2018年07月08日

ルポ猫を飼う いきさつ 十二

 フジちゃんに対し、一緒に住もう、といったん約束しておきながら、それを反故にし、フジちゃんを絶望に追いやり死なせてしまったのだろうか? 頭がガンガンした。


 それにしても、昨日、大家さんから異例の許可をもらったというのに、一日遅れで間に合わなかったというのでは、あまりに残酷な話ではないか?


 悲しみにくれたカミさんは、涙がとまらなかった。


 「ふじちゃん、ごめん」と何度もつぶやいていた。

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2018年06月10日

ルポ猫を飼う いきさつ 十一

 それまで毎日必ず、カミさんか妹がふじちゃんにごはんをあげられていたにもかかわらずである。


「最後に見たのは金曜日」、カミさんもフジちゃんの消息は金曜日が最後…。


 「そんな…」


 しばらく絶句したカミさんは、涙ながらに言葉を絞り出す。


 「これから一緒に暮らすんです。今日、今日これから一緒に行くんです」


 そんなカミさんに、おばさんは不思議そうに「ボランティアか何かの方ですか」と聞く。


 カミさんは半ば取乱し気味にかぶりを振りながら「違います。一緒に暮らすんです」と答えた。


 涙が止まらなかったが、少し冷静さを取り戻したカミさんは、自分の連絡先を書いたメモをおばさんに渡した。


 「あの子と一緒に暮らします。もしあの子を見かけたら、こちらに連絡を下さい」と、お願いした。


 おばさんは、「わかりました。今度、たまを見かけたら、ここに必ず…」


 そう言い残し、おばさんは、かなたへ去っていった。

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2018年06月02日

ルポ猫を飼う いきさつ 十

 「死んだかもしれませんよ」


 その言葉を聞いた時、カミさんは、文字通り、こん棒で頭を思い切り殴られたような、衝撃をうけた。


 「猫は死ぬときに姿を隠すというし…」などと、おばさんは、続ける。


 「そんな……」


 カミさんの目から、涙がどっとあふれ、しばらく言葉がつげなかった。


 おばさんが、「あの猫はガリガリにやせて、(背中の毛をむしり過ぎて、)はげて…」云々と言っていた時は、カミさんは割と冷静に聞いていた。フジちゃんは、カミさんや妹たちがご飯をあげるようになってから、はげていたところに、うっすらと毛が生えはじめていて、一番ひどい時よりは、若干よくなっていた、おばさんは、そんなフジちゃんの変化を知らないのだ、と思っていた。


 しかし、そうは言っても、ひどく弱っていたことには間違いなかった。だから、「死んだかもしれませんよ」という言葉には、かなりインパクトがあったのだ。


 そして、カミさんには、気になっていることがあった。


 「猫は死ぬ時には、姿を隠す」、それは一般論としては知っている。気になるのは、「最後に見たのは金曜日」と、おばさんが言ったことだ。


 前日の土曜日の午前中、カミさんは、大家さんから、猫を飼う許可がおりた、ということは先に述べた。この連絡を受ける数時間前、ふじちゃんにご飯をあげに行ったのだが、この時、ふじちゃんに会えなかったのだ。それまでご飯をあげはじめてから、必ず、カミさんか妹がご飯をあげにいくと、すぐにフジちゃんが近づいてきてご飯をたべていた。それにもかかわらず、この日は午前中ずっと待っていても、ふじちゃんは現れなかった。

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2018年05月20日

ルポ猫を飼う いきさつ 九


 彼方から歩いてやってきたそのおばさんは、藤巻さんの家の前にさしかかると、にわかに、いつもふじちゃんのいる場所のほうを、しきりにながめ始めた。


 ふじちゃんのことを知っている人なんだろうな…


 とっさにそう感じたカミさんは、


 「いませんね」


 と聞いた。


 すると、そのおばさんは、ふじちゃんのことだとすぐにわかった様子で、にわかに、こう言った。


 「いませんよね。大抵、いるんですけど」


 そして、こう語りはじめた。


 「あの子は、『たま』というんですけど、元の飼い主さんの話によると、もう結構、年をとっているんですよ。

 元の飼い主さんは『こいつは若く見えるけど、結構年なんだ。14歳くらいだ』と話していたんですよ。それを聞いたのが2年以上前だっかしら…」

 おばさんの話を聞きながら、顔だちが若々しく、せいぜい45歳だと思っていたふじちゃんが、実は16歳を超えていたという事実に、カミさんは驚いた。


 さらに、おばさんは、こう語った。


 「飼い主が、あの子を庭に置いたままいなくなって、近所の親戚がご飯をあげに来るようになっていたんですよ。でも、外の暮らしが辛そうで、近所のほかの猫やカラスにいじめられたりして、ご飯もとられちゃって、だんだんやせていった。

 息子からは連れて来ちゃいなよ、と言われていたりしたけれど、一応、よその家の飼い猫だから、それはできないよわ、と話したりしたんだけれど…。

 最後に見たのは、金曜の夕方、ガリガリにやせて、毛がはげて…。いつもは、呼んだら側に来たのに、その時は来なかった…」


 そして、おばさんは、にわかに、こう言った。


 「死んだかもしれませんよ」

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2018年04月14日

ルポ猫を飼う いきさつ 八



 そして、カミさんとカミさんの妹が、フジちゃんを探した。


 しかし、いつもいる場所に、フジちゃんはいない。


 探しても、さがしても、いない。


 すると、にわかに、かなたから、一人のおばさんが、歩いてやってきた。



 まれ人とは、古来、かなたから歩いてやってくる。







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2018年03月18日

ルポ猫を飼う いきさつ 七



 こうして、にわかに、ふじちゃんを飼えることになった。引っ越して何週間も先に飼うのではなく、いま住んでいるこの部屋で。


 が、ちょうどそのころ、悪い情報も入った。それはこういう話である。


 つい最近、カミさんの実家の付近で、ふじちゃんが、いた。


ふじちゃんは、フラフラと道路を横切ろうとした。


が、その時、車が走ってきて、ふじちゃんは、ひかれそうになった。


それを目撃したカミさんの妹は、


「危ない!!」


 と車を停めた。


ふじちゃんは、そのまま、ふらふらと去っていったという。


 フジちゃんの命が危うい。


 一刻も早く、フジちゃんを連れて来よう、ということになった。

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2018年03月11日

ルポ猫を飼う いきさつ 六



「猫ちゃん、飼っても大丈夫ですよ」

と、言った。


 およそ猫を飼ってはダメだ、といっていた物件が、にわかに飼ってもいい、などというのは、信じがたい話である。


しかも、あとで聞いたところによると、大家は、猫が好きではない、という。


そんな物件が、なぜか。


実は、その当時、ちょうど、この物件の住人の引っ越しが相次いでおり、そのうえ、うちにも出て行かれると、大家にとっては、困る事態だった。


そこで、にわかに、猫を飼ってもいい、ということに転換した。


条件は、部屋飼いで、一匹のみ、ということだった。


それから数日後、各部屋に、大家から、その旨の通知書が投函された。


ちなみに、その後、不動産サイトに載ってる、ここの物件には、ペット可、という文字は絶無だった


つまり、このときだけの特例だったのだ。

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2018年03月03日

ルポ猫を飼う いきさつ 五



 ふじちゃんが、カミさんの実家でくらす、という選択肢がなくなった。

そこで、意を決し、引っ越すことに、決めた。改めて。


そのとき、カミさんは、いま住んでいるところで、猫が飼えないか、念のため、大家さんに聞いてみたい、という。もともと、ペット可マンションではない、と聞いていたので、大家に聞いても無理だ。


 と確信しつつ、筆者は、大家のいるとある場所へ行き、


「猫、飼えないですかね?」


と聞いた。


「飼えません」


と大家は即答した。


それを伝えたところ、カミさんは、仲介した不動産の担当者に、手紙を書いた。


本当にこの物件が気に入っていたけど、どうしても猫を飼いたいので、引っ越します、短いあいだでしたが、いままでありがとうございました、という意味のことが、つらつらとつづってあった。


そして、いざ、引っ越し、という段になる直前に、ささやかな、奇跡が、起こった。


手紙を読んだ不動産の担当者が、カミさんに電話をし、にわかに、こう切り出したのだ。

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2018年01月27日

ルポ猫を飼う いきさつ 四

 こうして、フジちゃんと、カミさんの実家のオス猫を、居間のガラス窓越しで、引き合わせることとなった。


すると、実家の猫のほうは、ニャンニャンと親しげに鳴いて近付いた。


だが、意外にも、フジちゃんのほうは、プイっと横を向いて無視した。気に食わなかったのだろうか。


そして、「なんだ、ほかの猫がすでにいる家なのか。こんな家に興味なし」、という感じで、さっさと庭の外に出て行ってしまった。


実家のオス猫が、新手のフジちゃんを追い返そうとするならわかる。が、野良猫で日々ひもじい思いをしているフジちゃんが、こういう態度をとるとは、思わなかった。


人間なら、もっといやしく媚びへつらって、飼われようとすることだろう。


要するに、たとえ雨露をしのぎ毎日食事が出る生活が送れるとしても、自分以外の猫のいる家に住むくらいなら、飢えや寒さに苦しんでも、我が道を行く、というプライドが、ほとばしっている。


 司馬遼太郎氏の「街道をゆく」に、モンゴルには「悪く生きるより、よく死ね」という言葉がある、とあったが、猫の生きざまにも共通する。


この気位の高さ――。


人間も猫を見習うべきである。

 (続く)

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2018年01月03日

ルポ猫を飼う いきさつ 三


  そして、悲しみのなかで考えた。


 実は、カミさんの実家では、すでにオス猫を一匹飼っている。が、もう一匹は飼えない、という。


なんでも、以前、カミさんが飼っていたメス猫が、カミさんの国家試験の勉強のさ中、膝に乗ったり、部屋にいたりで、合格の結果が出る直前まで見守り、息を引き取った。


  カミさんは応援してくれたその猫のことを感謝し、今も、居間にその猫の写真を飾っている。

  そしてその猫は生前、カミさんの実家に一匹だけで住んでいたところ、ある日、オス猫もあらたに飼うことにした。すると、メス猫のほうの食が細り、ストレスでずいぶん苦しんだ。結局、その後、オス猫が、家でぬくぬくと生きることを潔しとせず、血気のままに家を飛び出し、再び一匹になったことで、ストレスは解消された。


そういう経験をしたため、猫を一匹飼って、あとから猫をあらたに飼うと、前からいた猫が、苦しんでしまう、だから、実家でフジちゃんは飼えないという。


 だが、それは猫によるのではないか、と筆者は思った。


まず、フジちゃんと顔合わせして、相性がよさそうか、たしかめてみる価値はあるのではないか。

(続く)

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2017年12月30日

ルポ猫を飼う いきさつ 二


  そうした中、こういうことがあった。


 カミさんの妹さんが、フジちゃんにエサを与えるとき、あまりのやせ衰え、傷ついた姿にいてもたってもいられなくなり、フジちゃんを抱っこして、そのまま実家まで連れてきた。


 だが、実家にはすでにオス猫が一匹いて、後述のような事情もあり、そのまま飼うわけにはいかない。かといって、まだ、こちらも新しい物件をじかに見てもおらず、猫の帰る家が見つかっていない。


 つまり、まだ家でかくまえる状態ではない。なのでフジちゃんは玄関の中にだけいれる状態になってしまった。そして、カミさんの家族がフジちゃんも見守った。


 すると、フジちゃんは、飼うでもなく、居間に招かれるでもなく、というのが、居心地がわるかったのか、きびすをかえしてドアに向かい、帰りたそうにした。


 なので元の場所に戻した。


 そういうことがあったと、物件も見に行き、あとは正式に契約するのみ、という状況になった。


 それから数日後、カミさんの妹が、フジマキの家の通りを挟んで向かいの家のおばさんにあいさつした。


 フジちゃんは、フジマキの家の通りを挟んだ向かいの家の庭にもよく居ついており、おばさんは、フジちゃんのことを知っていたためである。


 妹は、近々、姉が引っ越してそこでフジちゃんと一緒に住むことになるからね、ということを、おばさんに話した。


 そのとき、フジちゃんが、駐車場のほうで、その話を聞いてる様子だった。


 その数日後、カミさんが、フジちゃんに会いに行き、エサを与えようとした。


 すると、フジちゃんは、カミさんの回りを飛び跳ねんばかりに、喜んでいた。その様子が、いかにも、一緒に住むのよね、という喜びに満ちている風だった。


 が、諸事情で、急に引っ越しができなくなってしまったのである。


 カミさんはつらそうに泣いた。


 筆者も悲しかった。


 フジちゃんについては、エサをあげ続け、将来引っ越しをするときに飼う、という話になった。


 それから数日後、カミさんがフジちゃんに会いに行った。だが、フジちゃんは、グッタリしていて、食べようとしなかった。


 フジちゃんは、日本語を理解している。


ごめんね、フジちゃん、住むのは、もう少し先になることになった、とカミさんが伝えると、ふじちゃんはグッタリしたまま食べなかった。


さらに、カミさんが、将来はいっしょに住めるから、というと、フジちゃんは、もういいわよ、そんな話聞きたくない、という感じで、車の下に入っていった。


さんざん期待させておいて、失望させてしまった。これではあまりにも、かわいそうだ。


ちなみに、生きているとガックリすることもあるものだか、あのときのフジちゃんの失望に比べれば、大したことはない、と筆者は、がっくりするたびに、考えるようになった。


それにしても人間は、いつも身勝手に生きている、度し難い生き物である。無論、筆者も度し難い、人間という動物である。


申し訳ない。

 (続く)


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ルポ猫を飼う いきさつ 一

 筆者は猫を飼うことになった。そこでその活動を時々記録する、といって2015年5月に一度書いたきりになっていた連載を、再開することにした。まず、過去にアップした第一回目を再掲する。


 まず、始めるにいたった経緯を説明したい。筆者は昨年冬、都心の千代田区麹町から横浜市の片隅に引っ越してきたのだが、その折、「猫を飼いたいね」と、カミさんと話していた。都心ではなかなか飼うことは難しいが、横浜の片隅に行けば、家賃は安いし、猫を飼える物件も多々あるに違いない、と踏んだのだ。


 それで、自然も多いし、静かだし、空気もいいし、景色もいいし、広いし、キレイだし、ペット飼育可なので、ここにしよう、というマンション物件をさっそく見つけることができた。だが、契約を進めようとしたところ、このマンションの規約では猫を飼ってもいいことになっているが、その部屋を貸しているオーナーが「犬はいいけど猫はダメ」と言った。


 「まあ、他にも色々物件あるんだから、他探してみよう」と言ったが、それがなかなか見つからないのである。なぜなら、「ペット可」という物件も、よく調べてみると、ほとんど犬のみとか、小型犬のみ可、で、猫は飼えないのだ。


 それで何とか猫が飼える物件をみつけたが、四車線あるドデカイ道路に面しているのが非常に気になった。道路と部屋の距離が数メートルしかなく、車が通るたびに、魂が車にひかれたような心地になるのだ。それだから耳栓つけて執筆しようと覚悟を決めたが、結局、カミさんの方が断念した。


 それであまり長々と物件を探す時間的余裕はなかったので、猫は断念しよう、無理だ、という

ことで、猫の飼えない部屋に住んだのだった。


 ちなみに、こうして住み始めたわけだが、筆者が住んでいる横浜の片隅というのは、横浜市「栄」区というところである。「栄」という字なのに、高齢化率が横浜一で、人口も面積も横浜屈指の低さで、区内の駅は本郷台と大船のみ。ここは栄ようがないのではないか、とひそかに思ったが、住んでみると、栄えているものがあるのを知った。それは、「緑」と「鳥」である。栄区の緑地率は横浜一だそうで、筆者の家の前も原生林のようなうっそうとした木々の生い茂る小高い丘がある。そのため、色々な鳥が盛んにさえずりをしている。聞いたことのないような鳥の鳴き声も多く、毎日が協奏している。むろん、ウグイスもいい音色を出している。


 こうして住み始め、なんとかやっているわけだが、カミさんがことあるごとに、猫を飼いたい、という。それで先月、実はカミさんがちょっとした持病の手術をすることになったのだが、入院前後に、やたらと、猫づいていた。出勤時に猫を見たり、自宅からバスで十分程度の実家に帰るときに猫がいたり、退院後に英国のホームレスを救ったボブという猫の本の存在を知り(「ボブという名のストリート・キャット」(著: ジェームズ・ボーエン/辰巳出版))、それを読んで感動して泣いたり、「猫びより」(辰巳出版)という雑誌を定期購読することにしたりと、猫オーラのようなものが漂っていた。


 そんな折、フジちゃん、という、カミさんの実家の近くにいるメスのノラ猫が、弱っろている感じで歩いていた、というのをカミさんが知ったのだった。


 「フジちゃん」とは、カミさんの実家近くのフジマキさん(仮名)という家の飼い猫のようだったが、フジマキさんはすでにその家には住んでおらず、残された猫は庭で暮らしていた。その猫をカミさんは、フジちゃんと名付けたのだ。フジちゃんは美猫という。


 一度、カミさんが仕事に行こうとしたら、ニャンニャンいって、飼ってほしそうな感じで付いていた。だが、カミさんの実家では諸事情で飼う事が出来なかったため、カミさんは断腸の思いで、フジちゃんには応えなかった。こういう経験から、「猫は飼い猫活動をする」とカミさんはよくいう。


 後日、フジちゃんをみつけたカミさんが、なでようとして近づくと、フジちゃんははじめのうちはなでさせてくれるが、にわかに立ち上がり、バリバリバリっ、と思いっ切り、カミさんの腕をひっかいた。飼ってくれないことに、怒っているのだろう。

 こういういきさつがあったので、猫が飼える部屋に住んだ暁には、フジちゃんを飼おう、と話していた。


 そして、猫づくなかで、フジちゃんが弱っているのを知ったカミさんは、いてもたってもいられないに感じになっていた。そこで筆者はかるく近場の物件を調べたところ、ひとつ、猫が飼える物件があった。それで、思い切ってここでフジちゃん飼ってみようか、という話になり、ひとまず、カミさんの妹さんたちと協力して、フジちゃんにエサをやることにした。


 フジちゃんはやせ衰えて、毛も一部抜けていた。近所の主婦の話では自傷行為で毛をむしり、人間の手のひら大のはげができてしまったのだという。


そんなフジちゃんは、人間になでられると、甘える様子もみせるが、触りどころが気にくわないときは、容赦なく、ツメでひっかいた。


そんなフジちゃんに、エサをあげに毎日通うようにしたところ、徐々になつき出したのだった。

 (続く)

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2017年12月17日

党員 六

 こうして蓮舫は、一夜にして、誰にも相談せず、独断で、無責任に、代表の座を放り出した。

 事の重大さとは反対に、その顔は、やけに晴れ晴れとしていた。

 蓮舫は、正常に判断できない、ノイローゼ気味の状態だったのではないか。

 民進党の執行部の面々は、四面楚歌の蓮舫を放置していた。

 あるいは、蓮舫のことを、だれもが嫌いなのかもしれない。

 はたからでも、蓮舫のきつい言葉を聞いていると、嫌悪感が湧いてくる。

 言われる側の身になると、二度と顔も見たくなくなるのではないか。

 が、もしも、たとえそうだったとしても、執行部は、私心を捨て、大義のために、大衆受けする蓮舫という代表を、支えるべきだった。

 こうして、あきれたことに、蓮舫の放り投げ、により、またも代表選が始まった。

 党員である筆者の元にも、投票用紙が来た。 

 候補者は、前原と、枝野。

 前原は、こんなことを、ほざいていた。

 「共産党と選挙協力しない、なぜなら、政権交代したとき合わないから」

 政権交代…

 いまはそういう状況ではないだろう。

 そんなことは園児でもわかりそうなものだが、前原は、政権交代を夢想していた。書生のように。

 対する枝野は、共産党との選挙協力の方針は変えない、と明言していた。

 どっちが、安倍池田政権にとって、御しやすいか?

