2017年11月12日

周波数


 先日、うちのかみさんが、猫ボランティアの人と会った折、興味深い話を聞いた。

 そのボランティアが言うには

 「猫は、周波数やにおいで、会話をする」という。

 やはりそうか、と筆者は納得した。 

 前に記したとおり、猫はテレパシーでコミュニケーションをとっている、と筆者は考えている。

 どうやらそれは、周波数のことのようだ。
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やまと


女性フィギュアのトリプルアクセルは、大和魂だと筆者は思っている。

源流は無論、伊藤みどりである。

そして、浅田真央の引退後、意外な国籍から、大和魂を継ぐ人物が現れた。

亜米利加人の、長洲未来である。

亜米利加という国籍こそ意外だが、両親が日本人である点、浅田真央の全盛期から競っていた点をみると、納得である。

先日のトリプルアクセルは、多くの日本人の魂に響いたに違いない。
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2017年11月05日

たぬき

 あれは数か月前のこと。深夜に突然、ドカンという音がひびいた。

 たぶん、隣人だろうと思い、無視していたのだが、朝、窓の外に置いてあるゴミ箱が、ひっくり返っていた。

 そのさまが、上下さかさまに近い、不自然にみえなくもないひっくり返り方だったため、人間の仕業かもしれない、と思い検証したところ、ゴミ袋の一つが、爪でひっかいたように破れていた。

 野良猫が庭を通るのを見たことがあったので、たぶん、猫だろう、と筆者は推察した。

 それから約二週間後。

 また、ゴミ箱がひっくりかえっていて、同じように破れていた。

 そこで、筆者は、ロック式のゴミ箱を入手した。これだと、人間でなければ開けれないはずであるる。

 それから約二週間後。

 筆者はたまたま深夜に起きていたところ、にわかに、ガタン、と何かが倒れる音がした。

 筆者は、そっと外のライトをつけて、カーテンの隙間からのぞいてみた。

 すると、動物が二匹、ゴミ箱をひっくり返し、開けようとしていた。

 猫が二匹?

 と思いよく見た。

 なんと、たぬきたった。

 だが、ロック式にしたので、いかなる動物でも開けることはできまい、と、やや安心しながら、動向を見守っていた。

 すると、たぬき二匹は、両サイドから、物凄い勢いで、ロックをはずそうとしている。

 まさか開けれまい、

 が、ものの数十秒で、ゴミ箱を開けてしまった。

 その手際の良さは、窃盗団、さながらだった。

 たぬきたちは、お目当てのごみ箱に顔を突っ込もうとした。

 このまま荒らされると、これから先、同じことの繰り返しで、手の打ちようがない。なにしろ、寝静まった時間を見計らって犯行に及ぶのだから。

 これはまずい、と思い、筆者は、ドン、と窓を叩いた。

 すると、たぬき二匹は、こっちを振り返った。

 目が合った。

 すると、にわかに、向かって右側のたぬきは、猛ダッシュで逃げた。

 しかし、左側のたぬきは、こっちを見たまま動かない。

 こう着状態が数秒続いた。

 もっと驚かせよう、と筆者は、窓を開けて、あえて、こぶしを振り上げた。

 たぬきは、数メートル下がって、間合いをとり、まだこっちをジッーとみている。人間に多少、興味を持ったようである。

 すると、にわかに、うちのかみさんも起きてきた。

 加勢が入ったことに驚いたのか、たぬきは、ダッシュでしりぞき、二メートル近くあるフェンスを、ピョン、と軽く飛び越えて、去っていった。

 その後、たぬきは、肝を冷やしたのか、来なくなった。

 なお、筆者はこれまで、皇居の東御苑を散歩しているとき、たぬきを見かけたことはある。が、近づくと、サササっと隠れてしまうので、マジマジとみたことはなかった。

 また、この横浜市の片隅のわが栄区にきてから、小高い山を散策した際、たぬきとみられるガサガサっという物音はしたが、姿をみることはできなかった。

 要するに、たぬきというは、警戒心が強く、めったに人前に出てこないもののようである。

 そのたぬきを、数十センチの距離で、活発に賢く動いている姿を見るという、稀有の経験をした。

 その姿は、映画「平成狸合戦ぽんぽこ」で描かれるリアルなシーンの姿と酷似していた。

 その賢さ、身体能力を目の当たりにした筆者は、古来、たぬきは、へんげして人をばかす特殊な生き物、とされているのが、なんとなくわかった気がした。
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2017年07月04日

池田教=寄生虫


 池田教は、寄生虫である。

 こたびの都議選でも、それは鮮明だ。
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2017年06月04日

直筆


 今日、横浜駅近くで所用があり、予定が早まり、ぽっかり時間が空いたので、本屋へ行こうと思い、ふらりと、そごうへ寄り、エレベーターで上にあがった。
 すると、にわかに、司馬遼太郎氏の写真が飛び込んできた。
 チラシを手に取ると、「司馬遼太郎展」があるという。
 場所は、ここ、そごうの美術館で、日付は、6月2日から。つまり、今まさにやっている。
展.JPG



 筆者は前々から、東大阪市にある「司馬遼太郎記念館」へ行こう、行こう、と、一目でいいから、直筆の原稿用紙を、この目で見よう、みよう、と思いつつ、いまだ行くことができていない。

 それが、観ることができた。
 魂が震えた。

 筆者は、司馬遼太郎氏の大著「街道をゆく」に、ジャーナリズムを感じる。この本には、この国のかたち、が書かれているからである。


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2017年05月22日

西班牙


 サッカー・スペイン1部リーグで、レアル・マドリードが優勝し、深夜2時半からパレードをした、という。
 なんとなくその映像を観てみたところ、選手たちが踊りながら歌っているシーンがあった。
 何という曲なんだろう、と気になった。主将のセルヒオ・ラモスという選手がマイクをもって歌っていた曲だったので、それで検索してみたが、曲名が書いているサイトは絶無だった。
 ただ、その選手たちの歌っている雰囲気が、いかにも西班牙(すペいん)ではその曲を知らない人はいない、という感じだったので、ためしに西班牙のヒットチャートを調べたところ、ちょうど4か月連続1位になっている曲があった。
 アイチューンでその曲を聴いてみたところ、ビンゴだった。
 こうして滑稽なくらいすぐに曲を知ることができた。ちなみに、それはLuis FonsiのDespacitoという曲。日本の土壌では生まれようのない感じのリズムで、強烈に異国に触れた心地がした。
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2017年05月18日

ヘロドトス

 人類史上最高峰の歴史家ヘロドトスは、こういうことを言っていた、という。

 「人はいつも真面目くさってばかりいて、少しの楽しみもくつろぎも味わわずにいると、知らず知らずのうちに心を病んでしまう。」

 無論、この言葉から、過労に思いをはせた。
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2017年04月29日

猫忍


 とりためていた猫忍というドラマを、やっと全部観た。
 途中だいぶ中だるみもあったが、最後の3回あたりから、話が急展開し、最終回をみるのが、まあまあ楽しみだった。
 いうまでもなく、このドラマは、主人公である忍者の若者の父親が、にんぽうででっぷりした猫にへんげした、という話で、主人公は猫のことを「父上」と言うのだが、一向に猫は猫のままなので、ひょっとして猫のことを父親だと思い込んでいるだけというオチなのではないか、と思いつつみていたのだが、10回中8回目あたりから、父親の友人が出てきて、むかし父親が、猫にへんげする、という話を飲み交わしたとき言っていた、という回想シーンが出てきたり、へんげの巻き物というのがあり、その巻き物に猫から人間に戻る術が書いてある、という情報が出てきたりして、どうも、本当にこの猫は父親らしい、という感じになってきた。
 なので最終回には、父親が出てくると思い観てみたところ、意外にも、猫は猫のままで、オチはないまま終わってしまった。それはそれで余韻があった。
 それがおわったあと、次回からの番組予告のようなシーンがはじまった。が、それは、テレビ番組ではなく、5月から、猫忍の映画が始まる、という告知で、映画のなかで真相が明らかになる、というようなことを言っていた。
 なかなか商売っ気のある終わり方であり、感心した。
 あの猫は、どうなるのだろう。
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2017年04月08日

猫とテレパシー


 かつて筆者が、二階建の賃貸にいたときの話。筆者が窓を少し開けて寝ていたところ、ぼんやりとみたていた夢をさえぎるかのように、にわかに、強いインパクトで、猫が現れ、言い寄ってきた。
 夢にしてはぼんやりしていない強烈な感覚に襲われ、ハッと起きた。そして部屋を見渡したところ、窓の開いているすきまから、猫が身を乗り出して、こっちをジッーと見ていた。筆者が驚くと、猫のほうも驚いて逃げていった。
 その一件以来、筆者は、猫には、念を送ってコミュニケーションを取る能力があるのではないか、つまり、猫にはテレパシーがある、と考えるようになった。
 よく、空き地などで、夜になると、猫が集まり、円陣を組んで、一言も鳴かずにジーッとしているのを前によく見かけたものだが、ああいうとき、猫たちは、テレパシーで会話をしているのではないか。
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2017年02月09日

時空の旅人

 今日は、「NHKスペシャル 街道をゆく プロローグ 時空の旅人 司馬遼太郎」という映像を、ひさしぶりにみた。

 街道をゆく、のNHKの映像はいくつかあるが、なかでもこのプロローグは、傑作、と思う。


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2017年01月24日

ダッタン

 「韃靼人の踊り」という曲にのり、米国のフィギュア選手ネイサン・チェンが四回転ジャンプを五回決めた映像を観た。
 「韃靼」というと、筆者は、司馬遼太郎さんが対談や随筆で「韃靼人」について、何度もかたっていたのを思い起こす。「韃靼疾風録」という小説も、司馬さんは書いている。
 司馬さんのいう「韃靼人」の雰囲気と、ネイサン・チェンの「異国風のイデダチ」での雄姿、そして「韃靼人の踊り」という曲が、絶妙に重なって観えて感慨深い。
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2017年01月12日

猫と共にあれ

 今日、ガス業者の男性が、自宅に来た。
 その業者が居間に入った時、うちの猫がいるのに気づいた。
 すると、にわかに、その人は、相好を崩し、
 「うちも猫飼ってるんです」
 と言った。

 そのときの満面の笑みは、これまで会った数え切れないほどの業者のなかで、最も、いい笑顔だった。
 猫は、平和の使者である。

 その人が帰るとき、筆者は、「フォースと共にあれ」という、映画のワンシーンを連想し、
 「猫と共にあれ」、と心のなかであいさつした。
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2017年01月01日

神と猫と、たぬき


 今日は、「千と千尋の神隠し」「猫の恩返し」「平成狸合戦ぽんぽこ」を観た。
 特に、平成狸合戦ぽんぽこは、重い内容で考えさせられる。
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2016年12月20日

130歳くらいまで生き続けそうな池田大作

 ニュースサイトIWJ12月15日付に、池田教にまつわる記事がのっている。「「安保法制に反対の声をあげる会員を処分するな!!」「名誉会長がお元気であれば、『この状態は間違っている』と声明を出しているはず」――創価学会本部前で抗議のサイレント・アピール 2016.12.11」という記事。


