きですか?」と、聞いた自民党の京都市議・中村三之助氏について、である。

 既述のように、くだんのマッチポンプ公明市議・吉田孝雄氏は、2013728日から85日にかけて、他の政党や京都市職員とともに、海外視察に出かけた。そのときの視察団長は、中村氏だった。

 そのときの報告書を、市会が公開している。


 京都市会海外行政調査(動物愛護)報告書.pdf


 その中に、門川大作市長にあてた提言書も付してあり、野良猫対策について、こういう一文がある。

 「まちねこ活動支援の取組強化」

 この一文は、後述のように中村氏の考えが反映されている。そして、まちねこ活動は、地域猫活動とは、似ても似つかぬものである。

 また、平成251017日の決算特別委員会では、中村氏は、マッチポンプ市議・吉田氏を援護する形で、「犬、猫のふん害対策についてでありますが」と、きりだし、犬の糞については、たばこの吸い殻などと一緒に、条例で放置を禁止するよう明記してあるので、「条例が機能するよう、条例を所管する環境政策局を中心に関係局が連携して、まずは行っていくべきやないか」、「そのうえで、出てきた課題を統括して、条例を見直すべきなのか、又は、他都市のように独立したふん害の対策の条例を制定するのか、考えていく必要があるのやないか」と、新たな条例の必要性に言及した。これは、条例で罰則を求める吉田氏を、バックアップする発言である。

 また、のちに吉田氏が「集大成」と吹聴し、実際、後述のようにエサやり禁止条例の流れを決定づけることになった、平成26221日の第1回定例会での発言と、同時期に、中村氏は、こういう発言をしている。(平成2625日の教育福祉委員会にて)

 「御承知のとおり、先般、我々8名が海外視察へ行って(中略)、まちねこ支援事業の充実ということを提言としてうたわさせていただいておりますが(中略)要は、野良猫対策ということで、そもそも私も8年前ぐらいから言ってきた中で、ようやく獣医師会等の御協力も得てまちねこ事業が展開されてきたわけですけれども(中略)、前から何度も言っているように、あんなもんぽつぽつやってたんでは、御存じのとおり、100匹いて要するに8割以上去勢・避妊をせんことには、あと20匹残ってたら1年後また100匹に返るという猫算があるわけですね、あの世界は。だから、その猫算を上回る形のものをせんことには野良猫対策としては効果として上がらん、そういうものを念頭に置いて地域にポイントを設けて設けてやっていかな、あの施策は功を成さん」

 こう言った後、にわかに、エサやりについて、語り始めた。

 (続く)

posted by ssk at 20:00| Comment(0) | 連載

2016年01月21日

検証「育鵬社の教科書」 反知性的封建主義、愚民下政策のトゥールとして 三

P3839Pは、「法と私たちの生活」という大見出しの章。大見出しの下には、破線入りで、「なぜ法は必要なのでしょうか。また、法を守るためには何が必要でしょうか」とある。

 さらに、「法を守らないと罰則が適用されることもあります」という文言や、交差点で交通整理をする警察官や、サッカーの試合の写真入りで、「身近なルールを守ることが大事です。」「ルールが守られるからこそ、ゲームも円滑に行われます。」とあり、「社会の秩序を維持し、みんなの自由や安全を守るためには、ときとして各(おのおの)が少しずつ不自由をがまんする必要があります」と、秩序維持のために自由を制限し我慢するよう説いている。

 そして、「法に基づく政治」という小見出しで、「行政は、すべて法に基づいて行わなければなりません。これを法治主義とよびます。法は、国家の基本となる憲法を頂点として、法律、命令・規則があります」とあり、「法律は国の唯一の立法機関である国会で制定され、その法律は憲法の精神に基づいたものでなければなりません。法律とは国民自身が定め、守ると決めたルールであり、これを守らなれば罰せられることもあります」と、国民が憲法にのっとって定められた法律というルールを守らなければ罰せられることが強調されている。

 さらに本文の横には、ピラミッドの形の図があり、頂点に「憲法」、真ん中に「法律」、下に「命令・規則」があり、「法の重要さによっていくつかのランクがあります」という説明が付されており、憲法が国の最高法規であることを示している。

 そして、本文には、「法を守る心」という小見出しの箇所で、「法を守ろうとしない人々に対しては、警察や裁判所などの、強制的な力をともなうしくみが必要となります」と、ここでも、ルールを守らないと罰せられることを強調したうえで、こう書いてある。

 「人々が『刑罰があるからしかたなく法を守ろう』という考え方をするようになると、秩序が乱れ社会が混乱します。だれも見ていなければ、あるいはつかまらなければ何をしてもいい、という考えにつながりやすいからです。法を正しく運用されるためには、人々の法を守ろうという意思が必要です。」

 と、このように、法を守るべきなのは、まるで国民だけであるかのように、しつこく書いてある。そこには、国家権力が憲法を守らなければならない、という立憲主義の視点が抜け落ちている。

 育鵬社の教科書を読む限り、憲法を頂点とした法は、国民がひたすら守るべきものということになる。そして、政府が憲法を犯すことについては、何も触れていないに等しい。

 それは政府与党を選挙で選んだのは国民自身、だから政府は何をやってもいい、解釈改憲と称してこれまで当然違憲とされてきたことを合憲にしてもオッケィ、憲法はあくまでも国民を縛るためのもので、憲法は政府を縛るためのものではない、という安倍自公政権の思想にリンクする。そこには、国家の暴走を食い止める手立てはない。

 他方、帝国書院の公民の教科書には、ちゃんと、「憲法は、基本的に国家の権力を制限して人々の権利を守るという性格をもっています。このような憲法にもとづく政治のあり方を立憲政治(※筆者註 立憲政治は太字)」というと、明記している。

 育鵬社の教科書で学ぶと、権力にとって都合のいい、羊のように国家権力につき従うイエスマンが大量に生まれることになるのは、想像に難くない。(写真は育鵬社「中学社会 新しいみんなの公民」より)

  

38ページ.jpg

  

教科書より_0002.jpg


 (続く)

posted by ssk at 20:00| Comment(0) | 連載

海と、天地の生き物を汚染するマイクロ・プラスチック 五

 これら無回答企業は、説明責任を果たす意思すらない“ブラック企業”と言わざるを得ない。

次に、回答した企業をみてみよう。

 まず、特筆すべきは、資生堂である。

2014年夏のマイクロビーズ取材の折、筆者は資生堂製品をいくつかピックアップして質問した。そのとき、資生堂は、こう返答していた。 

 「ご指摘の製品にはマイクロビーズは入っていませんが、その他の製品には普通に使用しています。(表示成分名称「ポリエチレン末」)。製品名については回答差し控えさせて下さい」

 このように肝心の製品名をオープンにしないので、こちらで調べたところ、資生堂のハンドクリーム「薬用モアディープ」とベビー用品「ベビーパウダー プレスド」にポリエチレン末が含まれていた.

 こんなところにも使われているのか、と驚いたが、その一方で、「色々な製品に普通に使っている」というわりにはあんまり使ってないなぁ、もっと口紅とかまさに色んなところに使っているのかと思ったのだが、という印象を抱いた。

 だが、既述のエクセル表のように、ポリエチレン末の入った資生堂の製品が十数個なのに対し、ポリエチレン表記のものは優に200を超えていたのである。製品の種類も、アイケア、アイリンクルクリーム、ゴマージュ・ピーリング、コンシーラー、コンディショナー、ジェル・クリームチーク、ジェルアイライナー、トリートメント、パウダーチーク、パウダーファンデーション、フェイシャルマスク、プレストパウダー、ペンシルアイライナー、ポイントリムーバー、ボディソープ、ボディ洗浄料、マスカラ、リップグロス、リップケア、リップライナー、口紅、洗い流すパック・マスク、洗顔料、頭皮ケアと、化粧品全般に及ぶ。

 そこで資生堂が「普通に使用しています」と言っていたことに合点がいったが、ポリエチレン末としかいわず、ポリエチレンと言わなかったことに、だまされた、と思った。

 そこで、こういうふうに質問した。

 「昨年78月にマイクロプラスチックビーズについて、御社に質問した折、マイクロビーズについて、色々な製品に『普通に使用しています。(表示成分名称『ポリエチレン末』)」との回答でした。しかし、当時、筆者が他社にも同様の取材を重ねたところ、マイクロビーズを、『ポリエチレン』と表記しているメーカーがいくつかありました。そこで御社の『ポリエチレン』表記の化粧品を調べたところ、数百の製品がありました。

 そこで質問なのですが、当時、『ポリエチレン』と回答しなかった理由をお教え願います」

 (続く)

posted by ssk at 17:10| Comment(0) | 連載

2016年01月15日

検証「育鵬社の教科書」 反知性的封建主義、愚民下政策のトゥールとして 二

P33には、日本地図に原発立地を示し、「市に原子力発電所の開発計画が持ち上がった! 国家規模の政策については、どのように考えればよいのでしょう」とある。

 そして、「現状」は「原子力発電は日本の総発電電力量の約4分の1を担っています」とし、「賛成派と反対派(対立)」として、こう書いてある。

 「市では1960年代に原子力発電所の建設計画が明らかになり、その後長い間、住民が賛成派と反対派に分かれて住民運動を行ってきました。(中略)もしも事故が起きれば重大な被害が予想されるため、開発の是非について世論が分かれています」

 この教科書は、福島第一原発事故直後の発行なので、誰もが原発事故にリアルティをもつことは疑いないが、その後の一文は、「原子力の技術的な発展や安全性、環境問題や資源問題、エネルギー保障などを総合的に考える必要があります」となっている。

 そして、「話し合い(効率と公正)」とあり、エネルギー自給率は日本は「原子力を除くと4%」であり、「国の将来を考え、対立を合意に導く努力が求められます」と、原発再稼働に誘導している。

 そして、「結果の実行(合意)」とあり、こう書いている。

 「計画の推進か中止かについて住民投票が行われることになりました。その結果を受けて、市議会では審議が始まります。地域振興や漁業補償などの配慮がなされ、建設を受け入れることになった場合は、放射能漏れの防止や使用済み燃料のリサイクル、高レベル放射性物質の廃棄、人的ミスや制度的ミスへの対応、大地震や津波に対する耐久性などの課題があります」と、推進寄りの記載をした挙句、「原子力と共存して安心して生活できるよう、国や市や事業者が全力で取り組むことが求められます」と、結局、徹頭徹尾、原発を大前提としたことしか書いていない。

 そして、このページの一番下に、小さく、「(注)2011311日に発生した東日本大震災による原発事故の影響を受け、日本各地では原子力発電やエネルギー政策のあり方について、見直しの議論が行われています。」とある。だったら、原発推進の話を長々と書くのはおかしい。まるで原発事故などなかったかのように、失敗に目をつぶる態度は、同じ過ちを繰り返す元凶である。なお、今の安倍自公政権が、この育鵬社の教科書に書いてある通りの思想で原発政策を行っているのは周知の事実。(写真は育鵬社「中学社会 新しいみんなの公民」より))

  

33ページ.jpg


 (続く)

posted by ssk at 23:45| Comment(0) | 連載

2016年01月13日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 三十四

 なお、このTHEペット法塾の交流会の終了後、ちょっとした懇親会があり、十五分程度、懇親会の参加者は会場を出たところで待つことになった。

 そのとき、佐川さんと、吉田真澄氏、それに元東京都新宿区の保健所衛生課職員・高木優治氏が、イスに座り、テーブル越しに話していた。佐川さんに対し、吉田氏は、京都市は条例上問題ない、という言い方をしており、高木氏も、吉田氏に同調し、二人して、京都市は大丈夫、と佐川さんを説得している様子だった。

 ちなみに、吉田真澄氏は、この日の話のなかで、三権分立のなかで、立法、司法は、やることが明確だが、行政は不明確でどんどん肥大化していく傾向がある、という意味のことをいい、行政が国民・住民の権利を侵害していると感じた時は、行政に対し、「それはどの法律・条文を根拠にしているのか?」と問いただしていく必要がある、今日も何人かいますが、特にこういうときは法律家が役に立つ、という意味のことを言っていた。

 この話はまさに佐川さんのケースで当てはまる。つまり、佐川さんが直面しているのは、吉田氏のいうところの行為責任ではなく結果責任である、という条例の中身とは違う解釈をしている警察や住民が、エサやり行為そのものを犯罪扱いしている。本来なら役所は、犯罪人扱いされて虐げられている住民を守るため、条例を曲解している住民、警察に対し、周知徹底する義務があるのに、それをしていない。動物を愛する弁護士なら、その不作為を指摘し、ただしていかなくてはならない。公道でエサをやるなといっている役人も、法的に問い詰めていく必要がある。

 そういう話を吉田氏はしていたのに、京都のことになると、村社会の原理が働き、何もできないどころか、逆に佐川さんに対し、京都市は問題ないと説得している始末。

 もちろん、吉田真澄氏が、公然と京都市のおかしさを追求するとなると、たしかに色んな人間関係が悪化するのは火をみるより明らか。それでも行政を追及するなら、村八分に耐えるか、京都から引っ越す覚悟が必要であろう。それは難しいのが現実。

 京都市の動物行政には、そういう村社会の原理がある。その事を示す意味で、吉田真澄氏の事例をあげた。

 なお、吉田真澄氏は、この日の話のなかで、「できるだけ動物愛護活動に携わっている方は、個々的ではなしに、全体的に、色々な形で協力し合うということが非常に重要になってくる」「小異を捨てて大同につく、この姿勢が非常に大切になってくる」、2000年に、東京の団体に招かれた折、動物愛護団体は、(団体同士が)非常に仲が悪い、そのような状態ではだめだ、小異を捨てて大同につかなければならない、と言って講演をはじめたことがあるが、ここにおいても同じことをまた申し上げなければいけないのは残念、という意味のことをと語っていた。

 筆者は、昨年2月に都内で開催した動物愛護イベントでも、500人以上の聴衆の前で、吉田氏が全く同じ話をしていたのを聞いたことがある。なので、この言葉は、何十年も動物愛護行政の改善に取り組んできた吉田氏の、後世へのメッセージという気がしている。

 吉田真澄氏は、京都市の野良猫エサやり禁止条例については、ポジション上、今後も相談に乗れないと筆者は思うが、いうまでもなく、京都以外の動物愛護にまつわる問題については、頼もしい弁護士である。

 何がいいたいかというと、筆者は動物を愛する人たち同士で仲たがいをするのを望んでいるのではない。事実は事実として、こと京都市に関しては、吉田真澄氏は前述のとおりの状態なので、そのことは把握しておかないと、惑うことになると思うので記した次第。

 (続く)

posted by ssk at 22:42| Comment(0) | 連載

2016年01月12日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 三十三

 筆者は、昨年1120日に、既述の京都市で地域猫活動を続けている佐川久子さんや、佐川さんと手分けしてエサやりをしている主婦二人に取材し、夜のエサやりにも同行した。エサやり禁止条例の施行後の、驚愕の実態は追って詳報するが、1121日のTHEペット法塾の交流会の席で、佐川さんは、「京都市条例制定後の猫の餌やりの状況について」と題する報告をしていた。