 前原である。

 どっちが、安倍池田党の「壊憲」を防げるか?

 枝野である。

 民進党は、いまや利敵行為をする、安倍池田党の息のかかった輩がひしめく腐り切った集団である、とはいえ、さすがに、前原が代表になることはないだろう。

 前原が代表になったら、終わりだ。

 と筆者は思っていた。

 が、意外にも、前原が勝った。(続く)
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2017年10月28日

党員 五

 こうして蓮舫おろしが公然と始まった。

 蓮舫をおろしてよいことなどあるわけがないのに、あたかも蓮舫がいなくなれば万事よくなるかように、民進党議員たちは批判していた。いや、蓮舫がいなくなれば、民進党が弱体化して、安倍池田教が有利になる、だからこそ蓮舫を辞任させたい、そういう勢力が民進党内にはいた。

 経団連の裏組織である大企業労組しかり、そして、安倍池田党の支持母体である日本会議の一味で、産経新聞と同じ主張を繰す民進党議員然り。こういう党内の敵に加え、純粋に蓮舫がおりれば民進党が選挙で勝てるとおもっている園児のような勢力が、蓮舫おろしに躍起になっていた。

 だが、代表をやめる筋合いはない、だから、蓮舫はやめるはずがない、と筆者は思っていた。

 が、にわかに蓮舫は、辞めた。

 あれほど首相になりたいとか言っていたのに、あまりにもあっけなく代表のポストを放り出した姿は、突然首相を辞めた安倍以下としか言いようがない。
  
 そもそも、すでに解決した二重国籍を持ち出すような、筋悪の批判など相手にする必要はなかった。

 「人生いろいろ、国籍もいろいろ」と言って開き直るべきである。

 心がぽっきり折れた蓮舫は、弱かった、というより、常人並の精神力しか持ち合わせていなかった。

 豊田真由子や山尾志桜里、そして、舛添要一のような、不撓不屈の精神力は、なかった。

 気の弱い人間なら自殺している状況下でも、一人進んでいく強さを、蓮舫は持ち合わせていなかった。 
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クロ猫 四


 その後、くだんのクロ猫の話が飛び込んできた。

 うちのカミさんが、別件で、戦士のような風貌のご婦人たちと、川沿いのえさやり現場で話す機会があった。

 そのとき、くだんのクロ猫がご婦人に抱えられて寝ていた。

 クロ猫は、クロと名付けられていた。

 クロは、もともと野良猫で、幼少期には、戦士ようなご婦人の一人が里親募集の譲渡会に連れて行ったこともあったという。

 しかし、里親候補の人間に対し、クロは、大暴れしたため、結局、譲渡を断念し、地域猫となった。

 クロは写真のとおり、体格がよく、ケンカがめっぽう強い。そのため、川沿いのほかの地域猫たちを追い出し、川沿いの真ん中を縄張りとした。

 筆者が松となづけている、川沿いのアイドル的存在の地域猫がいるのだが、実は、松も、クロに追い出される形で、今の川沿いの端を縄張りにしたのだという。

 そうやって川沿いに君臨するクロは、エサやりの戦士のご婦人たちが大好きで、抱きかかえられて嬉しそうにしている。その姿からはとても大暴れするようには見えないが、ご婦人たちの愛を独占しようと、ほかの猫たちを追い出してしまうのだそうだ。
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2017年10月23日

党員四


 当サイト「党員三」で記したように、民進党員になったことを示す党員証のようなアカシのモノが何にもない、といっていった矢先の七月中旬に、民進党からハガキが送られてきた。(以下敬称略)
 そこには蓮舫の写真がデカデカとのっていて、その下に、切り取り線付の党員証がついていた。
 ハサミで切ってつかえという、このあまりのショボサさに、とても切り取って所持する気にはなれず、おいていた。
 その時はまさか、そのたったの二週間後、蓮舫が民進党代表を辞任するなどとは、思いもしなかった。

 そもそも此度の安倍池田教の、姑息な違憲解散は、蓮舫の辞任が引き金だった。蓮舫が党首のままなら解散はなかった。大衆受けのする蓮舫は、安倍自公にとって、強敵なのである。
 では、蓮舫がなぜ辞めたのかというと、都議選の責任をとれ、という声が、民進党内に上がったためだった。

 都議選の責任をとって辞める、というのであれば、安倍などは真っ先に辞めなければならない。が、無論、辞めない。国政と自治体の選挙は質が違うからである。 自治体の選挙の責任を党首にとらせよう、などという発想は、ほかの党ではない。
 だが、民進党では、いろんな議員が、「都議選の責任をとって蓮舫は辞めろ」と息巻いていた。昨年の岡田のときもそうだった。
 そもそも、党首蓮舫というのは、当の議員たちが選んで決めたものだ。党首には任期がある。
 その任期をまっとうしたのち、次を選ぶのが筋なのに、民進党では、それができない。
 まず、ルールを守らなければならない。
 この、幼稚園児やそれ未満の子どもが習う次元のコトから、学ばならない。民進党という政党は、そういうレベルなのである。
 それにしても、なぜ、民進党というのは、事あるごとに、学級崩壊児童のように、党首を批判して辞めさせて党を崩壊させるマネばかりする輩が跋扈するのだろうか。ルールをわきまえる議員も多々いるのに、なぜなのか。
 その理由は、連合である。
 連合といっても、内実は二極化していて、さきの蓮舫辞任後の代表選では、連合内に、前原を推した勢力と、枝野を推した勢力があった。
 筆者が問題視するのは、前原を推した連合の勢力である。
 連合というのは、大企業のユニオンショップ協定をみれば明らかな通り、経団連の裏組織と化している労組も多い。経団連の裏組織の力で当選している議員というのは、つまり、安倍自公、官邸の意向を汲んで動く議員である。
 民進党には、そういう利敵行為をする議員もまぎれている。
 もちろん、自分たちで決めたルールは、自分たちで守らなければならない、ということくらい理解している議員も多々いるが、学級崩壊児童議員にやられっぱなしだった。
 ルールを守らない輩を粛清、征伐する人物が必要だが、そういう人も出なかった。
 (続く)
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2017年07月09日

党員 三


 昨年4月に党員になろうとしたところ、民進党のHPの党員募集ページがシャットダウンしており、去年11月頃に募集ページがやっと再開したので申し出たところ、筆者の地元である民進党の神奈川県第4総支部のスタッフから、来年五月に党員手続きをする、と言われたことは先に述べたとおり。

 その後、今年5月に党費を払った。これで、正式に、民進党の党員となった。

 要するに、党員になるまで1年1か月もかかったわけである。

 だが、党員の証のようなモノ、例えば、表彰状のような紙や、党員証とか、何かしら形になるものが、一切送られてこなかった。それだから、党員としての自覚がなかった。

 ただ、いたずらに民進党を批判して安倍自公を利する新聞や雑誌なんかをみると、毒マンジュウでも喰ってるのではないか、という風に見えてきた。党員となった心境の変化というと、その程度だった。

 が、先日、わが民進党神奈川県第4総支部から、封筒が届いた。

 近々、総会をやるという。

 筆者が注目したのは、その書類のなかに、欠席する場合も、返信するように、とある点だ。

 欠席でも返信する理由は、党員には議決権があるので、代理人の委任の有無や、決議事項に了承する、といった意思確認をするため、という。

 筆者のいう「党員の証」とは、この感じ、である。

 党員になると、おのずと、政治に参加することになり、意識が変わる。

 党員にならないと、なかなか政治に参加できない。



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2017年06月08日

海と、天地の生き物を汚染するマイクロ・プラスチック 十三

 次いで、同年1018日付「大量廃棄物「発泡スチロールトレー」の実態」の元原稿は以下のとおり。


 微細粒子となって海を汚染するプラスチックなどの容器は、「容器リサイクル法」によって、リサイクルが事業者に義務付けられている。(自治体が分別回収してリサイクルする場合、企業がリサイクル費用を負担する仕組み。ただし、例えば東京都23区の中の多数の区のように、プラスチックを分別せず燃やすゴミと一緒に出して焼却炉で燃やしてしまう自治体もある。これは分別すると費用がかかるので燃やしてしまっているわけだが、容器リサイクル法は、リサイクルをするのが望ましい、とは謳っているが、リサイクルを義務付けていない。なので、プラスチックなどを燃やすことが可能になっている。東京都のやっていることは一種の「抜け道」である)

 容器リサイクル法でリサイクルすることになっているのは、プラスチック、紙、スチール缶、アルミ缶、瓶など。

 あまり知られていないが、この容器リサイクル法には、1年間に50トン以上を出す小売業者を「容器包装多量利用事業者」にカテゴライズして、所管省庁に「定期報告」することが義務付けられている。報告事項は、容器包装を用いた量(プラスチックの量、そのうちプラスチック製の袋の量、紙の量、そのうち段ボールの量、その他の量、合計、対前年比率)、容器包装の使用量を減らすために実施した取組みなど。

  容器包装 について 資料.pdf


 この「容器包装多量利用事業者」の「定期報告」を提出しなかったり、虚偽の報告をした場合や、主務大臣から立入検査を求められたときに、これを拒んだり妨げたりした場合は、「罰則」として20万円以下の罰金が科せられる。また、容器包装廃棄物の排出抑制の促進の状況が、著しく不十分であると認められる場合、「勧告」、「公表」、「命令」を経て「罰則」として50万円以下の罰金が科せらる。

 このように重い義務が課せられるのは、リサイクル制度を構築していく上で、「多量利用事業者」の責任は、量が多い分、大きいためである。

 それにしても、「多量利用事業者」には一体どういう業者が名を連ねているのか?それを知るため、筆者は「容器包装多量利用事業者」が「使った容器包装廃棄物の量」が記載された文書を、各省庁に情報公開請求をした。

 所管は、「飲食料品小売業」(各種食料品店、肉屋、魚屋、洋菓子小売業、パン小売業、そう菜屋等、酒類除く)が農水省。「酒小売業」「たばこ・喫煙具専門小売業」が財務省。「医薬品小売業」(調剤薬局等)が厚労省。その他のスポーツ用品、娯楽用品、楽器、書籍・文房具、自動車部品、化粧品、衣服、家具、機械器具(電気機械器具小売業)等等は、経産省となる。

 各省に開示請求したところ、財務、厚労省は文書不存在という返事がきた。つまり、酒やたばこ、薬局などの小売業には、プラスチック等を50トン以上も使う会社はなかったというわけ。他方、農水省は開示された。(経産省は文書はあり現在手続き中)

 その後、文書が自宅に届き、筆者は興味深く開いた。だが、肝心の「事業者名」が黒塗りになっており、ガッカリした。

   

 食品リサイクル法に基づく定期報告におけるシステム集計データ@.pdf


  食品リサイクル法に基づく定期報告におけるシステム集計データA.pdf


   容器包装多量利用事業者整理台帳.pdf



 「黒塗りの理由」を農水省の食料産業局バイオマス循環資源課ワタナベ氏に聞いたところ、「本来、事業者名を公表することを前提にした数字ではない。公表することにより、事業者にとって不利益をもたらす可能性があるので、不開示にした」という。なんとも業者寄りの言い分だが、こうして企業名を伏せると、消費者の意識が低くなり、結局、リサイクルが進まなくなる、という弊害が出るは想像に難くない。

 このようにアンコのないアンパンのような状態ではあるが、開示文書から何かしら、わかることはある。

 まず、飲食料品小売業の多量利用事業者数は、470社だった。そのうち、上位10社の容器包装廃棄物の量は、102,865トンから111,806トンのレンジ。

1位の内訳はプラスチック4,671トン(そのうちレジ袋はゼロ)。紙製容器包装2,664トン。その他4,470トン。2位は合計7,138トン。そのうちプラスチックは6,987トン(うちレジ袋2,927トン)。3位は合計5,510トン。うち紙が4,794トンを占める。

 このように1位と3位はプラスチック以外も多いが、4位は合計5,126トン。うちプラスック4,531トン(レジ袋なし)。5位合計4,245トン。うちプラスチック4,196トン(うちレジ袋1,543トン)など、4位以下は7社中6社が、大半をプラスチックが占めている。

11位以下をみても、その多くはプラスチックの割合が大きい。

 それにしても企業名は言えないにしても、一体どういう店なるのか?その点を同課のハセベ氏に質問したところ、大規模なスーパーやコンビニが多いという。同氏は例として、イトーヨーカドーを挙げた。なるほど、そうした全国チェーンの方が店舗数が多いので必然的に数値が高くなるというわけだ。

 では、プラスチックとあるが、そのうちレジ袋以外とは、例えばどういうものがあるのか?その点を同氏に聞くと、例として「発泡スチロールの容器トレー」を挙げていた。たしかに、私ごとではあるが、筆者の家に当てはめても、プラスチックゴミで最も多いのは魚や肉、惣菜、おかず類などに使うスーパーの容器トレーである。

 プラスチックゴミのうちレジ袋は、有料化することで削減しているスーパーは多くなってきたが、容器トレーは野放し状態でリサイクルの盲点といっていい。

 上記のことが開示文書からわかった。

 ちなみに、国際環境NGOF o E J a p a n」が132月に作成した「より少ない資源でより豊かなくらしを 発生抑制のしくみづくりに向けた提言(最終案)」には、「容器包装多量利用事業者」について、こう書いてある。

 「現行容器包装リサイクル法では、『容器包装全体』で50トン以上使用する事業者が対象のため、トレーなどを含めて多量に利用するスーパーマーケットなどが対象となりやすい」

 そして、「トレーなし販売の推進」をこう提言している。

 「1)ノントレー包装」

 「・すでに一部のスーパーでは、精肉をポリ袋に入れた状態、または真空パックにして販売している。ポリ袋の場合は約85%、真空パックの場合は約40%の資源使用量を削減することができる(中略)。現在ノントレー販売されているのは、扱いやすい一部の商品のみであるが、消費者も『見た目』以上に『ごみにならないもの』を選ぶように変わってきた。真空パックの場合は、消費期限が長いというメリットもある」

 「・店内の加工場に自動計量・包装を行うノントレー包装用の機械を導入するなどして、さらに多くの商品をトレーなしで販売することが期待される。国の見える化のデータも売り場でわかりやすく掲示するなどさらに活用されることが望ましい」

 「2)裸売り、ばら売り、量り売り」

 「・スーパーマーケットによっては、野菜や果物だけでなく、魚売り場においてもサンマや塩鮭など一部の商品、惣菜売り場の揚げ物等において、顧客が必要な数・量だけ取ってポリ袋に入れる方式で販売されている。

 「・欧米のスーパーマーケットでは、野菜やシリアルなどを顧客が自分で計量してシールを貼る方式が定着している」

 「・今後、このような販売方法の導入の拡大が望まれる」

 これらを実現すれば、プラスチックゴミは劇的に減らせる。だが、全然普及していないのが現実である。

 ちなみに、米国では、サンフランシスコ、シアトル、ポートランドなどで、発泡スチロールトレーの禁止が立法化されている。ただし、ニューヨークでは、つい先日、発泡スチロール業者の猛烈な反対ロビー活動により、立法化目前で撤回されたばかり。

 このように、業界の反発は必至だが、国もしくは自治体レベルで、発泡スチロールトレーの禁止をすれば、上記の「トレーなし販売」が一気に実現することができる。逆にいうと、法律で禁止しなければ、発泡スチロールトレーは、いつまでたってもなくならないのではないか?(佐々木奎一)

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2017年03月13日

加速する高齢社会の労働風景の青写真


 平成二十九年二月二十七月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「加速する高齢社会の労働風景の青写真」


 を企画、取材、執筆しました。



20日付のジャパンタイムズ電子版(ブルームバーグ配信)に、公園で半袖シャツの老人の女性が、左右それぞれの手にダンベルを持ち、それを肩まで持ち上げながら、なにやら体操をしている写真のアップ付きで、「日本の『高齢者』を再定義すれば、労働力人口の減少問題は解消しそうだ」という見出しの記事を載せている。これは、日本老年学会・日本老年医学会の高齢者に関する定義検討ワーキングループの先月の提言に基づいた記事である。

 同グループ座長は、甲斐一郎(東京大学名誉教授、日本老年学会理事長)と大内尉義(国家公務員共済組合連会虎の門病院院長、両学会前理事長)。この提言は、後述のように国策に沿っているわけだが、座長の肩書からもそれが見て取れる。