 同記事では、将来、池田大作教を立ち上げて教祖となるであろう資質を持つ、選ばれしイデオロギッシュな人物、と筆者が目している、元創価学会本部職員・小平秀一氏が、こう語っている。

 「創価学会は絶対平和主義。公明党も同じ。それにも関わらず、安保法制を認めている。この事自体があり得ない状態だと私は思っている。(池田大作)名誉会長がお元気であれば、『この状態は間違っている』と声明を出しているだろうと私は思う。それがないということは、現在名誉会長はご判断ができないような(健康)状態にあると私は思う」
 脳髄まで池田大作に染まった資質を持つ者の言葉そのものだが、最後の一文は、多少注目に値する。
 池田大作は、ご判断ができないような状態にあると思う、と言っている箇所のことである。
 つまり、死んでいるのか、植物人間なのか、あるいは、認知症なのか、とにかく判断できない状態に違いない、と言うわけである。

  池田大作は、まったく表に出てこない状態が6年以上も続くのだから、そう考えるのは当然である。だが、こんな当たり前のことを、いまさら恐る恐る言わなければならないほど、信者たちにとっては、池田大作の状態をかたるのはタブーになっている。
 なお、9月25日付朝日新聞電子版に、池田教の原田稔会長のインタビューがのっている。
 そこには「――池田大作名誉会長は88歳。最近は表立った活動を控えています。体調はいかがですか。」
 との問いに、この会長は、「元気にしておりますよ。執筆活動などに専念しています」と答えている。
 さらに、こういう問答をしている。
 ――最近はいつ会いましたか。
 「ええ、この夏の研修で」
 ――重要な判断も可能なのですか。
 「もちろんです。ただ、数年前からは、基本的に運営は執行部に託し、見守っています」
 と、このように元気にしていて、執筆しているのだという。だが、証拠を全く示していない。証拠も示さず、元気にしてますよ、などと、いくら言葉を並べても、到底信用できない。なぜ証拠をひとつも出せないのか。ウソを言っているからに違いない。
 それに、執筆活動に専念というのも、致命的に、うさんくさい。そもそも池田大作の本の類は、ゴーストライターが書いている。それだから、執筆活動に専念、というのは、二重三重の虚偽といえよう。
 池田大作の本当の状況はどうなっているのか。
 そこで思い出すのは、かつて、週刊文春2011年10月27日号に載っていた「池田大作「創価学会」名誉会長 担当していた元看護師が語る「厳戒病室」本当の病状」という記事である。
 この記事は、のちに週刊文春のほうから、誤報である、と言って謝罪文を出したいわくつきの記事なのだが、書いてある内容は、つくづく真に迫る。
 以下、その真に迫る記事の本文のリンク。(人生はニャンとかなる!カリン様のお告げHPより)
 http://saijosigokuuchudaiichi.hatenablog.com/entry/2016/05/03/125149

 その後、週刊文春は、2011年12月29日号の巻末に、次の謝罪文をのせた。
〈〔編集長から〕
  小誌10月27日号に掲載した「担当していた元看護師が語る 池田大作『創価学会』名誉会長『厳戒病室』本当の病状」の記事につき、創価学会より「該当する看護師は存在せず、証言は事実無根である」との抗議がありました。これを受けて小誌は再取材を行いましたが、証言者が看護師であるとの確証を得るに至りませんでした。病状についての記述を取り消し、ご迷惑をおかけした関係者にお詫びいたします。〉
 このようにあるのだが、たとえ看護師ではないとしても、看護師から克明に聞いた看護師に身近な人物が、看護師の代わりに文春にリークしたのかもしれない。そして、その情報ソースは、看護師を特定されるのを避けるため、看護師の名を言わなかったのかもしれない。
 そういう可能性があるにもかかわらず、看護師であるとの確定がえられなかった、ということを誤報の根拠とする、このお詫び文は、不自然だ。ひょっとして池田教から前代未聞のレベルの圧力でも受けたのではないか、と疑わざるを得ない。
 なお、筆者は、この記事が出てから数年後、とある出版社の編集者と、この記事について雑談したことがある。そのとき、その編集者が言っていたのは、池田教の広報は、随分と色々なメディアに、この文春記事は、誤報だと触れ込んでいたという。その編集者がいうには、あの記事は本当にヘンな点があり、ガセだったらしい、というのだが、ヘンだったという具体的な点を聞くと、記事にある池田大作のいるという建物の階数やつくりが実際とは違う、といった基本的なところで間違いがあったようだ、などと言う。だが、看護師から話を聞いた人物のリークだとすれば、建物の階数といった枝葉の部分を間違えていても、不自然ではない。
それにその後、池田大作が表にでてくるのなら、誤報というのもわかるが、その後、姿を現わさず、病状も秘せられたままで、病状にまつわる情報が、あの文春記事以外、まったく出てこないのだから、あの記事は、建物の階数とか、事実と異なる点が多少あったにせよ、概ねその通りだったのではないか、と疑わざるを得ない。

 なお、教団は、このまま池田大作を130歳くらいまで生かし続ける、と筆者はみている。

 
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2016年12月11日

選手を侮辱するジャパネットたかたの卑しい広告

 フランスで開催したフィギュア・グランプリファイナルで、世にもうっとうしい広告があった。
 ジャパネットたかた、である。
ジャパネット広告.JPG

 黄色の極太文字に赤の影付きでデカデカと「利益還元祭」とあり、その上に赤字で「ジャパネット30周年」とある。
 スポーツの競技場に社名のロゴを入れるのはよくある。だが、こんな、非常識で卑しいメッセージを入れる目ざわりな会社は、このジャパネットたかただけだ。場にそぐわないこと極まりない。ジャパネットたかたという存在そのものが、選手たちを侮辱している。
 この広告で、気分をわるくした人も多かったに違いない。
 そういえば、ラジオとかでよく、ジャパネットたかた、という会社が通信販売のセールスをやっているが、それも、つくづく、うっとうしい。その企業体質が、広告にありありと現れている。この広告をみて、このジャパネットたかたという会社でだけは一生買うまい、と誓った人も多かったのではないか。
 ジャパネットたかたなどという非常識で場に直ぐない広告をのせる企業は、選考して落として、もっと場をわきまえた格式ある企業にしてほしいものだ。
 それと、格式という意味では、アコム、マルハンといった、サラ金とパチンコの広告も、排除してほしい。
 
 
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2016年11月18日

「自公壊憲草案」


 池田大作教・政治支部ことコーメートーと信者連は、さも自分たちは自民党改憲草案とはちがうかのように、詭弁を弄している。
 だが、さきのアメリカ大統領選に鮮明な通り、国民の意志を決するのは選挙である。
 その選挙で、池田大作党の信者連は、「イケダセンセーのため」とか、「功徳のため」とか、「コーセンルフのため」などという、不気味な「お題目」を唱え、壊憲を掲げる自民党候補に一斉に投票し、周りにも自民党に投票するようしつこく勧め、全国の小選挙区で自民党を勝たせる決定的な役割をはたしている。そのイケダ原理主義的「政治活動」は、教団にとってはれっきとした「宗教活動」なのだそうだ。信者たちは、そこなんの疑問を抱かず、どうすれば自公を勝たせることができるか、どうすれば数字が取れるかに明け暮れている。
 それでいて、「自民党の壊憲草案はおかしい。ジブン達は、自民党とは一緒ではない」などと言う池田教の言い分は、言ってることとやってることが逆の、二枚舌の詐欺師の類だ。あるいは信者たちのなかには、悪意がなく、教団の詐欺的詭弁にだまされている者もいる。そういう信者は詐欺師ではなく、愚劣である。本当の「巨悪」というは、そういう愚劣さのなかにある。
 そういうわけで自民党と池田コーメートーは、完全に一体化していて、池田教は自民党の補完勢力として存在している。
 だから、「自公壊憲草案」が正しい名称である。
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2016年11月13日

「侍」とは似ても似つかぬ野球日本代表


 日本の野球代表が侍ジャパンと称している。だが、メンバーのなかには、「侍」、つまり、「武士」ではない者もいる。
 ヒットを打つ気のないファウルを連発して四球狙い、という卑怯な手を使う、日本ハムの中島卓也(なかしまたくや)である。
 世界各国を相手に四球狙いのファウルをするというのは、日本人はそういう卑怯なことをするというのを世界にさらすに等しい。そして実際のところ、中島が故意のファウルを連発して、日ハムは優勝しているので、日本人はそういう卑怯なことをする、と海外の人々に思われるのは、残念だが、仕方がない。
 だが、侍の名を冠するのは、明確に、事実に反する。
 中島のように、「卑怯者」といわれ、世界中でもの笑いの種になるような真似をするのは、侍にとっては耐え難い屈辱であり、末代までの恥であると心底思う。だから、中島のように恥をさらすくらいなら、自ら死を選び切腹する。
 要するに、世界の人々が、侍とは、中島のような卑怯な真似をする、と誤解をしてしまうのは、日本を築き上げてきた先代の武士たちの名誉を傷つけることになる。
 だから、野球の日本代表は、侍ジャパンという名は撤回するか、あるいは侍の名にかけて中島のような卑怯な真似をする者は代表に選ばない、中島のような卑怯な真似は金輪際しない、このいずれかを選ぶべきだ。

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2016年10月12日

安保法採決時にニヤニヤと談笑に興じる池田大作党

 ネットをみてたら、「戦争法案関連…ニヤける公明党」という記事があった。それは「みんなどこか変わってるから大丈夫」というHPの15年9月21日付の記事。
 そのなかの安保法案の採決時に、池田党の国会議員たちがニヤニヤしている写真がある。
  
 
ニヤける公明党議員団.JPG

 この文章には、魂の叫びがある。以下、本文。
 「俺、自民党のことは一生許すつもりないけど、アイツらのことも許すつもりないで…」

 「俺、アイツらのニヤけ顔を、絶対の絶対忘れへんで

ちなみに、これほど広汎な市民の反対を押し切って違憲の戦争法案を強行採決しながら
アイツらがなんであんなにニヤけてるんか…と言うたら、それは
公明党の候補になるだけで自動的に創価学会の全面支援が約束されて
たやすく議員の椅子が手に入るからやと推測するけど、
アイツら、支持率低下で「今度はすべるかも知れへん…」と多少不安になってる自民党以上に腐っとるで

そうやって国会議員になったアイツらは、自分を国会議員にしてくれた創価学会のロボットとなって
自ら考えることをせず、なんでもかんでも創価学会(幹部)のいいなり…
俺、政治家が「自分の頭で考えない」…なんてこと、考えられへんねんけど
そういう「考えられへんこと」を実践してるアイツらを、心の底から軽蔑するで

そんでから、俺、人の信心にはかまへん主義…というか、
基本的に信心というのは他者がとやかく言うもんやないと思ってて、今まで相当抑えてきたけど
人の信心のためにここまで明確な不利益を与えられてもうたら、もう、そんなこと言うてられへんわ
そやから、これからは遠慮なく創価学会およびその信者(学会員)に言わせてもらうことにするで

創価学会(幹部)は信者である学会員に対して、公明党の候補に投票することが(公明党の候補を当選させることが)
「(宗教的)功徳」やと指令を出しつつ、そうやって当選させた公明党の議員に対して
「自民党とくっついてなんでも自民党の言う通りにしなさい」…という指令も出してるようやけど
それやったらもう、「創価学会」なんて名称は放棄して「自民党と一緒に歩む会」…とか
「自民党友の会」ってなわかりやすい名称にしたらええんとちゃうか?

