2017年05月31日

天皇陛下を全否定、安倍自公の夜郎自大極まれり


 平成二十九年五月二十九月付、のauのニュースサイト


EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「天皇陛下を全否定、安倍自公の夜郎自大極まれり」


 を企画、取材、執筆しました。



521日付の毎日新聞朝刊一面に「有識者会議での『祈るだけでよい』 陛下、公務否定に衝撃 『一代限り』に不満」という記事がある。そこには、こうある。

 「天皇陛下の退位を巡る政府の有識者会議で、昨年11月のヒアリングの際に保守系の専門家から『天皇は祈っているだけでよい』などの意見が出たことに、陛下が『ヒアリングで批判をされたことがショックだった』との強い不満を漏らされていたことが明らかになった。陛下の考えは宮内庁側の関係者を通じて首相官邸に伝えられた」「陛下は、有識者会議の議論が一代限りで退位を実現する方向で進んでいたことについて『一代限りでは自分のわがままと思われるのでよくない。制度化でなければならない』と語り、制度化を実現するよう求めた。『自分の意志が曲げられるとは思っていなかった』とも話していて、政府方針に不満を示したという。

 宮内庁関係者は『陛下はやるせない気持ちになっていた。陛下のやってこられた活動を知らないのか』と話す。

 ヒアリングでは、安倍晋三首相の意向を反映して対象に選ばれた平川祐弘東京大名誉教授や渡部昇一上智大名誉教授(故人)ら保守系の専門家が、『天皇家は続くことと祈ることに意味がある。それ以上を天皇の役割と考えるのはいかがなものか』などと発言。被災地訪問などの公務を縮小して負担を軽減し、宮中祭祀だけを続ければ退位する必要はないとの主張を展開した。陛下と個人的にも親しい関係者は『陛下に対して失礼だ』と話す。

 陛下の公務は、象徴天皇制を続けていくために不可欠な国民の理解と共感を得るため、皇后さまとともに試行錯誤しながら「全身全霊」(昨年8月のおことば)で作り上げたものだ。保守系の主張は陛下の公務を不可欠ではないと位置づけた。陛下の生き方を『全否定する内容』(宮内庁幹部)だったため、陛下は強い不満を感じたとみられる。

 宮内庁幹部は陛下の不満を当然だとしたうえで、『陛下は抽象的に祈っているのではない。一人一人の国民と向き合っていることが、国民の安寧と平穏を祈ることの血肉となっている。この作業がなければ空虚な祈りでしかない』と説明する。

 陛下が、昨年8月に退位の意向がにじむおことばを表明したのは、憲法に規定された象徴天皇の意味を深く考え抜いた結果だ。被災地訪問など日々の公務と祈りによって、国民の理解と共感を新たにし続けなければ、天皇であり続けることはできないという強い思いがある」

 このように天皇陛下の生き方を否定した連中については、当コーナー昨年1212日付「天皇退位を巡る有識者会議の動向と天皇陛下の望み」に詳報している。具体的には、次の発言である。

 「天皇は続くことと祈ることに意味があり、世襲制の天皇に能力主義的な価値観を持ち込むと皇室制度の維持が困難になる。退位をしなくても高齢化への対処は可能で、ご高齢の場合も摂政を置けばいい」(平川祐弘・東京大学名誉教授)

 「公務の負担軽減は、各皇族で分担し、量的な軽減を図り、方式も改めるべきだ。退位の制度を設けるのではなく、皇室典範を改正して高齢の場合にも『摂政』を置けるようにすべきだ」(原康男・國學院大学名誉教授)。

 「天皇の仕事の第一は、昔から国民のために祈ることであり、国民の目に触れるような活動はありがたいが、本当は必要はなく、任務を怠ったことにもならない。摂政であれば、何も問題なくスムーズにいくので皇室典範どおりにやればいい」(渡部昇一・上智大学名誉教授)。

 「退位のために皇室典範の改正も特例法の制定もすべきではない」(笠原英彦・慶應義塾大学教授)。

 「天皇のお役割は、国家国民のために『祭し』をとり行ってくださることであり、天皇でなければ果たせない役割を明確にし、そのほかのことは、皇太子さまや秋篠宮さまに分担していただく仕組みを作るべきだ。ご譲位ではなく、摂政を置かれるべきだ」(櫻井よしこ・ジャーナリスト)。

 「ご高齢の現状に鑑みて、国事行為の臨時代行こそが最も適した対応だ。法的な措置を要することは、与野党が一致するまで見送るのが相当で、天皇より上皇の方が権威を持つ『権威の分裂』という事態がありうるので、退位にはよほど慎重でなければならない」(今谷明・帝京大学特任教授)。

 「退位を認めると皇室制度の存立を脅かす。退位を実現すれば、憲法上の瑕疵が生じ、皇位の正統性に憲法上の疑義を生じさせる」(八木秀次・麗澤大学教授)。

 いうまでもなく、これらの面々は、安倍晋三と思想を共有している。要するに、これら天皇陛下を苦しめる発言は、安倍自公政権の言葉に等しい。

 明治以降、これほど天皇陛下を軽んじた政権は、絶無である。例えば、西郷隆盛がこの事態を知ったら、慟哭して、ゆっさ(いくさ)を起こすに違いない。無論、西郷だけではない。この国をつくった全ての先人たちは、安倍自公を許すまい。

 安倍自公の夜郎自大ここに極まれり。驕れる安倍自公は、これから先、必ず落ちていく。野党はその時のために力をつけるべきである。(終)

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2017年05月28日

「共謀罪」衆院通過にみる「巨悪」の正体

 平成二十九年五月二十六月付、のauのニュースサイト


EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「「共謀罪」衆院通過にみる“巨悪”の正体」


 を企画、取材、執筆しました。



 「共謀罪」法案が23日、衆院本会議で自民、公明、日本維新の会等の賛成多数で可決され、衆院を通過した。野党は審議の継続を訴え、採決そのものに反対したが、与党が押し切った。(24日付朝日新聞朝刊)

 なお、与党の一角で自称・平和の党である公明党について、こんな記事が載っていた。それは、14日付日刊ゲンダイ電子版の、「創価学会員50人に聞いた『あなたは共謀罪に賛成ですか』」という記事。そこには、こうある。

 「内心を罰することから、平成の治安維持法ともいわれる「共謀罪」。戦時中、創価学会初代会長の牧口常三郎氏と、2代目会長の戸田城聖氏は、治安維持法違反で投獄され、牧口氏は終戦直前に獄死した。

 支持団体がそんな歴史を持つのに、公明党は自民と維新とタッグを組んで、18日に共謀罪の衆院採決を強行する気だ。創価学会の人々は共謀罪をどう見ているのか――。本紙記者は12日、創価学会総本部をはじめ、関連施設が集中するJR信濃町駅周辺で、学会員を直撃。2080代の男女50人(男18人、女32人)から回答を得た」

 「「中身がよく分かりません。公明党は賛成しているのですか」(50代女性)、「知らん。興味ない」(60代男性)、「名前は聞いたことがある」(20代男性)」

 「「共謀罪は学会内で話題にすらなっていない。テロ対策など自分には関係ないと思っていて、皆、ピンときていない。私も詳細を知りません」(60代男性)」

 「圧倒的多数は「分からない」で、38人にも上る」

 また、賛否を鮮明にした人のうち、「五輪もある」(40代女性)など賛成は7人で、「もっと議論すべき。今国会で成立させる必要はない」(70代男性)など慎重派は4人いたという。

 なお、戦前生まれの80代男性は、こう述べたという。「共謀罪は絶対ダメだ。ちょっとでも怪しい国民を見つけたら、憲兵や特高がやってきて捕まえる。やりたい放題です。私は小さかったが、当時の雰囲気を今でも覚えていますよ。牧口、戸田先生だけではない。ほとんどの宗教は治安維持法でやられました。若い人には分からないのでしょうか」

 やりきれない表情でそう嘆いていた。創価学会内が“圧倒的無関心”の中、共謀罪は成立しようとしている」

 いうまでもなく、創価学会=公明党は、小選挙区制のなかで、常に信者を総動員して自民党を勝たせてきた。それだから、この国を動かしているのは、我々である、という意味のことを、創価学会はたびたび公言している。

 つまり、共謀罪が519日に衆議院法務委員会で強行採決され、23日の衆院本会議を通過し、成立しようとしているのは、創価学会のせいといっても過言ではない。

 そして、その集票マシーンである信者の実体は、自分達が投票した政治家たちが何をしているのかを全く理解していない、理解しようともしない、という低能ぶりである。それでいて、選挙のたびに、ロボットのように投票し、周囲にも、自民党、公明党に投票するよう、死に物狂いで勧誘し続けている。

 また、上記記事によると、共謀罪に内心では反対している信者もなかにはいるようだが、では、投票でその反対の意志表示をしているかといえば、していないに違いない。つまり、自分の意志とは反対の投票行動をし続けている。このような集団が国を席巻して、民主主義がゆがまないわけがない。

 本当の“巨悪”とは、ヒトラーのようなことを為す悪魔の如き者を指すのではない。そのような者を国のトップに選ぶ大衆こそ、“巨悪”である。

 要するに、本当の“巨悪”とは、上記記事にあるような、度し難い「凡庸」「低劣」「無関心」にこそある。(佐々木奎一)



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2017年05月25日

自民党「受動喫煙NGのガン患者は働くな! !」

 平成二十九年五月二十二月付、のauのニュースサイト


EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「自民党「受動喫煙NGのガン患者は働くな! !」」


 を企画、取材、執筆しました。



21日付の日本経済新聞朝刊に「『がん患者は働くな』、禁煙議論、自民部会でやじ?、患者団体反発、議員は否定」という記事がある。

 それによると、「受動喫煙の防止策を非公開で議論した15日の自民党厚生労働部会で、たばこの煙に苦しむがん患者の立場を訴える議員の発言に「(がん患者は)働かなくていい」という趣旨のやじがあったとして、患者団体が反発している。

 やじを受けたのは三原じゅん子参院議員である。「部会では、飲食店について原則禁煙とする厚生労働省案と、表示すれば喫煙を認める自民党案が示され議論が紛糾。複数の出席者によると、子宮頸がんの経験者で厚労省案を支持する三原氏が「働きながら治療するがん患者は店を選べない。命がけで喫煙の仕事場で働く苦しさを考えてほしい」と訴えた際、男性議員がやじを発した」という。

 「やじを受けた三原じゅん子参院議員は取材に対し、部会が非公開だったことを理由に詳細は明かさなかったが「本当に残念。がん患者の働く場を奪うようなことを言ってはいけない」と述べた。

 なお、同氏のブログには、こう書いてある。

 「私は皆様のいのちを守る、健康を守る為に受動喫煙防止対策法案は厳しくすべきと思っています。

 なぜなら弱い立場にある方々はずっと耐えてきたからです。(中略)がん患者の方々は就労を続ける事や新たに働く場を見つけるのも困難な場合もあります。好きな所で働くという選択が許されないほど現実は厳しいのです。そうして、やっと見つけた職場が喫煙可で煙モクモクの中ではたまったものではありません。

 そういう方々のお気持ちに寄り添うことも必要では?と発言させて頂きました。

 が、残念ながら余りにも心無い野次に私は心底怒りで震えました。

 当然、厳しく反論いたしましたが、同じ党内でこんな言葉を吐く議員がいるとは、情けない」

 なお、冒頭記事によると、暴言を吐いた議員は、「そんな差別的なことは言ってない」と言い訳しているというが、「ネットでやじの件が伝わり、全国がん患者団体連合会は「がん患者の尊厳を否定しかねない」との抗議文を公表。天野慎介理事長は「患者にとって就労で得られる収入は命に直結する問題だ。政府は一刻も早く受動喫煙対策を進めてほしい」と話している」とある。

 日本経済新聞は、例によって自民党に遠慮して、議員の実名を書いていないが、そうやって自民党の顔色をうかがい、読者の方を向いていないから、部数が伸びないのである。即時実名を公表すべきだ。

 なお、「ガン患者は働くな」という発言は、失言でもなんでもなく、単に「本音」を言っただけである。しかも、そういう「本音」を持つのは、この議員に限った話ではない。そもそも、受動喫煙で年間15千人が殺される中、自民党が党としてやっきになって受動喫煙禁止法に反対していること自体、「ガン患者のことなど知ったことではない! 受動喫煙で苦しいなどという弱々しい奴は勝手に死ね!!」と、心の中では思っている証左なのである。

 なお、滑稽なことに、自民党都連は、都議選の公約に、受動喫煙防止を掲げたという。(514日付朝日新聞朝刊)

 国会のしゅう醜状を棚にあげることで、事実上、受動喫煙“蔓延”を推進しておきながら、なんという言い分であろう。

 無論、コバンザメのように自民党にくっ付いている創価学会=公明党も、信者向けの字義通りの「子ども騙し」のパフォーマンスとしての、受動喫煙の防止法のようなもの出すことで、実質的に、受動喫煙“蔓延”に邁進している。

 要するに、自公は、有権者をなめている。

 もともと自民党というのは、2000年時点で、すでに消費期限が切れて腐っていた政党で、とうになくなっていたはずの政党である。その後、ゾンビのように何度か息を吹き返して今に至っているわけだが、中身はますます劣化し、もはや自公の腐臭は隠しきれないレベルに達している。(佐々木奎一)



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2017年05月21日

ねこ動画の効能

 平成二十九年五月十九月付、のauのニュースサイト


EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「ねこ動画の効能」


 を企画、取材、執筆しました。




 「米大学研究で判明!仕事中の「ネコ動画」がストレスと集中力を改善」という記事が16日付のニュースサイトMenjoy!にある。

 それによると、こうある。

 「通勤通学の移動時間や休憩時間などに、Youtubeなどの動画サイトをチェックするというひとも少なくないでしょう。そして、イライラしたときには動物のカワイイ動画を見て癒されているというひともいるのでは。実は、アメリカ・インディアナ大学の研究によると、ひとは“ネコの動画”を見るとポジティブになるというのです」

 なお、見出しや記事を読む限り、この研究は昨日今日公表されたかのようである。が、後述のように、実はこの研究というのは、2年前に報じられている。さらにこの記事は、出所不明の情報を、さも研究結果であるかのように盛り込んでいる。さらに日本の学者の話も突然出てくる。いずれもいつの話なのか書いていない。いうまでもなく、書き手にとって5W1Hを書くというのは、基本中の基本なのだが、この記事はそれすらできていない。

要するに、素人が書いている記事なのである。

 先日の「氾濫するクックパッドと乳児死亡こじつけ記事」(414日付)といい、昨今のニュースは、ますます書き手が劣化していることを、端的に表している。

 もちろん、素人がどんどん書くのはけっこうなことだし、ユニークな視点も多々あるに違いないが、信ぴょう性に欠ける。今後、この傾向は、ますます顕著になっていくことだろう。

 話を元に戻す。前述のようにこの研究は、すでに2年前に報じれている。例えば、「活力高まり前向きに 猫ビデオの癒やし効果実証 米」(15622日付CNN)には、こうある。

 「「猫ビデオ」を見ると活力が高まり、前向きな姿勢になれる――。米インディアナ大学ブルーミントン校の研究者が行った調査でそんな癒やし効果が確認されたと発表した。

 同校のジェシカ・マイリック准教授は約7000人を対象に、猫ビデオを見ることで気分がどのように変化するかを調べた。対象者のうち自称「猫好き」は36%を占めていた。

 調査の結果、猫ビデオを見た後は前向きな気持ちが高まる一方、不安や否定的な感情は薄らぐ傾向があることが分かった。(中略)仕事中や研究中に気晴らしとして猫ビデオを見るのは必ずしも悪いことではないかもしれないと同氏は結論付ける。

 「やるべきことをやらずに、あるいは仕事中にユーチューブで猫ビデオを見ていたとしても、感情的なプラス効果はその後の大変な仕事に取り組む助けになるかもしれない」と解説している」

 さもありなん。

 無論、動画だけではない。猫と暮らすと、癒され心身に好影響を及ぼす。例えば、「082月にニューオリンズで開かれた米脳卒中協会で、ミネソタ大学脳卒中研究所(ミネソタ州ミネアポリス)のアドナン・クレシ博士は、10年間にわたり4000人以上を対象にした調査の結果として、ネコを飼っている人は飼っていない人より、心臓の疾患で亡くなる確率が30%低かったと発表」したりもしている。(J-CASTニュース17411日付)

 猫のそばで書く作家は多いが、猫が近くに居るとインスピレーションが湧き、筆が進むのかもしれない。

 だから、猫を飼うに越したことはないが、猫が飼えない状況の人や、責任を持って猫を飼えない人、猫のいない場所で作業をする、といった人たちは、猫動画が有効といえよう。(佐々木奎一)




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2017年05月18日

がんばる人が倒れないための方途



 平成二十九年五月十二月付、のauのニュースサイト


EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「がんばる人が倒れないための方途」


 を企画、取材、執筆しました。



 「ツイッターから書籍化、「自分の命、最優先に」、過労体験、共感集める」という記事が10日付の日本経済新聞夕刊にある。

 そこにはこう書いてある。

 「過労自殺しかけた自身の体験を基にフリーのイラストレーター、汐街コナさんがツイッターに投稿し反響を呼んだ漫画が書籍化され、発売された。タイトルは「『死ぬくらいなら会社辞めれば』ができない理由」。出版に当たり精神科医が監修、自分の命と人生を最優先に考える生き方や心のSOSへの対処法を描いた。

 電通の新入社員が過労自殺した問題を受け、汐街さんが8ページの漫画を投稿したのは昨年10月。自殺に至る心の過程が描かれ、長時間労働やパワハラに苦しむ多くの人から共感を集めた。

 投稿を読み「過労で思考力を奪われていくリアルさにぞっとし、心をつかまれた」という「あさ出版」の淡路勇介さん(28)が書籍化を依頼した。

 ツイッターでは約30万件ものリツイートがあったが、その中の一人が監修を担当した精神科医のゆうきゆうさん。うつになりながら一人で抱え込む人は多いといい、「もっと気軽に心療内科に来てほしい」との思いから執筆に協力した。

160ページの本では過労状態から抜け出した人の体験談のほか、家族がどのように接したらいいかも紹介。中でも「仕事上の立場は替えがきくが、絶対に替えがきかないものがある」と訴える漫画は胸に迫る内容だ。

 汐街さんは「本当の自分の目標や幸せを見誤らないでほしいと伝えたかった。会社や人生に少し疲れてきている人や『頑張らないと』と自分を追い詰めてしまう人、身近にそういった方がいる人に読んでほしい」と話している」

 過労死、過労自殺の事件は、筆者も幾度も取材執筆してきたが、亡くなる人の大半は、人一倍周囲に気遣う人格者で、自分が過労で苦しいときも決して弱音をはかず、責任感が強く、仕事もプライベートも一生懸命がんばる人たちだった。要するに、そうした日本人の美徳が、過労死事件では、あだとなることが多い。

 例えば、過労で身体を壊し、会社を辞めなければ身が持たない、というときも、そうした美徳の人は、自分が辞めて欠員が出ることで、周りに迷惑をかけることを気にし、会社を辞めずに、がんばる。心身が壊れるまでかんばる。

 そういうときの発想転換の考え方が、同書には、多々載っている。例えば、こういう事が、漫画で書かれている。

 「会社を辞める際 理想としては「立つ鳥跡をにごさず」ですが それができないからこそのブラック企業…」 

 「段取りを守っていると なかなか辞められない場合は『立つ鳥跡をにごしてもいい!」と開き直りましょう 跡のことばっか気にして立ち去れなかったら意味がない」

 「『辞める会社がどうなっても知ったこっちゃねえよ』 こんくらいの気持ちでいこう」

 また、こうも書いてある。

 「会社はどーでもいいけど 同僚や先輩後輩は気になる…自分が抜けたら皆の負担が… そんな心やさしいあなた そこはもう『命てんでんこ』の精神でいくしかありません」

 命てんでんこ、とは、津波てんでんこ、をもじっている。

 「津波てんでんこ」とは、「三陸地方に伝わる、津波避難のための教訓。「てんでんこ」は「てんでん(それぞれ)ばらばらに」という意味の方言で、瞬間的な判断が生死を分ける津波からの避難では、家族にも構わず各自が高台に逃げなくてはならないという意味。各自が躊躇なく逃げることで結果的に被害を少なくできるとされる。約27000人の死者・行方不明者を出した1896年の明治三陸地震時の大津波など、度重なる津波の被害から生まれた言葉」である。(imidas 2016

 要するに、生死の瀬戸際で、自分もこの危機を脱する、あなたも生き延びて、そしてまた会おう、共倒れするのではなく、お互い生き延びよう、という精神である。

 この本には、がんばる人が過労で倒れないための方途が書かれている。(佐々木奎一)

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受動喫煙禁止法案凍結中にポピュリストが主導権握る

 平成二十九年五月十二月付、のauのニュースサイト


EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「受動喫煙禁止法案凍結中にポピュリストが主導権握る」


 を企画、取材、執筆しました。



9日付朝日新聞朝刊に「受動喫煙対策法案、厚労省案を骨抜き」という記事かある。それによると、「自民党は8日、受動喫煙法案について、「小規模飲食店は「喫煙」や「分煙」の表示があれば喫煙を認める妥協案をまとめた。茂木敏充政調会長が党内の規制強化派と慎重派双方の議員連盟トップとの間で合意した。全面禁煙を掲げる厚生労働省案を骨抜きにする内容で、塩崎恭久厚労相の対応が焦点となる。

 都内のホテルで2時間近く開かれた会合には、茂木氏と規制強化派の議連会長を務める山東昭子氏、規制慎重派議連の会長である野田毅氏、歴代厚労相経験者らが出席。同席した田村憲久政調会長代理によると、「望まない受動喫煙」を防止することで一致した。(中略)塩崎厚労相は近く飲食店の関係団体に対し、厚労省案を自ら説明する予定で、「妥協はしない」(周辺)姿勢を示している。しかし、この日の会合出席者は「これでまとまらなければ法案は通らない」と牽制しており、塩崎氏が党の妥協案に応じるかが当面の焦点となる」という。

 なお、塩崎氏は、9日の閣議後会見で、上記の自民党内の動向について、「『望まない受動喫煙はなくす』という考え方で一致をしたことは結構なことだ」とした上で、「従業員や、大学生・高校生のアルバイトが煙にさらされてしまうということで、結局望まない受動喫煙をなくすことにはならないのを、どう考えるのか」などと指摘。「今後党側とよく話し合って、考え方をうかがいたい」と述べた」という。

 まったくもって筋の通った発言である。が、その塩崎氏は今、永田町で孤立無援である。

 無論、その第一義的責任は、党内の絶対権力者・安倍晋三氏にある。

 さらに、野党が不自然なほどモノ申さないのが、なんといっても大きい。

 そしてその間隙を、ポピュリスト(衆愚政治の具現者)小池百合子・都知事は見逃さなかった。

 小池氏は10日夜、受動喫煙.対策について、「基本的には厚生労働省の案に近い。明確に分煙では不十分ということから、屋内禁煙を原則としていく」と述べ、都議選の公約に盛り込むと語ったというのである。(11日付同紙)

 国会で野党がイニシアチブを取らず、あろうことか都知事に握られるありさまは残念としかいいようがないが、この際、ポピュリストによる自治体発でもなんでもよいので、受動喫煙禁止は、実現しなければならない。(佐々木奎一)


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2017年05月11日

シックハウス症候群の根本的解決方法

 平成二十九年五月八月付、のauのニュースサイト


EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「シックハウス症候群の根本的解決方法」


 を企画、取材、執筆しました。



53日付に「けんこう処方箋 シックハウス症候群、対策は」という記事がある(朝日新聞朝刊、北海道版)。これは20年近くシックハウス症候群の調査研究を続けてきたという、その道の権威ともいえる岸玲子北大名誉教授の手記である。

 そこには「私たちは一日の生活時間の多くを室内で過ごす。自宅、職場、学校、病院など建物の中の空気の質は、私たちの健康に大きな影響を与える。(中略)10年ほど前には、厚生労働省の研究班班長としてシックハウス症候群に関する正しい知識の普及のために「シックハウス症候群に関する相談と対策マニュアル」を作った。

 このたび、その改訂新版を発行した。(中略)これから自宅を建てる一般市民や、建築業関係の方にもわかりやすいように工夫し、編集した。厚労省のホームページから、内容を無料で読むことができる。

 シックハウス症候群の症状は多彩だ。目がチカチカする、鼻づまり、のどの乾燥、皮膚のかゆみや湿疹、頭痛や吐き気など人によって様々。住宅を離れると、症状が良くなるのが特徴である」とある。

 その原因として、建材などの化学物質や細菌、カビ、タバコなどを挙げている。

 その中でも特に筆者が指摘したいのは、化学物質である。

 具体的には、前出の「改訂新版」によると、建物の建材の接着剤、塗装、壁紙、家具、住宅設備などに使うホルムアルデヒド、アセトアルデヒドなどなど多種の化学物質が使われているとある。

 周知のとおり、一生かけて返済するような巨額の借金をして念願の新築マイホームに住む人は、世の中多い。が、大枚をはたいて買った新築物件は、実は、化学物質に満ち満ちている。そのため、人によっては化学物質により、シックハウス症候群で苦しむ。

 全250ページもある「改訂新版」には、そうした化学物質への効果的な対処法は書いていない。

 一体どうすればよいのか?

 実は、シックハウスにならない新築の家をつくっているという人がいる。それは161223日付の、広島のコミュニティFM「ちゅーピー」の番組「裕治郎のダメダメ経営者改善計画」にゲスト出演していた、広島市安佐北区で無垢材、漆喰いにこだわった新築・リフォーム工事をする「家創り工房 縁」代表の清水大介氏という人物。

 同ラジオによると、清水氏は、もともと学生時代の頃から、新しい建物に居るとアレルギーが発症し苦しんできた。そうしたなか大卒後、大工の道を歩み、結婚し子どもができて、新しい家に引っ越した。すると、引っ越した途端、子どもがアレルギーで体中に湿疹ができた。海外の文献などを読み、シックハウス症候群に違いないと踏んだ清水氏は、一年以上かけて、素材を一つ一つ自分で選び、化学物資を使っていない手作りの家をつくった。すると、子どものアレルギーは途端に治り、ツルツルと肌になった。現在、清水氏は、化学物質を使わない100%自然素材の新築の家を、大手メーカーの新築の家の価格よりも安い位の値段で設計施工販売しているという。

 また、番組内では、清水氏の扱う無垢の建材の一部と、大手メーカー等が扱う建材を、それぞれコップの中に入れたところ、無垢材のほうは透明の水のままだったが、大手メーカーなどのほうは水が茶色くなっていくところを、実際に見せて説明し、出演者たちを驚かせていた(番組HPに写真有り)。この茶色くなる物質が建材に使う接着剤という。新築の建物のみならず、新車などでも、新しいものに特有のにおいがするが、それはこの接着剤のせいなのだという。要するに、シックハウス症候群は現代病そのもので、実はハウスに限ったものではない、ということになる。

 無論、冒頭の、税金を使って書き連ねた権威と呼ばれる学者の本よりも、清水氏のほうがよっぽどシックハウス症候群の実体と対策を解き明かしている。

 同氏は「今の日本の住宅に必要なのは最新の工法や最新の建材ではなく、最高の技術と本物の素材です」とHPでつづっているが、こういう人物の居る土地に住む人々は、幸せといえよう。(佐々木奎一)



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2017年05月09日

今後の注目ポイントは野党の動向「GW以降特別注目のニュース(国内政治編)」

 平成二十九年五月三月付、のauのニュースサイト


    EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「「GW以降特別注目のニュース(国内政治編)」今後の注目ポイントは野党の動向


 を企画、取材、執筆しました。



GW以降の国内政治の注目ポイントは、野党、とりわけ第一党の民進党の動向である。

 秘密保護法、安保法制を成立させた安倍自公政権は、現在、共謀罪を成立さようとしている。さらに、壊憲を目論んでいることは周知の事実。

 壊憲するため、安倍自公は、まず、衆院を解散し、32議席を確保したのち、じっくりと時間をかけて事を進めようとすることだろう。無論、選挙で野党が奮闘し、自公で3分の2議席取るのを食い止めることができれば、安倍自公の目論見は、ご破算となる。

 そうなるかどうかは、野党第一の民進党にかかっているといえよう。

 巷では、民進党は蓮舫代表の求心力がなくもう崩壊寸前だとか、長島某というひれ代表の不満分子の議員が離党したことで離党ドミノがはじまる、といった評論の類は実に多い。また、民進党は、批判ばかりしていて建設的ではない、といった批判も相変わらず多い。

 がしかし、そもそも長島某というのは、壊憲思考が根強く、野党というよりはむしろ、安倍自公政権下で壊憲草案を作っている方がフィットする感じだった。それだから、不満ばかり言って党内をかき回していた長島某が民進党を離党したというのは、野党にとってはむしろ吉報といえよう。

 また、蓮舫代表の資質を問う声もあるが、周りがしっかりと支えていけば、組織というのは運営していける。それに他の地味な議員よりは、蓮舫氏は大衆受けするのは事実なのだから、その長所を活かしていくことが肝心といえよう。

 それに、民進党は反対ばかりしている、という批判は、的外れも甚だしい。衆参の国会審議は、ネットで観ることができる。その審議を観ると、民進党の議員たちがいかに建設的に論じ、党として数々の対案も出しており、与党の案に賛成することも多々あることを知ることができる。

 要するに、民進党は、政党として、地力をつけつつある。

 今、自公政権が次々と禍根を残す法律をつくっているが、将来必ず、その禍根を取り除き、この国の先人が築き守ってきた社会を取り戻す政治が必要になってくる。その役目を果たすことのできる政党になっていく地力を民進党がつけていけるかどうかである。

 なお、記者クラブメディアの世論調査なんかでは、民進党の支持率は一ケタ台という安倍一強政治が続いている。だが、その自民党も、一昔前は、崩壊寸前だった。その時、自民党は、パフォーマンスの人気取りには走らず、地道に根を張るような活動をしてきた。その結果、ゾンビのように息を吹き返した。

 つまり、政党支持率なんていうのものは、何かの拍子で変わる、移ろいやすいものなので、いちいち気にすることはないのである。

 それよりも、たとえ日の目を見ず、メディアに取り上げられなくとも、地味な議員活動を、地道に続けていけば、そのことが必ず、評価される時がくる。要するに、今後の国内政治の注目ポイントは、そういう意味での「地力」を野党がさらにつけられるかどうかである。(佐々木奎一)