 同提言には、こう書いてある。「わが国を含む多くの国で、高齢者は暦年齢65歳以上と定義されています。しかし、この定義には医学的・生物学的に明確な根拠はありません。わが国においては、近年、個人差はあるものの、この高齢者の定義が現状に合わない状況が生じています。高齢者・特に前期高齢者の人々は、まだまだ若く活動的な人が多く、高齢者扱いをすることに対する躊躇、されることに対する違和感は多くの人が感じるところです」

 このようなことからワーキンググループを立ち上げ、「検討した結果、現在の高齢者においては1020年前と比較して加齢に伴う身体的機能変化の出現が510年遅延しており、『若返り』現象がみられています。従来、高齢者とされてきた65歳以上の人でも、特に6574歳の前期高齢者においては、心身の健康が保たれており、活発な社会活動が可能な人が大多数を占めています(中略)これらを踏まえ(中略)65歳以上の人を以下のように区分することを提言したい」として、こうある。

 「6474歳 准高齢者 准高齢期(pre-old)

 「7589歳 高齢者 高齢期(old)」

 「90歳〜 超高齢者 超高齢期(oldest-old super-old)」

 同記事で、座長の大内氏は、こう述べている。この再定義により、「労働力人口を1,000万人以上押し上げます。よりよい栄養摂取、ヘルスケア、公衆衛生により、こんにちの高齢市民は、過去の世代よりも断然健康です。その人たちをリタイア扱いするのは社会的損失です。健康で精力的な65歳以上の人はたくさんいます(大内氏自身、アクティブな68歳)。そうした人たちは、報酬を得るにせよ、得ないにせよ、働くことで社会に貢献したい、と心から思っています」「人々がもっと長く働くことで、急騰する医療費を抑えることもできます」と、このようにあった。

 ちなみに、「平成28年版厚生労働白書−人口高齢化を乗り越える社会モデルを考える」によると、日本の平均寿命は、2015年時点で男性80.79年、女性87.05年と世界トップクラスで、国立社会保障・人口問題研究所の日本の将来推計人口(平成241月推計)によれば、今後もさらに延びることが予測されている。

 高齢化率(65歳以上人口割合)は、201526.7%から、将来(出生中位・死亡中位推計)においても、202029.1%、204036.1%、206039.9%と、2060年まで一貫して上昇していくことが見込まれている。

2015年の就業者数(就業率、小数点第1位は四捨五入以下同)は、6064534万人(62%)、6569399万人(42%)、70歳以上330万人(14%)と、70歳以上の大半は働いていない。

 だが、政府の調査によれば、「あなた自身について、何歳から高齢者になると思いますか」との問いに対し、6569歳では、50%が「70歳以上」、19%が「75歳以上」、4%が「80歳以上」と回答。つまり、7割以上は、6569歳になっても、自分はまだ高齢者ではないと思っている。

 そして、7074歳では、「75歳以上」31.2%、「80歳以上」9%と、4割がまだまだ自分は高齢者ではない、と考えている。

 また、60歳以上の男女を対象に、「何歳まで働きたいか」と質問したところ、「70歳まで」24%、「75歳ぐらいまで」10%、「76歳以上」3%、「働けるうちはいつでも」30%と、実に64%が65歳以降も働きたいと思っており、そのうち43%は70歳を過ぎても働く気満々で、そのうち3割は、一生働き続けたいという。

 要するに、この白書の言わんとしていることは、冒頭の、高齢者の再定義の趣旨と符合する。

 つまり、今後、企業の定年退職の年齢は70歳が標準となり、定年後75歳までが再雇用で、75歳以上の求人も多々ある、そんな世の中になっていく、という青写真を役人たちは描いている。

 なお、前出の元気な高齢者である大内氏は、年金支給年齢が上がることについては、そういうことは考えていないという趣旨のことを言い、かたくなに否定していた。

 実際、年金支給を70歳からとか75歳からにするなどと政府が言ったら、暴動が起きるかもしれない。

 ただし、現在年金受給者が働いている間は厚生年金の支給調整があるが、その調整幅を増やして、働いて収入を得ている間は年金がより入らない仕組みにしてくるかもしれない。役人たちは。(佐々木奎一)

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2017年03月12日

海と、天地の生き物を汚染するマイクロ・プラスチック 十二

 次いで、同年920日付の「役所がコッソリと持って行くプラゴミの行方」の元原稿は以下のとおり。


823日付の当コーナーでお伝えしたように、横浜市の家庭から収集されるプラスチックゴミ(プラゴミ)の行方を知るため、市内で最も高度な性能を持つ金沢工場の現場へ行った。ところが、同工場で働く説明役の市職員によると、同工場ではプラスチックは扱っておらず、隣の「選別センター」という施設でプラゴミを選別して、民間のリサイクル施設へ持って行っているという。

 そこで筆者は、日を改め、選別センターへ見学の申し込みをして、現場を見て来た。すると、そこで働く男性職員(横浜市の下請け機関「公益財団法人 横浜市資源循環公社」の職員)が、10人程座れるスペースの部屋に筆者を案内し、ゴミの仕分けの仕方や、選別センターで缶・瓶・ペットボトルを仕分けしていることなどを懇々と説明した。

  

懇々とゴミ分別方法の説明を受けた。選別センターにて.jpg


 ところが、いつまでたってもプラスチックの話が出ないので、プラゴミがどうなっているのか、聞いてみた。すると、驚いたことに、その職員は、「プラゴミの収集車はここには来ません。直接、リサイクル施設へ行っています。詳しいことはこちらではわかりかねますので、横浜市に聞いてください」と言った。

 現場で働いている金沢工場と選別センターの職員でさえ、プラゴミがどうなっているのか、ちゃんと把握していないのだ。

 そこで筆者は、横浜市資源局の分別・リサイクル推進担当に電話して、「家庭で分別収集したプラゴミはどこに行っているのか、詳しく知りたい」と尋ねた。すると、担当者は、こう即答した。

 「昨年度、収集してリサイクルに回した量は47,864トン。そのうち、489トン、こちらは横浜市が独自で業者に委託して資源化しています。その他の分は、日本容器包装リサイクル協会に引き渡しています。容器包装リサイクル法(容リ法)に基づき、同協会に引き渡したプラゴミは、プラスチック製品を産出しているメーカーなどの『事業者』がリサイクル費用を協会に支払う形で負担しています。ただし、容リ法に基づき、1%だけ、市町村負担として、489トンを横浜市がリサイクル費用を負担しているわけです」

 この担当者が言うには、プラゴミのリサイクル方法は、コークスやプラスチックを化学分解するガス化などがあるという。リサイクルをしている業者名はを問うと、「今年度は、横浜市の分は、千葉県にあるジャパンリサイクルに委託しています。協会分は、協会の入札により川崎市にある昭和電工とJFEプラリソース、それと千葉県にある新日本製鉄住金君津、ジャパンリサイクルの4社が行っています」という。

 そこで筆者は、「他の自治体では、プラゴミを焼却炉で燃やしているところもあるが、横浜市がリサイクル業者を使っているのはなぜか」と聞いた。

 するとこの担当者は、「他の自治体では、分別するのに費用がかかるので、燃やしている場合があります。横浜市は、容リ法と、資源の有効活用ができる、ということで、資源化しています。ただし、それにより費用はかかっています。ざっと、昨年度で収集運搬と中間処理合わせて28億円かかっています」という。

 このように現場の職員とは対照的に、横浜市役所に詰めている担当課の職員はスラスラと説明した。それにしても28億円というと、横浜市の子供からお年寄りまで全て含めて一人当たり年間753円、10年間で7530円の負担になる。

 プラゴミだけでこれだけのお金がかかるというのは、決して小さな数字ではないとは思うが、財源をけちってプラゴミを燃やすよりは環境に配慮しており、誇るべきことではないか。リサイクルをしっかりできていれば、という留保付きではあるが。

 そこで、横浜市が委託しているジャパンリサイクルへ行ってみることにした。

 住所を調べたところ最寄り駅は、千葉市内の蘇我駅である。そこから徒歩15分程の距離に同社はある。事前にアポイントを取ったところ、同社の柏倉氏は、「蘇我駅の改札を出て、右に曲がってタクシーに乗ってください。運転手は会社名を言えば必ずわかります。改札を出て左には絶対に行かないでください。左手のタクシーはうちの社名わかりませんから。工場敷地内は広いので、歩いては来ないでください」という。

 こうして98日昼過ぎ、蘇我駅に着き、タクシーに乗った。「ジャパンリサイクルお願いします」というと、運転手は「わかりました」といい、車を走らせた。しばらく行くと、「JFEスチール 東日本製鉄所」という銘板のゲートをくぐった。ジャパンリサイクルとは、JFEスチールの100%子会社なのである。

 その敷地内は異様に広く、信号機や線路もあり、工場が並び、錆びてボロボロの外装のパイプラインが碁盤の目のように敷地のあちこちで伸びている。

  

工場敷地内のあちこちを走るパイプライン.jpg


 後で知ったが、敷地総面積はなんと765.9万平方メートル、東京ドーム164個分もある。少し前までは隣接するサッカーチーム・ジェフユナイテッド市原のホームスタジアム「フクダ電子アリーナ」の一帯も製鉄所の敷地内だったというから膨大な広さである。

 敷地を実に10分近く走り、茶色の外壁の屋根にデカデカと「JFEスチール」のロゴが掲げられた建物の前で、タクシーは止まった。よく見ると、玄関に小さな字で「ジャパンリサイクル株式会社 千葉リサイクルセンター」と書いてあった。中に入り、同社の柏倉氏に話を聞いた。


ジャパンリサイクル.jpg


 柏倉氏によると、同社では、横浜市のプラゴミを年間約1千トン処理しており、他にも、千葉県の松戸市や柏市、東京都の三鷹市、葛飾区などの自治体のゴミも処理しているが、それらは全体の年間7万トンの処理量からみると微々たるもので、メインは木くずなどの産業廃棄物だという。

 同社の特徴は、プラスチックや産廃からガスを取り出して、そのガスを製鉄所に送って発電に使っている点だという。それは「サーモセレクト方式ガス化溶融炉」といって全国に7つしかない。


リサイクル施設.jpg


 これは酸素を吹きかけ2千度の発熱で分解してガス化させる。プラスチックが入ることで、これほどの高温となる。溶けた金属やがれきは、下に落ちてメタルやスラグとなって回収される。他方、ガスは上昇し、再び酸素を吹き込み1200度まで下げて2秒以上保持させることでダイオキシンを分解。その後、一気に70度に急速冷却することで、クリーンな燃焼ガスと硫黄等を精製する。このリサイクル施設では、二酸化炭素を一切出さない。ただし、精製した燃料ガスは、敷地を通るパイプラインを通って敷地内にあるズンドウ型の巨大タンクに貯蔵され、燃やして発電の燃料に使われる。


発電用の燃料タンク.jpg


 この発電するとき、二酸化炭素が大気に放出させる。

 要するに、横浜市のプラゴミが何の役に立っているかというと、仮にリサイクル時にプラゴミを使わないと、プラスチックの代りに重油を使わなければならない。この重油の分が、リサイクルにより浮く。

 話をきいた後、リサイクル施設を回ってみた。施設の周りには、産廃のトラックが並び、その横に、四角い塊が並んでいる。これは、「ベール」と呼ばれる。ベールとは、横浜市などで家庭のプラゴミを収集した後、専門業者が選別してプレスして1メートル立方メートルに圧縮したもの。つまり、ベールの状態でここに持ち込まれる。そのベールを、解体して、木くずなどの産業廃棄物とともに、前出のように酸素を吹き込んでいく。

  

ベール.jpg


 なお、「この辺りは撮らないで下さい」と柏倉氏の言った地点には、小さめのタンクロータリーがあった。「これは醤油なんです」という。なんでも、タンクには醤油会社の不良品の醤油が入っているそうで、醤油は塩が入っているので燃やすと焼却施設に物質がついたりで厄介な代物だが、ここの施設なら、プラスチックで高温になり過ぎるときに、醤油でカロリー調整して温度を下げるために便利なのだという。

こうして見学を終えた。プラゴミをただ焼却施設で燃やしてしまうより、ここでリサイクルする方が、環境に役立っていることは明らかであろう。

 今、プラスチックなよる海洋汚染が世界的関心事になっている。(例えば、ニューヨークタイムズで1か月間に何度もクロズアップされたりしている)。そうした中、横浜市の取組みは誇っていい実績といえよう。日々プラゴミを分別している市民に対し、プラゴミの行方をちゃんと報告すべきである。(佐々木奎一)

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2017年01月28日

海と、天地の生き物を汚染するマイクロ・プラスチック 十一

 次いで同年96日付の「マイクロ・プラスチックの主因・ペットボトル対策の実情」の元原稿は以下のとおり。

71226日付の当コーナーで海を漂う微細なプラスチックゴミ「マイクロ・プラスチック」の実態を報じた。その道の世界第一線で研究を続ける東京農工大学の高田秀重教授によると、マイクロ・プラスックの問題を解決するためには、ペットボトル対策が最重要で、具体的には、「水筒を持ち歩くことが大切。例えば有料で給水できるものをコンビニなどに置けばよい。そういう流通、消費の仕組みをつくっていくべきだと思う。 給水機も色々な場所にあります。それに水を入れておくのもよい」と語っていた。

そこで、この国のペットボトル対策の実情を調査した。調査対象のエリアは、筆者の住む横浜市栄区周辺とした。栄区は、人口と少なさ、面積の小ささ、高齢化率の高さは横浜18区の中でも屈指で、名前とは裏腹に、栄えていない区として名を馳せている。つまり、この栄区で行われていれば、他区でも同等かそれ以上の施策は打たれていると見ていい。

 横浜市のペットボトル対策は、「マイボトル・マイカップ」運動と呼ばれる。これは出かける時、マイボトル(水筒)やマイカップを使うことで、ペットボトルを減らすというもの。マイボトル・マイカップ運動は、九都県市(埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、横浜市、川崎市、千葉市、さいたま市、相模原市)でも行われており、共同でマイボトル宣言を出している。

 横浜市では「国民1人あたりに平均すると、1年間に約180本(500mlボトル換算)も使っているというペットボトル。マイボトルを持つことで、ペットボトルなどの使い捨てを減らしていきませんか? マイボトルスポットでは、いれたてのコーヒーやお茶などを、持参したマイボトルに入れて販売したり、お水などを無料で提供しています。街中で飲み物を買う感覚で、空になったマイボトルにおいしい飲み物を入れてもらえるようになると、マイボトルを使うのがもっと楽しくなりますね。横浜にも、そんなスポットが増えています。おでかけのときには、ぜひバッグにマイボトルを」(同市HPより)として、「マイボトルスポット」を設けている。

 周知の通り、職場や、営業などの外回り、遊びなどで出かける、といった場合、水筒に飲み物を入れて持って行っても、500ml程度の容量では、すぐに飲み干してしまうものだ。かといって、あんまり大きな水筒に入れると、重過ぎて苦痛になる。なので、マイボトル運動を成功させるには、マイボトルスポットの充実が鍵を握るといっても過言ではない。

 横浜市HPでは、マイボトルスポットを地図で示している。そこで栄区周辺を調べたところ、その数は一見して少ない。区役所周辺の公共施設に、3つ集中しているが、区内の中心となるJR本郷台駅前にはマイボトルスポットは絶無だった。ほかには同駅から約2km先の、ローソンやスーパーなどに同スポットがある。

 これらの実態を知るため、現地へ向かった。

 まず、本郷台駅から約1kmの栄スポーツセンターへ行くと、玄関前に「マイボトル使えます!」というのぼりが立っていた。

 中に入り、受付の30代位の女性に「マイボトルを入れる場所はどこですか?」と聞くと、「あちらのトイレの手前の右にあります」というので、行ってみたが、筆者は発見することができなかった。再度、戻って聞くと、20mほど先導されて「これです」という。それは、ボタンを押すと噴水し、そこに口を近づけて飲む機器だった。筆者は、これはその場で飲むためのもので、容器に入れるものではない、という先入観があったため、気付かなかったのだった。平日昼間だったため、スポーツセンター内には、たくさんの高齢者が来ていたが、誰もこの給水機に水を入れていなかった。

 次に、そこから数十メートル先にある、栄区役所へ行った。本館1階受付の50代位の女性に、「マイボトルを入れる場所はどこですか?」と聞くと、聞き返してきたので、「水筒に飲み物を入れる場所のことです」と説明すると、「レイスイトウですか?それなら、新館1階のトイレの手前にありますけれども」という。新館はすぐ隣の建物。行ってみると、人の気配のまったくないガランとした場所に、ポツンと給水機があったが、トイレの出入り口にあるのでトイレ臭もした。自治体としてやる気があまりないように見受けられる。

 さらに、そこから150メートルほど行くと、本郷地区センターという公民館がある。そこの2階に、高齢男性数人がソファに座り、テーブルに碁を置いて対極している場所があった。給水機は、その付近にあった。トイレから離れている点がややましだが、やはり口を近づけて飲むタイプなので、水筒に入れている人がどれだけいるか疑わしい。

 次に、そこから原付で約3km走り、栄区の隣の戸塚区内にある大型スーパーマーケット「サミットストア下倉田店」へ行った。1階のレジの20代位の女性に、「水筒に飲み物を入れる場所はどこですか?」と聞くと、キョトンした後、思い出したように、「ああ!それでしたら、あちらのベーカリーのところにあります!」という。

 行ってみると、パンを販売している横にイスとテーブルが並び、飲み物を入れる機材が置いてある。その機材には「無料サービス(ご自由にご利用下さい) 電子レンジ 給茶・冷水」とあり、「冷水」「お湯」「お茶」のボタンの上には、「マイボトル使えます!YOKOHAMA」という青色の円形シールがペタンと貼ってある。イスも、無料で自由に使って下さい、と書いてあり、子ども連れ2組が団らんしていた。小奇麗で何から何まで行き届いており、前の3つの栄区の公共施設では、飲む気にはなれなかったのだが、このサミットでは、自然に持っていたマイボトルに手が伸び、冷水を入れてみる気になった。美味かった。

