フジちゃんに対し、一緒に住もう、といったん約束しておきながら、それを反故にし、フジちゃんを絶望に追いやり死なせてしまったのだろうか? 頭がガンガンした。
それにしても、昨日、大家さんから異例の許可をもらったというのに、一日遅れで間に合わなかったというのでは、あまりに残酷な話ではないか?
悲しみにくれたカミさんは、涙がとまらなかった。
「ふじちゃん、ごめん」と何度もつぶやいていた。
フジちゃんに対し、一緒に住もう、といったん約束しておきながら、それを反故にし、フジちゃんを絶望に追いやり死なせてしまったのだろうか? 頭がガンガンした。
それにしても、昨日、大家さんから異例の許可をもらったというのに、一日遅れで間に合わなかったというのでは、あまりに残酷な話ではないか?
悲しみにくれたカミさんは、涙がとまらなかった。
「ふじちゃん、ごめん」と何度もつぶやいていた。
それまで毎日必ず、カミさんか妹がふじちゃんにごはんをあげられていたにもかかわらずである。
「最後に見たのは金曜日」、カミさんもフジちゃんの消息は金曜日が最後…。
「そんな…」
しばらく絶句したカミさんは、涙ながらに言葉を絞り出す。
「これから一緒に暮らすんです。今日、今日これから一緒に行くんです」
そんなカミさんに、おばさんは不思議そうに「ボランティアか何かの方ですか」と聞く。
カミさんは半ば取乱し気味にかぶりを振りながら「違います。一緒に暮らすんです」と答えた。
涙が止まらなかったが、少し冷静さを取り戻したカミさんは、自分の連絡先を書いたメモをおばさんに渡した。
「あの子と一緒に暮らします。もしあの子を見かけたら、こちらに連絡を下さい」と、お願いした。
おばさんは、「わかりました。今度、たまを見かけたら、ここに必ず…」
そう言い残し、おばさんは、かなたへ去っていった。
「死んだかもしれませんよ」
その言葉を聞いた時、カミさんは、文字通り、こん棒で頭を思い切り殴られたような、衝撃をうけた。
「猫は死ぬときに姿を隠すというし…」などと、おばさんは、続ける。
「そんな……」
カミさんの目から、涙がどっとあふれ、しばらく言葉がつげなかった。
おばさんが、「あの猫はガリガリにやせて、(背中の毛をむしり過ぎて、)はげて…」云々と言っていた時は、カミさんは割と冷静に聞いていた。フジちゃんは、カミさんや妹たちがご飯をあげるようになってから、はげていたところに、うっすらと毛が生えはじめていて、一番ひどい時よりは、若干よくなっていた、おばさんは、そんなフジちゃんの変化を知らないのだ、と思っていた。
しかし、そうは言っても、ひどく弱っていたことには間違いなかった。だから、「死んだかもしれませんよ」という言葉には、かなりインパクトがあったのだ。
そして、カミさんには、気になっていることがあった。
「猫は死ぬ時には、姿を隠す」、それは一般論としては知っている。気になるのは、「最後に見たのは金曜日」と、おばさんが言ったことだ。
前日の土曜日の午前中、カミさんは、大家さんから、猫を飼う許可がおりた、ということは先に述べた。この連絡を受ける数時間前、ふじちゃんにご飯をあげに行ったのだが、この時、ふじちゃんに会えなかったのだ。それまでご飯をあげはじめてから、必ず、カミさんか妹がご飯をあげにいくと、すぐにフジちゃんが近づいてきてご飯をたべていた。それにもかかわらず、この日は午前中ずっと待っていても、ふじちゃんは現れなかった。
彼方から歩いてやってきたそのおばさんは、藤巻さんの家の前にさしかかると、にわかに、いつもふじちゃんのいる場所のほうを、しきりにながめ始めた。
ふじちゃんのことを知っている人なんだろうな…
とっさにそう感じたカミさんは、
「いませんね」
と聞いた。
すると、そのおばさんは、ふじちゃんのことだとすぐにわかった様子で、にわかに、こう言った。
「いませんよね。大抵、いるんですけど」
そして、こう語りはじめた。
「あの子は、『たま』というんですけど、元の飼い主さんの話によると、もう結構、年をとっているんですよ。
元の飼い主さんは『こいつは若く見えるけど、結構年なんだ。14歳くらいだ』と話していたんですよ。それを聞いたのが2年以上前だっかしら…」
おばさんの話を聞きながら、顔だちが若々しく、せいぜい4〜5歳だと思っていたふじちゃんが、実は16歳を超えていたという事実に、カミさんは驚いた。
さらに、おばさんは、こう語った。
「飼い主が、あの子を庭に置いたままいなくなって、近所の親戚がご飯をあげに来るようになっていたんですよ。でも、外の暮らしが辛そうで、近所のほかの猫やカラスにいじめられたりして、ご飯もとられちゃって、だんだんやせていった。
息子からは連れて来ちゃいなよ、と言われていたりしたけれど、一応、よその家の飼い猫だから、それはできないよわ、と話したりしたんだけれど…。
最後に見たのは、金曜の夕方、ガリガリにやせて、毛がはげて…。いつもは、呼んだら側に来たのに、その時は来なかった…」
そして、おばさんは、にわかに、こう言った。
「死んだかもしれませんよ」
そして、カミさんとカミさんの妹が、フジちゃんを探した。
しかし、いつもいる場所に、フジちゃんはいない。
探しても、さがしても、いない。
すると、にわかに、かなたから、一人のおばさんが、歩いてやってきた。
まれ人とは、古来、かなたから歩いてやってくる。
こうして、にわかに、ふじちゃんを飼えることになった。引っ越して何週間も先に飼うのではなく、いま住んでいるこの部屋で。
が、ちょうどそのころ、悪い情報も入った。それはこういう話である。
つい最近、カミさんの実家の付近で、ふじちゃんが、いた。
ふじちゃんは、フラフラと道路を横切ろうとした。
が、その時、車が走ってきて、ふじちゃんは、ひかれそうになった。
それを目撃したカミさんの妹は、
「危ない!!」
と車を停めた。
ふじちゃんは、そのまま、ふらふらと去っていったという。
フジちゃんの命が危うい。
一刻も早く、フジちゃんを連れて来よう、ということになった。
「猫ちゃん、飼っても大丈夫ですよ」
と、言った。
およそ猫を飼ってはダメだ、といっていた物件が、にわかに飼ってもいい、などというのは、信じがたい話である。
しかも、あとで聞いたところによると、大家は、猫が好きではない、という。
そんな物件が、なぜか。
実は、その当時、ちょうど、この物件の住人の引っ越しが相次いでおり、そのうえ、うちにも出て行かれると、大家にとっては、困る事態だった。
そこで、にわかに、猫を飼ってもいい、ということに転換した。
条件は、部屋飼いで、一匹のみ、ということだった。
それから数日後、各部屋に、大家から、その旨の通知書が投函された。
ちなみに、その後、不動産サイトに載ってる、ここの物件には、ペット可、という文字は絶無だった
つまり、このときだけの特例だったのだ。
ふじちゃんが、カミさんの実家でくらす、という選択肢がなくなった。
そこで、意を決し、引っ越すことに、決めた。改めて。
そのとき、カミさんは、いま住んでいるところで、猫が飼えないか、念のため、大家さんに聞いてみたい、という。もともと、ペット可マンションではない、と聞いていたので、大家に聞いても無理だ。
と確信しつつ、筆者は、大家のいるとある場所へ行き、
「猫、飼えないですかね?」
と聞いた。
「飼えません」
と大家は即答した。
それを伝えたところ、カミさんは、仲介した不動産の担当者に、手紙を書いた。
本当にこの物件が気に入っていたけど、どうしても猫を飼いたいので、引っ越します、短いあいだでしたが、いままでありがとうございました、という意味のことが、つらつらとつづってあった。
そして、いざ、引っ越し、という段になる直前に、ささやかな、奇跡が、起こった。
手紙を読んだ不動産の担当者が、カミさんに電話をし、にわかに、こう切り出したのだ。
こうして、フジちゃんと、カミさんの実家のオス猫を、居間のガラス窓越しで、引き合わせることとなった。
すると、実家の猫のほうは、ニャンニャンと親しげに鳴いて近付いた。
だが、意外にも、フジちゃんのほうは、プイっと横を向いて無視した。気に食わなかったのだろうか。
そして、「なんだ、ほかの猫がすでにいる家なのか。こんな家に興味なし」、という感じで、さっさと庭の外に出て行ってしまった。
実家のオス猫が、新手のフジちゃんを追い返そうとするならわかる。が、野良猫で日々ひもじい思いをしているフジちゃんが、こういう態度をとるとは、思わなかった。
人間なら、もっといやしく媚びへつらって、飼われようとすることだろう。
要するに、たとえ雨露をしのぎ毎日食事が出る生活が送れるとしても、自分以外の猫のいる家に住むくらいなら、飢えや寒さに苦しんでも、我が道を行く、というプライドが、ほとばしっている。
司馬遼太郎氏の「街道をゆく」に、モンゴルには「悪く生きるより、よく死ね」という言葉がある、とあったが、猫の生きざまにも共通する。
この気位の高さ――。
人間も猫を見習うべきである。
(続く)
そして、悲しみのなかで考えた。
実は、カミさんの実家では、すでにオス猫を一匹飼っている。が、もう一匹は飼えない、という。
なんでも、以前、カミさんが飼っていたメス猫が、カミさんの国家試験の勉強のさ中、膝に乗ったり、部屋にいたりで、合格の結果が出る直前まで見守り、息を引き取った。
そしてその猫は生前、カミさんの実家に一匹だけで住んでいたところ、ある日、オス猫もあらたに飼うことにした。すると、メス猫のほうの食が細り、ストレスでずいぶん苦しんだ。結局、その後、オス猫が、家でぬくぬくと生きることを潔しとせず、血気のままに家を飛び出し、再び一匹になったことで、ストレスは解消された。
そういう経験をしたため、猫を一匹飼って、あとから猫をあらたに飼うと、前からいた猫が、苦しんでしまう、だから、実家でフジちゃんは飼えないという。
だが、それは猫によるのではないか、と筆者は思った。
まず、フジちゃんと顔合わせして、相性がよさそうか、たしかめてみる価値はあるのではないか。
(続く)
そうした中、こういうことがあった。
カミさんの妹さんが、フジちゃんにエサを与えるとき、あまりのやせ衰え、傷ついた姿にいてもたってもいられなくなり、フジちゃんを抱っこして、そのまま実家まで連れてきた。
だが、実家にはすでにオス猫が一匹いて、後述のような事情もあり、そのまま飼うわけにはいかない。かといって、まだ、こちらも新しい物件をじかに見てもおらず、猫の帰る家が見つかっていない。
つまり、まだ家でかくまえる状態ではない。なのでフジちゃんは玄関の中にだけいれる状態になってしまった。そして、カミさんの家族がフジちゃんも見守った。
すると、フジちゃんは、飼うでもなく、居間に招かれるでもなく、というのが、居心地がわるかったのか、きびすをかえしてドアに向かい、帰りたそうにした。
なので元の場所に戻した。
そういうことがあったと、物件も見に行き、あとは正式に契約するのみ、という状況になった。
それから数日後、カミさんの妹が、フジマキの家の通りを挟んで向かいの家のおばさんにあいさつした。
フジちゃんは、フジマキの家の通りを挟んだ向かいの家の庭にもよく居ついており、おばさんは、フジちゃんのことを知っていたためである。
妹は、近々、姉が引っ越してそこでフジちゃんと一緒に住むことになるからね、ということを、おばさんに話した。
そのとき、フジちゃんが、駐車場のほうで、その話を聞いてる様子だった。
その数日後、カミさんが、フジちゃんに会いに行き、エサを与えようとした。
すると、フジちゃんは、カミさんの回りを飛び跳ねんばかりに、喜んでいた。その様子が、いかにも、一緒に住むのよね、という喜びに満ちている風だった。
が、諸事情で、急に引っ越しができなくなってしまったのである。
カミさんはつらそうに泣いた。
筆者も悲しかった。
フジちゃんについては、エサをあげ続け、将来引っ越しをするときに飼う、という話になった。
それから数日後、カミさんがフジちゃんに会いに行った。だが、フジちゃんは、グッタリしていて、食べようとしなかった。
フジちゃんは、日本語を理解している。
ごめんね、フジちゃん、住むのは、もう少し先になることになった、とカミさんが伝えると、ふじちゃんはグッタリしたまま食べなかった。
さらに、カミさんが、将来はいっしょに住めるから、というと、フジちゃんは、もういいわよ、そんな話聞きたくない、という感じで、車の下に入っていった。
さんざん期待させておいて、失望させてしまった。これではあまりにも、かわいそうだ。
ちなみに、生きているとガックリすることもあるものだか、あのときのフジちゃんの失望に比べれば、大したことはない、と筆者は、がっくりするたびに、考えるようになった。
それにしても人間は、いつも身勝手に生きている、度し難い生き物である。無論、筆者も度し難い、人間という動物である。
申し訳ない。
(続く)
筆者は猫を飼うことになった。そこでその活動を時々記録する、といって2015年5月に一度書いたきりになっていた連載を、再開することにした。まず、過去にアップした第一回目を再掲する。
まず、始めるにいたった経緯を説明したい。筆者は昨年冬、都心の千代田区麹町から横浜市の片隅に引っ越してきたのだが、その折、「猫を飼いたいね」と、カミさんと話していた。都心ではなかなか飼うことは難しいが、横浜の片隅に行けば、家賃は安いし、猫を飼える物件も多々あるに違いない、と踏んだのだ。
それで、自然も多いし、静かだし、空気もいいし、景色もいいし、広いし、キレイだし、ペット飼育可なので、ここにしよう、というマンション物件をさっそく見つけることができた。だが、契約を進めようとしたところ、このマンションの規約では猫を飼ってもいいことになっているが、その部屋を貸しているオーナーが「犬はいいけど猫はダメ」と言った。
「まあ、他にも色々物件あるんだから、他探してみよう」と言ったが、それがなかなか見つからないのである。なぜなら、「ペット可」という物件も、よく調べてみると、ほとんど犬のみとか、小型犬のみ可、で、猫は飼えないのだ。
それで何とか猫が飼える物件をみつけたが、四車線あるドデカイ道路に面しているのが非常に気になった。道路と部屋の距離が数メートルしかなく、車が通るたびに、魂が車にひかれたような心地になるのだ。それだから耳栓つけて執筆しようと覚悟を決めたが、結局、カミさんの方が断念した。
それであまり長々と物件を探す時間的余裕はなかったので、猫は断念しよう、無理だ、という
ことで、猫の飼えない部屋に住んだのだった。