 それによると、エサやり禁止条例の罰則が適用されて間もない201510121930分頃、エサやりをしている佐川さんの仲間に対し、近隣住民が「猫が大事だったら持って帰れ」「餌をやるのは条例でダメだと(京都市が)言っている。条例違反なので警察を呼んだ」「餌やりは悪いことだ」と罵った。

 既述のように、佐川さんらは、エサやりをした後の後片付けをキチンとしている。トラブル要因である置きエサ・撒きエサで人々に迷惑をかけているわけではない。

 それなのに、条例違反の犯罪者扱いされて、警察を呼ばれた。

 その後、警察官がやってきて、「餌をやったらいけない条例がある」「路上で餌やりをすることは、地域住民の了解がないと、餌やりは出来ません」「町内の方が納得しないことをする事が、間違っている」などと言ったという。このとき佐川さんは、警察は条例について間違った解釈をしている、と思った。

 その一週間後の1019日の午前6時過ぎには、以前から「猫に餌やるな」と罵声を浴びせる住人が、竹ぼうきを振り回して「餌をやるな」と威嚇してきたという。

 このことに不安を感じた佐川さんは、京都市保健医療課の動物愛護担当の獣医師の職員と面会をした。その席で、佐川さんは「もし条例で京都市が餌をやることを禁じた時、野良猫はどうするのですか?」と問うた。すると、その獣医師は「どうもしません」「虫でも食べて生きていくでしょう」と返答したという。

 また、「京都市は、道路上での餌やりを禁止し、事実上の餌やり禁止条例にして、私たちや野良猫を苦しめています。恐怖、不安をもってエサをやっている人はたくさんいると思う」と語っていた。

 道路、つまり、公道でエサをやるな、エサやりは、権限のある私有地、つまり、自宅でやれ、というわけだ。

 それにしても、公道で野良猫にエサをやってはいけない、自宅でエサをやれ、というのなら、筆者の住む横浜市栄区で地域猫活動をしているご婦人たちも、おそらく100%アウトであろう。無論、横浜だけではなく、全国いたるところで地域猫活動ができなくなってしまう。

 (続く)

posted by ssk at 20:22| Comment(0) | 連載

原発プロパガンダ「讀賣新聞」 敗戦、占領下 十一

 この「原子力講演と映画の会」という読売新聞社主催のイベントの社告のでた翌月、194972日には、そのイベントの講演者の一人に名を連ねる東大助教・吉川春寿の手記が出た。タイトルは「原子力と癌 原子医学の現状 放射性同位元素の新品」。

 そして、その翌月819日に、にわかに、こんな告知が出た。

 それは点線の四角囲みで、「原子力文明」とあり、こう告知している。

 「読売新聞社科学部編(近刊)時代の寵児『原子力』について、理論と実際の両面から、現代および将来にわたって興味深く説いてある。電車のなかでも、ねころんでいても気らくに読める手ごろの科学解説書(八〇円、高山書院刊)」(写真)


原子力文明.JPG


 要するに、自分のところで出す本の広告である。それにしても、讀賣新聞による、電車のなかでも、ねころんでいても読める原子力の解説書とは、一体どんな本なのか――。

 そこで通販サイト・アマゾンで売っているかもしれないと思い調べてみると、該当する本はヒットした。が、タイトル「原子力文明(1949) 古書」とあるが、本の表紙の写真すらなく、「この本は現在お取り扱いできません」となっている。

 一体どんな本なのか。さらに調べてみると、国会図書館で読めるようなので、行ってきてた。

 その本の表紙は、右下に「高山書院」、左上に「讀賣新聞科学部編 原子力文明」とあるのみのシンプルの極致のデザイン。(写真)


原子力文明  表紙.jpg


 冒頭の「はしがき」は、こうはじまる。

 「原子力の発見は、熱源としての太陽がもつ秘密の発見である。二十世紀文明は、原子力を中心としてくりひろげられるにちがいない。

 原子科学の理論は、もちろん、原子力の本質を知るに必要であるが、原子力に直接関係があるのは、実験物理学における原子核の研究である。原子核の研究は、ベックレルが一八九六年ウラニウムの放射線を発見したときに」云々と続き、「一九三三年にはアメリカのローレンスによって原子核破壊実験装置としてのサイクロトンがつくられ、ついに原子爆弾の発明にまで発展した。

 この間僅か五十年、この原子力知識の発展に信頼するならば、近い将来における原子力の平和的利用に刮目すべきものあるは、論をまたないであろう。発電に、交通機関に、医学に、家庭燃料に、農業に、その実用化は、すでに時日の問題となっている。特に工業への活用は、かつての産業革命も及ばない大規模なものとなり、それによる生産力の発達は、人類の思想と生活に大きな変革をもたらすであろう」

 と、夢がかたられている。

 (続く)
posted by ssk at 20:04| Comment(0) | 連載

2016年01月11日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 三十二

 そして、吉田真澄氏は、こう語った。

 「京都市の条例をつくった人、といってよいと思います。この人とお目にかかって、条例の中身をいちいち点検していきました。法律家という視点からして、読めるのは、どうだ、と。すると、京都市は、もともとは、エサやり行為そのものに対して、規制をつくるということをベースに考えていた、ということで、そう新聞にも書かれていましたが、条例は、縦からみても、横からみても、どこからみても、そうはなっていない。つまり、結果責任。それによって、周辺環境を悪化させる、という状況が出てくれば、それに対しては罰則の対象にする、こういうことになっていたわけです。

 それで私が、『これは行為責任ではなしに、結果責任ですよね?』と確認をしたら、担当者は、かなり青い顔をして、そのあとは、言葉もほとんど出なかった、という状況でした。

 京都市のこの条例は、もともとはエサやり行為そのものを規制の対象にし、それについて何らかの状況があれば罰則をと、こういうことを考えていたようですが、私が指摘をしたことに基づいて、これは結果責任以外には無理だ、という判断をせざるを得なかった、そこだけは実は私がたしかに、かかわりをもったといえば、かかわりをもったところであります」

 これが事実とすれば、たしかに、京都市は、条例成立後に市民に告知したパンフレットや市民しんぶん、KBS京都(京都放送)のCMで、表向きは、「餌やりは周囲に迷惑をかけないようにしましょう」「条例では、野良猫に餌を与えるときは周辺に迷惑とならないよう適切な方法で行うことを定めています。野良猫への適切な餌のやり方の基準を守り、周辺の皆様の理解も得られるよう、お願いします」「残飯ごみの放置や周囲に悪影響を及ぼすえさやりをしない」「えさやりにも周囲への思いやりが必要」「餌やり 迷惑をかけない。ふん尿の始末などを」と言ったフレーズを流していた。それは、あたかも、置きエサ、撒きエサという、明らかにトラブルになるエサのやり方でなけば問題なし、というニュアンスだった。

 このように京都市が、置きエサで近隣に迷惑をかけなければ、野良猫にエサをやってもオッケィーであるかのように表向きはなったのは、吉田真澄氏の話が事実なら、吉田真澄氏が、この条例の罰則対象は、行為責任ではなく結果責任である、と釘を刺したことが功を奏したことになる。そうであるならば、そのことについては、野良猫たちも一定の評価をしているかもしれない。

 だが、この直談判をしたという話の直後に、吉田真澄氏は、こう語った。

 「それ以外のことについては、あまりにも私は、京都では、私は、申し上げたように、色んな関係があるので、私の発言というのは、非常に重要なものになってくるはずだから、できるだけこれについては、公の場では、唯一、植田先生のその会合で、この条例はあまりできがよくない、という話はした、と記憶をしておりますが、それ以外は特にはやってこなかったというわけであります」

 つまり、京都市については、色々な人間関係が濃厚にあるので、言えない、もの申せない、というわけ。京都村の動物行政のなかで重要な立場としての人間関係があるので、波風立つことは言えない、ということであり、これはまさに、京都市役所という権力との良好な関係を維持しようとするばかりに反対できない、という、村社会特有の事情が働いていることを、正直に吐露したことになる。

 では、条例ができたあとの現実はどうかといえば、事態はまさに、猫エサやり禁止条例“発動”の様相を呈しているのである。

 (続く)
posted by ssk at 20:00| Comment(0) | 連載

2016年01月10日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 三十一

 その席で吉田真澄氏は、動物愛護行政の歴史を話したあと、全国で、以前よりは整備が行き届いた施設である動物愛護センターができてきている、と述べた後、こう語った。

 「色々と今日の話のなかでもでてきた、京都の動物愛護センターというのも、一連の(全国的な)流れのなかで出てきたものだ、というふうに理解をしてよいと思います。そして、京都の場合には、今日の一つの重要なテーマであった、野良猫へのエサやりというものが非常に重要な対象になっている条例というものができ、それが効力をもつ施行された時と、おおむね、この京都動物愛護センターの開所が重なったものですから、『どうも、ウサンくさい』というような言い方がされているということではないか、というふうに思っております。

 さらにいえば、私個人では、私がこの条例の中身を決めるについて、深くかかわったのではないか、という、そういうウワサが一時流れた」

 つまり、全国一ともいわれる動物愛護センターというアメダマと引き換えに、エサやり禁止条例という痛すぎるムチが導入された、そして、その条例の作成に、動物法の権威である法律家の吉田真澄氏は深く携わった、このように巷では疑いの目で見られているというのである。

 次いで吉田真澄氏は、こう語った。

 「私はもちろん京都市の議員あるいは職員のことは比較的よく知っている立場にはあります。それで、たまたま植田先生の会で2月に京都市の条例をテーマにした集会があり、そこで私が基調講演を頼まれて話をする、ということになった」

 これは前述した27日の集会である。

 なお、この時点では、京都市の条例の条文は明らかになっていなかった。その後、議会に正式に提出されて可決成立し、その後、京都市は条例の施行規則等をつくった。こうして形が鮮明になっていく中で、吉田氏は、京都市の条例をつくった中枢の人物と会ったという。

 (続く)

posted by ssk at 20:00| Comment(0) | 連載

2016年01月09日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 三十

 感じる、というよりも、実際に吉田真澄氏は、そういう意味合いのことを、自ら言っている。

 吉田氏が公の場で、京都市の野良猫エサやり禁止条例について発言しているのを初めて筆者が見たのは、201527日のこと。この日、THEペット法塾が急遽、「京都市・野良猫餌やり禁止条例と野良猫保護――今みんなで考える問題・猫餌やり禁止 新しい形の殺処分――」と題する緊急集会を、京都市内の池坊短大で開催した。

 その集会の冒頭、吉田眞澄氏は、こう語った。

 「本来的にいえば、京都市が、あるいは京都市民が、この問題について、自分達が一体いかように考えればよいのか、ということを、真っ先に、この種の会合をつくって議論するのが、良い形ではないか、というふうに思っていましたが、なかなか、そういうことに手を上げる組織がない、ということは、京都市にとって残念なことであります。他方で、この会を、先頭に立って開催したTHEペット法塾、とりわけ、植田代表には、心から敬意を表するものであります」(写真は吉田氏。同集会にて)


吉田氏.JPG


 そして、吉田氏は、「私は京都市民であります。生まれも育ちも京都であります」といい、これまで京都市が「動物愛護推進計画」をつくり、理想的な「動物愛護センター(仮称)」を建設することに決め、さらに世界的にも珍しい「京都動物愛護憲章」を定めたことに、誇りと期待をもってきたが、もしこの条例(野良猫餌やり禁止条例)ができてしまえば、京都は日本のなかでも、かなり突出してペットの受け入れの門の狭い街になる。そうすると、京都に動物が入ってくると、(住民から)奇異の目で見られる。はっきり言ってそれが一番怖い。そういう目があれば、果たしてここで安らかに動物たちが散歩することができますか?答えはノーであります。およそヨーロッパの様々な街と比べれば、京都は“非常に異様な街”だとヨーロッパの人たちに思われる。そして、日本人にさえ、「自分たちの街と京都の街は違う」と思われる、と懸念を吐露した。

 そして、野良猫の餌やりが悪いことだと思っていません。構造的にいえば、一番悪いのは、その猫を遺棄した人であります。遺棄は、いうまでもなく犯罪です。京都市は、遺棄をする人については、何も触れていない。これは野良猫の問題を根本的に解決しようという姿勢がない表れ、と痛烈に批判した。

 ことの成り行きに不安をおぼえる人々にとって、この吉田真澄氏の発言は心強かったに違いない。

 その後、野良猫エサやり禁止条例が成立した後、THEペット法塾は、2015326日に東京の参院議員会館で集会を開いた。このとき、代表の植田勝博・弁護士は、野良猫エサやり禁止条例について、吉田真澄氏とは意見が合わなかったため、今回は吉田先生は参加しない形となった、という趣旨の説明をたしかちらっと言っていた。

 その後も、THEペット法塾の東京の集会があったが、やはり吉田真澄氏は参加していなかった。

 だが、前述した20151121日にTHEペット法塾が大阪市内で開催した「動物問題交流会」に、久々に吉田真澄氏が来ていた。

 (続く)

posted by ssk at 20:29| Comment(0) | 連載

2016年01月02日

海と、天地の生き物を汚染するマイクロ・プラスチック 四

 さらに同報告書には「実際に、これまで実海域で採取された甲殻類や魚類の内蔵より微細片が発見され、あるいは貝類体内への微細片の移行を確認した実験結果もある(磯辺ほか, 2012)。」「微細片には有害物質が含まれ、これが誤食を介して生物体内に摂取される可能性がある。最近になって、微細片を体内に取り込んだメダカに、肝機能障害が発現したとの実験も報告された(Rochemanetal. 2013)」とある。

 それにしても、洗顔剤などのスクラブの粒々は、いかにも海に流れ出る頃にはビーズ状になりそうな感じはするが、口紅、マスカラ等々に含まれるプラスチック成分は、ビーズ状とは言い難い。本当にマイクロビーズといえるのか。

 そこで、マイクロプラスチックを担当する環境省の海洋環境室サエグサ氏に、電話で聞いたところ、口紅などに含まれる微細なプラスチックもマイクロビーズです、と言う。サエグサ氏によると、今年のG7の首脳宣言でマイクロプラスチックは世界的問題と宣言されており、宣言の付属書には、マイクロビーズは自発的な廃止、マイクロプラスチックを含む廃棄物は海に出ないよう力を入れるという趣旨のことが書かれているという。

 そして、サエグサ氏によると、大きいプラスチックが海に出て小さくなり、微細なプラスチックになっていくものを「二次的マイクロプラスチック」というのだという。これはペットボトルやビニール袋などのいわゆるプラスチックゴミが微細になってできるマイクロプラスチックである。

 そして、化粧品などに入っている、もともと小さいままの微細プラスチックは、「一次的プラスチック」といい、たとえビーズ状でなくてもこれを「マイクロビーズ」というのだという。