 次に、そこから約1km先にあるローソン戸塚下倉田町へ行った。一体どこに給水機があるというのか。20代位の店員の女性に聞くと、マチカフェというドリップしたコーヒーなどの飲み物が、水筒持参だと10円安くなるのだという。一方、飲み物コーナーには、例によってペットボトル飲料がズラリと並んでいる。

 そもそもマチカフェのコーヒーは、もともとペットボトルで販売しているわけではないので、「これでマイボトルスポットといえるのか?」と違和感をおぼえた。

 一応、90円を支払いアイスコーヒーをマイボトルに入てもらったが、サミットの冷水の方が美味かった。

 おそらくローソンは、サミットのようにすると、ペットボトル飲料の売り上げがガタ落ちするので、そうしないのだろう。だが、環境に配慮しペットボトルに見切りをつけるところに、商機はあるのではないか。

 次に、そこから約1km先の大型スーパーマーケット「アピタ戸塚店」へ行った。1階で台車を押している60代位の男性店員に、「水筒に飲料を入れる場所はどこですか?」と聞いたところ、「あちらです」という。行ってみると、有料のナチュラル純水の給水機器の横に、無料の給水機が置いてある。その機器には大きな貼り紙で「是非『マイボトル』で、ご自由にご利用ください!」とある。それを読んでいたところ、40代位の女性従業員が並んだので、場所を譲ると、水筒に水を入れていた。ここのマイボトルスポットは人々に親しまれているようだ。

 なお、横浜市全体のマイボトルスポットを見てみると、栄区周辺同様、やはり自治体やローソン、コーヒーショップ、大型スーパーが多い。これまで見て来たように、ローソンや、コーヒーショップは、もともとペットボトルで販売しているわけではないので、マイクロプラスチックを減らす効果は乏しい。

 それに比べ、大型スーパーのマイボトルスポットは、断然、使い勝手がよく、市民に利用されているが、惜しいことには、数が少ないので、距離的に利用できない人も多いに違いない。

 ペットボトルを削減していくためには、自治体が、サミットやアピタなどの大型スーパーをもっと見習って、設備を充実させていく必要がある。同時に、市民の側も、自治体の給水機の存在をもっと知って、マイボトル用に使っていく姿勢も必要といえよう。(佐々木奎一)



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2016年12月30日

海と、天地の生き物を汚染するマイクロ・プラスチック 十

 次いで同年823日付の「高度焼却炉の現場に見るプラゴミの行方」の元原稿は以下のとおり。


726日付の当コーナーで、マイクロプラスチックを減らすために一市民にできること、を紹介した。そのなかで、プラスチックを燃やしても有害物質が出ないとされる高度な焼却炉があるが問題も多い、という話をした。

 高度な焼却炉とは、一旦どんなものなのか?それを知るため、横浜市の焼却場へ行ってきた。

 そもそも横浜市の家庭ごみは、燃やすゴミ(台所のゴミ等)、プラスチック製容器包装(以下、プラゴミ)、燃えないゴミ(ガラス、蛍光灯など)、缶・瓶・ペットボトル、古紙、粗大ゴミなどに分別して出すことになっている。

 これらのゴミは、市内に4つある焼却工場に持って行くことになっている。横浜市HPによると、各工場に事前に申し込めば見学できる、と書いてある。そこで、同市で最も最新鋭で年間1万人以上が見学にやってくるという「金沢工場」へ820日の午後に行ってきた。(写真は金沢工場)


金沢工場.jpg

 ゴミ処理を担当する同市資源循環局の男性一人が、案内役となった。見学者は筆者一人だけだった。まず、100人ほど座れるスペースの会議室に案内され、そこでスクリーン画像を見ながら、30分ほど解説を聞いた。その後、約1時間、工場内を見学した。(写真は焼却炉に運ばれるゴミ)


焼却炉に運ばれるゴミ.jpg

 この職員によると、横浜市の一般家庭から出る1年間のゴミの量は約90万トン。そのうち燃やすゴミは60万トン。家庭から出されたゴミは、市内に830台ある収集車で集めて各工場へ運ぶ。

 そのうち金沢工場は、同市の金沢区、港南区、栄区、磯子区、戸塚区、泉区、瀬田区を中心としたゴミが運ばれてくる。

 金沢工場は、2001年稼働。総工費は約626億円。ここには850950度で燃やすことのできる高度な焼却炉が3基あり、ここで1400トンのゴミを燃やしている。

850度以上の高温で焼やすことによりダイオキシンの発生を抑え、また、消石灰により、大気汚染物質の、塩化水素や硫黄酸化物を中和除去し、活性炭により水銀やダイオキシン類を吸着除去しているという。

 また、アンモニア水気化ガスを吹き込み、脱硝触媒することにより、大気汚染の窒素酸化物を分解除去する。こうして大気汚染はなくなる仕組みなのだという。

 ただし、焼却炉を止めた時に400600度に下がることがある。そうなるとダイオキシンが発生するため、作業員は、原発作業と酷似した防毒マスクと作業服を着こむことになっている。(写真はその作業服)


ダイオキシン対策の防毒マスクと作業着.jpg

 こうして燃やしたゴミは、メタル、スラグ、溶融灰(カバーリング)に分類される。メタルとは、金などを含むレアメタルで価値があるため、「年間400トン近く売っている」という。スラグとは、アルファルトなどの材料として使われる。溶融灰は使い道がなく、埋め立てられる。(写真はメタル。焼却すると3層に分かれる)


メタル.jpg


焼却すると3層に分かれる.jpg

 また、焼却炉を動かすにより発電を行っており、年間15億円分、電力会社に売電したりしている。

 なお、この職員に対し、「これまで故障などで焼却炉が動かなくなったことはありますか?」と聞いたところ、「故障はたまにあります。一度、水管が破裂して二週間止まったこともありました。だ、ポンプ類などは、故障しても交換できるよう、予備を置いて対応しています」という。

 なお、職員によると、家庭の燃やすゴミで一番多いのは、生ゴミ36.5%で、プラスチックは5.1%という。この数字をみて、プラスチックはそんなに少ないだろうか、と疑問を持ったが、それには次の理由があったのだった。

 横浜市内で収集したゴミは、工場内で、燃やすゴミと、資源ゴミに選別する。「資源ゴミ」とは、燃やすゴミ以外で分別したゴミ。つまり、プラゴミや瓶・缶・ペットボトルなどなど。

 そして、横浜市では、資源ゴミは原則、工場で燃やしていない。工場でプラスチックを燃やしている分は、燃やすゴミを入れるためのビニール袋など、ごくわずかという。それが上記の5.1%分というわけ。

 では、プラスチック類はどうしているのか? 「それを一番見たいんです」と筆者は言うと、その職員は、「選別センターは隣にありますが、それは改めて選別センターに電話して見学を申し込んでください」という。

 そもそも、横浜市のHPには、選別センターの見学の案内はなかった。工場の解説でも、燃やすゴミが増えると温暖化になる、中でも最も多い生ゴミを減らすために、食品廃棄ロスを減らしましょう、と呼びかけていたが、プラスチックの話は絶無だった。どうもプラスチックに対する問題意識は低いようである。(写真は選別工場)


選別センター.jpg

 「資源ゴミのプラゴミは、どうしているのですか?」と聞くと、「民間のJFEスチールなどの製鉄会社に持って行き、そこでコークスの補助燃料に使っています。売っているのか、無料で渡しているのかは、わかりません」という。

 その後、工場内に、プラゴミがどう処理されているのかを示すパネルがあった。そこには、「プラスチック製容器は、リサイクル業者によってガス化されます この合成ガスはアンモニアの製造に使われます→代表的な用途は工場の排ガス処理の薬品として また [キンカン]などの製品や繊維原料に生まれ変わります」と書いてある。製鉄会社に持って行っているという話は、パネルには一切書いていなかった。

 なお、横浜市の資源局が作成している資料がネットにひっそりとアップされている。その中に、家庭のプラゴミは年間48千トン排出されている、との記載があった。これらは民間中間処理施設で異物除去・梱包した後、国指定のリサイクル邦人に引き渡す。それらは「プラスチック製品の原材料、ガス化、コークス炉化学原料化、高炉還元剤など」に利用されている、と書いてあった。このような細かい記載を読んでいる市民はほとんどいないはずであり、到底、市民には伝わらない。横浜市は、市民に分別させておきながら、その後どうなっているのか全く説明責任を果たしていない。

 なお、ペットボトルの方は、リサイクル事業者の工場に運ばれ、細かく砕かれてペットボトルの原料になったり、衣料品や文房具、たまごパック等にリサイクルされているとのことだったが、ペットボトルは海を最も汚している物体であるが、それを減らす啓発もしておらず、リサイクル現場の見学すらしていない。

 日本の三大都市である横浜市にして、プラスチックのゴミの行方が全く市民に知らされていないのが実情だ。(佐々木奎一)

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2016年12月14日

海と、天地の生き物を汚染するマイクロ・プラスチック 九

 次いで同年712日付の「マイクロプラスチックを減らすため一市民にできること」の元原稿は以下のとおり。


712日付の当コーナーで紹介した海を汚染する「マイクロプラスチック」。この問題を解決していくにはどうすればよいか――。引き続き東京農工大学の高田秀重教授(56歳)に取材した。

 「まず、一番はポイ捨てをやめることです」と高田氏は指摘する。ポイ捨てされたプラスチックゴミは、雨などによって水路に入り、やがて海に流れてしまう。

 また、ペットボトル対策は最重要といえる。ペットボトルのリサイクル率は87%と、色々なプラスチック製品のなかで一番リサイクル率は高い。これ以上は率が上がらないとも言われている。

 だが、実はペットボトルは海でみつかるプラスチックのゴミで一番多い。リサイクルされていない残りの13%の一部が海に出ていくのだ。

 「例えば、河川清掃するNGOが荒川で一年間に集めたペットボトルは3万本。日本全国、世界全体でみれば、何百万本という量になります」(高田氏)

 しかも、ペットボトルのリサイクルは経済的にペイされていないという。

 「ペットボトルをリサイクルしてできたものを売っても、その途中でかかる費用は賄えません。なので独立した事業としては成り立ちませんが、自治体がリサイクルを補助しているので、それでやっと事業として回っています。

 要するに、ペットボトルを使えば使うほど、僕らの税金が使われていくわけです。

 ペットボトルをリサイクルしているというのは、幻想に過ぎないわけです」(高田氏)

 では、ペットボトルを減らすには、どうすればよいか。

 「水筒を持ち歩くことが大切。例えば有料で給水できるものをコンビニなどに置けばよい。そういう流通、消費の仕組みをつくっていくべきだと思う。

 給水機も色々な場所にあります。それに水を入れておくのもよい。この間、環境省に行ったとき、環境省の建物のなかに給水機があったので水筒に水を入れて飲んでいたんですけど、環境省の職員の方は、逆にペットボトル買っていましたが(苦笑)」(高田氏)

 環境省の会議の席でもペットボトルが出てきたので、高田氏は役人たちをたしなめたともいう。

 スーパーやコンビニなどでレジ袋を使なわいことも大切。

 「ペットボトル、レジ袋は減らしていけます。この二つを減らすだけでもプラスチックゴミは今の半分ほど減ります」(高田氏)

 それにスクラブの洗顔剤や歯磨き粉に使われるマイクロビーズは、マイクロプラスチックの中のごく一部ではあるが、マイクロビーズの場合、水道管から下水処理場を素通りして確実に海に入って行くという特性があるので、「化粧品などにマイクロビーズを配合するのは止めた方がいい」と高田氏はいう。

 ただ、化粧メーカーはなかなか日本でマイクロビーズ入りの販売を止めないのが実情。だから消費者が買い控える必要がある。

 また、「3R」(Reduce(リデュース)、Reuse(リユース)、Recycle(リサイクル))という言葉がある。リデュースは「ごみそのものを減らす」、リユースは「何回も繰り返し使う」、リサイクルは「分別して再び資源として利用する」。

 「3Rの促進が大事です。それによって海に入って行くプラスチックの量を減らすことができます。ただ、3Rの促進といっても限界があります。そもそも使う量を減らさないと、大量に使って大量にリサイクルしても、大量な分、リサイクルされ残ったものも大量になり、海に出ていくことになります。まずは使う量を減らすのが大事です」(高田氏)

 また、「生分解性プラスチック」という、微生物により分解されるプラスチックもあるが、これについて高田氏はこう語る。

 「溶けて完全に水と二酸化炭素になるものであれば有効だと思います。ただ、今の使われ方は、生分解性のプラスチックと石油系のプラスチックを混ぜて素材をつくっています。例えば、コンビニのレジ袋にも生分解性のものはあります。この間、環境省の会議でコンビニの協会の方が出席し、生分解性のプラスチックの普及をしている担当の方がいらっしゃったのですが、やはり100%生分解性のものではなくて、石油系のものを混ぜているそうです。

 私は『逆に事態は悪くなる』という意見を申し上げました。中途半端に混ぜない方がいい。生分解性のプラスチックをつくるなら100%生分解性の製品にすればよい。

 そうしないと、生分解性のプラスチックだけ溶けて、石油系のプラスチックだけ残って、むしろ小さな破片は増えてしまい、通常のプラスチックよりも扱いにくくなります。

 破片になっていない段階の大きなゴミの形であれば、海岸での回収や浮いているものの回収は人手を出せばやれますが、細かく砕けて数ミリメートルになってしまうと回収できません。そういう意味では、今流通している生分解性のプラスチックは、マイクロプラスチックの生成が早まってよくありません」

 また、プラスチックのゴミを燃やす自治体も増えている。それについて、高田氏はこう語る。

 「プラスチックを使ってしまった以上、安全な処理の仕方、有害なものが出ない形で燃やしていくしかないと思います。プラスチックですから、最終的には燃やせば二酸化炭素と水にはなりますので。

 ただ、いくつか問題があって、一つは、塩と一緒の状態で燃やすとダイオキシンができやすくなります。もちろん、塩ビのように塩素を含むものを燃やせば、燃やす条件が悪ければダイオキシンが生成します。燃やす条件とは、温度が低い、酸素の供給が十分ではないなどです。

 それと、塩素を含まないプラスチックだけで燃やしたとしても、燃やす条件によっては、ダイオキシン以外の色々な発がん物質が生成します。

 そういうものが生成しないような今の技術を使った高度な焼却炉があり、色々な自治体で導入して燃やすようにしていますが、これは非常にコストがかかります。

 大体人口40万人の市のゴミを処理するための焼却炉をつくると、大体100億円かかります。焼却炉の寿命は30年ですから、これから少子高齢化して税収も減るなかで30年ごとに100億円、40万人で出し合えるかどうか、非常に疑問です。

 そもそも使う量を減らして、燃やす量を減らして長持ちさせていかなければいけない。あるいは、2箇所使っている焼却炉を一か所にするとかしていかないと、ずっと回っていきません。

 それと、今、高級な焼却炉をつくっても、事故や不具合で結構止まっているところが多いです。例えば、東京都調布市がそうですし、世田谷区も、この間、講演をやったときに聞いた話では、『世田谷区でも高級な焼却炉をつくったのですが、結構止まって動かないことが多くて困っています」という話を聞きました。

 それに、焼却炉をつくる用地がなくて、住民同士で対立している自治体もあります。例えば、小金井市には焼却炉がないので、小金井市のゴミは日野市に持って行こうとして対立が起こっています。

 燃やす選択肢は、最後の手段。やはり、なるべくゴミを減らしていく以外にありません。プラスチックの大量消費、大量焼却は、持続的な道ではありません」

 また、高田氏はこうも語った。

 「そもそもプラスチックは石油から作るもので、その石油は太古の昔に棲んでいた生物が死んで堆積して、数百万年から数千万年かけて石油になっています。プラスチックを燃やすというのは、石油を燃やしているのと同じです。

 日本では、プラスチックを燃やすことを『サーマルリサイクル』と呼んでいますが、諸外国ではそういう呼び方をしていません。リサイクルというのは、石油でできたプラスチックを燃やしてできた二酸化炭素が、またすぐに別なものに使われることをいいます。燃やすと、またすぐにプラスチックになればいいですが、実際はプラスチックになるまでには数百万年はかかるので、決してサイクルは成立しないわけです。どんどん二酸化炭素が大気中にたまって温暖化の原因になります。

 プラスチックを燃やすことはリサイクルではありません。廃棄物処理の会社のなかには、サーマルリサイクルと呼んで、どんどん進めようとしている会社もありますが、それは間違いなのです。

 また、プラスチックのゴミを埋め立てる方法もありますが、これは有害な化学物質が浸み出して高い濃度になります。シートを使えば防げますが、それをいつまでも続けられるのか疑問です。

 こうしたやり方は、数十年、数百年続くやり方では決してありません」

 また、高田氏は「知恵と技術を使えば、うまく回っていくと思います。少しずつそういう風潮はできてきていると思います。また、そうした環境に配慮した会社が評価されて売れていくようになっていくといよいと思います」とも語った。

 マイクロプラスチックは今後、20年で10倍になるという。そうすると、有害性が顕在化する事態になりかねない、と高田氏は警鐘する。そうなると人類はおろか地球の全ての生命に悪影響が及んでしまう。そうさせないために一人一人の消費者にできることは実に多い。(佐々木奎一)

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2016年12月10日

政教分離違反と池田大作党 六



 池田大作教の教団幹部に多い、池田一神教に脳髄まで染まった信者連は、「選挙」のたびに「法戦」と称している。その姿は、ISやアルカイダの「ジハード(聖戦)」と酷似していることは前述した。

 実際、ISは、「イスラム国」と称している。池田大作教は、「ソーカ王国」と称している。

 また、池田教は、「革命」という物騒極まりない思想も持っている。「革命」とは、「従来の被支配階級が支配階級から国家権力を奪い、社会組織を急激に変革すること」(広辞苑第六版)である。

 池田大作教は、平和革命とか人間革命などと、例によって詭弁を弄しているが、結局、革命というのは、この国を乗っ取り、ちがう国にしてしまおう、という、この上なく危険な犯罪的野望である。その実行部隊の一つが、池田党ことコーメートーである。