ちなみに、こうして住み始めたわけだが、筆者が住んでいる横浜の片隅というのは、横浜市「栄」区というところである。「栄」という字なのに、高齢化率が横浜一で、人口も面積も横浜屈指の低さで、区内の駅は本郷台と大船のみ。ここは栄ようがないのではないか、とひそかに思ったが、住んでみると、栄えているものがあるのを知った。それは、「緑」と「鳥」である。栄区の緑地率は横浜一だそうで、筆者の家の前も原生林のようなうっそうとした木々の生い茂る小高い丘がある。そのため、色々な鳥が盛んにさえずりをしている。聞いたことのないような鳥の鳴き声も多く、毎日が協奏している。むろん、ウグイスもいい音色を出している。
こうして住み始め、なんとかやっているわけだが、カミさんがことあるごとに、猫を飼いたい、という。それで先月、実はカミさんがちょっとした持病の手術をすることになったのだが、入院前後に、やたらと、猫づいていた。出勤時に猫を見たり、自宅からバスで十分程度の実家に帰るときに猫がいたり、退院後に英国のホームレスを救ったボブという猫の本の存在を知り(「ボブという名のストリート・キャット」(著: ジェームズ・ボーエン/辰巳出版))、それを読んで感動して泣いたり、「猫びより」(辰巳出版)という雑誌を定期購読することにしたりと、猫オーラのようなものが漂っていた。
そんな折、フジちゃん、という、カミさんの実家の近くにいるメスのノラ猫が、弱っろている感じで歩いていた、というのをカミさんが知ったのだった。
「フジちゃん」とは、カミさんの実家近くのフジマキさん(仮名)という家の飼い猫のようだったが、フジマキさんはすでにその家には住んでおらず、残された猫は庭で暮らしていた。その猫をカミさんは、フジちゃんと名付けたのだ。フジちゃんは美猫という。
一度、カミさんが仕事に行こうとしたら、ニャンニャンいって、飼ってほしそうな感じで付いていた。だが、カミさんの実家では諸事情で飼う事が出来なかったため、カミさんは断腸の思いで、フジちゃんには応えなかった。こういう経験から、「猫は飼い猫活動をする」とカミさんはよくいう。
後日、フジちゃんをみつけたカミさんが、なでようとして近づくと、フジちゃんははじめのうちはなでさせてくれるが、にわかに立ち上がり、バリバリバリっ、と思いっ切り、カミさんの腕をひっかいた。飼ってくれないことに、怒っているのだろう。
こういういきさつがあったので、猫が飼える部屋に住んだ暁には、フジちゃんを飼おう、と話していた。
そして、猫づくなかで、フジちゃんが弱っているのを知ったカミさんは、いてもたってもいられないに感じになっていた。そこで筆者はかるく近場の物件を調べたところ、ひとつ、猫が飼える物件があった。それで、思い切ってここでフジちゃん飼ってみようか、という話になり、ひとまず、カミさんの妹さんたちと協力して、フジちゃんにエサをやることにした。
フジちゃんはやせ衰えて、毛も一部抜けていた。近所の主婦の話では自傷行為で毛をむしり、人間の手のひら大のはげができてしまったのだという。
そんなフジちゃんは、人間になでられると、甘える様子もみせるが、触りどころが気にくわないときは、容赦なく、ツメでひっかいた。
そんなフジちゃんに、エサをあげに毎日通うようにしたところ、徐々になつき出したのだった。
(続く)
次いで、同年10月18日付「大量廃棄物「発泡スチロールトレー」の実態」の元原稿は以下のとおり。
微細粒子となって海を汚染するプラスチックなどの容器は、「容器リサイクル法」によって、リサイクルが事業者に義務付けられている。(自治体が分別回収してリサイクルする場合、企業がリサイクル費用を負担する仕組み。ただし、例えば東京都23区の中の多数の区のように、プラスチックを分別せず燃やすゴミと一緒に出して焼却炉で燃やしてしまう自治体もある。これは分別すると費用がかかるので燃やしてしまっているわけだが、容器リサイクル法は、リサイクルをするのが望ましい、とは謳っているが、リサイクルを義務付けていない。なので、プラスチックなどを燃やすことが可能になっている。東京都のやっていることは一種の「抜け道」である)
容器リサイクル法でリサイクルすることになっているのは、プラスチック、紙、スチール缶、アルミ缶、瓶など。
あまり知られていないが、この容器リサイクル法には、1年間に50トン以上を出す小売業者を「容器包装多量利用事業者」にカテゴライズして、所管省庁に「定期報告」することが義務付けられている。報告事項は、容器包装を用いた量(プラスチックの量、そのうちプラスチック製の袋の量、紙の量、そのうち段ボールの量、その他の量、合計、対前年比率)、容器包装の使用量を減らすために実施した取組みなど。
この「容器包装多量利用事業者」の「定期報告」を提出しなかったり、虚偽の報告をした場合や、主務大臣から立入検査を求められたときに、これを拒んだり妨げたりした場合は、「罰則」として20万円以下の罰金が科せられる。また、容器包装廃棄物の排出抑制の促進の状況が、著しく不十分であると認められる場合、「勧告」、「公表」、「命令」を経て「罰則」として50万円以下の罰金が科せらる。
このように重い義務が課せられるのは、リサイクル制度を構築していく上で、「多量利用事業者」の責任は、量が多い分、大きいためである。
それにしても、「多量利用事業者」には一体どういう業者が名を連ねているのか?それを知るため、筆者は「容器包装多量利用事業者」が「使った容器包装廃棄物の量」が記載された文書を、各省庁に情報公開請求をした。
所管は、「飲食料品小売業」(各種食料品店、肉屋、魚屋、洋菓子小売業、パン小売業、そう菜屋等、酒類除く)が農水省。「酒小売業」「たばこ・喫煙具専門小売業」が財務省。「医薬品小売業」(調剤薬局等)が厚労省。その他のスポーツ用品、娯楽用品、楽器、書籍・文房具、自動車部品、化粧品、衣服、家具、機械器具(電気機械器具小売業)等等は、経産省となる。
各省に開示請求したところ、財務、厚労省は文書不存在という返事がきた。つまり、酒やたばこ、薬局などの小売業には、プラスチック等を50トン以上も使う会社はなかったというわけ。他方、農水省は開示された。(経産省は文書はあり現在手続き中)
その後、文書が自宅に届き、筆者は興味深く開いた。だが、肝心の「事業者名」が黒塗りになっており、ガッカリした。
食品リサイクル法に基づく定期報告におけるシステム集計データ@.pdf
食品リサイクル法に基づく定期報告におけるシステム集計データA.pdf
「黒塗りの理由」を農水省の食料産業局バイオマス循環資源課ワタナベ氏に聞いたところ、「本来、事業者名を公表することを前提にした数字ではない。公表することにより、事業者にとって不利益をもたらす可能性があるので、不開示にした」という。なんとも業者寄りの言い分だが、こうして企業名を伏せると、消費者の意識が低くなり、結局、リサイクルが進まなくなる、という弊害が出るは想像に難くない。
このようにアンコのないアンパンのような状態ではあるが、開示文書から何かしら、わかることはある。
まず、飲食料品小売業の多量利用事業者数は、470社だった。そのうち、上位10社の容器包装廃棄物の量は、10位2,865トンから1位11,806トンのレンジ。
1位の内訳はプラスチック4,671トン(そのうちレジ袋はゼロ)。紙製容器包装2,664トン。その他4,470トン。2位は合計7,138トン。そのうちプラスチックは6,987トン(うちレジ袋2,927トン)。3位は合計5,510トン。うち紙が4,794トンを占める。
このように1位と3位はプラスチック以外も多いが、4位は合計5,126トン。うちプラスック4,531トン(レジ袋なし)。5位合計4,245トン。うちプラスチック4,196トン(うちレジ袋1,543トン)など、4位以下は7社中6社が、大半をプラスチックが占めている。
11位以下をみても、その多くはプラスチックの割合が大きい。
それにしても企業名は言えないにしても、一体どういう店なるのか?その点を同課のハセベ氏に質問したところ、大規模なスーパーやコンビニが多いという。同氏は例として、イトーヨーカドーを挙げた。なるほど、そうした全国チェーンの方が店舗数が多いので必然的に数値が高くなるというわけだ。
では、プラスチックとあるが、そのうちレジ袋以外とは、例えばどういうものがあるのか?その点を同氏に聞くと、例として「発泡スチロールの容器トレー」を挙げていた。たしかに、私ごとではあるが、筆者の家に当てはめても、プラスチックゴミで最も多いのは魚や肉、惣菜、おかず類などに使うスーパーの容器トレーである。
プラスチックゴミのうちレジ袋は、有料化することで削減しているスーパーは多くなってきたが、容器トレーは野放し状態でリサイクルの盲点といっていい。
上記のことが開示文書からわかった。
ちなみに、国際環境NGO「F o E J a p a n」が13年2月に作成した「より少ない資源でより豊かなくらしを 発生抑制のしくみづくりに向けた提言(最終案)」には、「容器包装多量利用事業者」について、こう書いてある。
「現行容器包装リサイクル法では、『容器包装全体』で50トン以上使用する事業者が対象のため、トレーなどを含めて多量に利用するスーパーマーケットなどが対象となりやすい」
そして、「トレーなし販売の推進」をこう提言している。
「1)ノントレー包装」
「・すでに一部のスーパーでは、精肉をポリ袋に入れた状態、または真空パックにして販売している。ポリ袋の場合は約85%、真空パックの場合は約40%の資源使用量を削減することができる(中略)。現在ノントレー販売されているのは、扱いやすい一部の商品のみであるが、消費者も『見た目』以上に『ごみにならないもの』を選ぶように変わってきた。真空パックの場合は、消費期限が長いというメリットもある」
「・店内の加工場に自動計量・包装を行うノントレー包装用の機械を導入するなどして、さらに多くの商品をトレーなしで販売することが期待される。国の見える化のデータも売り場でわかりやすく掲示するなどさらに活用されることが望ましい」
「2)裸売り、ばら売り、量り売り」
「・スーパーマーケットによっては、野菜や果物だけでなく、魚売り場においてもサンマや塩鮭など一部の商品、惣菜売り場の揚げ物等において、顧客が必要な数・量だけ取ってポリ袋に入れる方式で販売されている。
「・欧米のスーパーマーケットでは、野菜やシリアルなどを顧客が自分で計量してシールを貼る方式が定着している」
「・今後、このような販売方法の導入の拡大が望まれる」
これらを実現すれば、プラスチックゴミは劇的に減らせる。だが、全然普及していないのが現実である。
ちなみに、米国では、サンフランシスコ、シアトル、ポートランドなどで、発泡スチロールトレーの禁止が立法化されている。ただし、ニューヨークでは、つい先日、発泡スチロール業者の猛烈な反対ロビー活動により、立法化目前で撤回されたばかり。
このように、業界の反発は必至だが、国もしくは自治体レベルで、発泡スチロールトレーの禁止をすれば、上記の「トレーなし販売」が一気に実現することができる。逆にいうと、法律で禁止しなければ、発泡スチロールトレーは、いつまでたってもなくならないのではないか?(佐々木奎一)
平成二十九年二月二十七月付、のauのニュースサイト
EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事
「加速する高齢社会の労働風景の青写真」
を企画、取材、執筆しました。
20日付のジャパンタイムズ電子版(ブルームバーグ配信)に、公園で半袖シャツの老人の女性が、左右それぞれの手にダンベルを持ち、それを肩まで持ち上げながら、なにやら体操をしている写真のアップ付きで、「日本の『高齢者』を再定義すれば、労働力人口の減少問題は解消しそうだ」という見出しの記事を載せている。これは、日本老年学会・日本老年医学会の高齢者に関する定義検討ワーキングループの先月の提言に基づいた記事である。
同グループ座長は、甲斐一郎(東京大学名誉教授、日本老年学会理事長)と大内尉義(国家公務員共済組合連会虎の門病院院長、両学会前理事長)。この提言は、後述のように国策に沿っているわけだが、座長の肩書からもそれが見て取れる。
同提言には、こう書いてある。「わが国を含む多くの国で、高齢者は暦年齢65歳以上と定義されています。しかし、この定義には医学的・生物学的に明確な根拠はありません。わが国においては、近年、個人差はあるものの、この高齢者の定義が現状に合わない状況が生じています。高齢者・特に前期高齢者の人々は、まだまだ若く活動的な人が多く、高齢者扱いをすることに対する躊躇、されることに対する違和感は多くの人が感じるところです」
このようなことからワーキンググループを立ち上げ、「検討した結果、現在の高齢者においては10〜20年前と比較して加齢に伴う身体的機能変化の出現が5〜10年遅延しており、『若返り』現象がみられています。従来、高齢者とされてきた65歳以上の人でも、特に65〜74歳の前期高齢者においては、心身の健康が保たれており、活発な社会活動が可能な人が大多数を占めています(中略)これらを踏まえ(中略)65歳以上の人を以下のように区分することを提言したい」として、こうある。
「64〜74歳 准高齢者 准高齢期(pre-old)」
「75〜89歳 高齢者 高齢期(old)」
「90歳〜 超高齢者 超高齢期(oldest-old 、super-old)」
同記事で、座長の大内氏は、こう述べている。この再定義により、「労働力人口を1,000万人以上押し上げます。よりよい栄養摂取、ヘルスケア、公衆衛生により、こんにちの高齢市民は、過去の世代よりも断然健康です。その人たちをリタイア扱いするのは社会的損失です。健康で精力的な65歳以上の人はたくさんいます(大内氏自身、アクティブな68歳)。そうした人たちは、報酬を得るにせよ、得ないにせよ、働くことで社会に貢献したい、と心から思っています」「人々がもっと長く働くことで、急騰する医療費を抑えることもできます」と、このようにあった。
ちなみに、「平成28年版厚生労働白書−人口高齢化を乗り越える社会モデルを考える」によると、日本の平均寿命は、2015年時点で男性80.79年、女性87.05年と世界トップクラスで、国立社会保障・人口問題研究所の日本の将来推計人口(平成24年1月推計)によれば、今後もさらに延びることが予測されている。
高齢化率(65歳以上人口割合)は、2015年26.7%から、将来(出生中位・死亡中位推計)においても、2020年29.1%、2040年36.1%、2060年39.9%と、2060年まで一貫して上昇していくことが見込まれている。