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2017年05月05日

受動喫煙禁止法案の対案を出さない蓮舫民進党

 平成二十九年四月二十七月付、のauのニュースサイト


  EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「受動喫煙禁止法案の対案を出さない蓮舫民進党」


 を企画、取材、執筆しました。



27日付テレビ朝日に「『苦しむ従業員を』飲食団体が受動喫煙対策強化求め」というニュースがある。それによると、「飲食店業界や肺がん患者の団体などは、受動喫煙対策の強化を求める約38000人分の署名を塩崎厚生労働大臣に手渡しました。その後の会見で、飲食店業界の団体の代表は『受動喫煙に苦しんでいる従業員を守るためには法律の整備が必要だ』と述べました。厚労省は2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催に向け、飲食店などでも原則として屋内を禁煙とする受動喫煙対策法案の成立を目指しています。しかし、自民党内では法案に反発する声が大きく、国会への提出が難航しています」という。

 このように、飲食業界内でも、大勢の人が受動喫煙禁止を求めている。なお、こと受動喫煙防止に関しては、厚労省はある程度熱心に対策を考えているフシがあり、そこのトップである塩崎恭久厚労相も、しっかりした抜け穴のない法案を成立さようとしているように見受けられる。

 無論、厳格な法律を成立させるためには反対を押し切る突破力、発信力、推進力といった資質が必要である。塩崎氏はそれを持ち合わせているかが問われる。晴れて厳格な法案を成立させることができたら、塩崎氏は後世に名を残すことだろう。抜け道のある受動喫煙推進法となれば、毎年15千人が受動喫煙で殺されている状況をみすみす放置した無能な政治家として、歴史に汚名を残すことになろう。

 塩崎氏を孤立無援にさらす自公に対し、野党はといえば、第一党の民進党は、政党として受動喫煙について政策を出さず、日和見を決め込んでいる。なぜか。喫煙者票が取れなくなることを恐れているのか。それとも、中枢メンバーが受動喫煙防止に反対しているのだろうか。こういうデータもある。

 民主党政権時、現民進党幹事長の野田佳彦氏は、タバコ増税のことを「税制を通じた『おやじ狩り』みたいなところがある」と述べたことがある。野田氏は喫煙者である。

 また、当時の厚労相の小宮山洋子氏が、「(喫煙者の)8割から9割が本当は禁煙したいと言っている。どうせやるなら背中を押すような値上げをしてくれという声も大変多い。700円台くらいまでは税収は減らないので、少なくともそこまではたどり着きたい」と意欲を語った。すると当時の行政刷新担当相の蓮舫・現民進党代表は、「個人の思いを述べたものだと思っている」と一蹴した。(1196日付ニコニコニュースより)

 蓮舫代表は喫煙者という情報もある。(ユーチューブ「【反NHK立花氏語る】「蓮舫さんは喫煙者」【意外な側面・素顔】(6:11〜注目)」によると、1641日付ニコニコ動画・日本海賊TV「金八アゴラ」で、蓮舫氏と仲が良いという立花という人物が、蓮舫氏は喫煙者であることをしゃべり、周囲が驚く、という音源あり)

 要するに、代表と幹事長というツートップが喫煙者だから、厚労省の受動喫煙防止法案には内心反対している、だから党として対案一つ出さないのではないか、と疑わざるを得ない。たとえ自らは喫煙者だとても、受動喫煙禁止法を成立させるべきである。

 いうまでもないことだが、受動喫煙の弊害は枚挙にいとまがない。ほんの一例を挙げると、19日日付朝日新聞朝刊「煙の影響、出生体重軽く」によると、「全国の母子約10万組が参加する、環境省の「エコチル調査」のデータを分析した研究によると、妊娠中も喫煙していた母親から生まれた新生児の体重は、非喫煙者の母親の新生児より男児で136グラム、女児で124グラム少なかった。

 煙の中の有害物質が母親の血液を通じて胎児に回ると、酸素が十分行き渡らなかったり、胎盤が育たずに胎児に栄養がきちんと届かなかったりするなど、様々な影響がもたらされるためでは、と考えられている。

 「受動喫煙によって低体重で生まれると、肥満になりやすくなるという研究結果もある」と、研究を担当した鈴木孝太・愛知医科大学教授は話す。

 苦しい環境で赤ちゃんは育とうとして、エネルギーを体にため込みやすい体質になる。生まれた後に栄養状態が改善されても体質は変わらないので、太りやすくなると考えられている。

 母親だけでなく、父親など同居する家族に喫煙者がいると、出生時の体重が50100グラム軽かったという報告もある」という。

 このように、とりわけ妊婦や幼児に受動喫煙の弊害はある。本来、そうした虐げられた女性たちを守るために声を上げることを、とりわけ蓮舫代表のような女性のリーダーには求められているように思うのだが、どうだろうか。(佐々木奎一)

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2017年05月03日

国会で話しただけで共謀罪だと恫喝する自民党議員

 平成二十九年四月二十四月付、のauのニュースサイト


    EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「国会で話しただけで共謀罪だと恫喝する自民党議員」


 を企画、取材、執筆しました。



23日付「安倍政権が法務委で次々“本音”共謀罪の正体が見えてきた」という日刊ゲンダイ電子版の記事がある。それによると、21日の「共謀罪法案」を審議した衆院法務委員会で、「安倍政権の本音が出たシーン」があったという。それは「質問者が民進党の階猛議員から枝野幸男議員に交代した時のこと。政府の答弁があまりにヒドイので、委員長の許可を取った上で、2人が少々相談をした。それを見ていた自民党の土屋正忠理事が大声でこう叫んだ。

 『あれは、テロ等準備行為じゃねえか!

 野党議員2人が話し合っただけで、『共謀罪』に抵触するとドーカツした格好だ。怒った階が、『どういうことだ』と土屋氏の肩に触れると、自民議員が『手を出すな』『暴力だ』と大騒ぎ。ほとんどチンピラと変わらなかった。それにしても、2人が集まって話しただけで『共謀罪だ』とは、この法案の実態を表したものなのではないか。

 民進党の逢坂誠二理事はこう言う。

 『人が集まって、何かを相談しただけで、テロ等準備罪のイメージを抱いている人がいるということです。恐ろしいことです。与党の本音が出たということでしょう』」

 要するに、共謀罪が成立すると、普通に誰かと話したり連絡を取ったりするだけで、逮捕されるリスクが出てくるというわけ。これでは、おちおち会話もできやしない。

 実際、「共謀罪の祖形」である治安維持法による逮捕が横行していた敗戦前は、電車の中など人が大勢いる場所では、人々は暗い顔をして押し黙っていることが多かった。(作家高見順の敗戦日記により)。黙りこくるのは、世間話をしゃべっただけで、密告されて逮捕されるリスクがあるだ。

 無論、何をしていなくても因縁をつけて逮捕できる法律なので、政府のやり方に批判的な言論人などは、恣意的に逮捕して殺されたりしていた。

 つまり、共謀罪が成立すると、安倍自公政権を批判する者は、共謀罪で逮捕されるリスクがある。あるいは安倍政権下ではそこまでの事態は起きないと言い張る者もいるが、この法律が存在する限り、遅かれ早かれ国家権力を批判すれば共謀罪で逮捕される時代が来ることは間違いない。

 無論、国家権力を批判しない国民にとっても、他人事ではない。国家権力に少しでも疑われれば、共謀罪名目でいつもで逮捕されるリスクがある。

 例えば、弁護士の清水勉氏は22日付のビデオニュース・ドットコムで、こう指摘している。

 「共謀とは、準備、計画の更に前段階で、犯罪を犯す意思を確認する行為を指す。(中略)懲役4年以上の犯罪が全て対象となるため、詐欺や著作権法違反、森林法違反、廃棄物処理法違反などの一般的な犯罪を含む277の犯罪がその対象となる。例えば、著作権も対象となっているため、音楽ソフトを違法にコピーしたり、著作権をクリアできていない曲を演奏するライブイベントを構想したり相談するだけで、共謀罪違反で逮捕、訴追が可能になる」

 「今や誰もがスマホなどの情報端末を利用するようになり、巷には監視カメラなど個人の行動をモニターする機器が溢れている。映像から個人を識別する顔面認識カメラも、導入が間近だと言われている。

 共謀罪が導入され、犯行の事実がなくても逮捕、訴追が可能になれば、警察の裁量で誰もが捜査対象になり得る。集積されたビッグデータを使えば、捜査対象となった個人の行動を過去に遡って詳細に収集、把握することも可能だ。それはまるで全ての国民が24時間公安警察に見張られているような状態と言っても過言ではない。

 本人がどんなに気をつけていても、例えばある個人が所属するSNSグループ内で飲酒運転などちょっとした犯罪行為が議論されていれば、共謀と認定することが可能になる。そのSNSグループに参加しているその人も、「組織的犯罪集団」の一部と強弁することが可能になり、捜査の対象となり得る。早い話が警察のさじ加減次第で誰でも捜査対象となり得るのだ。そして、一度捜査対象となれば、情報は過去に遡って無限に収集されることになる。

 これでは政府に不都合な人間の弱みを握ることなど朝飯前だ。気にくわない他人を陥れることも容易になる」

 (佐々木奎一)




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2017年04月30日

多発する電車スマホでヒジ打ち、停止ボタン、人身事故…

 平成二十九年四月二十一月付、のauのニュースサイト


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 「多発する電車スマホでヒジ打ち、停止ボタン、人身事故…」


 を企画、取材、執筆しました。



 ニュースサイト・キャリコネニュースで、「満員電車でスマホをいじる人への不満爆発『そこまでしていじりたいか?』『スペースが余っているのを見ると腹立たしい』」という記事がある。(317日付)

 それによると、満員電車のなかでスマホをいじる者がいて迷惑、という不満が多いのだそうだ。

 そもそも満員電車自体が、すし詰めで不満に満ち満ちている上、そこにスマホいじりが加わるということはカオスであり、不満が爆発してもなんら不思議ではない。

 ちなみに、あまり指摘されていないが、電車内のスマホ迷惑行為には、こういうのもある。

 それは、座席に座りながらスマホでゲーム等をすることにより、肘をせわしなく動かし、その肘が横の人の肋骨、脇腹にガンガン当てて顧みない、という迷惑行為である。特に夜になると、注意力のかけらもない酔っぱらいがスマホいじりに夢中になり、肘打ちを繰り返すことが多い。

 スマホを巡っては、電車遅延も多発している。例えば、「落下物で遅延、2割がスマホ、JR東、注意呼びかけ」(16619日付本経済新聞朝刊)によると、「JR東日本の電車の遅れにつながった線路への落とし物の2割は、スマートフォンなどの携帯電話だった(中略)乗降時やホームを歩いている際に落としたケースが多い。駅員が専用の器具を使って拾い上げるが、後続の電車が迫っている場合は運行をいったん止めざるを得ず、遅れにつながってしまう」という。

 よく、電車に乗っていると、いきなり電車が止まり、「非常停止ボタンが押されたため、現在安全確認を行っております、しばらくお待ちください」などというアナウンスが流れることがある。実はそのなかには、スマホを線路に落として非常ボタンを押している者も相当数いるということになる。

 ほかにも、歩きスマホでホームから転落したり、電車にぶつかる、などという呆れた事故も起きている。

 無論、こうした行為は、低劣の証である。(佐々木奎一)

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2017年04月24日

「低劣な喫煙者」対策の筆頭

 平成二十九年四月十七月付、のauのニュースサイト


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 「「低劣な喫煙者」対策の筆頭」


 を企画、取材、執筆しました。



12日付朝日新聞朝刊に「(1分で知る)たばこ2 子がぜんそくなら禁煙?」という記事がある。そこには、こう書いてある。

 「我が子がぜんそくになれば、親はさすがに禁煙するはずだ。だが、実際はそうとは限らないようだ。

 大阪国際がんセンターの田淵貴大医師が、2001年に始まった厚生労働省の調査に参加した生後半年の時点で親が喫煙者だった約36千人の子どもの家庭を調べた。ぜんそくなど受動喫煙の影響と考えられる病気の子の親も、病気でない子の親も、4年後に禁煙した割合はほとんど変わらなかった。

 子どもを育てている父親の喫煙率は約40%。母親は8%。同じ厚労省の調査に参加した、生後半年〜8歳の約43千人を田淵さんが調べたところ、両親が室内でたばこを吸う家の子は、そうでない子よりぜんそくで入院する確率が1.41.7倍高かった。

 このデータを日本全体に当てはめると、両親ともに禁煙すれば少なくとも21千人の子の入院を減らせる」

 子どもをぜんそくで入院させても、なお、吸い続ける…呆れた低劣ぶりである。なお、この調査をした田淵医師は、「日本における喫煙の学歴格差」という調査も発表している。(同調査は2010年国民生活基礎調査に基づく)

 それによると、喫煙者の割合は、2534歳男性では、中卒68.4%、高卒55.9%、専門学校卒49.5%、短大卒46.8%、大学卒36.5%、大学院卒19.4%、トータル47.9%。

2534歳の女性では、中卒49.3%、高卒23.9%、専門学校卒17.5%、短大卒10.3%、大学卒6.6%、大学院卒4.8%、トータル16.9%。

35歳以降の男女の年齢層も、同様に学歴の低いほど喫煙率が高かったという。

 このように、喫煙者には低学歴の人々が多く、その多くが子どもをぜんそくに陥れてもなお、タバコを吸い続けている。

 こういう手合いに対しては、一体どうすればよいのか。同論文では「喫煙格差を縮小することが明らかにされているタバコの値上げ(増税)などのタバコ対策を推進していく必要がある」としている。

 なお、同氏は、日本の2010年のタバコ値上げの効果についても評価している。それよると、値上げが禁煙、再喫煙の防止につながったことが明らかになったが、社会的弱者における値上げの効果は低かった。その原因は、値上げ後でも日本のタバコの絶対価格は安過ぎることによる、としている。(日本疫学会ニュースレター、平成281015日付)

 要するに、前出の低劣な喫煙者への対策の第一は、議論することではない。受動喫煙の弊害を、こんこんと説くことでもない。そういうことをいくら伝えても、一向にタバコを止めない連中なのである。残念ながら、話し合いの通じる相手ではない。

 ではどうすればよいかというと、対策の第一は、タバコの値段を上げることであるという。それも、これまでのような小幅な値上げではない、ということは、最低でもタバコ11000円以上にする必要があろう。(佐々木奎一)

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氾濫するクックパッドと乳児死亡こじつけ記事


 平成二十九年四月十四月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「氾濫するクックパッドと乳児死亡こじつけ記事」


 を企画、取材、執筆しました。



7日付で蜂蜜が原因で乳児が死亡、というニュースを記者クラブメディアが流した。

 この事件は、東京都足立区内の生後6か月の男児が120日あたりから離乳食として蜂蜜を混ぜて飲ませていたところ、220日、けいれんや呼吸不全となり入院し、蜂蜜に含まれていたボツリヌス菌が原因の乳児ボツリヌス症と診断され、330日に死亡したという事件。同症による死亡は国内初という。

 このニュースの出た翌日8日付でBuzzFeed Japanというニュースサイトが「離乳食で蜂蜜で男児死亡『クックパッド』のレシピ巡り物議」という記事を載せ、多くの人に読まれていた。

 無論、この見出しをみると、乳児の死亡とクックパッドのレシピが関係しているかのように見える。

 だが、記事本文を一瞥したところ、クックパッドと関係があるとは一言も書いていない。要するに、この記事は、クックパッドという巨大サイトの顧客吸引力と乳児死亡というセンセーショナルな言葉を結びつけることで、あたかも魚釣りで擬似エサに食いついて釣られる魚のように読者を釣ろうとする、卑しい記事である。

 ではなんと書いてあったかというと、この擬似エサ記事には、こんな風に書いてある。

 「この報道をうけ、料理レシピサイト「クックパッド」に非難の声が上がった。

 「離乳食 蜂蜜」とGoogleで検索をすると、クックパッドが上位にあがる。サイト内で「離乳食蜂蜜」のキーワードで検索すると、ヒットするレシピは147件(201748日時点)。

 これらは一般ユーザーがレシピを投稿したものだ。

 不正確な医療記事を掲載して炎上したDeNAの「WELQ」(現在は閉鎖)に絡め、「同程度に問題なのでは?」と指摘する声や「殺人サイト『クックパッド』」など過激なものも見られる」

 ここでいう「声」なるものは、どこの誰なのかも明かさない低劣な連中のひしめき合う、ネット内での無責任なコメントである。そもそもクックパッドが原因という情報は絶無なのに、クックパッドを槍玉にあげる点が、うさんくさい。クックパッドの同業他社の従業員かもしれない。

 このような、いかがわしい声、なるものを、この擬似エサ記事は拡散している。しかもこの記事にはクックパッドについてこんな記載もある。

 「では、そのレシピ内容はどうなのか。「蜂蜜離乳食」で検索した際の人気ランキング1位の「離乳食完了期〜きな粉はちみつ湯」を見る。

 そこには「蜂蜜は一歳未満のお子さんには控えてください」と注意書きがある。

3位の「バナナきな粉蒸しパン」には材料にはちみつが推奨されているが、「はちみつは1歳過ぎてから使ってます」とだけある。(中略)

 同社が展開する妊娠や出産、育児などの情報サイト「クックパッドベビー」。離乳食の食べていいものダメなものには、はちみつは1歳未満は「×」になっており、1歳〜16カ月は「△」になっている。

 「ボツリヌス菌の心配があるので」と明記され、決して、クックパッド自体が蜂蜜の危険性に触れていないわけではない」

 このようにクックパッドに非がない点を書いておきながら、他方でクックパッドで乳児が死亡したように書くのだから、悪質である。

 それに、そもそもの話、大抵の蜂蜜の製品の裏側の注意書きには、一歳未満にはたべさせないように、と書いてある。それだから、離乳食で蜂蜜入りのレシピといえば、1歳〜16か月が対象とのは、育児中の者にとっては言うまでもない話である。

 それを食品の注意書きのラベルをみることすらしない怠慢な人目線で世の中を合わせようなどというのは、衆愚である。それに、検索して上位にでてくるからクックパッドを槍玉にあげて吊るし上げる、という発想自体、低劣で卑しい。

 それに、そもそもクックパッドというのは、素人がレシピを投稿するサイトで、料理研究家や料理人などのプロに比べ、レシピの数が膨大で、口コミの評価が可視化されていて、プレミアム会員でも月額280円と料金が安く、無料会員でもある程度はサイトをみれるのが売りだ。

 もちろん、素人のサイトゆえに、レシピがおいしくても、栄養にどこまで気を使っているかは疑問、というデメリットもあるが、これはメリットと表裏である。もしも、いちいちのレシピを栄養士がチェックしたら、料金もあがるだろうし、ダメ出しされるかも、と萎縮して素人が気軽に投稿できなくなり、クックパッドの持ち味である活気もなくなってしまうことだろう。

 こういうサイトの特性にもかかわらず、検索で上位になったから、などという、クックパッドになんら非のない点を理由にして、乳児死亡に無理矢理こじつけて批判する、というのは週刊誌の低劣な手口そのものであり愚劣である。

 無論、記者クラブメディアも例によって、「蜂蜜危険な乳児ボツリヌス症ネットには離乳食レシピも」(11日付毎日新聞電子版)などという追従記事を載せたりしている。

 批判しているジャーナリズムもどきのほうが、批判されているほうよりもよっぽど低劣で批判に値する、という哀しい構図になっている。無論、本物のジャーナリズムは、これらとは一線を画すが、果たして今の日本に本物のジャーナリズムは、ありやなしや。(佐々木奎一)

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トランプ大統領のシリア攻撃と安倍自公政権

 平成二十九年四月十月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「トランプ大統領のシリア攻撃と安倍自公政権」


 を企画、取材、執筆しました。



 シリア政府が4日にシリア国内の反政府勢力支配地区に対してサリン兵器を使ったとして、アメリカのドナルド・トランプ大統領が6日、シリア空軍基地へのミサイル攻撃を命じ、米軍艦が巡航ミサイル「トマホーク」約50発をシリア政府拠点に発射した。

 そのことについてトランプ大統領は、シリアのバシャール・アル・アサド大統領は「独裁者」で、「罪のない市民に恐ろしい化学攻撃を実施した」「私は今晩、シリアの殺戮と流血を終わらせ、あらゆる種類とあらゆるタイプのテロリズムを終わらせるため、我々と協力するようすべての文明国に呼びかける」という声明を出したという。(7日付CNNより)

 なお、トランプ大統領が攻撃を命じた日、ちょうど中国の習近平国家主席が、フロリダ州のトランプ大統領の別荘に居た。

7日付ジャパンタイムズ電子版の記事によれば、トランプ大統領の上記声明は、北朝鮮がもしも核実験と長距離弾道ミサイルの発射実験をやめないならば、同じように攻撃する、というサインであり、北朝鮮にやめさせるよう、習近平国家主席に暗黙のプレッシャーをかけている、と日本政府高官は見ているという。

 無論、この事態は日本にとって対岸の火事ではない。安倍自公政権が20147月、解釈改憲と称して集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をし、翌年9月に安保法制を強行採決したことにより、安倍自公がアメリカの戦争に参加する可能性がある。

 また、こういう記事もある。41日付ロイター電子版のコラム「トランプ大統領、北朝鮮に『禁断のカード』切るか」には、こうある。

 「ティラーソン米国務長官は今月、北朝鮮に対する「戦略的忍耐」はすでに終わり、同国の核開発の野望に歯止めをかけるために「あらゆる選択肢がテーブルの上にある」と警告した。その言葉通り、米韓両軍の部隊は幅広い軍事シナリオに向けて準備を進めている。

4月末まで行われる米韓の合同軍事演習には、実に30万人が参加する。1953年に朝鮮戦争が停戦して以来、朝鮮半島ではこうした演習が日常的な光景となっている。近年では、その規模は拡大し、より現実的なものとなった(中略)金正恩朝鮮労働党委員長が率いる北朝鮮が核弾頭やミサイル実験を進めるなかで、多くの専門家は、米国政府が最終的に軍事行動に踏み切る可能性は徐々に高まっていると考えている」

 そして、具体的な攻撃として、北朝鮮のミサイル・核兵器関連とみられる施設に対する、奇襲による空爆などを挙げている。が、「多くの専門家は、こうした攻撃によっても多くの施設が無傷で残ってしまい」、北朝鮮が「日本やグアムなどにある域内の米軍基地にミサイル攻撃を仕掛け、韓国に対して圧倒的な砲撃を浴びせる可能性を懸念している」。

 「北朝鮮による砲撃の効果について、アナリストらの見解は分かれている。北朝鮮の砲兵部隊は最初の1時間で最大50万発の砲弾を韓国の首都ソウルに撃ち込めるとの声もあれば、より懐疑的な意見もある。

 また、北朝鮮が自国のミサイルと弾頭が狙われていると考えた場合、先手を打って発射してくる恐れがある。標的として最も可能性が高いのは日本だろう。

 いずれの行動も、米韓両政府による北朝鮮制圧に向け準備されたシナリオの発動を促し、恐らく北朝鮮の現体制は終焉を迎えることになるだろう。

 ここ数年、米韓両国軍は、北朝鮮の攻撃を阻止するための演習から、非武装地帯(DMZ)を越える全面的な侵攻作戦の立案へと関心を移している。

 これは本格的な作戦行動であり、近年の歴史において米国やそれ以外の国が戦ってきたどんな戦争よりも大規模なものになろう。攻撃部隊は山岳地帯、組織的な抵抗に加え、化学兵器や核兵器、放射線兵器といった潜在的な脅威に立ち向かわなければならない。

 いくつかの兆候からすると、米国は単に北朝鮮体制上層部を抹殺することで、戦闘激化を防ごうとするかもしれない。

 韓国の聯合ニュースによれば、今月の演習には米海軍特殊部隊シールズの「チーム6」も参加している。2011年にアルカイダの指導者だったオサマ・ビンラディン容疑者の暗殺を実行した部隊だ。引用された韓国軍幹部の発言によれば、チーム6は韓国側特殊部隊とともに、北朝鮮首脳陣に対する攻撃シミュレーションに取り組んでいるという。

 こうした選択肢の実行は非常に難しいだろう。北朝鮮の防空網によりヘリで部隊を送り込むのは困難で、金正恩氏は厳重に警護されていると見られている。

 今のところ正恩氏は、誰からも妨害されることなく核開発計画を強化していけると考えているようだ。だが米政府としても、それをただ指をくわえて見ているつもりはないかもしれない。

 トランプ氏は米国の歴代大統領のなかでも最も予測困難な人物の1人だ。北朝鮮に対する軍事的選択肢を行使するというリスクを冒すような米国の指導者がいるとすれば、それがトランプ大統領だったとしても不思議はない」

 このように記している。なお、これまでの言動を観る限り、安倍自公政権は、トランプ大統領が北朝鮮を攻撃することをバックアップし、戦争に参加しようとすることだろう。そうなると大量の日本人が犠牲になる。平和憲法を持つ日本でありながら。(佐々木奎一)




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2017年04月15日

遺族年金「男女差別」合憲判決の“副作用”

 平成二十九年四月七月付、のauのニュースサイト


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 「遺族年金「男女差別」合憲判決の“副作用”


 を企画、取材、執筆しました。



322日付の朝日新聞朝刊に「遺族年金の性差、合憲 地方公務員、夫受給に年齢制限 最高裁初判断」という記事がある。それによれば、「地方公務員災害補償法の規定で、遺族が妻の場合は遺族補償年金を年齢制限なく受け取れるのに、夫の受給資格については「55歳以上」とされていることが憲法違反かどうかが争われた訴訟の判決で、最高裁第三小法廷(山崎敏充裁判長)は21日、この規定を「合憲」とする初の判断を示した。(中略)

 男性は1998年、市立中学校教諭だった妻を労災で亡くし、遺族補償年金を請求したが、男性が当時51歳だったために不支給とされた。第三小法廷は、遺族補償年金制度について、憲法25条が定める「健康で文化的な最低限度の生活」を実現するための社会保障の性格を持つとした上で、「男女の賃金格差や雇用形態の違いなどから妻の置かれた社会的状況を考えると、夫側にのみ年齢制限を設ける規定は合理的」とした。

2013年の大阪地裁判決は、規定は「性差別で違憲」と判断。だが、15年の大阪高裁判決は「配偶者の死亡時に生計を維持できない可能性は、妻の方が高い」として合憲だと判断していた」という。

 さらに「先進国で性差『日本くらい』」という小見出しでこうある。「「非常に残念。男女格差解消の流れに水を差す判決だ」。東京都内で会見した原告の男性は、無念さをにじませた。夫の受給する場合にだけ、55歳の年齢制限を設けた規定は、地方公務員の労災だけでなく、国家公務員災害補償法や民間の労働者向けの労災保険法、遺族厚生年金にもある。一方、受給要件などでの男女格差を解消する動きもある。低所得の母子家庭に支給されていた児童扶養手当は、2010年から父子家庭にも支給されるようになった。労災で顔などに傷痕が残った場合、女性の障害等級を男性より高く認定していた基準については、10年に京都地裁が「違憲」と判断して確定。112月に男女で統一された。

 東京大学社会科学研究所の大沢真理教授(社会政策)によると、遺族補償などで男女に差がある制度は、海外では1990年代に見直しが進み、「先進国で残っているのは日本くらい」という。「遺族の所得を受給要件にすることで社会保障の目的は達成できるはずで、年齢で男女別に条件を設ける必要は元々ない。最高裁判決からは、立法に問題提起する姿勢も見えない」」とあり、「男女で格差がある主な制度」として、ほかに次の事例を挙げている。

<寡婦(寡夫)控除> 死別や離婚で一人親になった時に受けられる所得控除で、父子家庭は所得500万円以下なら控除額27万円。母子家庭は500万円以下なら控除額35万円、500万円超なら27万円」

 なお、ほかにも例えば、国民年金には「寡婦年金」、厚生年金には「中高齢寡婦加算」といった、夫を亡くした妻に対してのみ支払われる給付金もある。

 これらは、専業主婦が1千万人以上いた時代の名残である。(1980年は専業主婦1,114万世帯、共働き614万世帯。2015年は専業主婦687万世帯、共働き1,114万世。政府統計)

 また、共働きが増える中で、「勤続年数10年以上」の女性労働者の割合も、198524.9%から、201232.2%に増加してきた(厚生省「賃金構造基本統計調査」)。管理職に占める女性の割合も1989年時点では、部長1.3%、課長2%、係長4.6%だったのが、2012年には同4.97.914.4%と、少しずつすこしずつ増えてきている(同)。無論、まだまだ世界最低レベルではあるが、これから徐々に女性の管理職も増えていくことだろう。

 その時代の変化に無頓着なことによる制度疲労により、本来、国民のセーフティーネットであるはずの社会保険の網の目からこぼれ落ちる人がでてくる。例えば前出の男性ような人たちだ。

 こういうことがまかり通ると、管理職などの高収入のポストは男こそふさわしい、働く場所は男が中心であり、女は男に席を譲るべき、という風潮になり、女性が能力を存分に発揮する場所を奪う結果になってしまいかねない。(佐々木奎一)




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肛門に入れず下剤も服用せず…大腸がん新検査

 平成二十九年四月三月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「肛門に入れず下剤も服用せず…大腸がん新検査」


 を企画、取材、執筆しました。



  「大腸がん」は、がんの死亡数の部位別で、男女計で2位(女性で1位、男性で3位、2014年、国立がん研究センター)となる。

 この大腸がんの検査について、当コーナーは14519日付「肛門から入れずに飲むだけ…大腸がん内視鏡検査」でふれた。そこでは、「便潜血検査で陽性になって内視鏡による精密検査が必要になっても、実際に受けたと確認できたのは6割程度」という低い数字にとどまるワケは、多くの人が肛門に内視鏡を入れるのに抵抗を覚えるため、と見受けられる点を指摘。

 そうした中、「カプセル内視鏡」と呼ばれる長さ3.1cm、直径1.1cmのものを飲むことにより、1秒間に435枚の画像が撮影され、その画像が腹などに貼った電極を通して、肩からさげたレコーダーに記録。カプセルを飲む前後に下剤を服用することで、平均4時間ほどでカプセルが体の外に出てくる、このカプセルは使い捨てである。

 要するに、カプセル内視鏡により、肛門に内視鏡を入れずに検査をすることができる。この画期的な検査方法が、保険適用されることとなった、ということを紹介した。

 その後、この検査は普及した。

 ちなみに、カプセル内視鏡のデメリットとしては、「下剤の服用量が約34L(通常内視鏡では約2L)と多い」、「検査時間が長く、日中ほぼ1日かかる」、「費用が保険適用の3割負担で約3万円かかる」(順天堂医院消化器内科HP)などがある。

 そうした中、さらに負担の少ない大腸検査の方法が編み出されたという記事がある。

329日付読売新聞電子版によると、「島津製作所(京都市)が開発した高精度の質量分析計を使い、早期の大腸がんを9割以上の高い確率で発見できる検査方法を開発したと、神戸大や同社などの研究チームが発表した。

 年内にも京都市内の病院で一般の受診者に試験運用して、有効性を確かめる。

 研究チームによると、質量分析計は、同社独自の技術で物質を1000兆分の1グラムのレベルまで高い精度で計測できる。この分析計で血液検査を行い、大腸がんの指標となるアミノ酸など8種類の物質が含まれている量を分析する。分析は数滴の血液で可能という。