 この国を乗っ取る、という池田大作の危険思想は、オウムと酷似している。オウムの尊師・麻原彰晃は、拙速にテロによってこの国を乗っ取ろうとした。

 池田大作は、政治、行政、司法、芸能、経済などあらゆる分野に信者を張り巡らせ、教祖のために生きるよう信者を洗脳し、この国を乗っ取り牛耳ろうとした。

 池田大作の革命は、麻原彰晃よりも時間をかけ、この国に根深く侵食している。その一点で、麻原彰晃よりも巨悪である。

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2016年12月06日

タバコの“罪と罰” ニ

 不動産屋に電話をしたところ、担当者は今日は休みで明日出勤します、と言い、要件をうかがいしましょうか、というので、事情を説明した。すると、「どこの部屋の人が吸っているか、わかりますか?」と何回か聞き返してきた。「いえ、それは確認していません」と、筆者は答えた。

 なぜなら、喫煙している現場を確認するとなると、喫煙者と目が合う可能性がある。ひょっとしたらその喫煙者は、粗暴極まりない輩かもしれない。そうすると、トラブルになるのは必定。じかには、そういう輩とかかわりたくないので、部屋を特定するためのアクションは控えていたのだ。

 結局、その不動産屋は、「わかりました。明日、担当の何々に事情は伝えておきます」と言って、電話を切った。

 それにしても、よくよく考えてみると、こういう場合、賃貸物件を管理する不動産屋、あるいは大家の考え方次第で、対応はガラリと変わってしまうはずだ。

 もしも喫煙者の言い分を擁護する前時代的な思考回路の不動産屋なら、「タバコの煙が部屋に入ってくるくらいは、我慢してください」とか言い放つことだろう。

 受動喫煙の弊害に理解のある不動産屋なら、ベランダでの喫煙を許さないことだろう。

 不動産屋の考え方一つで、住民の生活は、大きく変わってしまう。

 賃貸物件で、どんなにいい間取りで、内見した時点では非の打ちどころがなかったとしても、いざ住んでみたら、隣接する住人がベランダでタバコ吸い放題で、自分の部屋にタバコの煙がひっきりなしに入ってきて、その状況を、不動産屋が容認する、というようでは、住み心地はすこぶる悪い。

 よって、こういうときは、あらかじめ、ほかの住民がベランダで喫煙した場合は、どういう対応をしているのですか?と、質問した方がいい。もし、わたくしどもの管理しているマンションでは、外で喫煙することは禁止しています、と言うのなら、いい物件といえる。ただし、入居させたいがためのデタラメの可能性もゼロではないので、契約書のどの部分を根拠にそう言っているのか、を聞いたり根拠条文が抽象的でどうとでも解釈できるようなら、この条文を根拠にベランダでの喫煙は禁止します、とった文面を作成してもらった方が、あとあとトラブルになった場合、有利だ。

 どう対応するのか、すぐに答えられない不動産屋に対しては、しっかりと返事をするよう要求した方がいい。それでも、まともに回答できないようなら、「受動喫煙蔓延物件」かもしれない。

 考えてみれば、レンタカーなんかでも、最近は、禁煙車、喫煙車と区分けされているケースが多い。ホテルの部屋も、禁煙者専用というのが増えてきた。中古車の販売も、禁煙者のワンオーナーかどうかがわかるようになっている。

 いまや、この世のあらゆることが、禁煙か、それとも喫煙か、この二つに峻別されつつある。

 だから、賃貸物件も、最初からずっと完全禁煙の部屋とか、建物全体が「禁煙者のみ入居可」の物件で、入居後喫煙者になったりして部屋のなかで喫煙したら違約金を払って退去する契約の物件があったら、入居者が殺到するのではないか。「禁煙マンション」は、資産価値が上がることだろう。

 「喫煙マンション」は、受動喫煙被害のリスクに満ちている。喫煙者とすれ違うだけでも、タバコ残留成分がただよっているし、エレベーターで喫煙者と一緒になったら、密室空間にタバコ残留成分が蔓延することになる。それに、ベランダでの喫煙や、換気扇から蔓延する煙で、ほかの人の部屋を汚染するリスクもある。タバコの火の不始末による火事のリスクもある。

 「喫煙マンション」には、なるべく住みたくない、という人は多いはずだ。

 (続く)

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2016年12月01日

タバコの“罪と罰” 一


 この国のタバコを取り巻く環境は、後進国そのものである。いまから5年、10年、20年もすれば、タバコについてまかり通っているいまの現状について、唖然とすることは山ほどにあるに違いない。あたかも、われわれ現代人が、今から3040年前の映像で、たとえば労組と会社の交渉かなにかの席で、労働者たちが大きめの部屋で椅子に座りながら灰皿も持たずにタバコをスパスパ吸いながら使用者に盛んに抗議していて、その喫煙風景を労使ともに当たり前としている様子を現代人がみると、異様にみえるのとおなじように。

 そういう時代状況で生活するなかで、最近、こんなことがあった。

 それは、筆者の住むマンションでのこと。筆者は、横浜の片隅の自然が取りえの土地に移り住んで丸二年経つ。無論、空気がよいので、窓を開けることも多いのだが、ここ34週間前から、窓をあけると、にわかに、タバコのにおいがしてくるようになった。最初は気のせいかとも思ったが、どう考えてもタバコ臭い。しかも、一度や二度ではない。ほとんどあけるたびに、数分以内にタバコのにおいがしてくる。

 タバコのにおいがいやなので、次第に、窓を開けなくなった。すると、驚いたことに、窓を締め切っているにもかかわらず、部屋の中がタバコ臭いときがあるのである。それも一度や二度ではない。かなり頻繁に、タバコくさい。

 しかも、カーテン付近では、タバコのにおいが、すでにこびりついている。

 さらに、閉口したことに、キッチンにある換気扇あたりからも、タバコのにおいがしてくるのである。それも一度や二度ではない。一日に何度も、タバコくさくなる。

 しかも、平日、祝日、土日とわず、時間帯も、朝から晩までひっきりなしに、時節、タバコくさくなるのである。

 隣か上下階か、斜め下か、斜め上の階か、定かではないが、隣人のしわざにちがいない。

 そこで、ちょっと受動喫煙について調べてみたところ、ホタル族といって、ベランダに出てタバコを吸う輩がいて、当人は外で吸えば煙は人のいないところにいく、と思っているのかもしれないが、実際は、隣室の窓から部屋の中にタバコのけむりが侵入する、という受動喫煙被害が横行している、という、被害ケースが載っていた。

 いまのご時世、職場の受動喫煙も、禁止される流れになってきており、罰則が付くのも時間の問題だというのに、世の中には、自宅にいながら受動喫煙に苛まれる人もいるという事実を知り、呆然とした。そして、筆者も、にわかに、その被害者に列したことを認識した。

 昔、アメリカの新聞かなにかで、かの国のどこかの町では、自室の部屋のなかでの喫煙さえも禁じている、とか、タバコを吸った者は追い出すマンションがある、という記事をみたことがあり、アメリカでは喫煙者は存在自体が否定されているのかと思ったものだが、いざ自宅にいながらの受動喫煙に遭ってみると、そんなアメリカに先進性を感じてきた。

 だが、日本では、自宅での受動喫煙被害を防止する法律は整備されていない。

 自宅にいながらの受動喫煙被害の場合の裁判の判例も調べてみた。が、あんまりパッとしない。画期的な判例といわれるものですら、加害者である喫煙者に対し、5万円の賠償を命じる程度。判例では、かなりの程度、住民は、受動喫煙を受忍する義務があるのだそうだ。

 受忍義務があるなどというのは、到底納得できるものではないが、裁判官が、こんな判決をしてしまうのは、社会全体の認識がそうだからである。社会認識が変われば、裁判官の認識も変わる。それに社会認識がかわれば、タバコ利権にまみれた怠け者の政治家官僚の者共も変わらざるを得ない。

 だが、残念ながらいまの社会認識は、他人の家にタバコの煙をまき散らす輩が隣人となった場合は、かなりの程度、被害者は耐え忍ぶ義務があります、というものである。

 だからこそ、被害者は、泣き寝入りしては、ならない。

 そういうことも考えつつ、12週間経過したが、あいかわらず、家のなかはタバコくさい。そこで、外とつがっている、壁に付いている通気口を閉じて、外の空気と遮断したところ、窓付近からはタバコのにおいはしなくなった。ただし、そのせいで、部屋は換気できなくなってしまった。

 そして、キッチン付近の換気扇からは、あいかわらず、タバコのにおいがする。そのため、換気扇をほとんど付けっ放しにすることにした。

 それにしても、この換気扇はどこにつながっているのだろう。ひょっとしたら、隣人が換気扇の下でタバコを吸っていて、その煙がこの部屋に流れてきているのではないか。そこで、調べてみたところ、キッチンの換気扇は、ベランダの外と通じていた。ということは、やはり、隣人がベランダに出て吸っている煙が、うちのベランダに充満している、ということになる。

 どう対処すればよいのか。

 色々考えたが、まずは、不動産屋を通して、大家さんから、各戸に、ベランダで吸わないよう、書類で通知してもらうよう、依頼することにした。もしも、通知してからも、相変わらず、タバコを吸っているようなら、そのときは、どこでだれが吸っているのか、こらちで調べて、喫煙者に個別具体的な通知をするよう依頼して、それでも、吸い続けるようなら、じかにその喫煙者と話し合いをして、双方の折り合いのつく方法を考えて、今後はこうしていく、という取り決めをして、文書に書き、サインをする。それでも、その喫煙者が約束を破る輩なら、そのときは、裁判をしなければいけない、かもしれない。

 そのように考えた末に、不動産屋に電話をした。

 (続く)

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2016年11月30日

海と、天地の生き物を汚染するマイクロ・プラスチック 八


 話が横道にそれるが、この連載は諸事情で当初の予定より時間がかる見込みとなってしまった。そのため、以前に他媒体で執筆した原稿を、ここに載せることにした。それは昨年夏の712日付でニュースサイトEZニュースフラッシュ増刊号「ウワサの現場」で執筆した「海を汚染する「マイクロ・プラスチック」の実態」という、筆者の企画取材執筆の元原稿。昨年書いたものだが、無論、問題の本質は全く変わっていない。


生命の源である「海」に微細なプラスチックが蔓延している事をご存じだろうか?

 米国アルガリータ海洋調査財団のチャールズ・モアは19978月、ハワイとカリフォルニアの中ほどの太平洋の真ん中の海面に、奇妙なかけらや切れ端が、蛾の死骸のようにひらひらと浮いているのを発見した。モアがそのことを世に問うたところ、米メディアは、この海域を「太平洋ごみベルト」と呼び、世の中に知られるようになった。

 モアは海に漂うプラスチックのことを本に著した。そこには「太平洋ごみベルト」について、こう書いてある。

 「その呼び名は、実際とは違った印象を与える。それはプラスチックでできた薄いスープである。プラスチックの破片で調味し、ブイ、もつれた魚網、浮き(中略)、その他もろもろの大きめの残骸といった『ゆで団子』があちこちに浮いているスープである」(「プラスチックスープの海―北太平洋巨大ごみベルトは警告する」(著:チャールズ・モア、カッサンドラ・フィリップス・訳:海輪由香子/NHK出版刊))

 この大洋に浮かぶスープの具であるプラスチックの破片は、「マイクロ・プラスチック」という。

 当コーナーでは、これまで12624日付「食用魚も海外にも…日本人が知らない海洋ゴミの現実」、今年531日には、洗顔剤や歯磨き粉のスクラブ剤に入った「マイクロ・プラスチック・ビーズ」を取り上げた。

 前者の海洋ゴミは、大きなプラスチックゴミが海岸に大量に打ち上げられている問題で、これはマクロ・プラスチックという。マクロ・プラスチックは紫外線や熱、波の力などにより細かな破片になっていく。これが「マイクロ・プラスチック」である。

 後者のスクラブに入ったマイクロ・プラスチック・ビーズは、マイクロ・プラスチックという大きな括りのなかの一部分である。

 なお、同書には、海洋のプラスチックの有害性を研究している第一人者である日本の専門家が紹介されている。その名は東京農工大学の高田秀重教授(56歳)。

 東京都府中市内にある同大キャンパスでの高田教授への取材に基づき、「マイクロ・プラスック」の実態をお伝えする。

 高田氏は、80年代初めから環境の研究を始め、プラスチックに関連する物質の研究も80年代から始めた。そして、海にあるプラスチックそのものに的を絞った研究をはじめたのは9798年頃からだった。

 「別の研究機関にいる私の大学の先輩が、『これから問題になるかもしれないから分析してみない?』と言い、海岸にあるプラスチック・レジンペレット(プラスチック製品の中間材料)を渡しました。それを分析してみると、たしかに高い濃度の色々な汚染物質が検出されました。しかも、もともとのプラスチックの添加剤に入っていない汚染物質も出てくることもわかりました。

 これは『汚染物質の運び屋』になるんじゃないか、ということで98年から問題にし始め、01年に発表しました。同時期、『プラスチック・スープ』を書いたチャールズ・モアたちが、太平洋にプラスチックがたまる場所もがある、と報告をしました。そのころから段々、国際的にも関心的が高くなっていきました。

03年には、目に見えない1mm以下の顕微鏡サイズになったマイクロ・プラスチックが、海の生物に入っていく、あるいは砂のなかにある、ということが報告されました。10年以降は、さらに関心が高く鳴り、色々な国際会議や国際機関での検討会が開かれ、今年はG7の議題になり、国連の海洋汚染の専門家会議で国際的な評価が行われるようになってきています」(高田秀重氏)

 また、高田氏は環境団体「インターナショナルペレットウォッチ」を立ち上げ、世界各地の海岸漂着プラスチックをエアメールで送ってもらうことを呼びかけ、海洋汚染調査もしている。

 高田氏によると、現在、世界では年間3億トンのプラスチックが生産されているという。そのうちの半分は、食品のパッケージやコンビニの弁当箱、レジ袋、ペットボトルなどの容器包装である。このうち1年間に800万トンのプラスチックが海洋に流入している。その経路は、ゴミのポイ捨てや、ゴミ箱から溢れて外に出たゴミなどが、雨に流される。

 「4大プラスチックのうちの2つ『ポリエチレン」『ポリプロピレン』は、全体の生産の半分を占めているのですが、それらは水よりも軽いんですよ。なので、雨が降ると、雨に流されて水路に入り、それから川に入り、海に流れていきます」(高田氏)

 こうして膨大な量のプラスチックが海洋を漂っている。

 「プラスチックは、プラスチックそのものでは、なかなか性質を維持できないので、燃えにくくする等のために、大抵のプラスチックは添加剤を加えています。その添加剤のなかには有害なものもあります。それから、プラスチックは、海のなかにある有害な化学物質をくっつけます」(高田氏)

 たとえばプラスチック容器にはノニフェノールという環境ホルモンが出ることもある。これは子宮内膜症、乳がんの増加、精子数の減少、生殖器の萎縮といった弊害が指摘されている。

 また、マイクロ・プラスチックは、「ポリ塩化ビフェニル」という、奇形、ガン、免疫力の低下、脳神経系に影響する物質も付着する。

 こういった様々な汚染物質がマイクロ・プラスチックに付着するため、その汚染濃度は、周辺海水中の10万倍から100万倍に達する。

 すでにマイクロ・プラスチックは、海に生息する二枚貝の体内からも検出されている。魚介類の体内にあるということは、生態系の上位にいくほど濃縮した汚染物質を摂り込み、巡り巡って人間の体内も汚染する事態になることが予想される。

 「海洋のマイクロ・プラスチックの量は、今後20年で10倍になります。海洋汚染を軽減していくためには、プラスチックの使用を減らしていく必要があります」と高田氏は警鐘する。

 海がこれほどまでに汚染されてしまう事態。これは人類にとっても、ただでは済まないのではないか――。手遅れにならないうちに、手を打つ必要がある。(佐々木奎一)

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2016年11月24日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 五十一

 このように前置きしたうえで、中村氏は、こう回答した。

 「さて、質問@の見解ですが、

 ・京都市の考え方が記載されている資料1を参照してください。言わんとされていることは、十分に理解できますが、単純に『のら猫エサやり禁止条例』と呼称するのは、偏った見方と考えております」

 さらに、中村氏は、こう回答した。

 「質問Aの見解

 ・まず初めに、『ある議員』は断じて私ではないことを明言致します」


 (続く)

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2016年11月06日

党員 二

48日付で、民進党の党員になろうとしたところ、結党から一か月経っても、一向に党員を募集していないことを、と記した。


http://ssk-journal.com/article/174815553.html


 その後、筆者は時折、募集しているか確かめていたのだが、実に半年以上も、民進党は党員募集を閉め切っていた。

 そして民進党代表選が終わって数週間後、にわかに、同党サイトで募集を始めていたので、応募してみた。

 すると、その日のうちに選挙区内の民進党候補の事務所から電話がきた。

 筆者の住む横浜の片隅の栄区は、行政区画上は横浜市に属するが、地政学上は、古来、鎌倉に位置する。栄区から鎌倉街道を進み、低い山を一つ越えると、鶴岡八幡宮の裏手に行き着く。つまり、鎌倉幕府の中枢を護る要衝の地だった。

 しかも、栄区というのは、三十年前までは、行政区画上も、れきとした鎌倉市だった。

 そういう場所である名残は、衆院選の区割りにも現れている。ここ神奈川4区の区割りは、鎌倉市、逗子市、三浦郡葉山町、そして横浜市栄区なのである。

 その神奈川4区の次期衆院選の民進党候補は、前鎌倉市議の早稲田夕季氏。早稲田氏は早稲田大出身。早稲田氏は、鎌倉市内の大船駅前で熱心に演説している。これは選挙のときだけ駅の改札前に出没する、軽薄な同選挙区の自民党衆院議員とは、質が違う。

 要するに民進党の党員に応募したところ、その早稲田夕季事務所から、電話がかかってきた。スタッフと型どおりのあいさつをしたあと、党員の手続きの話になるのかと思っていたが、なんでもそのスタッフが言うには、民進党の党員には来年五月にならなければ手続き上なれないのだそうで、それまでは準会員的な立場として、集会等にオブザーバーとして参加ができるという。

 正式な党員であれば、「民進党の運営や活動、政策づくりに参画する」ことができる(同党HP)。それに比べ、オブザーバー(議決権のない傍聴人)というのは、格段に権利がない。