2015年の就業者数(就業率、小数点第1位は四捨五入以下同)は、60〜64歳534万人(62%)、65〜69歳399万人(42%)、70歳以上330万人(14%)と、70歳以上の大半は働いていない。
だが、政府の調査によれば、「あなた自身について、何歳から高齢者になると思いますか」との問いに対し、65〜69歳では、50%が「70歳以上」、19%が「75歳以上」、4%が「80歳以上」と回答。つまり、7割以上は、65〜69歳になっても、自分はまだ高齢者ではないと思っている。
そして、70〜74歳では、「75歳以上」31.2%、「80歳以上」9%と、4割がまだまだ自分は高齢者ではない、と考えている。
また、60歳以上の男女を対象に、「何歳まで働きたいか」と質問したところ、「70歳まで」24%、「75歳ぐらいまで」10%、「76歳以上」3%、「働けるうちはいつでも」30%と、実に64%が65歳以降も働きたいと思っており、そのうち43%は70歳を過ぎても働く気満々で、そのうち3割は、一生働き続けたいという。
要するに、この白書の言わんとしていることは、冒頭の、高齢者の再定義の趣旨と符合する。
つまり、今後、企業の定年退職の年齢は70歳が標準となり、定年後75歳までが再雇用で、75歳以上の求人も多々ある、そんな世の中になっていく、という青写真を役人たちは描いている。
なお、前出の元気な高齢者である大内氏は、年金支給年齢が上がることについては、そういうことは考えていないという趣旨のことを言い、かたくなに否定していた。
実際、年金支給を70歳からとか75歳からにするなどと政府が言ったら、暴動が起きるかもしれない。
ただし、現在年金受給者が働いている間は厚生年金の支給調整があるが、その調整幅を増やして、働いて収入を得ている間は年金がより入らない仕組みにしてくるかもしれない。役人たちは。(佐々木奎一)
次いで、同年9月20日付の「役所がコッソリと持って行くプラゴミの行方」の元原稿は以下のとおり。
8月23日付の当コーナーでお伝えしたように、横浜市の家庭から収集されるプラスチックゴミ(プラゴミ)の行方を知るため、市内で最も高度な性能を持つ金沢工場の現場へ行った。ところが、同工場で働く説明役の市職員によると、同工場ではプラスチックは扱っておらず、隣の「選別センター」という施設でプラゴミを選別して、民間のリサイクル施設へ持って行っているという。
そこで筆者は、日を改め、選別センターへ見学の申し込みをして、現場を見て来た。すると、そこで働く男性職員(横浜市の下請け機関「公益財団法人 横浜市資源循環公社」の職員)が、10人程座れるスペースの部屋に筆者を案内し、ゴミの仕分けの仕方や、選別センターで缶・瓶・ペットボトルを仕分けしていることなどを懇々と説明した。
ところが、いつまでたってもプラスチックの話が出ないので、プラゴミがどうなっているのか、聞いてみた。すると、驚いたことに、その職員は、「プラゴミの収集車はここには来ません。直接、リサイクル施設へ行っています。詳しいことはこちらではわかりかねますので、横浜市に聞いてください」と言った。
現場で働いている金沢工場と選別センターの職員でさえ、プラゴミがどうなっているのか、ちゃんと把握していないのだ。
そこで筆者は、横浜市資源局の分別・リサイクル推進担当に電話して、「家庭で分別収集したプラゴミはどこに行っているのか、詳しく知りたい」と尋ねた。すると、担当者は、こう即答した。
「昨年度、収集してリサイクルに回した量は47,864トン。そのうち、489トン、こちらは横浜市が独自で業者に委託して資源化しています。その他の分は、日本容器包装リサイクル協会に引き渡しています。容器包装リサイクル法(容リ法)に基づき、同協会に引き渡したプラゴミは、プラスチック製品を産出しているメーカーなどの『事業者』がリサイクル費用を協会に支払う形で負担しています。ただし、容リ法に基づき、1%だけ、市町村負担として、489トンを横浜市がリサイクル費用を負担しているわけです」
この担当者が言うには、プラゴミのリサイクル方法は、コークスやプラスチックを化学分解するガス化などがあるという。リサイクルをしている業者名はを問うと、「今年度は、横浜市の分は、千葉県にあるジャパンリサイクルに委託しています。協会分は、協会の入札により川崎市にある昭和電工とJFEプラリソース、それと千葉県にある新日本製鉄住金君津、ジャパンリサイクルの4社が行っています」という。
そこで筆者は、「他の自治体では、プラゴミを焼却炉で燃やしているところもあるが、横浜市がリサイクル業者を使っているのはなぜか」と聞いた。
するとこの担当者は、「他の自治体では、分別するのに費用がかかるので、燃やしている場合があります。横浜市は、容リ法と、資源の有効活用ができる、ということで、資源化しています。ただし、それにより費用はかかっています。ざっと、昨年度で収集運搬と中間処理合わせて28億円かかっています」という。
このように現場の職員とは対照的に、横浜市役所に詰めている担当課の職員はスラスラと説明した。それにしても28億円というと、横浜市の子供からお年寄りまで全て含めて一人当たり年間753円、10年間で7千530円の負担になる。
プラゴミだけでこれだけのお金がかかるというのは、決して小さな数字ではないとは思うが、財源をけちってプラゴミを燃やすよりは環境に配慮しており、誇るべきことではないか。リサイクルをしっかりできていれば、という留保付きではあるが。
そこで、横浜市が委託しているジャパンリサイクルへ行ってみることにした。
住所を調べたところ最寄り駅は、千葉市内の蘇我駅である。そこから徒歩15分程の距離に同社はある。事前にアポイントを取ったところ、同社の柏倉氏は、「蘇我駅の改札を出て、右に曲がってタクシーに乗ってください。運転手は会社名を言えば必ずわかります。改札を出て左には絶対に行かないでください。左手のタクシーはうちの社名わかりませんから。工場敷地内は広いので、歩いては来ないでください」という。
こうして9月8日昼過ぎ、蘇我駅に着き、タクシーに乗った。「ジャパンリサイクルお願いします」というと、運転手は「わかりました」といい、車を走らせた。しばらく行くと、「JFEスチール 東日本製鉄所」という銘板のゲートをくぐった。ジャパンリサイクルとは、JFEスチールの100%子会社なのである。
その敷地内は異様に広く、信号機や線路もあり、工場が並び、錆びてボロボロの外装のパイプラインが碁盤の目のように敷地のあちこちで伸びている。
後で知ったが、敷地総面積はなんと765.9万平方メートル、東京ドーム164個分もある。少し前までは隣接するサッカーチーム・ジェフユナイテッド市原のホームスタジアム「フクダ電子アリーナ」の一帯も製鉄所の敷地内だったというから膨大な広さである。
敷地を実に10分近く走り、茶色の外壁の屋根にデカデカと「JFEスチール」のロゴが掲げられた建物の前で、タクシーは止まった。よく見ると、玄関に小さな字で「ジャパンリサイクル株式会社 千葉リサイクルセンター」と書いてあった。中に入り、同社の柏倉氏に話を聞いた。
柏倉氏によると、同社では、横浜市のプラゴミを年間約1千トン処理しており、他にも、千葉県の松戸市や柏市、東京都の三鷹市、葛飾区などの自治体のゴミも処理しているが、それらは全体の年間7万トンの処理量からみると微々たるもので、メインは木くずなどの産業廃棄物だという。
同社の特徴は、プラスチックや産廃からガスを取り出して、そのガスを製鉄所に送って発電に使っている点だという。それは「サーモセレクト方式ガス化溶融炉」といって全国に7つしかない。
これは酸素を吹きかけ2千度の発熱で分解してガス化させる。プラスチックが入ることで、これほどの高温となる。溶けた金属やがれきは、下に落ちてメタルやスラグとなって回収される。他方、ガスは上昇し、再び酸素を吹き込み1200度まで下げて2秒以上保持させることでダイオキシンを分解。その後、一気に70度に急速冷却することで、クリーンな燃焼ガスと硫黄等を精製する。このリサイクル施設では、二酸化炭素を一切出さない。ただし、精製した燃料ガスは、敷地を通るパイプラインを通って敷地内にあるズンドウ型の巨大タンクに貯蔵され、燃やして発電の燃料に使われる。
この発電するとき、二酸化炭素が大気に放出させる。
要するに、横浜市のプラゴミが何の役に立っているかというと、仮にリサイクル時にプラゴミを使わないと、プラスチックの代りに重油を使わなければならない。この重油の分が、リサイクルにより浮く。
話をきいた後、リサイクル施設を回ってみた。施設の周りには、産廃のトラックが並び、その横に、四角い塊が並んでいる。これは、「ベール」と呼ばれる。ベールとは、横浜市などで家庭のプラゴミを収集した後、専門業者が選別してプレスして1メートル立方メートルに圧縮したもの。つまり、ベールの状態でここに持ち込まれる。そのベールを、解体して、木くずなどの産業廃棄物とともに、前出のように酸素を吹き込んでいく。
なお、「この辺りは撮らないで下さい」と柏倉氏の言った地点には、小さめのタンクロータリーがあった。「これは醤油なんです」という。なんでも、タンクには醤油会社の不良品の醤油が入っているそうで、醤油は塩が入っているので燃やすと焼却施設に物質がついたりで厄介な代物だが、ここの施設なら、プラスチックで高温になり過ぎるときに、醤油でカロリー調整して温度を下げるために便利なのだという。
こうして見学を終えた。プラゴミをただ焼却施設で燃やしてしまうより、ここでリサイクルする方が、環境に役立っていることは明らかであろう。
今、プラスチックなよる海洋汚染が世界的関心事になっている。(例えば、ニューヨークタイムズで1か月間に何度もクロ―ズアップされたりしている)。そうした中、横浜市の取組みは誇っていい実績といえよう。日々プラゴミを分別している市民に対し、プラゴミの行方をちゃんと報告すべきである。(佐々木奎一)
次いで同年9月6日付の「マイクロ・プラスチックの主因・ペットボトル対策の実情」の元原稿は以下のとおり。
7月12、26日付の当コーナーで海を漂う微細なプラスチックゴミ「マイクロ・プラスチック」の実態を報じた。その道の世界第一線で研究を続ける東京農工大学の高田秀重教授によると、マイクロ・プラスックの問題を解決するためには、ペットボトル対策が最重要で、具体的には、「水筒を持ち歩くことが大切。例えば有料で給水できるものをコンビニなどに置けばよい。そういう流通、消費の仕組みをつくっていくべきだと思う。 給水機も色々な場所にあります。それに水を入れておくのもよい」と語っていた。
そこで、この国のペットボトル対策の実情を調査した。調査対象のエリアは、筆者の住む横浜市栄区周辺とした。栄区は、人口と少なさ、面積の小ささ、高齢化率の高さは横浜18区の中でも屈指で、名前とは裏腹に、栄えていない区として名を馳せている。つまり、この栄区で行われていれば、他区でも同等かそれ以上の施策は打たれていると見ていい。
横浜市のペットボトル対策は、「マイボトル・マイカップ」運動と呼ばれる。これは出かける時、マイボトル(水筒)やマイカップを使うことで、ペットボトルを減らすというもの。マイボトル・マイカップ運動は、九都県市(埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、横浜市、川崎市、千葉市、さいたま市、相模原市)でも行われており、共同でマイボトル宣言を出している。
横浜市では「国民1人あたりに平均すると、1年間に約180本(500mlボトル換算)も使っているというペットボトル。マイボトルを持つことで、ペットボトルなどの使い捨てを減らしていきませんか? マイボトルスポットでは、いれたてのコーヒーやお茶などを、持参したマイボトルに入れて販売したり、お水などを無料で提供しています。街中で飲み物を買う感覚で、空になったマイボトルにおいしい飲み物を入れてもらえるようになると、マイボトルを使うのがもっと楽しくなりますね。横浜にも、そんなスポットが増えています。おでかけのときには、ぜひバッグにマイボトルを」(同市HPより)として、「マイボトルスポット」を設けている。
周知の通り、職場や、営業などの外回り、遊びなどで出かける、といった場合、水筒に飲み物を入れて持って行っても、500ml程度の容量では、すぐに飲み干してしまうものだ。かといって、あんまり大きな水筒に入れると、重過ぎて苦痛になる。なので、マイボトル運動を成功させるには、マイボトルスポットの充実が鍵を握るといっても過言ではない。
横浜市HPでは、マイボトルスポットを地図で示している。そこで栄区周辺を調べたところ、その数は一見して少ない。区役所周辺の公共施設に、3つ集中しているが、区内の中心となるJR本郷台駅前にはマイボトルスポットは絶無だった。ほかには同駅から約2km先の、ローソンやスーパーなどに同スポットがある。
これらの実態を知るため、現地へ向かった。
まず、本郷台駅から約1kmの栄スポーツセンターへ行くと、玄関前に「マイボトル使えます!」というのぼりが立っていた。
中に入り、受付の30代位の女性に「マイボトルを入れる場所はどこですか?」と聞くと、「あちらのトイレの手前の右にあります」というので、行ってみたが、筆者は発見することができなかった。再度、戻って聞くと、20mほど先導されて「これです」という。それは、ボタンを押すと噴水し、そこに口を近づけて飲む機器だった。筆者は、これはその場で飲むためのもので、容器に入れるものではない、という先入観があったため、気付かなかったのだった。平日昼間だったため、スポーツセンター内には、たくさんの高齢者が来ていたが、誰もこの給水機に水を入れていなかった。
次に、そこから数十メートル先にある、栄区役所へ行った。本館1階受付の50代位の女性に、「マイボトルを入れる場所はどこですか?」と聞くと、聞き返してきたので、「水筒に飲み物を入れる場所のことです」と説明すると、「レイスイトウですか?それなら、新館1階のトイレの手前にありますけれども」という。新館はすぐ隣の建物。行ってみると、人の気配のまったくないガランとした場所に、ポツンと給水機があったが、トイレの出入り口にあるのでトイレ臭もした。自治体としてやる気があまりないように見受けられる。
さらに、そこから150メートルほど行くと、本郷地区センターという公民館がある。そこの2階に、高齢男性数人がソファに座り、テーブルに碁を置いて対極している場所があった。給水機は、その付近にあった。トイレから離れている点がややましだが、やはり口を近づけて飲むタイプなので、水筒に入れている人がどれだけいるか疑わしい。