 早期の大腸がん患者300人に検査したところ、9割を超える精度で早期がんを確認できた」という。

 血液数滴で大腸がんの検査が可能になれば、大腸検査に対する人々の抵抗は絶無に等しくなることだろう。今後のゆくえに注目したい。(佐々木奎一)

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認知症ドライバーあぶり出し制度


 平成二十九年三月三十一月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「認知症ドライバーあぶり出し制度」


 を企画、取材、執筆しました。



 ザ・ドリフターズの高木ブー(84)が、警視庁の交通事故防止イベントで、運転免許を返納したという。高齢者の事故が増加するなか、「家族の一言で返納を決めた」のだという。交通事故を起こすと本人だけではなく、無辜の市民を傷つけることになる。それだから、家族が運転をやめるよう勧める、という高木ブーのようなケースは、ありがちな構図である。

 ただし、車が生活に欠かせない、だとか、自分は認知症でないから大丈夫、とか、車に乗らないで何の人生か、と言うほど車が大好き、といった理由で、免許を返納しない人が大半である。(昨年、65歳以上の高齢者で運転免許証を自主返納した人数は全体の4%にとどまる。警視庁より)

 そうした中、今月12日より、70歳以上の運転免許更新手続きが改正された。これは、一言でいうと、認知症のドライバーをあぶり出し、強制的に免許を取り消し・停止する制度である。

 この改正をザックリ説明すると、75歳以上は、まず、約30分の「認知機能検査」を受けることになる。同検査は、「手がかり再生」(16種類の絵を記憶し、何が描かれていたかを回答)、「時計描画」(時計の文字盤を描き、指定された時刻を表す針を描く)など。

 このテストの点数により、「認知症のおそれのある人」と認定されると、後日、「臨時適性検査」と呼ばれる専門医の診断を受けるか、医師の診断書を提出しなければならない。医師が認知症と認定した場合、運転免許の取り消し、または停止となる。

 また、「臨時認知機能検査制度」なるものが新設されることとなった。

 これは、以下18の違反行為をした場合に適用される。

 信号無視(例:赤信号を無視)

 通行禁止違反(例:通行禁止の道路を通行)

 通行区分違反(例:歩道を通行、逆走)

 横断等禁止違反(例:転回禁止の道路で転回)

 進路変更禁止違反(例:黄の線で区画されている車道で、黄の線を越えて進路変更)

 しゃ断踏切立入り等(例:踏切の遮断機が閉じている間に踏切内に進入)

 交差点右左折方法違反(例:徐行せずに左折)

 指定通行区分違反(例:直進レーンを通行しているにもかかわらず、交差点で右折)

 環状交差点左折等方法違反(例:徐行せずに環状交差点で左折)

 優先道路通行車妨害等(例:交差道路が優先道路であるのにもかかわらず、優先道路を通行中の車両の進行を妨害)

 交差点優先車妨害(例:対向して交差点を直進する車両があるのにもかかわらず、それを妨害して交差点を右折)

 環状交差点通行車妨害等(例:環状交差点内を通行する他の車両の進行を妨害)

 横断歩道等における横断歩行者等妨害等(例:歩行者が横断歩道を通行しているにもかかわらず、一時停止することなく横断歩道を通行)

 横断歩道のない交差点における横断歩行者等妨害等(例:横断歩道のない交差点を歩行者が通行しているにもかかわらず、交差点に進入して、歩行者を妨害)

 徐行場所違反(例:徐行すべき場所で徐行しない)

 指定場所一時不停止等(例:一時停止をせずに交差点に進入)

 合図不履行(例:右折をするときに合図を出さない)

 安全運転義務違反(例:ハンドル操作を誤った場合、必要な注意をすることなく漫然と運転)

 これら「18基準行為」をおかして捕まると、自宅に通知書が届き、1か月以内に「臨時認知機能検査」なるものを受けなければならない。そして、この検査の結果、認知症のおそれがある場合と判定されると、前出の同じように医師の診断を受け、認知症と認定されれば、免許取り消し、または停止となる。(参考、警視庁HP

 なお、この制度の肝心要は、18基準行為をどこまで取り締まることができるである。例えば、神奈川県なんかに住んでいると、18基準行為など日常茶飯事である。例えば、交差点で対向車が直進しているのに、わずか12秒で衝突するタイミングで右折する車や、横断歩道で歩行者があるいているのに、一時停止せず、歩行者の前や後ろをタッチの差で通過する車などは、異様に多い。こうした輩を、どこまで取り締まれるのか、どこまで野放しにするのか。

 なお、上記18基準行為をおかすのは、いうまでもなく、高齢者に限らない。というより、高齢者以外の輩のほうが、圧倒的に多いのが現実である。それだから、認知症をあぶり出すだけではなく、この際、高齢者以外の、危険運転をする輩も厳しく取り締まるべきである。

 なお、将来は、自動運転技術の進化により、認知症の人でも、目的地を指定するだけで車が勝手に安全運転で人を運ぶ時代が来る、かもしれない。(佐々木奎一)

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2017年04月08日

「現代の治安維持法」共謀罪

 平成二十九年三月二十七月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「「現代の治安維持法」共謀罪」


 を企画、取材、執筆しました。



22日付の朝日新聞朝刊によると、「自民、公明両党の幹事長と国会対策委員長が22日、会談し、『共謀罪』新設法案について、今国会中の成立を目指す方針を確認した」という。

 共謀罪については17日付当コーナーで指摘した通り、刑事法の基本原則を揺るがすとんでもない法案である。そして、よくいわれるように共謀罪は、戦前の治安維持法に似てる。政府の答弁まで、戦前と酷似している。

 例えば、どうしてこの法案が必要なのかという点について、1925年の治安維持法を巡る答弁では、「過激運動者が不穏な行動に出る傾向はますます増加」「取り締まり法規が不十分」『若槻礼次郎内相、3月、貴族院)と述べている。これに対し、今年1月の安倍晋三首相の答弁は「今までの判例ではテロを未然に防ぐことができない。たくさんの人が死ぬ危険性がある」(衆院)と、やはり危機感を煽る発言をしている。

 対象拡大をするのではないか、という点についても、1925年では「抽象的文字を使わず具体の文字を用い、決してあいまいな解釈を許さぬ」(若槻内相、2月、衆院)、これに対し、安倍首相は「解釈を恣意的にするより、しっかり明文的に法制度を確立する」(参院)と述べている。

 一般人も対象にするのでは、という点についても、1925年では「無辜の民にまで及ぼすというごときのないように十分研究考慮を致しました」(小川平吉司法相、3月、貴族院)、安倍首相は「国民の思想や内心まで取り締まる懸念はまったく根拠がない」(参院)と、酷似している。(朝日新聞15日付朝刊より)

 なお、共謀罪については、内田博文・神戸学院大学教授がこう警鐘している。(22日付同紙朝刊)

 「共謀罪はじめ近年の法整備などの動きは、戦前をほうふつさせます。国の安全保障に関する情報漏れを防ぐ特定秘密保護法が2013年に成立、14年には集団的自衛権行使を容認する閣議決定がされ、15年には自衛隊の海外での武力行使を可能にする安全保障関連法が成立しました。この流れの中に、共謀罪の制定があります。戦時体制を支えた、左翼思想を取り締まる治安維持法、軍事機密を守る軍機保護法や国防上の重要な情報を守る国防保安法などの戦時秘密法、すべての人的、物的資源を戦争のために使えるようにする国家総動員法、家族や民間団体を統制する戦時組織法制を整備していった戦前に重なるのです」

 共謀罪のどこが問題か、との問いには、「『社会に有害な結果を生じる行為がなければ処罰されない』という近代刑法の基本原則に反します」と指摘し、「治安維持法を審議した帝国議会でも、『この法律は思想、信条を処罰するもので、近代刑法の原則に反する』という強い批判が出ました。それに対し、政府側は『社会の敵を対象とするので近代刑法の原則にのっとらなくてもいい』と答弁しています」「共謀罪の法案が成立することになれば、行為や結果を中心として処罰してきたこれまでの犯罪観を一変させます」と述べている。

 かねて「今の状況は昭和31928)年に似ている」と指摘する同氏は、「昭和3年は、公共の安全を守り災厄を避けるため緊急の必要があり、帝国議会閉会中に政府が発布できる緊急勅令によって、治安維持法が改正されました。それまでの取り締まり対象だった共産党に加え、労組なども共産党の『外郭団体』だとして取り締まり対象に加えられました。これ以降、プロの活動家だけでなく普通の人が取り締まられるようになり、拡大解釈で戦争に反対する勢力を弾圧するため使われました。戦況が悪化した昭和181943)年以降は、反戦的な傾向がある小規模の新興宗教への適用が目立ちましたが、反戦思想は治安維持法の対象ではなかったので、国体を否定することが口実とされました」、共謀罪も「すでに拡大解釈される仕掛けがあるのです。『共謀』という概念について最高裁の判例は、明示的なものである必要はなく、暗黙の共謀でもいいとしています。たとえば、米軍基地建設反対運動をしている市民団体が威力業務妨害罪で摘発された時に、その妨害行為をするための話し合いに参加していなくても、その話し合いがされていることを知っていて黙認した人も『暗黙の共謀』があったとして起訴されるかもしれません。さらに、共謀罪に幇助(ほうじょ)罪が成立するという解釈を採れば、共謀と直接関係のない家族や友人も摘発される可能性もあります」という。

 そして、共謀罪法案が成立すると、治安維持法のように「普通の人々」の「普通の生活」が処罰の対象になりますか?との問いに同氏は、こう答えている。

 「行政の施策への反対やあらゆる権利運動が対象になるでしょう。共謀罪の成立要件とされている『組織的犯罪集団である団体』の活動については、組織的犯罪処罰法では会員制リゾート会社による詐欺的な預託金募集といった企業の営業も対象になると解釈されています。また、偽証罪も共謀罪の対象犯罪とされていますから、例えば弁護士が証人との打ち合わせで、『次回の口頭弁論でこう証言しよう』などと、普通に話し合っただけでも偽証罪を疑われ、共謀罪に問われかねません。戦前、治安維持法違反事件を弁護した多くの弁護士が、同法違反で起訴された事件を思い起こさせます」

 安倍自公政権は、テロにかこつけて「現代の治安維持法」を成立させようとしている。(佐々木奎一)



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2017年04月05日

禁煙をはばむ第一の要因は「悪友」論

 平成二十九年三月二十四月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「禁煙をはばむ第一の要因は「悪友」論」


 を企画、取材、執筆しました。



 今週の朝日新聞朝刊に「患者を生きる 依存症 タバコ」という連載記事が載っている。そこには、どこにでも転がっているような話のほんの一例として、沖縄の女性二人の事例が載っている。

 記事によると、この二人は高校時代からの友人関係(共に46歳)。そのうち一人は20154月、同僚から話を聞いて禁煙外来に受診し、禁煙補助薬「チャンピックス」を処方され、服用初日から吸いたい気持ちがなくなった。

 そのことを聞いたもう一方も受診する気になり、翌月、禁煙外来へ行った。が、「チャンピックスを飲むと胸がムカムカして気持ち悪くなった。介護福祉士として施設で働いていたが、仕事もおぼつかないくらい気持ち悪い。それでも、タバコを吸いたい欲求がすっかり失せ」た、という。

 このようにチャンピックスには、副作用があることは、当コーナーで再三指摘している通り。なお、筆者の経験では、副作用のないニコチンガムにより余裕で禁煙できる。が、それではどうしてもタバコを止めれないという始末におえない人は、チャンピックスでもくらうより仕方がないのではないか。

 話を元に戻す。こうして二人はタバコをやめたかにみえた。が、落とし穴があったのだそうだ。

 翌月、後者は、「次男が所属する野球チームの母親の飲み会に参加した。普段は飲まないワインを炭酸で割ると、おいしくて、数杯飲んでしまった。ほろ酔い気分で店を出ると、友人の母親が、細いメンソールのタバコを箱から取り出した。『吸うけどほしい?』と聞かれた。『いいの?』。手が伸びた。5月に禁煙して以来、4カ月ぶりに吸うタバコ。おいしいと思った。2本もらってその場で吸い、別れ際に家で吸いたいからと、さらに1本もらって帰った。翌朝、仕事に出かける前に吸った。『朝1本だけなら大丈夫』。自分に言い聞かせた。朝だけのつもりが昼にも吸い、翌日、コンビニエンスストアで1箱買った」

 もう一人の方も、「教会へ礼拝に出かけた日曜日、知人から1本もらって吸ってしまった。翌日、仕事中は我慢したが、終わると喫煙者の同僚のいる職場まで車を運転して出かけ、1本だけもらった。火をつけ、煙を肺いっぱい吸い込んだ。『箱だけは買うまい』。その気持ちは堅く、3週間ほどは同僚や知人から1本ずつもらう生活を続けていたが、結局、箱を買うようになった」という。

 これはありがちな話だ。いったんタバコをストップして出戻るのは、大抵、周囲の喫煙者から、1本だけ、とか、今日だけ、とか言ってタバコをもらうためである。

 これは筆者が呼吸器科の医師から直接聞いた話なのだが、こういう時に禁煙している人にタバコを手渡す者は、「悪友である」という。

 悪友扱いするのは極論だという人もいるかもしれない。が、実際のところ、悪友とみなす気概、覚悟がなくては、タバコは大抵やめれない。

 なお、前出の記事中では、「職場の飲み会で喫煙者から「吸う?」と聞かれて断ると、申し訳ない気持ちになった」とあるのだが、こういう感情は真っ先に捨てるべきである。

 そもそも、タバコをやめている者の前で、タバコを手渡すなどというのは、本当の友達のすることではない。悪友そのものである。

 たとえ己は吸っていようと、友達が禁煙しているなら、その友の前ではタバコは吸わない、タバコの煙のある環境は居させない、というのが、良友の姿といえよう。

 では、良友がおらず、悪友しかいない場合は、どうすればよいか。悪友は遠ざけ、新たな出会いを重ねることをお勧めする。(佐々木奎一)


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2017年04月02日

プランテーションの観のある森林組合


 平成二十九年三月二十月付、のauのニュースサイト

   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「プランテーションの観のある森林組合」


 を企画、取材、執筆しました。



1日付の日本経済新聞朝刊に「森林組合『人手不足』9割」という記事がある。そこには、こうある。

 「日本の森が危機にひんしている。日本経済新聞が実施した『林業調査』によると、全国の森林組合の93%で人手が足りないことが分かった。戦後に植えたスギやヒノキが十分な大きさに育っているが、丸太価格の安さもあって多くが放置されている。荒廃を防ぐため、林業の担い手確保が大きな課題となっている。(中略)

 日本は国土の3割近くを人工林が占める。多くは戦後、木造住宅の木をまかなうために植えられた。今は半分以上が伐採できる樹齢に達しているとみられる。だが1980年に14万人を超えていた林業従事者は、2015年時点で5万人に届かない。

 背景には木材需要の減少による丸太の値下がりがある。調査で森林組合に林業の課題(複数回答)を尋ねたところ『丸太の販売価格の低さ』(78%)が『従事者の不足』(57%)や「国産材需要の少なさ」(43%)を上回りトップだった。

 林野庁によると、スギ中丸太やヒノキ中丸太の1月の平均価格はピークだった1980年の2~3割だ。値下がりが生産意欲をそぎ、離職を招いている。人手不足の解消に必要なこと(複数回答)を森林組合と住宅メーカーに聞くと『賃金・待遇の改善』がそれぞれ90%74%に達した。

 人口が減るなか、住宅需要に頼るのは難しい。国産木材の需要を伸ばすのに必要な取り組みを複数回答で聞いたところ『非住宅分野の拡大』との答えが57%あった」

 と、このようにあるのだが、改善の余地はないのだろうか。例えば、ヒノキのベッドやテーブル、本棚、机、タンス、まな板、桶、風呂といった生活品に対する需要は、それほど少ないだろうか?

 例えば、卑近な例でいうと、筆者は前に、ヒノキの家具を注文しようと思い、探したところ、大半が地方の森林の豊富なところにある中小零細メーカーがつくっていた。ヒノキ製品なので、価格は結構する。そして、驚いたのは、家具の納期を聞いたところ、ある業者では、数か月先になるという。要するに、繁盛している。

 特に都心部のように、自然の乏しい環境下にある自然貧乏人にとって、家のなかにヒノキのような木材製品があると、豊かな気持ちになれるものである。しかも、それが国産品であれば、なおさら良い、と思う人は多いに違いない。

 だから、記事にあるように、住宅分野の木材品の需要が少ない、というのは、にわかには信じ難い。

 さらに記事中で不可解なのは、「丸太の価格が安い」という点である。前出のように、ヒノキで家具をつくっている会社は、数十万円単位でいいモノをつくり商売している。それなのに、その原材料である丸太がベラボウに安いというのは、まるでプランテーションである。つまり、第一次産業が、家具という付加価値をつけれないばっかりに、搾取される構図になっているのではないか。

 要するに、森林で木を伐って丸太をこしらえる林業従事者、家具をつくる職人、家具を都心部などで売る小売業者まで、ちゃんと利益を分け合う形で商売していけば、本来、日本の宝である林業は発展するにちがいない。(佐々木奎一)

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2017年03月31日

「共謀罪」成立をたくらむ安倍自公政権

 平成二十九年三月十七月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「「共謀罪」成立をたくらむ安倍自公政権」


 を企画、取材、執筆しました。



 自公政権が「共謀罪」成立をたくらんでいる。

 共謀罪とは、広範囲にわたる犯罪(277の罪)を計画段階で処罰する「共謀罪」法案(組織的犯罪処罰法改正案)を指す。

 「共謀」とは、「二人以上の者が、共同でたくらむこと」(広辞苑第六版)。つまり、犯罪を実行する前の、たくらんだ段階で逮捕してしまおう、という法案である。これは例によって現行の刑事法、そして憲法を根底から覆す法案であり、いかにも自公政権らしい法案である。

 大学などで刑法を学ぶと、最初に出てくるのが、「罪刑法定主義」という言葉である。罪刑法定主義とは、「どのような行為が処罰されるか及びその場合どのような刑罰が加えられるかは行為前の法律(成文法)によってだけ定められるとする立法上の立場。近代刑罰論における基本原則である」(法律用語辞典 第4版(有斐閣刊))

 また、罪刑法定主義は、成文法として国会で成立すれば、どんな法律の中身でもよいというわけではない。その刑罰が国民の人権を侵害したり、合理的根拠のない場合は、刑罰権の濫用に当たるとされる。

 こうして成文化した行為をした者が、犯罪に該当する要件となる。つまり、「行為がなければ犯罪はない」というのが、刑事法の鉄の掟である。

 なぜ行為がなければ犯罪は成立しないのかというと、歴史をさかのぼれば、時の権力者に都合の悪い人々は、往々にして、政治犯などというくくりで逮捕監禁して葬ってきた。要するに、権力者が恣意的に国民に刑を科すことのできないよう、近代国家では、罪刑法定主義が鉄則となっているのである。(参考、放送大学ラジオ「刑事法第2回」)

 無論、自公政権が成立させようとしている共謀罪は、その罪刑法定主義をブチ壊す暴挙である。そのため、法律家や学者などを中心に、反対の声が沸き起こっている。

 例えば、16日付朝日新聞電子版によると、「法学や政治学などの専門家で作る『立憲デモクラシーの会』が15日、犯罪を計画段階で処罰する『共謀罪』の趣旨を盛り込んだ組織的犯罪処罰法改正案に反対する声明を発表した。

 その会見で同会共同代表の長谷部恭男・早大教授(憲法)は、「立憲主義の観点から、刑事法の基本原理を動かすには十分な理由が必要だが、必要性も合理性も立証されていない」「権力行使が最も鋭く現れるのが刑事罰の行使。それを抑制する刑事法の基本原則が揺るがされる。刑事法の原則は憲法の個々の条文の前提であり、そうした根幹が壊されようとしているのは重大な問題だ」と警鐘している。

 また、同会の五野井郁夫・高千穂大教授(国際政治学)は「人々が内面で物事を考えて、他人とつながって一緒に何かをする自由を脅かす。民主主義の営みを根幹から揺るがし危険だ。警察が人の内面に踏み込むということは、今まで戦後なかった事態だ」と指摘している。

 なお、同会の反対声明にはこうある。

 「政府は、広範囲にわたる犯罪を計画段階で処罰する「共謀罪」法案(組織的犯罪処罰法改正案)の今国会での成立を図っている。同法案は、対象とする数が当初案より絞られたとはいえ、277もの罪を対象とするもので、刑事罰の謙抑性の原則(人権を制約しかねない刑事罰は必要最小限にとどめるという原則)や、犯罪行為が既遂の場合に処罰するという原則など、刑事法の基本原則を揺るがしかねないとして、刑事法研究者からも広く、懸念や批判の声があがっている。

 政府は、国際的な組織犯罪の防止に関する国連条約(以下「国際的組織犯罪防止条約」という)を批准する上で同法案が不可欠であると説明している。しかし、この条約は、ConventionagainstTransnationalOrganizedCrimeという英語名からも分かる通り、国境を超えるorganizedcrimeの活動防止を目的とするものである。

organizedcrimeとは、マネーロンダリング、違法薬物・銃器の密輸・密売、売春目的での人身取引等の犯罪を、利得を目的として継続的に行う集団を指す(日本で言う「暴力団」、外国で言う「マフィア」)。organizedcrimeを『組織的犯罪』と訳すこと自体、妥当性に疑念があるが、277もの罪につき、共同で行う目的を持つ人の集まりを包括的に『組織的犯罪集団』とし、その活動を計画段階で処罰対象とする共謀罪法案と、国際的組織犯罪防止条約とでは、そもそもの趣旨・目的が異なる」

 次から次へと壊憲法を成立させる安倍大作自公政権。早く政権交代して、専守防衛、罪刑法定主義といった先人が築き大切に守ってきた精神を体現した社会を、取り戻さなければならない。(佐々木奎一)

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2017年03月27日

衆愚政治の典型的な支持者像

 平成二十九年三月十三月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「衆愚政治の典型的な支持者像」


 を企画、取材、執筆しました。



 「極右政党、欧州に烈風、15日にオランダ議会選、仏独に連鎖」という記事が12日付日本経済新聞朝刊にある。それによると、「2017年に国政選挙を迎える欧州の主要国で、ポピュリズム(大衆迎合主義)を前面にした極右政党が勢いづいている。試金石は議会選が15日に迫ったオランダ。自由党のウィルダース党首(53)が第1党をうかがう。45月の仏大統領選は国民戦線(FN)のルペン党首(48)が首位を争う。連邦議会選を9月に控えたドイツも『ドイツのための選択肢(AfD)』が力を増す。いずれも『反グローバル』や『移民排斥』などを訴え、既存の政治を厳しく批判する。選挙の結果次第では世界の政治・経済秩序に影響しかねない。

 『我々のオランダを取り戻そう』。国民にこう呼びかけるウィルダース氏はEU離脱、イスラム教の聖典コーランや礼拝所の廃止などを公約にしている。世界から批判を浴びたトランプ米大統領によるイスラム圏の入国制限令には『よくやった。私も同じことをする』と応じた」

 なお、この極右政治家ウィルダースは、テレビ放送で「オランダからモロッコ人を追い出せ」などと国民を扇動したかどで、昨年129日にはオランダ地裁に有罪判決を言い渡されている。(同日付ポートフォリオ・ニュースより)

 前出の日本経済新聞によると、オランダの街中で、この自由党(PVV)のウィルダースを支持する人々の声を聞いたところ、こんな発言があったという。

 「『(政治の中心地)ハーグには貧しくて遠足もできない子どもが暮らす地域もある。政治家は新しいオペラセンターしか考えていない』。タクシー運転手のブリューンさん(49)は憤った。友人のサジャーディさん(24)はイラン移民だが、賛同した。『僕のヒーロー』(ボンシンクさん=24)とウィルダース氏に心酔する若者も多い。

 『政治家の中で普通の人の代表はウィルダースだけ』。ウィルダース氏が生まれたオランダ南部の町フェンローのカフェで会った男性ペルゼールさん(53)は自由党を支持。『普通のオランダ人のための政治』を望むが、今の政治は自分たちを無視していると感じている」

 こういう「不満層」が支持基盤となっている。そして、この不満層については、こんな分析がある。

 「32日に発表された英国の経済紙フィナンシャル・タイムズ(FT)の調査分析によれば、PVV党支持と教育程度の相関性が非常に高いことがわかった。これまで、移民の数とPVV党支持者数の相関性が取りざたされていたが、実際には相関性はそれほど高くない。たしかに移民の割合が高いロッテルダム市でのPVV党支持者は多いが、同じように移民が多いアムステルダムでの支持者は少ない。

 中等教育や職業教育を中途でやめた人のPVV支持者は多い。FTの調査では学歴と極右政党支持の相関性が、他の要因(都市部か地方、移民の割合、年齢など)に比較すると圧倒的に高いことがわかった。低学歴者は極右に走りやすいというのは単純すぎる結論だとしてFTはこれを却下しているが、高学歴者は自らの考えと分析で選挙に臨むのでディベートを避け続けてきたPVV党首ウィルダース氏には投票しないと結論づけている」(32日付同)

 このように、ポピュリズムというのは、低学力の不満層を主軸に権力を掌握しようとする。衆愚政治といわれるゆえんである。無論、オランダだけではなく、日本でも同じである。(佐々木奎一)


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2017年03月25日

借金癖の浪費者を食い物にしてよしとする社会

 平成二十九年三月十月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「借金癖の浪費者を食い物にしてよしとする社会」


 を企画、取材、執筆しました。



 先月から朝日新聞が依存症についての連載をしている。9日付朝刊は万引きをテーマにしているが、先月は「ギャンブル」がテーマだった。そこでは一人の北九州の男性を紹介していた。

 記事によると、その男性は大学一年のときにパチンコを始め、たまに遊んだ。卒業後、製薬会社に勤め、同僚の女性と結婚。スポーツ用品店に転職した25歳ごろからパチンコが習慣づき、週12回通い始め、30代のある休日朝、2千円を元手に大当たりし、夕方までに28万円稼いだ。「この金をもっと増やそう」と仕事の後や休日に通い詰めたが、3か月後には消え失せた。

 あまりの金遣いの荒さに、妻は金を簡単に渡さなくなると、「くれんかったら、給料もらっても一銭もやらんぞ」と声を荒らげたこともあった。そして駅前の大手消費者金融で金を借り始め、限度額の50万円を借り、パチンコにふけり、借金を繰り返し、月給20万円のうち、利息返済だけで月8万円に上ったが、「大勝ちすれば一気に返せる」と、ますますパチンコにはまった。

1999年、43歳のときに大手企業の営業職をやめ、害虫駆除の自営業を始めたが、朝から閉店までパチンコ店に入り浸るようになった。3万円程度勝つことがあっても、「28万円勝った時の記憶が鮮やかで、うれしくもなんともなかった」。消費者金融からの借り入れは6社約500万円まで膨れ上がったが、台に向かえば「大当たり、こないかな」と夢見て、気分は高揚したという。

 借金の返済期日に合わせ、利息だけ払い込み、パチンコ代は確保した。そのうち、消費者金融から借りられなくなった。

 すると、この男性は、母親に「商売で使う材料費が足りない」などとうそをつき、金をせびり、2001年の年明けには、息子2人の学習机の引き出しの鍵をボールペンの先でこじ開け、10万円のお年玉を盗み、子どもが通う学校の担任教諭や教頭の自宅に行き、「車のタイヤがパンクしたが手持ちの金がない」とうそをつき、数万円借りたりし始めた。その後、男性はギャンブル依存症と診断され、3か月入院した。

 その後、この男性は更生した、という話なのだが、筆者が言いたいのは、かつては、こういう人は、「浪費者」として扱うことができたという点である。「準禁治産制度」という制度がかつてあり、浪費者本人、配偶者、四親等内の親族などの請求により、家庭裁判所は「準禁治産宣告」をして、その浪費者を「準禁治産者」とすることができた。準禁治産者になると、借金をしたり不動産の処分等をするには、保佐人の同意を得なければならず、保佐人の同意を得ないでした行為は取り消すことができた。

 要するに、前出の男性が浪費者として準禁治産宣告されれば、借金は取り消すことができた。

 なお、この準禁治産者は、浪費者の他に、心神耗弱者も含まれていたが、法改正により平成124月から、準禁治産者は被保佐人となった。そしてこのとき、浪費者は被保佐人から除外された。

 その理由は、準禁治産制度では、浪費者に準禁治産宣告を受けさせることが、浪費者本人の保護としてではなく、家族の財産保護のために利用されたり、準禁治産制度が親族から浪費者に対する制裁的な意味合いで利用されることが多かったことや、浪費者は性格には偏りがあるにしても十分な判断能力を持つので、金銭の使い方等に裁判所が介入することは、市民生活に対する過度な干渉となり不適切であることなどが理由といわれている。(参考、朝日中央グループHP

 では、浪費者を除いたことにより、どうなったか。それについて、法テラスHPには、こういうQAがある。「借金癖のある家族について、これ以上借金ができないようにする方法はありませんか?」という問いに対し、法テラスは、「単に浪費者だということで保佐人・補助人を付けることはできません」が、「生活費までも使い込んでしまうなど、金銭管理の能力が低いという状態が精神上の障害に基づく場合や、ギャンブル依存症のような精神的な病気の場合」には、その借金癖の人は被保佐人になる可能性があります、としている。

 つまりこれは、浪費の原因が精神の障害に基かなければ、被保佐人にはならない、という意味である。なお、浪費が精神の障害が原因か、それとも単なる浪費なのか、という違いはグレーゾーンといえよう。

 さらに同HPには「貸付自粛制度を利用する方法もあります」とある。この制度は「本人が、日本貸金業協会に対して、自らを自粛対象者とする旨を申告することにより、日本貸金業協会が、これに対応する情報を個人信用情報機関に登録し、一定期間、当該個人信用情報機関の会員に対して提供する制度です」とある。

 では、この貸付自粛制度を利用すれば、浪費者を制御できるのかというと、まったくそうではない。同HPの末尾には、「貸付自粛に法的拘束力はなく、また、個人信用情報機関の会員でない業者や、ヤミ金などからの借入れをとめることはできません」「また、一定期間経過後は、本人が貸付自粛情報の撤回をすることもできます」とある。

 要するに、法改正で成年後見制度になったことにより浪費者が野放しになり、浪費者が多重債務しても自己責任、という、浪費者を食い物にして儲けることをよしとする社会になりこんにちに至っているわけだが、前の制度に戻し、浪費者は被保佐人に加えるべきではないか。(佐々木奎一)

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2017年03月21日

急増する「空き家」現象

 平成二十九年三月六月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「急増する「空き家」現象」


 を企画、取材、執筆しました。



 少子高齢化により、日本各地で「空き家」が問題視されている。総務省統計によると、全国の空き家数は820万戸、いまや7戸に1戸は空き家ということになっている。(13年、総務省「住宅・土地統計調査」)。