 筆者は、外野で発言するだけではなく、色々と提言、建白していきたいと思っているので、オブサーバーというのが拍子抜けした。

 それと、自公議員たちが解散風を煽り、いつ選挙になってもおかしくないというのに、この期に及んで党員を閉め切っていることに、あきれてしまうのを通り越して感心してしまった。

 たとえば、共産党であれば、党員になりたい、と申し込めば、すぐさま自宅まで馳せ参じて、正式に党員の手続きを済ませることだろう。

 池田党に入りたい、という物好きはよもや世の中にはいないとは思うが、もし仮にいれば、信者たちが自宅に殺到して、池田教の信者にさせることを視野に、その場で入党の書類を書かせ、仕事は何か、とか、いろいろとぶしつけに個人情報を聞き出してくることだろう。

 民進党は、本来は、連合依存から脱却する意味で、どんどん組織につかない個人の党員を増やしていかなければならないはずなのに、いまだに党員を閉め切っているというのが、どこまでもゆるい政党である。

もちろん、体育会系のガチガチの感じより、そのゆるさの方が筆者には合うのだが、それにしてもゆる過ぎて多少驚いた。


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2016年11月02日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 四十九



 すると、すぐに中村三之助氏から、文面でこう回答があった。

 「お答えさせていただきます。

 まず、初めに申しあげておきたいことは、私は、約六年前にある動物愛護団体から、動物愛護に関する相談を受け、それ以来その方々との交流が有り、様々な動物愛護に関する話、また現行の行政の問題・課題を話し合い、その取り組みをして参りました」

 といい、こうつづっている。

 「『前京都家庭動物相談所』の問題を指摘し、『京都動物愛護センター 動物愛ランド京都』の建設に結び付きました」


 (続く)

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2016年10月13日

政教分離違反と池田大作党 五

 このように民主主義の敵である池田教信者たちは、滑稽なことに、自分たちこそが民主主義の実践者だと思い込んでいる。
 例えば、ほんの一例をあげると、コーメートーHPで、「草の根民主主義とネットワークの力」と題し、自画自賛したりしている。
 民主主義を騙り、仏教を騙り、平和を騙る。池田教はウソばっかりだ。ウソで塗り固めて成り立っている。
 たとえば、前に紹介した掲示板系サイト「静かに創価学会を去るために」のリードには、「このブログには「創価学会は宗教ではなく詐欺団体だ」と気づいた創価学会員と元創価学会員の切実な体験のコメントが19000件以上寄せられています」とある。
 「宗教ではなく詐欺団体」としている。これは池田教はウソで塗り固めているから、詐欺団になるわけで、必然的に、その詐欺団体を率いる親玉、つまり教祖・池田大作こそが、真に巨悪の詐欺師ということになる。
 池田大作は詐欺師だ、と言えば、池田原理主義者たちはイキリ立つのかもしれないが、実際のところ、池田教に騙された、と後悔し、騙した連中に対して怒り心頭に達している膨大な人々の全員が、池田大作は詐欺師だ、と心底思っているに違いないのである。
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2016年10月12日

政教分離違反と池田大作党 四

 池田教徒にとって、コーメートーに投票することは、宗教行為なので、投票の自由はない。
 池田教徒にとって、コーメートーを批判したり、選挙でコーメートーに投票しないことは、教祖である池田大作の意志に反することになる。
 池田教徒にとって、池田大作の意志に反するというのは、踏み絵と一緒、池田大作の顔写真を踏みつけてグチャグチャにするのと一緒で、この世で最も恐ろしいことなのである。池田信者たちは、コーメートーに投票しないと、バチが当たり、一生地獄の苦しみに遭うのみならず、生まれ変わっても永遠に苦しみ続ける、地獄行き確定、と信じ込んでいる。
 だから、コーメートーが壊憲しようが戦争しようが人権蹂躙しようが、投票行動に変化はない。コーメートーを支持し続ける。
 なお、昨年、安保法制をコーメートーが成立させる時、ごくわずかの池田信者が反対のデモをしたりしていた。池田教の内実を知らない人たちは、その動きに期待していたが、デモをする信者は、池田信者全体の、万分の一でしかない。圧倒的多数は、コーメートーに投票しないのは、池田大作の意志に反することであるとして恐れ、相変わらずコーメートーを支持し続けている。
 そして、コーメートーを批判するのは、仏(悟りを得た者、仏陀)=池田大作に背く仏敵(ブッテキ)である、といって排斥する。
 こういう狂信の世界なので、たとえ、コーメートーはおかしいのではないか、と思う信者がいても、コーメートーに投票しないとバチが当たる、イケダセンセーに背くことになる、とか、デモをしている奴らにはバチが当たる、奴らはブッテキだ、コーメートーがおかしいと思うのはシンジンがないからだ、とか幹部等に言われる。これは、恫喝である。
 そもそも、この国の選挙は、自分自身の自由な考え方にそって、誰にも干渉されずに投票することができることになっているが、池田教には、自由な投票はない。池田教は、反民主主義、反社会的勢力である。
  
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2016年10月10日

政教分離違反と池田大作党 三


なお、信者を大別すると、上記の、選挙で現世利益を強欲を欲する浅ましい層と、もう一つ、池田一神教に脳髄まで染まっている層がある。
 脳髄まで染まっているのは、コアな信者で、幹部になるケースが多い。
 池田一神教に脳髄まで染まる、というのは、具体的には、池田大作のために生きる、と大真面目に考えている信者である。
 たとえば、信者たちは、当然、この国でいろんな仕事をしているわけだが、その仕事も、池田大作のために、やっている。
 たとえば、文筆業であれば、池田大作のために、書く、という具合だ。池田大作のために書く、というのは、たとえば、池田大作の礼賛を、学者等の識者に言わせたりする記事をのせる、といった、見え透いた提灯記事を、自分の職場の媒体で載せる、などだ。文筆に限らず、あらゆる業界で、そういうことをやっている。
 そして、信者の集まりでは、職場で池田大作を礼賛するために、こういうことをしました! といった類の報告を誇らしげにして、ほかの信者たちから拍手喝采で、ほめられ、羨望の眼差しでみられたりしている。
 こうした池田大作を絶対的価値としている信者にとって、選挙は、池田大作のために、ある。国民のために、ではない。
 連中にとっての、「選挙」=「法戦」は、ISやアルカイダの「ジハード(聖戦)」と同じである。実際、池田教のコアな幹部が、そう言っていた、という情報もある。
 「ジハード」については、鳥越俊太郎氏が、2015年7月1日の衆院平和安全特別委員会で、こう説明している。
 「イスラム教の中でジハード、聖戦。僕は、子どもからお母さん、一般の兵士も含めて全部取材をしましたけど、彼らは心から、ジハードで命を捧げた場合は天国に行けると思っている。だから自爆テロを平気で起こす」
 コアな池田教信者の理想もこれと一緒。つまり、ジハードである法戦=選挙で、集票マシーンの権化となり、末端信者に号令をかける。それは、池田大作のために票を捧げ、池田大作のために生き、池田大作のために死ぬ。池田大作のためだけに、この世に存在し、脳内から全身くまなく池田大作に染まった、池田狂信者になることを本気で目指している。そうやって生き、そうやって死ねば、「成仏(ジョウブツ)」できる、と真剣に思っている。法戦=選挙で票を集めれば、ジョウブツできる、と本気で思っている。
 なお、こういう狂信者たちは、池田教とはかかわりのない常人に対しては、こういう本音は一切くちにしない。まるで狂信者でないかのように振る舞う。だから、いまだに池田教のことを、平和の団体などと誤解している人が多い。平和な団体などというイメージは、建前の部分でしかない。
 そんな池田教団が、「理性的な討論」などできるわけがない。
 現状、池田教のこのカルト票が、日本の政治を席巻している。池田大作一神教原理主義の池田教は、民主主義と相いれない。民主主義の敵である。

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2016年10月07日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 四十八

 「A 「京都市の動物との共生に向けたマナー等に関する条例」ができるまでの過程では、京都市が部署を横断してプロジェクトチームを立ち上げ、その後、憲章をつくるための有識者会議ができて、そこでエサやり禁止が匿名の委員の発言の形で打ち出され、その有識者会議の判断に基づき、条例がつくられて成立した、という流れになっていますが、実際は、はじめから京都市の上層部と、ある議員の間で、野良猫へのエサやり禁止の条例をつくるということで決まっていた、という情報もあります。

 市会の議事録を読む限り、罰則付きの条例へ向け熱心に取組んでいたのは、京都市議・吉田孝雄氏であり、猫行政に熱心に取り組んできたのは中村市議、とお見受けします。

 つまり、「はじめから京都市の上層部と、ある議員の間で、野良猫へのエサやり禁止の条例をつくることが決まっていた」とするならば、その「ある議員」とは、吉田市議あるいは中村市議、あるいは吉田・中村両市議が、京都市の上層部と内々ではかりながら、野良猫へのエサやり禁止の条例をつくっていった、という見立てができるのですが、その点についての見解をお聞かせ願います。」

 (続く)

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政教分離違反と池田大作党 二

 前回の記事で、「政教分離の根拠」には、第一「信教の自由の保障」のほかに、第二「宗教の腐敗・堕落の防止」、第三「民主的な政治過程の維持、あるいは政治的分断の防止」があることを紹介した。

 そして、この第三には、「およそ民主的な政治過程とは理性的な討論によって支配されるべき場であり、宗教はそもそも理性的な討論になじまないのでこれを排除すべき」、「民主的な政治過程は必ずしも理性的な討論が支配する場ではなく、様々な利益集団が互いに妥協しつつ利害調整をする場と見るべきであるが、宗教は絶対的な価値を主張するので、この妥協を困難にし、政治的な分断をもたらすので、やはり排除されるべき」という、2つの意味があることを紹介した。(「新基本法コンメンタール憲法」(編集:芹沢斉、市川正人、阪口正二郎/日本評論社刊)より)

 このなかの、「宗教はそもそも理性的な討論になじまない」「宗教は絶対的な価値を主張する」というのは、まさに池田大作一神教がそうである。

 たとえば、池田教団は、選挙のことを「法戦(ホウセン)」と言っている。法というのは、池田大作教のいわくところの仏法を指す。

 (なお、司馬遼太郎氏は、池田教は「致命的なところで仏教じゃない」と断言している。司馬氏は「ふしぎなことに日本の各時代をにぎわす新興宗教というものが、多くは日蓮宗から出ていますね。現存しているものにも本門仏立講、霊友会、創価学会……みんな日蓮宗から出ている。ただ創価学会にいたって、初めて利益ということを掲げた。お釈迦さんは利というものを捨てたところから出発している。ところが創価学会というのは利を説く。(略)利を説く以上、これはもう仏教じゃない。致命的なところで仏教じゃない」と述べている。(「司馬遼太郎対談集 日本人を考える」(文藝春秋刊)の梅原猛氏との対談より))

 その意味で、池田教は仏教を騙るカルトであるわけだが、池田教のいう法戦というのは、宗教戦争、といったニュアンスがあると捉えることができよう。

 実際、こういう記事がある。池田大作教をウォッチするFORUM21の記事「特集/くり返される異常な創価学会の政教一体選挙 参院選直前、本部幹部会発言にみる政教一体構造」(2004715日付)によると、池田教は、選挙をこう捉えているという。


 「・選挙の勝利を宗教的正当性の根拠とする。

 ・選挙を「仏敵」打倒の「法戦」とする。

 ・選挙を教勢拡大の「バロメーター」とする」


 実際、参議院選挙の公示を間近にした615日に東京・千駄ヶ谷の創価学会施設・国際友好会館で行われた本部幹部会という教団の集まりで、池田大作ほか幹部連が、こう発言した、として、音源を文字に起こしている。

 それによると、冒頭、「いよいよ創価の新時代を開く決戦が目の前に迫りました。全国の男子部はこの戦いの先陣を務めることを誇りとして、乾坤一擲の勇気の対話を猛然と重ねています。家族のこと、仕事のこと、いまの時代に悩みがないと言えばウソとなる。しかし、大いなる希望を胸に、いまこそ壁を破るチャンスだと、信心で立ち、勝ち越えながら、みなが歓喜の前進を重ねています。」(弓谷男子部長)と、信者たちに、集票マシーンとして活動すれば、仕事や家族などの悩みを解決できる、選挙は悩みを解決してハッピーになるためのチャンスなんだ、と、さかんに現世利益を説いてハッパをかけている。

 選挙で信者の欲望を煽りて、権力欲を満たそうという、欲望の塊のカルト教団。これを仏教という自体、いかに釈迦をバカにした連中かがわかる。

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2016年10月04日

政教分離違反と池田大作党


 いうまでもなく日本国憲法第二十条「信教の自由」には、こうある。
 「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
A 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
B 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」
 とある。
 このなかの、第1項、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」という政教分離の原則の一文に、公明党こと池田党と、創価学会こと池田教は抵触している、憲法違反なのではないか、という指摘は、以前からある。
 たとえば、20年数年前、自民党は、故加藤紘一氏が中心となって、四月会という団体をつくったりして、池田教団とコウメイトウが政教分離である、として国会内外で徹底追及した。
 このとき、池田教団は、加藤氏を鬼畜のように罵り、お決まりのセリフ「仏敵(ぶってき)」を口にして加藤氏を口汚く罵っていた。
 だが、加藤氏といえば、山崎拓元副総裁が先般、「君は『憲法9条が日本の平和を守っているんだ』と断言した。振り返ると僕に対する遺言だった。日本政界の最強最高のリベラルがこの世を去った」と悼むほど、リベラルな人物。そういう人物が、暴論を通そうとするわけがない。
 政教分離に抵触しているのではないか、と批判されるたびに、池田教団は、政教分離というのは、国家が特定の宗教を国教にしたりして、その他の宗教を排除する、といった、国家による宗教への介入を違憲とするものであり、宗教団体が政治団体をつくって政治に参加するのは何ら構わない、という意味合いの内閣法制局の答弁を持ち出す。
 たとえば、池田党のHPのQ&Aには、「Q 公明党と創価学会の関係は?」「A 政党と支持団体の関係です。各政党を労働組合や各種団体などが支持する関係と同類です。公明党と創価学会は不定期で「連絡協議会」を開催し、協議内容はマスコミ公開されています。一部週刊誌等で「政教一致だ」とか「憲法20条に違反した関係にある」等の記事が掲載されることがありますが、全く的外れな批判であり、既に国会の論戦の場でも決着済みのことです」とあり、こうある。
 「そもそも、憲法が定める「政教分離」原則の意味は、憲法が宗教団体の政治活動を禁止しているということではありません。内閣法制局は「憲法の政教分離の原則とは、信教の自由の保障を実質的なものとするため、国およびその機関が国権行使の場面において宗教に介入し、または関与することを排除する趣旨である。それを超えて、宗教団体が政治的活動をすることをも排除している趣旨ではない」(大森内閣法制局長官の国会答弁趣旨=1999年7月15日)としています。 憲法が規制対象としているのは、「国家権力」の側です。つまり、創価学会という支持団体(宗教法人)が公明党という政党を支援することは、なんら憲法違反になりません。 国家権力が、ある特定の宗教を擁護したり、国民に強制するようなことを禁じているのが「政教分離」原則です」
 このように、なにかといえば、まるで水戸黄門の印籠のように、内閣法制局長官の答弁を持ち出す。
 そして、上記のように、池田党は「各政党を労働組合や各種団体などが支持する関係と同類」と、戯言をぬかしているが、無論、池田教と、労組やこの国の様々な政治団体は、一線を画す。例えば、労組は、かつて社会党という政党の支持母体だったが、社会党が今までいってきたことと違うことをし始めた、と支持者たちが思い始めた途端、社会党は一気に支持を失い、崩壊した。自民党の支持団体の人々は、かつて、「お灸をすえる」といって、自民党を野党に転落させた。こうやって有権者が選挙権を駆使して選択するのが、選挙というものである。
 だが、池田教団の信者たちは、池田党が、イラク戦争に賛成しようが、集団的自衛権を容認する解釈改憲を閣議決定して法律をつくろうが、憲法を壊憲して人権を制約しようが、戦争できる国にしようが、池田党に投票し続ける。その結果、池田党が何をやっても選挙の得票数にほとんど影響しない、という異様な現象が起きている。
 つまり、通常の政治団体は、支持政党を相対的に評価、支持するのに対し、池田教団は、池田コウメイ党を絶対的に支持する。これは選挙を、宗教行為としているためである。つまり、池田コウメイ党のやり方に疑いをはさんで、投票しない、というのは、信心が足りないからだ、罰が当たるぞ、逆に池田党に投票して周囲の人々にも勧めれば功徳がある、現世利益があるぞ、という、世界である。だから、どんなに悪政を重ねようと、池田教は、池田コウメイ党に投票し続ける。
 池田教の今のような状況をつくらないために、憲法に、政教分離を定めたのではないか。このように筆者は常々、思っているのだが、「新基本法コンメンタール憲法」(編集:芹沢斉、市川正人、阪口正二郎/日本評論社刊)の、第20条には、「政教分離の根拠」という小見出しで、こういうふうに書いてある。
 「政教分離は、政治と宗教の分離を求めるものであるが、なぜ政治と宗教を分離しなければならないのだろうか。政教分離原則の根拠は、複数考えられる(長谷部・憲法188〜190頁、高橋・立憲主義173頁)。第1は、信教の自由の保障である。国家と宗教一般、ないし特定の宗教が結びつくと、宗教を信じない自由、特定の宗教を信じる自由が著しく抑圧される」
 この第1は、池田教が印籠視する、現行の内閣法制局の見解を指している。
 そして、同書には、続いてこう書いてある。
 「第2は、宗教の腐敗・堕落の防止である。これは、国家が特定の宗教と結びつくと、当該宗教自身が優遇される結果、国家に頼りその本来の宗教としての潔癖さを失うことを懸念するものである」
 小林節氏が、池田コウメイ党のことを「権力の魔性」と断定したように、腐敗・堕落とは、まさに池田教の姿といえよう。
 さらに、同書には、こうある。
 「第3は、民主的な政治過程の維持、あるいは政治的分断の防止である」
 として、この第3には、「さらに2つに分けることができる」として、こう記している。
 「1つは、およそ民主的な政治過程とは理性的な討論によって支配されるべき場であり、宗教はそもそも理性的な討論になじまないのでこれを排除すべきだというものである」
 これは、まさに筆者が常々に思っている点である。
 そして、こう書いてある。
 「もう1つは、民主的な政治過程は必ずしも理性的な討論が支配する場ではなく、様々な利益集団が互いに妥協しつつ利害調整をする場と見るべきであるが、宗教は絶対的な価値を主張するので、この妥協を困難にし、政治的な分断をもたらすので、やはり排除されるべきだとするものである」
 この点もしかり。
 そして、同書は、「このにように、政教分離原則の根拠は複数考えられるが、わが国の最高裁判例の特徴は、政教分離原則の根拠を専ら第1の点に求めている点にある」と指摘している。
 つまり、この国では、池田教が違憲状態になる根拠となる点が、なぜか、すっぽりと抜け落ちている。この不可解な解釈改憲こそが、池田党が国政にいることによる政教一致の産物なのではないか。 
 池田教がこの国の政治で猛威を振って久しい。その反省に立ち、政教分離の根拠となる上記第2、第3の論点を取り入れる日が、必ずやって来るに違いない。
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2016年10月01日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 四十七