そんでもこれは、そんな(宗教的)指令を出す学会幹部だけが悪い…という問題でもなくて
公明党が自民党と一緒になってどれだけ悪政を重ねようと、
「自分の頭で考えずに」学会幹部の指令に従うだけの学会員にも、相当の罪があるで

俺、学会員に言いたいねん
アンタたちの麗しい信心は、「戦争をすること」と繋がってるんか?
自民党と一緒になって「主権奪取クーデター」の共犯者になって、
日本を戦争する国にする政党を熱烈に支援支持することが、アンタたちの信心なんか?

なぁ、アンタたちも主権者やったら、もう、ええ加減に、自分の頭で考えようや
アンタたち学会員が、このまま学会幹部の「宗教的指令」に漫然と従い続けるんやったら
俺からみて、アンタたちは「極右」や「右翼」とおんなじ「敵」やで
アンタたちがいくら口で「平和」を唱えようと、
それは安倍が「戦争法」を「平和安全法制」って言うてんのと一緒で、「ふざけんな!」って話やで

慢心しきって、自らの権力に酔った者の薄ら笑い…
それは人類ができる最も醜い顔の一つや
参院特別委員会採決後、法案成立を確信しきったときの安倍の薄ら笑いを
俺、絶対忘れることはでけへんけど、この公明党議員のニヤけ顔も絶対忘れへんで」
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2016年10月07日

横浜市教委「朝鮮人虐殺」削除の副読本について

 神奈川新聞配信記事「『朝鮮人虐殺』記載へ 横浜市教委の副読本」によると、横浜市は、少し改善したようである。


 以下、同記事。

 「【時代の正体取材班=石橋 学】横浜市教育委員会が作成中の中学生向け副読本の原案で関東大震災時の朝鮮人虐殺の記載がなかった問題で、同市教委は7日、虐殺の史実を記載する方針を明らかにした。同日の市教委定例会で報告した。
 新副読本作成を担当している指導企画課の三宅一彦課長は「横浜で起きた痛ましい出来事を学ぶことで歴史の理解を深め、防災教育の面からも多面的・多角的に考えることのできる記載になるよう検討している」とし、記載を前提に編集作業を行っていると説明した。
 教育委員からは「人間は過去を正当化したがるものだが、虐殺という悲惨な事件を起こす可能性があるということを教訓として刻まなければいけない」と積極的に理解を示す意見も出された。
 新副読本を巡っては市民団体「歴史を学ぶ市民の会・神奈川」(北宏一朗代表)が原案を情報公開制度で入手したところ、従来の副読本にあった朝鮮人虐殺の記述がないことが判明。歴史研究者や市民団体から虐殺の史実と背景を記載するよう求める要望書が市教委に寄せられていた。」

参考:横浜市にみる歴史修正教育の実態
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2016年09月29日

安倍正恩(アベ・ジョンウン)

安倍晋三と金正恩は、似てる。
安倍自公と北朝鮮は、酷似している。

NHK
首相演説に立ち上がって拍手 民進「異常な事態」と抗議
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160927/k10010708251000.html

共同通信
金正恩氏が党第1書記 朝鮮労働党代表者会
https://www.youtube.com/watch?v=NMVdEi_Xekk
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2016年09月01日

犬猫

 昨日、とあるところを歩いていたら、犬品骨柄卑しからざる、大きな犬が、向かって左手に、いた。
 かわいいなぁ、と思い眺めながら、そのまま犬の横側を歩き去ろうとした。
 すると、にわかに、ニャーという声が聞こえた。
 振り返ると、犬とくっ付くほどの距離に、猫がいた。こっちを見てる。
 その犬と猫の構図が、なんともほのぼのしていて、思わず、その場で、カメラを取り出し、撮った。

 さらに、犬猫の正面に立ち、撮ろうとした。
 すると、にわかに、その犬が、猫の背中に顔を近づけた。信じられないほど仲の良い犬猫である。
 その時、一枚撮り、その直後にもう一枚撮った。

 そのあと、カメラをしまった。

 こころなしか、犬猫が、ポーズを取るのをやめたように見えた。

 以下そのときの写真。

 
2.JPG
 

 
3.JPG


4.JPG
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2016年08月12日

続報 告訴状全文 猫エサやり禁止条例の京都市、警察が、自称右翼の低劣な反社会的勢力の犯罪者・後藤某とつるんでエサやりを脅迫



 野良猫エサやり禁止条例の京都市が、自称右翼の低劣なコチンピラ・後藤某という反社会的勢力のゴミを逮捕するどころか、それとつるんで、地域猫活動をする佐川夫妻を脅すという、度し難い犯罪を続けている。

 後藤某に対する告訴状全文は、下記ダウンロード可。


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2016年07月23日

かぶとむし

玄関の近くに、カブトムシのオスがいた。このへんでは、カブトムシが生息しているにちがいない。
都心ではあり得ない。
写真はそのカブトムシ。

かぶとむし1.JPG


かぶとむし2.JPG
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2016年07月21日

野党共闘の課題


 参院選の野党共闘では、課題があった。その象徴が、神奈川県。
 ここの得票数は、以下のとおり。
当 三原じゅん子 〈2〉自現    1,004,877
当 三浦信祐   〈1〉公新〈自〉   629,582
当 真山勇一   〈2〉民前〈生〉   582,127
当 中西健治   〈2〉自現      524,070
▽ 浅賀由香      共新〈生〉   487,729
▽ 金子洋一   (2)民現〈生〉   448,954
▽ 丹羽大       お維新     218,853
  森英夫       社新〈生〉    76,424
  清水太一      こ新       50,256
  佐藤政則      無新       32,113
  片野英司      諸新       25,714
  壹岐愛子      諸新       21,611
 カッコ内数字は当選回数。敬称略。
 政党の1字略称は公認。〈 〉内政党は推薦・支持・共同公認。
 選挙区欄で都道府県名の右にあるカッコ内は、改選数。落選者名の左の▽は、法定得票に達した人。(朝日新聞より)

 このなかの、共産公認の浅賀由香氏と、民進党公認の金子洋一氏は、票を分け合い、自民党の中西健治氏が漁夫の利を得たのは、無念としかいいようがない。

 それと北海道。こちらはかろうじて鉢呂氏が当選したからよかったものの、神奈川と似たような状況だった。
 ◆北海道(3)
当 長谷川岳 〈2〉自現〈公〉 648,269
当 徳永エリ 〈2〉民現    559,996
当 鉢呂吉雄 〈1〉民新    491,129
▽ 柿木克弘    自新〈公〉 482,688
▽ 森英士     共新    239,564
  佐藤和夫    こ新     34,092
  中村治     諸新     29,072
  飯田佳宏    無新     26,686
  森山佳則    諸新     21,006
  水越寛陽    無新     12,944

 千葉県も、示唆深かった。
  ◆千葉(3)
当 猪口邦子  〈2〉自現〈公〉 760,093
当 元栄太一郎 〈1〉自新〈公〉 577,392
当 小西洋之  〈2〉民現    472,219
▽ 浅野史子     共新    351,561
▽ 水野賢一  (1)民現    314,670
  高橋正夫     無新     57,329
  香取成知     こ新     50,098
  古川裕三     諸新     23,777 

 選挙マシーンたることが教義というカルト教団・池田大作教は、信者たちの住んでるエリアごとに、どの候補に入れるか票の分割調整をして、複数当選を目論むのが常。そういう狂信者たちを相手にしているのだから、野党も、あるていど組織化をはかる必要がある。
  つまり、千葉のケースでは、2、3位を小西氏と、もう一名の野党で固めるため、野党の候補者を2名に絞った上で、票を効率的に入れるよう呼びかけていれば、全国屈指の激戦区となり、全体の票数も伸びて2議席取れたかもしれない。

 それと、今回の参院選では、予想に反し、野党共闘の立役者・共産党が伸びなかった。共産党は、候補者をおろし、全体観に立ち、いわば無私の行動を取った。その結果、民進党が一人区で接戦をいくつか制することができた。それなのに、自分のところは予想より票が伸びなかった。かわいそうである。
 民進党は、衆院選や次の参院選で、共産党に花を持たすのが筋であるし、そういう度量がなければ政権はとれまい。自民党の、よくいえば懐の深さ、わるくいえば老獪さを、見習った方がよい。

 それと、野党共闘の軍師・小林節氏は、今回、残念な結果だった。が、もうノーサイドで、民進党は、わだかまりを解消していくべきである。
 小林氏は、これまで国会議員になることを否定してきたが、今回、立候補した。
 これを奇貨とし、民進党は、小林節氏を幹事長といった相応の立場で迎え入れればいいのに、と思う。
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2016年07月13日

ニンジン

520日付の週刊朝日の連載「司馬遼太郎の言葉 37」は、「『三浦半島記』の世界3 読経の『忍人』」という記事だった。そこでは、次の司馬氏の言葉を紹介している。

 「頼朝は、たしかにただ一人で日本史を変えた。(略)その偉業のわりには、後世の人気に乏しい。頼朝は、自分自身の成功にさえ酔わなかった。その酷薄さはあるいは生来のものでないかもしれず、人心に対する虚無の思いの底に、つねに血刀をもつ長田荘司忠致とその子らが棲んでいたかと思える」

 そして、本文には、こうある。

 「源氏の棟梁で、平清盛のライバルだった義朝は「平治の乱」(1159年)に敗れ、都落ちする。

 知多半島の長田荘司忠致を頼った。同行の鎌田政家の舅で、長年の知己でもある。忠致は敗走に疲れた義朝に行水をすすめる一方、政家は酒席でもてなした。

 ところがすべて罠だった。

 まず、風呂に隠れていた数人の男たちが裸の義朝にのしかかって刺殺した。

 騒ぎを聞いて立ち上がった政家はすねを斬られ、倒れると、談笑していた男たちが次々に刺した。」

 「一方、父を失った頼朝は捕らえられた。13歳だが、男児であり、本来なら殺されても仕方がなかった。しかし亡くした子に面影が似ていると、清盛の継母が命乞いをしたことで、伊豆に流される。