 がしかし、この数値にはマヤカシがある。空家数820万戸の半数は、賃貸用の住宅なのである。無論、賃貸用は、空き家の定番である草木が生え放題で人が管理しない無人の腐朽した家屋とは違い、価値が高い。また、総務省の空家には、建築中の住宅、普段は人の住んでいない別荘もカウントされている。それらを除いた空き家は、約320万戸であり、およそ20戸に1戸程度となる。(参考、月刊誌「東洋経済」15829日号)

 総務省がこうした詐欺的数字の操作をして「空き家率過去最高」などと煽るのは、全国で空き家撤去の機運を加速させるためと思われる。

 総務省の役人たちのイカサマぶりはさておき、今後、空き家率は上がり続け、2033年には今の2.6倍になるともいわれている(野村総合研究所の予測)。空き家問題が今後ますます顕在化していくのは確かといえよう。

 では、どうすればよいか。かわさきFM「不動産・相続お悩み相談室」という、不動産の専門家による番組で以前、「空き家になってしまった実家の処分について」というテーマを取り上げていた。(1691日)

 それによると空き家のなかには、親の遺産の地方の実家を受け継いでいるが、当の相続人は遠く離れた都心部に住んでおり、実家は放置して荒れ放題、というケースも多いという。なぜ空き家にしておくのかというと、思い入れの深い実家なので、他人に譲りたくない、それに売ろうと思っても、更地にする費用(大体200万円以上かかる)を差し引くと、売却しても赤字になるので割に合わない、それに地方なので固定資産税はそんなに高くないのでずっと住まないけど所有しておきたい、などといって空き家化するケースが多いという。

 今後、空き家がますます増える=不動産価格はますます下落することは必死なので、不動産の売り時はいつなのかというと、今である。そして、空き家が売却されて他の人が有効活用すれば、街並みの景観や治安もよくなり、世のため、人のためにもなる。だから、思い切ってどんなに安くても売却や無償譲渡で手放すべきである、という趣旨のことが放送されていた。

 ひょっとしたら空き家は過渡期の現象であり、将来は、不動産が今より格段に安くなり、土地を買い占めたり値段を吊り上げたりする連中はいなくなり、もっと手軽に不動産が流通するようになり、一人一人の住むための土地は増え、もっと住みよい国になる、かもしれない。(佐々木奎一)



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2017年03月16日

大学生の勉強時間「小学生以下」



 平成二十九年三月三月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「大学生の勉強時間「小学生以下」」


 を企画、取材、執筆しました。



1日付の日本経済新聞朝刊に「学ぶ意欲、入学直後に定着、大学は『遊ぶ場所』じゃない」「学習時間、小6下回る」という記事がある。そこには、こう書いてある。

 「総務省の調査では、大学生の1日の平均学習時間は約3時間半。高校3年生より4割少なく、小学6年生をも下回る。大学進学率が5割を超え、『目的を持たずに進学する学生が増えている』(河合塾教育研究部の山本康二部長)のが一因だ。

 河合塾が大学に進学する理由を受験生に聞いたところ『希望する職種・業種に進みたいから』との答えが4割を超えた。一方、『幅広い教養を身につけたい』『専門知識を深めたい』は1割超にとどまった」

 さもありなん、という数値だが、そういう大学生ばかりではない。

 例えば、東大の授業は1コマ105分、休憩時間は10分(昼は50分)、16コマあり、朝8時半から夜8時半まで授業を行っている。

 その一端について、「さんま衝撃! 東大生は入学してからも12時間勉強!?」という記事がニュースサイト・ママテナ16317日付にある。

 それによると、313日(日)に放送されたフジテレビの「さんまの東大方程式」という現役東大生40人が出演した番組はこうだったという。

 「番組独自の調査によると『勉強、単位が一番の悩み』『入ってからもこんなに勉強しなければならないなら、早稲田大学に行けばよかった。若いうちは遊ぶべきだし、東大に来る人はバカだと思う』など、入ってからの勉強が大変、とつぶやく東大生が多いことが発覚。入学後も授業が多く、勉強漬けの日々に悩まされているという。

 東大は15年からカリキュラムが変更され、授業時間も90分から105分に拡大。授業数も多く、人によっては朝の8時半〜夜の8時半まで12時間も授業を受け続けるケースも。京都大学と比べても2時間半ほど授業時間が長いようだ。

 東大に首席合格した男子学生も『テストが多くてずっと勉強している。こんな生活でいいのかな?と思う。最近楽しかったことは何もない』と語り、授業がない日も112時間勉強し続けていることを明かした」

 このように勉強し過ぎで悩んでいるというのだが、実際は、東大は8月と123月は、夏休みと春休みで長期休暇となるので、まったく休めないということはない。

 悩んでいるというが、大学生たるもの、これくらい勉強して当然といえよう。

 いわんや、勉強時間が小学生以下などというのは、正真正銘の小学生である。(佐々木奎一)

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2017年03月09日

ネコノミクスの裏側

 平成二十九年二月二十四月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「ネコノミクスの裏側」


 を企画、取材、執筆しました。



 去る222日は、何の日だったか、ご存じだろうか?

 答えは、「猫の日」である。無論、2はニャンを意味する。

 その「猫の日」について、毎日新聞社、月刊誌「ねこのきもち」、ペットフード会社・ブルーバッファロー・ジャパンはHPを作成している。

 そこには、こういう言葉がある。

 「ネコノミクスという言葉が生まれ、猫の映画やグッズがたくさん売られ、空前のねこブームです。けれど、その影で殺処分の問題があったり、ネコ科のトラが絶滅の危機にあったり、明るい話だけではありません」

 また、05年に創刊した同誌の真辺陽子編集長は、「創刊当時と今とでは、猫を取り巻く環境も随分と変わりました。特に昨今の猫ブームが後押しし、猫を飼う人も少しずつ増え、書店には猫関連本が並び、猫イベントも年間を通じて増えています。猫に注目が集まることは、猫を愛し、日々猫のことを考えている私達にとって、とても嬉しいこと」という一方で、こう記している。

 「とはいえ、良いことばかりではありません。猫のかわいいビジュアルやしぐさにばかり目がいき、軽い気持ちで猫を飼い始めてはいないだろうか。ブームの影では、殺処分や飼育放棄といった問題があるのも事実なのです」

 このように、猫ブームの裏側には、「猫のアウシュヴィッツ」による殺処分の横行という闇が横たわっている。猫のことを「かわいい、かわいい」といって、ペットショップで猫をあたかもモノのように買う者、ペットショップではないにしてもエゴイズムで猫を飼う者、そういう猫を愛するのではなく自分を愛しているだけのエゴイストは、歳をとったり病気になったりケガをしたりしてビジュアルが変わった時や、もっとかわいい生き物をみつけたとき、それまで散々かわいいといって飼っていた猫を用済みと見なし、どこかに捨てたり殺処分する。ほかにも、引っ越し先は猫が飼えない、だとか、海外に住むことになり飼えなくなった、子どもができて猫アレルギーになるかもしれない、などといった身勝手な理由で、ある日突然、猫を捨てたり、殺処分送りにする者もいる。

 残念ながら、こうした度し難い悪質な人間は、世の中に一定割合いる。だから、猫ブームになると、不幸な猫がさらに増えることが懸念される。

 捨てられた猫は、無論、野良猫となる。猫は繁殖力が旺盛なため、どんどん子どもを産み、増えていく。そうした野良猫のなかで特に子猫が、殺処分されるケースが多い。

 その不幸の連鎖をストップさせるため、現在、日本各地で、猫ボランティアたちが、「地域猫活動」をしている。これは一定の場所でエサをやり、避妊去勢手術をして、一代限りの猫生を全うさせる活動である。

 だが、その主旨を理解せず、エサやりは、近隣に迷惑だ、野良猫は邪魔だ、などといって、エサやりと野良猫を排斥する者は実に多い。エサやり禁止条例を制定する京都市のような自治体まである。

 だが、京都市のような、エサをやるな、野良猫は勝手に生きるから放っておけ、というやり方は、アウシュヴィッツ収容所のように猫を殺しまくる結果を招く、と観る識者は実に多い。

 要するに、猫ブーム、ネコノミクスというならば、その分、飼い主のしつけが必要不可欠である。つまり、排除すべきは、度し難い飼い主である。

 もしも飼い主を資格制にして、しっかり教育を受けた者のみが、猫を飼う権利を持つ世の中になれば、不幸な猫をなくすることができるだろう。(佐々木奎一)

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2017年03月06日

「清流復活」ダム撤去の町と、八ツ場ダム…

  平成二十九年二月二十月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「「清流復活」ダム撤去の町と、八ツ場ダム…」


 を企画、取材、執筆しました。




10日付の朝日新聞朝刊群馬県版に「八ツ場ダム見学のプログラム開始へ 国交省、小中学生向け」という記事がある。それによると、「2019年度の完成に向けて工事が進む八ツ場ダム(長野原町)を小中学生に見学してもらおうと、国土交通省関東地方整備局は4月から、社会科見学向けのプログラムを始める」という。*

 その内容とは、「2部構成で、1部(40分)は、ダムの計画が発表された1952年から、反対運動や一時中止などを経て現在に至ったこれまでの歴史、ダムの必要性などを学ぶ。(中略)2部は体験型で(中略)ダム湖に沈むため、移転した道路や水道、駅、住宅地をバスで見学する(中略)八ツ場ダムは(中略)昨年6月から、高さ116メートルの本体となるコンクリートを積み上げる作業が始まっている。担当者は『ダム工事を見学できるのは今だけ。工事の最盛期にいろいろ学んでもらいたい』と話す。特に小学45年生の社会科見学を見込んでおり、ダムが完成する19年度まで続けることも視野に入れている」という。

 だが、当コーナーで再三指摘している通り、関東の水需要は減ってきている。治水面でも八ツ場ダムの効果はゼロに等しい。それでいて総工費は兆単位に膨らむ見込みで、さらに吾妻渓谷の4分の1や国の天然記念物を水没させ、絶滅の危機に瀕している動植物の生態系を破壊し、観光地の川原湯温泉も破壊し、一帯を道路や橋で埋め尽くし、水没させようとしている。

 その悪政に反対する声を絶滅させるため、安倍自公政権は、子どもの“洗脳教育”にはげんでいる。それがこの見学プログラムなるものである。ちなみに、これと同じ構図は、原発でもあった。つまり、子どもたちを原発立地に連れて行き、見学させたり、絵を描かせたり感想文を書かせるコンクールで賞をとせさたりして、子どもを洗脳する手口である。

 だが、いうまでもなく、いま見学すべき地は、八ツ場ダムなどではない。「荒瀬ダム」こそ、子どもたちに伝える価値のあるダムである。

 荒瀬ダムとは、1955年にできた発電専用ダムで、熊本県八代市の球磨(くま)川中流にある。荒瀬ダムはご多分にもれず、ダムができてから水質が悪化して漁業等に悪影響を及ぼすようになり、地元住民が撤去を求め、02年に元熊本県知事の潮谷義子氏がダム撤去を決めた。その後、二転三転したのち、2010に撤去が決まり、工事が始まった。

 そのことについて、「ダム撤去、清流復活―熊本・球磨川、生物の種類7倍に」という、昨年1219日付日本経済新聞朝刊の記事がある。それによれば、「工事開始から丸4年が過ぎ『みお筋』と呼ばれる本流が約60年ぶりに復活」。すると、水質が改善し、「カゲロウ、カワゲラなどの水生昆虫が目に見えて増えた。流量の回復で泥が除かれた河口域の干潟では、シオマネキなどの甲殻類やマテガイが姿を見せるようになった。

 県荒瀬ダム撤去室が、ダムに近い支流と球磨川が合流する地点で、14年度に川底の生き物の種類を数えたところ、69種を確認。工事前(04年度)のほぼ7倍になっていた。干潟のアナジャコ漁の漁場も広がり、竹筒を使う伝統のウナギ漁を再開する漁師も現れた。

 荒瀬ダムを抱える旧坂本村(現八代市坂本町)の人口はダム建設時の19千人から約3900人に減少し、高齢化率は県平均の1.6倍の52%。坂本住民自治協議会は『清流を復活させた町』の街おこしを計画中。森下政孝会長(75)は『ダム撤去への関心を高めて地域再生のチャンスにしたい』と話す。

 川底にはダムに堆積していた土砂が残っており、『生き物であふれた昔の川に戻るにはまだ数年はかかる』(森下さん)。また、中流にある発電用の瀬戸石ダムや河口付近の堰(せき)に阻まれ、アユは上流域までは遡上できない。地元ではこうした構造物の扱いについても議論が高まっている。

 みお筋が回復したことを受けて、今夏には球磨川で住民による初の『灯籠流し』が行われた。子供たちが願い事を書いた500基の灯籠を一目見ようと多くの見物客が集まった。川の流れだけでなく、地域の活気も取り戻せるのか。工事は183月に完了する予定だ』とある。

 そして、記事には、「球磨川に戻ってきた生き物たち」とあり、ハゼやカワゲラ、ハクセンシオマネキ(カニの一種)の写真や、「球磨川の底生動物の種類数の変化」の撤去前後の数値のグラフや、ダム撤去の前後の写真付きで、いかに清流に戻ったかを、わかりやすく示している。

 荒瀬ダム撤去工事は、この国の希望といえよう。(佐々木奎一)





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2017年03月02日

アイデンティティを喪失したモンゴルと日本

  平成二十九年二月十七月付、のauのニュースサイト

   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「アイデンティティを喪失したモンゴルと日本」


 を企画、取材、執筆しました。



13日付のロイター通信に「北京よりひどいモンゴルの大気汚染」という記事がある。それによると、モンゴルの首都ウランバートルは世界で大気汚染が最もひどい場所の1つで、「同市のPM2.5(微小粒子状物質)の濃度は先月後半のある日、855マイクログラム/立方米まで上昇。一方、北京での濃度は同日、70マイクログラム/立方米だった。世界保健機関(WHO)によると、許容できる基準は2025マイクログラム。ウランバートルの数値は1000に達することもある。

 モンゴル公共衛生当局の責任者によると、市内スモッグの約8割は、市の外れの貧困層が暮らす伝統的な移動式住居「ゲル」が建ち並ぶ地域から排出されているという。

 多くの住民は元遊牧民である。近年の極めて過酷な冬のせいで家畜が死んでしまい、都市へと移動してきたのだ。気候変動のせいもあり、ひどく過酷な冬は当たり前になってきている」とある。

 この記事には、赤茶色のスモッグとモクモクと立ち上る煙がウランバードルの町を覆う写真が付いている。

 モンゴルのこの様相は、約半世紀前とは天地雲泥の差がある。例えば作家の司馬遼太郎氏は1973年、週刊朝日の連載「街道をゆく」の取材でモンゴルへ行っている。そこには、飛行機で同地に着陸したときの情景をこう描いている。「一望の草原が眼下にせまった。川がうねり、その川をいとおしむように白い小さな建物が点在している。モンゴル人民共和国の首都であるウランバードルである。(中略)

 飛行機から降りると「肺がはずむような感じで空気のよさがわかった。このすばらしくいい空気をわずかなモンゴル人が享受しているのかと思うと、幸福というのは一体何なのか。(中略)

 滞在中にきいた話がある。ウランバードルは都市ながらも、日本の乗鞍岳の頂上より空気の透明度が高いのだが、それでも草原の空気に馴れたモンゴル人には不満で、『ウランバードルの空気は流動体だ』とののしっているのをきいた。(中略)清流のアユがどぶ川では棲めないように、草原の暮らしの中にいるモンゴル人の肺というのがいかに空気の清濁に敏感であかにおどろかされた」

 この紀行では、その後、ゴビ砂漠へ行き、草原に生きる遊牧民のことをつづっている。少年のころからモンゴルにあこがれ、「わがモンゴルよ」と心の中で叫ぶ思いでモンゴルの地を踏んだ司馬氏が、今の現実を知ったなら、卒倒するかもしれない。

 ただし、現在のウランバードルの大気汚染の惨状は、記事にあるように、「近年の極めて過酷な冬のせい」で家畜が大量に死んでしまったことが、「近視眼的」な原因という。

 モンゴルの気象については、例えば、国際NGOセーブ・ザ・チルドレンHP16225日付記事によると、「エルニーニョ現象が発生すると、夏の間、モンゴル一帯の地域では、低温と少雨が続く傾向にあり、十分な牧草が育たない。一方で、冬に入ると状況は一転して多雨に見舞われ、モンゴルのような寒冷地では、それが深刻な寒雪害に直結する。このように、夏の干ばつと冬の寒雪害が立て続けに起こる自然災害は、モンゴルでは『ゾド』と呼ばれており、過去に起こったゾドでは、ほぼ例外なく、モンゴルの遊牧民の生活の糧である家畜の大量死が起こっている。モンゴル政府は過去の経験を踏まえ、昨年の夏から干し草や飼料の備蓄を行っていたが、それでもこの冬を乗り切るのには充分でないと言われている。国民の約18%の世帯が遊牧で暮らしを立てている同国にとって、家畜の大量死は人々の生計、ひいては国の経済に深刻な打撃を与える事態である」とある。

 このなかで注目すべきは、「国民の約18%の世帯が遊牧で暮らしを立てている」とある点だ。つまり、いまモンゴルでは18%しか馬に乗って暮らしていないことになる。モンゴルの国章は、疾駆する一騎の人馬である。誇り高き騎馬民族であるはずのモンゴル人が、いまやグルーバルな物質文明にまみれ、モンゴル人そのものである「馬」に乗ることすら忘れてしまい、町に住みついた。そのモンゴル人の堕落が、大気汚染の大局的な要因といえよう。

 冒頭の記事にもそのことは表われている。つまり、「市内スモッグの約8割は、市の外れの貧困層が暮らす伝統的な移動式住居「ゲル」が建ち並ぶ地域から排出されている」「世界保健機関(WHO)によると、許容できる基準は2025マイクログラム。ウランバートルの数値は1000に達することもある」とあるが、そうであるなら、ゲルが立ち並ぶ地域がスモッグの約8割を本当に排出していたとして、残りの2割、つまり、多いときは1000マイクログラムの2200マイクログラムという、WHOの基準の810倍もの大気汚染は、ゾドにより遊牧をやめた人以外の、馬に乗らないウランバートルの住民たちが輩出していることになる。ウランバードルの空気の汚れは、モンゴル人の堕落の象徴である。

 ひるがえって、日本をみるとどうであろう。日本は健在といえるだろうか。

 たとえば、明治時代、三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎は、旧大名家に借金をしていたことがあった。その借金証文には、いつまでに返済する、もしこのことに違えれば、お笑いください、とあるのみだった。(「風塵抄 ニ」(司馬氏著)259頁)。つまり、ウソをついて人に笑われる、というのは、忍び難い屈辱であった。この「人に笑われまい」という「恥の文化」こそ日本の唯一の民族資産であり、それによって日本は千年以上も社会を保ってきた、と同書にはある。

 この「人に笑われまい」という精神こそが、モンゴル人の馬に相当する、日本人のよりどころとするアイデンティティといえよう。

 それがいまの日本はどうであろう。政権与党の自民党幹事長は、昔の日本人ならさげすんだであろう、あからさまに首相にゴマをすり太鼓持ちに励むという醜態を日々さらし、ときの首相は、選挙に不利になるため、壊憲という真の争点を隠して当選する、という国民をだましてウソをつく軽薄な政治を公然と行い、平和を偽装したカルト教団が与党として安倍自民党の補完勢力となり、地球の裏側までアメリカの戦争に駆けつけることを可能とする憲法違反の法律を通して居直り、その自公政権は、おごり高ぶった国会運営でカジノ法を通し、あまつさえ天皇陛下の意思をないがしろする特別法をこしらえる始末。たとえば、西郷隆盛は、城山で最期を迎える時、東を向き、皇居を伏し拝んで死んだといわれる。その西郷が安倍自公の政治をみたら怒髪天を突くことだろう。

 無論、政治だけではない。例えば、野球の日本代表は、サムライを称しているにもかかわらず、ヒットを打つ気のないファウルを連発して四球狙う、という世にも卑怯な手口を常套手段とする日本ハムの中島卓也(なかしまたくや)を代表に据えたりしている。中島のように卑怯な真似をして、卑怯者と世界からモノ笑いの種になるくらいなら、昔の武士なら、死を選択したことだろう。そういう唾棄すべき卑怯者を、日本の代表に据えてサムライと呼称してはばからない。

 司馬氏は晩年、土地を金儲けの道具としてきた日本は、バブル崩壊により、第二次大戦の敗戦よりもひどい状況となり、日本そのものが滅ぶのではないか、と危機感を抱いて逝ったが、前述のモンゴルどころではない次元で、日本はもうなくなってしまっているのではないか。

 ただし、個々人でみると、かつての武士を感じさせる日本人が、今もいる。それが唯一の救いである。(佐々木奎一)

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2017年02月26日

受動喫煙禁止法案に自民党部会で9割反対…

 平成二十九年二月十三月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「受動喫煙禁止法案に自民党部会で9割反対…」


 を企画、取材、執筆しました。



28日付の朝日新聞朝刊に「飲食店、原則禁煙に例外 受動喫煙対策法案 30平方メートル以下のバー・スナックなど」という記事がある。それによると、厚労省が検討している受動喫煙禁止法案が自民党などの反対で当初のたたき台よりも後退しているという。

 具体的には、「政府案では、飲食店は原則建物内禁煙で、煙が漏れず、飲食ができない「喫煙専用室」の設置は認める。ただし、延べ床面積約30平方メートル以下の小規模店で、主に酒を提供するキャバレーやバーなどは、店頭に注意を喚起する表示や換気などを前提に、喫煙を認める」という。これを「案1」と称している。

 そして、「案2」なるものをつくるという。その中身は、30平米以下のキャバレー、バーは喫煙可にすることに加え、「居酒屋や焼き鳥屋、おでん屋など」も30平米以下の小規模店は喫煙オッケィにするというもの。

 なお、こうした30平米以下の例外案について、日本禁煙学会の作田学理事長は「例外を認めると、なし崩し的に法律が意味のないものになってしまう。スペインでは面積によって当初は規制に差をつけたが、『不公平だ』として廃止された」と警鐘している。(9日付毎日新聞朝刊)

 たしかに、小規模な店ならお咎めなし、というのは“脱法行為”であり、法を骨抜きにするものだ。

 では、どうすればよいか。

 例えば、「平昌での冬季五輪が1年後に迫る韓国は、法律で医療機関や学校などが屋内全面禁煙、飲食店や官公庁、駅は喫煙室の設置を認める屋内禁煙としている。飲食店は段階的に対策を進め、12年に店舗面積が150平方メートル以上の大型店のみの規制から始め、14年に100平方メートル以上、15年から店の広さに関係なく全飲食店を規制対象とした」(同)とある。このように、段階的に例外なく全面禁煙にできればスムーズだが、日本では、タバコが禁止になると店が潰れてしまう、というキャバレーなどの零細店が反発している。

 だから、116日付当コーナーで提唱したように、延べ床面積約30平方メートル以下のキャバレー、バーなどの脱法行為の小規模店には、事業許可料として、雇っている労働者数、あるいは延べ床面積に応じて、けっこうな額を、数年おきに役所に納入するよう義務付ける。例えば、最低でも1千万円以上を3年おきに払う、といった具合にだ。喫煙者がそうした店に流れ込むはずなので、払えるはずである。そうすれば、不公平感をなくすことができる。

 また、冒頭記事によれば、喫煙許可店は「店頭に注意を喚起する表示」をするというが、これも当コーナーで記したように、店の看板、玄関ドア、ホームページ、名刺、広告等に、必ず、喫煙可を示す不気味な「タバコを吸っているドクロ」などのマークをデカデカと掲げ、米印で「当店は、タバコにより健康に害を及ぼす有害店なので、タバコを吸わない方はご遠慮願います」というふうに、日本語、英語、中国語、フランス語、スペイン語などの主要言語で示すことを義務付けるべきである。

 なお、冒頭の、厚労省「案2」(30平米以下の居酒屋や焼き鳥屋、おでん屋などでも喫煙可)は、なし崩し的に、酒が飲める店ではどこでもタバコを吸えるようにしてしまえ、という、受動喫煙禁止の趣旨からかけ離れた脱法案であり、こんなデタラメな案をつくること自体、厚労省の無責任体質を物語っている。

 このように、受動喫煙の被害をなくしていくためには、冒頭の「案1」をブラシュアップしていく以外に考えられない。

 が、驚いたことに、その案1や案2についてさえ、自民党の国会議員が猛烈に反対しているという。10日付の朝日新聞朝刊の記事「受動喫煙対策で自民紛糾 『喫煙の自由認めろ』『東京だけでやれ』」によれば、9日に開かれた自民党厚生労働部会には、約80人の議員が参加し、厚労省の案12について、議論した。そこでは、「『小規模店への配慮が足りず、廃業だ』『30平方メートルの基準はきつい』などの意見が相次いだ。規制反対の署名活動を念頭に、『次の選挙が危なくなる』という声もあり、全体のうち反対意見が9割を占めたという」。さらに、「『零細な店はつぶれる』『職業選択の自由を奪い、憲法違反だ』」という批判も出たという(10日付毎日新聞朝刊)

 しかも9日付のジャパンタイムズ電子版によれば、この自民党部会では、喫煙者を取り締まり、根絶やしにしようとしており、憲法で保障した基本的人権の侵害だ!と息巻く議員もいたという。

 受動喫煙により毎年15千人が殺されている状況だというのに、なお、喫煙の権利を声高に叫ぶこの人たちは、受動喫煙に苦しむ被害者のことを一体どう考えているのだろうか。内心、受動喫煙で死ぬ奴は勝手に死ね! そんなことで死ぬ奴のことなど知ったことではない! と思っているとしか考えられない。

 さらに、この自民党の部会に呼応する形で、民進党内で10日、「愛煙家」を自称する赤松広隆前衆院副議長ら十数人が出席し、「分煙推進議員連盟」が発足。政府が検討中の受動喫煙対策を強化する法改正案への懸念を表明したという。(11日付朝日新聞朝刊)

 加えて自民党の補完勢力である「公明党の井上義久幹事長は10日の記者会見で「分煙スペースがない飲食店に配慮が必要」と指摘。愛煙家の超党派議員で構成する「もくもく会」は近く、分煙の居酒屋で会合を開く」という。(11日付日本経済新聞朝刊「分煙で与野党共闘?」)

 このように受動喫煙被害者にとって絶望的な景色が広がっているが、民進党議員の動向は、あくまで個人的な動きに見受けられる。野党各党は、政党として、受動喫煙をどうしていくのかを公約に掲げ、有権者に受動喫煙に対するスタンスを示すべきだ。(佐々木奎一)

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2017年02月23日

国民愚民化のツール「民放キー局テレビ」

 平成二十九年二月九月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「国民愚民化のツール「民放キー局テレビ」」


 を企画、取材、執筆しました。



 あまたある世界の名言の一つに、こういう言葉がある。

「テレビは非常に教育的な役割を果たしていると思う。誰かがテレビのスイッチを入れるたびに、わたしはその場を離れて本を読むからだ」

 これはグルーチョ・マルクスというアメリカのコメディアンが遺した言である。

 そして最近、この名言を想起するネット記事があった。

 それは、「『CMは偏差値40の人にも理解できるようにする』」という記事。(131日付キャリコネニュースより)

 それによると、元電通社員でブロガー・作家として人気のはあちゅうさんという人物が、電通の先輩から聞いたという「教え」を130日にツイートし、炎上しているのだという。そのツイートとは、次の通り。

 「電通の先輩が、『CMは偏差値40の人にも理解できるものじゃなきゃダメ。この会社にいる時点で普通ではないと自覚しろ。世間にはおそるべき量のおそるべきバカがいる。そしてそれが日本の「普通の人」だ』って言ってたの、一番役に立ってる教えの一つだ」

 このツイートについて、同記事には「電通の就職倍率は100倍以上に上る。高倍率の選考を突破したエリート社員たちが彼らの基準でCM作りをしても、多くの人に届かないということなのだろう」「はあちゅうさんの先輩は確かに言葉が悪かったかも知れないが、こうした考え方は、メディアや広告代理店に勤務する人にとってはごく普通のことなのかもしれない。元NHKディレクターで、経済学者の池田信夫さんも過去に同様の書き込みをしていたことがある」、「私がNHKに勤務していたころ教わったのは、『典型的な視聴者は、50歳の専業主婦で高卒だと思え』ということだった」、「『偏差値40』や『高卒』という表現が気に食わない人も多いかもしれない。ただ、やはりテレビ番組や広告は、不特定多数の人に届くように、誰でもわかりやすいものにしなければならない。そのことを端的に表しているのだろう」とある。

 なお、はあちゅうさんのツイートは炎上し、「日本の普通の人は馬鹿だって言い切れる考えが怖いよね」「電通ってろくでもない会社だな」「電通はかわいそうな労働環境なので、働いているうちに馬鹿になってくのは仕方のないこと」などという批判が出ている一方、次のように理解を示すコメントもあるという。

 「はあちゅうが言ってるのは正しいだろ。偏差値60以上を狙うと全人口の1割しか市場がないんだよ。40以上でよければ9割が市場になる」「偏差値40でも楽しめる番組を作り続けたテレビ局は、偏差値40以上の番組の作り方を忘れてしまい、偏差値40以上の人々はテレビを見るのをやめてしまったとさ」

 と、このように記事には書いてあった。無論、この記事は「偏差値40」「高卒」「50歳の専業主婦」といった表現で、そうした人をひとくくりに低劣であるかのように論じている点はおかしい。例えば、作家でみると、池波正太郎氏は小学卒、松本清張氏は高等小学校(現在の中卒相当)、浅田次郎氏は高卒だし、落語の桂歌丸師匠は中卒だったりするが、これらの人のことを低劣だいう人は絶無なのではないか。

50歳の専業主婦と一くくりにいっても、司法試験などの難関国家試験に挑戦して合格する人もなかにはいるし、賢い人は山ほどいる。

 偏差値40とひとくくりにいっても、それは勉強が嫌いでやらないから偏差値40なのであり、少し勉強をしただけで一気に偏差値70以上になるような類もいれば、勉強は苦手だが頭自体は賢い、という人も世の中にはいる。それに、作家の司馬遼太郎氏は、西郷隆盛や坂本竜馬などの幕末維新の英雄たちは、いまの学歴社会でみたら偏差値はそんなに高い部類ではなかっただろう、という趣旨の発言をしたこともあるとおり、世の中には、偏差値で推しはかれない人は多々いる。

 要するに、一概に判断するのはおかしい。ただ、その一方で、学歴や偏差値、年齢職業等で区分けして、そこに属する人の平均をみた場合、属性ごとに歴然とした傾向が出てくるのは確かといえよう。その意味で、偏差値40云々というツイートは、納得せざるを得ない。