 この定義でいくと、筆者が調べた上記化粧品リストは、やはり、れきとしたマイクロビーズということになる。

 そこで、マイクロビーズの入っていることが確認できた化粧品会社7社に対しては、製品名を列挙した別表をつけ、マイクロビーズが確認できなかった19社に対しては別表を除いた上で、国連の報告書が今夏出たことを示し、「マイクロビーズの環境問題について、どういう取組みをしているか?」「御社の製品でポリエチレン末、ポリエチレン、ポリプロピレン以外に、プラスチック成分の表記名があれば、どういう表記か?」など聞いた。

 すると、ディオール、ケンゾーパルファム、ジバンシイ、メイクアップフォーエバーなどのブランドでマイクロビーズが入っているLVMHは、電話で要件を伝えたところ、「取材は受け付けていません」と言って電話を切られた。説明責任ゼロである。

 また、エレガンス、ポール&ジョーボーテ、エクシアALなどのブランド計208製品でマイクロビーズが入っているアルビオンや、カバーマーク、パピリオなどのブランドで入っていたピアスや、メイベリンニューヨークなどのブランドで入っている日本ロレアル、ホーユー、ナリス化粧品、ライオンは、無回答だった。

 (続く)
posted by ssk at 20:00| Comment(0) | 連載

2015年12月29日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 二十八・二十九

 これに対し、門川市長は、こう答弁している。 

 「核家族化や高齢化の下でペットとして動物を飼う、動物と人間との共生みたいなものが非常に大事だなということを実感しておりますし、また、子供の教育においても生き物を飼う、育てるということが非常に子供の心の成長に重要な役割を果たす、そういうときに、やはり社会全体でボランティアの人々の活躍も含めて、そうした京都において取組を市民ぐるみで進めていきたいな、そういうことを念じております。

 獣医師会等との色々な連携した取組も今京都市で進んでおりますので、動物愛護行動計画、仮称でありますが、そうしたものを定めていく、そうした取組の中で市民ぐるみの新たな施策の一歩踏み込んだ取組も進めて参りたい、そのように思っております」

 こう言っていた人物が、猫エサやり禁止条例をつくるとは、このとき、誰も思わなったに違いない。が、当の門川大作市長は、腹に一物あったのではないか。

 ちなみに、中村氏は、ここで出てきた「日本動物ネットワーク京都」を、その後も市会での発言時に、何度か引合いに出している。

 「日本動物ネットワーク京都(JANK)」は、01年に設立した団体で、2013年にNGO法人となっている。

 同団体のブログをみてみると、中村氏、そして京都市役所との、親密な関係がうかがえる。

 例えば、2014121日付の同団体のブログは、「新動物愛護センターに関する海外調査報告会」と題する告知をしている。

 そこには、「上記文書の通り、京都市保健福祉局保健衛生推進室保健医療課より下記の報告会について周知の依頼を受けました」とあり、写真が添付されている。

 その写真には、京都市の保健医療課長の名で、こう書いてある。 

 「海外行政調査個人報告会(中村三之助京都市会議員)の開催に係るリーフレットの配布について(依頼)」

 「日ごろは本市の動物愛護行政の推進に御協力を賜り、ありがとうございます。

 この度、市会事務局から標記の報告会の開催に当たり、市民や動物愛護団体の皆様への周知について依頼がありました。

 つきましては、御多忙のところ大変お手数ですが、別添のリーフレットを会員の皆様に配布していただき、広く御周知くださいますようお願い申し上げます」(写真は同ブログより)

  

リーフレット.jpg


  

報国会.jpg



 そして、1424日付には、「海外行政調査報告会の受付をJANKのメンバー7名でお手伝いしてまいりました」とあるので、中村氏の個人講演会に運営側のスタッフとして参加していたことになる。

201452日付には、「新動物愛護センター『動物愛ランド・京都』の公式マスコットキャラクターの名称が決定しました。京都市のHP(←クリックで開きます)で公開されています」と、京都市HPのような告知をしている。(写真は同ブログより)

  

マスコット.JPG


 また、2014626日付では、「全国初 動物愛護憲章制定へ」と題し、「第一回京都動物愛護憲章懇話会」が開かれたことをつづっている。(写真は同ブログより)

  

憲章.JPG


2014723日付には、「セミナーでの講演」と題し、625日に「『ペットに優しい社会』殺処分ゼロを目指して」と題し、京都市保健福祉局保健衛生推進室・保健医療課の太田眞一課長の基調講演を紹介している。(写真は同ブログより)

  

セミナー.JPG


 そして2014年の師走には、エサやり禁止条例についてのパブリックコメントを京都市が募集したことは記憶に新しいが、このときに、「パブコメに参加しよう!」と題し、「京都市は『京都動物愛護憲章』を制定し、人と動物が共生していくための社会づくりを目指しています。そのうえで動物飼育をする者が他人に迷惑をかけることを規制するための条例を新たに制定する動きがあるようです。

 糞尿問題など解決していくべき問題も多いと思いますが、ぜひ動物愛護・福祉を推進する皆さまの多様な意見を反映できるようにしていきたいと思っています」という告知をした。(写真は同ブログより)

  

ハプコメ.JPG

 なお、2015年正月以降は更新されていない。

 これら京都市との「密接なつながり」を窺わせる告知をみて、筆者は、ある言葉を思い出した。

 それは平成271121日のこと。この日、THEペット法塾の会員が集まる「動物問題交流会」が大阪市内であり、光栄にも筆者はそこで京都市の実情を報告する機会を得た。そこで、これまでこの連載で書いてきたことと、のちに書こうと思い温めていることも含め、10数分に言いたいことを凝縮して話したのだが、その集会で、THEペット法塾代表の植田勝博弁護士が、京都市の動物愛護ボランティアの中には、猫エサやり禁止条例に賛成して推している団体が多い、という意味のことを言っていた。

 くだんの「日本動物ネットワーク京都」がそれに当たるのかは、定かではないが、京都市の猫エサやり禁止条例ができる最中に、京都市の動物愛護ボランティアがまったく条例に反対の声をあげていなかったのはたしか。なかには、内心では反対していた団もあったかもしれないが、表立って反対した団体は絶無に等しかった。

 その裏には、京都都市役所との一体化があるのではないか。つまり、京都市役所という権力との良好な関係を維持しようとするばかりに反対できない、という、村社会の事情が働いているのではないか。

 ちなみに、そのことを筆者は、京都市在住の動物法の権威である吉田真澄氏(弁護士、元帯広畜産大副学長、ペット法学会の初代事務局長(現副理事長)で、日本で初めて「ペット六法」(誠文堂新光社刊)を編纂した、動物愛護ボランティアの間で広くリスペクトされている人物)にも感じる。

 (続く)
posted by ssk at 18:00| Comment(0) | 連載

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 二十七

 さらに中村氏は、こう発言する。

 「門川市長さんへ、先ほど申しました日本動物ネットワーク京都のボランティア団体が、市長選立候補を表明された後、21日付けですけれども、門川(中略)立候補者に対してお願いの申入れをされました。

 それは、その団体が門川候補者のマニフェストをずっと読まれた中に、地方主権のモデル都市を目指した京都という部分で、その抱負、その考えに感銘されて、共鳴されて、その中で特に命を大切にという部分の所を多く書かれていたという門川候補者に大変思いを打たれて、ほかの候補者にない人間的な身近さを感じたという、これは実際、その方々から聞いたことです。そして、きっとこの方だったら私たちの思いを分かってくださるだろうと思って申入れをされたんです。

 その申入れの内容の概要をここで簡単に言いますけれども、一つは、現在の京都市家庭動物相談所,これを是非市民の憩いの場となるような場所に新たに建設していただいて、保護した動物の治療や里親探しの場として基本的な業務を是非してくださいと。

 京都市の家庭動物相談所というのは大変汚いと言ったら悪いですけれども、ぼろっちくて、みんなが近寄るというような雰囲気じゃないんですよね。正にそこでずっと殺されている場所と言うか、そういう部分がみんなイメージにあるもので、市民も近寄り難いしという部分。

 そして、二つ目のお願いされたのが、動物110番通報の対応など、ボランティアと協力して活動できる動物愛護推進事務所や、正しい動物の飼い方やしつけ教室も仕事の内容として盛り込んでいって、子供たちに優しさや思いやりの心をはぐくむ校外教室として、こういった府民、市民、特に独居老人などのいやしの場としての活用なんかも考えていただきたいなというようなこととか、訓練された動物を伴った老人施設への慰問などの、そんな活動もボランティアを利用してやっていけたらというようなこと。こういう具合いにイメージを大きく変えた施設へと、是非再スタートしてもらえないかというような、そんな思い。人と動物との共生の在り方を色々言われたんです。きっとお読みになられたと思います。

 そこで、大変その当時、選挙で忙しかったにもかかわらず、門川候補者はその提案、お願い事に対して真摯に、212日に回答されているんです。

 五つの内容に回答されているんです。ここで改めて、そういう団体からの思いに対して、当時はまだ市長立候補予定者でしたが、現在はもう市長になられました。改めてそのときの回答されたことについて御答弁を御本人からいただきたいなと、このように思うんですが、いかがですか」


 (続く)
posted by ssk at 01:02| Comment(0) | 連載

2015年12月27日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 二十六

 自民党の京都市議・中村三之助氏が、はじめて野良猫について市議会で言及したのは平成20318日の普通予算特別委員会。

 その前月には、門川大作氏が京都市長に初当選した。

 その門川大作市長に対し、中村氏は、「野良犬とか野良猫の問題についてなんですけれども」といい、こう質問した。

 「門川市長は犬猫は好きですか?」

 その後、「きっとお好きやと思うんです」といって野良猫について質問していくのだが、実際のところ、門川大作市長は、猫のことは好きなのだろうか?

 ちなみに、中村氏のこの「好きですか?」との質問に対し、門川大作市長は、スルーした。

 市長が猫と映っている写真はあるだろうか、と思い調べたところ、嬉しそうに、犬と写っているのはあった。が、猫と一緒の写真は、なかった。(写真は同氏HPより)

  

犬一.JPG

  


  

犬二.JPG

  

犬三.JPG

  


 犬の写真ばっかりで思い起こすのは、エサやり禁止を掲げた環境省の「牧原プラン」である。既述のとおり同省HPには、牧原プランにかかわったタレントたちの写真が並んでいるが、犬とのツーショットや犬を飼っている、といったタレントの割合が非常に多く、猫派は少なかった。猫目線の欠落というのは、そういうところに如実に表れるものだ。

 門川大作氏は、猫が好きなのか、嫌いなのか?野良猫のことはどう思っているのか?

 これは猫エサやり禁止条例の核心である。

 仮に、門川氏が、猫は好きだ、と言ったとしても、にわかには信じ難い。猫に囲まれながら、猫に頬ずりして、満面の笑みで、目の奥までの、心から喜びの表情の写真を撮らない限りは。その写真の有無こそが、リトマス試験紙である。

 話を戻す。

 中村氏は、その後、こういうふうに語った。

 「野良猫の問題というのは大変社会的な問題になっておりますけれども、京都府下で犬猫合わせて年間約7,000頭が殺処分されていると、こういう現況であります。

 その多くは、人の身勝手な私用により捨てられて、そして増えていって、挙げ句の果てはどうしようもなくなって、最後、殺処分せなしゃあないと、こういうようなことになっているわけなんです」

 そして、あるボランティアの名を挙げた。

 「こういった現況をいつまでも看過していられないということで(中略)同じ問題意識を持たれた人たちが、実は平成13年に『日本動物ネットワーク京都』という、こういうボランティア団体をこさえられました。

 そして、そのボランティアの方々が、野良犬やら、また野良猫、公園にいる猫を捕獲して、そして自分らの寄付金、また自分らでバザー収益で得たそういうお金なんかを拠出して、そして不妊とか去勢の手術をして、そしてまた公園等に戻すという、こういった活動をずっとしてこられているんです。昨年でそこの団体は約160匹の猫を不妊去勢手術をされたということなんです。

 そのかいがありまして,京都市のデータを見ますと、猫の部分においては殺処分数も年々減少して参りました。平成10年度が5,119匹だったものが、平成18年度は2,209匹と、激減しているわけなんです。

 これらは正にボランティアの方々の(中略)成果(中略)と思うんです。しかし、そういうボランティアの方々は(中略)殺す猫、犬なんかはゼロにしたい、こういう思いがありますから、ゼロという数字から考えるとまだまだ十分ではないわけなんです」


 (続く)

posted by ssk at 20:00| Comment(0) | 連載

2015年12月26日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 二十四・二十五

 なお、既述のとおり、平成2636日の第4回プロジェクトチームでは、「2月市会定例会の代表質問、予算特別委員会での質疑について説明」とある。

 この中の市会定例会は、公明市議・吉田氏であることは、既に述べた。

 では予算特別委員会とは何のことかというと、これは吉田氏の友軍の伏兵の発言である。それは、自民党の京都市議・中村三之助氏。(写真は「2013 年度(平成25年度)京都市会海外行政調査(動物愛護)報告書」より

  
中村氏.JPG

 中村氏は、マッチポンプ吉田市議と同じ上京区が選挙区。中村氏は、平成26217日の予算特別委員会で、プロジェクトチームの状況ばとうなっているのか、と質問した。

 これに対し、土井直也・保健衛生推進室生活衛生担当部長は、 

 「年度内に一定の方向性を示して、また市会の方に御報告させていただきたいと考えております」と言った。

 これに対し、中村氏は、

 「ということは、最初のプロジェクトチームの報告、年度内ということは3月末までと、日があんまりないです。ということは、議会の中での教育福祉委員会、そのときに報告すると、そういう予定を考えてはるんですか。ほんでよろしいんですか。分かりました」

 と念を押した。

 次いで、同月24日の予算特別委員会で中村氏は、

 「犬猫等ふん尿被害対策検討プロジェクトチームの設置ですが(中略)次回の常任委員会で、3月10日になりますけれども、報告しますというようなお答えがございましたけれども、このチームは、実効性の高い対策を検討するというところまで言うてはった内容でございますけれども、そんなことで間に合うのかと。10日、本当にそういう実効性の高い内容で、報告を我々にしてもらえるのかと、甚だ心配なんですが、いかがですか」

 とクレームを言った。

 これに対し、瀧本章・保健福祉局保健医療・介護担当局長は、

 「先生の方から310日、間に合うのかということでございますけども、まず市民アンケート、今回犬猫ふん尿被害対策検討プロジェクトということで検討を鋭意進めておるわけですが、そういった中で、市民の方の意識をしっかり調べたいということで、モニター調査という形になるんですが、対象者1,000人を対象にして、意識調査をしようという風に思っております。(中略)

 ただ、この調査につきましては、募集期間、あるいいは結果の集計、そして、そこから出てきた数字につきましてのプロジェクトチーム会議での分析、そういった必要な作業工程を検討いたしますと、誠に申し訳ございませんが、次回の委員会で報告するというのが、ちょっと手続的に難しいと、時間的に難しいという状況が分かってまいりました」

 といい、

 「大変申し訳ないのですが、引き続き、中身をしっかりと検討させていただき、改めて御報告をさせていただきたいと思っております。私どもの十分な作業工程の検証がないままの発言となってしまいましたことを、改めてお詫びを申し上げる次第でございます。