次に、そこから原付で約3km走り、栄区の隣の戸塚区内にある大型スーパーマーケット「サミットストア下倉田店」へ行った。1階のレジの20代位の女性に、「水筒に飲み物を入れる場所はどこですか?」と聞くと、キョトンした後、思い出したように、「ああ!それでしたら、あちらのベーカリーのところにあります!」という。
行ってみると、パンを販売している横にイスとテーブルが並び、飲み物を入れる機材が置いてある。その機材には「無料サービス(ご自由にご利用下さい) 電子レンジ 給茶・冷水」とあり、「冷水」「お湯」「お茶」のボタンの上には、「マイボトル使えます!YOKOHAMA」という青色の円形シールがペタンと貼ってある。イスも、無料で自由に使って下さい、と書いてあり、子ども連れ2組が団らんしていた。小奇麗で何から何まで行き届いており、前の3つの栄区の公共施設では、飲む気にはなれなかったのだが、このサミットでは、自然に持っていたマイボトルに手が伸び、冷水を入れてみる気になった。美味かった。
次に、そこから約1km先にあるローソン戸塚下倉田町へ行った。一体どこに給水機があるというのか。20代位の店員の女性に聞くと、マチカフェというドリップしたコーヒーなどの飲み物が、水筒持参だと10円安くなるのだという。一方、飲み物コーナーには、例によってペットボトル飲料がズラリと並んでいる。
そもそもマチカフェのコーヒーは、もともとペットボトルで販売しているわけではないので、「これでマイボトルスポットといえるのか?」と違和感をおぼえた。
一応、90円を支払いアイスコーヒーをマイボトルに入てもらったが、サミットの冷水の方が美味かった。
おそらくローソンは、サミットのようにすると、ペットボトル飲料の売り上げがガタ落ちするので、そうしないのだろう。だが、環境に配慮しペットボトルに見切りをつけるところに、商機はあるのではないか。
次に、そこから約1km先の大型スーパーマーケット「アピタ戸塚店」へ行った。1階で台車を押している60代位の男性店員に、「水筒に飲料を入れる場所はどこですか?」と聞いたところ、「あちらです」という。行ってみると、有料のナチュラル純水の給水機器の横に、無料の給水機が置いてある。その機器には大きな貼り紙で「是非『マイボトル』で、ご自由にご利用ください!」とある。それを読んでいたところ、40代位の女性従業員が並んだので、場所を譲ると、水筒に水を入れていた。ここのマイボトルスポットは人々に親しまれているようだ。
なお、横浜市全体のマイボトルスポットを見てみると、栄区周辺同様、やはり自治体やローソン、コーヒーショップ、大型スーパーが多い。これまで見て来たように、ローソンや、コーヒーショップは、もともとペットボトルで販売しているわけではないので、マイクロプラスチックを減らす効果は乏しい。
それに比べ、大型スーパーのマイボトルスポットは、断然、使い勝手がよく、市民に利用されているが、惜しいことには、数が少ないので、距離的に利用できない人も多いに違いない。
ペットボトルを削減していくためには、自治体が、サミットやアピタなどの大型スーパーをもっと見習って、設備を充実させていく必要がある。同時に、市民の側も、自治体の給水機の存在をもっと知って、マイボトル用に使っていく姿勢も必要といえよう。(佐々木奎一)
次いで同年8月23日付の「高度焼却炉の現場に見るプラゴミの行方」の元原稿は以下のとおり。
7月26日付の当コーナーで、マイクロプラスチックを減らすために一市民にできること、を紹介した。そのなかで、プラスチックを燃やしても有害物質が出ないとされる高度な焼却炉があるが問題も多い、という話をした。
高度な焼却炉とは、一旦どんなものなのか?それを知るため、横浜市の焼却場へ行ってきた。
そもそも横浜市の家庭ごみは、燃やすゴミ(台所のゴミ等)、プラスチック製容器包装(以下、プラゴミ)、燃えないゴミ(ガラス、蛍光灯など)、缶・瓶・ペットボトル、古紙、粗大ゴミなどに分別して出すことになっている。
これらのゴミは、市内に4つある焼却工場に持って行くことになっている。横浜市HPによると、各工場に事前に申し込めば見学できる、と書いてある。そこで、同市で最も最新鋭で年間1万人以上が見学にやってくるという「金沢工場」へ8月20日の午後に行ってきた。(写真は金沢工場)
ゴミ処理を担当する同市資源循環局の男性一人が、案内役となった。見学者は筆者一人だけだった。まず、100人ほど座れるスペースの会議室に案内され、そこでスクリーン画像を見ながら、30分ほど解説を聞いた。その後、約1時間、工場内を見学した。(写真は焼却炉に運ばれるゴミ)
この職員によると、横浜市の一般家庭から出る1年間のゴミの量は約90万トン。そのうち燃やすゴミは60万トン。家庭から出されたゴミは、市内に830台ある収集車で集めて各工場へ運ぶ。
そのうち金沢工場は、同市の金沢区、港南区、栄区、磯子区、戸塚区、泉区、瀬田区を中心としたゴミが運ばれてくる。
金沢工場は、2001年稼働。総工費は約626億円。ここには850〜950度で燃やすことのできる高度な焼却炉が3基あり、ここで1日400トンのゴミを燃やしている。
850度以上の高温で焼やすことによりダイオキシンの発生を抑え、また、消石灰により、大気汚染物質の、塩化水素や硫黄酸化物を中和除去し、活性炭により水銀やダイオキシン類を吸着除去しているという。
また、アンモニア水気化ガスを吹き込み、脱硝触媒することにより、大気汚染の窒素酸化物を分解除去する。こうして大気汚染はなくなる仕組みなのだという。
ただし、焼却炉を止めた時に400〜600度に下がることがある。そうなるとダイオキシンが発生するため、作業員は、原発作業と酷似した防毒マスクと作業服を着こむことになっている。(写真はその作業服)
こうして燃やしたゴミは、メタル、スラグ、溶融灰(カバーリング)に分類される。メタルとは、金などを含むレアメタルで価値があるため、「年間400トン近く売っている」という。スラグとは、アルファルトなどの材料として使われる。溶融灰は使い道がなく、埋め立てられる。(写真はメタル。焼却すると3層に分かれる)
また、焼却炉を動かすにより発電を行っており、年間15億円分、電力会社に売電したりしている。
なお、この職員に対し、「これまで故障などで焼却炉が動かなくなったことはありますか?」と聞いたところ、「故障はたまにあります。一度、水管が破裂して二週間止まったこともありました。だ、ポンプ類などは、故障しても交換できるよう、予備を置いて対応しています」という。
なお、職員によると、家庭の燃やすゴミで一番多いのは、生ゴミ36.5%で、プラスチックは5.1%という。この数字をみて、プラスチックはそんなに少ないだろうか、と疑問を持ったが、それには次の理由があったのだった。
横浜市内で収集したゴミは、工場内で、燃やすゴミと、資源ゴミに選別する。「資源ゴミ」とは、燃やすゴミ以外で分別したゴミ。つまり、プラゴミや瓶・缶・ペットボトルなどなど。
そして、横浜市では、資源ゴミは原則、工場で燃やしていない。工場でプラスチックを燃やしている分は、燃やすゴミを入れるためのビニール袋など、ごくわずかという。それが上記の5.1%分というわけ。
では、プラスチック類はどうしているのか? 「それを一番見たいんです」と筆者は言うと、その職員は、「選別センターは隣にありますが、それは改めて選別センターに電話して見学を申し込んでください」という。
そもそも、横浜市のHPには、選別センターの見学の案内はなかった。工場の解説でも、燃やすゴミが増えると温暖化になる、中でも最も多い生ゴミを減らすために、食品廃棄ロスを減らしましょう、と呼びかけていたが、プラスチックの話は絶無だった。どうもプラスチックに対する問題意識は低いようである。(写真は選別工場)
「資源ゴミのプラゴミは、どうしているのですか?」と聞くと、「民間のJFEスチールなどの製鉄会社に持って行き、そこでコークスの補助燃料に使っています。売っているのか、無料で渡しているのかは、わかりません」という。
その後、工場内に、プラゴミがどう処理されているのかを示すパネルがあった。そこには、「プラスチック製容器は、リサイクル業者によってガス化されます この合成ガスはアンモニアの製造に使われます→代表的な用途は工場の排ガス処理の薬品として また [キンカン]などの製品や繊維原料に生まれ変わります」と書いてある。製鉄会社に持って行っているという話は、パネルには一切書いていなかった。
なお、横浜市の資源局が作成している資料がネットにひっそりとアップされている。その中に、家庭のプラゴミは年間4万8千トン排出されている、との記載があった。これらは民間中間処理施設で異物除去・梱包した後、国指定のリサイクル邦人に引き渡す。それらは「プラスチック製品の原材料、ガス化、コークス炉化学原料化、高炉還元剤など」に利用されている、と書いてあった。このような細かい記載を読んでいる市民はほとんどいないはずであり、到底、市民には伝わらない。横浜市は、市民に分別させておきながら、その後どうなっているのか全く説明責任を果たしていない。
なお、ペットボトルの方は、リサイクル事業者の工場に運ばれ、細かく砕かれてペットボトルの原料になったり、衣料品や文房具、たまごパック等にリサイクルされているとのことだったが、ペットボトルは海を最も汚している物体であるが、それを減らす啓発もしておらず、リサイクル現場の見学すらしていない。
日本の三大都市である横浜市にして、プラスチックのゴミの行方が全く市民に知らされていないのが実情だ。(佐々木奎一)
次いで同年7月12日付の「マイクロプラスチックを減らすため一市民にできること」の元原稿は以下のとおり。
7月12日付の当コーナーで紹介した海を汚染する「マイクロプラスチック」。この問題を解決していくにはどうすればよいか――。引き続き東京農工大学の高田秀重教授(56歳)に取材した。
「まず、一番はポイ捨てをやめることです」と高田氏は指摘する。ポイ捨てされたプラスチックゴミは、雨などによって水路に入り、やがて海に流れてしまう。
また、ペットボトル対策は最重要といえる。ペットボトルのリサイクル率は87%と、色々なプラスチック製品のなかで一番リサイクル率は高い。これ以上は率が上がらないとも言われている。
だが、実はペットボトルは海でみつかるプラスチックのゴミで一番多い。リサイクルされていない残りの13%の一部が海に出ていくのだ。
「例えば、河川清掃するNGOが荒川で一年間に集めたペットボトルは3万本。日本全国、世界全体でみれば、何百万本という量になります」(高田氏)
しかも、ペットボトルのリサイクルは経済的にペイされていないという。
「ペットボトルをリサイクルしてできたものを売っても、その途中でかかる費用は賄えません。なので独立した事業としては成り立ちませんが、自治体がリサイクルを補助しているので、それでやっと事業として回っています。
要するに、ペットボトルを使えば使うほど、僕らの税金が使われていくわけです。
ペットボトルをリサイクルしているというのは、幻想に過ぎないわけです」(高田氏)
では、ペットボトルを減らすには、どうすればよいか。
「水筒を持ち歩くことが大切。例えば有料で給水できるものをコンビニなどに置けばよい。そういう流通、消費の仕組みをつくっていくべきだと思う。
給水機も色々な場所にあります。それに水を入れておくのもよい。この間、環境省に行ったとき、環境省の建物のなかに給水機があったので水筒に水を入れて飲んでいたんですけど、環境省の職員の方は、逆にペットボトル買っていましたが(苦笑)」(高田氏)
環境省の会議の席でもペットボトルが出てきたので、高田氏は役人たちをたしなめたともいう。
スーパーやコンビニなどでレジ袋を使なわいことも大切。
「ペットボトル、レジ袋は減らしていけます。この二つを減らすだけでもプラスチックゴミは今の半分ほど減ります」(高田氏)
それにスクラブの洗顔剤や歯磨き粉に使われるマイクロビーズは、マイクロプラスチックの中のごく一部ではあるが、マイクロビーズの場合、水道管から下水処理場を素通りして確実に海に入って行くという特性があるので、「化粧品などにマイクロビーズを配合するのは止めた方がいい」と高田氏はいう。
ただ、化粧メーカーはなかなか日本でマイクロビーズ入りの販売を止めないのが実情。だから消費者が買い控える必要がある。
また、「3R」(Reduce(リデュース)、Reuse(リユース)、Recycle(リサイクル))という言葉がある。リデュースは「ごみそのものを減らす」、リユースは「何回も繰り返し使う」、リサイクルは「分別して再び資源として利用する」。
「3Rの促進が大事です。それによって海に入って行くプラスチックの量を減らすことができます。ただ、3Rの促進といっても限界があります。そもそも使う量を減らさないと、大量に使って大量にリサイクルしても、大量な分、リサイクルされ残ったものも大量になり、海に出ていくことになります。まずは使う量を減らすのが大事です」(高田氏)
また、「生分解性プラスチック」という、微生物により分解されるプラスチックもあるが、これについて高田氏はこう語る。
「溶けて完全に水と二酸化炭素になるものであれば有効だと思います。ただ、今の使われ方は、生分解性のプラスチックと石油系のプラスチックを混ぜて素材をつくっています。例えば、コンビニのレジ袋にも生分解性のものはあります。この間、環境省の会議でコンビニの協会の方が出席し、生分解性のプラスチックの普及をしている担当の方がいらっしゃったのですが、やはり100%生分解性のものではなくて、石油系のものを混ぜているそうです。
私は『逆に事態は悪くなる』という意見を申し上げました。中途半端に混ぜない方がいい。生分解性のプラスチックをつくるなら100%生分解性の製品にすればよい。
そうしないと、生分解性のプラスチックだけ溶けて、石油系のプラスチックだけ残って、むしろ小さな破片は増えてしまい、通常のプラスチックよりも扱いにくくなります。
破片になっていない段階の大きなゴミの形であれば、海岸での回収や浮いているものの回収は人手を出せばやれますが、細かく砕けて数ミリメートルになってしまうと回収できません。そういう意味では、今流通している生分解性のプラスチックは、マイクロプラスチックの生成が早まってよくありません」
また、プラスチックのゴミを燃やす自治体も増えている。それについて、高田氏はこう語る。