 「@ 京都市の「京都市の動物との共生に向けたマナー等に関する条例」に基づき、京都市は、公道でのエサやりも迷惑な餌やり、として禁じています。(京都市は、道路でのエサやりを禁じるポスターをつくったりもしています)

 しかし、公道で飢えた野良猫にエサをやる行為自体を、迷惑として罰則の対象とするのは、事実上、エサやりを禁じたに等しく、この条例は事実上、野良猫エサやり禁止条例、と言わざるをえません。その点について、中村市議は、どのようにお考えか、お聞かせ願います。」

 (続く)

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2016年09月30日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 四十六

 こうした猫への愛がにじみ出ている発言をしている点が、マッチポンプ公明市議や門川大作市長とは、まるで違う。

 これまで縷々論じた、市長と共に野良猫エサやり禁止条例を仕組んだ黒幕議員とは、中村氏ではないのではないか、と内心思いつつも、念のため、筆者は、中村三之助氏に、対し、

 「中村三之助・京都市議に、質問があります。

 中村市議は、これまで、野良猫へのエサやりについて201425日の教育福祉委員会で言及したり、2013728日から85日にかけての海外視察で団長をしたり、市会で、たびたび、まちねこ事業について言及しているため、質問した次第です」

 と前置きし、こう質問した。

 (続く)

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2016年09月08日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 四十五

 「2年後になるんですけど,その数が,そういう対象になる野良猫がどれぐらいいるかということにもよるとは思うんですが,そういう,どうしても解決のつかないものについては譲渡をするなり,一時的にセンターにお預かりして譲渡するなりする方法をちょっと考えていったらどうかなとか思っています」

 このように、、役人の土井氏は、いかにもやり気のなさそうな、猫のことを何も考えいないような発言をした。

 これに対し、中村氏は、

 「あれですよ,日本一の動物愛護センターを造ろうと言っているんですよ。それで,今のような,猫が数によっては収容できませんとか,そんなこと今から言ってどうしますの。当然,今のようなケースやったら,まず,やって,ケアして譲渡する方向へ持っていくというのが一番であって,それでも譲渡できひんかったら生涯預るというのが,新しいこれからの愛護センターの使命やというのが本来のあるべき姿やと思うので,一つ,しかと,その辺,頭に置いてこれから取り組んでください。」

 と釘を刺した。

 (続く)

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2016年08月04日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 四十四

 その前に、一点、付言する。

 それは、マッチポンプこと公明党の吉田市議や門川大作市長とは違い、中村氏には、猫への愛情があるように見受けられる、という点だ。

 例えば、これまで紹介してきた発言以外にも、 平成251007日の決算特別委員会第2分科会で、中村氏は、野良猫について、

 「どうしても解決できないと。最後の手段として、さあ,そこで,来る,来年,再来年出来るこの動物愛護センターへ持って行ったら,それで引き取ってもらって最後まで面倒見てもらえるのですか(中略)いかがでしょうか」と、質問した。

 これに対し、土井直也・保健衛生推進室生活衛生担当部長は、

 「新しい動物愛護センターで野良猫を預ることができないかということなんですが,新しいセンターの猫の収容する数も,それほど,町の全部の猫を収容できるような,ちょっと数もございませんので,なかなか難しいかなということで考えております」

 と、そっけなく答えた。

 すると、中村氏は、

 「いや,全てのというような質問をしているわけやないです。そうやってトラブルがずっと起こってどうしようもない,最後の,色々,地域でやっても何か取り組んでもあかん,このままでは地域の人間関係も良くなくて困ると。だから,この猫を,そういった場合,最後の手段として,そこでセンターで生涯,又は,ケアして譲渡の方へ持って行ってもらうというような形でお願いできることはできませんかという,こういうことなので,再度,今,できませんじゃセンターの意味がないと思うんです。どうですか」

 と、迫った。

 不幸な野良猫の世話ができなければ、巨大な新動物愛護センターをつくる意味がない、と言い切るところに、猫への愛を感じる。

 これに対し、役人の土井氏は、こう言った。

 (続く)

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2016年07月31日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 四十三

 これに対し、土井直也・保健衛生推進室生活衛生担当部長は、

 「まず、現在、計画している施設,1万平米の中で,ふれあい広場とかドッグランを設けたいと考えておるんですが,ちょっと狭いのではないかということで,現在の家庭動物相談所の利用も考えたらどうかということでございますが,今現在のところ,家庭動物相談所についてどうするかというようなことについては検討をまだ行っていないところなので,また今後,検討したいと考えております」

 と言ったあと、

 「それと,あと,名称ですね。京都動物共生推進支援センターということで御提案いただいたわけですが,その名称も,今後,愛称も含めて,また決めていかなくてはならないと思っております」

 と述べた。

 この役人のセリフが、いかにも、中村氏を、軽くあしらっている感じがする。その点が、筆者が中村氏を黒幕ではないと感じる理由である。

 もう一つ、そう思う点がある。

 門川大作市長の20131126日付のブログに、京都市会の海外視察のメンバーが、市長室で市長に提言書を渡している写真がある。そこには、机を挟み、市長と視察団が対面し、団長の中村氏が、提言書を渡している写真がある。筆者が注目するのは、マッチポンプ公明市議・吉田孝雄氏が、議員団の列には並ばず、市長の後ろに立っていることだ。(下がその写真、市長オフィシャルサイトより)

  

市長の側.JPG


 この写真の構図に象徴されるように、マッチポンプ吉田市議こそが、市長の側にいる人物で、中村氏は、マッチポンプとは違い、市長と一体的な黒幕ではないのではないか。

 そう内心思いつつも、念のため、筆者は、中村三之助氏に、こういう質問をした。

 (続く)

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2016年06月25日

典型的な池田教の末端信者像

 最近、池田教団の末端信者の掲示板系のサイトがあるのを知った。それは、「静かに創価学会を去るために」というサイト。少し読んだ中で、的を射ている、と筆者が特に思ったのは、下記の書き込み。池田教団の末端信者の実像を知りたいという人は、参考にしてほしい。(※特筆箇所は赤字にした)。

 なお、筆者自身、これを読み、典型的な池田教末端信者に特有の、度し難く低い人格、知性に接してしまい、具合が悪くなってしまった。

 それは猛毒に等しいので、毒に侵されないように注意してほしい。以下、書き込み。



 「創価では、自分の考えをもつと「我見」と言われ、幸福の軌道から外れるといわれます。

 日蓮の教えが正しいと昔は言っていましたが、今は「池田大作の日蓮の解釈が正しい」みたいになっていて、「池田大作の言葉と行動こそ現代の日蓮」「池田大作こそ人類の永遠の指導者 」となってます。

 男子部の組織では「池田先生のために死ねるか?」といった指導が行われています。

 会員宅を回る家庭訪問では、じっさいにいてるかいていないかを確かめるために、電気メーターの回るスピードを確認したり、玄関の扉のポストをそっと開けて中をうかがったりします。全国どこでもそのようなことが行われています。もちろん、待ち伏せなんて日常茶飯事です。

 会合では聖教新聞の推進の会議があって、自腹を切って必要のない部数をとって組織の数字を上げます。正確にはノルマのクリアのために自腹を切ります。自分で多部とるときもあれば、贈呈をいう形で友人知人に新聞を取ってもらって、自分で費用を払うときもあります。

 選挙前には、公明党の冊子が一冊100円くらいのがうられ、「地区幹部は○○冊以上」と口頭でノルマが言われます。

 選挙期間は、公示までに事前の選挙活動が行われます。公示後は、連れ出しといって、友人や会員を期日前投票や当日の投票に連れていきます。「ピストン輸送」と言って何回も連れ出しをします。戸別訪問やその他の選挙違反、たくさんやってます。

 創価の思想は、疑ったり・やめると罰があたるぞ! と言われます。それで怖くてなかなかやめれません。

 会員が入院したり死亡したら、その会員が財務(お布施)をきちんとしていれば、香典が1万、入院見舞いが1万出るようです。

 私が入院したとき、1万の見舞金がでました。婦人部の幹部が、妻に「財務をしてるから見舞金がでるのよ」といってたとのことです。

 私の母は創価の活動を頑張りぬきました、でも死ぬ間際はとても苦しみました。

 私の父は創価を守り抜きました。巨額のお布施もしてきました。しかし首をつって死にました。

 父が首を吊ったときには、父が提供した座談会の会場では楽しく座談会が行われていました。

 すべて私の経験です」(スマイル2015718 22:14



 「身内に学会員がいない限りは、一般の人にとってはよくわからないのが創価学会ですよね。「選挙のときだけわざわざ遠くから公明党の票をお願いしにくる変な人」って感じでしょうか。でも身内に創価の盲信者がいたりすると、状況は一変します。「なんでこの人はここまで他人を見下す物言いができるんだろう?」という場面に少なからずぶち当たります。本人は当然のことのように言います。もちろんそのとおりに思っているんです。「オレたち創価以外はみんなカスだ」と。「オレたちだけが絶対的幸福の切符を手にしているんだ」「オレの言うことを聞けば幸せになれるというのに、なんでわからないんだろう?」と本気で思っています。この時点で世間一般では「人でなし」と思われ、それ以上の関わりを避けるのが当然です。残念ながら創価学会員さんは人がいい分だけ創価に騙されきって「人でなし」になっているんです。友人が創価学会員だったりしたら、やっぱりそんなところありますよね。外部の人に対してはできるだけいい人を演じていますが、それってめちゃめちゃ無理してるんです。何か悩みがないか探りをいれて、弱みが見つかったら、そこにグイグイと創価の信仰をねじ込んできます。「それはあなたの宿業なのよ」「宿業というのは過去に間違った宗教を信じていたことの罪が因となって、今のあなたに降りかかっているの」「過去世の罪業が今のあなたに出てるのよ。わかる?だからその罪障を消滅させるには創価学会の信仰しかないの。これしかない。ここで創価の信仰に出会ったというのも、ものすごい幸運なのよね。この信心に出会うためにあなたはこの不幸を背負うことになったといってもいいわ」こんなふうにどんなにでも屁理屈をこねて入会させようとします。屁理屈というより脅しですね。悩みがある人を捕まえては、みんな宿業のせいにして、それを克服するには創価の信仰しかないというパターン。もし学会員の友人にこんなことを言われたら、それがどんなに親しい友人であっても信じてはいけません。それはその友人が洗脳されて、創価ロボットに仕立て上げられての言葉でしかありません。あなたのことを思っているようで、じつは完全に上から目線であることに気づかなければいけません。そしていったん喰いついてきたら信じられないくらいしつこいです。これでもかってくらい勧誘してきます。ですから絶対に毅然とした態度で断ってください。ちょっとでも考えるようなスキを見せるとどこまでも食い下がってきます。それは本人はあなたのことを思っているつもりですが、それは完全に心を誘導されてのことですから、その創価の友人のためにもきっちりと断ってあげるのが友だちというものです。

 とにかく創価には関わらないことが一番。そしてもし身内に創価学会員がいても、できるだけ関わらないことです。もし何か言ってきても「そこはお互いにふれないようにしようよ」って約束したほうがいいです。創価学会員は自分たちがやっていることが異常だということに気づくまでは、本気でいいことをしていると思い込んでいますので、そこは考慮してあげてください。悪意はないんですが、やってることは社会悪です。それをわかった上でこちらが対応することが大切だと思います。彼らと衝突しても何の意味もありません。ロボットに説教しても意味がないのと一緒です。掃除機が吸わなくなったからといって、掃除機にコンコンと説教垂れる人っていませんよね。冷蔵庫に話しかける人っていませんよね。車だと人によっては話しかける人はいますが、それはちょっと特別ですね(笑)。もし創価の人がガーガー言ってきたら、壊れたテレビがノイズ音だけ出してるって思えばいいと思います。まともに相手をしていたらこっちがおかしくなりますからね。」signifie2015718 22:38



 「2011年に入会して、2015年に退会した花子です。

シニフェイエ様、いつもありがとうございます。

ここで、外部だった私が創価学会に入って変だと感じたことお話します。

・入会した時に

「創価学会はお金がかからない宗教なのよ」

と説明をうけた

→実際は、毎月の新聞などの機関紙購読料、公布基金とい創価学会への寄付(最低1万円〜)、選挙の時は党を支援するためにお金を徴集される…

バッチリお金かかってますよね?

入会する時に彼氏から「先生がご存命中のうちに入会して欲しい」と言われた

→会館に行って同中を見ても、池田さんの過去の映像だけ。存命してるんですか?

選挙の時に彼氏が「選挙で戦うために友達と対話してくる」と行って女友達と深夜までは遊ぶ。

・彼氏のお父さん(地区部長)が「一家和楽の信心なんだよ」って言ってた。

→彼氏のお父さんは毎日、彼氏のお母さん(支部副)を「このバカ!!」「お前がわるいんだ」と口汚く罵る。私の父は外部の人間だけれど、母の事を口汚く罵るなんて一切しない人だったので、カルチャーショックだった。

・会合が終わって、人数が少なくなると悪口大会になる。

・学会員の病人(身体・精神)率が異常に高い。(会合参加者の8割以上は何らかの病気持ち)

・社内に学会女子部の先輩がいる。

(私が会社に入社した時期と、学会に入会した時期は大体同じ)

入社当時から、お尻を触るなどのセクハラ行為をする。

「辞めて下さい」というと、「減るものじゃないしいいじゃん♪」といい始める。

その女子部の先輩から聞く多くの話は愚痴。

初めは我慢してプライベートでもお付き合いしていたが、学会を退会を機に距離をおいた。

だが、女子部の先輩は総務に根も葉もない話(悪口)をしていたようで、身に覚えのない話で総務から昨日呼び出され、一方的に怒られた(女子部の先輩は、総務の人と頻繁に飲みに行く仲。)

長文になってしまいましたが、まだ沢山あり過ぎて書ききれません。

はっきり言って、こんなに思いやりも何もない自分本意の人達を初めて知りました。

不幸中の幸は、学会員の彼氏と結婚せずに、別れて無事退会できたことです。

金輪際、学会に関わりたくありません。」(トイレの花子 2015718 17:50



 「どうやら今日「創価学会員による公明党決別デモ」が行われたようです。三色旗に「バイバイ公明党」とか人間革命の冒頭の文章が書かれたプラカードを掲げて行進している写真がfacebookに上がっていました。おっ、これで創価もかなりのダメージかと思いきや、参加した学会員のコメントは「あと間違わないように、私達は創価学会の活動は未来永劫続けていきますよ。公明党だけバイバイなのです」だそうです。つまりデモに参加した学会員さんは、公明党が創価の思想に反しているという考えのようで、悪いのは公明党であって、あくまで創価は正しいんだそうです。残念ですが、洗脳されているので仕方ありません。これで公明票が減るのはいいことですが、学会員が創価に疑問を持つことはないようですね。ここまで創価がおかしいという明確な事態にも、やっぱり学会員は気づかない。自分たちが正しいというふうにしかものごとを考えきれないんです。」(signifie2015720 20:35


 PS 池田教の本質は、こういう末端信者の、救い難い性質にある。こういう信者たちと、まともに話し合うのは不可能である。議論しても、時間、体力、精神力を消耗する一方だ。信者とかかわると、人生そのものを無駄にしかねない。池田教信者にかかわるべきではない。