 以後、20年間、頼朝は伊豆の蛭ケ小島(現伊豆の国市)で読経三昧の日々を送ることになる。

 般若心経を毎日十九回高唱し、念仏は千百遍となえた。

 千遍は父義朝のため、百遍は鎌田政家のためである。

〈憎悪の情の深さは尋常ではなかった。日々、死者たちを供養しているのは、頼朝の場合、恨みを日々深めているといってよかった〉

 こうして忍耐の日々を送った頼朝は、1180年に挙兵する。

 最初は敗れたが、伊豆半島の北条氏、三浦半島の三浦氏、房総半島の上総氏、千葉氏などの協力を得て、鎌倉幕府をつくり上げていく。

 うそのような話で、父を殺した長田忠致も平家の衰えを見て、頼朝の陣に加わっている。受け入れる頼朝もまたすさまじい。」

 そして、こう記している。

 「『初代鎌倉市長に挨拶しようか』

 と、1995年、司馬さんは鎌倉・鶴岡八幡宮の近くの頼朝の墓に詣でている。長い階段を上りつつ、司馬さんはいった。

『頼朝は忍人だね』

 一瞬、人参かと思ったが、『三浦半島記』に説明がある。

〈忍という文字は、善と悪の両義性をもっている。耐えしのぶには、意志の力が要る〉

 この意志力は善だという。

〈しかしそれだけのつよい意志をもつ者は、いざとなれば残忍だろうということから、“忍人”という場合、平然としてむごいことができる人ということになる〉

 頼朝は源義経、範頼といった2人の弟を死に追い込んでいる。とくに平家との戦いで大功をあげた義経の人気が高かっただけに、頼朝は冷酷な印象を後世に与えた」


 池田大作教が蔓延し、時の権力と結びつき猛威を振るう時世に嫌気が差すとき、「忍人」として耐えしのんだ頼朝に思いを馳せると、筆者は、気が楽になる。


 頼朝は、「忍人」として耐えしのぶなかで、在るべき国づくりの姿を模索したことだろう。頼朝は、残忍といわれることが多いが、いくさのない国を志向していたはずだ。実際、鎌倉幕府は約150年間続き、その頼朝の政治は徳川家康に受け継がれ、200年以上もの太平の世を築いた。


 驕る池田教と安倍党が猛威を振るう今も、スケールの大きい忍人が胎動していることだろう。

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2016年06月26日

立法府

 政治とカネというテロで、民進党政調会長の山尾志桜里氏を抹殺しようとしているテロ媒体・産経新聞の今日付けの記事のなかで、26日のフジテレビ系「新報道2001」で、各党の政策責任者が出演したことを書き連ねている。そのなかで、こういう一節がある。
 「山尾氏は舛添要一前東京都知事が厳しく追及された政治資金問題について、『与党、野党が法改正も含めて話し合っていくべき課題だ。参院選の公約で具体的な提案をしているので、しっかりと話し合って法改正に結びつけていきたい』と持論を訴えた」
 これは持論というよりも、およそ立法府をつかさどる国会議員であれば、法律に基づき、法律でどう対処するかを考えていくのが理の当然である。それを「持論」という表現をする自体、産経の書き方はおかしい。もっとも、産経新聞がおかしいのは、いつものことである。
 筆者が言いたいのは、今のご時世、山尾氏のように、当然のことを言う国会議員が、希少になってしまっている、という点だ。希少というのは憂うべきことである。
 一体なぜこうなってしまったのだろう。思うに、「立法府」というのは、本来、法律の素養がなければ務まらないはずだが、実際は、法律のことが全然わかっていない者が、たくさん国会議員になっている。最近では、小中の教科書レベルの事柄すらわかっていない議員まで出てくる始末。これが大きな原因の一つではないか。
 やはり山尾氏のように、司法試験に受かり、検察官か、弁護士、裁判官のキャリアのある人物が、もっと国会議員になり、国会をリードしていく必要があることを、いまの国会は示しているのではないか。違法行為をしたわけでもない舛添氏が、集団リンチに遭い辞任に追いやられたのをみて、つくづくそう思う。
 なお、テロ媒体が、山尾氏をバッシングしたいのは、一重に、山尾氏が国会議員として大成するのが、怖いからである。将来性があるから、いまのうち潰したいのである。この産経の狭隘なテロリスト根性が、この国のダメにしている。
 野党であれ与党であれ、優秀な国会議員がたくさん出て、国会の場で建設的な意見を戦わせ、存分に活躍させることこそが、この国のためになるのだ。
 それを、たまごサンドがどうしたとか、マンガを買ったとか、まんじゅうをつくったとか、ガソリンが買ったとか、そんなことで政治家を追い落とすというのは、愚の骨頂である。

 産経のくだんの記事と、テロ宣言「政治家デスノート」は下記の通り。
 「「地球5周分」のガソリン問題「『調査する』と言って、まだ結果を発表していない」 日本のこころの和田政宗政調会長が追及」

 「【政治デスクノート】舛添知事がようやく辞職…次に問われるのは貴女ですよ 山尾志桜里さん! ガソリーヌの汚名をどう返上するのか?」



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鶴岡八幡宮

 週刊誌が舛添氏批判にひた走る様は、あさましく、週刊朝日も例外ではないのだが、同誌には、「司馬遼太郎の言葉」という連載があり、これが一服の良薬の役割を果たしている。この連載は「街道をゆく」を書いていた当時の司馬さんの足跡を辿るルポ。つい先日まで、司馬さんが鎌倉を取材していた当時を記した「『三浦半島記』の世界」を載せていた。
 それによると司馬さんは、何度も鶴岡八幡宮へ行っていたという。また、源頼朝の墓にお参りもしたという。

 ちょうど筆者は今日、鶴岡八幡宮、源頼朝の墓、隣接する白旗神社、その近辺の荏柄天神社へ行った。頼朝に思いを馳せると共に、司馬さんにも思いを馳せた。
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2016年06月23日

毎日新聞と舛添“集団リンチ”報道

 舛添都知事リンチ報道のなかで、どの媒体も、おぞましさは五十歩百歩だが、そのなかで、毎日新聞は、突出して、舛添氏を叩き続けており、いまだに死者にムチ打つように異様に叩いている。なぜか。
 毎日新聞は、部数が落ちて破たんしかけている、といわれて久しい。だからこそメディアリンチ状態に乗じて、リンチの先頭に立って、大衆の歓心を買おうとしているのだろうか。つまり、読者の拡大を図ろうとしているのだろうか。
 だが、こんな報道をしていては、成功した有名人を、嫉妬からか吊るしあげ、血祭りにあげて喜ぶ、という、一部の大衆の娯楽に供しても、長い目でみると、週刊誌と同次元であると認知されることになり、ますます、信用されなくなっていくことだろう。
 あるいは、毎日新聞は、読者層のニーズに合わせた結果、あのように突出して、舛添氏を叩いているのだろうか。
 例えば、毎日新聞は、部数減につれて、池田教団寄りになってきた、ともいわれる。読者のなかには、相当数、池田教団員がいることだろう。
 周知のように、舛添氏辞任に決定的な役割をしたのは、池田教団の下部組織である公明党だった。これは、舛添氏が、政治資金で、たまごサンドを買ったとか、くれよんしんちゃんのマンガを買った、とか、自転車を買った、といった次元の話が、池田教団の信者たちの次元にフィットし琴線に触れた結果、信者たちが異様に目くじらを立てて、いきり立ち、舛添氏を辞めさせるよう、公明党に要求する声があった結果ともいえる。
 要するに、毎日新聞は、そういう次元の固定読者層のニーズを満たすため、舛添氏をストーカーのように執拗に批判し続けているのだろうか。
 どちらにしても、今回の舛添氏に対する毎日新聞の報道に、うんざりして離れていく層も、いる。
 そういえば、筆者の住むところの近所にはコンビニが4、5軒あるが、どのコンビニにも、一般紙のなかで、毎日新聞だけは、置いていない。一体なぜなのか、ずっと疑問だったが、今回の舛添報道とおなじ構図で、読者が離れていった結果なのかもしれない。
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2016年06月20日

書評 週刊ダイヤモンド 池田大作教団特集

 週刊ダイヤモンドが、池田教団の特集をしている。
週刊ダイヤモンド 池田教団.JPG

 特集のプロローグには、殊勝にも、「組織内部に目を向けると、さまざまな“病魔”にむしばまれていることが分かってきた。本特集では、学会と共産党という、日本の命運を左右する二つの巨大組織の知られざる内幕に、容赦なくメスを入れた」と、ある。
 教団の箇所を一応、読んでみたが、結論からいうと、「容赦なくメスを入れた」という割には、口ほどにない、いつもの週刊ダイヤモンドだった。リチャード・コシミズ氏の講演の方が全然メスを入れている。ただし、同じ経済雑誌のなかでは、今年4月の東洋経済オンラインに出ていた御用学者・島田裕巳氏による、毒マンジュウを喰らった観のある提灯記事に比べると、異次元に勝っている。
 そんなダイヤモンドのくだんの特集のなかで、多少、目を引いたのは、池田教団本部の職員が首になったという、滝川清志(38)、小平秀一(39)、野口裕介(37)の三氏の箇所。
 この三氏は、池田教団のやり方に疑問を持つようになり、教団幹部に意見を言うようになってから、干されて、懲戒解雇処分になり、東京地裁で地位確認を求め訴訟をしていたが、昨年10月に敗訴が確定したという。
 実は筆者はかつてこの事件について、調べたことがあった。が、地位確認訴訟としては筋がよいとは言い難く、原告が勝つ見込みは薄いかもしれない、と踏み、記事にするのを見送ったことがあるのだが、ダイヤモンドによると、この三人は、14年時点ですでに教団そのものを除名になっているという。雇用契約上は、首になってもしょうがないのかもしれないが、裁判資料を読む限り、この三人は、熱心に、うわべの部分の、池田大作の教えを実行しようとして、幹部に疑問をぶつけたりしていた。そういう熱心な信者を教団が除名していたことは、多少意外だった。
ただ 、それはよくよく考えると、いかにも池田教団らしいやり口である。それにしても、上層部のやり方に異論をはさむ信者の首は、容赦なく斬る、という点は、北朝鮮のキム・ジョンウン体制と酷似している。
 筆者が注目したのは、その三人が今年6月4日に主催した集会で、なんと、あの小林節氏が講師として登場したという下りだ。
 記事によると、「小林は今の学会を『権力の魔性性』に取りつかれた『宗教官僚組織』と指摘し、3人には『巨大化し官僚化した組織と戦うこと自体がエネルギーの無駄』だと説いた。その上で、自分が正しいと信じる『池田教』を発足させるという、いわば学会外での“宗教改革”を勧めた」という。
 だが、「3人は『内部からの宗教改革』にこだわる。7月3日には、学会本部前で6度目のサイレントアピールを行う予定」とのこと。

 なお、このときの集会の様子については、当の三人による「元創価学会職員3名のブログ」という、ブログに、詳しく載っていた。
 http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/page-1.html

 それを読むと、後ろのほうに、たしかに小林節氏が、「私が彼らと同じ立場であったら脱会し、自分が正しいと思う池田教を設立する」とアドバイスを送った、という下りがある。
 このせっかくの助言に対し、この三人は、「絶対に受け入れられない」と宣言して集会を閉じた、というのだが、筆者が驚いたのは、そのことよりも、このブログに書きつられてある文体である。セーキョー新聞や池田本をそのまま書き写したような、池田教団特有の、イデオロギッシュな、観念的な文体――。こういう池田教のにおいのする言葉がポロっと出てくる信者は実に多いが、ここまで観念的な言葉で埋め尽くされる、というのは珍奇である。
 脳髄まで「池田大作色」に染まっているこの三人なら、たしかに「池田教」を立ち上げるにふさわしい気がする。
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2016年06月19日