 年度内には、方向性を取りまとめられるよう、鋭意努力してまいりたいと思っております。誠に申し訳ございません」

 と詫びた。

 すると中村氏は京都弁で、

 「ほんまに、年度内、また言うていいんですか。またもう1回、もう1回訂正するなんていうのは恥ずかしいですで。僕は、そんなに急いでせえせえと言っているわけではないんです。だから、そうやってある意味で、実効性の高い内容まで検討して報告しますと言うてくれてはるんやから、待ってますから、慌てて、慌ててせえと誰も言うてはらへんのやから、いいもん出してもろうたらいいんです」

 と言った。

 これに対し、高木博司・保健福祉局長は、

 「年度内に(中略)大きな方向性、私ども行政としての考え方、これをお示しさせていただきまして、議会の先生方の御意見、そして市民の方々の御意見も聴いたうえで、肉付けをして、完成形としていきたい」と考えています、と言った。

 このように役人が平謝りしたわけだが、遅れている原因は「市民アンケート」と明言している。そして「市民アンケート」は、同年21日に公明市議・吉田氏が、門川大作市長に対し、活用するよう迫り、市長が活用する、と明言していた。つまり、吉田氏が原因とみられる。

 なお、中村氏は、これまで何度も、野良猫について言及している。

 (続く)

posted by ssk at 20:00| Comment(0) | 連載

海と、天地の生き物を汚染するマイクロ・プラスチック 三

 なお、このエクセルの「マイクロビーズ化粧品リスト」の製品のなかには、今販売されているものはもちろんのこと、すでにメーカーでは販売していないものも多少あるが、そうしたものの中にも、「あ、これは前に使っていた…」と思い起こし、知らず知らずに海を汚染していたことを知る契機にもなるし、在庫を抱えて今もドラッグストアで売っているというケースも考えられるので載せている。実際、筆者使っていたシャンプーにプラスチックが入っていたのを知り、愕然とした。

 それにしても、スクラブ以外のものが実に多い。欧米では、マイクロビーズ、イコール、スクラブ、であるかのように報じているケースが多いので、スクラブ以外もマイクロビーズといえるのか、と疑問に思い、調べたところ、ちょうど今年夏に国連が「Plastic in Cosmetics 2015 Fact sheet」という、マイクロビーズについての報告書を発表していた。それによると、消臭剤、シャンプー、コンディショナー、リップスティック、ヘアカラー、シェービングクリーム、日焼け止め、虫よけ、モイスチャライザー、ヘアスプレー、フェイシャルマスク、ベビーケア製品、アイシャドー、マスカラなどなど、様々な製品に、マイクロビーズが入っている、と書いてある。そして、そのうちの多くのサイズは150マイクロメートル(1マイクロメートルは1000分の1ミリメートル)というから異様に小さいという。

 これほど小さいということは、プラントンが間違えて食べてることも有り得るのではないか?

 株式会社 日本海洋生物研究所HPによると、代表的な海の動物プランクトンのサイズは、最小のピコプランクトン(0.22μ(マイクロ)m)から、ナノプランクトン(220μm)、マイクロプランクトン(20200μm)、メソプランクトン(200μm20mm)など様々あるという。ナノプランクトン以上のサイズなら、マイクロビーズを食べていても不思議ではない大きさだ。また、最も小さいピコプランクトンでさえ、マイクロビーズと同等のサイズのケースもあるので、魚が間違えてマイクロビーズを食べていることはいかにも有りそうだ。

 実際、環境省水・大気環境局水環境課海洋環境室が公表している資料によると、マイクロビーズについて、「動物プランクトンに近い大きさの微細片は、誤食を通して容易に生態系に混入するだろう」と書いてある。(平成26年度沖合海域における漂流・海底ごみ実態調査委託業務報告書[概要版]」より)


 (続く)

posted by ssk at 08:10| Comment(0) | 連載

2015年12月25日

検証「育鵬社の教科書」 反知性的封建主義、愚民化政策のトゥールとして 一

 戦後の歴史教育を自虐史観と否定した戦前回帰の思想を持つ「新しい歴史教科書をつくる会」(1997年発足)が内部分裂してできた「育鵬社(いくほうしゃ)」(2007年に扶桑社の教科書事業部門を分離して設立)の、「中学の歴史・公民」の教科書の採択が今夏行われ、育鵬社を採択したのは前回(4年前)の11都府県23教委から、以下の14都府県31教委に増えた。

 都県が、宮城、埼玉、千葉、東京、山口、香川、愛媛、福岡。

 市が、大田原(栃木県)、武蔵村山(東京都)、横浜、藤沢(以上神奈川県)、金沢、加賀、小松(以上石川県)、大阪、東大阪、河内長野、四條畷、泉佐野(以上大阪府)、呉(広島県)、防府、岩国(以上山口県)、松山、新居浜、四国中央(以上愛媛県)、石垣(沖縄県)。

 町村が、小笠原村(東京都)、和木町(山口県)、上島町(愛媛県)、与那国町(沖縄県)。(1031日付朝日新聞朝刊より)

 だが、育鵬社の教科書とは、具体的にはどういう教科書なのか。例えば、同記事には、「日本の太平洋戦争開戦について『南方の資源獲得』に触れつつ、『欧米による植民地支配からのアジア解放』という面を強調。東京裁判については、特設ページで批判的な視点を多く紹介している。公民では、伝統的な家族観を重視したり、戦争放棄と国防・兵役の義務を併記した海外の憲法を紹介したりしている」とあるが、いまいち問題点がはっきりしない。新聞記事やネット媒体の記事を読んでも、断片的にちょこちょこっと書いてあるだけで、肝心の教科書の中身がよくわからない。読書のなかにも、そう思っている人もいるのではないだろうか。

 そこで、筆者は、育鵬社の教科書を、徹底検証することにした。筆者の住む横浜市では5箇所の図書館で教科書を観ることができる。そのうちの一つ、横浜市立中央図書館へ10日行ってきた。

 検証する教科書は前回採択した2012年発行の教科書。これが今まさに学校現場で使われている教科書である。

 なお、比較対象として、帝国書院の教科書を使った。理由は時間の都合で一社に絞らざるを得なかったことと、横浜市では、市教委が育鵬社に有利になる採点式に変更して無理矢理、育鵬社に決めた、このとき次点が帝国書院だった、という経緯があったためだ。

 それでは育鵬社の「中学社会 新しいみんなの公民」をみてみよう。是非、中学のときどういうふうに学んだかかを思い返しながらみてほしい。(写真は育鵬社「中学社会 新しいみんなの公民」より)

  
育鵬社 中学公民 表紙 奥付.jpg

 そんな書き出しで、20151213日付のauのニュースサイトEZニュースフラッシュ増刊号のコーナー「ウワサの現場」で記事を書いた。今回、このときの記事を大幅に加筆し、筆者のこの公式サイトに載せることとする。

 後述のように、育鵬社の教科書の内容は、日本国憲法を無視して解釈改憲と称し集団的自衛権の行使を可能とする安保法制を成立させた安倍自公政権のやっていることと酷似している。

 立憲主義の意味もわかっていない発言などから、安倍自公政権=反知性主義とよくいわれるが、育鵬社の「中学社会 新しいみんなの公民」は、まるでその安倍晋三氏がこれを読みながら政治をしているかのような内容なのである。「安倍晋三の教科書」「安倍自公政権の教科書」といっても過言ではないほど、書いていることとやっていることが酷似している。要するに、育鵬社の中学公民を教育現場に持ち込むことは、反知性主義、そして反民主主義、すなわち時代に逆行した封建主義の思想を子どもに植え付ける「愚民化政策」である。

 具体的にみてみよう。育鵬社「中学社会 新しいみんなの公民」のなかで、まず、目を引いたのはP32「国家と私」という章だ。ここで、「国家に守られて生活する私」という小見出しで、「私たち国民は国に守られ、国の政治の恩恵をうけています」とある。これは、国民は「お上」に守らている、だから、お上を敬いなさい、という封建主義のトーンがにじみ出ている。

 これは変だ。国民主権なのだから、国民を守るのは、国民である。国民主権を否定しているに等しい。(写真は育鵬社「中学社会 新しいみんなの公民」より)

  

育鵬社 国家に守られて生活する私.jpg


 それに比べ、帝国書院には、文部省が47年に発行した「あたらしい憲法のはなし」の挿絵をのせている。そこには、日本国民はぜんたいの意見で、憲法を制定、改正し、国の政治を国会・内閣・裁判所に行わせる、と書いある。国民主権の原理である。この民主主義の大前提の観点が、育鵬社にはない。

 なお、育鵬社の教科書は、この「私たち国民は国に守られ、国の政治の恩恵をうけています」との一文の直後に、「しかし、主権者として政治を動かす力をもっていることは忘れてはいけません」とある。直前に忘れさせる文を書いておきながら、こういう言い回しで誤魔化しているというわけ。

 (続く)
posted by ssk at 19:00| Comment(0) | 連載

2015年12月22日

海と、天地の生き物を汚染するマイクロ・プラスチック 二

 『マイクロビーズ』という言葉をご存じだろうか?これは、化粧品、洗顔剤、ボディソープなどの「パーソナルケア製品」に含まれる「微細なプラスチック粒子」である。マイクロビーズの大きさは1mm以下で、消費者のバスルームや洗面所から下水処理施設のフィルターを通過して川や湖、海に、毎年何百万トンも流れ込んでいる。マイクロビーズは殺虫剤などの化学物質がつきやすく、マイクロビーズを食べた動物プランクトンや魚が体内に有害物質を蓄積する恐れがあり、食物連鎖で環境全体を汚染し、人間にも深刻な影響を与えるリスクがある。

 そのため、例えば米国では、コロラド、コネチカットなど8つの州で、マイクロビーズを含むパーソナルケア製品の製造を2017年末から禁止し、2018年末に販売を禁止する法律を制定した。さらにカリフォルニア州では今年10月、生分解性のマイクロビーズを含め、2020年までに禁止するという、他州より、より抜け道のない法案を制定した。(Corporate Environmental Lawyerより)

 筆者は、昨年8月、他媒体でマイクロビーズの企画取材執筆をした。その時は、英字新聞に基づき、当時日本で売り出し中の洗顔剤、ボディソープ、歯磨き粉を対象に調べた。詳しくはその記事の通りだが、この取材のなかで、「製品の成分表示のなかで、マイクロビーズをどう表示しているのか?」という筆者の質問に対し、いくつかの社は「ポリエチレン」「ポリエチレン末」と回答していた。そして今年夏、マイクロビーズは「ポリエチレン」「ポリプロピレン」と表記されているケースが多い、と書いてある英字新聞を筆者は読んだ。

 そこで、昨年の取材では、化粧品メーカーに対し、製品名をピックアップして、この製品にはマイクロビーズは入っているか?という質問の仕方だった。(マイクロビーズの入っている製品名を聞いても大半の社が無回答だった)。そのため今度は「ポリエチレン」「ポリエチレン末」「ポリプロピレン」の入っているパーソナルケア製品を独自調査した上で、質問を組み立てることに決めた。

 また、昨年の調査では、中小零細メーカーも取材対象だったが、企業責任の重さという観点から、今回は、大手化粧品メーカーに絞ることとした。こうして以下の26社をピックアップした。(参考:業界動向SEARCH.COMNPO法人動物実験の廃止を求める会・JAVAなど)

 資生堂、花王、カネボウ、ポーラ・オルビスホールディングス、コーセー、マンダム、ファンケル、ノエビアホールディングス、ドクターシーラボ、ミルボン、ナリス化粧品、P&Gジャパン、富士フイルムヘルスケアラボラトリー、サンスター、日本メナード化粧品、ライオン、ユニリーバ・ジャパン、ホーユー、アルビオン、日本ロレアル、ピアス、再春館製薬所、ロート製薬、クラシエホームプロダクツ、LVMH(モエヘネシー・ルイヴィトン・ジャパン)、エスティローダー。

 次に、製品の成分表示を、サイト「化粧品成分情報サイト美肌マニア」に基づき調べた。

http://bihada-mania.jp/seibun/

 同サイトの「成分検索」で、「ポリエチレン」「ポリエチレン末」「ポリプロピレン」と入力すると、製品名がズラリと出てくる。

 こうして調べたところ、驚くべきことに、特にポリエチレンの入っている製品は、スクラブ洗顔剤のみならず、アイケア、アイリンクルクリーム、ゴマージュ・ピーリング、コンシーラー、コンディショナー、ジェル・クリームチーク、ジェルアイライナー、トリートメント、パウダーチーク、パウダーファンデーション、フェイシャルマスク、プレストパウダー、ペンシルアイライナー、ポイントリムーバー、ボディソープ、マスカラ、リップグロス、リップケア、リップライナー、口紅、洗い流すパック・マスク、洗顔料、頭皮ケアなど化粧品全般に及んだ。

 その数800製品以上(大手29社のうち17社の製品。グループ企業の製品含む)。詳しくは以下のエクセル表の通り。


 マイクロビーズ化粧品リスト.xlsx


 (続く)

posted by ssk at 21:45| Comment(0) | 連載

原発プロパガンダ「讀賣新聞」 敗戦、占領下 十

 くだんの菊池正士の手記から20日後の1949610日の讀賣新聞朝刊に、こんな広告が出た。

 それは、「原子力講演と映画の会」という広告。主催は読売新聞社、つまり、社告である。

 冒頭には、こう書いてある。

 「『原子力時代来る!』の声は大きいが、一般にはまだその意義が徹底していない。原子力とは何か、その平和的利用による威力は、これからの政治、経済、生活、産業にどんな変革をもたらそうとしているであろうか。その秘密を誰にもわかり易く面白く解説する権威ある公開講座」

 そして、「第三回読売科学公開講座  ―入場無料」とあり、その横に、白抜きの大きな字で「原子力講演と映画の会」とある。

 日時は「613日 午後1時ー5時」、場所は「有楽町 読売会館ホール」。

 その横に「プログラム」が、こう書いてある。

 「原子力と平和  科学研究所長理博 仁科芳雄」

 「原子力発生の工業的背景 工大助教授理博 武田栄一」

 「原子力時代の医学と農業 東大助教授医博 吉川春寿」

 「原子力による人類生活の変革 東大教授理博 嵯峨根遼吉」

 「CIE教育映画『原子力』」

 このなかの、仁科芳雄、武田栄一は既述の通り。

 吉川春寿は、のちの東京大学大学院医学部長。

 嵯峨根遼吉は、戦前から理研の仁科芳雄のもとで学んでいた核研究者。のちに特殊法人・日本原子力研究所の副理事長など原発法人の要職を歴任する人物。

CIEとは、Civil Information and Education Sectionの略で、GHQの民間情報教育局。ここで第二次大戦後の日本占領下の文化面の情報収集と行政指導をし、教育制度改革などを実施した。(デジタル大辞泉より)

 写真は、その社告。


原子力講演と映画の会 広告.JPG

 のちに讀賣新聞は、「原子力平和利用博覧会」というイベントを都内の日比谷公園で主催して、そのことを大々的に報じ、“原発プロパガンダ”と化していくのだが、「原子力講演と映画の会」は、その「祖形」である。