 そして、テレビである。例えば、民放キー局の番組をつけてみると、笑い声や効果音といった色々なノイズでとにかくうるさいのが圧倒的に多い。画面も常時、色々なチカチカする色のテロップ(文字)で溢れており、とにかく金魚のように落ち着きがない。それに、お笑い芸人などが爆笑したりしてる顔面のアップなどの卑しい映像をやたらと流し、内容も浅薄で低劣な番組が氾濫しており、気分が悪くなる人も多いのではないか。

 もちろん、低劣なものばっかりではなく、なかにはピンポイントで、ためになるコーナーや、浅薄でない番組もあることはある。が、総体でみると、民放キー局のテレビ番組は、衆愚装置と言わざるを得ないほど低劣な内容に溢れているのは否めない。それだから、冒頭紹介した電通社員が言ったという見解に納得せざるを得ない。

 もちろん、テレビを観るも観ないも自由なのは当然である。くだらないテレビだからこそ、たまに観ると息抜きになっていいのだ、という人もなかにはいるかもしれない。

 だが、テレビというのは、惰性でだらだらとみていると、くだらない内容などを受動的にインプットしてしまうことになるので、疲れるうえに劣化する、というマイナスの効果があるので、惰性でみるよりは、ピンポイントでこのコーナーだけ観よう、とか、この時間帯のこの番組だけは観よう、というふうに、目的を明確に持った方がよいのではないか。そして、限りある人生なのだから、例えば、冒頭の名言のように読書や勉強など、なるべく、もっと有意義なことに時間を使った方がよいように思うのだが、どうだろう。(佐々木奎一)




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2017年02月19日

大統領令差し止めと、お上にひざまずく日本の司法

 平成二十九年二月六月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「大統領令差し止めと、お上にひざまずく日本の司法」


 を企画、取材、執筆しました。



5日付の朝日新聞朝刊に「大統領令、司法『待った』 米入国禁止、差し止め 効力は一時的」という記事がある。それによると、「トランプ米大統領が署名した、難民や中東・アフリカの7カ国の国民の入国を一時停止する大統領令に、司法がストップをかけた。3日にワシントン州の連邦地裁が出した決定は、大統領令は違憲である可能性を指摘し、効力を停止させた。しかし、トランプ政権は猛反発し、法廷闘争に持ち込まれるのは必至で、騒ぎはやみそうもない。

 決定は、停止を求めたワシントン州側と、政権の双方の主張を聞いた上で、ジェームズ・ロバート判事が即日で出した。

AP通信によると、法廷で判事は、対象7カ国の国民によるテロ事件が米国内で起きているか政権に問いただした。政権側が『分からない』と答えると、判事は『答えはゼロだ。(大統領令は)米国を守らなければならないと主張するが、支える根拠がない』と述べたという。

 決定では、大統領令の効力を一時停止することは『例外的な手段だ』と認めた上で、今後の訴訟でも州側が勝つ可能性が十分にあると判断。大統領令の効力が続いた場合、州に取り返しのつかない損害が起きる可能性も考慮した。大統領令が違憲であるとの考えも示唆した。

 訴訟を起こしたワシントン州のボブ・ファーガソン司法長官は『大統領を含めて、法の上に立つ人は誰もいないことが示された』と決定を歓迎。一方、ホワイトハウスのスパイサー報道官は声明で、決定を不服として、命令の執行停止を求める方針を明らかにした。(中略)

 民主党のシューマー上院院内総務は『この決定は憲法の勝利だ。トランプ大統領は決定を心に留め、大統領令を廃止すべきだ』と訴えた」という。

 この訴訟の結末はまだわからないが、少なくとも、アメリカの裁判所は、法に基づき、大統領の命令をストップさせる権力を持っていることが、この一事をみてもわかる。

 法ではなくお上の顔色をみて判断するこの国の裁判所とは、まるで違う。

 例えば、日本には、行政事件訴訟法という法律がある。「行政訴訟」とは、「行政庁の権限の行使の適法・違法をめぐって生ずる国民と行政庁との間の紛争を正式の裁判手続に従って裁判すること」をいい、その手続きを定めたのが同法である。(日本大百科全書)

 同法25条には、裁判所が行政処分を執行停止することができる、つまり、時の政権のやっていることをストップさせることができる、とある。が、同法27条には、この裁判所の執行停止について、「内閣総理大臣は、裁判所に対し、異議を述べることができる」とある。

 そして、この首相による「異議があつたときは、裁判所は、執行停止をすることができず、また、すでに執行停止の決定をしているときは、これを取り消さなければならない」とある。

 つまり、裁判所がストップと言っても、首相が異議あり、と一言いえば、裁判所は撤回する、というわけ。

 これでは行政権が司法権を侵しており、三権分立の原則に反する、という違憲説もあるが、実際は同法がまかり通っているのが実情である。

 最高裁判所の判例も、お上にひざまずくような思考で一貫している。例えば、こんな裁判がかつてあった。

 それは、時の首相が、「抜き打ち解散」をしたときのこと。当時、衆院議院の一人が、この解散が憲法第69条「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」には当てはまらず、憲法7条「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。」の「二 国会を召集すること」も適法になされておらず違憲である、と訴えた。

 だが、一審、二審で原告敗訴。そして最高裁でも、原告は負けた。最高裁はこうのべている。(昭和3568日、最高裁判所大法廷判決)

 「衆議院の解散が、その依拠する憲法の条章について適用を誤つたが故に、法律上無効であるかどうか、これを行うにつき憲法上必要とせられる内閣の助言と承認に瑕疵があつたが故に無効であるかどうかのごときことは裁判所の審査権に服しないものと解すべきである」

 要するに、総理大臣の一存で突然衆院解散することが憲法違反かどうかは、裁判所は審査しない、という。

 さらに、こうある。「わが憲法の三権分立の制度の下においても、司法権の行使についておのずからある限度の制約は免れないのであつて、あらゆる国家行為が無制限に司法審査の対象となるものと即断すべきでない。直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為のごときはたとえそれが法律上の争訟となり、これに対する有効無効の判断が法律上可能である場合であつても、かかる国家行為は裁判所の審査権の外にあり、その判断は主権者たる国民に対して政治的責任を負うところの政府、国会等の政治部門の判断に委され、最終的には国民の政治判断に委ねられているものと解すべきである」

 この判決文からは、「法の上に立つ人は誰もいない」という精神のカケラすらもない。アメリカの司法とは、どえらい違いである。日本の司法は、独立しなければならない。(佐々木奎一)


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2017年02月16日

近隣住民の“ベランダ喫煙”による受動喫煙被害

 平成二十九年二月三月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「近隣住民の“ベランダ喫煙”による受動喫煙被害」


 を企画、取材、執筆しました。



 喫煙者を国民の2%未満に激減させる、と宣言している国がある。無論、日本ではない。

CNN電子版によれば、「フィンランド政府がたばこのない国家の実現に向けて、2040年までに成人の喫煙人口を2%未満に減らすという大胆な目標を打ち出した。普通のたばこのほか、かぎたばこ、無煙たばこ、葉巻、パイプ、電子たばこも含めてあらゆる形態のたばこの一掃を目指す」というのである。

 すでに、「フィンランドでは今年から新たな対策が導入され、たばこ製品の販売や喫煙に対する規制が大幅に強化された。

 まずたばこ販売のハードルを引き上げるため、たばこ販売業者に対して免許の取得を義務付けた。免許を取得した業者は毎年料金を支払い、各自治体で販売業者が規制を守っているかどうか監視するための費用を負担する。

 この監視料は、レジ1台当たり年間で最大500ユーロ(約6万円)にもなる。レジが10台ある店舗は、免許料に加えて年間5000ユーロあまりを負担しなければならない計算だ。

 自宅のベランダでの喫煙についても、煙が流れ出て近隣の迷惑になると判断すれば、住宅会社が禁止を申し立てることが可能になった。

15歳未満の子どもが同乗している車の中では、たとえ自家用車であっても喫煙が禁止された。こうした措置は英国などでも導入されている」

 「電子たばこは昨年8月からたばこと同じ厳しい規制の対象となり、風味を付けることも禁止された。風味付きの電子たばこを巡っては、子どもが喫煙に興味を持つきっかけになりかねないとして論争の的になっていた」

 「たばこ製品一掃の目標を打ち出したのはフィンランドが初めて」という。

 一国の政府が、たばこを根絶することを宣言したことは、時代の最先端をいくもので、こうした国はこれからどんどん増えていくことだろう。

 そして、フィンランドが今年から導入しているという前記の対策は、どれも日本にとって参考になる。

 なかでも注目なのは、ベランダの喫煙で、近隣が迷惑を被れば、住宅会社が禁止を申し立てることができる、とする制度である。

 日本ではこういう自宅のベランダの喫煙者は、ホタル族ともいわれる。夜のベランダ喫煙者のタバコの火は、はたからみると、ホタルのようだからだ。

 しかし、ホタル、という表現は、良い風に例え過ぎである。実体は、毒ガスをまき散らすテロ行為のような悪質な仕業だからだ。

 ベランダで吸ったタバコの煙は、四方八方にまき散らされ、他人の部屋に侵入する。窓を開けていると、モロに煙は入ってくるし、たとえ窓を閉めていても、キッチン等の換気扇とつながっている換気口や、部屋の換気用の換気口から、タバコの煙は入ってくる。それにベランダで洗濯物を干していた場合は、洗濯物がタバコ臭に侵され有害物質まみれになってしまう。

 つまり、平穏な空間であるべき家の中にいながら、他人のベランダ喫煙のせいで、年間15千人以上を殺している受動喫煙被害を受けることになる。

 しかも、たちの悪いことに、喫煙者がベランダで吸うのは、自分の部屋の中は、タバコの煙で蔓延させたくないからである。

 そんな身勝手なベランダ喫煙者のなかには、近隣を受動喫煙にさらしているという事実を知らない無知蒙昧な者もいる。また、害をまき散らしていることを承知の上で、吸う輩もいる。

 現状、こうした喫煙者に対する対応は、物件ごとに異なっている。大屋や管理会社次第である。卑近な例でいうと、筆者の住むマンションでも、ベランダ喫煙被害があった。そこで管理会社に事情を説明したところ、担当者は、即座に喫煙者に電話をして、外でタバコを吸わないよう、注意した。それ以降、被害は沈静化した。こういうちゃんとした管理会社なら安心だが、そういう会社ばかりではない。

 しかも、賃貸物件なら、喫煙者も、被害者側も、いずれ引っ越しをするので、まだましである。何千万円とか億単位のお金でマンションを買った場合、その大枚をはたいた物件がどんなに良い立地、間取り、造りでお気に入りだったとしても、隣や下の住民がベランダで喫煙をするような輩だったら、台無しである。

 しかも、管理するのがマンション管理組合の場合、決議のための多数派工作や役員の考え次第で、マンション内のルールがクルクルと変わることもある。つまり、マンションを買うときは、ベランダ喫煙禁止になっていたとしても、将来、規約が変わって、ベランダ喫煙可となるリスクを内包している。

 では、一戸建を買えば安全かというと、そうとも言い切れない。特に都会では、隣の家との距離が近い物件は多い。その隣の住民が、ベランダで吸う場合、悲惨である。

それにベランダでは吸わず、部屋の中で吸っていたとしても、隣の換気口から、もうもうと煙がまき散らされ、それがこちらの部屋に侵入してくることもある。

 一戸建ての場合、管理組合や管理会社がないため、その住民は喫煙する自由を声高に主張するかもしれない。

 こうした受動喫煙の被害者が、たとえ裁判を起こしても、負けるかもしれない。たとえ勝訴しても、「ある程度は受忍すべき義務がある」といった理由で、5万円の慰謝料を得る程度だったりする(名古屋地裁平成241213日判決、月刊誌「国民生活」194月号「暮らしの法律Q&A」より)。

 要するに、現状、日本では、隣人のベランダ喫煙による受動喫煙被害者は、泣き寝入りを強いられる環境下にある。フィンランドのように、日本も、ベランダでの喫煙は禁止すべきである。(佐々木奎一)

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2017年02月13日

天皇陛下をないがしろにして壊憲にうつつを抜かす自公

平成二十九年一月三十月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「天皇陛下をないがしろにして壊憲にうつつを抜かす自公」


 を企画、取材、執筆しました。



24日付の毎日新聞電子版に「<退位>学友ら、一代限りに懸念 『陛下の真意置き去り』」という記事がある。そこにはこうある。

 「安倍晋三首相の私的諮問機関「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」の論点整理が公表され、天皇陛下の退位に向けた動きが前進した。だが、今の陛下に限り退位を認めるとの方向性が強まっていることに、元側近や学友から「陛下の真意が取り残されているようにみえる」との声が上がっている。

 陛下を身近で支える侍従や侍従次長などを19952012年に務めた佐藤正宏さん(75)は(中略)「陛下は積極的に人々と言葉を交わし、心を通わせることを大切にされ、象徴天皇の在り方をそこに求めてこられた。いまの議論は、象徴天皇の在り方といった本質的な議論が深まらないまま進んでいる」

 <ご高齢で大変そう><ゆっくりしていただきたい>……。陛下へのこうした声は、「感情論」に聞こえると佐藤さんは言う。「陛下は感情論ではなく、国民の要請に応えながら安定した皇位継承を確保するため、制度はいかにあるべきかを考えてこられたと思う」

 学習院高等科まで陛下の同級生だった明石元紹(もとつぐ)さん(83)は、「皇室典範の改正で退位を制度化することを望んでおられると思う」と話す。陛下は昨年88日のおことばで「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ」と述べた。このことを明石さんは「自分が疲れたから辞めさせてほしいと言っているのではない」と受け止めている。

 明石さんは昨年721日夜、陛下と電話で話した。陛下は退位について「国のための制度がある以上、合理的でいつも変わらない形にならないと意味がない」と述べたという。明石さんは「こうした考えが理解されないまま議論が進むことへの危機感」を抱き、電話の内容を報道機関に明らかにした。「今回も、次の天皇の時も、一代限りで対応すればよいというのではあまりに皇室の存在を軽視している。将来に向けて皇室のあり方を真剣に考えてもらいたい」と話した。」

 さらに「横田耕一・九州大名誉教授(憲法学)」は、「現行制度と現状のずれについて議論を尽くしてこそ制度をどうするかの検討に進めるはずで、今の議論は拙速だ。このまま一代限りの退位を認めることになると「陛下のわがまま」という印象が残り、陛下に失礼だ」と、単刀直入に安倍自公を批判している。

 このように天皇をないがしろにして、拙速に一代限りの退位の特例法で片付けようとしている安倍自公政権は、他方では、れいによって改憲にご執心である。

 例えば、毎日新聞によれば、安倍晋三首相は昨年10月、自民党の保岡興治憲法改正推進本部長と会談した際、日本維新の会の憲法改正原案に盛り込まれた「教育無償化」を改憲項目とするように言ったという。教育無償化は野党や国民の賛同も得やすいとの思惑からで、安倍氏は「『改憲したい』と言っている人たちとよく話し合い、連携してほしい」と述べたという。その後、自民党は昨年128日の衆院憲法審査会幹事懇談会で8項目の「今後議論すべきテーマ」を示し、教育無償化を明記した。

 今年15日には、安倍氏は、党本部の仕事始めのあいさつで、今年が憲法施行70年だと言及し「節目の年。新しい時代にふさわしい憲法はどんな憲法か議論を深め、私たちが形作っていく年にしたい」と述べた。

 また、朝日新聞によれば、20日の国会の施政方針演説で安倍氏は、今年が憲法施行から70年の節目に当たることに触れ、「次なる70年に向かって日本をどのような国にしていくのか。その案を国民に提示するため、憲法審査会で具体的な議論を深めようではありませんか」と音頭を取ったという。

 この安倍氏の音頭に呼応した太鼓持ちのゴマスリ幹事長・二階俊博氏は、22日のNHK「日曜討論」で、改憲について「できるだけ早く一定の方向を、党としてまとめたい」といい、今国会中の発議について「状況を見て判断する」と述べ、番組終了後に記者から「今国会での発議の可能性を否定しない立場か」と問われ、「結構です」と答え、618日までの今国会中に憲法改正の発議を目指す可能性に言及したという。

 安倍氏は27日の衆院予算委員会でも、憲法改正について、「最終的に決めるのは国民だ。国会において議論を進めずに、(国民の)権利行使に対してふたを閉めていいのか。大いなる問題意識がある」と述べ、国民投票を視野に、衆参両院の憲法審査会で改憲項目をできるだけ早く絞り込むよう促したという。

 このように、安倍自公政権は、天皇陛下の退位制度の恒久化の議論にはフタをしめて、そそくさと一代限りの退位の特例法で済ませようと図り、壊憲にうつつを抜かしている。要するに、おごる安倍自公は、私的願望である壊憲をしたいがために、天皇陛下の退位の恒久制度という、この国の根本的な議論にまでフタをした。(佐々木奎一)

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2017年02月09日

電車自殺について

 平成二十九年一月二十三月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「電車自殺について」


 を企画、取材、執筆しました。



9日付で「電車に飛び込んだ男性の体、ホーム女性直撃」というニュースが日本テレビであった。それによると「8日午後8時半ごろ、大田区の京浜急行『雑色駅』で、20代の男性がホームから下りの通過電車に飛び込み死亡した。男性の体は電車にはね飛ばされ、ホーム上にいた20代の女性を直撃し、女性は頭や腕を打撲する軽傷を負ったという。警視庁は、男性が自殺を図ったとみて調べている。京急線は、この事故や横浜市内の踏切事故の影響で一時、ダイヤが乱れた」という。

 人身事故は、多くの電車ユーザーにとって、身近な出来事だが、飛び込み自殺により、打撲という直接的な被害を負う、というのは珍しい。もちろん、自殺した人は、打撲どころではない打撃を人生で受けていたのであろうし、その人をそこまで追い詰めたのは、広くいえば社会そのものであり、社会の一員であるわれわれ一人一人も、まったく100%関係ないとはいえないのだから、自殺した人のことを憐れみ、自殺のなくなる社会にしていこう、と思うことは、大切なことといえよう。

 だが、そうはいっても、電車に乗ろうとしていたら、いきなり目の前で男が飛び込み自殺をはかり、その死体が、頭や腕にぶつかってケガをした、という女性は不憫である。

 それに、この女性のように直接的被害ではないにしても、鉄道自殺のたびに、電車がストップして、何万人、何十万人、ラッシュ時なら百万人単位の人が、影響を被る。これらの人々は、間接的な被害を受けていることになる。

 例えば、ごくごく卑近な例でいうと、昨年のクリスマスの日の終電の1時間前位に、JR京浜東北根岸線という電車の、都心から神奈川方面行きに、筆者は乗った。その日、筆者は疲労困憊だった。電車に乗ると、席が空いていたので、グッタリと座った。そこから約1時間も電車に揺られて帰る予定だった。家族に、電車に乗ったことを伝えた。すると、電車に乗って約20分ほど経ったところの蒲田駅手前で、にわかに電車はストップし、二駅先で人身事故が発生しました、蒲田駅で電車はストップします、と車内放送があった。限界まで疲れていると、こうした予期せぬ事態は、痛烈な打撃になるもので、ますますぐったりしてしまった。家路が遠いため、どうすれば帰れるか、ルートを考え、品川駅まで戻って、京急線で横浜か杉田駅まで行くことにした。京急の品川駅に行くと、人々でごった返しており、なんでこんなに混んでいるんだ? と戸惑う声があちこちで聞こえた。それで横浜駅で降りて、JR線に乗ろうとしたところ、まだ京浜東北根岸線は動いていなかった。が、さいわい、東海道線と横須賀線という、家の近くの駅まで行く路線は、3040分遅れで何とか動いており、ちょうど5分後に着く、と表示されていたので、それに乗った。そして、大船駅で降りた。もうストップしてから大分経っていたから、京浜東北根岸線もさすがにそろそろ動いているだろう、と思い、乗って最寄りの駅で降りて帰ろうとしたが、時刻の表示板が消えていた。駅員に聞いたところ、もう今日は電車はありません、という。タクシーで帰ることにした。タクシー代は約1500円かかった。なんとか大船駅まで何とか辿りついたからよかったものの、京急線の杉田駅まで行き、そこから先の電車がなかったら、タクシー代は57千円位かかっていたことだろう。結局、家に着いたのは午前1時過ぎだった。

 この一件で、筆者は過労に陥ってしまった。およそ1週間、思うように動けず、予定が狂った。だが、さいわい、年末年始に入り、休息の時間が取れたので、過労を脱することができた。

 無論、これはほんの一例でしかない。人身事故により、過労の限界ギリギリでセーブしてやっている人に、最後の予期せぬ一撃を加える形となり、それにより一線を越えた過労に陥り、その後の予定が狂い、そのなかで予定に合せなければならないために、最悪の場合、過労死に陥る人もいるかもしれない。

 要するに、電車の人身事故により、こうした間接的な被害は、無数に起こっていることは想像に難くない。

 「鉄道人身事故に関する自殺行動モデル」(著:赤塚肇、村越暁子、鈴木綾子、鈴木浩明、本澤卓司、楠神健、「鉄道総研報告」より)によると、「苦悩に圧倒されて、自殺しようとしている絶望的な人は、他者の感情について冷静に考えられる状態にないことは容易に想像できる。…自殺の危険の高い人は他の人々の感情をあまりに軽視してしまっている」という。(「青少年のための自殺防止マニュアル」(著:高橋祥友/金剛出版刊)より孫引き)。そして、「うつ状態での自殺」が鉄道自殺では多いが、「そのような人にいくら理屈で説き伏せようとしても無駄である」という。(「働き盛りのうつと自殺」(著:大原健士郎/創元社刊)より孫引き)

 そのため、「人身事故による影響人員の大きさや、損害賠償、遺族の迷惑を強調することは、抑止手段として議論に上がることもあるが、このように、自我機能が低下していることが自殺の基礎にあるとするならば、自殺の危機が高まった状態に陥った個人に対して際立った効果を持つとは考えにくい」とある。

 なお、前出の「鉄道人身事故に関する自殺行動モデル」には、こうある。

 「自我機能の低下を基礎とする場合、自殺手段について冷静・理性的に選択しているとは考えにくい。すなわち、自殺未遂者を対象としたルポルタージュでは、なぜその方法を選んだのかとの問いに対する回答はどれも漠然としており、問いに対する回答にはなっていなかったと報告されている。この著者(※注 矢貫隆「自殺 生き残りの証言」(文藝春秋))は、自殺の手段は、考えた末に選んだものではなく、その瞬間、目に付いたもの、その瞬間、頭に浮かんだものを選んだに過ぎないのではないかという疑問を投げかけている」。

 「デュルケームも『自殺の本質と自殺者が選ぶ死の方法とのあいだには、なにか関係があると思われるかも知れない。(中略)だが、あいにく、この点にかんして筆者の試みた探求の結果は否定的なものであった」、「自殺者の選ぶ方法は、自殺の性質それじたいとはなんのかかわりもない現象」であると述べている」(デュルケーム(宮島喬 訳)、「自殺論」、中央公論社)。

 このように自殺が衝動的なものであるなら、例えば、常日頃から、鉄道自殺を忌み嫌う人がたくさんいて、人として最低の行為である、ということがインプットされて、鉄道自殺などしてはいけないということを本能次元で理解できるようになれば、ホームから飛び込もう、という衝動が起きたときに、その発作的な思いつきを行動に移さない一因になり得るのではないか。

 この鉄道自殺の衝動が起きた瞬間にブレーキをかけることができれば、ひょっとしたらその人は、それ以降、そのような衝動は起こらず、生き続けるかもしれない。

 だから、自殺をなくしていくためにも、鉄道自殺はよくないことである、と、もっと社会全体で声を大にして言っていってよいのではないか、と思う。(佐々木奎一)



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2017年02月05日

「死」を語り合うデスカフェ

 平成二十九年一月二十七月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「「死」を語り合うデスカフェ」


 を企画、取材、執筆しました。



 「お茶しながら死を語り合うデスカフェって?」というニュースを25日付日本テレビ電子版が報じていた。それによると、「デスカフェ」なるものがひそやかに広がっているのだという。「デスカフェ」とは「『死』について語り合う集まり」という。

 これはスイスの社会学者のバーナード・クレッタズ氏が、妻の死をきっかけに約10年前に始めた」もので、「欧米を中心に広まり、今ではイギリスなど40か国以上で開かれている」のだという。

 同ニュースでは、先週末に東京都品川区で開いたデスカフェを紹介している。そこでは、身近な人を亡くした経験がある人や、親が末期ガンだと医師から告げられた人、親の介護をしている人など、40代から70代の14人が集まった。参加者からは、「死については、絶対に自分にとっても起こるものだから、いろんな方々の考え方を聞くことができて勉強になった」(40代男性)、「周りとの関係も、悔いを残しちゃダメなんだというか、大切にしたいなっていうのを改めて思いました」(40代女性)といった感想があり、参加者は明るい雰囲気で話しており、なかには話し足りないという人もいたという。

 また、福岡県・覚円寺の僧侶・霍野廣由氏が作った、全国の若手のお坊さんたちのグループ「ワカゾー」によるデスカフェも紹介している。これは2015年から大阪や京都で開催していて、クレヨンで死のイメージを表現したり、理想の死に方を話し合ったりしている。参加者はなんと7割が20代。「若い世代は、死について漠然とした不安があるのではないかと感じる。回数を重ねるごとに若い人が集まってくれて驚いた」(霍野氏)。

 経産省の2012年の調査によると、「死ぬのがとても怖い」と感じている人を年代別でみると、若い人ほど高くなっており、70歳以上が36.2%なのに対し、30代は54.7%と半数を超えている。これは核家族化で死が身近でなくなったことなどが要因の一つとみられるのだという。

 このようにあるが、死を直視する、というのは、よいことのようにみえる。無論、若者だけではない。いくら歳を重ねても、自分はいずれ死ぬ、という現実から眼を背けて生きている人もいる。が、上記のデスカフェは「明るい雰囲気」だった、とあるように、死に向き合うことは、意外にも、人生を前向きに捉える効果があるようだ。

 ただし、デスカフェが広まると、当然想定される負の面もある。それは、カルト教団による被害である。つまり、デスカフェにカルト教団が目を付け、集まりに加わる。そして、参加者と接触、会話を重ねる中で、教団に引きずり込んでいく、という悪質事件が起こることは容易に想像がつく。

 その点、そうしたカルト教との接触というハイリスクのない方法がある。それは、一人で考える、である。例えば、作家の故司馬遼太郎氏は、歩いていると頭上から崖が崩れ落ちてきて、その破片が頭に当たって死ぬ、ということを想像して生きている、という意味のことを書いていたことがあった。

 筆者は、明日不測の事故が死ぬかもしれない、と考えてみた。すると、プライベートで、むきになっていたことがあったのだが、どうでもよいことのように思えてきて、もっと前向きに、真摯に、謙虚に、生きようという気持ちになった。

 もちろん、ことさらに「明日死ぬかも」といった話をしても、家族など周囲を暗くさせたり、うんざりさせる可能性が高い。なので、あえて口にする必要はないとは思うが、死を直視することは、プラスの効果がある。(佐々木奎一)



PS いうまでもなく、カルト教団とは、池田教などを指す。

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2017年01月30日

台頭するポピュリズムと“衆愚政治のシンボル”

 平成二十九年一月二十月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「台頭するポピュリズムと“衆愚政治のシンボル”」


 を企画、取材、執筆しました。



18日付の日本経済新聞朝刊に「内向き世界 処方箋探る ポピュリズム台頭に懸念 ダボス会議」という記事がある。

 それによると「世界各国の政府要人や多国籍企業の経営者らが集う世界経済フォーラムの年次総会が17日、開幕した。(中略)2016年は増加する移民や自由貿易への抵抗感を背景に、英国が欧州連合(EU)からの離脱を決定。米国の大統領選挙で既存の政治家を批判するトランプ氏が次期大統領に当選するなど、内向き志向が強まっている。(中略)経営者からは開幕前や開幕直後に危機感のこもった発言が相次いでいる。『ポピュリズム(大衆迎合主義)の台頭は当然、ビジネスによいとはいえない』。16日にサイドイベントを開いたスイス金融大手UBSのセルジオ・エルモッティ最高経営責任者(CEO)はこう話した。『なぜ(大衆迎合に傾く)か、に耳を傾ける必要がある』」といった懸念の声があったという。

 「ポピュリズム」とは「日本大百科全書」(小学館刊)によると、「大衆の支持を基盤とする政治運動。一般庶民の素人感覚を頼りに、政権や特権階級、エリート層、官僚、大地主、大企業などの腐敗や特権を正す政治エネルギーとなることもあるが、一方で人気取りに終始し、大衆の不満や不安をあおる衆愚政治に陥ることもある。(中略)ポピュリズムの特徴は、(1)理性的な議論よりも情念や感情を重視する、(2)政治不信や既存の社会制度への批判を背景に広がることが多い、(3)集団的熱狂、仮想敵への攻撃、民主主義の否定などに向かいやすい、(4)有権者の関心に応じて主張が変わり一貫性がない、(5)多くの場合一過性の運動である、など」とある。

 ちなみに、現代民主主義の「源流」である古代アテネの民主政治について、69日付の当コーナーで触れたが、アテネでは、ポピュリズム=衆愚政治が横行していた。

 古代アテネは前5世紀半ばには黄金時代を築いたが、その後ペロポネソス戦争をさかいに無定見な民衆による衆愚政に堕し、前4世紀には衰退した、というのが通説である。

 が、「民主主義の源流 古代アテネの実験」(著: 橋場弦/講談社刊)は、この通説を否定している。例えば、「『衆愚政』ということば自体、(中略)特定の立場から何かをそしるときに用いるレッテルであって、あることがらを客観的に説明することばとは言えない」と批判している。

 このように否定的な同書でさえ、「衆愚政の醜態と非難されてもしかたのない悲劇」としてクローズアップしている事件がある。それは「アルギヌサイ裁判」という。同書には概要次のにようにある。

 紀元前431年から、アテネとスパルタが、ギリシアの覇権をめぐるペロポネソス戦争を起こした。その後、デマゴーグと呼ばれる主戦民主派のリーダーたちは、いたずらに支配欲をあおり立て、スパルタ側からの和議の申し出を蹴ったり、開戦後10年には、いったん和平が成立したのに、デマゴーグが盛り返して戦争再開したり、前415年にはアテネが空前の規模の海外遠征を企て、シチリア島に大軍を派遣したが、大失敗に終わるなど、アテネはその支配権をじりじりと追い狭められていった。そして、前406年、死に物狂いのアテネは、残された総力をあげて決戦に挑む。これはアルギヌサイ群島付近で行われたため、「アルギヌサイの海戦」という。この決戦にアテネは勝利した。がしかし、戦争に勝ったあと、海戦により漂流した味方を救出しようとする中、にわかに季節外れの暴風雨が襲い、波にのまれてしまい多くの漂流した味方の兵士が海の藻屑と化した。