池田大作教と集団リンチ


 舛添都知事を辞任に追いやった公開集団リンチ事件で、決定的な役割を果たしたのは、池田大作教団の下部組織である公明党だった。

 うわべでは平和を騙り、いざとなると集団リンチを実行するという、この冷酷性、愚昧性が、池田大作教の本質である。

 ちなみに、池田大作教のそういう体質については、池田教ウォッチャーである、リチャード・コシミズ氏の講演の、2009年6月20日付の大阪講演会の下記動画が、わかりやすい。

 この講演のなかで、とくに5/13の、最後のほうのオウムの話の手前までの話は、大体、的を射ている。

 なお、池田大作がソン・テチャクという名だったという話は真相不明だが、スラップ(恫喝訴訟)が常套手段の池田教が、コシミズ氏を訴えないのは、池田大作がソン・テチャクだということが裁判になれば特定される、だから訴えれない、池田大作教から訴えられないようにするためには、「ソン・テチャク」と言っていればいい、というコシミズ氏の主張は、実際に訴えられていないだけに、妙に説得力がある。

 1/13 リチャード・コシミズ 【「創価学会」大阪講演会09.06.20】
 https://www.youtube.com/watch?v=XOKIJq4eekM

 2/13 リチャード・コシミズ 【「創価学会」大阪講演会09.06.20】
 https://www.youtube.com/watch?v=DQdUsUvK-iA

 3/13 リチャード・コシミズ 【「創価学会」大阪講演会09.06.20】
 https://www.youtube.com/watch?v=QKLn_QToP_E

 4/13 リチャード・コシミズ 【「創価学会」大阪講演会09.06.20】
 https://www.youtube.com/watch?v=Cr3k-orkrzQ

 5/13 リチャード・コシミズ 【「創価学会」大阪講演会09.06.20】
 https://www.youtube.com/watch?v=8EZSkE8OGFU
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2016年06月12日

鶴嶺天満宮

 今日は、近所の思金神社と、隣町の鶴岡八幡宮、源頼朝の墓へお参りした。
 そして、今日は、茅ヶ崎市にある、鶴嶺天満宮へ行って来た。鶴嶺天満宮は、鶴岡八幡宮の親のような存在である。
 鶴嶺天満宮のHPには、御由緒がこう書いてある。 
 「相模の国、茅ヶ崎の総鎮守として往古より八幡信仰の地として名高い。
 長元三年九月(1030年)、源頼義は下総の乱を鎮定するため懐島郷(現地)に至り、源家の守護神石清水八幡宮を勧請して戦勝祈願をしました(別に宇佐八幡宮勧請説もあります)。
 永承六年(1051年)前九年の役(安倍一族の反乱)が起こり、陸奥守となった頼義の応援に向かった長子、源義家が懐島郷に入り戦勝祈願をしました。前九年の役が終わった康平六年(1063年)、頼義は鎌倉由比郷に鶴岡八幡宮の前身である「元八幡」を建立し、当八幡宮はその旧社であることから「本社八幡宮」といわれました」
 そして、最後に、こうある。
 「当八幡宮は源氏が関東へ進出する第一歩として祀った最初の氏神社ではありますが、このことはあまり知られていません。
 本社八幡宮の由来こそ源氏の歴史、関東進出の真相を語るものであります」

 このように、武士のみなもとのような神社である。

 その鶴嶺天満宮に到着した。(写真は鳥居)
 たしかに武士の祖形のような雰囲気のある神社で、懐かしいような気持ちに駆られた。鶴岡八幡宮によく行くからだろうか。
 鶴嶺天満宮という、「心のふるさと」を、見い出した。

tsurugamine.JPG
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2016年06月09日

池田大作とパナマの麻薬王


 池田大作教とパナマ文書の闇をニュースサイトIWJが追っているが、池田大作とパナマといえば、有名なのが、麻薬王・ノリエガと池田大作の蜜月ぶりである。そのことについて、 鶴見芳浩ニューヨーク市立大学教授の著書「アメリカ殺しの超発想」(1994年10月31日、徳間書店発行)には、こういうくだりがある。それは「小沢一郎氏と池田大作氏とノリエガ将軍の三角関係」という小見出しで、こう書いてある。

 九四年五月以来、ワシントンを起点にしてアメリカの各所に配られた「小沢批判リポート」はもう一つ重大なことに触れている。(中略)
 同リポートは、小沢氏が創価学会名誉会長で偽本尊を作ったりしてとか会員の中でも批判のある池田大作と連携して、池田大作氏の野望である政教一致による日本の支配と、そのためのハク付けとして「ノーベル平和賞」の獲得に、小沢氏が協力している事実も暴露する。池田氏と同盟を結んでいる小沢氏は、アメリカにとってますます好ましくない人間だとも明言している。
 実はこのくだりを読んだとき、私もひとつ思い出すことがあった。それは、ブッシュ前大統領が金丸、そして小沢両氏を思うままに操っていたころ、両氏に与えるアメ玉だけでは説明がつかないと思うことがいくつかあったのだ。そこで、CIAに近いアメリカ人が聞かせてくれたのが、小沢氏、池田氏、そしてパナマの独裁者だったノリエガ将軍を結ぶ線だった。
 ノリエガ将軍は、ブッシュ氏がCIA長官時代には、その手先となって、キューバのカストロ首相やニカラグアなど中米の革命グループの攪乱に協力した。そして、その代償として、パナマを中継地として、時にはCIAの輸送機も使ってアメリカに南米コロンビア産のコカインを輸出(?)する暴挙を大目に見てもらっていた。このためにブッシュ氏の弱みを握ったとして、ノリエガ将軍は、ブッシュ氏が大統領となったアメリカを、好きなように操れると過信したのだ。
 しかし、こんなノリエガを放置しておいたら自分の政治生命が危ないと知って、ブッシュ大統領は八九年就任早々に、米軍による電撃的なパナマ侵攻をやって、ノリエガ将軍を「戦犯」として捕らえ、アメリカのフロリダにさらって来た。そして、同将軍を「アメリカへのコカイン麻薬供給の罪」もつけて秘密裁判にかけて有罪とし、特別監獄の奥に閉じこめてしまった。
 このノリエガ将軍が吐かされたものの中に、池田大作氏が創価学会の金をパナマで運用し、ノリエガ将軍の麻薬取引の資金繰りにも使わせていたことと、このあがりから、池田氏は小沢氏へ相当な額を常時渡していた、というものがあった。ブッシュ氏はこの自白の証拠書類もがっちりと手に入れて、金丸、そして小沢の両氏を操作するムチとして使っていた。もちろん、アマコスト駐日大使は、このムチを必要に応じて直接使用した中心人物であったということだった。この話は「小沢のパナマコネクション」として、アジア・太平洋諸国の政府の間にも知れ渡っている、と教えてくれたアジアの外交官もいる。知らぬは日本のみということだろうか。(写真は同書より)
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2016年06月02日

猫と音楽


 うちの猫は、音楽が好きである。例えば、サラ・ブライトマンという、エゲレスの歌手の曲を聴かせたところ、うっとりとスピーカーの方をみつめ、リラックスして何時間でも聴き入り、寝入っている。

 ほかの曲はどうだろうと思い、先日、サラ・ブライトマンと多少似た感じの、日本の平原綾香の曲をかけてみたところ、猫はすぐに起き上がって移動してしまった。

 そこでマライア・キャリーの初期の曲をかけてみたところ、五、六分ほど、吟味している感じで険しい表情で聴いていたが、その後、腰をおろして本格的に聴き始めた。1時間ほどのちに様子をみると、うっとりとして聴き入っていった。

 人間でたとえるならクラシックコンサートの観衆のように、じっと動かず、行儀よく音楽鑑賞をする猫の姿を見て、人間より猫のほうが教養があるのではないか、少なくとも、猫よりも教養のない人間はいっぱいいるのは確かだ、と思う。

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2016年04月27日

自然との共生

自宅の約10m先にいた鳥。(ウチのカミさん撮影)。
鳥.JPG

この自然との共生は、都心ではあり得ない。
ちなみに、地震国なのに原発再稼働を進め、八ッ場ダムをつくる安倍大作政権は、美しい国というスローガンとは裏腹に、自然破壊を日々押し進めている。
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2016年04月19日

ヒトラーから学ぶ「危険な野望」

 赤旗新聞の手配をしてから待つこと三週間。今日からやっと配達されるようになった。
 三週間…戦う集団の共産党員も、この辺の田舎では、さすがに多少はのんびりしているようである。
 さっそく赤旗を読んでみたが、一見して政治に対する熱気を帯びている。いま、この国の政治に必要なのは、こういう熱気だと、あらためて思う。
 そんな今日の紙面のなかで特に興味深かったのは、風刺画だった。それは、震災に乗じて、菅官房長官が「緊急事態条項は大切」と会見でしゃべり、その様子を安倍首相が見守っている、という次の絵。
 
危険な野望.JPG

 ナチスヒトラーに学ぶ安倍自公政権が、震災の中でいかにも考えそうなことである。
 なお、このところ、ちまたでは、衆参同日選があるのか、ないのか、が盛んにいわれており、今月24日投票の衆院北海道5区補選で自公の候補が勝てば、同日選に打って出るのではないか、という予測も多い。
 だが、大地震で、状況は一変した。
 熊本地震の被害が甚大だというのに、壊憲や権力欲にうつつを抜かして、衆参同日選などやっている場合か。
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2016年04月13日

池田教の毒マンジュウを喰らった観のある、東洋経済の記事

 東洋経済オンラインに、「創価学会はなぜ社会から嫌われるのか 戦後社会が育てた巨大教団」という記事が出ている。執筆者名は島田裕巳氏(宗教学者・作家)。

 この記事、見出しの「創価学会はなぜ社会から嫌われるのか」とは裏腹に、創価学会は世間から嫌われていない、という教団の言い分が、延々と書き連ねられていた。

 島田氏は、池田教団の“毒マンジュウ”を喰らった――そう疑わざるを得ないほど異様に変な記事である。

 ちな    みに、筆者の公式ブログである当サイトの今年325日付で紹介したように、この島田氏は、週刊ポスト電子版20151218日号の、「創価学会が新「勤行要典」を制定 池田大作氏崇拝さらに強く」という記事のなかで、「創価学会は今回、池田大作氏をはじめとする三代会長が“永遠の師匠”であることを日々確認していきなさいと、会員に対して指示した。つまり池田氏はこれで、いわば釈迦と同じような“崇拝対象”として創価学会の中で位置付けられた。いわゆる『池田教』の色をより一層強めた」と、創価学会は事実上、「池田教」と化している点を強調していた。