 なお、「イベント」は、讀賣新聞のお家芸である。

 「巨怪伝 上―正力松太郎と影武者たちの一世紀」(佐野眞一、文藝春秋)には、戦前に部数を伸ばして大手紙の一角まで上り詰めた正力松太郎のやり方について、「地道な取材活動による紙勢の拡大という発想は、正力の頭のなかにはほとんどなかった」、「イベントという“疑似ニュース”」が、拡販の手段だった、と指摘している。

 例えば、1926年に囲碁の名人・本因坊秀哉と七段・雁金準一の対極を実現させ、その棋譜を連日報じて大反響だったり、1933年にはフランスからボクシングの世界チャンピオンを招聘し、両国国技館や早大グラウンドで日仏対抗拳闘選手権をしたり、1935年には多摩川園で菊人形展を開き一日4万人もの入場者がつめかけるなど、イベントでヒットを連発させてきた。

 例えば、写真は、その菊人形展の社告(1952918日付朝刊)。


菊人形展 社告.JPG


 要するに、原発も同じ手法で広めていったというわけ。

 (続く)
posted by ssk at 21:17| Comment(0) | 連載

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 二十三

 門川大作市長は、

 「私は動物の触れ合いを通して全ての命を大切にするまちを築いていくために、マニフェストにおいても全国一の動物愛護センターを創設することを市民の皆様にお約束いたしました。その目的を達成していくためには、ペットを飼っている方のみならず動物が苦手な方も含め、市民ぐるみで全ての命を大切にする機運を高め行動に移していくことが必要であります」

 と、動物嫌いな市民のためにも、全国一の動物愛護センターをつくると明言。

 そして、

 「曽我議員御指摘の京都市動物愛護憲章の制定につきましては、動物愛護団体や市民ボランティア等の皆様と共に汗する共汗で、人と動物が共生できるまちの理想像を示すことができるものとして、センターの竣工に併せまして制定できるよう検討を進めてまいります」

 と、「動物愛護センター」とセットで「動物愛護憲章」を定める、と宣言した。

 さらに、注目なことに、この翌月の平成24316日の予算特別委員会で、同じく池田大作教団コーメートーの京都市議・大道義知氏は、こう質問した。(写真は大道義知。同氏HPより)


大道.JPG


「是非ともお願いしたいのは、(中略)先日、曽我議員が求めました憲章の件なんでございますが、憲章についても京都府と連携を取っていただいて、京都市愛護憲章という名前ではなくて、京都愛護憲章であるべきだと思います。これはまさに広域的なお話になりますし、他府県との問題も整合性も持たないけないんですが、やっぱりその象徴として出来たということであれば、名称についてもしっかりと協調のできるものをお願いしたい」

 これに対し、星川茂一・副市長は、こう言った。(写真は星川茂一副市長(当時)、京都市教育委員会HPより)


星川 京都市教育委員会HPより.JPG


「憲章の名前も含めまして、やはり府市協調でやるという委員の御提案、そのとおりだと思います。今後、京都府と協議をしてまいりたいという風に思います。」

 そして、この答弁から2年後に、同じく池田教団コーメートーの吉田孝雄市議が、「京都動物愛護憲章(中略)は平成242月議会で我が会派の大道議員と曽我議員が提唱したもの」と自党を自賛し、罰則強化を迫った。教団の主張通りにコトが進んだ。

 つまり、京都動物愛護憲章の生みの親は、池田教団コーメートー京都市議の曽我修・大道義知氏ということになる。

 そして、再三の指摘の通り、京都市猫エサやり禁止条例の生みの親は、くだんのマッチポンプ・吉田孝雄氏である。

 そして、教祖・池田大作の名を冠し、教団と親密な関係にある門川大作・京都市長は、ことごとく池田教団の言い分に合意した。

 要するに京都市は、池田大作教団に牛耳られた。

 (続く)
posted by ssk at 01:31| Comment(0) | 連載

2015年12月20日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 二十二

 エサやり規制の文言の入った、この「京都動物愛護憲章」を反映させて、実効性の形にしたものが、「京都市猫エサやり規制条例」である。そして、この「京都動物愛護憲章」は、巨大ハコモノ施設「動物愛ランド・京都」(京都動物愛護センター)から派生したものである。

 一体誰が派生せさたのか?

 池田大作教団である。

 もともと京都動物愛護センターは、京都市が平成213月に策定した「動物愛護行動計画」で、動物愛護行政の中核的役割を果たす施設、として設置が明記された。

 こうして平成26年度に竣工予定で進める中、平成2489日に、京都市と京都府が共同で、京都動物愛護センターを設置することとなった。動物愛護センターが京都市内に2か所ある不効率を解消するためだった。

 この府と市の取り決めからさかのぼること約5か月前の平成2432日の、京都市会の定例会で、にわかに池田教団公明党の京都市議・曽我修氏が、門川大作・京都市長に対し、こういう提言をした。(写真は曽我修。公明党HPより)


曽我 修.JPG


 「動物愛護行政についてお尋ねいたします。今や、ペットは犬や猫から爬虫類まで種類も多様化し、単なる愛玩の対象ではなく飼い主の心に潤いを与え心豊かな生活を送るうえの良きパートナーとして、その役割が高まってきております。

 しかし一方では、不適切な飼い方によって近隣住民に迷惑を及ぼしたり、飼い主がペットを虐待したり遺棄するなど様々な問題も生じております」

 このように、「近隣住民に迷惑」を及ぼすなどと愛護動物を問題視したうえで、にかわに、こう言った。

 「私は市長に、今後の動物愛護行政の推進に当たっての提案をさせていただきます」

 そして、こう訴えた。

 「新たに設置される京都市動物愛護センターについては、動物を好きな方のみを対象とするものではなく動物愛護精神高揚の効率的な実施を目的に、動物が苦手な方、動物に興味がない方にとっても有益な施設となるような機能を有するものとしていただきたいと思います」

 さらに、こう、迫った。

 「あわせて、動物愛護の理念が京都市民に醸成されつつある今こそ、それを後押しする取組として将来の条例化も視野に入れた京都市動物愛護憲章を制定すべきと考えます」

 このように、「条例化」も視野に入れた「京都市動物愛護憲章」と言った。憲章ができる3年近く前の時点で、である。

 この曽我氏の言に対し、市長の門川大作氏は、こう、答えた。

 (続く)

posted by ssk at 23:17| Comment(0) | 連載

2015年12月18日

クロ猫 三

 その後、筆者は、ご婦人たちが猫のエサやりをしているという、朝8時〜8時半の間と、4時半から5時半くらいの間に、行こう、と思いつつ、何日か経過した。

 そうした中、たまたま平日夕方に駅の方に行く用が入り、向かった。川沿いのエサやりをしている付近にさしかかったとき、遠目から、なんとなく、人が集まっているのが見えた。

 筆者はこのとき、クロ猫を映した写真の入った機器は家に置いてきてたが、少し遠回りをして、ふらっと、集まっている場所へ向かった。

 近づいていくと、自転車が数台あり、45人のご婦人たちがいた。

 その姿がなんとなく、五芒星の各定点で、まるで十二神将のように何かを護って立っているかのような、オーラを感じた。

 よく見ると、付近に何匹か猫がいて、もぐもぐとエサを食べている。

 この人たちに、違いない。

 そこで、その中の一人の、短髪で、黒系の色の入った眼鏡をかけて、腕を組みながら、向かいのご婦人と話している方に、「お聞きしたいことがあるのですが、」と声をかけ、「この辺りで、太ったクロ猫を見かけたのですが、避妊去勢手術はしているかご存知でしょうか?」と聞いてみた。

 すると、短髪の方の向かいにいた、エスパー魔美のような風貌の方が、「あそこにいるクロ猫のこと?」と指差した。見ると、エサを欲しそうに小走りで寄って来ているクロ猫がいた。がしかし、そんなに太っていない。

 「もっとコロコロした大きなクロ猫なのですが」と言うと、「どの辺で見ましたか?」というので、指を指しながら「あっちの対面の川沿いの方です」と筆者は言った。

 すると、ご婦人たちは、あそこにいるあの猫かな、という感じで話し合い、「この辺りの川沿いの猫は、すべて手術していますよ」と、まるで戦士のような雰囲気で断言した。

 この人たちの地域猫活動なら大丈夫だろう、と安心した。

 (続く)

posted by ssk at 21:30| Comment(0) | 連載

2015年12月17日

原発プロパガンダ「讀賣新聞」 敗戦、占領下 九

2013811日付テレビ朝日「ザ・スクープスペシャル 戦後68年特別企画 原発と原爆〜日本の原子力とアメリカの影〜」によると、当時、アメリカではこういう議論がされていたことが、のちに開示された機密文書により明らかになっているという。

 「『平和と繁栄を生む原子力』の方が、『戦争を生む原子力』よりも、世界に受け入れられやすい」「原子力が建設的に利用されれば、核兵器も受け入れやすくなるだろう」(195210月、米国防総省機密文書)

 「現在の世界の世論の下では、我々は核兵器を使用できない」「その感情を緩和するため、あらゆる努力をすべきだ」(19533月、米国家安全保障会議議事録)

 「アメリカが同盟国に開示する原子力の情報は、次のカテゴリーを含む。『核兵器の戦略的活用』」(195312月、米国家安全保障会議報告書)

 また、同番組のインタビューでは、元米エネルギー省政策顧問ロバート・アルバレスがこう語っている。

 「原子力の平和利用と核兵器は、安全保障政策上、表裏一体で、核には二面性があるのです」

 つまり平和利用という名目で、西側諸国に原子力技術を供与し、核配備につなげようという狙いがある。

 このように、後述の大々的な「原子力の平和利用」キャンペーンが始まるのは1953年からだが、讀賣新聞では、その約5年前から始まっていることを、三氏の手記は示している。

 しかも、仁科芳雄の手記「原子力と平和」の約3か月前の1948521日付の讀賣新聞朝刊には、「原子力を人類福祉へ ト大統領演説 利用法の発見近し」という記事もある。

 それによると、「トルーマン米大統領は2日、ワシントン全国保健大会集会で、原子力の平和利用について、偉大な発見が目前に迫っていると、次のとおり演説した」という。

 「原子力の平時の応用については、偉大な仕事が進行中であると聞いている。故ヘンリー・フォード氏も、かつて第二次大戦中の科学的研究の成果は、戦争による巨大な損害を補って余りあるであろう、とわたくしに述べたことがあるが、フォード氏の予言はある程度まで真実になろうとしている、というのは、我々は現在、原子力を破壊目的よりむしろ、人類の福祉に役立つように利用する方法を発見しようとしているからである、わたくしは世界を素晴らしい住家とするような偉大な発見が目前に迫っているということを聞いている、我々自身もこのような情勢に対応するため、ただちに準備を整えようではないか」 

 これはのちの「アトムズ・フォー・ピース」の祖形といえる。

 なお、「原発・正力・CIA 機密文書で読む昭和裏面史」(有馬哲夫、新潮社、20082月)に、このトルーマン演説の約1年後の19496月に、アメリカ上院で原子力委員長ルイス・ストローズも加わって原子力の平和利用を促進する政策が議論された、と書いてある。

 また、のちの「アトムズ・フォー・ピース」政策について、日本では色々な反応があったが、「原子力の平和利用についてもっとも早くから強い関心を持った人々は(中略)学者のグループだったろう。日本の原子力の研究は戦前までさかのぼることができる。その中心人物の一人は東京大学出身の物理学者、仁科芳雄博士だった」とある。

 こうしたくだりは、筆者の指摘と符合する。つまり、原発イコール原爆という爪を隠した「アトムズ・フォー・ピース」政策の祖形は、1949年以降の讀賣新聞にみることができる。

 ちなみに、ほかの大手紙の朝日、毎日新聞では、こうした記載は一切ない。

 すでに占領中から讀賣新聞は、どこよりも「原発(=核兵器)」と密接につながっていた。

 (続く)

posted by ssk at 00:52| Comment(0) | 連載

原発プロパガンダ「讀賣新聞」 敗戦、占領下 八

 「現在は原子力に対する恐怖が世界を支配している。これは要するに、原子力兵器を持つ強力な破壊力と航空機の発達によって地球上のどの地点も敵国から攻撃をまぬがれないところから来ている。いかにして、この問題を解決するかは今後の人類への大きな課題である」

 そして、「これに関して、人間が科学にのみ走ることを嘆き、精神運動とか宗教的理念の高揚から、これを解決せんとする気遣いが相当多い。

 しかし、この問題はあくまで人間の理性でなければ根本的の解決は得られない。原子力を開発した人間の理性は、この問題をも解決し得ると確信する」 

 と、原子力イコール危険、だから使用しない、ではなく、原子力の危険イコール人間の理性で解決できる、だから原子力を使用する、というロジックを強調し、こう夢想して結んでいる。

 「やがては、現代を以て人類が未開であった頃、初めて原子力の秘密を知って自ら驚きあわてた時代として、伝えられる時が来るだろう」

 「原子力と平和」と題し、平和を前面に出しているように見せて、実態は、平和は当面無理だから、科学技術を進化させて広島・長崎に落ちた原子力爆弾より桁違いの爆弾をつくって平和を築くしかない、と軍拡思想を説いた仁科芳雄の手記。

 「原子力の平和的利用」と題し、原子力の最も手近で現実的な用途は電力、と言いつつ、原子力は、「完全に同一操作により」、原爆も原発も作られる、と、原爆イコール原発であることを説き明かした、武田栄一の手記。

 そして、原発は「原子力の応用としては序の口にすぎない」と豪語し、原子力航空機でサンフランシスコ、東京間を、我々が郊外から丸ノ内まで電車で通うよりも気軽にできるかも、月に行くのだって夢ではない、とまさに夢をつづった菊池正士。

 この三人の手記は、約5年後にアメリカが推し進めた「アトムズ・フォー・ピース」(「原子力の平和利用」)の祖形である。

 「アトムズ・フォー・ピース」とは、195312月の国連総会で、アメリカ大統領ドワイト・デイビッド・アイゼンハワーが、「アメリカは誇りを持って『原子力の平和利用』(アトムズ・フォー・ピース)の推進計画の策定に着手する」といい、原子力情報を機密にしてきたこれまでの政策を大転換し、「原子力の平和利用」(アトムズ・フォー・ピース)を訴えたことを指す。

 その後、アメリカは、核兵器用に濃縮したウランを民間に転用し、世界中で原発建設を推進していく。それは一見、画期的な核軍縮提案に見えたが、実は、こういう狙いがあった。

 (続く)

posted by ssk at 00:36| Comment(0) | 連載

2015年12月16日

ブラック企業「市場大路」記事削除の真相 八

 こうして記事が削除されたため、これまで七回にわたり「ブラック企業『市場大路』記事削除の真相」を記し、今、八回目に至る。


 なお、控訴審以降の経緯を記す。


20131021日に、前橋地方裁判所で、市場大路の完全敗訴判決が下った。


 その後、市場大路は控訴した。


 これに対し、原告の草津泉美氏も、附帯控訴した。(附帯控訴とは、民事訴訟法上、被控訴人が控訴審の手続中に、控訴に付帯して原判決に対する不服を主張し、自己に有利に変更を求める申し立て。(ブリタニカ国際大百科事典小項目事典より))