 ことの次第を聞いたアテネ民会は、憤怒した。決戦には勝利したものの、多くの将兵の命が失われた惨劇の責任は、現場の将軍たちにあると考えたからである。

 将軍6名(その他に2人いたが、責任を取らされて殺されるのを恐れ国外逃亡)は帰国後、逮捕拘留され、「弾劾裁判」で「民会」に引き渡されることとなった。

 「民会」とは、アテネ民主政の最高議決機関。約6千人が収容される民会議場に市民はだれでも集まり発言する権利をもち、一人一票の投票権を行使した。民会では、軍事行動の決定などの外交問題、戦時財政、国会に対して功績があった者に対する顕彰決議、外国人への市民権授与決議、国の基本法の制定、改正などを決議、将軍や財務官の選挙などを決議した。

 「評議会」とは、30歳以上の市民が、ランダムで10個の部族と呼ばれる結社に分かれ、一部族ごとに50人ずつ、計500人が抽選で選ばれた。任期は一年で、二期以上連続就任はできず、生涯に二度までしか評議員にはなれない。評議会では、国家予算や教育などの重要事項を決定した。

 そして、評議員のうち各部族がひと月交替で当番評議員を務める。当番評議員は、民会と評議会の議長団を兼ねた。議長団には、例えば、議案を採決にかけるかどうかの最終決定を議長団の合議により決める、といった、いわば現在の議長のような役割があった。

 「弾劾裁判」とは、「(1)民主政転覆ないしその陰謀、(2)売国罪、(3)民会や評議会での動議提案者の収賄」という国家の存立にかかわる重大国事犯を裁く場。

 弾劾裁判にかけようとする者は、まず民会か評議会に告発して訴えを受理してもらう。告発する資格は、原則どの市民にもある。この告発を受けて、民会は、審判を民会と民衆裁判所のいずれで行うか等決める、というもの。

 こうして6人の将軍が弾劾裁判にかけられた。なお、告発した顔ぶれは、将兵救助の任務を負って果たせなかった将軍2人だった。非難の矛先をかわすため告発した。

 こうして民会に引き渡された将軍6人は、当時の状況を説明し、すべては人知の及ばぬ自然現象のもたらした不運の結果である等と弁明した。民衆はそのことばに動かされたが、このときすでに夕闇が議場を包みはじめ、挙手判定が困難となった。そこで、民会はつぎの集会に持ち越すこととし、それまでに今後の弾劾裁判の手続きをどうするかの案を提出するよう評議会に要請して散会した。

 ところが、ちょうどこの時期、アパトゥリア祭という、アテネ市民の結束を確認する祭りがあった。ここには海戦で落命した遺族たちもやってくる。当時の人々にとっては死者が故郷の土に埋葬されぬというのは、このうえなく恐ろしい不幸で、まして異国の海に遺体を漂わせ魚の餌になるなど、想像するだに耐え難いことだった。

 告発者とその仲間たちは、この機を逃さず、遺族を装って祭りに現れ、遺族たちの感情をあおり、つぎの民会にかならず出席して将軍たちの弾劾に賛成するよう説いて回った。

 同時に彼らは、評議会に工作し、違法な評議会提案を成立させるのに成功した。それは、前回の民会ですでに告発と弁明は行われたのだから、今度の民会では一切の審理を行わず、ただ一回の無記名投票により、将軍たちを有罪か無罪か判決を下すべきこと、しかも、8人は一括して判決を下すこと、有罪となれば即刻全員処刑して財産を没収すること、というもの。

 本来は、被告は別々に裁判を受け、めいめいの罪状に応じて刑が定まることになっている。つまり、告発と弁明の審理を行わず、一括して裁くというこの評議会案は、当時の常識に照らして極めて異常で違法な内容だった。

 かくして再び召集された民会では、怒りをあらわにした遺族たちが詰めかけ、興奮した市民達が怒号を発する尋常ならざる雰囲気のなかで開会した。

 さっそく評議会提案が動議された。その主旨に驚いた一部の市民達が、手続きが違法である、として異議申し立てに立ちあがった。がしかし、感情をあおられて激昂している多くの市民たちは、逆に彼らを恫喝し、異議を取り下げねば将軍たちもろとも被告席に座らせるぞ、と脅した。彼らの言い分は「たとえ何であれ、民衆(デーモス)の望むことを実行するのを妨げるのは、けしからぬことだ!」だった。やむなく異議は取り下げられた。

 次に違法手続きに抵抗したのは、民会の議長団を務める当番評議員たちだった。彼らの一部が、本来の責務に従い、採決にかけることを拒否した。しかし、同様の脅迫を受け、ついに採決に同意した。なお、このとき、最後まで採決に反対したソクラテスは、のちに、こう回想している。「あのとき当番評議員のなかで、市民たちに反対し、法に反するいかなることを行うのも拒絶したのは、私一人だけだった。登壇して提案を動議する人たちは、私をいまにも告発し逮捕しかねない勢いだったし、市民たちもそれを命じ、怒声をあげていたけれども、私はそのときこう思ったのだ。投獄や死刑を恐れ、付和雷同して不正なことを決意するよりは、むしろ法と正義とともにあらゆる危険を冒すべきである、とね」(プラトン「ソクラテスの弁明」三二B-C

 こうして民衆は異様な興奮にうながされ、違法手続きにより即座に判決に移った。議場には二種類の壺が置かれ、一方は有罪票が、他方には無罪票が投じられる。結果は有罪。6人の将軍はただちに処刑された。

 なお、信じ難いことに、市民たちはほどなく自分たちのしたことを後悔しはじめる。多くの優秀な軍事指揮官を一挙に失ったためだ。そして、民会を扇動した人物たちを告発すべく逮捕し投獄したという。

 同書には、「この種の事件が、ペロポネソス戦争中にしばしば発生したことは事実だ」とある。

 ひるがえって日本をみると、どうであろう。

 昨年、舛添要一・東京都知事が、別に違法行為をしたわけでもないのに、週末に湯河原の温泉に行っている、とか、政治資金で美術品やたまごサンドを購入した、といった、愚にもつかない話で、新聞、テレビ、ラジオ、ネットといったあらゆる媒体が、辞めろ、とか、逮捕しろ、などと連日連夜はやし立てて民衆をあおり、民衆の多くは感情的になり、与野党の政党の国会議員や地方議員、全国の首長といった政治家たちは、民衆の顔色を窺い、舛添を寄ってたかって罵倒し、ついに舛添氏を屠り、政治生命を抹殺した。

 要するに、古代アテネの“衆愚政治のシンボル”「アルギヌサイ裁判」と、「舛添集団リンチ辞職事件」は、似ている。

 つまり、日本も、衆愚政治の只中にいる。(佐々木奎一)





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2017年01月26日

禁煙法に反対する喫茶店、スナックへの措置案

 平成二十九年一月十六月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「禁煙法に反対する喫茶店、スナックへの措置案」


 を企画、取材、執筆しました。



13日付の日本経済新聞朝刊に「受動喫煙対策で業界団体が集会、中小飲食店『対応難しい』、大手は全面禁煙など先行」という記事がある。

 それによると、飲食店などの業界団体が12日、厚生労働省が検討している受動喫煙防止対策の強化案に対する緊急集会を都内で開いた、という。

 「集会には100人以上の業界関係者が集まった。個人経営の飲食店が多く加盟する全国飲食業生活衛生同業組合連合会の森川進会長は『(原則禁煙とする)厚労省案に対応するのは困難だ』と指摘。大手チェーンが加盟する日本フードサービス協会の菊地唯夫会長も『役所や医療機関などの公的機関と顧客が店を選べる飲食店に一律で同じ規制をかけるのはふさわしくない』と厚労省案に異論を唱えた」という。

 特に「反対意見が多いのは個人経営の喫茶店やスナック。『顧客の大半が喫煙者という場合も少なくない』(森川氏)」「個人経営では喫煙室を設置する改装資金を捻出できなかったり、設置場所を確保できなかったりと障害は多い。禁煙にすることで、客が離れて廃業に追い込まれるのではないかという不安も強い」とある。

 その一方、「大手チェーンには先行して禁煙に取り組む企業が多い。ファミリーレストラン大手のロイヤルホストは13年、日本マクドナルドも14年に全店を禁煙にした。日本KFCホールディングスも『ケンタッキー・フライド・チキン』の改装に合わせ、禁煙店を増やす。約300店ある直営店は数年以内の全店禁煙を目指す。従業員の受動喫煙を防止するため、喫煙室も設置しない方針だ」という。

 同記事には、いくつかの企業の取り組みを表にしている。そこには上記以外に「吉野家 074月から全店禁煙に」「スターバックスコーヒー 全店禁煙」とある。これらは、先駆的に消費者の受動喫煙被害を防いでいる点で、優良企業といえる。

 他方、表には、「モスバーガー 2017年度末までに全店で完全分煙・禁煙化の予定」「和民 04年以降の新店は分煙」「タリーズコーヒー 全店で完全分煙もしくは禁煙」「喫茶室ルノアール 20年までにほぼ全店を完全分煙にする方針」とある。よくいわれるように、分煙とは“詭弁”である。例えば、WHO(世界保健機関)は「喫煙室の設置や空気清浄機の使用といった分煙では受動喫煙を防止できない。受動喫煙を防ぐには建物内を100%禁煙とする方法以外に手段はない」と勧告している。実際、分煙をくちにする店に入り、そのタバコ臭にヘキエキした、という人もいることだろう。

 上記のような詭弁を弄する会社は、健康に害を及ぼす「有害企業」と言わざるを得ない。

 なお、同記事には、今後、「業界団体の意見を踏まえ、厚労省が中小零細を規制の例外とする可能性はある」と書いてある。

 たしかに町の小さな喫茶店のなかには、店に入った瞬間、信じられないほどタバコの煙で充満した店も実際にある。喫煙者専門の喫茶店というのも実際にある。スナックなどの酒を飲む店は、客の多くが喫煙者というところもある。

 だが、そうした店を規制の対象外で片づけると、問題解決にはならない。だが、一律規制にしようとすると、店が潰れる、という声が出てきて、話がなかなか前に進まないのも事実。

 そこで例えば、中小零細の喫煙専門の喫茶、スナック系の店、そして前述の大手企業などの「分煙店」などの禁煙しない店は、店の看板、玄関ドア、ホームページ、名刺、広告等に、必ず、喫煙可を示す不気味な「タバコを吸っているドクロ」などのマークをデカデカと掲げ、米印で「当店は、タバコにより健康に害を及ぼす有害店なので、タバコを吸わない方はご遠慮願います」というふうに目立つ字で、日本語、英語、中国語、フランス語、スペイン語などの主要言語で示すことを義務付ける。

 また、そうした有害店には、事業許可の費用として、雇っている労働者数に応じて、けっこうな額を、数年おきに役所に納入するよう義務付ける。例えば、最低でも1千万円以上、大手企業なら億単位を、3年おきに払う、といった具合だ。喫煙者は、そうした有害店に流れ込むはずなので、その費用は負担できるはずである。そして、店が役所に納めたお金は、すべての禁煙店に対する補助金に充てる。

 また、有害店が労働者を雇う場合は、タバコを吸わない者を雇うことを禁ずる。喫煙者を雇う場合も、そこで働くといつまでも禁煙できない劣悪な環境なので、1か月単位の有期雇用契約のみ可で、残業も制限する。契約更新は1年未満に限る。

 これらに違反すると懲役を含む罰則を科す。このようにすると効果があるのではないか? (佐々木奎一)



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2017年01月22日

金魚以下に人間を劣化させるスマホの害悪

 平成二十九年一月十三月付、のauのニュースサイト


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 「金魚以下に人間を劣化させるスマホの害悪」


 を企画、取材、執筆しました。




19日付の読売新聞朝刊に「そばにスマホ 注意力低下 あるだけでも…気を取られ 北大で実験」という記事がある。

 それによると、スマートフォンを「そばに置いてあるだけでも持ち主の注意力を低下させることを、北海道大学の河原純一郎特任准教授らが実験で確認した。(略)

 実験では、パソコンのモニター上で、様々な図形を映し出し、その中から『T』の形を被験者が見つけるまでの時間を測定した。被験者を20人と18人の二組に分け、一組にはモニター脇に被験者のスマホを置き、もう一組にはスマホと同じ大きさのメモ帳を置いて、実験に参加してもらった。

 その結果、見つけ出すまでの時間は、スマホの組が平均366秒で、メモ帳の組は平均305秒となり、スマホ組はメモ帳組より約20%遅くなった。

 河原特任准教授は『スマホに対して注意が向いてしまい、成績が悪くなったと考えられる』としている」という。

 なお、この論文は、日本心理学会の電子版国際誌「ジャパニーズ サイコロジカル リサーチ」に先月末に掲載したという。国際研究誌ではなく国内誌に載せている点からみて、学術的な信頼性には疑問符がつく点がなきにしもあらず、かもしれないが、こんな記事もある。それは110日付週刊ダイヤモンド電子版「現代人の集中力持続は金魚以下!IT進化で激減」。そこには、こう書いてある。

 「『金魚の集中力は9秒しか続かないとされています。では、現代人の集中力はどのくらい続くと思いますか』

 正解はなんと8秒。金魚よりも短いのだ。このデータは、米マイクロソフトのカナダの研究チームが20155月に実際に発表したものだ。約2000人の参加者の脳波などを測定した結果で、2000年は12秒だったヒトの集中力の持続時間が、13年には8秒まで短くなってしまったという。

なぜここまで現代人の集中力は短くなってしまったのか。最大の要因は、IT技術の進化に伴う環境の変化である。

まず、われわれを取り巻く情報量そのものが、飛躍的に増大した。米調査会社IDCによれば、1年間に生み出されるデジタルデータ量は、2000年の62億ギガバイトから、13年は4.4兆ギガバイトと約700倍に膨れ上がった。今後も増え続け、20年には、44兆ギガバイトまで膨らむと推定されている。

さらに、LINEやツイッターをはじめとする、SNSの新たなコミュニケーション手段が登場したことも、集中力の持続時間の低下に拍車を掛けた。

 『情報の豊かさは注意の貧困をつくる』。ノーベル経済学賞を受賞した知の巨人、ハーバート・サイモンが1970年代に看破したように、身の回りに溢れかえる情報が人間を振り回し、集中力を奪っているのだ」

 こうした「ITの進化と人間の劣化」の逆比例については、当コーナーでたびたび紹介している「ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること」(著: ニコラス・G・カー/: 篠儀直子/青土社刊)に詳しい。が、スマホの横行により、近年は劣化に拍車がかかり、ついに人間は、金魚よりも落ち着きのない生き物になってしまった。

 そういう時代に、何らかの目標に向かって成長していきたい、という向上心のある人は、まずは、そうしたスマホ類を使わない、避ける、遠ざける、というところから始める方が、賢明である。

 ちなみに、2014910日付ニューヨークタイムズ電子版によると、スマホの象徴であるアイフォンの生みの親のアップル創業者スティーブ・ジョブズは、自分の子どもにアイフォンなどのIT機器は使わせていなかったという。これぞ、現代の英才教育の第一歩といえよう。(佐々木奎一)

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2017年01月18日

ナチスドイツとプラトン

 平成二十九年一月九月付、のauのニュースサイト


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 「ナチスドイツの教訓


 を企画、取材、執筆しました。



4日付の時事通信電子版に「ヒトラー「わが闘争」、再版でベストセラーに ドイツ」という記事がある。それによると、「アドルフ・ヒトラーの著書『わが闘争』を第2次世界大戦後初めてドイツ国内で再出版したミュンヘンの現代史研究所は3日、同著が予想外のベストセラーとなったと発表した」「ヒトラーの反ユダヤ思想などが記された同著は、2015年末で著作権の保護期間が切れたことを受け、昨年1月に注釈付きで再版されていた。同研究所によると、これまでに約85000部が売れたという」

 なお、在英ジャーナリスト木村正人氏によれば、定価58ユーロ(約7100円)の学術書「わが闘争」が売れたのは、図書館や学校、歴史家が一斉に購入したのが理由という。(4日付ヤフーニュース記事)

 要するに、「わが闘争」は、大衆に爆発的に売れているわけではない、ということになる。

 なお、再販した現代史研究所のアンドレアス・ヴァーシング所長は「権威主義の政治思想や極右のスローガンが蘇っている今だからこそ、『わが闘争』の再出版を通じてヒトラーの世界観とプロパガンダを議論することは全体主義思想の数え切れない根源とそれがもたらす結果を考える大切な機会を与えてくれるでしょう」と話しているという。(同記事)

 枕詞はこのくらいにして、本題に入ろう。「ナチスの教訓」といっても多々あるが、一例を挙げると、6日付当コーナーで紹介した、民主政の批判者プラトンを、ナチスは都合よく利用していた。そのことは「プラトンの呪縛」(著: 佐々木/講談社刊)に詳しい。

 同書によると、ナチスのイデオローグとして有名だったアルフレート・ローゼンベルクは、1933年の党大会(「勝利の党大会」)で、マルクス主義の平等原理を批判し、共産主義が多用な民族組織にひきつけを起こし、何百万人、それどころか、民族全体を抹殺するとしても、最後には自然が勝利する、と言った後、こう演説している。

 「それはかつてプラトンが言ったことのようになっているからである。すなわち、平等を説く人の『魔法の歌と詐欺』によって優れた者を『若い獅子を捕らえるように』騙そうとするアテナイの法は、生の要求を破壊するものである。しかし、一人の者がそれから自由になると、彼はこの間違った魔法の手段を破壊し、『自然の法』に基づいて堂々と立ち現れる」

 要するに、ナチスは、プラトンのいう、自然の法に基づいている。だから、平等を説くアテネのような共産主義を必ず倒すことができる、という趣旨の演説である。

 また、ナチスお抱えの人種研究者ハンス・ギュンターは、プラトンが血統を重視する記述をしていたことをたてに取る論文を発表している。そこには、こういう下りがある。

 「哲学への適合性は種の問題だ! それに携わるのは、選ばれた集団の仕事だ! このように賢者の中の一人は考えている。(中略)純血の人間のみが哲学をする! いくぶんなりとプラトンが意識していたとして、われわれが――人種研究から学びつつ――認めなければならないのは、ソフィストとともに西南アジア人がギリシア精神に対する支配権を握り、それまで重きをなしていた北方の魂がギリシアで死んだということではないか? こうした洞察がプラトンの言葉の背後に潜んでいる」と。

 このように、ギュンターは、人種が人間の能力を根本的に規定していると説く。そして、ここでいう、ギリシア人に対して支配権を握った西南アジア人とは、ユダヤ人と見られる。

 こうしたことを通し、同書は「プラトンは民主制と自由主義、共産主義に対する効果的な攻撃武器として動員された。当時の言葉でいえば、プラトンは貴族主義的な体制――人種を基礎とした――に対する大きな支援者」だったと指摘している。

 このように、プラトンを利用する輩こそ、まさにプラトンのいう、「絶えず戦争を引き起こす」「僣主」といえよう。今後も、ナチスのような形でプラトンを持ち出す者が出てくるかもしれないので、用心しなければならない。

 それに、プラトンは、完全な民主制の排除を志向していたわけではない。

 「民主主義の源流 古代アテネの実験」(著: 橋場弦/講談社刊)に、古代アテネの「民衆裁判所」についての下りがある。それはソクラテスを葬ったシステムでもある。

 前4世紀の民衆裁判所は、一般市民は希望すれば誰でも終身の裁判員になれた。こうして数千人の裁判員がいた。例えば、公法上の裁判6件があり、裁判が行われるとする。この場合、各小法廷に501人の裁判員が必要で、計3000人(端数切り捨て)が要る。

 そこで、裁判当日、まず、1回目の抽選により、数千人の中から3000人の裁判員を選ぶ。次いで2回目の抽選で、各法廷の分属を決める。そして、3回目の抽選で、どの小法廷が、どの事件を担当するかを決める。

 こうして不正買収の入り込む余地をなくさせて、トランプのカードのシャッフルのようにして決めていく。そして、重大な事件の裁判ほど、裁判員の数を1000人、1500人と増やしていた。

 同書には、こうある。

 「以上のようなアテネの民衆裁判を、素人が集まって行う危険な裁判ではないかと感じる読者も多いかもしれない。自分が裁かれる立場に置かれたら、こんな群衆裁判なぞこわくてごめんだと考える人もあろう。

 事実アテネの民衆裁判は、すでに同時代の哲学者から厳しい非難を浴びていた。ソクラテスはこともあろうに自分の命がかかっている裁判の法廷で、民衆裁判を侮辱するような発言をし、裁判員の心証を悪くして死刑の判決を受ける。師をこのようにして葬ったプラトンは、裁判員の抽選制を厳しく批判し、上級審では専門教育を受けて厳正な試験に合格した職権裁判官を導入すべきだと主張した。(中略)

 アテネの民衆裁判所においては近代の陪審制とことなり反対尋問も認められず、また裁判員どうしの議論もなく、せいぜい一日程度の審理で一審かつ終審の判決が下される。はなはだ頼りない裁判である。さらに、多くの裁判員は法律の専門技能に欠けた素人で、彼らの判断を動かすのは非合理な情実である」

 このように、民衆裁判は、現代の国民投票、選挙に似た危うさがある。だが、この民衆裁判を批判していたプラトンでさえ、こう述べている。

 「国家に対する罪を告発するにあたっては、まず大衆が裁判に参加することが不可欠である。なぜなら、もし誰かが国家に対して不正を働くならば、被害当事者とは市民全体のことであるし、もし彼らがこのような犯罪の裁判に何の参加も許されないならば、憤るであろうことは無理もないからである。ただし、そのような手続きの最初と最後は民衆に委譲されなければならないが、審理は原告・被告双方が同意する三人の最高位の役人に委ねられるべきである」「また私法上の訴えにおいても、できうる限りすべての市民が裁判に参加すべきである。なぜなら、裁判に参加する権能にあずからぬ人は、自分が国家の一員であるとは全然考えないからである」(『国家』七六七E―七六八B)」

 このようにプラトンは「あくまで裁き手の資質や教育程度を問題にするのであって、民衆参加の原理そのものを否定しているのではないようだ」と同書は記している。

 ただし、アテネの市民とは、「われわれの想像以上に政治意識が高く、また自律的な市民であった。またそうであることを理想とした。生産労働に専念するのは奴隷や在留外人にふさわしいとされ、政治や軍事そして裁判に参加できることこそ、市民の特権であり名誉であった。だから彼ら本来の仕事とは、ポリスの公務に従事することにほかならない」「彼らを現代的な意味で政治や裁判の素人と断定することは、たいへんかたよた見方である」(同書)という。

 いまの日本はどうだろう。アテネの民衆よりもはるかに意識が劣っているであろう我々現代人は、プラトンから見て、今の国民投票、選挙という形による政治参加をする資質は、あるといえるだろうか? 九分九厘その資質なし、と判定するのではないか?

 では、民主主義の危機といわれる時代に、どうすればよいのか――たとえば、我々国民には職業選択の自由があるが、現実には資格が必要な職業が多々ある。たとえば、裁判官、海上保安官、医師、理容師などなど。また、車やバイク、ボートを運転するにも、免許というものが必要である。つまり、民衆として国民投票により政治参加するのも、たとえば、数年おきの試験により、一人一人の見識学識、モラル等々で判別して、有権者の一票に格差をつける(例:ある人は1000票分投票できて、ある人は1票分)といった具合にすることにより、プラトンが指摘するような民主主義が陥りがちな欠点を防いでいくことができるのではないか。(佐々木奎一)

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2017年01月15日

『民主主義の危機』とプラトンの言葉

 平成二十九年一月六月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「『民主主義の危機』とプラトンの言葉」


 を企画、取材、執筆しました。




 最近の諸情勢を観るにつけ、「民主主義の危機」を感じる人々は多いに違いない。メディアの記事にも、そうした論調が目立つようになってきた。例えば、14日付のロイター通信電子版の記事「コラム 停滞する民主主義、見限るのはまだ早い」には、こうある。

 「2016年は民主主義の限界と欠陥がはっきりと露呈した1年となった」「今年、欧州で経験の乏しい2つの大国が国民投票を実施し、それぞれの政府が推奨していた政治的選択が却下された。英国民は欧州連合(EU)からの離脱を選択し、イタリアでは憲法改正が否決された。その結果、イタリアのレンツィ首相、英国のキャメロン首相が辞任した。イタリアでは第2次大戦後以降、英国では何世紀にもわたり、国会が最高立法機関として位置づけられている。

 国民投票は今や、ポピュリスト政党のお気に入りの手段となっている。こうした政党は、民衆の反発を利用し、これを誘導することができると信じているからだ。これこそが民衆の声、そうではないのか、と。」

 「一方、独裁主義は復権を果たしつつある。

 ロシアのプーチン大統領が米タイム誌の『今年の人』候補に選ばれたのは、ウクライナ、シリア、そしてロシアにおいて(いかに暴力的なものであれ)成功を収めていることへの評価であり、世論調査によれば依然、圧倒的な国民の支持を得ている。プーチン氏同様、高い支持を集める独裁的リーダーとしては、中国の習近平主席、トルコのエルドアン大統領、フィリピンのドゥテルテ大統領などが挙げられる」

 とこのように記している。

 また、11日付朝日新聞朝刊の1面トップに「試される民主主義」「我々はどこから来て、どこへ向かうのか」という記事が載っている。記事は冒頭、「民意が暴走しているようにみえる。民主制の先輩である欧米でも次々と。これは民主主義の失敗なのか」とあり、本文には、こう書いてある。

 「そもそも歴史をさかのぼれば、民主主義は『危険思想』とされていた。東京大学の森政稔教授(政治思想史)はそう説く」「『トランプ氏のようなポピュリズムは、本来はバラバラの人たちの中に、無理やり多数派を作り出す。敵を名指す虚構の言葉で人々を結集させる。これは、民主主義が持つ危うい側面です』と森教授は言う」

 ちなみに、現代民主主義の「源流」である古代アテネでは、いまから2500年前から、民主政治が行われていた。その時代を生きたプラトンは、民主政治について、こう述べている。(以下、「プラトン」(著: ジャン・ブラン著/: 戸塚七郎訳/白水社)より抜粋)

 「寡頭制は居候や放蕩者やぐうたら者の出現を助長した。そしてついに『貧乏人がその敵に打ち勝って、ある者は殺し、ある者は追放に処し、そして、残った連中で平等に国制や行政の職を分配する時、民主制が確立する。またそこでは、しばしば行政の職すら籖によって決められるのである』(五五七a、※筆者注、以下、漢数字のページ表記は『国家』八巻より)。このような国制の合い言葉は自由であり、そこでは誰もが自分の気に入った種類の生活を送る。『しかし、この国家においては、たとえその能力があっても、命令することを強制されないし、それを欲しなければ服従することも強制されないということ、また、他人が戦争をしている時でも戦争するように強いられないし、もし平和を少しも望まないのなら、他人が平和を守っていても、平和を守るよう強いられることもないということ、また他方、君がひょっとしてその気になるならば、法が支配や裁判を一切禁止しようとも、命令したり裁いたりしてもよいということ、このような生活は、さしあたり、この上なく素晴らしく楽しいことではないかね。……』

 「『好ましく、そして無政府的で種々雑多な彩どりを持ち、等しからぬものに対しても、等しいものと同じように一種の平等を与える』この国制は、権威のはなはだしい危機を示している。

 民主制的な人間は、自然的でもなければ必要でもない快楽に関心を寄せ、『くる日もくる日も、目の前に現われる欲望を悦ばすことで過ごしている。つまり、今日は笛の音に耳傾けて酔いしれ、明日は水を飲んで痩せ細る努力をする。またある時は体育に精を出し、ある時はのらくらして何ごとにも無関心である。また時折は、哲学に没頭しているように思われることもあるだろう。また、しばしば政治家となり、演壇に飛び上って、たまたま思いついたことを何でも言ったりしたりする。またある時は、軍人というものが羨ましくなり、そちらの方へ向って行くが、ある時は商人が羨ましくなって、商売に身を投ずる。一口に言えば、彼は自分の行為の中に秩序も必然性も認めていないのだ』(五六一c)」

 そして、この民主政の堕落が、「僣主制」を現出する、とプラトンは指摘している。

 「民主制を僣主制にやがて堕落させるのは、それ以外のすべてに対する無関心な態度から生じたこの善に対するあくなき欲望である。自由に対する貪欲は放縦と無政府状態を誘い出し、支配者は嘲弄され、親父は自分の息子を対等に扱い、かつ息子を恐れることに慣れ、また息子はもはや父親に尊敬の念を抱かず、教師は生徒を恐れてへつらい、生徒は自分たちの先生を軽蔑する。このようにして、『過度の自由は、個人の場合でも、恐らく過度の隷属以外のものには帰着しえないであろう。……それゆえに、当然、僣主制は民主制以外のどんな国制からも生じてくるのではない』(五六四a

 その時、人々は自分たちの気に入った者を頼りにし、そのものを自分たちの先頭に立て、養育して力を強くしてやる。この僣主は『絶えず戦争をひき起こすが、それは、人々が指導者を必要とすることを意図してのことであり、……さらにまた、市民たちが税金のために貧乏になって、止むをえず日々の糧に気をとられ、自分に対する謀反の企てが少なくなるためである』(五六六e)。いつも戦いをひき起こさなければならないから、僣主は、自分がその憎しみの的となるような市民たちからわが身を守るために、個人的な護衛を持つことも必要である。相当の給料を払ってやれば、警護の任につくために到る所から志願者がやってくるであろう。また彼は、自分自身と自分の政治とに対する讃辞を、報酬を払って詩人たちに書かせるようにさえなるであろう」

 ではどうすればよいのか。プラトンは、「理想的国家」を志向している。

 プラトンはそのために、「特に教育に関して、多数の細目を示している。軍人たちの教育は体育と音楽によって規正されなければならない。しかし、好き勝手な種類の音楽や、好きな型の楽器を選ばせないことが肝要であろう」「作家の活動も仔細に監督されることになろう。まず第一に、“よい”物語だけを作品の中に留めおくよう物語作家を監督し、とにかく子供の魂を形成する目的で、乳母にその物語を用いさせることが必要となろう(『国家』二巻三七七c以下)。

 「求めなければならないのは、『美しいものや、上品なものの本性を追い求める才に恵まれた芸術家たちであろう。それは、若者たちが、ちょうど健康的な地方の住人のように、あらゆるものから利益を得るためである。つまり、どのようなところからにせよ、とにかく美くしい作品から出た芳香が彼ら若者たちの視覚や聴覚を打ち、彼らがそれをあたかも微風のように、すなわち健康的な地方から健康を運んできて、彼らが子供の頃から、気づかないうちに美しいものを愛し、それを模倣し、彼らと美しいものとの間に完全な調和を置くようにしむける、微風のように感ずるためである』(同書四〇一c)」