 このように言っていた島田氏だが、くだんの東洋経済オンライン記事では、その池田大作のことを、「創価学会が激しい嫌悪の対象になっていた時代において、池田大作という存在は極めて大きかった。池田氏は、創価学会の第3代会長であり、会長を退いてからは名誉会長の地位にある。池田氏が創価学会の会長に就任したのは、わずか32歳だった」「池田氏の果たした役割は、創価学会の会員ではない一般の人間は知らない。そのため、池田氏は巨大教団に君臨する独裁者であるかのようにとらえられてしまう」と、まるで池田大作が独裁者でないかのような物言いである。次いで、こうある。

 「実際、それを裏づけるような報道が、週刊誌などを中心に集中的に行われたことがあった。それは、創価学会と公明党が、自分たちを批判した書物に対してその出版を妨害しようとする「言論出版妨害事件」が起こってからである。この事件は、69年から70年にかけての出来事だった。創価学会が、公明党を組織して政界に進出していなければ、こうした報道もそれほど盛んには行われなかったであろう」と、池田教を擁護している。が、出版を妨害しようとしている点だけでみても擁護の余地がない上、この言論出版妨害事件というのは、池田大作の下半身スキャンダルにまつわる事件である。巨大教団に一気に成り上がり、貪欲を限りを尽くしていた頃の池田大作を象徴する事件である。その重要事件を島田氏は、まるで公明党が政界に出たから騒がれただけであるかのような軽い扱いにすることで、結果的に、池田教を擁護している。池田教については、言論出版妨害事件に立ち返って、総括しなければならない、と筆者は常々考えている。池田大作が、まるで聖人であるかのように、いつのまにか歴史修正されているからである。

 さらに、島田氏は、こんなふうに書いている。

 「それに関連してもう一つ重要な点は、創価学会を辞めた人間たちの存在である。宗教教団を辞めた人間は、その組織に対して不満を持ったからそうした行動に出たわけで、辞めた教団に対しては批判的である」

 このようにあるが、池田教団内部で信者は批判などできない構造である上に、そもそも宗教というのは、疑いを抱くこと自体が禁じられており、何一つ疑わずに信じることを求められる。つまり、「池田大作センセーは崇高な永遠の偉大な指導者である、だから信じなさい、池田センセーのために生きなさい、池田センセーを信じれないのは、あなたの信心が足りないからだ、と洗脳される世界。だから、洗脳された集団である教団内部からは、表立った批判がほとんど出ないのは当然である。

 それはたとえるなら、北朝鮮の人民が、脱北しないで内部にいながら批判など出来ようがないのと似ている。たとえば脱北した北朝鮮人による北の批判に対し、労働新聞が、「あの脱北者は北に不満を持っていたから脱北したわけで、脱北した者は北に批判的である。わが国の人民は、みんな、「偉大な指導者」を崇拝していて、「偉大な指導者」のために生きることに喜びを感じており、北朝鮮人民は何の不満もない生活を送っている」、と言っているようなものだ。脱北者が北を批判するのは、何よりも、独裁者に、自分の人生を奪われてきたからである。北の真実を伝ることができるのは、脱北者だけである。

 このように、辞めた人間は不満を持っている云々という理屈をこねまわして、あたかも池田教への批判は的を得ていないかのように、すり替える。いかにも池田教団が言いそうな話である。

 島田氏は、池田教の御用ライターに、成り下がった。

 池田教を擁護する御用ライター兼学者の島田氏は、こういうことも書いている。

 「一般の人間にとって創価学会が存在するメリットは少ない。ただ、会員でなくても選挙の際には公明党に投票する「フレンド票」となれば、友好的に接してくれるし、何か困ったことがあれば公明党の地方議員が相談に乗ってくれたりする。そうした手段を利用する非会員もいたが、その恩恵にあずからない人間からすれば、それもまた創価学会を嫌う理由になった。外側からは、自分たちの利益だけを追求する極めて利己的な集団に見えたのである」

 島田氏は、池田教が集票マシーンと化して、フレンド票(F)と称して、選挙のたびに、信者の知人友人親戚にかたっぱしから、公明党に投票するよう、しつこく勧誘することを、好意的に述べている。そして、「何か困ったことがあれば公明党の地方議員が相談に乗ってくれたりする」とあるが、これは、要するに、「口利き」である。公明党の、特に地方の議員は、池田教信者たちの口利きのために存在している。島田氏は、そのことを好意的に述べたうえで、「その恩恵にあずからない人間からすれば、それもまた創価学会を嫌う理由になった。外側からは、自分たちの利益だけを追求する極めて利己的な集団に見えたのである」とあるが、口利きの「恩恵」にあずかる、というのは、まさに「自分たちの利益だけを追求する極めて利己的な集団」である。それを、島田氏は、あたかも、池田教団が利己的な集団ではないかのように、言っている。

 また、教団の集票マシーン化を肯定するということは、小選挙区で決定的な票の上乗せをしている池田教団による自公政権を、肯定していることになる。つまりそれは、公明党が平和の党を詐称して、解釈改憲という手口で、集団的自衛権の行使を容認した法案を通し、その上、今夏の国政選挙で勝った暁には、ヒトラーの手口を真似て、戦時中の国家主義をほうふつとさせる自民党改憲草案を実現させて、平和憲法をぶっ壊そうとしていることを、不問に付していることになる。

 なお、筆者のいう「巨大教団に一気に成り上がり、貪欲の限りを尽くしていた頃の池田大作」の様子は、英国の歴史家アーノルド・トインビーの孫娘でジャーナリストの孫娘・ポリー・トインビーが、1984519日付の英紙ガーディアンに載せた記事に詳しい。


「トインビー博士の孫娘の手記1」

http://love.ap.teacup.com/soka/25.html


「トインビー博士の孫娘の手記2」

http://love.ap.teacup.com/soka/24.html


東洋経済オンラインの島田氏の記事「創価学会はなぜ社会から嫌われるのか 戦後社会が育てた巨大教団」

http://toyokeizai.net/articles/-/111672

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2016年04月07日

自公政権プロパガンダによる「政治とカネという名のテロ行為」の構図


  民進党の新しい顔である政調会長の山尾志桜里衆院議員(41)。
 パッとしない安倍自公政権、読売・産経プロパガンダ勢力にとって、よほど脅威らしく、政治とカネという名のテロ行為に血道をあげ、先日、山尾氏が説明して以降も、相変わらず騒いでいる。
 安部自公プロパガンダは、山尾氏を辞めさせたいのだろうが、やめる必要などまったくない。第一こんなことでいちいち辞めていては、自民党議員の半分以上は、辞めなければいけない。要するに、自公政権は自分のことは棚に上げて、政治とカネを、政治家抹殺のためのテロの道具にしている。
 テロに屈しては、いけない。
 なお、自公政権は自分のことは棚に上げているという事の、ほんの一例をあげると、たとえば池田大作党こと公明党の漆原良夫中央幹事会会長は昨日の記者会見で、「昨日の山尾氏の説明では客観的な資料などは何も示されていない。元秘書が適切ではない処理をしたのではないかということだが、それを裏付ける調査結果や証拠を出す必要がある」「国民が『そうですか』と、ふに落ちる説明責任をきちんと果たすべきだ」と述べた、という(NHKニュースより。写真はNHKHPより)。
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 このようにえらそうに言っている漆原氏は、醜いことに、自身の政治資金収支報告書の政治活動費の支出の目的の項目に、「クレジットカード代金支払い」という名の、「使途不明の支出」を繰り返している。
 その額は、漆原氏が代表の政党支部「公明党衆議院比例区北陸信越第1総支部」で、平成26年1,847,362
円、平成25年2,642,680円、平成24年2,277,939円。漆原氏の資金管理団体「政経フォーラム21」で、平成26年1,001,170円、平成25年1,130,305円、平成24年1,102,992円。3年間でトータル10,002,448円 と、実に一千万円以上も、得たいの知れない支出をしている。たとえば、直近の平成26年ではこんな支出をしている。

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 (詳細は記事末尾のPDF、写真のとおり)
 そのことについて筆者は以前総務省に確認したところ、この「クレジットカード代金支払い」には領収書も添付されておらず、正真正銘、何に使ったのか全くわからないという。しかも、国会議員のなかには、クレジットカード払いによる「支出の目的」で、ETCのため、といった記載をするケースはあるが、漆原氏の場合は、ETCの支払いを別に記載しており、クレジットカード払いは、一体何の支出なのか、不明である。よっぽど店の名前を出すのが、はばかられるような、ヤマシイコトに政治資金を使っているのだろう。
 こういう醜い議員たちが、自分のことを棚にあげて、一介の野党議員のしょぼい政治とカネの話のことで、執拗に騒いでいる。そういう構図があきらかになり、結局、自公政権とプロパガンダが、山尾氏のことで騒げば騒ぐほど、山尾氏の存在感は増していくことだろう。







 
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2016年04月04日

安倍大作政権の壊憲草案とワイマール憲法破壊のナチス 2

 さらに、池田大作教のエセバイブル新・人間革命という本の18巻には、滑稽なことに、こう書いてある。

 「野村は、青年部は、この一九七四年(昭和四十九年)「社会の年」を、前年に引き続いて「青年の年」第二年と明確に定め、力強くスタートを切ったことを語った。(中略)

 伸一(※筆者注:伸一とは池田大作を指す)も、まさに同じ思いで、会長就任以来、青年たちの育成にあたってきたのである。

 野村は、「社会の年」の具体的な実践として、青年が座談会運動の牽引力になることなどを訴えたあと、平和憲法の擁護について語った」

 と、にわかに、憲法についての話に移り、こう書いてある。

 「それは、前年十二月の本部座談会で、山本伸一が平和憲法の擁護を青年たちに託すと語ったことを受け、青年部として検討を重ねた結論であった」

 さらに、こうある。

 「平和の問題について、学会の青年たちは敏感であった。社会、世界の現実を見すえ、いかにして生命を守り、恒久平和の道を開いていくかを、仏法者の第一義のテーマとしていたからである。

 山本伸一が、平和憲法の擁護を訴えたのは、深刻な経済危機が進む日本の行方が、ナチスが台頭したドイツのワイマール体制末期のような事態になりかねないことを憂慮したからである。ワイマール憲法は、民主主義の典型ともいうべき、当時の世界の先端をいく憲法であった。」

 と、池田大作教の信者たちは、「平和の問題に敏感」で、当の池田大作は「平和憲法を擁護」し、「日本がナチスが台頭したドイツのワイマール体制末期のような事態になりかねないことを憂慮」しているのだそうだ。

 今まさに正反対のことをしている池田大作とその信者たちの滑稽さをみるにつけ、その知的レベルの低さが、このエセバイブルに如実に表れているといえよう。さらに、このニセモノのバイブルには、こうある。

 「ところが、深刻な生活不安に悩むドイツ国民は、ナチスという強力な勢力に、その不安の解消を期待した。そして、首相のヒトラーに全権を委任する授権法案が国会で可決されたのだ。

 それは、国民が自らの権利を放棄させられたことに等しかった。その結果、ナチスの独裁を許し、ワイマール憲法は形骸化され、人間の尊厳も、民主主義も、無残に踏みにじられ、あの悲惨な歴史がつくられていったのだ。