 付帯控訴の内容は、市場大路に対する支払い額を、一審判決の502500円から、609500円に変更するよう求める、というもの。


 もともと502500円の内訳は、慰謝料30万円、未払い給与202500円だった。そこから退職に対する所定書類の交付を行わなかったなどの求職活動の妨害による損害金として、請求額を107千円増やし609500円とした。


 こうして201431115時、東京高裁第二民事部で、第一回目の控訴審の期日があった。裁判官は、佐久間邦夫裁判長、林正宏・蓮井俊治裁判官。


 この場で、翌月の4241310分に、判決が言い渡される事が決まった。


 つまり、裁判所は、高裁で一切審議する必要はない、と判断した。審議をしない、ということは、市場大路が完全敗訴した一審判決が覆るとは、考えにくい。


 そうした中、控訴審判決が迫る416日の10時半、にわかに、和解が成立したのだった。


 和解内容は次の通り。(控訴人とは市場大路。被控訴人とは原告の草津泉美氏)


 「1. 控訴人は、被控訴人に対し、本件和解金として、414575円の支払義務があることを確認する。


2. 控訴人及び被控訴人は、前項の金員が支払い済みであることを相互に確認する。


3. 被控訴人は、その余の請求を放棄する。


4. 本件和解条項に定めるもののほか、何らの債権債務のないことを相互に確認する。


5. 訴訟費用は、第12審を通じて各自の負担とする」


 このように書いてあった。なお、「本件和解金として、414575円」とあり、「前項の金員が支払い済み」とあるが、これは、一審の判決文には、第一項に「被告は原告に対し、金502500円を支払え」とあり、「この判決は、第1項に限り仮に執行することができる」とあるので、その中の414575円が、既に原告に支払われたと見られる。なぜ、502500円とあったのに、414575円しか支払われていないのかは、裁判文書に記載がないので定かではないが、既に払われている金額でもって、和解を成立させた点が、原告の、もう市場大路とは関わりたくないという思いが滲み出ている観がある。


 もともとこの事件は、労働審判から始まっていた。(労働審判とは、平成1841日から始まった手続で、解雇や給料の不払など、事業主と個々の労働者との間の労働関係に関するトラブルを、迅速かつ適正に解決することを目的としている。具体的な方法は、労働審判官(裁判官)1人と労働関係に関する専門的な知識と経験を有する労働審判員2人で組織された労働審判委員会が、労働紛争を原則3回以内の期日で審理し、適宜調停を試み、調停による解決に至らない場合、柔軟な解決を図るための労働審判を下す、という紛争解決手続。労働審判は裁判での判決に類する。この労働審判に対して当事者から異議の申立てがあれば、労働審判はその効力を失い、労働審判事件は訴訟に移行する。(参考:裁判所HP))。


 この労働審判により、市場大路が草津氏に対し、一審判決より低い金額の支払いで解決する、という審判が下った。しかし、市場大路が異議を申し立てたため、調停は決裂し、裁判に移行した。つまり、もともと草津氏側は、長期戦となる裁判をしたくはなかった。そういう意味合いのことが草津氏側の裁判文書に書いてあった。


 こういう経緯があるので、既に払われている金額でもって和解を成立させたのは、もう市場大路とは関わりたくない、という原告の気持ちが表れているように見えるのである。


 要するに、控訴審でも、市場大路の言い分が採用された形跡はないまま、裁判は終結した。よって、市場大路の記事削除要請には根拠がないので、筆者の記事「深夜3時まで「尻軽女!!」と罵倒した社長のブラック体質」を削除するわけにはいかない。


 この事件については、今後、gooの時のようなプロバイダを通しての記事削除要請や、記事削除の仮処分や提訴といった裁判沙汰になった場合に、続報する。

posted by ssk at 19:16| Comment(0) | 連載

2015年12月12日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 二十一

 この「京都動物愛護憲章」は、京都府と京都市による憲章で、動物愛護に関する自治体の憲章としては全国初。制定日は平成261212日。これは「1(ワン)2(ニャン)の日」という意味。

 京都市HPによると、この憲章の理念を踏まえ、平成274月に府市共同で開所する「動物愛ランド・京都」(京都動物愛護センター)を拠点として、「人と動物が共生」できる社会を目指すという。

 同センターの敷地面積は11千平方メートル。保護した犬猫の一時保管所や会員制のドッグラン(約3千平方メートル)、有料のトリミングルーム、獣医師会と連携した夜間動物救急診療所などを設けた。災害時は被災動物の保護や治療などの拠点施設としても機能する。総事業費は約6億円。(京都新聞より)

 要するに、この動物のための施設としては破格の「箱モノ」と「憲章」は「セット」になっている。

 そして、憲章は「『人と動物が共生できるうるおいのある豊かな社会』の具体的な姿を示すとともに、様々な人々がそれぞれの立場から動物愛護のあり方について自ら考え、積極的に行動するための拠り所となるもの」という。

 具体的には、「京都動物愛護憲章」には、こういうことが書いてある。

 「わたくしたちは、ここ京都で、四季のうつろいを感じながら、いきものと関わり、その命を尊ぶわが国ならではの暮らしのかたちを千年以上の永きにわたってつむいできました。そして、わたくしたちは、さらに進んで、ここ京都を人と動物が共に暮らすうるおいのある豊かなまちにすることを目指します。

 わたくしたちと同じようにかけがえのない命を持ち、わたくしたちの身近なところで共に生きている動物との関わりについて、わたくしたち一人ひとりが自ら考え、行動するためにこの憲章を定めます」

 このように憲章は、「わたくしたち」という主語になっている。つまり、市民の行動を、市民自らが規定したものとなっており、否でも応でも、この憲章のとおり行動します、と一人一人の市民が宣言したことになる。

 さらに、憲章には、こう書いてある。

 「わたくしたちは、この憲章に基づいて、様々な立場で動物と関わる中で、例えば、次のようなことに取組ます」

 そして、

 「1.動物を思いやりましょう」

 「1.動物のことを学びましょう」

 「1.動物との正しい関わりを考えましょう。」

 「1.動物との絆を最後まで大切にしましょう」

 「1.人にも動物にも心地よりまちをつくりましょう」

 とあり、それぞれの下に、箇条書きで三つずつ、具体的な行動を記載している。

 そのなかの

 「1.動物との正しい関わりを考えましょう。」

 には、こういう一文がある。 

 「周りに迷惑がかかるような動物への餌やりは行いません」

 そして、憲章の末尾、

 「1.人にも動物にも心地よいまちをつくりましょう」

 の箇条書きの最後には、こうある。 

 「地域の人々で協力して、人と猫が共生できる『まちねこ活動』に取り組みます」

 縷々述べたように、「まちねこ活動」とは、自治会の同意がないと野良猫にエサをやってはいけない、という、エサやり規制と表裏一体の制度である。

 そして、京都市では、そうやって猫にエサをやらないことが、「人にも動物にも心地よいまち」なのだそうだ。



 (続く)
posted by ssk at 20:00| Comment(0) | 連載

2015年12月11日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 二十

 さらに、門川大作市長は、こう答弁した。

 「このため、私は、昨年12月1日付けで犬猫等ふん尿被害対策検討プロジェクトチームを設置し、『人と動物との共生』やまちの美化、生活環境の保全等、様々な観点から総合的に実効性のある対策を全庁一丸となって検討するよう指示し、現在、鋭意取り組んでいるところでございます」

 このようにプロジェクトチームを設置して指示している、と述べている。

 つまり、このプロジェクトチームは、生みの親である公明党市議・吉田孝雄氏と、門川大作市長の「共作」ということになる。

 さらに、門川大作市長はこういう。

 「プロジエクトチームでは、飼い主のモラルの向上とふん尿の抑止と除去のそれぞれの観点から効率的に検討を進めていくために二つの部会を設置して犬のふん尿の放置を禁止している、いわゆるまちの美化推進条例をはじめ、本市においてこれまで実施してきた取組や全国各地の事例の検証を行うとともに、地域での実態やふん尿被害に関する意識等を把握するため市民アンケート調査を実施することといたしております」

 このように、吉田氏が活用するよう迫った「市民アンケート」について、市長も言及した。

 さらに、門川大作市長は、こういう。

 「これらの結果を踏まえ、京都の市民力、地域力を生かして、飼い主の意識を変革させる働き掛けやマナー違反を許さない機運の醸成、発生したふん尿の除去等、有効な方策をできるだけ早期に実施するとともに、こうした対策の実効性を高めるため条例の在り方についても検討を進めてまいります。

 こうした中、吉田議員御指摘の京都動物愛護憲章については、動物を飼っている人もいない人も、お互いの立場を尊重し合い、『人と動物とが真に共生』できる社会の実現に向け、全ての市民が共有できるものとする必要がございます。このため、憲章において、動物を最後まで責任を持って飼うことや飼っている動物が人に危害や迷惑を掛けないようにすることはもとより、飼い主として当然に果たすべき責務としてふん尿の放置により生活環境を悪化させないことを明確にうたってまいります。以上でございます」

 このように、人間中心主義の「人と動物とが真に共生」できる社会の実現に向け、「動物が人に危害や迷惑を掛けない」といった文言を、明確に「京都動物愛護憲章」に入れていく、と宣言している。

 それから約10か月後にできた「京都動物愛護憲章」は、ここでの質疑答弁が忠実に反映された。

 (続く)

posted by ssk at 19:21| Comment(0) | 連載

2015年12月10日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 十八・十九

 吉田氏は、こう強調した。

 「参考になるのが京都市と同じ国際観光都市であるパリ市です。私は、海外行政調査団の一員として、(前年の)728日から85日までドイツ、フランス、イギリスの動物愛護政策を現地視察した折に、パリ市で取り組まれたふん害対策を学びました。(中略)刺激的な内容のポスターを作製するなど啓発の強化を図るとともに罰則を課した条例を施行し、『毎日80人の担当者が市内パトロールを実施』しています。同時に飼い主がふんを家に持ち帰らなくてもよいように、市内3万箇所に透明のビニール袋を8メートル間隔で設置して毎日収集しています」

 そして、こう迫った。

 「パリと同じことをするべきと言うつもりはありません。しかし、中途半端にせず徹底した具体策にチャレンジしていく中にこそ、市民のニーズに合った施策が形成されていくのだと痛感しました。その意味では、現在プロジェクトチームが実施しようとしているアンケート調査で市民から寄せられる生の声を、是非とも積極的に取り入れていただきたいと申し上げます」

 ここで注目なのは、「アンケート調査」を活用するよう要求している点だ。

 前述のように、プロジェクトチームの会議では「市民アンケートの実施期間の関係で教育福祉委員会への報告は4月になった」とある。これは、吉田氏の定例会でのこの発言により、アンケートのやり方の変更を余儀なくされ、当初の予定より時間がかかったため、と見られる。なお、この影響で、吉田氏の“お仲間”が議会でプロジェクトチームを追及する場面も出てくる。そのことは後述する。

 さらに、吉田氏は、こう迫った。

 「本市は26年度予算で、京都動物愛護憲章の策定を計上しました。これは平成242月議会で我が会派の大道議員と曽我議員が提唱したもので、『人と動物が共生』する社会を市民ぐるみで構築する機運が促進されると期待されています。美しいまちづくりのため、ふん害対策のマナー向上への理念を京都動物愛護憲章にどのように反映させていくとお考えでしょうか。お答えください。あわせて、京都市の地域特性に合った実効力のある条例の制定と、それに向けた具体的なふん害対策の検討に着手していただきたいと考えますが、いかがでしょうか」

 これは質問というより、要求である。

 なお、京都ボランティア筋によると、吉田氏は周囲に、「オレは猫のエサやり禁止は言っていない!」と、あたかも自分には責任はないかのように吹聴しているという。だが、自分で火をつけて燃え盛り、猫のエサやり禁止条例の制定という事態になっているのに、THEペット法塾が反対集会を開くまで、この人物は何もせず放置していた。これは不作為で、火をつけて放置するようなものであり、確信犯と言わざるを得ない。

 それと、もう一つ、指摘しなければならないのは、「集大成」と自画自賛して、犬の糞の放置に対して罰則を科す、という主張を延々としたわけだが、これは全国各地ですでに、早いところでは十年以上前からすでに始まっていることであり、なんら真新しいこともない。

 つまり、吉田氏が議会でしつこく迫り続けている裏には、「真の意図」が隠されている。そう考えざるを得ない。もしくは、全国各地で行われていることを、まるで初めて実施するべく条例をつくるかのように力説しているという、想像を絶するほど、この吉田という人物は間抜けか、どちらかであるとしか考えられないが、次の市長の答弁とその後の成り行きから察するに、前者であると筆者は判断する。

 この吉田氏の自画自賛の質問風の要求に対し、京都市の最高権力者である門川大作・京都市長は、こう答弁したのだった。

 「悠久の歴史の中で培われてきた美しいまち・京都は、市民の皆さんの門掃きにも表れるように、自らのまちを誇りに思い、他者を思いやる行動ができる品格のあるまちであります。

 しかし、犬や猫のふん尿の放置は世界一美しいまちを目指す京都の美観を著しく損なうだけでなく、生活環境の悪化にもつながる憂慮すべき事態であり、『人と動物とが共生』できる、潤いのある豊かな社会を目指す本市にとって喫緊に解決しなければならない大きな課題と考えております」

 このように、門川大作市長は、生活環境の悪化などの、人に対して迷惑をかけない事を大前提とした、「人間中心主義」の「人と動物との共生」を掲げている。前述のとおり吉田氏もこの言葉を述べている。

 ちなみに、池田教団の教祖・池田大作も「人間中心主義」を盛んに説いていた。名前だけではなく、思想も似ている。

 なお、この「人間中心主義」の「人と動物との共生」は、のちにできるエサやり禁止条例の核となる思想である。

 (続く)

posted by ssk at 22:51| Comment(0) | 連載

2015年12月09日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 十七

 それにしても、役人たちが罰則付きのエサやり禁止に豹変したのはなぜか。

 そのことを解き明かす鍵と見られる発言が、この日の会議では出ている。そのやり取りは次の通り。

 サブリーダー・石田信幸氏(保健福祉局 保健衛生推進室長兼生活衛生担当部長)

 「市民アンケートの実施期間の関係で教育福祉委員会への報告は4月になった。

 また、市長ミーティングで上局報告を行ったうえで教育福祉委員会へ報告する予定である」

 岡田博史氏(行財政局 総務部法制課長)

 「動物愛護関連で、市会における答弁の状況はどうか」

 これに対し、石田氏は、「2月市会定例会の代表質問、予算特別委員会での質疑について説明」をした。

 そして、チームリーダー・瀧本章氏(保健福祉局 保健医療・介護担当局長)が、「市長総括質疑での予想質問について説明」した。

 これらの発言のなかで、特にキーとなるのは、「2月市会定例会の代表質問」である。これは、くだんのマッチポンプ公明市議・吉田孝雄氏の質問を指す。

 のちに吉田氏は、このときのことを、「集大成と位置付けた本会議質疑」と自賛している。

 それは平成26221日の第1回定例会。

 そこで吉田氏は、こう質問した。

 「犬や猫のふん尿被害、いわゆるふん害の対策についてお聞きします。(中略)