「プラスチックを使ってしまった以上、安全な処理の仕方、有害なものが出ない形で燃やしていくしかないと思います。プラスチックですから、最終的には燃やせば二酸化炭素と水にはなりますので。
ただ、いくつか問題があって、一つは、塩と一緒の状態で燃やすとダイオキシンができやすくなります。もちろん、塩ビのように塩素を含むものを燃やせば、燃やす条件が悪ければダイオキシンが生成します。燃やす条件とは、温度が低い、酸素の供給が十分ではないなどです。
それと、塩素を含まないプラスチックだけで燃やしたとしても、燃やす条件によっては、ダイオキシン以外の色々な発がん物質が生成します。
そういうものが生成しないような今の技術を使った高度な焼却炉があり、色々な自治体で導入して燃やすようにしていますが、これは非常にコストがかかります。
大体人口40万人の市のゴミを処理するための焼却炉をつくると、大体100億円かかります。焼却炉の寿命は30年ですから、これから少子高齢化して税収も減るなかで30年ごとに100億円、40万人で出し合えるかどうか、非常に疑問です。
そもそも使う量を減らして、燃やす量を減らして長持ちさせていかなければいけない。あるいは、2箇所使っている焼却炉を一か所にするとかしていかないと、ずっと回っていきません。
それと、今、高級な焼却炉をつくっても、事故や不具合で結構止まっているところが多いです。例えば、東京都調布市がそうですし、世田谷区も、この間、講演をやったときに聞いた話では、『世田谷区でも高級な焼却炉をつくったのですが、結構止まって動かないことが多くて困っています」という話を聞きました。
それに、焼却炉をつくる用地がなくて、住民同士で対立している自治体もあります。例えば、小金井市には焼却炉がないので、小金井市のゴミは日野市に持って行こうとして対立が起こっています。
燃やす選択肢は、最後の手段。やはり、なるべくゴミを減らしていく以外にありません。プラスチックの大量消費、大量焼却は、持続的な道ではありません」
また、高田氏はこうも語った。
「そもそもプラスチックは石油から作るもので、その石油は太古の昔に棲んでいた生物が死んで堆積して、数百万年から数千万年かけて石油になっています。プラスチックを燃やすというのは、石油を燃やしているのと同じです。
日本では、プラスチックを燃やすことを『サーマルリサイクル』と呼んでいますが、諸外国ではそういう呼び方をしていません。リサイクルというのは、石油でできたプラスチックを燃やしてできた二酸化炭素が、またすぐに別なものに使われることをいいます。燃やすと、またすぐにプラスチックになればいいですが、実際はプラスチックになるまでには数百万年はかかるので、決してサイクルは成立しないわけです。どんどん二酸化炭素が大気中にたまって温暖化の原因になります。
プラスチックを燃やすことはリサイクルではありません。廃棄物処理の会社のなかには、サーマルリサイクルと呼んで、どんどん進めようとしている会社もありますが、それは間違いなのです。
また、プラスチックのゴミを埋め立てる方法もありますが、これは有害な化学物質が浸み出して高い濃度になります。シートを使えば防げますが、それをいつまでも続けられるのか疑問です。
こうしたやり方は、数十年、数百年続くやり方では決してありません」
また、高田氏は「知恵と技術を使えば、うまく回っていくと思います。少しずつそういう風潮はできてきていると思います。また、そうした環境に配慮した会社が評価されて売れていくようになっていくといよいと思います」とも語った。
マイクロプラスチックは今後、20年で10倍になるという。そうすると、有害性が顕在化する事態になりかねない、と高田氏は警鐘する。そうなると人類はおろか地球の全ての生命に悪影響が及んでしまう。そうさせないために一人一人の消費者にできることは実に多い。(佐々木奎一)
池田大作教の教団幹部に多い、池田一神教に脳髄まで染まった信者連は、「選挙」のたびに「法戦」と称している。その姿は、ISやアルカイダの「ジハード(聖戦)」と酷似していることは前述した。
実際、ISは、「イスラム国」と称している。池田大作教は、「ソーカ王国」と称している。
また、池田教は、「革命」という物騒極まりない思想も持っている。「革命」とは、「従来の被支配階級が支配階級から国家権力を奪い、社会組織を急激に変革すること」(広辞苑第六版)である。
池田大作教は、平和革命とか人間革命などと、例によって詭弁を弄しているが、結局、革命というのは、この国を乗っ取り、ちがう国にしてしまおう、という、この上なく危険な犯罪的野望である。その実行部隊の一つが、池田党ことコーメートーである。
この国を乗っ取る、という池田大作の危険思想は、オウムと酷似している。オウムの尊師・麻原彰晃は、拙速にテロによってこの国を乗っ取ろうとした。
池田大作は、政治、行政、司法、芸能、経済などあらゆる分野に信者を張り巡らせ、教祖のために生きるよう信者を洗脳し、この国を乗っ取り牛耳ろうとした。
池田大作の革命は、麻原彰晃よりも時間をかけ、この国に根深く侵食している。その一点で、麻原彰晃よりも巨悪である。
不動産屋に電話をしたところ、担当者は今日は休みで明日出勤します、と言い、要件をうかがいしましょうか、というので、事情を説明した。すると、「どこの部屋の人が吸っているか、わかりますか?」と何回か聞き返してきた。「いえ、それは確認していません」と、筆者は答えた。
なぜなら、喫煙している現場を確認するとなると、喫煙者と目が合う可能性がある。ひょっとしたらその喫煙者は、粗暴極まりない輩かもしれない。そうすると、トラブルになるのは必定。じかには、そういう輩とかかわりたくないので、部屋を特定するためのアクションは控えていたのだ。
結局、その不動産屋は、「わかりました。明日、担当の何々に事情は伝えておきます」と言って、電話を切った。
それにしても、よくよく考えてみると、こういう場合、賃貸物件を管理する不動産屋、あるいは大家の考え方次第で、対応はガラリと変わってしまうはずだ。
もしも喫煙者の言い分を擁護する前時代的な思考回路の不動産屋なら、「タバコの煙が部屋に入ってくるくらいは、我慢してください」とか言い放つことだろう。
受動喫煙の弊害に理解のある不動産屋なら、ベランダでの喫煙を許さないことだろう。
不動産屋の考え方一つで、住民の生活は、大きく変わってしまう。
賃貸物件で、どんなにいい間取りで、内見した時点では非の打ちどころがなかったとしても、いざ住んでみたら、隣接する住人がベランダでタバコ吸い放題で、自分の部屋にタバコの煙がひっきりなしに入ってきて、その状況を、不動産屋が容認する、というようでは、住み心地はすこぶる悪い。
よって、こういうときは、あらかじめ、ほかの住民がベランダで喫煙した場合は、どういう対応をしているのですか?と、質問した方がいい。もし、わたくしどもの管理しているマンションでは、外で喫煙することは禁止しています、と言うのなら、いい物件といえる。ただし、入居させたいがためのデタラメの可能性もゼロではないので、契約書のどの部分を根拠にそう言っているのか、を聞いたり根拠条文が抽象的でどうとでも解釈できるようなら、この条文を根拠にベランダでの喫煙は禁止します、とった文面を作成してもらった方が、あとあとトラブルになった場合、有利だ。
どう対応するのか、すぐに答えられない不動産屋に対しては、しっかりと返事をするよう要求した方がいい。それでも、まともに回答できないようなら、「受動喫煙蔓延物件」かもしれない。
考えてみれば、レンタカーなんかでも、最近は、禁煙車、喫煙車と区分けされているケースが多い。ホテルの部屋も、禁煙者専用というのが増えてきた。中古車の販売も、禁煙者のワンオーナーかどうかがわかるようになっている。
いまや、この世のあらゆることが、禁煙か、それとも喫煙か、この二つに峻別されつつある。
だから、賃貸物件も、最初からずっと完全禁煙の部屋とか、建物全体が「禁煙者のみ入居可」の物件で、入居後喫煙者になったりして部屋のなかで喫煙したら違約金を払って退去する契約の物件があったら、入居者が殺到するのではないか。「禁煙マンション」は、資産価値が上がることだろう。
「喫煙マンション」は、受動喫煙被害のリスクに満ちている。喫煙者とすれ違うだけでも、タバコ残留成分がただよっているし、エレベーターで喫煙者と一緒になったら、密室空間にタバコ残留成分が蔓延することになる。それに、ベランダでの喫煙や、換気扇から蔓延する煙で、ほかの人の部屋を汚染するリスクもある。タバコの火の不始末による火事のリスクもある。
「喫煙マンション」には、なるべく住みたくない、という人は多いはずだ。
(続く)
この国のタバコを取り巻く環境は、後進国そのものである。いまから5年、10年、20年もすれば、タバコについてまかり通っているいまの現状について、唖然とすることは山ほどにあるに違いない。あたかも、われわれ現代人が、今から30、40年前の映像で、たとえば労組と会社の交渉かなにかの席で、労働者たちが大きめの部屋で椅子に座りながら灰皿も持たずにタバコをスパスパ吸いながら使用者に盛んに抗議していて、その喫煙風景を労使ともに当たり前としている様子を現代人がみると、異様にみえるのとおなじように。
そういう時代状況で生活するなかで、最近、こんなことがあった。
それは、筆者の住むマンションでのこと。筆者は、横浜の片隅の自然が取りえの土地に移り住んで丸二年経つ。無論、空気がよいので、窓を開けることも多いのだが、ここ3、4週間前から、窓をあけると、にわかに、タバコのにおいがしてくるようになった。最初は気のせいかとも思ったが、どう考えてもタバコ臭い。しかも、一度や二度ではない。ほとんどあけるたびに、数分以内にタバコのにおいがしてくる。
タバコのにおいがいやなので、次第に、窓を開けなくなった。すると、驚いたことに、窓を締め切っているにもかかわらず、部屋の中がタバコ臭いときがあるのである。それも一度や二度ではない。かなり頻繁に、タバコくさい。
しかも、カーテン付近では、タバコのにおいが、すでにこびりついている。
さらに、閉口したことに、キッチンにある換気扇あたりからも、タバコのにおいがしてくるのである。それも一度や二度ではない。一日に何度も、タバコくさくなる。
しかも、平日、祝日、土日とわず、時間帯も、朝から晩までひっきりなしに、時節、タバコくさくなるのである。
隣か上下階か、斜め下か、斜め上の階か、定かではないが、隣人のしわざにちがいない。
そこで、ちょっと受動喫煙について調べてみたところ、ホタル族といって、ベランダに出てタバコを吸う輩がいて、当人は外で吸えば煙は人のいないところにいく、と思っているのかもしれないが、実際は、隣室の窓から部屋の中にタバコのけむりが侵入する、という受動喫煙被害が横行している、という、被害ケースが載っていた。
いまのご時世、職場の受動喫煙も、禁止される流れになってきており、罰則が付くのも時間の問題だというのに、世の中には、自宅にいながら受動喫煙に苛まれる人もいるという事実を知り、呆然とした。そして、筆者も、にわかに、その被害者に列したことを認識した。
昔、アメリカの新聞かなにかで、かの国のどこかの町では、自室の部屋のなかでの喫煙さえも禁じている、とか、タバコを吸った者は追い出すマンションがある、という記事をみたことがあり、アメリカでは喫煙者は存在自体が否定されているのかと思ったものだが、いざ自宅にいながらの受動喫煙に遭ってみると、そんなアメリカに先進性を感じてきた。
だが、日本では、自宅での受動喫煙被害を防止する法律は整備されていない。
自宅にいながらの受動喫煙被害の場合の裁判の判例も調べてみた。が、あんまりパッとしない。画期的な判例といわれるものですら、加害者である喫煙者に対し、5万円の賠償を命じる程度。判例では、かなりの程度、住民は、受動喫煙を受忍する義務があるのだそうだ。
受忍義務があるなどというのは、到底納得できるものではないが、裁判官が、こんな判決をしてしまうのは、社会全体の認識がそうだからである。社会認識が変われば、裁判官の認識も変わる。それに社会認識がかわれば、タバコ利権にまみれた怠け者の政治家官僚の者共も変わらざるを得ない。
だが、残念ながらいまの社会認識は、他人の家にタバコの煙をまき散らす輩が隣人となった場合は、かなりの程度、被害者は耐え忍ぶ義務があります、というものである。
だからこそ、被害者は、泣き寝入りしては、ならない。
そういうことも考えつつ、1、2週間経過したが、あいかわらず、家のなかはタバコくさい。そこで、外とつがっている、壁に付いている通気口を閉じて、外の空気と遮断したところ、窓付近からはタバコのにおいはしなくなった。ただし、そのせいで、部屋は換気できなくなってしまった。
そして、キッチン付近の換気扇からは、あいかわらず、タバコのにおいがする。そのため、換気扇をほとんど付けっ放しにすることにした。
それにしても、この換気扇はどこにつながっているのだろう。ひょっとしたら、隣人が換気扇の下でタバコを吸っていて、その煙がこの部屋に流れてきているのではないか。そこで、調べてみたところ、キッチンの換気扇は、ベランダの外と通じていた。ということは、やはり、隣人がベランダに出て吸っている煙が、うちのベランダに充満している、ということになる。
どう対処すればよいのか。
色々考えたが、まずは、不動産屋を通して、大家さんから、各戸に、ベランダで吸わないよう、書類で通知してもらうよう、依頼することにした。もしも、通知してからも、相変わらず、タバコを吸っているようなら、そのときは、どこでだれが吸っているのか、こらちで調べて、喫煙者に個別具体的な通知をするよう依頼して、それでも、吸い続けるようなら、じかにその喫煙者と話し合いをして、双方の折り合いのつく方法を考えて、今後はこうしていく、という取り決めをして、文書に書き、サインをする。それでも、その喫煙者が約束を破る輩なら、そのときは、裁判をしなければいけない、かもしれない。
そのように考えた末に、不動産屋に電話をした。
(続く)
話が横道にそれるが、この連載は諸事情で当初の予定より時間がかる見込みとなってしまった。そのため、以前に他媒体で執筆した原稿を、ここに載せることにした。それは昨年夏の7月12日付でニュースサイトEZニュースフラッシュ増刊号「ウワサの現場」で執筆した「海を汚染する「マイクロ・プラスチック」の実態」という、筆者の企画取材執筆の元原稿。昨年書いたものだが、無論、問題の本質は全く変わっていない。
生命の源である「海」に微細なプラスチックが蔓延している事をご存じだろうか?
