そんな仁科芳雄の、讀賣新聞48年8月1日付の「原子力と平和」という手記には、こう書いてある。
「「原子力は、世界に平和をもたらし、人類に幸福を与えるであろうか」
「この時代に当って、国家という組織が発達し、不幸にもその国家間の紛争を、戦争によって解決する方法が執られることになった。
戦争においては、一歩でも進んだ武器をもっている方が有利であることはいうまでもないから、各国とも、科学研究の成果を応用して新しい兵器を発明し、その生産技術の発達に全力を尽くす、という情勢を醸しだしたことも、当然といわねばならぬ。その結果がどうなったかということは、第二次世界大戦の結果を見れば明らかである。
即ち、航空機の発達やレーダーの発明もその例であるが、最も典型的なものは原子爆弾の製造であって、これは驚くべき広範な領域における研究成果の総合に外ならない」
そして、こう記している。
「科学は人類の文化に貢献することもできるし、またこれを破壊することもできる。それは科学自身の責任ではなく、これを駆使する人の心によるものである。
この結論は、そのまま原子力の問題に当てはまることであって、人の心のおき方によって、世界に平和をもたらすこともできれば、人類に不幸を与えることもできる。これが本文最初の課題に対する今日の回答である」
次にこう記している。
「それでは、どうすれば原子力が人類福祉の増進にだけ貢献し、科学の与える不幸を除くことができるであろうか。これが第二の課題である」
そして、その課題に対する、「第一の方法」と「第二の方法」を縷々述べる。まず、こう記している。
「第一の方法は、思想により、戦争を地球上から追放することである。それには人の心底に『戦争は罪悪である』という観念を強く植えつけるのである。そうなれば、国家間の紛争は、戦争以外の手段によって平和的に解決せられるであろうし、戦争がなくなれば、原子力は、ただ平和的目的にだけ使われることになる。
例えば、これを動力源に使用するとか(中略)医学上の(中略)問題を解決するとか、その他いろいろの形式において人類文化の進歩を促すことになるのである」
ここまでは、非常に平和的な物言いであるが、ここまでは枕詞のようなもので、ここから、次のように、論調が変化する。
「しかし、この考えは、恐らく現実に即しない、というそしりを免れないであろう。というのは、今日の国際情勢を見れば、人の心がそんなに簡単に改善せられるとは、思われないからである。二度の世界大戦の結果から考えて、戦勝国民も戦敗国民も、戦争が如何に人類の悲惨(中略)であるかということを、いやというほど身をもって経験したはずである。それにもかかわらず、国際間の紛争は、簡単に理性をもって解決せられそうにはない。これは誠に了解に苦しむことであって、人の心の改革が如何に困難であるかということを示すものである。
国際連合の原子力委員会ができ上がってから、すでに二年を経過したにもかかわらず、その目的の達成に向かっては、一歩も前進した跡を示さないのはどういうことであろうか。国際連合の方法によって、原子力を武器に使用することを禁止し、これを平和目的にのみ利用する、という、当初の試みは、放棄せねばならないのであろうか。これは、まことに残念なことである。原子力委員会が成功しないようならば、もちろん、ある人々の唱える世界国家は、一場の夢に過ぎないのである。これらの情勢を考察する時は、人の心の防波堤によって平和を確立し、原子力を、人類幸福のためにのみ使うという方法は困難なようである」
そして、こう記してる。
「次に、第二の方法は、科学技術の推進に全力をつくすことである。前述の通り、科学は真理探究と言う、人の本能の現れであるから、これを抑制することは不可能である。
もちろん、科学の成果を武器に応用することは、科学者の良心的努力によって、ある程度は防ぎ得るであろうから、それを実行することは必要である。
しかし、前述の通り、今日の国際情勢から推して、そんな方法のみによって、科学の成果を戦争に利用させぬようにすることは、不可能であろう」
このように、科学技術を推進して武器をつくることを示唆している。
そして、こう述べている。
「そこで考えられることは、むしろ、科学の画期的進歩により、さらに威力の大きい原子爆弾またはこれに匹敵する武器をつくり、もし戦争が起こった場合には、広島、長崎とは桁違いの大きな被害を生ずるということを、世界に周知させるのである」
いかにも、旧日本陸軍らしい発想である。
だが、その直後に、「もちろん、それは我が国で実現させ得ないのは、いうまでもないことである」と、占領下にあるため、トーンダウンした上、世界各国の多くの人に広島、長崎の被害を見せれば平和を望む声は強まる、という自重気味の一文を入れた後、こう記している。
「もし現在より比較にならぬ強力な原子爆弾ができた事を、世界の民衆が熟知し、かつその威力を(中略)見たならば、戦争廃棄の声は一斉に高まるであろう。かようにして、初めて原子力の国際審理は、その諸につくのではなかろうか。
また、世界国家の実現もこれによって促進せられるであろう。
さらに、かような研究の副産物として原子力の平和的利用の範囲と深度とは一層増大せられるであろうから、この方面において人類に貢献することも多大である」
そして、最後にこう記している。
「筆者は、第一の方法により、人の心に平和を愛する熱情を起こさせることは、平和確立の根本方策として、その推進の手をゆるめてはならぬ、と思う。
それと同時に、科学者、技術者の努力によって、第二の方法を促進させる必要のあることを強調するものである。
自分は、永続する世界平和がただちに実現するとは考えないが、以上二つの方法によって、いつの日にかは、これが達成されるという希望を捨てない。それは人類は進歩するものであるということを信ずるからである」
要するに、「第一の方法」である「戦争放棄」の思想を広める言いながら、それは実際は非現実的なので、「第二の方法」、つまり、広島、長崎とは桁違いの原子爆弾またはこれに匹敵する武器をつくり、世界に周知させる、というのが、仁科の本音である。その発想は、「二研」時代とまったく変わっていない。
(続く)