 私は、3年前の教育福祉委員会で城陽市のふん害防止に関する条例などの先行事例を紹介して法整備の必要性を訴えたことを皮切りに、各委員会の場で議論を重ねてきました。

 その中で、昨年3月の予算特別委員会市長総括質疑において、部局の壁を越えたプロジェクトチームを作って責任の所在を明確にし、実態調査と具体的施策を協議するべきであると論じたところ、12月に庁内横断の犬猫等ふん尿被害対策検討プロジェクトチームが発足。二つの分科会に分かれて本格的な協議が開始されました。一歩前進であり,大いに期待したいと思います」

 と、プロジェクトチームの生みの親であることをアピールしたうえで、こう言った。 

 「昨年の8月、私は全国で最初に罰則付きの条例を施行した城陽市を現地調査しました。

 駅前や大型公共施設の近辺を歩きましたが、道端にふんは見当たらず、犬を連れて散歩中の方も処理用の器具をお持ちでした。見晴らしのいい箇所には幾つかの看板もありました。

 地元の議員さんとも話しましたが、ふん害に関する声は余り寄せられていないとのこと。条例は一定の効果を発揮していると感じた次第です」

 このように「罰則付きの条例」の必要性に言及した。

 さらに、吉田氏は、監視員付きの罰則条例の事例を持ち出したのだった。 

(続く)
posted by ssk at 23:16| Comment(0) | 連載

原発プロパガンダ「讀賣新聞」 敗戦、占領下 七

 そんな菊地正士の記事「原子力と交通機関 期待される数十年後の世界」」には、こうある。

 冒頭、昨年末にアメリカのオークリッジ原子工場の博士が「原子力航空機の理論は99%まで完成されている」との注目すべき発表をした、といい、この博士は構造には言及しなかったが、一般専門家の間では、「従来の動力装置とは異なった“核ロケット”(ニュクリアー・ロケット)という特種な装置」が使われるものとみられているという。

 また、「アメリカ原子科学界は、すでに自動車の発動機に放射能ピストン・リングを適用する実験に成功しているといわれる」といい、「原子力の工業的利用は既に時間の問題となっている」といっている。

 さらに、「原子力の利用価値が高度に発揮されるものは、交通機関の動力としての応用であろう」と、話を進め、「現在発電所として設計されているのは(中略)原子力の応用としては序の口にすぎない」と言い捨てている。

 これは、前出の武田栄一・東京工業大助教の手記「原子力の平和的利用」のなかで、航空機などへの応用は技術的に困難なので、発電こそ原子力の最も手近な用途である、と言ったことを、「序の口」扱いしたに等しい。

 さらに菊地正士は、こう記している。

 「交通機関に応用された場合、これが真にその価値を発揮するのは、水上あるいは地上を動く機関よりは、空を飛ぶ航空機にあることは、想像に難くない。

 というのは、船や汽車あるいは自動車のようなものは、ある程度、完成に近いものである。ほかのいろいろの理由によって、そのスピート(中略)に制限がある。自動車が町の中を一時間何百メートルというようなスピードで走ってみたところで、人迷惑になるだけである。また、船のごときはいかにエンジンを用いたところで、水上にあるという理由によって、ある程度制限を受ける。

 これに反して、航空機は(中略)無現に進歩の可能性がある」

 そして、こう夢物語を描いている。

 「現在の船のごとく大型の航空機が、原子力によるロケット式の何億馬力というエンジンによって地球の大気層の外へ出て、一時間何千メートルのスピードで走ることも今では夢ではない。

 現在、サンフランシスコ、東京間は二十余時間を要するが、これを何十分の一かに短縮して、アメリカとの往復は、現在我々が電車で郊外から丸の内へ通うよりも気軽にできる時が来るかもしれない」

 そして、「一番の困難」は「放射線の人体に及ぼす害の対策にある」としながらも、この問題は、医学の研究で解決されるかもしれぬし、大きな航空機をつくり放射線を隔離するなどで解決できる、と楽観視した上で、こう記している。

 「何十年何百年後の人類は、必ず、そういった文明の利器の恩恵をこうむることであろう。また、その頃にもなれば、地球に住む人類にとって、この上ない魅力である地球外の天体との交通問題も、具体的な技術計画として取り上げられるであろう」

 そして、「原子力に対する恐怖解決へ」という小見出しで、こう記している。

 (続く)

posted by ssk at 23:11| Comment(0) | 連載

2015年12月08日

原発プロパガンダ「讀賣新聞」 敗戦、占領下 六

 「まず第一が、大学教授の地位を現在のごとく恒久的なものとしないで、研究あるいは後輩の指導に実績を上げない人は、どしどし免職にすることである。(中略)

 第二には、大学の制度を変えて、現在のごとく講座の数をやたらに多くせず、これをできるだけ少なくし、一講座の定員を、うんと増加する、そして、その中の一人が名実ともに研究主任となり、その講座における研究を統率する、研究主任の、仕事のうえにおける命令は絶対であり、統制を破るものは、どしどし首にする。

 いまのように一つの大学の一学部に十近くの講座があり、十人近くも教授がいて、各々が別々なことをやっていたのでは、はなはだ能率があがらない、一つの大学に何から何まで設備される必要はないのだから、できるだけ講座の数は減らして、ある種の研究に集中するようにしなければ駄目である。

 第三に、全国の各大学の各講座の統率者が、現在の学術研究会議のようなものを組織する。

 そして、この会議が、我が国における学術界の参謀本部となり、軍部や企画院と連絡をとり、研究方針を決定し、資材の分配を行い、また教授、助教授の任免の権限ももつ、大学以外の各省や民間の研究所からも、それぞれ指導者が、この会議の会員として加わる」

 こうした言い分は、文系学部を廃止せよ、という安倍自公政権と似ている。

 そして次に、菊地は、こう精神論を述べている。 

 「今日のごとく日本の科学が未だに世界の水準に達していないのも、要するにその時代のわれわれの努力が足りなかったのである。われわれは、その責任を痛感すべきであって、いまさら自由にしておいてくれなければ能率が上がらない、などと言えた義理ではあるまいと思う。(中略)

 われわれの当面しているこの国難を克服する唯一の道は、われわれのすべてが私を捨てて、国に尽くす強い覚悟をもって立つ以外に手はないのである。いわゆる一億一心滅私奉公の精神を身に体現させる以外に手はないのである。(中略)

 国のために命をすてると、口でいうのは比較的簡単であるが、静かに自分の心に反省してみて、おれにその覚悟が十分ある、と言い得る人が、一体何人あるだろうか。ちょっと食糧の不安でも起こると、目の色を変えるのではないか。米が欠乏したら、自分が一番先に飢え死にしよう、燃料がなくなったら自分が一番先に凍死しようという覚悟が、腹からできているかどうか、よくよく反省してみることだ。(中略)

 日本の将来の運命が、科学の今後の発達に非常に影響されるところにあることを思うならば、それを託されているわれわれの責任がいかに重いかということを、痛切に感じなければならないはずである。

 特に、幾人かの人を統率して行うというような立場にある人は、敵前にあるトーチカを守る部隊長の覚悟をもって当たるべきである。

 業績が上がらないということは、敵にトーチカを明け渡すと同じ罪に相当するのである。死んで陛下にお詫びする覚悟をもって、研究に従事すべきである。業績も上げずに地位にへばりついているような真似は、到底できるはずはないのである。

 われわれ一同が、この気持ちのもとに団結すれば、どんな改革もたちまちでき上がる」

 なお、菊地正士がこの手記を載せたのは38歳のとき。つまり、若造にもかかわらず、軍部の手先になって、年配の学者たちの“首斬りの嵐”を宣告して、学術界を取り仕切っている。戦時中の原子力の研究が、いかに軍部から重宝されていたかを窺わせる。

 (続く)

posted by ssk at 19:00| Comment(0) | 連載

2015年12月07日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 十六

 次に、簱哲也(文化市民局地域自治推進室地域づくり推進課長)が、にわかに、こう言った。

 「近隣住民にとって迷惑になるような餌やりは規制すべきではないか」

 これまで比較的リベラルな発言が目立った簱氏の言葉とは、にわかには思えない発言である。

 すると、仲俊典氏(伏見保健所保健部(伏見保健センター)衛生課長)が、

 「餌やりについて、条例での規制も検討した方が良い」

 と言った。

 これに対し、太田眞一氏(保健福祉局 保健衛生推進室保健医療課 健康危機対策担当課長)は、

 「動物愛護の観点からは、餌やりを条例で規制することは難しい」

 と疑義を挟んだ。

 すると、岡田博史氏(行財政局 総務部法制課長)が、こう言った。

 「府動物愛護条例は抽象的であることから、市で条例を新設するのであれば、内容を具体的にしないといけない」

 この岡田氏の発言は、太田氏の指摘を、完全に無視している。異様な会議である。異様な情景は、さらに続く。

 次に、簱氏は、

 「罰金は効力が無い。罰則は氏名の公表で十分である」

 と発言。

 エサやりの氏名を天下にさらそうというわけである。

 次に、サブリーダー・石田信幸氏(保健福祉局 保健衛生推進室長兼生活衛生担当部長)が、

 「罰則は、運用についても十分に検討しないといけない」

 と、罰則があることを前提とした発言をし始めた。

 すると、岡田氏は、こう提案した。

 「サービス事業等が巡視するといったことも検討してみてはどうか」

 つまり、巡回して餌やりを監視するというわけである。

 すると、サブリーダー・瀬川彰氏(環境政策局 循環型社会推進部長)は、こう言った。

 「それだけでは不十分である」

 次いで、チームリーダー・瀧本章氏(保健福祉局 保健医療・介護担当局長)が、こう述べた。

 「罰則の種類の中で、最も効果のあるものは何か」

 すると瀬川氏は、

 「氏名の公表が最も効果があるのではないか」

 と言った。

 これに対し、瀧本氏は、

 「罰則の運用体制については、ある程度、覚悟を決めないといけない」

 と、メンバーに覚悟を促した。

 次いで、川口伸太郎氏(環境政策局 循環型社会推進部まち美化推進課担当課長)は、

 「巡視する者は、ある程度の専門的な知識が必要ではないか」

 と、プロフェッショナルな監視員の導入を提案した。

 続いて簱氏は、

 「罰則については、抑止力を期待した形で設けることも良いと思う」

 と言った。

 「抑止力を期待」とは、つまり、罰則にビビッてエサをやらなくなる事態を期待する、という意味である。

 (続く)

posted by ssk at 22:46| Comment(0) | 連載

原発プロパガンダ「讀賣新聞」 敗戦、占領下 五

 仁科の記事から約4か月後、1949213日付の讀賣新聞朝刊に、東京工業大助教で、のちに原子力委員会委員となる武田栄一が、「原子力の平和的利用」と題する手記を載せた。

 そこでは、原子力について、ウラニウムや中性子、核分裂、サイクロトン、プルトニウム等の解説をした上で、「発電機を回すことによって電力に変えることは容易に考えられる」「原子力の最も手近な用途は電力としてである」といい、「ウラニウム及びトリウム一キロワット時当たり八ミル(一ドル三百円として二円五十銭見当)といわれる。この数字はアメリカの発電価格に較べて若干高いが、実用性を離れたほど高価ではない」という。

 そして、発電以外には、船舶、航空機、機関車の動力として利用することも考えられるが、放射能が出るため、技術的に大きな困難を克服せねばならない、といい、ほかの分野では、生物化学、学芸科学方面でも将来は画期的収穫がもたらされることだろう、と述べている。そして、結びにこう記している。

 「最後に、我々は原子力を平和目的にも戦争目的にも使うことが出来、それがほとんど完全に同一操作により作られることを注意せねばならない。その選択は一つに人類知性の決定に委ねられている」

 要するに、「原子力発電」は「原子力爆弾」と「コインの裏表」の「イコール」にある、と明言している。

 この言葉と、4か月前に仁科芳雄が手記で述べた、科学の画期的進歩により、さらに威力の大きい原子爆弾またはこれに匹敵する武器をつくり、戦争が起こった場合には、広島、長崎とは桁違いの大きな被害を生ずるということを、世界に知らしめる、そして、その核兵器研究の「副産物」として、原子力の平和的利用がある、という論を照らし合わせると、武田栄一のいう原子力発電の真の狙いは何なのかが見えてくる。無論、それは、現代にもダイレクトに通じている。

 例えば、2012年6月20日に成立した「原子力規制委員会設置法」に、「我が国の安全保障に資する」という言葉が入ったのは、その証左といえよう。同法成立に伴い、「原子力基本法」「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律」も改正され、「我が国の安全保障に資すること」という文言も入った。「原子力」による「我が国の安全保障」とは、「核武装」を念頭に置いている、と捉えざるを得ない。

 武田の記事から約3か月後、同年521日の讀賣新聞朝刊には、「原子力と交通機関 期待される数十年後の世界」と題し、菊地正士が手記を載せた。菊地正士は戦時中、大阪帝国大学の理学部・原子核研究室の教授としてサイクロトンを建設し陸軍に所属して兵器を開発し、敗戦後は1951年に文化勲章を受章する等、仁科芳雄と経歴が似ている人物。

 菊地は戦中、194121416日付の朝日新聞朝刊で「学術の新体制」と題する手記を載せている。そこには、こう書いてある。菊池が戦時中、どういう地位だったのかを感じるために紹介する。

 「科学の統制の問題が最近いろいろと問題になっているが、一部では科学研究は統制されるべきでないという意見が相当有力に行われているとのことである。(中略)『お前は何をやれ、お前はこれをやれという具合に押しつけられるのでは、到底研究はやってゆけるものでない、研究題目の選定等は全く研究者の自由にまかせてはじめて十分な発達が望まれるものである』というにあるならば、私は大いに意見がある。(中略)

 現在の如き情勢においては、科学者といえども社会の外の部門と協力して、国家目的遂行を、まず第一に念頭において進むべきであることは、論ずる余地のないところである。

 したがって、限られた人的物的の資材をもって、この難局を処してゆく上に、科学界全体を最も能率よく活動させるような一つの組織に統合することが、絶対に必要であるのはいうまでもない」

 そして、こう、首切りを迫る。

 (続く)


  ※2012年6月20日に成立した「原子力規制委員会設置法」と、同法成立に伴う「原子力基本法」「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律」の改正で、それぞれ「我が国の安全保障に資する」という文言が入ったことを、2015年12月18日に加筆しました。
 参考資料:衆院質問主意書(平成二十四年六月二十二日提出 質問第三一三号)
 http://www.shugiin.go.jp/Internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a180313.htm



posted by ssk at 20:20| Comment(0) | 連載

2015年12月06日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 十五

 次に、川口伸太郎氏(環境政策局 循環型社会推進部まち美化推進課担当課長)が、にわかに、こういった。

 「野鳥への餌やりについても人の行為であり、条例に餌やりを禁止することを項目に追加すべきである。

 また、様々な意見があると思うが、猫への餌やりの禁止についても議論の俎上にのせたい。例えば、猫の餌やりは原則禁止であるが、『まちねこ活動地域』の中では容認するといったようなことが出来れば良いのではないか」