米国アルガリータ海洋調査財団のチャールズ・モアは1997年8月、ハワイとカリフォルニアの中ほどの太平洋の真ん中の海面に、奇妙なかけらや切れ端が、蛾の死骸のようにひらひらと浮いているのを発見した。モアがそのことを世に問うたところ、米メディアは、この海域を「太平洋ごみベルト」と呼び、世の中に知られるようになった。
モアは海に漂うプラスチックのことを本に著した。そこには「太平洋ごみベルト」について、こう書いてある。
「その呼び名は、実際とは違った印象を与える。それはプラスチックでできた薄いスープである。プラスチックの破片で調味し、ブイ、もつれた魚網、浮き(中略)、その他もろもろの大きめの残骸といった『ゆで団子』があちこちに浮いているスープである」(「プラスチックスープの海―北太平洋巨大ごみベルトは警告する」(著:チャールズ・モア、カッサンドラ・フィリップス・訳:海輪由香子/NHK出版刊))
この大洋に浮かぶスープの具であるプラスチックの破片は、「マイクロ・プラスチック」という。
当コーナーでは、これまで12年6月24日付「食用魚も海外にも…日本人が知らない海洋ゴミの現実」、今年5月31日には、洗顔剤や歯磨き粉のスクラブ剤に入った「マイクロ・プラスチック・ビーズ」を取り上げた。
前者の海洋ゴミは、大きなプラスチックゴミが海岸に大量に打ち上げられている問題で、これはマクロ・プラスチックという。マクロ・プラスチックは紫外線や熱、波の力などにより細かな破片になっていく。これが「マイクロ・プラスチック」である。
後者のスクラブに入ったマイクロ・プラスチック・ビーズは、マイクロ・プラスチックという大きな括りのなかの一部分である。
なお、同書には、海洋のプラスチックの有害性を研究している第一人者である日本の専門家が紹介されている。その名は東京農工大学の高田秀重教授(56歳)。
東京都府中市内にある同大キャンパスでの高田教授への取材に基づき、「マイクロ・プラスック」の実態をお伝えする。
高田氏は、80年代初めから環境の研究を始め、プラスチックに関連する物質の研究も80年代から始めた。そして、海にあるプラスチックそのものに的を絞った研究をはじめたのは97、98年頃からだった。
「別の研究機関にいる私の大学の先輩が、『これから問題になるかもしれないから分析してみない?』と言い、海岸にあるプラスチック・レジンペレット(プラスチック製品の中間材料)を渡しました。それを分析してみると、たしかに高い濃度の色々な汚染物質が検出されました。しかも、もともとのプラスチックの添加剤に入っていない汚染物質も出てくることもわかりました。
これは『汚染物質の運び屋』になるんじゃないか、ということで98年から問題にし始め、01年に発表しました。同時期、『プラスチック・スープ』を書いたチャールズ・モアたちが、太平洋にプラスチックがたまる場所もがある、と報告をしました。そのころから段々、国際的にも関心的が高くなっていきました。
03年には、目に見えない1mm以下の顕微鏡サイズになったマイクロ・プラスチックが、海の生物に入っていく、あるいは砂のなかにある、ということが報告されました。10年以降は、さらに関心が高く鳴り、色々な国際会議や国際機関での検討会が開かれ、今年はG7の議題になり、国連の海洋汚染の専門家会議で国際的な評価が行われるようになってきています」(高田秀重氏)
また、高田氏は環境団体「インターナショナルペレットウォッチ」を立ち上げ、世界各地の海岸漂着プラスチックをエアメールで送ってもらうことを呼びかけ、海洋汚染調査もしている。
高田氏によると、現在、世界では年間3億トンのプラスチックが生産されているという。そのうちの半分は、食品のパッケージやコンビニの弁当箱、レジ袋、ペットボトルなどの容器包装である。このうち1年間に800万トンのプラスチックが海洋に流入している。その経路は、ゴミのポイ捨てや、ゴミ箱から溢れて外に出たゴミなどが、雨に流される。
「4大プラスチックのうちの2つ『ポリエチレン」『ポリプロピレン』は、全体の生産の半分を占めているのですが、それらは水よりも軽いんですよ。なので、雨が降ると、雨に流されて水路に入り、それから川に入り、海に流れていきます」(高田氏)
こうして膨大な量のプラスチックが海洋を漂っている。
「プラスチックは、プラスチックそのものでは、なかなか性質を維持できないので、燃えにくくする等のために、大抵のプラスチックは添加剤を加えています。その添加剤のなかには有害なものもあります。それから、プラスチックは、海のなかにある有害な化学物質をくっつけます」(高田氏)
たとえばプラスチック容器にはノニフェノールという環境ホルモンが出ることもある。これは子宮内膜症、乳がんの増加、精子数の減少、生殖器の萎縮といった弊害が指摘されている。
また、マイクロ・プラスチックは、「ポリ塩化ビフェニル」という、奇形、ガン、免疫力の低下、脳神経系に影響する物質も付着する。
こういった様々な汚染物質がマイクロ・プラスチックに付着するため、その汚染濃度は、周辺海水中の10万倍から100万倍に達する。
すでにマイクロ・プラスチックは、海に生息する二枚貝の体内からも検出されている。魚介類の体内にあるということは、生態系の上位にいくほど濃縮した汚染物質を摂り込み、巡り巡って人間の体内も汚染する事態になることが予想される。
「海洋のマイクロ・プラスチックの量は、今後20年で10倍になります。海洋汚染を軽減していくためには、プラスチックの使用を減らしていく必要があります」と高田氏は警鐘する。
海がこれほどまでに汚染されてしまう事態。これは人類にとっても、ただでは済まないのではないか――。手遅れにならないうちに、手を打つ必要がある。(佐々木奎一)
このように前置きしたうえで、中村氏は、こう回答した。
「さて、質問@の見解ですが、
・京都市の考え方が記載されている資料1を参照してください。言わんとされていることは、十分に理解できますが、単純に『のら猫エサやり禁止条例』と呼称するのは、偏った見方と考えております」
さらに、中村氏は、こう回答した。
「質問Aの見解
・まず初めに、『ある議員』は断じて私ではないことを明言致します」
(続く)
4月8日付で、民進党の党員になろうとしたところ、結党から一か月経っても、一向に党員を募集していないことを、と記した。
http://ssk-journal.com/article/174815553.html
その後、筆者は時折、募集しているか確かめていたのだが、実に半年以上も、民進党は党員募集を閉め切っていた。
そして民進党代表選が終わって数週間後、にわかに、同党サイトで募集を始めていたので、応募してみた。
すると、その日のうちに選挙区内の民進党候補の事務所から電話がきた。
筆者の住む横浜の片隅の栄区は、行政区画上は横浜市に属するが、地政学上は、古来、鎌倉に位置する。栄区から鎌倉街道を進み、低い山を一つ越えると、鶴岡八幡宮の裏手に行き着く。つまり、鎌倉幕府の中枢を護る要衝の地だった。
しかも、栄区というのは、三十年前までは、行政区画上も、れきとした鎌倉市だった。
そういう場所である名残は、衆院選の区割りにも現れている。ここ神奈川4区の区割りは、鎌倉市、逗子市、三浦郡葉山町、そして横浜市栄区なのである。
その神奈川4区の次期衆院選の民進党候補は、前鎌倉市議の早稲田夕季氏。早稲田氏は早稲田大出身。早稲田氏は、鎌倉市内の大船駅前で熱心に演説している。これは選挙のときだけ駅の改札前に出没する、軽薄な同選挙区の自民党衆院議員とは、質が違う。
要するに民進党の党員に応募したところ、その早稲田夕季事務所から、電話がかかってきた。スタッフと型どおりのあいさつをしたあと、党員の手続きの話になるのかと思っていたが、なんでもそのスタッフが言うには、民進党の党員には来年五月にならなければ手続き上なれないのだそうで、それまでは準会員的な立場として、集会等にオブザーバーとして参加ができるという。
正式な党員であれば、「民進党の運営や活動、政策づくりに参画する」ことができる(同党HP)。それに比べ、オブザーバー(議決権のない傍聴人)というのは、格段に権利がない。
筆者は、外野で発言するだけではなく、色々と提言、建白していきたいと思っているので、オブサーバーというのが拍子抜けした。
それと、自公議員たちが解散風を煽り、いつ選挙になってもおかしくないというのに、この期に及んで党員を閉め切っていることに、あきれてしまうのを通り越して感心してしまった。
たとえば、共産党であれば、党員になりたい、と申し込めば、すぐさま自宅まで馳せ参じて、正式に党員の手続きを済ませることだろう。
池田党に入りたい、という物好きはよもや世の中にはいないとは思うが、もし仮にいれば、信者たちが自宅に殺到して、池田教の信者にさせることを視野に、その場で入党の書類を書かせ、仕事は何か、とか、いろいろとぶしつけに個人情報を聞き出してくることだろう。
民進党は、本来は、連合依存から脱却する意味で、どんどん組織につかない個人の党員を増やしていかなければならないはずなのに、いまだに党員を閉め切っているというのが、どこまでもゆるい政党である。
もちろん、体育会系のガチガチの感じより、そのゆるさの方が筆者には合うのだが、それにしてもゆる過ぎて多少驚いた。
すると、すぐに中村三之助氏から、文面でこう回答があった。
「お答えさせていただきます。
まず、初めに申しあげておきたいことは、私は、約六年前にある動物愛護団体から、動物愛護に関する相談を受け、それ以来その方々との交流が有り、様々な動物愛護に関する話、また現行の行政の問題・課題を話し合い、その取り組みをして参りました」
といい、こうつづっている。
「『前京都家庭動物相談所』の問題を指摘し、『京都動物愛護センター 動物愛ランド京都』の建設に結び付きました」
(続く)
「A 「京都市の動物との共生に向けたマナー等に関する条例」ができるまでの過程では、京都市が部署を横断してプロジェクトチームを立ち上げ、その後、憲章をつくるための有識者会議ができて、そこでエサやり禁止が匿名の委員の発言の形で打ち出され、その有識者会議の判断に基づき、条例がつくられて成立した、という流れになっていますが、実際は、はじめから京都市の上層部と、ある議員の間で、野良猫へのエサやり禁止の条例をつくるということで決まっていた、という情報もあります。
市会の議事録を読む限り、罰則付きの条例へ向け熱心に取組んでいたのは、京都市議・吉田孝雄氏であり、猫行政に熱心に取り組んできたのは中村市議、とお見受けします。
つまり、「はじめから京都市の上層部と、ある議員の間で、野良猫へのエサやり禁止の条例をつくることが決まっていた」とするならば、その「ある議員」とは、吉田市議あるいは中村市議、あるいは吉田・中村両市議が、京都市の上層部と内々ではかりながら、野良猫へのエサやり禁止の条例をつくっていった、という見立てができるのですが、その点についての見解をお聞かせ願います。」
(続く)
前回の記事で、「政教分離の根拠」には、第一「信教の自由の保障」のほかに、第二「宗教の腐敗・堕落の防止」、第三「民主的な政治過程の維持、あるいは政治的分断の防止」があることを紹介した。
そして、この第三には、「およそ民主的な政治過程とは理性的な討論によって支配されるべき場であり、宗教はそもそも理性的な討論になじまないのでこれを排除すべき」、「民主的な政治過程は必ずしも理性的な討論が支配する場ではなく、様々な利益集団が互いに妥協しつつ利害調整をする場と見るべきであるが、宗教は絶対的な価値を主張するので、この妥協を困難にし、政治的な分断をもたらすので、やはり排除されるべき」という、2つの意味があることを紹介した。(「新基本法コンメンタール憲法」(編集:芹沢斉、市川正人、阪口正二郎/日本評論社刊)より)
このなかの、「宗教はそもそも理性的な討論になじまない」「宗教は絶対的な価値を主張する」というのは、まさに池田大作一神教がそうである。
たとえば、池田教団は、選挙のことを「法戦(ホウセン)」と言っている。法というのは、池田大作教のいわくところの仏法を指す。
(なお、司馬遼太郎氏は、池田教は「致命的なところで仏教じゃない」と断言している。司馬氏は「ふしぎなことに日本の各時代をにぎわす新興宗教というものが、多くは日蓮宗から出ていますね。現存しているものにも本門仏立講、霊友会、創価学会……みんな日蓮宗から出ている。ただ創価学会にいたって、初めて利益ということを掲げた。お釈迦さんは利というものを捨てたところから出発している。ところが創価学会というのは利を説く。(略)利を説く以上、これはもう仏教じゃない。致命的なところで仏教じゃない」と述べている。(「司馬遼太郎対談集 日本人を考える」(文藝春秋刊)の梅原猛氏との対談より))
その意味で、池田教は仏教を騙るカルトであるわけだが、池田教のいう法戦というのは、宗教戦争、といったニュアンスがあると捉えることができよう。
実際、こういう記事がある。池田大作教をウォッチするFORUM21の記事「特集/くり返される異常な創価学会の政教一体選挙 参院選直前、本部幹部会発言にみる政教一体構造」(2004年7月15日付)によると、池田教は、選挙をこう捉えているという。
「・選挙の勝利を宗教的正当性の根拠とする。
・選挙を「仏敵」打倒の「法戦」とする。
・選挙を教勢拡大の「バロメーター」とする」
実際、参議院選挙の公示を間近にした6月15日に東京・千駄ヶ谷の創価学会施設・国際友好会館で行われた本部幹部会という教団の集まりで、池田大作ほか幹部連が、こう発言した、として、音源を文字に起こしている。