 人びとの幸福を実現するために、「生命の尊厳」と「人間の精神の自由」を、また、「民主主義」を、そして、「平和」を守り抜くのが、仏法思想を実践する創価学会の使命であると、伸一は考えていた。

 その意味で、基本的人権の保障、国民主権、恒久平和主義をうたった日本国憲法の精神を守ることの重要性を、彼は痛感していたのである。

 もちろん、時代も、社会も大きく変化していく。それにともない、長い歳月の間には、条文の補強や調整が必要になることもあろう。しかし、日本国憲法の精神自体は、断じて守りぬかなければならないというのが、伸一の信念であった。

 その思いを、彼は一カ月前の本部総会で語り、青年部に平和憲法の擁護を訴えたのである。」

 と、あるが、いうまでもなく、池田大作党こと公明党は、一昨年、あろうことか集団的自衛権の行使を可能にする解釈改憲という詐欺的行為の閣議決定を下し、昨年、その閣議決定にもとづき安保法制を成立させ、日本を、地球の裏側まで戦争に行ける国にした。さらに、池田大作党は、自民党とともに、基本的人権の保障や国民主権を破壊する壊憲草案を実現させようと躍起になって、今夏の国政選挙で、集票マシーンというカルト行為の限りを尽くそうとしている。

 それでいて、そのカルト教団のトップである池田大作は、「基本的人権の保障、国民主権、恒久平和主義をうたった日本国憲法の精神を守る」のだという。池田大作は、いままさに正反対のことをしている。池田大作というのは、なんという愚かな教祖なのだろう。ここに、池田教の本質がある。

 さらに、エセバイブルには、こうある。

 「平和を死守する人がいてこそ、平和は維持されるのだ。恒久平和とは、平和のための闘争の、連続勝利の帰結なのである。

 青年たちは、伸一の意見に大賛成であった。

 以来、何度となく討議を重ね、憲法の精神を守るための具体的な運動を練り上げていったのだ。

 野村勇は、叫ぶように訴えた。

 「われわれは、戦後日本の精神遺産である日本国憲法の精神を、一人ひとりの信条にまで高めていくために、この総会でアピールを採択したい」

 そして、力強くアピールを読み上げた。

 「われわれは、仏法の『生命の尊厳』『絶対平和主義』の理念に照らし、基本的人権の尊重、国民主権主義の原則とともに、世界に比類なき徹底した平和主義を高らかに掲げた日本国憲法を高く評価し、その理念を死守していくために、次の四点を強く決意するものである」

 参加者は、固唾をのんで次の言葉を待った。

 「一、日本国憲法に明文化された恒久平和主義の理念を、全世界の世論とし、ひいては世界各国の憲法にその理念を取り入れられることを目標に、そのための積極的な環境づくりを粘り強く展開していく。

 二、『人間の精神的自由』をはじめとする基本的人権と、『真実の民主主義』を堅持していくために、人権思想、民主主義思想の定着化および肉化を推進するとともに、日常生活のなかにおける人権侵害の事実に対しては、この救済に努力していく。

 三、なかんずく『人間として生きる権利』の実体的保障を規定した憲法第二十五条を、改めて深く確認し、その精神をわれわれのあらゆる日常的生活場面において顕現させ、真に人間らしい文化的生活を獲得するための、新たなる観点からの運動を推進、展開する。

 四、憲法を空洞化し、無力化する動きに対しては、常にこれを監視し、警戒するとともに、憲法の基本理念を根本から覆すような重大な問題が生じた場合には、これに対し、断固たる反対行動を展開する」

 アピールは、「人類の幸福と平和を願う全世界の人びとと連帯し、スクラムを組んで、この運動を持続的に展開していくことを決意するものである」との言葉で結ばれていた。

 野村は全文を読み終えると、こう呼びかけた。

 「このアピールに賛成の方は、挙手願います」

 「おー」という雄叫びとともに、参加者の手が一斉にあがった。(中略)

 野村をはじめ、青年部の首脳たちは、ワイマール憲法をもっていたドイツがナチスの独裁を許したのは、“民主”という憲法の精神が、民衆一人ひとりの信念として根づいていなかったことに、大きな原因があるととらえていた。

 憲法も民衆という大地に根差さなければ、どんなに立派であっても、実を結ぶことはない。(中略)

 青年部の首脳たちも、日本国憲法を守り抜くため、その精神を民衆の胸中深く浸透させることに力点を置いた運動を推進しようと考えたのだ。

 壇上の野村は、演台の水を飲むと、さらに話を続けた。

 「われわれは、具体的には、当面、次の運動を進めたい。

 日本国憲法の恒久平和主義の理念を世界の世論としていくため、戦争体験者の悲痛な戦争否定の叫びを集大成する一大出版運動に取り組む。

 また、昨年来、進めてきた核兵器撤廃、戦争絶滅を要求する署名運動は、現在、三百万を突破したが、これをもう一歩進めて、本年末までにできうれば一千万署名を勝ち取り、われわれの平和への願いとして、国連へ提出する。

 このほかに、各地で憲法講座を開催することや、人間の生存権の条件である健康にして文化的生活環境の建設をめざすことを発表した」

 と、このように書いてあった。

 むろん、これらとまったく正反対のことをしているのが、池田大作とその信者たちである。

 池田大作は、度し難く間抜けな教祖として、歴史に名を残した。池田大作教ふうにいうならば、池田大作は、「全世界に」、「絶対的に間抜けな教祖」として、「永遠に」、その汚名を歴史に残したことになる。

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2016年04月03日

安倍大作政権の壊憲草案とワイマール憲法破壊のナチス

 古舘伊知郎が、318日放送のテレビ朝日「報道ステーション」では、安倍・大作の自公政権が今夏の国政選挙後に目論んでいる憲法改正の緊急事態条項について、ワイマール憲法下のナチスの手口と比較して語っていた特集していた。そのことは、下記のシャンティ・フーラHPに詳しい。


[報道ステーション]ワイマール憲法から学ぶ自民党憲法草案緊急事態条項の危うさ (文字起こし)【前半】

https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=108461


[報道ステーション]ワイマール憲法から学ぶ自民党憲法草案緊急事態条項の危うさ (文字起こし)【後半】

https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=108372


 こういう状況のなか、池田大作教団の信者たちは、今夏の国政選挙でも、例によって、小選挙区制という今の選挙システムの中で、自民党を勝たせる決定的な役割を担おうとしている。もはや、日本が壊憲したら、池田大作のせい、といっても過言ではない。

 なお、ネットをみていたら、池田大作が、ワイマール憲法やナチスに言及している、という記載があった。それは池田大作がゴーストライターに書かせた新人間革命という本だという。この本は池田大作教の信者たちにとっては、聖書にあたる。

 だが、本当にこのエセバイブルには、ナチスのことが書いてあるのだろうか。そこで調べてみたところと、たしかに書いてあった。たとえば、新人間革命4巻には、こうある。

 「ヒトラーがナチスの党首になったのは一九二一年七月。そして、彼がドイツの首相に任命され、遂にナチス政権が誕生するのは、十一年半後の、三三年一月三十日であった。

 それから一カ月後、ベルリンの国会議事堂が炎上するという事件が起こった。すると、ナチスは、この事件は共産主義者の陰謀だと騒ぎ、人びとの不安と危機感を利用して、共産主義者など反ナチ勢力に大弾圧を加えていった。

 さらに、国難に対処すると称して、巧妙に世論を操作し、国会の選挙に勝利すると、議会に圧力をかけ、ヒトラーに全権を委任する法案を承認させてしまう。

 続いて、ナチス以外の政党を解散・禁止し、翌年の八月には、ヒトラーは首相と大統領を兼ねた「総統」に就任するのである。

 こうして、ドイツ第三帝国――ヒトラー独裁の暗黒時代が始まったのである。

 山本伸一は、かいてつまんで、ヒトラーが独裁者となるまでの経緯を語った。」

 なお、山本伸一というのは、池田大作のことである。つまり、自分を主人公にした小説を、ゴーストライターに都合よく書かせた本が、このエセバイブルである。なので、実際に、伸一こと大作が、ナチスのできる経緯をこういうふうに話したのかは、はなはだ疑問だが、そのことは差し置くとして、この本にはさらにこう書いてある。

 「すると、黒木昭が、不可解そうな顔で尋ねた。

 「でも、どうしてヒトラーの独裁を許してしまったのでしょうか。ドイツには、当時、世界で最も民主的といわれたワイマール憲法があったはずなんですが……」

 「うん、それは、大事な問題だね」

 伸一は、さらに、歴史的な背景を語っていった。」

 とあり、ドイツの不況やユダヤ人を取り巻く状況などについての記載が続いたあと、こうある。

 「山本伸一は、ヒトラーのユダヤ人迫害の経緯を語ったあと、強い口調で言った。

 「忘れてはならないのは、ヒトラーも、表向きは民主主義に従うふりをし、巧みに世論を扇動し、利用していったということだ。

 民衆が、その悪の本質を見極めず、権力の魔性と化した独裁者の扇動に乗ってしまったことから、世界に誇るべき“民主憲法”も、まったく有名無実になってしまった。これは、歴史的事実です(略)民衆の側に、国家権力の横暴に対して、共通した危機意識がなかったことが、独裁者を容易にした利用の一つといえるだろうね」

 さらにこういう記述もある。

 「伸一の話を頷きながら、谷田が言った。

 「今のお話は、本当に大事な問題だと思います。日本にも平和と民主のすばらしい憲法があっても、それが踏みにじられることになりかねないですね」

 「そうなんだよ。たとえば、明治憲法でも、条件付きながら、信教の自由は認められていた。それが、なぜ、かつての日本に、信教の自由がなくなってしまったのか。

 政府は、神社は『宗教に非ず』と言って、神道を国教化していった。やがて、治安維持法によって、言論、思想の自由を蹂躙し、宗教団体法によって、宗教の統制、管理に乗り出した。そして、いつの間にか、日本には、信教の自由はおろか、何の自由もなくなっていた。小さな穴から堤防が破られ、濁流に流されていくように。

 こうした事態が、これから先も起こりかねない」

 このように書いてあった。それでいて、池田大作党は、今まさに、世界の誇るべき民主憲法である日本国憲法を有名無実にして、自民党と共に壊憲草案を実現させて、日本を再び治安維持法のできるような時代にしようとしている。

 要するに、池田大作は愚劣である。池田大作が愚劣でなければ、いまの池田大作党の有様にはなりようがない。

 (続く)