 「理想国家の支配は、哲学者によって確固たるものとされるであろう。なぜなら、哲学者だけが真理と幸福とを知っているからである。哲学者は知への情熱に燃えている。彼は真摯で、節制的で、貪欲なところがなく、優れた記憶力に恵まれている。しばしば、哲学者は国家にとって無用であると言われるが、だがその責任は、彼らを用いることができない人々に向けられるべきであって、知者自身に向けられるべきではない(同書六巻四八九b)。それゆえに、哲学者は国家の生存に欠くことのできない者である」

 国家の未来の指導者に対する教育として、「まず第一に目につくのは算術で(同書七巻五二二c)、これは魂に叡知のみを用いさせ、かくして真理をそれ自体として獲得させるという優れた長所を持っている。事実、数が理解されうるのは、ただ思考のみによってであって、どんな方法によってでも、感覚でもってそれを取り扱うことはできない(五二六ab)。次は幾何学であるが(五二六c)、それは「常に有るものの認識」であるから、魂を感性界から解放して真理へ導いて行くのに適している(五二七b)。天文学は魂を導いて行って上方を眺めさせる学問で、存在と不可視なるものとをその対象としている(五二九b)。この学問は、認識は感覚的なものを何一つ持たないという考えをわれわれに確信させる。最後に、哲学者は調和の学(それは音楽であるが)を学ぶことになるだろう。

 しかしながら、これらの学問はすべて最高の知識の、すなわち弁証術の序曲にすぎない。幾何学やそれに関連する学芸は、存在をただ夢の中で認識しているだけである。弁証家とは、すでに見たように、あらゆるものの本質の認識に達している者であって(五三四b)、彼のみが万物に及ぶ“綜観”(synopsis)を所有しており(五三七c)、この綜観が善のイデアの光によって世界を見ることを可能にしているのである。」

 なお、プラトンのいう理想的政治は、ただ一人が支配するところから「君主制」、あるいは「貴族制」と呼ばれるが、同書は、「貴族制」は適切ではなく、「むしろ優者制と言わるべきであろう。すなわち、この国制においては、多数の中で、知識においても戦事に関しても、優秀であることを認められた者が王になるのである」と指摘している。

 プラトンの洞察は、現代にそぐわない点はあるにせよ、参考になる点はあるに違いない。(佐々木奎一)


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2017年01月09日

野党の地力

 平成二十九年一月二月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「あのニュース今年はどうなる 国内政治編 野党の地力」


 を企画、取材、執筆しました。



2017年の国内政治の注目点は、野党第一党が地力をつけるかどうか、である。なぜか。

 周知のとおり、改憲を何としても成し遂げたい安倍晋三首相は、昨年の参院選後、幹事長に、総裁任期延長を持ち上げるゴマスリ・二階俊博氏(77)を据えた。自民党の総裁任期は党則で連続26年まで。つまり、本来なら、安倍氏の任期は20189月までだったのが、太鼓持ち・二階氏の音頭により、39年まで、となった。これで安倍氏は20219月まで総理総裁のイスに居座る環境が整った。

 だが、衆院任期満了(181213日)まで2年を切っている状況で、悪名高い「自民党改憲草案」を現実化するとなると、支持率が下がることは避けられない。つまり、このまま改憲を強引に実行すると、次の選挙で負ける。

 だから、安倍自公政権は、まず、次の衆院選で大勝し、引き続き与党で衆参ともに3分の2の議席を確保した状態で、じっくりと腰を据えて憲法改正を実行したい。

 現状のような「次の衆院選のときに支持率を下げられないから、無理矢理に改憲できない」という「後顧の憂い」を絶った状態で、改憲したい。

 それにより支持率が急落しても、1年以上かけて国民の目を引く政策(アメダマ)を大量導入して、支持率を回復させ、改憲のことを有権者たちがすっかり忘れた時点で、満を持して次の衆院選をしたい、と切に思っているに違いない。

 そして、今年722日には東京都議会議員の任期が満了となり、都議選が行われる。無論、この都議選も、公明党の支持母体創価学会は、集票マシーン活動に専念したい。都議選と衆院選の時期が重なり、集票マシーンである創価学会の信者たちが都議選に集中できなくなる事態だけは、避けたいと思っている。

 だから、都議選より半年近く前か、都議選のあとに総選挙をする、というのが、自公のあいだで暗黙の了解となっている。

 そこで、昨年末、あるいは今年初めに解散という解散風が盛んに自公から流れた。当初の見立てでは、ロシアのプーチン大統領を山口で迎え、北方領土の2島返還という歴史的な外交実績を目玉としていたようだが、その目論見は崩れたため、解散は先送りしたように見受けられる。(161220日執筆時点)

 そうすると、都議選のあと、つまり、今年の8月以降、来年12月までのどこかで解散総選挙、ということになる。

 なお、都議会で公明党が、にわかに自民党と決裂の様相をみせている。そのことが国政にも影響を与えるのではないか、つまり、自公連立が解消されるのではないか、と推測する者もいる。仮にそうなれば、改憲どころではなくなるわけだが、その芽はほとんどなさそうである。

 ちなみに、にわかに分裂した、というのは、昨年1214日夜、にわかに都議会公明党・東村邦浩幹事長が、「自民党との信義という観点でこれまでやってきたが、完全に崩れたと思って結構だ」と発言したことを指す。

 この発言により、40年間も続いた自民党との蜜月関係は終わったことになる。

 なお、ここでいう「信義が崩れた」という経緯は、11月に開かれた「議会のあり方検討会」の前に、議員報酬の2割削減、政務活動費の減額、本会議などに出席する度に最低1万円が出る費用弁償を実費支給にする、などを柱とする公明案が報道されたことにより、事前報道に反発した自民が「公明が修正案を出すか、検討会で公明を除いて議論を進めるしかない」と求め、公明は修正を拒否、両者の溝が埋まらないまま、自民が12月の検討会開催を通告し、公明が離脱を決めた、というもの。(毎日新聞電子版より)

 この程度のことで40年間の蜜月が終わるというのは、にわかには信じ難く、実に、うさんくさい話である。

 しかも、この「信義が崩れた」発言と同時に、この東村氏は、「知事が進める東京大改革については、公明党も大賛成」と、あからさまに小池百合子・東京都知事に秋波を送っている始末。この節操のなさ自体、信義のかけらも感じせない。

 なお、小池氏は、都議会自民党との対決姿勢で、テレビ受けして支持率を上げている。東京オリンピック後は、国政に戻り、総理の座に就こう、という野望を小池氏は持っている、とも目されている。

 その自民党と小池陣営の対立、というパフォーマンスの一環で、小池氏は都議会で新会派をつくる動きもみせてる。

 要するに、公明党は、小池氏が勝ち馬に乗る、と踏み、40年の付き合いの自民党を突如見捨てて、小池氏に乗り換えた。

 では、それが国政に影響するだろうか――。

 東洋経済オンライン1216日付の「都議会公明党が自民党に決別を宣言した真因」によると、この一方的な縁切り発言の数日前に公明党都議が「もう自民党には我慢できない。特に高木啓幹事長は、あまりにも横暴だ。もう彼が首を差し出しても、元に戻らないところまできている。国政とは別の話だが」と、述べたという。

 「国政とは別の話だが」、である。

 先例はある。かつて大阪維新の会という地域政党で、橋下徹氏が、盛んに自民党や公明党などの既成政党と対立した。例によってその対立構図をおもしろおかしくメディアが取り上げ、支持率は急上昇した。

 だが、国政レベルでみると、どうだったか。周知のように安倍氏と橋下氏は、緊密に会談を重ねる間柄で、国政に進出した維新の会は、自民党の補完勢力として、いまや限りなく与党に近い存在になっている。

 似た現象が今、都政で起きている。つまり、小池氏が今後、自民党との対決を演じ、公明党は小池氏という勝ち馬に乗り、小池陣営が都議会で勝ち、国政に進出したとしよう。

 そのとき、小池氏は、昨年まで自民党の国会議員だったこと、現時点でも自民党員であることなどからみて、国政で自民党と組むに違いない。小池氏は、自民党の国会議員に戻るかもしれない。つまり、そのときは、自民、公明、小池、維新による連立政権となることだろう。

 要するに、都議会での公明党の動向は、国政レベルでは影響しそうにない。

 つまり、国政で自民党と公明党が分裂する、などという淡くはかない観測は控えた無難である。自公維による自民党改憲草案の実現を阻止するためには、野党が地力をつける以外にない。なかでも、野党第一党の民進党が力をつけるかどうかが焦点である。

 そして、その意味で、憂うべき点は多々ある。たとえば、これはほんの一例だが、昨年4月に民進党が結党した。このとき、同党HPでは、党員募集のページを閉鎖した。それは結党してバタバタしているためなのかと思いきや、それから参院選後まで延々と閉鎖したままで、挙句の果てに、今年は募集を締め切りました、と表示されるようになった。そして、にわかに、昨年11月あたりから、党員募集のページができた。

 募集ページに氏名等を入力すると、おって最寄りのエリアの民進党の事務所から連絡がくる、という。だが、ふたを開けてみると、党員募集は今年度は終了している、このページから募集した人は来年度から党員となる、という悠長なものだった。

 党員=集票マシーン化するようなガンジガラメの党は御免被りたいものだが、民進党のゆるさも、驚嘆すべきものがある。ほかの党なら、募集した人はすぐにでも党員にして戦力にしていくことだろう。

 なお、不思議なもので、党員に属すると、往々にして、人の意識というのは変わるものだ。自然に、その党に属している、という意識に変わる。たとえば、どこかの政党の党員になれば、国会でその政党の議員がどういう言動をしているか、とか、党首がテレビに出てこんなこと言っていた、といった情報にも目がいくようになったりする。

 だから、明らかに、政党にとって、党員を増やすというのは、重要である。それは選挙の勝敗にも直結する。

 それだから、民進党の機関紙では、結党当初から、党員を増やしていかなければいけない、という意味のことを、党首が語ったりしている。それなのに、実体は、上記のとおりである。

 いったいこれは何なのか。

 いうまでもなく、民進党の支持母体は連合である。その連合というのは、巨大企業の労組が中心。そして、巨大企業の労組というのは、ユニオン・ショップ協定といって、労使協調の、対立のない、経営者寄りの労組が中心である。そのため、連合の労組出身の民進党の国会議員のなかには、その企業の利益のために国会活動している者もいる。それは、あたかも経団連の裏部隊のような存在といっても過言ではない。

 そういう体質を色濃くする連合と経団連にとっては、民進党は、連合が牛耳っている方が都合がよい。

 要するに、選挙がいつあってもおかしくない、という状況下で、民進党が党員募集をシャットアウトしたのは、

連合≒経団連を益するためではないか、と疑わざるを得ない。

 そんな民進党と連合の体質が、原発政策において世間に露呈したことは、当サイト161024日付で伝えた通り。

 ただし、だからといって、民進党は、連合と絶縁すべき、といっているわけではない。連合の言いなりではいけない、といっているのである。

 つまり、連合依存症から脱却できるかどうか。

 党員を増やしていけるかどうか。

 そして、野党共闘できるかどうか。主義主張が違う、とか、あいつは嫌い、といった基準で行動するのは、書生の類のすることである。少数野党で対立するのは、自公を利するだけである。よって大局で判断して動けるかどうか。

 こうした点からみて、野党が地力をつけることができるかが今年の焦点である。(佐々木奎一)



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2017年01月07日

国民年金滞納の実体

 平成二十八年十二月二十六月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「国民年金滞納の実体」


 を企画、取材、執筆しました。



 「年金滞納者、大半が免除対象」という記事が7日付の朝日新聞朝刊にある。それによると、「国民年金の保険料を滞納している人のうち9割以上が、所得が低いため申請すれば支払いの一部もしくは全額を免除される可能性が高いことが分かった。6日の参院厚生労働委員会で、日本維新の会の東徹氏の質問に塩崎恭久厚労相らが明らかにした。

 厚労省は低迷する納付率を上げるため滞納者への強制徴収を進めているが、低所得者に対する強制徴収は「現実的に困難」(塩崎氏)という。

 国民年金保険料を2年間以上滞納している人は2015年度末で約206万人に上る。厚労省は年間所得が350万円以上の滞納者を強制徴収の対象としているが、来年度以降は300万円以上に拡大する。

 しかし、厚労省の実態調査では年間所得300万円未満が94%を占め、300万〜350万円が2%350万円以上は4%にとどまる。厚労省は『対象者のうち相当数が督促済み。強制徴収できる対象者はかなり限定的だ』としている」という。

 このように国民年金を2年以上滞納している人は206万人いる。これらの人々は、制度をちゃんと知っていれば、滞納者にならずに済んだ。

 あまり知られていないが、国民年金には、保険料の全額、4分の3、半額、4分の1の各免除や、学生納付特例、納付猶予制度といった免除制度がある。例えば、扶養親族のいない人で所得が57万円以下だと、保険料(今年度は毎月16,260円)は全額免除される。それでいて、そのうちの半分の額(8,130円)は払ったこととして、年金計算にカウントされる。

 老後の年金だけではない。ちゃんと免除の申請をしていれば、もしも事故や病気等で重度の障害に陥った場合に、障害基礎年金が支給される。滞納者には、出ない。

 このような制度を知らないため、デメリットを受ける、という構図は、当サイト122日付で報じた、生活保護の不正受給と似てる。これは例えば、生活保護受給世帯の子どもである高校生などが、大学入学金の資金のためアルバイトをして、役所にそのことは申告していなかったとする。この場合、あとで役所がその申告漏れの所得を把握することになる。その時、役所は、余計に生活保護費を支給した分を返せ、といって返金を迫ることになる。だが、進学のための費用を賄うためのアルバイトの場合、申請して適用されれば、返金する必要はない、という制度が実在する。つまり、その制度を知らないばっかりに、生活保護の不正受給者となる人が多いのが実情である。

 年金によ、生活保護にせよ、役人たちが、免除の制度があることをちゃんと説明しないのは、財源支出を抑えるため、とみられる。要するに、申請主義により、制度を知らない人は、ときに人生を左右するほどのデメリットを被る。説明しない役人がわるい、といくら言っても、知らない方がわるい、となるのが落ちである。

 だが、年金制度を知るといっても、周知のように、年金制度はめまぐるしく変化しており、ちゃんと把握するのはなかなか困難である。

 かといって、例えば上記の滞納者206万人が、年金事務所に制度を聞くとなると、そもそもスタッフが足りず、物理的にも不可能といえよう。

 では、どうすればよいか。公的年金の専門家でちゃんと勉強している社労士(社会保険労務士)に相談するのがベストといえよう。もちろん、社労士に相談するにしても、それなりのお金がかかるが、上記の年金滞納のケースでは、2年間で約40万円、20年間なら約400万円もの年金保険料を払ったことになるか、丸々滞納になるかがかかっている。要するに、社労士に相談した方がはるかに安くつくのに、滞納に比べればほんのわずかな費用をけちっているのが実体である。

 なお、相談する費用をねん出することすら困難という言い分もあることだろう。法律相談の場合は、法テラスという国の機関があるので、低所得者は無料で弁護士や司法書士に法律相談をすることができる。この法テラスの社会保険版のようなシステムをつくるか、あるいは法テラスに社労士を加えると効果的ではないだろうか。無年金者は減り、生活保護にならずに済む人数が増えて、結局、全体の財政支出は抑えることができることだろう。(佐々木奎一)

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2017年01月05日

島根県立大殺人事件、7年がけの捜査で犯人判明

 平成二十八年十二月二十二月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「島根県立大殺人事件、7年がけの捜査で犯人判明」


 を企画、取材、執筆しました。



0910月に島根県立大1年の平岡都(みやこ)さん(当時19)がバラバラの死体で山中で発見された事件。その犯人が、にわかに特定された、というニュースが先週飛び込んできた。

 事件の概要は次の通り(以下、朝日新聞より)。平岡さんは091026日午後915分頃、浜田市港町のショッピングセンター内にあるアイスクリーム販売店でアルバイトを終えた後、約2.6km離れた女子学生寮に徒歩で約30分かけて帰えるために、バイト先を出てから、ぷっつりと足取りが途絶えた。学生寮までの道のりには、人通りの少ない真っ暗闇の山中の道もあった。遺族によると、ショッピングセンターでのアルバイトは夜遅くなり、危ないため、事件の3日後の29日からは浜田市内の別のアルバイト先で働くことが決まっていた最中だった。

 平岡さんがバイトをしていたのは、留学資金を貯めるためで、将来は語学を活かし、発展途上国の飢餓と貧困に立ち向かいたいという情熱を持ち、授業も熱心に受けていた。

11月に入ると、記者クラブメディアが平岡さんの顔写真入りで「19歳女子大生が行方不明」といった見出しで報道するようになった。

 そうしたなか116日午後、キノコ狩りに来ていた男性が、アルバイト先から約25kmにある広島県北広島町の臥竜山の山頂付近のがけ下で、女性の頭部を発見。7日未明、DNA型鑑定により、平岡さんと確認され、島根、広島両県警は死体損壊・同遺棄事件として浜田署に合同捜査本部を設置した。その後、警察の捜索で、平岡さんの大腿骨、胴体、左足首などが次々と臥竜山で見つかった。

 そして、平岡さんの靴の靴の片方が発見された。場所は、アルバイト先からの帰宅路の山道から東に約50メートル入った、国道9号バイパスの側道沿いの側溝。学生寮までは約800メートルの地点。バイト先から寮までの経路の曲がりくねった山道は車1台が通るのがやっとの狭さだが、バイパスの高架をくぐる付近で幅が16メートルに急に広がる。捜査幹部は「高架下あたりに車を止めて待ち伏せ、山道から側道に逃げた女子学生を無理に乗せたとみるのが自然」と見ていた。

 現場近くの自営業の女性(62)は、買い物袋を下げた女子学生が夜、現場近くの山道を歩いているのを見かけることもあり、「靴が見つかった付近は隠れ場所になるので、人を襲うつもりでいるような人なら、格好の場所に見えるはずだ」という。

 この道を車で通勤している女性(57)は「人通りもなく、暗く、車でも気持ち悪い場所。急に来て分かるような場所ではない。たまたま通りかかることも考えづらく、知った人でないと来ないと思う」という。

 だが、その後、捜査は難航。年が明け10120日には、当時の警察庁の安藤隆春長官が、現場を視察した。安藤長官は「国民に計り知れない不安を与え、日本の治安に影響を与えかねない重大事件」「日本警察の総力を挙げて早期に解決しなければならない。事件の背景、動機がわからず、全容を解明することが同種事件の抑止につながる」と述べた。安藤長官は、臥竜山の遺体発見現場を視察し、合同捜査本部のある島根県警浜田署、そして県立大を訪れ、平岡さんの遺影が飾られた会議室の献花台に花を手向け、祈りをささげた。警察庁によると、未解決の重大事件の現場を長官が訪れるのは異例。

 翌月、警察は、犯人逮捕につながる有力情報の提供者に、国費で最高300万円の懸賞金を支払う「捜査特別報奨金制度」を適用する方針を決定した。

 捜査本部は当初は190人態勢だったが、翌106月に140人に縮小し、114月には125人となったが、それでも相当数を投入しており、警察の強い意志と執念が窺える。

 だが、1210月時点で、車両約40万台、空き家や廃屋約8千カ所も捜査しているが、有力な情報は得られていない、という状況だった。

134月からは110人体制となったが、「必ず解決するという気持ちで、残った者が力を入れて頑張る」と現場は強調。

 こうして執念の捜査が続くなか、先週にわかに犯人の男が特定されたという。犯人は事件当時、遺体が見つかった広島県北広島町に隣接する島根県益田市に住み、遺体発見の2日後の09118日午後、山口県美祢市の中国自動車道で運転中、ガードレールに衝突し、車は炎上。同乗の50代の母親も死亡した。「事故に不審な点はなく、長距離運転による疲労ということだった」(別の捜査関係者)という。

 今年に入り、島根県を中心に素行に問題があった人物の洗い出しを改めて進めた結果、男の存在が浮上。遺体が見つかる直前に臥竜山周辺を走行していた車の記録を捜査本部が調べたところ、男の車も確認された。時間的にも男が遺体を遺棄するために現場に来たとみて矛盾がない「捜査の『網』を広げた結果」と捜査幹部は話しているという。

 さらに、平岡さんが行方不明になった当日、犯人の車が浜田市内を走行する記録が確認された。そして、決定的なのは、犯人はデジタルカメラとUSBメモリー。犯人は平岡さんの遺体や文化包丁など約40枚を撮影し、その画像を消去していた。捜査本部が復元したところ、それらの画像は、当日夜頃の約1時間半の間に容疑者宅で撮影されたものと判明したという。

 その犯人は、矢野富栄(よしはる、当時33)。

 近所の住民らによると、矢野は山口県下関市で米穀店を営む両親と弟の4人家族に育ち、北九州市内の高校に進学。「一言でいうと真面目なタイプ」と高校の同級生だった40代の男性は話す。理系のクラスに所属。口数は少ないが、暗い性格ではなく柔道が強かったという。

094月、下関市のソーラーパネル販売会社に就職。事件の約5か月前から、島根県益田市内の一軒家を拠点に訪問販売に携わった。平岡さんが住んでいた同県浜田市にも営業で出入りしていた。

 会員制交流サイトでは「dr.よしゆき」を名乗り、趣味の音楽や仕事の愚痴を書き込んでいた。プロフィルには茶色に髪を染めた横顔を掲載し、「来る者は拒まず去る者は地獄の果てまで追って行きます」などと記した。

 パネル販売会社に入り、「今日、やっと1本契約取れた♪」と仕事の状況もぽつぽつと記録していった。サイトで矢野容疑者と知り合ったという益田市内の女性は、平岡さんが行方不明になったのと同じ10月に、直接会ったという。丸刈りに近い髪形で「ネットでは楽しげにやり取りしてたけど、現実にはあまりしゃべらなかった」。

 最後の書き込みは平岡さん不明から6日後の09111日。「一般家庭の消費電力について調べています」。事件をうかがわせる記述は一切なかったという。

 こうして7年がかりで犯人を特定したのは、警察の執念の捜査のたまものといえよう。

 なお、結果論ではあるが、事件発覚当時、関西国際大の桐生正幸教授(犯罪心理学)は、こう述べている。(091113日付朝日新聞朝刊より)

 「女性が被害者になった過去の同様の犯罪例から、単独犯と考えるのが自然ではないか。日本では戦後、遺体を切断する事件が100件近く起き、その9割以上は証拠隠滅が目的だった。今回は、山中に遺棄しているとはいえ、見つかりそうな場所で、埋めてもいない。遺体の損傷具合などの報道をみる限り、むしろ、遺体を損壊すること自体への犯人の思いがうかがえる。もしそうならば、日本ではまれなタイプの事件だ。現場からの証拠を積み上げて犯人に迫る従来の捜査に加え、類似事件のデータから犯人像を浮かび上がらせるプロファイリング(犯人像推定)捜査も必要だろう」

 上述のように、捜査本部が「島根県を中心に素行に問題があった人物の洗い出しを改めて進めた」ことが、犯人特定につながっている。「素行に問題」とは、つまり、性犯罪の前科といえよう。性犯罪という犯人像から洗うというのは、桐生教授のいう「プロファイリング(犯人像推定)捜査」といえる。

 なお、桐生教授は「現場からの証拠を積み上げて犯人に迫る従来の捜査に加え」、「プロファイリング捜査も必要」といっている。

 前者については、島根県警の杉原捜査1課長は20日の会見で、矢野容疑者が島根県内に短期間しか住んでいなかったことや、平岡さんとの接点が全くなかったことから、捜査が長期化したと説明し、「1万足の靴があれば、1万足調べるのが捜査。足元から捜査を広げる中で、無駄は一つもなかった」と繰り返し述べているように、丹念にやってきたのだろう。

 つまり、日本の警察にとって、足元から、とは違う手法の「プロファイリング捜査」が、今後の課題といえよう。

 また、1221日付同紙朝刊によると、甲南大法科大学院の渡辺修教授((刑事訴訟法))は、こう述べている。

 「多角的な視野からの捜査をするには都道府県ごとの警察では限界がある」「異なる県で起きた殺人事件と交通事故死をいち早く結びつけるためにも、米国の連邦捜査局(FBI)のような広域捜査の体制づくりが急務だ」

 たしかに、犯人が他県である山口県で事故死していたことが、捜査が長引いた一因のようにも見受けられる。つまり、縦割りの弊害を取り除くことも、日本の警察の捜査上の課題といえよう。(佐々木奎一)


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2016年12月24日

ホリエモン文春にギャラ請求とイエロージャーナリズム

 平成二十八年十二月十九月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「ホリエモン文春にギャラ請求とイエロージャーナリズム」


 を企画、取材、執筆しました。



 ホリエモンこと堀江貴文氏が、テレビで週刊誌にギャラを請求したという。それは16日放送のTOKYOMX5時に夢中!」という番組でのこと。出演した堀江氏は、8日発売の週刊文春で報じられたことについて突っ込まれた。

 その週刊文春の記事というのは、堀江氏が1122日未明、妖艶な雰囲気の美女と手をつないで六本木の高級ホテルに入るところを同誌が撮影したというもの。その後の取材で、そのお相手は女性ではなく、「女装男子」と呼ばれる男性のなかのカリスマで執筆やタレント活動をしている大島薫氏(27)だと判明。(週刊文春電子版より)

 そのことを共演者から盛んに聞かれた堀江氏は、「恋人ではないです」と否定したあと、こう言った。

 「ぶっちゃけ、記事出すんだったら、俺にも印税よこせって思いますよね」「印税出してくれるんだったら、『ここまでOKよ』とか、そういうのはアリだと思う」「20%とかさ、バックしろよって話ですよ。見てるか文春の記者!」「だって俺がネタじゃないですか! 何で俺に入ってこないんだお金が」(サンケイスポーツ電子版より)

 このタレントの肖像権と週刊誌については、興味深い判例がある。それは平成2422日に最高裁判所第一小法廷で判決が下った、いわゆる「ピンク・レディー事件」である。(ピンク・レディーとは昭和51年から昭和56年にかけて活躍した2人組のアイドル歌手)

 事件の概要は次の通り。平成18年秋頃からピンク・レディーの曲の振り付けを利用したダイエット法が流行していた。そんな中、「女性自身」(光文社刊)が平成19213日・27日号の1618頁に、「ピンク・レディーdeダイエット」という記事を掲載し、ダイエットの解説や効果を記した文面とともに、水着姿のピンクレディーらを被写体の白黒写真(縦7cm、横4.4cm)や、18頁の下半分には「本誌秘蔵写真で綴るピンク・レディーの思い出」という見出しに、ピンク・レディーの白黒写真(縦9.1cm、横5.5cmなど計7枚)を掲載するなど、合計14枚の白黒写真を無断掲載した。

 これに対し、ピンク・レディーの2人が、光文社を相手取り、パブリシティ権が侵害されたとして不法行為に基づく損害賠償(計372万円)を求めた。

 一審、二審ではピンク・レディーが敗訴。最高裁でも敗訴した。最高裁判決(裁判長: 櫻井龍子、裁判官: 宮川光治、金築誠志、横田尤孝、白木勇)では、「人の氏名、肖像等(以下、併せて「肖像等」という。)は、個人の人格の象徴であるから、当該個人は、人格権に由来するものとして、これをみだりに利用されない権利を有する」「そして、肖像等は、商品の販売等を促進する顧客吸引力を有する場合があり、このような顧客吸引力を排他的に利用する権利(以下「パブリシティ権」という。)は、肖像等それ自体の商業的価値に基づくものであるから、上記の人格権に由来する権利の一内容を構成する」として、パブリシティ権をみだりに利用するのは違法であるという原則を指摘したうえで、こう述べた。

 「他方、肖像等に顧客吸引力を有する者は、社会の耳目を集めるなどして、その肖像等を時事報道、論説、創作物等に使用されることもあるのであって、その使用を正当な表現行為等として受忍すべき場合もあるというべきである」

 「そうすると、肖像等を無断で使用する行為は、1 肖像等それ自体を独立して鑑賞の対象となる商品等として使用し、2 商品等の差別化を図る目的で肖像等を商品等に付し、3 肖像等を商品等の広告として使用するなど、専ら肖像等の有する顧客吸引力の利用を目的とするといえる場合に、パブリシティ権を侵害するものとして、不法行為法上違法となると解するのが相当である」

 「これを本件についてみると、前記事実関係によれば、上告人らは、昭和50年代に子供から大人に至るまで幅広く支持を受け、その当時、その曲の振り付けをまねることが全国的に流行したというのであるから、本件各写真の上告人らの肖像は、顧客吸引力を有するものといえる。

 しかしながら、前記事実関係によれば、本件記事の内容は、ピンク・レディーそのものを紹介するものではなく、前年秋頃に流行していたピンク・レディーの曲の振り付けを利用したダイエット法につき、その効果を見出しに掲げ、イラストと文字によって、これを解説するとともに、子供の頃にピンク・レディーの曲の振り付けをまねていたタレントの思い出等を紹介するというものである。そして、本件記事に使用された本件各写真は、約200頁の本件雑誌全体の3頁の中で使用されたにすぎない上、いずれも白黒写真であって、その大きさも、縦2.8cm、横3.6cmないし縦8cm、横10cm程度のものであったというのである。これらの事情に照らせば、本件各写真は(中略)本件記事の内容を補足する目的で使用されたものというべきである。

 したがって、被上告人が本件各写真を上告人らに無断で本件雑誌に掲載する行為は、専ら上告人らの肖像の有する顧客吸引力の利用を目的とするものとはいえず、不法行為法上違法であるということはできない」

 このように判定した。なお、金築裁判官の補足意見として、「顧客吸引力を有する著名人は、パブリシティ権が問題になることが多い芸能人やスポーツ選手に対する娯楽的な関心をも含め、様々な意味において社会の正当な関心の対象となり得る存在であって、その人物像、活動状況等の紹介、報道、論評等を不当に制約するようなことがあってはならない。そして、ほとんどの報道、出版、放送等は商業活動として行われており、そうした活動の一環として著名人の肖像等を掲載等した場合には、それが顧客吸引の効果を持つことは十分あり得る。したがって、肖像等の商業的利用一般をパブリシティ権の侵害とすることは適当でなく、侵害を構成する範囲は、できるだけ明確に限定されなければならないと考える。(中略)パブリシティ権の侵害による損害は経済的なものであり、氏名、肖像等を使用する行為が名誉毀損やプライバシーの侵害を構成するに至れば別個の救済がなされ得ることも、侵害を構成する範囲を限定的に解すべき理由としてよいであろう」という。

 そして「肖像等の無断使用が不法行為法上違法となる場合として、本判決が例示しているのは、ブロマイド、グラビア写真のように、肖像等それ自体を独立して鑑賞の対象となる商品等として使用する場合、いわゆるキャラクター商品のように、商品等の差別化を図る目的で肖像等を商品等に付する場合、肖像等を商品等の広告として使用する場合の三つの類型であるが、これらは(中略)従来の下級審裁判例で取り扱われた事例等から見る限り、パブリシティ権の侵害と認めてよい場合の大部分をカバーできるものとなっているのではないかと思われる」