それによると、冒頭、「いよいよ創価の新時代を開く決戦が目の前に迫りました。全国の男子部はこの戦いの先陣を務めることを誇りとして、乾坤一擲の勇気の対話を猛然と重ねています。家族のこと、仕事のこと、いまの時代に悩みがないと言えばウソとなる。しかし、大いなる希望を胸に、いまこそ壁を破るチャンスだと、信心で立ち、勝ち越えながら、みなが歓喜の前進を重ねています。」(弓谷男子部長)と、信者たちに、集票マシーンとして活動すれば、仕事や家族などの悩みを解決できる、選挙は悩みを解決してハッピーになるためのチャンスなんだ、と、さかんに現世利益を説いてハッパをかけている。
選挙で信者の欲望を煽りて、権力欲を満たそうという、欲望の塊のカルト教団。これを仏教という自体、いかに釈迦をバカにした連中かがわかる。
「@ 京都市の「京都市の動物との共生に向けたマナー等に関する条例」に基づき、京都市は、公道でのエサやりも迷惑な餌やり、として禁じています。(京都市は、道路でのエサやりを禁じるポスターをつくったりもしています)
しかし、公道で飢えた野良猫にエサをやる行為自体を、迷惑として罰則の対象とするのは、事実上、エサやりを禁じたに等しく、この条例は事実上、野良猫エサやり禁止条例、と言わざるをえません。その点について、中村市議は、どのようにお考えか、お聞かせ願います。」
(続く)
こうした猫への愛がにじみ出ている発言をしている点が、マッチポンプ公明市議や門川大作市長とは、まるで違う。
これまで縷々論じた、市長と共に野良猫エサやり禁止条例を仕組んだ黒幕議員とは、中村氏ではないのではないか、と内心思いつつも、念のため、筆者は、中村三之助氏に、対し、
「中村三之助・京都市議に、質問があります。
中村市議は、これまで、野良猫へのエサやりについて2014年2月5日の教育福祉委員会で言及したり、2013年7月28日から8月5日にかけての海外視察で団長をしたり、市会で、たびたび、まちねこ事業について言及しているため、質問した次第です」
と前置きし、こう質問した。
(続く)
「2年後になるんですけど,その数が,そういう対象になる野良猫がどれぐらいいるかということにもよるとは思うんですが,そういう,どうしても解決のつかないものについては譲渡をするなり,一時的にセンターにお預かりして譲渡するなりする方法をちょっと考えていったらどうかなとか思っています」
このように、、役人の土井氏は、いかにもやり気のなさそうな、猫のことを何も考えいないような発言をした。
これに対し、中村氏は、
「あれですよ,日本一の動物愛護センターを造ろうと言っているんですよ。それで,今のような,猫が数によっては収容できませんとか,そんなこと今から言ってどうしますの。当然,今のようなケースやったら,まず,やって,ケアして譲渡する方向へ持っていくというのが一番であって,それでも譲渡できひんかったら生涯預るというのが,新しいこれからの愛護センターの使命やというのが本来のあるべき姿やと思うので,一つ,しかと,その辺,頭に置いてこれから取り組んでください。」
と釘を刺した。
(続く)
その前に、一点、付言する。
それは、マッチポンプこと公明党の吉田市議や門川大作市長とは違い、中村氏には、猫への愛情があるように見受けられる、という点だ。
例えば、これまで紹介してきた発言以外にも、 平成25年10月07日の決算特別委員会第2分科会で、中村氏は、野良猫について、
「どうしても解決できないと。最後の手段として、さあ,そこで,来る,来年,再来年出来るこの動物愛護センターへ持って行ったら,それで引き取ってもらって最後まで面倒見てもらえるのですか(中略)いかがでしょうか」と、質問した。
これに対し、土井直也・保健衛生推進室生活衛生担当部長は、
「新しい動物愛護センターで野良猫を預ることができないかということなんですが,新しいセンターの猫の収容する数も,それほど,町の全部の猫を収容できるような,ちょっと数もございませんので,なかなか難しいかなということで考えております」
と、そっけなく答えた。
すると、中村氏は、
「いや,全てのというような質問をしているわけやないです。そうやってトラブルがずっと起こってどうしようもない,最後の,色々,地域でやっても何か取り組んでもあかん,このままでは地域の人間関係も良くなくて困ると。だから,この猫を,そういった場合,最後の手段として,そこでセンターで生涯,又は,ケアして譲渡の方へ持って行ってもらうというような形でお願いできることはできませんかという,こういうことなので,再度,今,できませんじゃセンターの意味がないと思うんです。どうですか」
と、迫った。
不幸な野良猫の世話ができなければ、巨大な新動物愛護センターをつくる意味がない、と言い切るところに、猫への愛を感じる。
これに対し、役人の土井氏は、こう言った。
(続く)
これに対し、土井直也・保健衛生推進室生活衛生担当部長は、
「まず、現在、計画している施設,1万平米の中で,ふれあい広場とかドッグランを設けたいと考えておるんですが,ちょっと狭いのではないかということで,現在の家庭動物相談所の利用も考えたらどうかということでございますが,今現在のところ,家庭動物相談所についてどうするかというようなことについては検討をまだ行っていないところなので,また今後,検討したいと考えております」
と言ったあと、
「それと,あと,名称ですね。京都動物共生推進支援センターということで御提案いただいたわけですが,その名称も,今後,愛称も含めて,また決めていかなくてはならないと思っております」
と述べた。
この役人のセリフが、いかにも、中村氏を、軽くあしらっている感じがする。その点が、筆者が中村氏を黒幕ではないと感じる理由である。
もう一つ、そう思う点がある。
門川大作市長の2013年11月26日付のブログに、京都市会の海外視察のメンバーが、市長室で市長に提言書を渡している写真がある。そこには、机を挟み、市長と視察団が対面し、団長の中村氏が、提言書を渡している写真がある。筆者が注目するのは、マッチポンプ公明市議・吉田孝雄氏が、議員団の列には並ばず、市長の後ろに立っていることだ。(下がその写真、市長オフィシャルサイトより)
この写真の構図に象徴されるように、マッチポンプ吉田市議こそが、市長の側にいる人物で、中村氏は、マッチポンプとは違い、市長と一体的な黒幕ではないのではないか。
そう内心思いつつも、念のため、筆者は、中村三之助氏に、こういう質問をした。
(続く)
最近、池田教団の末端信者の掲示板系のサイトがあるのを知った。それは、「静かに創価学会を去るために」というサイト。少し読んだ中で、的を射ている、と筆者が特に思ったのは、下記の書き込み。池田教団の末端信者の実像を知りたいという人は、参考にしてほしい。(※特筆箇所は赤字にした)。
なお、筆者自身、これを読み、典型的な池田教末端信者に特有の、度し難く低い人格、知性に接してしまい、具合が悪くなってしまった。
それは猛毒に等しいので、毒に侵されないように注意してほしい。以下、書き込み。
「創価では、自分の考えをもつと「我見」と言われ、幸福の軌道から外れるといわれます。
日蓮の教えが正しいと昔は言っていましたが、今は「池田大作の日蓮の解釈が正しい」みたいになっていて、「池田大作の言葉と行動こそ現代の日蓮」「池田大作こそ人類の永遠の指導者 」となってます。
男子部の組織では「池田先生のために死ねるか?」といった指導が行われています。
会員宅を回る家庭訪問では、じっさいにいてるかいていないかを確かめるために、電気メーターの回るスピードを確認したり、玄関の扉のポストをそっと開けて中をうかがったりします。全国どこでもそのようなことが行われています。もちろん、待ち伏せなんて日常茶飯事です。
会合では聖教新聞の推進の会議があって、自腹を切って必要のない部数をとって組織の数字を上げます。正確にはノルマのクリアのために自腹を切ります。自分で多部とるときもあれば、贈呈をいう形で友人知人に新聞を取ってもらって、自分で費用を払うときもあります。
選挙前には、公明党の冊子が一冊100円くらいのがうられ、「地区幹部は○○冊以上」と口頭でノルマが言われます。
選挙期間は、公示までに事前の選挙活動が行われます。公示後は、連れ出しといって、友人や会員を期日前投票や当日の投票に連れていきます。「ピストン輸送」と言って何回も連れ出しをします。戸別訪問やその他の選挙違反、たくさんやってます。
創価の思想は、疑ったり・やめると罰があたるぞ! と言われます。それで怖くてなかなかやめれません。
会員が入院したり死亡したら、その会員が財務(お布施)をきちんとしていれば、香典が1万、入院見舞いが1万出るようです。
私が入院したとき、1万の見舞金がでました。婦人部の幹部が、妻に「財務をしてるから見舞金がでるのよ」といってたとのことです。
私の母は創価の活動を頑張りぬきました、でも死ぬ間際はとても苦しみました。
私の父は創価を守り抜きました。巨額のお布施もしてきました。しかし首をつって死にました。
父が首を吊ったときには、父が提供した座談会の会場では楽しく座談会が行われていました。
すべて私の経験です」(スマイル2015年7月18日 22:14)
「身内に学会員がいない限りは、一般の人にとってはよくわからないのが創価学会ですよね。「選挙のときだけわざわざ遠くから公明党の票をお願いしにくる変な人」って感じでしょうか。でも身内に創価の盲信者がいたりすると、状況は一変します。「なんでこの人はここまで他人を見下す物言いができるんだろう?」という場面に少なからずぶち当たります。本人は当然のことのように言います。もちろんそのとおりに思っているんです。「オレたち創価以外はみんなカスだ」と。「オレたちだけが絶対的幸福の切符を手にしているんだ」「オレの言うことを聞けば幸せになれるというのに、なんでわからないんだろう?」と本気で思っています。この時点で世間一般では「人でなし」と思われ、それ以上の関わりを避けるのが当然です。残念ながら創価学会員さんは人がいい分だけ創価に騙されきって「人でなし」になっているんです。友人が創価学会員だったりしたら、やっぱりそんなところありますよね。外部の人に対してはできるだけいい人を演じていますが、それってめちゃめちゃ無理してるんです。何か悩みがないか探りをいれて、弱みが見つかったら、そこにグイグイと創価の信仰をねじ込んできます。「それはあなたの宿業なのよ」「宿業というのは過去に間違った宗教を信じていたことの罪が因となって、今のあなたに降りかかっているの」「過去世の罪業が今のあなたに出てるのよ。わかる?だからその罪障を消滅させるには創価学会の信仰しかないの。これしかない。ここで創価の信仰に出会ったというのも、ものすごい幸運なのよね。この信心に出会うためにあなたはこの不幸を背負うことになったといってもいいわ」こんなふうにどんなにでも屁理屈をこねて入会させようとします。屁理屈というより脅しですね。悩みがある人を捕まえては、みんな宿業のせいにして、それを克服するには創価の信仰しかないというパターン。もし学会員の友人にこんなことを言われたら、それがどんなに親しい友人であっても信じてはいけません。それはその友人が洗脳されて、創価ロボットに仕立て上げられての言葉でしかありません。あなたのことを思っているようで、じつは完全に上から目線であることに気づかなければいけません。そしていったん喰いついてきたら信じられないくらいしつこいです。これでもかってくらい勧誘してきます。ですから絶対に毅然とした態度で断ってください。ちょっとでも考えるようなスキを見せるとどこまでも食い下がってきます。それは本人はあなたのことを思っているつもりですが、それは完全に心を誘導されてのことですから、その創価の友人のためにもきっちりと断ってあげるのが友だちというものです。
とにかく創価には関わらないことが一番。そしてもし身内に創価学会員がいても、できるだけ関わらないことです。もし何か言ってきても「そこはお互いにふれないようにしようよ」って約束したほうがいいです。創価学会員は自分たちがやっていることが異常だということに気づくまでは、本気でいいことをしていると思い込んでいますので、そこは考慮してあげてください。悪意はないんですが、やってることは社会悪です。それをわかった上でこちらが対応することが大切だと思います。彼らと衝突しても何の意味もありません。ロボットに説教しても意味がないのと一緒です。掃除機が吸わなくなったからといって、掃除機にコンコンと説教垂れる人っていませんよね。冷蔵庫に話しかける人っていませんよね。車だと人によっては話しかける人はいますが、それはちょっと特別ですね(笑)。もし創価の人がガーガー言ってきたら、壊れたテレビがノイズ音だけ出してるって思えばいいと思います。まともに相手をしていたらこっちがおかしくなりますからね。」(signifie2015年7月18日 22:38)
「2011年に入会して、2015年に退会した花子です。
シニフェイエ様、いつもありがとうございます。
ここで、外部だった私が創価学会に入って変だと感じたことお話します。
・入会した時に
「創価学会はお金がかからない宗教なのよ」
と説明をうけた
→実際は、毎月の新聞などの機関紙購読料、公布基金とい創価学会への寄付(最低1万円〜)、選挙の時は党を支援するためにお金を徴集される…
バッチリお金かかってますよね?
・入会する時に彼氏から「先生がご存命中のうちに入会して欲しい」と言われた
→会館に行って同中を見ても、池田さんの過去の映像だけ。存命してるんですか?