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2016年04月08日

党員 一

 先月上旬、野党が来週にも党名を決定する、というので、色々思うところがあり、当サイトでも、立憲民進党がよいのではないか、と書いてきたが、その後、民進党になり、筆者はだんだん、外から言うだけでは不十分なのではないか、という気がしてきた。
 ジャーナリズムは不偏不党、といえば聞こえはいいが、自公政権が、ナチスドイツの手口を真似て、戦時中の国家主義をほうふつとさせる「自民党改憲草案」を実現させようとしている。こういう時に、中立という立ち位置はないのではないか。たとえるなら、ナチスヒトラーに対し、中立というのは、結局、ナチスを増長させることになるので、それはナチスに与したことに等しい。ナチスに対しては、賛同するのか、反対するのか、の二つしかないのではないか。それと同じように、壊憲を目論む安倍自公政権に対しては、安倍自公政権の側につくか、つかないか、この二つに一つしかないのではないか。
 しかも、野党がバラバラで、かつてなく弱体化している隙に乗じて、安倍自公政権は驕る平氏さながらのやりたい放題、キムジョンウンの如きアベ独裁政治を続けている。安部自公独裁を止めるためには、野党勢力を育てていく以外にない。
 そのような思いに駆られ、党員というものになろう、という気持ちになった。
 そこで、まず、どこの政党の党員になろうか、と考えてみた。
 野党新党は、風頼みの観があり、核のないまま風船みたいに膨らもうとしているように見受けられる。そういうところよりも、今、自ら風を起こしているようにみえる共産党はどうか、と、まず思った。
 よく共産党アレルギーとか、赤い思想、といったことを言う人がいるが、安倍自公政権に対する共産党の主張は、むしろリベラルである。それよりも、安倍自公政権の方がよっぽど全体主義で自由がなく、北朝鮮や中国共産党に似ている。実際、自民党と連立を組む公明党こと池田大作党の機関紙セイキョー新聞は、北朝鮮の労働新聞そっくりだし、独裁者・池田大作とキムジョンウンは、似てる。そういう池田党と、党内の異論を許さない安倍独裁制の自民党は、体質が似ており、安倍大作政権は息がピッタリ合っている。
 また、共産党事情に詳しい人に聞いてみたところ、共産党内には、共産主義をいまだに信じている古株もいることはいるが、共産主義を信じていないリベラルな人も多いという。
 それなら共産党の党員でいいのではないか、と思い、共産党HPの党員のページをみてみた。すると、こういうふうに書いてあった。
 「日本共産党に入るには 18歳以上の日本国民で、日本共産党の綱領と規約を認める人は、党員になれます。」とある。
 そして、「党員は、職場、地域、学園などいずれかの支部に所属し、その一員として活動します。
 ・支部は、それぞれの職場、地域、学園などで党を代表して活動します。まわりの人びとの利益のためにどんな活動をしていくのか、どんな党をつくるのか――支部の党員がみんなで相談し、方針や計画をもち、分担して活動します。」とあり、「党員はつぎの四つのことを大切にして活動します (「四つの大切」)。」として、こうある。 
 「○ 「しんぶん赤旗」(日刊紙・日曜版)を読む
 ○ 支部会議に参加する
 ○ 学習につとめ活動に参加する
 ○ 党費(実収入の1パーセント)をきちんと納める」
 読んでいるだけで肩が凝ってきて、過労気味になってしまった。支部会議や学習会に出て、熱心に党員活動をすることは、ほかにやることもあるので、とてもできそうにない。
 この四つの大切、というのを実践していけば、精鋭ぞろい、の集団となることだろう。これは、強い。これなら風は起こせる。だが、筆者は、その一員としてとても活動に励めそうにないので、共産党員になるのはやめることにした。
 ただし、サポーター会員の意味合いで、日刊の赤旗新聞は購読しようと思い、手続きを済ませた。
 そうすると選択肢はほとんどない。そういうわけで、民進党(※筆者が党員選びをしたのは、民進党結党の前だが、民主党というのはテンションが下がるので、結党後の党名の表記とする)のHPから、党員申込のページを調べてみた。
 民進党のほうは、党員を、次のように定義している。
 「 党の基本理念および政策に賛同する18歳以上の日本国民が入党できます。
 • 党費は、年間6,000円です。
 • 資格期間は、お申し込み手続きが完了した日から1年間です。
 • お申し込み手続きは通年、民主党の総支部でお受けしております。
 • 所属は、お申し込み手続きをした総支部になります。
 • 党員は、任期満了による代表選挙で投票することができます。
 • 党員は、民主党の運営や活動、政策づくりに参画することができます。
 • 党員には、民主党の機関紙「プレス民主」( 月2回発行 )が送付されます。
 • 党員の権利や活動は、民主党規約や組織規則・倫理規則で定められており、それ以外の義務やノルマ等はありません」
 一見して、共産党より格段に、ゆるそうである。これなら、生活に支障なく党員になれそうだ。党員になると機関紙も送られてくるというし、とりあえず、入党してみよう、と思い、ネットから申し込みをした。いろいろな情報を打ち込み、送信ボタンをおしたところ、後日、お住まいのエリアの党支部から、連絡させますのでお待ちください、とのことだった。
 翌週、民進党という党ができた。それから二週間ほどたつが、いまだに、何の音沙汰もない。一体どうしたのだろう。何か手違いでもあったのだろうか。
 そこで、民進党本部に問い合わせたところ、職員が電話に出て、御存じのように新しい党となり、バタバタしていてまだ党員の募集はしていない状態なんです、また少し経ったらホームページをみてみてください、いずれ申し込みができるようになりますから、という趣旨のことを言っていた。
 民進党という党名になってから、もう一か月近くたつというのに、この悠長さ、詰めの甘さ、地に足のついていない、足腰の弱さに、あきれてしまった。対する安倍自公政権は、選挙に勝って憲法改正をするという一点で、なりふり構わず権力を濫用している、というときに、戦う気はあるのだうか。
 あるいは、民進党の党員になろうなどという者は、この国にはただの一人もいない、と踏んでいるのだろうか…。 
 (続く) 
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2016年03月28日

海と、天地の生き物を汚染するマイクロ・プラスチック 七の弐

 なお、資生堂以外については、前述の通りの質問をしたのたが、それに対し、花王とその子会社カネボウは、こう回答した。

 「下記の通り回答させていただきます。(株式会社カネボウ化粧品は花王株式会社のグループ会社のため花王会社が代表して回答させていただきます)

 この回答の掲載に際しては、原文どおり使用していただきたく、宜しくお願い申し上げます。草々

 記

 【花王株式会社ならびに株式会社カネボウ化粧品にいただいたご質問について】

 花王グループとして製品の開発にあたっては、製造から廃棄までの全ての段階で環境負荷が小さく、お客さまが安心して使用できる製品の提供に努めております。

 なお、別表にてお問い合わせの製品には、マイクロプラスティックビーズをスクラブ剤として使用していません。 以上」

 (続く)

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2016年03月26日

検証「育鵬社の教科書」 反知性的封建主義、愚民下政策のトゥールとして 九

 また、育鵬社「中学社会 新しいみんなの公民」の77ページには、こういう記述がある。

 「近代日本の代表的な知識人の福沢諭吉が『一身独立して一国独立す』と説いたように、私たち国民は国に守られ、国の政治に従うだけではなく、主権者として政治を動かす力をもっていることを忘れてはいけません」

   そもそも国民主権というのは日本国憲法の柱なのに、育鵬社の教科書では、「主権者として政治を動かす力をもっていることを忘れてはいけません」とあるように、国民主権を、ついつい忘れがちなもの、として取扱っている。こうして育鵬社の紙面を読んでいると、国民主権であることを忘れるよう、自然に、しつけられていってしまう。(写真は育鵬社「中学社会 新しいみんなの公民」より)


ついつい忘れがちであるかのように.jpg


 さらに、86ページには、選挙ポスターのような安倍晋三氏の顔写真のアップを載せている。(写真は育鵬社「中学社会 新しいみんなの公民」より)

   

ポスター.jpg


  

選挙ポスター.jpg


 この写真は、「政党と政治」という章のなかの、マニフェストについて説明するという建前で載せているものだが、この写真のどこに政治的中立性があるだろうか?

 この写真に明らかなように、この国でもっとも政治的に偏っている層が、安倍自公政権の批判者に対して、「政治的に偏っている!」「政治的に中立ではない!!」「偏っているキャスターを変えろ!!!」「電波を停める!!!!」などと言って騒いでいるのが実情。つまり、「政治的に偏っている」という批判は、「安倍自公政権に従順に従え!!!!!」という意味の「言葉の暴力」なのである。

 (続く)

posted by ssk at 17:53| Comment(0) | 連載

2016年03月25日

検証 自公「壊憲」草案 一

 安倍自公政権は、今夏の国政選挙で勝った暁には、いよいよ憲法改正に着手すると明言している。自民党の憲法改正の全容は、自民党のHPに公然と載っている。それは憲法改憲草案と称するもので、その中身は、戦時中の大日本帝国憲法と似ており、日本国憲法を破壊する内容である。

 この「壊憲」を、自民党は、補完勢力である公明党こと池田大作党と、一部の壊憲派の野党勢力と共に.実行しようとしている。

 こうした中、私たち国民は、もしも安倍氏の目論見通り、自民・池田が選挙で大勝し、日本国民の自由が大幅に制限されて、治安維持法のような法律の制定すら可能とする憲法ができる事態となって、聞いてないよといって反対の声をあげても、時すでに遅し、である。

 こういう状況にもかかわらず、自公の示す壊憲草案の中身は、ほとんどの国民はいまだ知ら.ない。例によって記者クラブメディアはまともに報じず、雑誌メディアは、例によってスキャンダルに明け暮れてばかりだ。べつにスキャンダルが悪いとはいわないが、スキャンダルばかりやっていても、ジャーナリズムは確立しない。

 そういうわけで、ごく一部の人間が著書等で発信する以外は、まともに細部にわたって検証されていないのが実情。そのため、自公壊憲草案を、検証する。

 なお、「自公」の「壊憲」草案とするのは、安倍首相自身が、公明党こと池田党と共闘して憲法を変える、と明言していることと、たとえ池田大作党が、加憲などという造語をつくって、信者向けに自民党との差別化をはかったポーズを取ったとしても、結局、大筋で自民党の案通りになるのは、集団的自衛権の行使を可能とする解釈改憲の閣議決定と、昨年の安保法制のときに立証済みである。

 壊憲草案に対する意志表示は、反対か賛成、この二つしかない。

 つまり、壊憲草案をつくった自民党に対し、選挙協力を蹴ってでも反対しない平和詐称の大作党は、壊憲に賛成しているのと一緒である。なので、実態は、安倍自公「壊憲」草案である。

 また、「壊憲」としているのは、自公政権のやろうとしてるのは、憲法の一部を改めるという次元ではない。現行憲法を壊して、まったく別の国家主義の憲法につくり替える、というのが真相であり、壊憲が正しい表現である。

 また、公明党ではなく、「池田大作党」としているのは、公明党の実態は、創価学会と表裏一体であり、その創価学会の実態は、池田大作を崇める集団であるためだ。また、信者たちはほとんど勉強もせず選挙に明け暮れていながら、学会を名乗ることは、看板の偽りであり、世間では学会といえば創価学会を意味するという風潮すら蔓延している現状は、学問の世界に対する侮辱である、と筆者は常々思っているので、もっと実態に即して本質を捉えた名前となるよう、「池田大作教」「池田大作党」というようにしている。他意はない。

 そういうわけで、まず、自公壊憲草案の、前文からみてみよう。前文は以下のとおり。

 (続く)

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検証「育鵬社の教科書」 反知性的封建主義、愚民下政策のトゥールとして 八

 次に、育鵬社「中学社会 新しいみんなの公民」のP5051では、見開きで「憲法改正」のコーナーを設けている。しかも、読売新聞の世論調査の数字を持ち出して国民の過半数が憲法改正をしたがっているという図表まで入れている。(写真は育鵬社「中学社会 新しいみんなの公民」より)

  

いくほう公民 憲法改正.jpg



 (続く)

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2016年03月23日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 四十二

 さらに、中村氏は、こう語っている。

 「基本設計ということで、今年度、これから出来てくると思うんですが、まず、この中で、再度申しますように、全国一の愛護センターと。私から言えば、世界的に見れば、ベルリンのティアハイムが世界一と言われている。これが16万平米なんですね。京都が今回、上鳥羽の公園の方で1万平米の中の半分で5,500平米ほど使うと。公園全体が1万平米ですやろ。(発言する者あり)2万平米。使うのは1万平米。それの16倍ですわな,16万平米は。

 いずれにしても、面積から言うたら、かなりやっぱり規模は小さい。しかしながら、当然、中のソフトの部分でいいものを作っていかなあかんというわけですけれども、先ほどらい、三つのコンセプトの中で、具体的にそういった教育施設とか、発信拠点とか、また、市民に開かれた、そういったスペースとか、夜間診療所も含めてやっていくと、ドッグランもやらなあかんのやから、どうしてもやっぱり面積が要るわけです。この辺の、面積が要るという中で、一つは、今現在ある家庭動物相談所、そこが、計画では上鳥羽の公園だけになっていますが、どう考えても広いと言えない。日本一と言えども、世界から言うたら16分の1やと。その中で、なんぼソフトを色々コンパクトに考えても、必ず今後、そういうソフトを考えたときに、それに伴うハード、その面積が必要になってくるわけです。だから、今の家庭動物相談所の今後の有効利用ということもやっぱり視野に入れて、あれを安易に売ることなく、これからの実施設計の際に生かしていくように、是非考えてほしいと。

 実は、これは今のドイツ、ベルリン、それからミュンヘン、それからフランスも含めてですけれども、こういう愛護団体の取組、また施設、公的な施設も含めて、まだはっきりしていませんけれども、海外視察に行きたいと、行くべしで考えておるわけでございます。是非とも、当局も一緒に行きましょうや。勉強してください。やっぱり世界一のものを造ろうと思ったら、世界一の所へ行って、それを勉強せんと。ほんで、例えば17年に出来た岡山の所とか23年度に出来た神奈川の愛護センターもありますわな。言うたって知れていますわ。だから、やっぱり世界一の、トップレベルの施設へ行き、そのソフト、ハードをしっかり勉強していかないと」

 このように、熱く語ったうえで、センターの名前について、こう提言している。

 「.(仮称)動物愛護センターという名前になっていますが、私の提案は,京都市動物共生推進支援センター。よろしいか。メモしてもらいましたか。そういう名称にする方が,ほんで、愛称は公募したらいいわけですわ。というような形でやるべしと思っているんです。その辺に対する、まあ、こうやりますということは言えへんかもしれんですけど、思い、決意を、再度、御答弁いただきたいんですが、どうですか」 .

 (続く) 

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2016年03月22日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 四十一

 そして、この平成23228日の、自賛答弁のなかで、中村氏は、こうも言っいる。

 「京都市はこのように野良対策のソフト面は他都市に比べて進んできておりますが、家庭動物相談所のハード面は残念ながらがたがたであります。今後これまで要望している動物愛護の基幹施設となる動物愛護センターの設置が必要と考えますが、今後の設置見通しをお聞かせください」

 これに対し、門川大作市長は、こう答弁している。

 「動物愛護センターにつきましては来年度中に検討委員会を設置し、市民の皆様や子供たちが親しめる動物愛護の基幹施設としての構想を取りまとめのうえ、できるだけ早期の整備に着手して参りたいと考えております。今後とも飼い主や地域の皆様、関係団体の方々と相互に連携、協働することで、動物と共生できる潤いのある豊かな都市・京都の実現に努めて参ります」

 このとき以降、中村氏は、動物愛護センターにまつわる質問、要望を多々することになる。これ以降、京都市は、あたかも、猫エサやり禁止条例の代わりに、全国一の巨大な動物愛護センターをつくる、という密約でも交わしているかのように、この二つはセットになって動いている。

 そのことは後述するとして、一連の市会での中村氏の発言からは、少なくとも「当初から」市長と一体となって、エサやり禁止の布石である街猫事業は進めては、いない。

 この点が、中村氏は黒幕ではないと筆者が考える根拠の一つである。

 ほかにも根拠はある。たとえば、平成24104日の決算特別委員会で、中村氏は、役人に対し、動物愛護センターについて、こう熱く語る場面がある。

 「御承知のとおり、かねがね何年も前から京都市の、それこそ古い相談センターから、まずは新しく動物愛護センターたるものを造らなあかんということをお願いし、申してまいりまして、昨年度の代表質問でも、そういったことから動物愛護センターを造るということがはっきりしたわけですけれども、造るのならいいものを造らんことには、全国から注目されているから、その出来たものが、それこそ京都の文化力を問われる、そういうバロメーターになるぞと。だから、しょうもないものを造ったら駄目だというようなことも言わせていただきました。(中略)

 そういう中で、今、動き出してきて、構想が生まれました。その構想には、正にコンセプトとして、一つは動物を通じて命の大切さを感じる場、人と動物の正しい関わり方を学ぶ場、人づくり、環境づくりを通じて人と動物の共生を推進すると。こういうコンセプトで構想が練られたということで、この中身は大変いい形で市民の声が反映されていると。正に、御存じのようにパブコメがされましたけれども、そのパブコメの数から見て、何と4,198件の意見があったと。今回、色々な構想で出されている分も大いに反映されたわけです」

 (続く)

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2016年03月06日

検証「育鵬社の教科書」 反知性的封建主義、愚民下政策のトゥールとして 七

 次に、育鵬社「中学社会 新しいみんなの公民」のP4849の、「平和主義」という章について。

 「平和主義」という小見出しの本文には、「第二次世界大戦に敗れた日本は(中略)徹底した平和主義を基本原理とすることにしました」ということを、たったの一ページの三分の一弱のスペースでつづっているのみで、写真もなにもない。

 要するに、扱いが異様に小さい。(写真は育鵬社「中学社会 新しいみんなの公民」より)

  

平和主義.jpg


 それが例えば、帝国書院の公民の教科書では、「平和主義にこめられた思い」と題し、「日本は平和主義のもと、第二次世界大戦後60年以上、一度も戦争にまきこまれることなく平和を守ってきました」「国家間で軍備を制限し、国際平和を実現できるしくみを強化することが求められます」とあり、広島平和記念式典の写真や、アニメ映画「火垂るの墓」を写真付きで大きく取り上げている。

 平和主義は日本国憲法の柱なのだから、このように大きく扱うのは当然である。が、育鵬社は、平和主義が煙たくて潰したくてしょうがない。

 さらに、育鵬社では、「平和主義」という大見出しの下に、「集団的自衛権」と題する文まで入れている。そこは、こう書いてある。 

 「集団的自衛権 国際連合憲章第51条において保障されている権利です。個々の国が自分の国を守る権利を自衛権といいます。そして同盟関係にある国の自衛を支援し、おたがいに防衛で協力しようとする権利を集団的自衛権といいます」(写真は育鵬社「中学社会 新しいみんなの公民」より)

  

集団的自衛権.jpg


 さらに次のページの本文のなかの「憲法の規定と自衛隊の実態との整合性については、今なお議論が続いています」という箇所に、注釈を入れて、こんな文までいれている。

 「国内では、憲法は自衛の場合も含め、いっさいの武力・武器の使用を禁じているのであり、自衛隊は憲法に違反するという意見も長く唱えられていました。一方、自衛隊がより国際的な責任を果たせるよう、現在は『権利を保持するが行使できない』(内閣法制局)とされる集団的自衛権を『行使させることができる』と解釈を変えるべきだという主張もあります」(写真は育鵬社「中学社会 新しいみんなの公民」より)

  

解釈改憲.jpg


 この育鵬社の教科書のままに、のちに安倍自公政権は、集団的自衛権の解釈改憲を強行して安保法制を成立させたのは、歴史的事実である。

 (続く)

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