 「なお、原判決は、顧客吸引力の利用以外の目的がわずかでもあれば、『専ら』利用する目的ではないことになるという問題点を指摘しているが、例えば肖像写真と記事が同一出版物に掲載されている場合、写真の大きさ、取り扱われ方等と、記事の内容等を比較検討し、記事は添え物で独立した意義を認め難いようなものであったり、記事と関連なく写真が大きく扱われていたりする場合には、『専ら』といってよく、この文言を過度に厳密に解することは相当でないと考える」

 と、記している。このように、タレントの肖像権に顧客吸引力はあり、その力によって雑誌が売れる効果があっても、それが報道の一環であれば、パブリシティ権侵害には当たらない、という。たとえその報道が、娯楽的な関心だったしても、それは社会の正当な関心なのだという。

 このように出版社に寛大な判例が出ているのは、一重に、「言論の自由」のため、といえよう。

 よって、冒頭の堀江氏のいう、週刊誌が、顧客吸引力のある自分の写真や名前をのせて商売をしているのだから、ギャラをよこせ、という主張は、判例上通らないということになりそうである。

 なお、こうした「娯楽的関心」、言い換えれば「下世話」を報じるのも、正当な関心だしても、それは、時事、社会問題を報じ、検証し、道を示す、という意味での「真のジャーナリズム」ではない。下世話をせっせと報じる週刊誌やワイドショーの類は、「イエロー・ジャーナリズム」である。

 イエロー・ジャーナリズムとは、「扇情的な記事な見出しを使い、低俗な興味を誘う報道をいう。1890年代のニューヨークで、ピュリッツァーの『ワールド』紙とハーストの『ジャーナル』紙が報道合戦を演じ、人気のあった色刷り漫画『イエロー・キッド』を作者(RF・アウトコールト)ごと奪い合うほか、セックス、スキャンダル、犯罪を書き立てて部数競争を行ったことから、この種の新聞は『イエロー・ペーパー』とよばれるようになった。両紙の競争は、スペインのキューバ植民地支配についても、事実を曲げ、事件を捏造(ねつぞう)するなど激化し、アメリカ・スペイン戦争(1898)を誘発する一因となったといわれた」(日本大百科全書より)

 そして、この手のイエロー・ジャーナリズムの蔓延は、いわゆる真のジャーナリズムをむしばんでいるのが実体といえよう。たとえば、これはほんの一例だが、労働事件の過労死について、世に出回るニュースの定番は、大手企業で起きた過労死事件である。これは、中小零細企業では過労死事件が起きていないのではなく、中小企業で起きた過労死は、報じられないのである。なぜか。無名の企業の事件は、人々の関心が低いから、需要が少なく、読まれない、よって商売にならないので、報じる価値がない、と判断しているからである。

 だが、日本の企業の99.7%は中小企業であり、日本の全労働者の7割は中小企業で働いている。だから、本来、中小企業で起きている現実こそ、問題の核心なのに、報じられない。過労死という社会問題そのものではなく、大企業で起きたことなのかどうか、が関心の的になってしまっている。イエロー・ジャーナリズムである。無論、過労死だけではない。万事、この調子である。

 イエロー・ジャーナリズムが国を席巻するのは、下世話なことにしか関心のいかない国民と、その国民におもねる言論界の、下劣なハーモニーのたまものといえよう。

 だが、言論の自由の真髄は、イエロージャーナリズムをせっせと報じることではない。国家権力を監視し、国民の知る権利に応える、といった「本物のジャーナリズム」にこそ真髄がある。この国は、言論の自由を使いこなせていない、といえよう。(佐々木奎一)

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2016年12月22日

“卑劣な悪しき先例”池田大作党の自主投票

 平成二十八年十二月十六月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「“卑劣な悪しき先例”公明党の自主投票」


 を企画、取材、執筆しました。



 カジノ解禁法案が15日未明、成立した。

15日付の朝日新聞朝刊によると、自民党の補完勢力である与党・公明党は参院本会議採決で、党議拘束を外して自主投票し、25人の参院議員のうち、西田実仁参院幹事長ら18人が賛成、山口那津男代表、魚住裕一郎参院会長ら7人が反対したという。採決後、山口氏は記者団の問いかけに無言。魚住氏は「違法なものを政府にやらせることになる」と述べたとのこと。

 公明党は6日の衆院本会議採決でも、35人中、賛成22人、反対11人、退席が1人、欠席が1人だった。賛成は、太田昭宏前代表や漆原良夫中央幹事会長、石井啓一国交相など。反対は、井上義久幹事長、大口善徳国対委員長など。

 こうして、賛成と同時に反対のポーズも示すことで、カジノに反対する支持政党・創価学会の信者たちの不満のガス抜きをして、バランスを取ったつもりなのだろう。

 だが、それは底の見え透いた子供騙しの茶番劇である。

 この国でカジノが解禁されることになった責任の第一は、公明党にある。

 そもそもカジノ法案を巡る国会の審議は、衆院5時間33分、参院17時間40分と、特に衆院での審議不足は目に余った。しかも、5日付当コーナーで指摘の通り、自民党らが野党の質問に全く答えない、という暴挙も現出した。

 そうしたなかで、選挙のたびに票のバーター(取引)により、全国各地の小選挙区で自民党候補者に投票している創価学会=公明党が、カジノ法案に本気で反対すれば、自民党がゴリ推しすることは不可能だった。

 だからこそ、安倍晋三首相は、公明党が自主投票をすると決めた時、「公明党が困難な中でよくやってくれた」とベタボメしたのだ。(2日付時事通信電子版より)

 自主投票というのは、結局、責任を回避して法案を通す、という、唾棄すべき卑怯な手口である。つまり、公明党は、致命的に卑怯な団体である。

 しかも、これから先も、懸念山積みの様々な法案が、公明党の「自主投票」という卑劣な手口により、続々と成立する、という悪しき先例が、今回できあがった。カジノ法案は、そうした悪い意味での、エポック・メイキングである。(佐々木奎一)
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2016年12月18日

天皇退位を巡る有識者会議の動向と天皇陛下の望み


 平成二十八年十二月十二月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「天皇退位を巡る有識者会議の動向と天皇陛下の望み」


 を企画、取材、執筆しました。




1日付の日本テレビに「陛下 友人に電話で“恒久的な退位制度を”」というニュースがある。

 それによれば、「天皇陛下が『退位』をめぐるお気持ちを公表する前の今年7月、友人に電話をかけ、『退位』の意向を強く訴えるとともに『将来を含めて可能な制度にしてほしい』と恒久的な退位の制度を希望されていたことが明らかになった。

 これは天皇陛下の同級生の明石元紹氏が明らかにしたもの。明石氏によると、713日に『退位』の意向が報道された8日後の21日の夜10時ごろ、天皇陛下から突然、電話があったという。

 天皇陛下は明石さんに対し、皇太子さまに『譲位したい』という意向を告げ、『天皇は務めを果たせる人間がやるべきで譲位は合理的な考え方だ』と話されたという。また『退位』については『将来を含めて可能な制度にしてほしい』と恒久的な制度を望まれたという。

 更に『摂政は絶対に嫌だ』と述べ、大正末期、昭和天皇が大正天皇の摂政を務めたことで周囲の人々がそれぞれの天皇の支持派に二分し、2人とも不快な思いをしたとされる歴史も説明された」という。

 そうした中、11日付の朝日新聞朝刊が、同有識者会議の論点を載せている。それによると会議のなかではこういう意見があったという。

 摂政について、皇室典範16条には「天皇が成年に達しない時」「天皇が精神もしくは身体の重患または重大な事故により国事に関する行為を自らすることができない時」と定められている。

 この摂政について、園部逸夫氏(元最高裁判事)は、高齢化時代では天皇と摂政が長期間併存する可能性がある、「天皇、摂政と国民との関係が混乱し、場合によっては天皇の象徴性や権威も低下する」、百地(ももち)章・国士舘大大学院客員教授)は「高齢でも天皇陛下のご意思がはっきりしている場合に摂政を置くのは、本来の趣旨と矛盾する」といった反対の声があった。

 他方、平川祐弘(すけひろ)・東大名誉教授、大原康男・国学院大名誉教授、櫻井よしこ・ジャーナリストの3氏は、皇室典範を改正し、摂政設置の要件に「高齢」を加えるよう提案。「退位せずとも高齢化問題への対処は摂政でできる」(平川氏)、「摂政を置くことで天皇一代の間に元号を変えないことにも適合する」(大原氏)などと摂政に賛成したという。

 そして、本題中の本題である「天皇が高齢となった場合の退位をどう考えるか」については、半数の8人が賛成、7人が反対、1人が慎重な姿勢を示した。(次の各氏の発言はNHKより抜粋)

 退位に賛成の発言は次の通り。

 「退位は皇室の安定性を確保するには避けるべきだが、国民の意思として認めるなら否定しない。退位を認める場合は、皇室典範を改正し、恒久制度化すべきだ」(古川隆久・日本大学教授)。

 「高齢社会を迎えた今日、天皇の終身在位制は公務の遂行とは両立しがたい状況に至っており、退位を認めるべきだ。特例法では憲法の趣旨に合致しないおそれがあり、恒久的な制度に改正すべきだ」(大石眞・京都大学大学院教授)

 「退位について、一代限りの特例法は憲法の規定や国民世論などから困難であり、『高齢譲位』に論点を絞れば、皇室典範の改正はさほど難しくない」(岩井克己・朝日新聞皇室担当特別嘱託)。

 これら3人は、退位を恒久的な制度にしようという明確な意思があり、評価できよう。

 それに対し、退位は一代限りとするなど、あくまで特例、あるい特例から、と位置付けているのは、以下の5名。

 「人間的・人道的観点でこの問題を考える必要がある。特例法で退位を認める場合でも、皇室典範の改正を前提とした法律にしなければならない」(保阪正康氏・ノンフィクション作家)。

 「天皇がご高齢となった場合は、退位を認めるべきで、法律の形式は当面適用される皇室典範の特例法とすることが適当だ」(石原信雄元官房副長官)。

 「高齢化社会の到来に対応すべく、例外的に譲位を認めるべきだ。皇室典範に根拠規定を置き、それに基づいて特別法を制定し、高齢により公務をみずから行えないときには、その意思に基づき、皇室会議の議をへて譲位を認めるべきだ」(百地章・国士舘大学大学院客員教授)。

 「まずは今上天皇の退位を特別法で行い、引き続き、皇室典範の改正による退位制度の導入を検討すべきだ」(園部逸夫・元最高裁判所判事)

 「憲法は象徴的行為が困難となった場合に退位を認めることを想定していないが、現天皇のみ対象とした特例法を定めることも憲法上は可能だ。憲法論で言えば、天皇の地位を退位すれば、象徴ではなくなるので二重性は生じない」(高橋和之・東京大学名誉教授)

 これら5名は、特例、一代限り、あるいは特例からスタート(いつまでたっても恒久化しない可能性あり)している点が、冒頭の天皇陛下の望みに、明確に反している。安倍自公政権もこの類である。

 一方、退位そのものに反対しているのは以下の面々。

 「天皇は続くことと祈ることに意味があり、世襲制の天皇に能力主義的な価値観を持ち込むと皇室制度の維持が困難になる。退位をしなくても高齢化への対処は可能で、ご高齢の場合も摂政を置けばいい」(平川祐弘・東京大学名誉教授)

 「公務の負担軽減は、各皇族で分担し、量的な軽減を図り、方式も改めるべきだ。退位の制度を設けるのではなく、皇室典範を改正して高齢の場合にも『摂政』を置けるようにすべきだ」(原康男・國學院大学名誉教授)。

 「天皇の仕事の第一は、昔から国民のために祈ることであり、国民の目に触れるような活動はありがたいが、本当は必要はなく、任務を怠ったことにもならない。摂政であれば、何も問題なくスムーズにいくので皇室典範どおりにやればいい」(渡部昇一・上智大学名誉教授)。

 「退位のために皇室典範の改正も特例法の制定もすべきではない」(笠原英彦・慶應義塾大学教授)。

 「天皇のお役割は、国家国民のために『祭し』をとり行ってくださることであり、天皇でなければ果たせない役割を明確にし、そのほかのことは、皇太子さまや秋篠宮さまに分担していただく仕組みを作るべきだ。ご譲位ではなく、摂政を置かれるべきだ」(櫻井よしこ・ジャーナリスト)。

 「ご高齢の現状に鑑みて、国事行為の臨時代行こそが最も適した対応だ。法的な措置を要することは、与野党が一致するまで見送るのが相当で、天皇より上皇の方が権威を持つ『権威の分裂』という事態がありうるので、退位にはよほど慎重でなければならない」(今谷明・帝京大学特任教授)。

 「退位を認めると皇室制度の存立を脅かす。退位を実現すれば、憲法上の瑕疵が生じ、皇位の正統性に憲法上の疑義を生じさせる」(八木秀次・麗澤大学教授)。

 このように議論されている状況だが、このまま安倍自公政権の望みどおりに、恒久的ではない、特例法にしてよいのだろうか?

 よいわけがない。(佐々木奎一)

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2016年12月15日

年間1万5千人を殺す「受動喫煙」

 平成二十八年十二月九月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「年間15千人を殺す「受動喫煙」」


 を企画、取材、執筆しました。



8日付の朝日新聞朝刊の記事「禁煙の法制化要望 強力な規制を」によると、「日本内科学会など27学会でつくる禁煙推進学術ネットワークや日本医師会など計5団体は7日、2020年の東京五輪・パラリンピックに向け、公共空間での屋内完全禁煙を定める受動喫煙防止法・条例の制定を国や東京都などに求める要望書を発表した。

 要望書は、日本での受動喫煙による死者は推定で年間15千人に上ると指摘。喫煙室を設置しても完全に受動喫煙は防止できない上、喫煙室で従業員が受動喫煙にさらされるため、現在の国の案では対策が不十分として、屋内の完全禁煙を求めている」という。

 当サイトで幾度も指摘しているように、いまや受動喫煙は“看過しえない害悪”となっている。なぜなら、推計で年間15千もの人が、受動喫煙で“殺されている”からだ。これは、もはや喫煙者による“大量殺人事件”といっても過言ではない。だからこそ、日本医師会など27もの団体が、このような要望書を出している。

 だが、禁煙に反対の声も多く、とくに飲食店などでは、店内を禁煙にするかしないかは自由に決めさせろ、という店が多いのが実情。そうした店は、「吸いたい人は来ればいい、どうしても煙を吸いこみたくない人はうちの店に来なければいい」という量見なのかもしれないが、上記のように、それだと、少なくとも従業員が受動喫煙にさらされて殺されかねない。

 なかには従業員の大半、あるいは全員が喫煙者という店もあるかもしれない。だが、大半がタバコを吸うからといって、非喫煙者の社員を死の危険にさらす受動喫煙を強いるのは、許されないことである。たとえその非喫煙者が、採用面接などで、「タバコの煙は全然平気です」、などと言ったとしても、それはそう言わないと雇用されないから言ったに過ぎない。

 それに、たとえ従業員全員が喫煙者だとしても、なかにはタバコをやめる者も出てくることだろう。なにしろタバコを吸うと、周りの人々を息苦しくさせ、年間15千人もの命を奪う。それゆえ、喫煙者はうとまれ、隅に追いやられ、生き苦しくなっていく。タバコの価格も上がる一方だ。

 要するに、タバコを吸い続けてもろくなことがないので、やめたいという人は続出する。だから、たとえ社員全員が喫煙者だとしても、受動喫煙は許されない。

 その時代の流れのなかで、受動喫煙が横行する職場があると、禁煙社員が、受動喫煙にさらされる。タバコをやめることで職場で白い目で見られて、パワハラに遭うケースも出てくるかもしれない。せっかく禁煙した人に、再びタバコを吸わせるよう仕向ける輩も世の中には多い。

 そうしたことがないようにするためにも、法律により飲食店を含め全て禁煙にしなければならない。

 それにしても、受動喫煙で年間15千人が殺されているということは、タバコは個人の嗜好なので、吸う吸わないは個人の自由、というこれまでの言い分は、通用しない。もはやタバコは、「公共の福祉に反する」、つまり、憲法違反ではないか?

 かつて覚せい剤は、「ヒロポン」という商品名で、「除倦覚醒剤」「疲労の防止と回復に!」「各種憂鬱症 睡気除去」「体力の亢進」「作業能の増進」「頭脳の明晰化」などと広告で謳われ、普通に売っていた。それが敗戦後、禁止となり、いまや覚醒剤を使用すると、大犯罪人として扱われるのは周知のとおり。

 タバコも、同じ運命を辿るのではないか。(佐々木奎一)
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2016年12月10日

カジノ解禁法案、安倍自公独裁政権の異質の強行採決

 平成二十八年十二月五月付、のauのニュースサイト


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 「カジノ解禁法案、安倍自公独裁政権の異質の強行採決」


 を企画、取材、執筆しました。



 カジノやホテル等の統合型リゾート(IRIntegrated Resorts)の整備を政府に促す「カジノ解禁法案」が2日の衆院内閣委員会で強行採決され、6日の衆院本会議で可決させ、14日の会期末までに成立させる方針という。(朝日新聞)

 この法案での“強行採決”は、同紙によると次のようなものだという。「この『言論の府』のありようは、有権者が望んだ姿なのか。TPP承認案、年金制度改革法案に続く今国会3度目の自民党による採決強行。しかも、今回はこれまでとは意味合いが異なる。

 過去2度は連立を組む公明党と採決を合意していた。しかし、今回は慎重論が強い公明に議論の時間を与えず、前のめりになる日本維新の会を別動隊のようにして採決に突き進んだ。

 自民は夏の参院選で勝利し、27年ぶりに衆参両院で単独過半数を握った。見えてきたのは、協力する政党を自在に選択し、異論に向き合わないまま、自分たちの思い通りに社会の秩序を変えようとする姿だ。(中略)自民は、関係閣僚の出席、地方公聴会の開催、参考人質疑など2年前に与野党で合意していた審議手順も踏まなかった。

 資金不正の温床になることへの懸念から、野党議員は2日、関連業者のカネと政治の関係を問うたが、提案者の自民、維新議員5人全員が答えを拒んだまま、質疑は打ち切られた。国会は合意形成の場としての機能を失った」

 このようにカジノ解禁法案は、安倍自公政権の独裁の先例となるリスクが高い。

 なお、よくいわれるように、カジノが解禁されると、ギャンブルにハマる国民は確実に増える。しかも、厚生労働省研究班(代表=樋口進・国立病院機構久里浜アルコール症センター院長)の2014年の調査によると、ただでさえ、日本は国際指標で「病的ギャンブラー(ギャンブル依存症)」に該当する者が、成人人口の男性8.7%、女性1.8%、男女合わせ4.8%(合計536万人)もいる。アメリカ(ルイジアナ)1.58%(02年)、カナダ0.9%(02年)、フランス1.24%(08年)、香港1.8%(01年)、韓国0.8%(06年)などの他国と比較して、日本は別格である。(同調査。赤旗新聞電子版より孫引き)

 そもそも、ギャンブルは、刑法で禁じられている。たとえば最高裁の判例では、「賭博行為は、一面互に自己の財物を自己の好むところに投ずるだけであつて、他人の財産権をその意に反して侵害するものではな」いようにみえる、と前置きしたうえで、「しかし、他面勤労その他正当な原因に因るのでなく、単なる偶然の事情に因り財物の獲得を僥倖せんと相争うがごときは、国民をして怠惰浪費の弊風を生ぜしめ、健康で文化的な社会の基礎を成す勤労の美風を害するばかりでなく、甚だしきは暴行、脅迫、殺傷、強窃盗その他の副次的犯罪を誘発し又は国民経済の機能に重大な障害を与える恐れすらある」と述べている。

 つまり、ギャンブルが解禁されると、ズブズブとギャンブルにハマる者が続出し、仕事をしなくなる「怠惰浪費」の風潮がはびこり、借金漬けとなり、強盗、殺傷などの犯罪行為を誘発する。

 だから、刑法では、「賭博をした者は、五十万円以下の罰金又は科料に処する」、「常習として賭博をした者は、三年以下の懲役に処する」、「賭博場を開張し、又は博徒を結合して利益を図った者は、三月以上五年以下の懲役に処する」、「富くじを発売した者は、二年以下の懲役又は百五十万円以下の罰金に処する」といった刑罰を科している。

 そして、判例では、こうした賭博行為について、「これ等の行為は畢竟公益に関する犯罪中の風俗を害する罪であり、新憲法にいわゆる公共の福祉に反するものといわなければならない」としている。(昭和251122日、最高裁判所大法廷)

 なお、前出のように日本で異様にギャンブル依存症が多いのは、町中に公然とパチンコという刑法の抜け道の産物があるためと見られている。要するに、パチンコを野放しにしている時点で、本来、アウトなのだ。

 パチンコに刑法を適用させてこの国からパチンコ店を消滅させて、その代りに、IRと称するギャンブル場に賭場を集中させて、国と自治体が管理するというのなら、まだわかる。だが、そうした措置が絶無のまま、自公政権は独裁的手法でギャンブルを解禁する。(佐々木奎一)



PS カジノ法案を巡り、池田大作党が右往左往しているようだが、いまのモンスターのような政権を産み出したのは、ほかならぬ池田教である。池田大作狂たちが、小選挙区の自民党議員を当選させている。それをいまさら池田党は慌てふためいている。その低劣さが、いかにも、池田大作教らしい。その低劣さこそが、巨悪の根源である。安倍自公政権下で起こる全ての責任は、宗教の仮面を被ったカルト政治集団・池田大作狂にある。


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2016年12月08日

役人がひた隠す貧困の連鎖を止める生活保護の特例

 平成二十八年十二月二月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「役人がひた隠す貧困の連鎖を止める生活保護の特例」


 を企画、取材、執筆しました。



1129日付の朝日新聞朝刊に「貧困の子へ贈与『税軽減を』 来年度税制改正、政府・与党で議論」という記事がある。それによると、来年度の税制改正で、貧困家庭の子への贈与税について次のように議論されているのだという。

 「現行では30歳未満の子や孫に教育資金を一括で贈与する場合、最大1500万円まで贈与税がかからない。だが、血縁関係がない場合は年間110万円を超える分が課税される。仮に一括で1500万円を受け取れば約450万円の税金を納めなければならない。

 内閣府と厚生労働省は来年度の税制改正要望で、貧困家庭の子どもが篤志家から教育資金を受け取った場合、最大1500万円まで贈与税を非課税とすることを提案。内閣府は『資力のない親の代わりに教育資金を出すと考えれば理解は得られるのでは』とする。22日の自民党税制調査会では『貧困の連鎖や世代間格差の解消につながる』との意見も出た。

 しかし、政府内には『篤志家と出会えた子どもと出会えなかった子どもとの間で不公平が生じる』との懸念があり、与党協議では『来年度の税制改正に盛り込むのは難しい』との意見が強い」というもの。

 これは例えば、相続する人がいない人などが、貧しい知人の子どもの進学のために寄付したい、といったケースがあるとする。政府内には、そういう篤志家に出会う人、出会わない人で格差が出るのは不公平、だから贈与税を免除する必要はない、と言う者がいるのだそうだ。

 だが、それをいうなら、世の中は、生まれたときから貧困家庭から中流、上流家庭といった具合に、不平等に満ち満ちているのが現実である。第一、政府内で「格差が出るのは不公平」と言ったという者は、格差社会の上位にいる。そういう者が、「格差が出るのは不公平」などとほざく資格はない。

 上述のように贈与税を1500万円まで非課税にすれば、少しでも篤志家が増える要因になる。ひいてはそれが、貧困固定の格差社会を1万分の1ミリでも改善することにつながるのではないか。

 なお、貧困家庭の子どもの教育という意味では、贈与税をどうかするよりも重要であり、すでに定められた制度でありながら、周知されていない事がある。それは、生活保護世帯の子どもの進学費用についてである。自治体の役人の中には、例えばシングルマザーの生活保護受給者に対し、「あなたのお子さんは、入学金などの費用が賄えないのだから、大学に行けません。高校を卒業したら働いて下さい」と、ひとの人生を指図する役人がいる。その役人の言葉により、進学を諦める子どもが、世の中にはたくさんいる。

 もちろん、大学に行かない=貧国というわけではないが、大学に行かない方が貧困になる可能性はアップするのは事実。ただし、当コーナーで再三再四指摘しているように、ろくに勉強をしない三流大学に行って遊び呆けて何百万円も借金をして劣化して卒業するくらいなら、すぐに社会に出て働いた方がよっぽど将来性はある。だが、他方では、ちゃんとした大学で目標を持ってしっかり学んで卒業する、真の意味での「大学生」も多々いる。そうした真の大卒者は、進学しない人より高所得者になる率は高い。

 それだから、役人が入学金を理由に進学を諦めさせることは、子どもを貧困連鎖のアリ地獄に追い落とすに等しい暴挙である。

 しかも、生活保護の制度上、子どもが進学する道があるのにもかかわらず、役人は、進学できません、と言い切る。それで進学できずに貧困に陥ったら、その役人と上司、上層部のせいだ。役人の連中に対する懲戒解雇等の処分と、役人の指図で進学を逸した子どもへの賠償をしっかりとさせる、という責任を明確にする仕組みが必要である。

 ではどうやって入学金等の進学費用を捻出するのかというと、子のアルバイトによっである。通常、子がバイトで稼いだ額は、生活保護の世帯収入に換算されるので、バイトをした分、生活保護の支給額は減る。しかし、バイトで貯めたお金を進学費用に充てることが特定できる場合は、役所に申告してそのことを認めさせて、手続きをしっかりと踏むことにより、バイト収入を、世帯収入から控除することがてぎる。つまり、生活保護が満額支給された上で、バイト収入も入る。こうしてコツコツとバイトをして稼いだお金を、進学費用に充てることができる。だから、勉強さえできれば、生活保護世帯の子どもでも大学に行き、高所得者にもなれる。

 そういう制度があるのに、そのことを言わない役人は、実に多いのだ。役人が言わないのは、生活保護費による財源の支出を減らすためとみられる。つまり、往々にしてバイトをしている生活保護世帯は、生活保護の支給を減らしたくないので、バイトをしていることを役人に隠したりする。その後源泉徴収により、役人が半年以上経ってからバイトをしていることを突き止めて、不正受給ですよ、と迫り、バイト分の生活保護支給額の返金をさせている。返金させた分、財源は浮く。役人にとっては、貧困家庭が貧困のアリ地獄から抜け出すことよりも、故意に不正受給に追い込み、貧困層から借金を取り立てることの方が大事なのだ。

 しかも法律家などの専門家ですら、生活保護の制度を詳しく知らない人が実に多いのが実情である。

 では、どうすればよいか。生活保護受給者が、単身、役人と掛け合うというのは、できれば避けた方がよい。前述のように、役人がデタラメなことを言って、言いくるめて、進学を諦めさせる可能性があるからだ。

 そのため、できれば専門家を同行させた方がよい。例えば、法テラスを通せば、費用がかからなくて済む場合がある。ただし、法テラスを通す場合にも、ただ漫然と法律家を選んでもらう、というのでは、よい結果は望めない。法律家にとって、現状、生活保護法は、盲点となっている。生活保護法は仕事に結びつかないことが多いため、詳しい内容を知らない法律家が多いのである。

 それだから、なるべく生活保護受給者自身が、生活保護法に精通した法律家をピックアップして、その法律家の事務所に出向いて相談して進めた方がよい。

 なお、法律の専門家による各種団体は、もっと勉強して生活保護法に詳しい法律家を育成し、情報発信すべきである。(佐々木奎一)

posted by ssk at 14:51| Comment(0) | 記事

2016年12月05日

フィギュアNHK杯女子シングルSP「深夜枠」に放逐

 平成二十八年十一月二十八月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「フィギュアNHK杯女子シングルSP「深夜枠」に放逐」


 を企画、取材、執筆しました。



 先週末は恒例のフィギュアNHK杯が行われた。いうまでもなく、この大会は毎年、主催者であるNHKが放送している。フィギュア王国・日本の自国開催の試合とあって、楽しみにしている日本人は実に多い。

 だが、今年のそのNHKの放送は、意表を突くものだった。フィギュアNHK杯は、いつもは生放送で中継している。だが、テレビ欄をみても、初日251610分に行われた女子シングル・ショートプログラム(SP)が、見当たらないのだ。よくよく調べてみると、日付変更した25010分から、ひっそりと放送していた。

NHK杯の女子シングルを深夜放送で流すなどというのは、異例中の異例であり、2011年以降の過去6年間を調べてみても、そんな事態は絶無である。

 いったいなぜか。なにか別に重要な番組があったというのか。SPの生の時間帯には、NHKは大相撲をやっていた。18時から19時半まではニュースだった。そして、19時半からは、男子シングルSPの生放送。こちらはソチ五輪金メダリストの羽生結弦が出るとあって、しっかりと生中継した。それが終わって2045分から22時まではニュース。そして、22時から2250分は「ドラマ10 コピーフェイス〜消された私〜」というドラマ。テレビ欄には「こん身のラブ・サスペンス! 罪を犯したセレブ妻。暴こうとする雑誌記者。二人が入れ替わる時、戦慄のストーリーが始まる!」という、民放のような番組。その後、ドキュメンタリー、ニュースなどがあり、日付変更後にやっと女子シングルSPが始まる。

 要するに、仮に生放送をするのは難しかったとしても、もっと多くの人が観ることができる時間帯に放送することはできたに違いない。では、NHKは、なぜ、こんな深夜に放送したのだろうか。

 今大会の女子シングルは、宮原知子、樋口新葉などが出ていた。

 浅田真央は出ていなかった。

 もし国民的人気の浅田真央が出てていたら、深夜に放送しなかったに違いない。

 民放が、そういうことをするのなら、まだわかる。視聴率のとれる選手をゴールデンタイム(1922時)に放送することで、スポンサーをつけることができるからだ。

 だが、NHKは、国民の受信料でまかなっている。それなのに、民放のような浅薄な真似をした。

 そもそも、深夜枠で放送された宮原知子は女子シングルの日本のエースであり、樋口新葉は伊藤みどりと比較されることすらある期待の新人。そうした選手が自国の、しかも自分のところで主催している大会に出場しているというのに、人気があまりないからといって、深夜枠に放り出すというのは、あまりにも、浅ましい。

 人気があるから放送する、ではなく、NHKが放送することで国民に知らせ人気を広げていく、というコンセプトがなければ、国民に受信料を支払わせて放送する価値はない。

 いうまでもなくフィギュア王国・日本の選手が活躍すれば、国民に勇気を与え、そうした選手たちの姿をみることで、次代に継承されていく。

 その歴史の渦中で、民放のような浅ましさは、いらない。(佐々木奎一)

posted by ssk at 21:31| Comment(0) | 記事