・選挙の時に彼氏が「選挙で戦うために友達と対話してくる」と行って女友達と深夜までは遊ぶ。
・彼氏のお父さん(地区部長)が「一家和楽の信心なんだよ」って言ってた。
→彼氏のお父さんは毎日、彼氏のお母さん(支部副)を「このバカ!!」「お前がわるいんだ」と口汚く罵る。私の父は外部の人間だけれど、母の事を口汚く罵るなんて一切しない人だったので、カルチャーショックだった。
・会合が終わって、人数が少なくなると悪口大会になる。
・学会員の病人(身体・精神)率が異常に高い。(会合参加者の8割以上は何らかの病気持ち)
・社内に学会女子部の先輩がいる。
(私が会社に入社した時期と、学会に入会した時期は大体同じ)
入社当時から、お尻を触るなどのセクハラ行為をする。
「辞めて下さい」というと、「減るものじゃないしいいじゃん♪」といい始める。
その女子部の先輩から聞く多くの話は愚痴。
初めは我慢してプライベートでもお付き合いしていたが、学会を退会を機に距離をおいた。
だが、女子部の先輩は総務に根も葉もない話(悪口)をしていたようで、身に覚えのない話で総務から昨日呼び出され、一方的に怒られた(女子部の先輩は、総務の人と頻繁に飲みに行く仲。)
長文になってしまいましたが、まだ沢山あり過ぎて書ききれません。
はっきり言って、こんなに思いやりも何もない自分本意の人達を初めて知りました。
不幸中の幸は、学会員の彼氏と結婚せずに、別れて無事退会できたことです。
金輪際、学会に関わりたくありません。」(トイレの花子 2015年7月18日 17:50)
「どうやら今日「創価学会員による公明党決別デモ」が行われたようです。三色旗に「バイバイ公明党」とか人間革命の冒頭の文章が書かれたプラカードを掲げて行進している写真がfacebookに上がっていました。おっ、これで創価もかなりのダメージかと思いきや、参加した学会員のコメントは「あと間違わないように、私達は創価学会の活動は未来永劫続けていきますよ。公明党だけバイバイなのです」だそうです。つまりデモに参加した学会員さんは、公明党が創価の思想に反しているという考えのようで、悪いのは公明党であって、あくまで創価は正しいんだそうです。残念ですが、洗脳されているので仕方ありません。これで公明票が減るのはいいことですが、学会員が創価に疑問を持つことはないようですね。ここまで創価がおかしいという明確な事態にも、やっぱり学会員は気づかない。自分たちが正しいというふうにしかものごとを考えきれないんです。」(signifie2015年7月20日 20:35)
PS 池田教の本質は、こういう末端信者の、救い難い性質にある。こういう信者たちと、まともに話し合うのは不可能である。議論しても、時間、体力、精神力を消耗する一方だ。信者とかかわると、人生そのものを無駄にしかねない。池田教信者にかかわるべきではない。
なお、資生堂以外については、前述の通りの質問をしたのたが、それに対し、花王とその子会社カネボウは、こう回答した。
「下記の通り回答させていただきます。(株式会社カネボウ化粧品は花王株式会社のグループ会社のため花王会社が代表して回答させていただきます)
この回答の掲載に際しては、原文どおり使用していただきたく、宜しくお願い申し上げます。草々
記
【花王株式会社ならびに株式会社カネボウ化粧品にいただいたご質問について】
花王グループとして製品の開発にあたっては、製造から廃棄までの全ての段階で環境負荷が小さく、お客さまが安心して使用できる製品の提供に努めております。
なお、別表にてお問い合わせの製品には、マイクロプラスティックビーズをスクラブ剤として使用していません。 以上」
(続く)
また、育鵬社「中学社会 新しいみんなの公民」の77ページには、こういう記述がある。
「近代日本の代表的な知識人の福沢諭吉が『一身独立して一国独立す』と説いたように、私たち国民は国に守られ、国の政治に従うだけではなく、主権者として政治を動かす力をもっていることを忘れてはいけません」
そもそも国民主権というのは日本国憲法の柱なのに、育鵬社の教科書では、「主権者として政治を動かす力をもっていることを忘れてはいけません」とあるように、国民主権を、ついつい忘れがちなもの、として取扱っている。こうして育鵬社の紙面を読んでいると、国民主権であることを忘れるよう、自然に、しつけられていってしまう。(写真は育鵬社「中学社会 新しいみんなの公民」より)
さらに、86ページには、選挙ポスターのような安倍晋三氏の顔写真のアップを載せている。(写真は育鵬社「中学社会 新しいみんなの公民」より)
この写真は、「政党と政治」という章のなかの、マニフェストについて説明するという建前で載せているものだが、この写真のどこに政治的中立性があるだろうか?
この写真に明らかなように、この国でもっとも政治的に偏っている層が、安倍自公政権の批判者に対して、「政治的に偏っている!」「政治的に中立ではない!!」「偏っているキャスターを変えろ!!!」「電波を停める!!!!」などと言って騒いでいるのが実情。つまり、「政治的に偏っている」という批判は、「安倍自公政権に従順に従え!!!!!」という意味の「言葉の暴力」なのである。
(続く)
安倍自公政権は、今夏の国政選挙で勝った暁には、いよいよ憲法改正に着手すると明言している。自民党の憲法改正の全容は、自民党のHPに公然と載っている。それは憲法改憲草案と称するもので、その中身は、戦時中の大日本帝国憲法と似ており、日本国憲法を破壊する内容である。
この「壊憲」を、自民党は、補完勢力である公明党こと池田大作党と、一部の壊憲派の野党勢力と共に.実行しようとしている。
こうした中、私たち国民は、もしも安倍氏の目論見通り、自民・池田が選挙で大勝し、日本国民の自由が大幅に制限されて、治安維持法のような法律の制定すら可能とする憲法ができる事態となって、聞いてないよといって反対の声をあげても、時すでに遅し、である。
こういう状況にもかかわらず、自公の示す壊憲草案の中身は、ほとんどの国民はいまだ知ら.ない。例によって記者クラブメディアはまともに報じず、雑誌メディアは、例によってスキャンダルに明け暮れてばかりだ。べつにスキャンダルが悪いとはいわないが、スキャンダルばかりやっていても、ジャーナリズムは確立しない。
そういうわけで、ごく一部の人間が著書等で発信する以外は、まともに細部にわたって検証されていないのが実情。そのため、自公壊憲草案を、検証する。
なお、「自公」の「壊憲」草案とするのは、安倍首相自身が、公明党こと池田党と共闘して憲法を変える、と明言していることと、たとえ池田大作党が、加憲などという造語をつくって、信者向けに自民党との差別化をはかったポーズを取ったとしても、結局、大筋で自民党の案通りになるのは、集団的自衛権の行使を可能とする解釈改憲の閣議決定と、昨年の安保法制のときに立証済みである。
壊憲草案に対する意志表示は、反対か賛成、この二つしかない。
つまり、壊憲草案をつくった自民党に対し、選挙協力を蹴ってでも反対しない平和詐称の大作党は、壊憲に賛成しているのと一緒である。なので、実態は、安倍自公「壊憲」草案である。
また、「壊憲」としているのは、自公政権のやろうとしてるのは、憲法の一部を改めるという次元ではない。現行憲法を壊して、まったく別の国家主義の憲法につくり替える、というのが真相であり、壊憲が正しい表現である。
また、公明党ではなく、「池田大作党」としているのは、公明党の実態は、創価学会と表裏一体であり、その創価学会の実態は、池田大作を崇める集団であるためだ。また、信者たちはほとんど勉強もせず選挙に明け暮れていながら、学会を名乗ることは、看板の偽りであり、世間では学会といえば創価学会を意味するという風潮すら蔓延している現状は、学問の世界に対する侮辱である、と筆者は常々思っているので、もっと実態に即して本質を捉えた名前となるよう、「池田大作教」「池田大作党」というようにしている。他意はない。
そういうわけで、まず、自公壊憲草案の、前文からみてみよう。前文は以下のとおり。
(続く)
さらに、中村氏は、こう語っている。
「基本設計ということで、今年度、これから出来てくると思うんですが、まず、この中で、再度申しますように、全国一の愛護センターと。私から言えば、世界的に見れば、ベルリンのティアハイムが世界一と言われている。これが16万平米なんですね。京都が今回、上鳥羽の公園の方で1万平米の中の半分で5,500平米ほど使うと。公園全体が1万平米ですやろ。(発言する者あり)2万平米。使うのは1万平米。それの16倍ですわな,16万平米は。
いずれにしても、面積から言うたら、かなりやっぱり規模は小さい。しかしながら、当然、中のソフトの部分でいいものを作っていかなあかんというわけですけれども、先ほどらい、三つのコンセプトの中で、具体的にそういった教育施設とか、発信拠点とか、また、市民に開かれた、そういったスペースとか、夜間診療所も含めてやっていくと、ドッグランもやらなあかんのやから、どうしてもやっぱり面積が要るわけです。この辺の、面積が要るという中で、一つは、今現在ある家庭動物相談所、そこが、計画では上鳥羽の公園だけになっていますが、どう考えても広いと言えない。日本一と言えども、世界から言うたら16分の1やと。その中で、なんぼソフトを色々コンパクトに考えても、必ず今後、そういうソフトを考えたときに、それに伴うハード、その面積が必要になってくるわけです。だから、今の家庭動物相談所の今後の有効利用ということもやっぱり視野に入れて、あれを安易に売ることなく、これからの実施設計の際に生かしていくように、是非考えてほしいと。
実は、これは今のドイツ、ベルリン、それからミュンヘン、それからフランスも含めてですけれども、こういう愛護団体の取組、また施設、公的な施設も含めて、まだはっきりしていませんけれども、海外視察に行きたいと、行くべしで考えておるわけでございます。是非とも、当局も一緒に行きましょうや。勉強してください。やっぱり世界一のものを造ろうと思ったら、世界一の所へ行って、それを勉強せんと。ほんで、例えば17年に出来た岡山の所とか23年度に出来た神奈川の愛護センターもありますわな。言うたって知れていますわ。だから、やっぱり世界一の、トップレベルの施設へ行き、そのソフト、ハードをしっかり勉強していかないと」
このように、熱く語ったうえで、センターの名前について、こう提言している。
「.(仮称)動物愛護センターという名前になっていますが、私の提案は,京都市動物共生推進支援センター。よろしいか。メモしてもらいましたか。そういう名称にする方が,ほんで、愛称は公募したらいいわけですわ。というような形でやるべしと思っているんです。その辺に対する、まあ、こうやりますということは言えへんかもしれんですけど、思い、決意を、再度、御答弁いただきたいんですが、どうですか」 .
(続く)
そして、この平成23年2月28日の、自賛答弁のなかで、中村氏は、こうも言っいる。
「京都市はこのように野良対策のソフト面は他都市に比べて進んできておりますが、家庭動物相談所のハード面は残念ながらがたがたであります。今後これまで要望している動物愛護の基幹施設となる動物愛護センターの設置が必要と考えますが、今後の設置見通しをお聞かせください」
これに対し、門川大作市長は、こう答弁している。
「動物愛護センターにつきましては来年度中に検討委員会を設置し、市民の皆様や子供たちが親しめる動物愛護の基幹施設としての構想を取りまとめのうえ、できるだけ早期の整備に着手して参りたいと考えております。今後とも飼い主や地域の皆様、関係団体の方々と相互に連携、協働することで、動物と共生できる潤いのある豊かな都市・京都の実現に努めて参ります」
このとき以降、中村氏は、動物愛護センターにまつわる質問、要望を多々することになる。これ以降、京都市は、あたかも、猫エサやり禁止条例の代わりに、全国一の巨大な動物愛護センターをつくる、という密約でも交わしているかのように、この二つはセットになって動いている。
そのことは後述するとして、一連の市会での中村氏の発言からは、少なくとも「当初から」市長と一体となって、エサやり禁止の布石である街猫事業は進めては、いない。
この点が、中村氏は黒幕ではないと筆者が考える根拠の一つである。
ほかにも根拠はある。たとえば、平成24年10月4日の決算特別委員会で、中村氏は、役人に対し、動物愛護センターについて、こう熱く語る場面がある。
「御承知のとおり、かねがね何年も前から京都市の、それこそ古い相談センターから、まずは新しく動物愛護センターたるものを造らなあかんということをお願いし、申してまいりまして、昨年度の代表質問でも、そういったことから動物愛護センターを造るということがはっきりしたわけですけれども、造るのならいいものを造らんことには、全国から注目されているから、その出来たものが、それこそ京都の文化力を問われる、そういうバロメーターになるぞと。だから、しょうもないものを造ったら駄目だというようなことも言わせていただきました。(中略)
そういう中で、今、動き出してきて、構想が生まれました。その構想には、正にコンセプトとして、一つは動物を通じて命の大切さを感じる場、人と動物の正しい関わり方を学ぶ場、人づくり、環境づくりを通じて人と動物の共生を推進すると。こういうコンセプトで構想が練られたということで、この中身は大変いい形で市民の声が反映されていると。正に、御存じのようにパブコメがされましたけれども、そのパブコメの数から見て、何と4,198件の意見があったと。今回、色々な構想で出されている分も大いに反映されたわけです」
(続く)
次に、育鵬社「中学社会 新しいみんなの公民」のP48、49の、「平和主義」という章について。
「平和主義」という小見出しの本文には、「第二次世界大戦に敗れた日本は(中略)徹底した平和主義を基本原理とすることにしました」ということを、たったの一ページの三分の一弱のスペースでつづっているのみで、写真もなにもない。
要するに、扱いが異様に小さい。(写真は育鵬社「中学社会 新しいみんなの公民」より)
それが例えば、帝国書院の公民の教科書では、「平和主義にこめられた思い」と題し、「日本は平和主義のもと、第二次世界大戦後60年以上、一度も戦争にまきこまれることなく平和を守ってきました」「国家間で軍備を制限し、国際平和を実現できるしくみを強化することが求められます」とあり、広島平和記念式典の写真や、アニメ映画「火垂るの墓」を写真付きで大きく取り上げている。
平和主義は日本国憲法の柱なのだから、このように大きく扱うのは当然である。が、育鵬社は、平和主義が煙たくて潰したくてしょうがない。
さらに、育鵬社では、「平和主義」という大見出しの下に、「集団的自衛権」と題する文まで入れている。そこは、こう書いてある。
「集団的自衛権 国際連合憲章第51条において保障されている権利です。個々の国が自分の国を守る権利を自衛権といいます。そして同盟関係にある国の自衛を支援し、おたがいに防衛で協力しようとする権利を集団的自衛権といいます」(写真は育鵬社「中学社会 新しいみんなの公民」より)
さらに次のページの本文のなかの「憲法の規定と自衛隊の実態との整合性については、今なお議論が続いています」という箇所に、注釈を入れて、こんな文までいれている。
「国内では、憲法は自衛の場合も含め、いっさいの武力・武器の使用を禁じているのであり、自衛隊は憲法に違反するという意見も長く唱えられていました。一方、自衛隊がより国際的な責任を果たせるよう、現在は『権利を保持するが行使できない』(内閣法制局)とされる集団的自衛権を『行使させることができる』と解釈を変えるべきだという主張もあります」(写真は育鵬社「中学社会 新しいみんなの公民」より)
この育鵬社の教科書のままに、のちに安倍自公政権は、集団的自衛権の解釈改憲を強行して安保法制を成立させたのは、歴史的事実である。
(続く)
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 |
15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 |
22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
29 | 30 | 31 |