 この川口氏の発言は、その後、そのまま実現した。予言めいたことを急に言い出したのも不審であり、政治臭がただよう。

 その後、簱哲也氏(文化市民局 地域自治推進室地域づくり推進課長)が、こういった。

 「当資料では、条例とするまでの検討プロセスが不十分ではないか」

 すると、チームリーダー・瀧本章氏(保健福祉局 保健医療・介護担当局長)が、こう発言した。

 「6ページに条例の必要性について記載している」

 簱氏は、こう言い返した。

 「その部分が不十分のように思う。条例は

行政が指導するに当たっての根拠となるものといった考えがあっても良い」

 次に、岡田博史氏(行財政局 総務部法制課長)が、こういった。

 「動物愛護憲章と条例は重複する部分があるのではないか。

 また、京都府は、動物愛護憲章を検討する中で、府動物愛護条例の改正を検討しているのではないか。確認していただきたい」

 次に、こういうやり取りがあった。

簱氏「ふん尿被害の対策においては、飼い主のマナー向上は必須であり、憲章だけでなく、やはり条例は必要」 

 石田氏「条例は、『まち美化』『生活環境の保全』『人と動物との共生』の3つの観点から制定しなければならない」

 瀧本氏「『人と動物との共生』の観点は、まち美化条例と趣旨が異なり、当条例に追記することはできないと考えている」

 岩田恒幸氏(保健福祉局 家庭動物相談所長)「飼い主のマナーの向上は、動物愛護憲章を制定することのみで対応できるのではないか」

 簱氏「憲章は指導の根拠にならない。

 また、犬のふんに特化するものではなく、それ以外も含めるのであれば、新しい条例が必要である」

 辻尚信氏(保健福祉局 保健衛生推進室生活衛生課長)「条例に基づく努力規定とガイドラインの違いは何か」

 岡田博史氏(行財政局 総務部法制課長)「条例は市会も含めた市全体の意思であり、ガイドラインは執行機関のみの意思である」

 「市全体の意思」とは、つまり、役人のみの意思を超えた、市議や市長の意思である、という意味にとれよう。

 それにしても、京都市が開示しなかった資料に基づき、これまでになく疑義を呈する発言が続出している。資料に疑問を持つ者は、はじめて目を通したような言い方をしている。その一方で、その資料の作成に深く携ったような言いっぷりの者もいる。

 さらに、議論は、核心に迫っていく。

 (続く)

posted by ssk at 20:00| Comment(0) | 連載

2015年12月05日

海と、天地の生き物を汚染する“マイクロ・プラスチック”  一

 今から3年以上前の2012620日、筆者は、都内の有楽町で、「日本のゴミはどこへ行く?海を巡る私たちのゴミ」と題する集会に行った。そこで、22年間にわたり海洋ごみ問題に取り組み、全国各地の海岸での調査や回収活動をしている一般社団法人 JEAN事務局長の小島あずささんが、海洋生態系に深刻な影響を及ぼしている「プラスチックゴミ」について語った。

 内容は、世界中に散乱するプラスチックゴミが海に流れ、夏には海水浴場として賑わう海岸が、実は毎年プラスチックゴミだらけという現実や、鳥の胃袋にプラスチックゴミが詰め込まれていたり、アザラシの口にプラスチックゴミが巻き付き、口が開かなくなって死んでいる姿や、アザラシ.JPG魚を買ってさばいたら、胃袋からプラスチックが出てきた、海にはプラスチックゴミ・ベルトがあり、膨大なプラスチックが漂流している、といった話だった。そのときの記事は以下の通り。

http://blog.goo.ne.jp/ssk23_2005/e/7992090b16d1e261848581f6afc83e8b

 この話を聞き、筆者は卒倒しそうになった。海は、もっとキレイで、生命の源として、地球を育んできたはずだ。それが人間により、ここまで汚染されていたのか…!!

 衝撃を受け、いつか深めて書きたい、と思った。

 それに前々から、自分の家から出るプラスチックゴミの多さに、何でこんなにプラスチックに満ち満ちているんだ、と疑問に思っていたのだが、上記集会に行ってから、ますますプラゴミに対する問題意識が芽生えてきた。

 そういうことを思いながら、なかなか形にすることができずに月日が流れたのだが、昨年、たまたまエゲレスの新聞「インデペンデント」に、マイクロ・プラスチック・ビーズのことが載っていた。それによると、肌表面の古くなった角質を除去するスクラブの入った『洗顔剤』『歯磨き粉』『ボデーソープ』などに使われる微細なプラスチック粒子「マイクロビーズ」が、バスルームや洗面所から下水処理施設のフィルターを通過して川や湖、海に、毎年何百万トンも流れ込み、毒性の化学物質が付着したそれを食べた魚が、魚体内に有害物質を蓄積して、食物連鎖で環境全体を汚染し、やがては人間にも深刻な影響を与えるリスクがある、と書いてあった。

 つまり、魚を通し、陸地の生き物である我々人間も汚染するということになる。前述のとおり、マイクロプラスチックは鳥の胃袋にも入っている。ということは、海を通し、天と地の生き物全てを汚染していることになる。

 無論、これはエゲレスだけの問題ではなく、日本でも同様に、各家庭でマイクロビーズを垂れ流しているはずである。

 そこで、当時売れ筋の、洗顔剤、ボデーソープ、歯磨き粉をピックアップし、マイクロビーズが入っているかを取材して執筆した。そのときの記事は以下リンクの通り。

http://www.mynewsjapan.com/reports/2060

 その後、今年に入ってから、マイクロプラスチックについて、ぼちぼち取材をはじめている。ゆくゆくは、マイクロ・プラスチックのことを本にしたいと考えている。

 そこで、その下書き原稿に当たる文を、この公式ブログで、本の折り返し地点ないし三分の二程度まで書いて、その後に大幅加筆修正、追加取材をして、本にすることとする。

 まず、つい先日、サイゾー「Business Journal(ビジネスジャーナル)」でマイクロビーズのことを企画取材執筆した原稿を肉付けする形で、筆を進めることとする。

 (続く)

posted by ssk at 22:36| Comment(0) | 連載

原発プロパガンダ「讀賣新聞」 敗戦、占領下 三・四

 そんな仁科芳雄の、讀賣新聞4881日付の「原子力と平和」という手記には、こう書いてある。

 「「原子力は、世界に平和をもたらし、人類に幸福を与えるであろうか」

 「この時代に当って、国家という組織が発達し、不幸にもその国家間の紛争を、戦争によって解決する方法が執られることになった。

 戦争においては、一歩でも進んだ武器をもっている方が有利であることはいうまでもないから、各国とも、科学研究の成果を応用して新しい兵器を発明し、その生産技術の発達に全力を尽くす、という情勢を醸しだしたことも、当然といわねばならぬ。その結果がどうなったかということは、第二次世界大戦の結果を見れば明らかである。

 即ち、航空機の発達やレーダーの発明もその例であるが、最も典型的なものは原子爆弾の製造であって、これは驚くべき広範な領域における研究成果の総合に外ならない」

 そして、こう記している。

 「科学は人類の文化に貢献することもできるし、またこれを破壊することもできる。それは科学自身の責任ではなく、これを駆使する人の心によるものである。

 この結論は、そのまま原子力の問題に当てはまることであって、人の心のおき方によって、世界に平和をもたらすこともできれば、人類に不幸を与えることもできる。これが本文最初の課題に対する今日の回答である」

 次にこう記している。

 「それでは、どうすれば原子力が人類福祉の増進にだけ貢献し、科学の与える不幸を除くことができるであろうか。これが第二の課題である」

 そして、その課題に対する、「第一の方法」と「第二の方法」を縷々述べる。まず、こう記している。

 「第一の方法は、思想により、戦争を地球上から追放することである。それには人の心底に『戦争は罪悪である』という観念を強く植えつけるのである。そうなれば、国家間の紛争は、戦争以外の手段によって平和的に解決せられるであろうし、戦争がなくなれば、原子力は、ただ平和的目的にだけ使われることになる。

 例えば、これを動力源に使用するとか(中略)医学上の(中略)問題を解決するとか、その他いろいろの形式において人類文化の進歩を促すことになるのである」

 ここまでは、非常に平和的な物言いであるが、ここまでは枕詞のようなもので、ここから、次のように、論調が変化する。

 「しかし、この考えは、恐らく現実に即しない、というそしりを免れないであろう。というのは、今日の国際情勢を見れば、人の心がそんなに簡単に改善せられるとは、思われないからである。二度の世界大戦の結果から考えて、戦勝国民も戦敗国民も、戦争が如何に人類の悲惨(中略)であるかということを、いやというほど身をもって経験したはずである。それにもかかわらず、国際間の紛争は、簡単に理性をもって解決せられそうにはない。これは誠に了解に苦しむことであって、人の心の改革が如何に困難であるかということを示すものである。

 国際連合の原子力委員会ができ上がってから、すでに二年を経過したにもかかわらず、その目的の達成に向かっては、一歩も前進した跡を示さないのはどういうことであろうか。国際連合の方法によって、原子力を武器に使用することを禁止し、これを平和目的にのみ利用する、という、当初の試みは、放棄せねばならないのであろうか。これは、まことに残念なことである。原子力委員会が成功しないようならば、もちろん、ある人々の唱える世界国家は、一場の夢に過ぎないのである。これらの情勢を考察する時は、人の心の防波堤によって平和を確立し、原子力を、人類幸福のためにのみ使うという方法は困難なようである」

 そして、こう記してる。

 「次に、第二の方法は、科学技術の推進に全力をつくすことである。前述の通り、科学は真理探究と言う、人の本能の現れであるから、これを抑制することは不可能である。 

 もちろん、科学の成果を武器に応用することは、科学者の良心的努力によって、ある程度は防ぎ得るであろうから、それを実行することは必要である。

 しかし、前述の通り、今日の国際情勢から推して、そんな方法のみによって、科学の成果を戦争に利用させぬようにすることは、不可能であろう」

 このように、科学技術を推進して武器をつくることを示唆している。

 そして、こう述べている。 

「そこで考えられることは、むしろ、科学の画期的進歩により、さらに威力の大きい原子爆弾またはこれに匹敵する武器をつくり、もし戦争が起こった場合には、広島、長崎とは桁違いの大きな被害を生ずるということを、世界に周知させるのである」 

 いかにも、旧日本陸軍らしい発想である。

 だが、その直後に、「もちろん、それは我が国で実現させ得ないのは、いうまでもないことである」と、占領下にあるため、トーンダウンした上、世界各国の多くの人に広島、長崎の被害を見せれば平和を望む声は強まる、という自重気味の一文を入れた後、こう記している。 

「もし現在より比較にならぬ強力な原子爆弾ができた事を、世界の民衆が熟知し、かつその威力を(中略)見たならば、戦争廃棄の声は一斉に高まるであろう。かようにして、初めて原子力の国際審理は、その諸につくのではなかろうか。

 また、世界国家の実現もこれによって促進せられるであろう。

 さらに、かような研究の副産物として原子力の平和的利用の範囲と深度とは一層増大せられるであろうから、この方面において人類に貢献することも多大である」

 そして、最後にこう記している。

 「筆者は、第一の方法により、人の心に平和を愛する熱情を起こさせることは、平和確立の根本方策として、その推進の手をゆるめてはならぬ、と思う。

 それと同時に、科学者、技術者の努力によって、第二の方法を促進させる必要のあることを強調するものである。

 自分は、永続する世界平和がただちに実現するとは考えないが、以上二つの方法によって、いつの日にかは、これが達成されるという希望を捨てない。それは人類は進歩するものであるということを信ずるからである」

 要するに、「第一の方法」である「戦争放棄」の思想を広める言いながら、それは実際は非現実的なので、「第二の方法」、つまり、広島、長崎とは桁違いの原子爆弾またはこれに匹敵する武器をつくり、世界に周知させる、というのが、仁科の本音である。その発想は、「二研」時代とまったく変わっていない。

 (続く)

posted by ssk at 20:15| Comment(0) | 連載

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 十四

 その後、こういう発言があった。

 サブリーダー・石田信幸氏(保健福祉局 保健衛生推進室長兼生活衛生担当部長)

 「アンケート調査案については修正させていただき、後日メールにて送付させていただくので、各職場の職員からアンケートを回収していただきたい。

 また、市会の常任委員会である教育福祉委員会について、今年度は310日が最終との予定であり、全体的なスケジュールは前倒しでいたきたい」

 チームリーダー・瀧本章氏(保健福祉局 保健医療・介護担当局長)

 「各部会が12回終わったぐらいのタイミングで市長に中間報告をする予定である」

 簱哲也氏(文化市民局 地域自治推進室地域づくり推進課長)

 「市長には、何か条例レベルで検討する方針ということで報告するのか」

 瀧本氏「具体的な事業を検討した中で、条例が必要なものがあれば条例の改正・設置等を検討する」 

 石田氏「対策が条例という形であれば、パブリックコメントをとる等の段階があるので9月市会に付するものになるだろう。

 ただ、現在は、条例ではなく『動物愛護憲章』を制定するという考えである。

 タイトなスケジュールとなるが御協力をお願いする」

 第4回目の会議が、平成2636日午後1時から、職員会館かもがわ1階第1会議室で開かれた。

 そこでは「中間報告」という書類に基づき、話が急転換した。前回の会議では、条例にはしない方向という説明があったにもかかわらず、にわかに条例化一辺倒に豹変したのだ。プロジェクトチームの本性が現れた形だ。

 なお、くだんの「中間報告」の資料は、京都市は開示しなかった。そのため、再度開示請求してみる。

 会議では、まず、サブリーダー・土井直也氏(保健福祉局 衛生推進室生活衛生担当部長)が、資料を説明。

 次に、サブリーダー・石田信幸氏(保健福祉局 保健衛生推進室長兼生活衛生担当部長)がこういう。

 「条例で規制するものと施策で対応するものとに分けて考えている。

 条例は、人の行為を規制するものである。また、その規制には、実効性を伴わせないといけない。鳩等への餌やりを禁止する施策を実施するとしても、それを条例とするかは、別途検討しないといけない。尿の問題も同様である。

 よって、条例の範囲は、犬のふんの放置及び猫の屋内飼養等であると考えている」

 条例で何でも規制しようとすることに、反対している様子である。

 次に、岡田博史氏(行財政局 総務部法制課長)がこういう。 

「条例化するものについては裏づけが必須であり、慎重に検討する必要がある。

 また、その規制には市域全域を対象とするかについても検討が必要である」

 これも、戸惑いがにじみ出た発言である。

 すると、にわかに、野良猫へのエサやり禁止発言が、飛び出した。

 (続く)

posted by ssk at 20:00| Comment(0) | 連載