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2016年04月02日

政治とカネという名のテロリズム

 民進党結党の直後、日刊ゲンダイに、「スキャンダル探しに躍起 安倍政権が狙う“山尾志桜里潰し”」という記事が出た。
 記事によると「前途多難だが、唯一の明るい材料が山尾志桜里衆院議員(41)の政調会長抜擢だ。テレビやスポーツ紙も大きく取り上げている。山尾が前面に出れば、支持率がアップする可能性がある。だからだろう、安倍政権は早速、“山尾潰し”を画策し始めているという。(略)
 ただでさえ自民党議員のゲス不倫や失言の連発で女性票がどんどん減っている上、山尾には国会の論争で徹底的にやり込められているからだ。安倍官邸が「山尾を潰せ!」の大号令をかけ、自民党は山尾のスキャンダル探しに躍起になっているらしい。国民の人気が急上昇している山尾さえ潰してしまえば、民進党は怖くないと考えているようだ。
 「検事時代から政治家になるまでの経歴や政治資金など、金銭関係はもちろんですが、調べているのは山尾本人だけではありません。山尾さんの夫はIT系企業の経営者で、元ライブドア役員。夫の素性を洗いざらい調べれば、何か出てくるのではないかというワケです」(自民党関係者)
 安倍政権の悪辣さはこれだけじゃない。自公は待機児童解消の緊急対策を慌ててまとめ上げたが、そのウラでは「保育園落ちた」の匿名ブログを書いた母親の身元まで調査させているという。自民党担当の全国紙記者がこう言う。
 「複数の自民党議員から、『あのブログを書いた女性のバックは共産党系らしいですね』と言われました。共産党とつながっているという情報を拡散したがっているんだな、と思いました」
 権力を使って何でもやるのが安倍政権だ」
 と、書いてあった。
 するとさっそくその週の週刊新潮で、山尾氏の政治とカネの記事が出た。自公政権の工作員がリークしたのでないか、と疑わざるを得ないタイミングである。
 そして、その政治とカネの内容というのは、ガソリンのプリペイド代が多かったとか、先日、収支報告を訂正していた、といった話。そもそも、野党の、さして権力もない議員の話であり、自公の議員連のように、大臣や部会の族議員や党幹部として、口ききで業者からの賄賂を懐に入れていた、といった類の話ではない。
 例によって、自公政権のプロパガンダ読売、日テレ、産経、フジテレビが中心となって、鬼の首でも取ったかのように騒いでいるが、こんなことで大騒ぎして国会議員の首を斬ろうとするのは、テロリストに等しい。筆者は常々そう思っている。
 なお、筆者はその昔、政治資金収支報告書をよく読むのがきらいではなく、相当読み込んできたし、いろいろと報じてきた。だが、だんだん、政治とカネが、特定の政治家狙い撃ちのためのテロの道具に使われている世の中の構造に嫌気が差してきた。こんなテロ行為に血道をあげても世の中よくならない。とくに今回の件は、野党議員のしよぼいカネの話であり、山尾氏が国民に説明すれば済む話である。
 かりに何かしら非があったとしても、謝って、今後はそういうことのないようにすれば済む話だ。
 第一、こんなことでいちいち辞めていては、自民党議員の半分以上は、辞めなければいけないのではないか。そういう次元のことでプロパガンダが騒いでいる。
 
 
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2016年03月29日

江の島

 今日は、鶴岡八幡宮と、江島神社に行って来た。
 江島神社では、弁財天を拝観した。源頼朝が奉納した、「戦いの神」の異名を持つ八臂弁財天は、優しみのなかに強さがある。
 御神札と御守りも得た。

江島神社.JPG

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2016年03月27日

みそぎ

 今日、民進党が、結党した。
 これで、民主党は、正式に消滅した。今日は、みそぎ、である。
 「みそぎ(禊)」とは「浴して身体を清める宗教儀礼。神道では〈禊祓(みそぎはらい)〉といって身心の罪や穢れを水で洗い清める祓,すなわち浄化の所作とする。神事に当たって物忌のあと積極的に身心を聖化する手段の一つだが,服喪など異常な忌の状態から正常な日常へ立ち戻る一種の再生儀礼(生まれ清まり)でもある。」という意味。(世界大百科事典 第2版より。コトバンクから孫引き)
 ちなみに、民進党の字体は、くねくねした変わった字体である。その意図は、流れをつくることによって協調性や団結性、躍動感、飛躍を表現しているというのだが、筆者がみた感じでは、なんだか、空中に浮く凧(たこ)のような字体で、いかにも世論の風頼みで、自ら風を起こす力はなさそうな感じだ。しかし、良く捉えれば、課題山積みではあるが、この政党は、国民が育てていかなければならない政党といえよう。
 それと、みそぎ、により、新しい顔ぶれも、出てきた。例えば、政調会長となった山尾志桜里衆院議員(41)。
 山尾氏は、小学生のときは人気ミュージカルの主役で、東大卒業後に司法試験に合格して検事として活躍するという経歴の持ち主。(J-CASTニュースより)
 ほかにも、アベキラー小西洋之(ひろゆき)衆院議員が控えていたりする。
 みそぎ、をしたことにより、きたる国政選挙でも、多少は期待できる新しい顔ぶれが出てくることだろう。無論、あまり期待しすぎると、その分、絶望も大きくなるのがおちなので、長い目でみる気持ちが大切になってくる。政党を育てていくということは、ある意味、絶望との戦いは避けられない。民主主義というのは、まことに苦しい。
 それでも、野党の弱体化につけこんで、 ナチスの手口をまねて、戦前の日本や、今の北朝鮮や中国のような超国家主義の、言論の自由のない国に後戻りさせる憲法草案を実現させようとしている自公政権がこのまま続くよりは、ましである。
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2016年03月25日

池田大作教の集票マシーン活動=擬似布教活動

 週刊ポスト電子版20151218日号に、「創価学会が新「勤行要典」を制定 池田大作氏崇拝さらに強く」という記事がある。

 それによると、こう書いてある。

 「1117日、創価学会の機関紙「聖教新聞」の1面トップに、こんな見出しが躍った。「創価学会『勤行要典(ごんぎょうようてん)』を新たに制定 三代会長を永遠の師匠と仰ぐ」

 「勤行要典」とは、創価学会の会員が日々の信仰生活のなかで読むお経の内容や、その読み方などについて定めた文書のことで、それをこのほど新しくするという。「三代会長」とは、牧口常三郎・初代会長、戸田城聖・二代会長、そして池田大作・三代会長(現名誉会長)を指す。その三人を創価学会は今後、「永遠の師匠」と位置付け、会員たちにも毎日のお経の際に讃えるように指示したというのだ」

 さらに、こう書いてある。

 「創価学会に詳しい宗教学者で現在著書『お経のひみつ』が話題の島田裕巳氏はこう解説する。

 「創価学会にとって、“永遠”とは特別な意味を持つ言葉です。創価学会はもともと日蓮正宗の信徒組織として発足した教団ですが、日蓮系の宗派が最重要視する『法華経』には、“久遠実成(くおんじつじょう)”という概念がある。

 これは釈迦(しゃか)の悟りとは、彼が生きていたとされる二千数百年前のインドで初めて得られたものではなく、それよりはるか昔から存在していたという考え方。つまり法華経は釈迦の悟りを、時間・空間を超越した“永遠”のものと捉えている。

 そして創価学会は今回、池田大作氏をはじめとする三代会長が“永遠の師匠”であることを日々確認していきなさいと、会員に対して指示した。つまり池田氏はこれで、いわば釈迦と同じような“崇拝対象”として創価学会の中で位置付けられた。いわゆる『池田教』の色をより一層強めたということです」

 と、書いてある。

 「いわゆる『池田教』の色をより一層強めた」とある。「池田教」は、宗教学者公認の名称なのである。

 さらに同記事には、こうある。

 「とはいえ、池田氏は以前から創価学会員の“崇拝対象”だったのではないか。島田氏はこう言う。

 「先ほど言ったように、創価学会はもともと日蓮正宗の信徒組織として発足した教団です。池田氏にしても、やってきたことは日蓮正宗のお経や日蓮の言葉などの“解釈”を会員たちに示すことであり、実は“池田大作名誉会長の教え”といったものは存在してこなかった。しかしその構図が今、徐々に変わろうとしているわけです」

 冒頭に紹介した聖教新聞の記事には、「万代の発展へ宗教的独自性を明確に」という見出しもついていた。これが指すのは、日蓮正宗の教義からの脱却である。

 「1991年に日蓮正宗から創価学会が組織ごと破門処分にされて以降、創価学会は日蓮正宗を否定し、さまざまな批判も行なうようになりました。ところがその一方で創価学会は、教義の面では、日蓮正宗の枠内にとどまり続けてきたのも事実なのです。

 昨年11月、創価学会は会則を変更し、破門から20年以上を経て、やっと日蓮正宗の総本山・大石寺にある本尊(通称・板曼荼羅)を崇拝対象にしないと決めました。今回の、三代会長を“永遠”の存在にするという発表も、日蓮正宗から脱却する方針の表われです」(前出・島田氏)」

 と、このように書いてあった。いまに、池田大作の写真が本尊となり、信者たちは、池田大作の写真に向かって祈るようになるのではないか。

 ちなみに、1991年に日蓮正宗から池田大作が組織ごと破門されて以降、池田教団は、宗教としての大義、教義を失い、まともに布教ができなくなった。それ以来、ますます選挙に血道を上げるようになっていった。

 ある信者によれば、国政選挙の投票数は、コーセンルフ(広宣流布。池田大作の教えが世界に広まるという意味)の指標、池田センセーが悲願に掲げる一千万人にはコーセンルフという意味がある、という。そう語っている集票マシーンを、筆者はかつて聞いたことがある。

 要するに、信者たちが集票マシーンと化して、池田大作党の議員たちを当選させようとする。あれは政治活動ではない。実はあれは純粋なる宗教活動、擬似布教活動なのである。こういうカルト集団が、この国の権力の中枢に居座り、この国の政治をかきみだしている。恐ろしい事態である。



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2016年03月23日

風評被害みんなで渡れば怖くない


 J−CASTニュースに、TOKIOのラーメンに「福島の小麦から作った麺なのかよ。人殺し」 作家のツイートが大炎上、アマゾンレビューにも延焼中
という記事がある。
 炎上した作家・藤岡真のツイッターでの表現は、ネトウヨみたいでやな感じはする。だが、言いたいことはわかる。さらに炎上後、ブログに「わたしの言いたいこと」という記事を載せているという。同記事を読む限り、その文言にいたっては、ツイッターとは打って変わって冷静であり、その内容には共感をおぼえる。
 が、ネットでは、例によって風評被害だ、とかいわれてこの作家は批判にされされている。
 先日記したとおり、海外では、韓国、中国、ニューカレドニア、レバノンが、福島県や関東近県等のすべて、あるいは、ほとんど全ての農水産物を輸入停止。アメリカ、ロシア、シンガポール、フィリピン、香港、マカオ、台湾も、福島県や関東近県等の、一部の食品を輸入停止している。また、インドネシア、アルゼンチン、エジプトなどでは、日本の全ての食品に対し、放射能の厳格な検査証明書を要求。EUやブラジルは、福島県や近県の食品の証明書を要求している。(農水省の「諸外国・地域の規制措置(平成28年2月26日現在)」)
 同盟国のアメリカも、輸入停止している。こういう状況を当の日本人のほとんどが知らないというのは、風評という言葉にかこつけて、現実から目をそらしている、といわれても仕方がないのではないか、と筆者は考える。
 なお、この「風評被害」批判現象のたびに、ツービートが昔に言っていた言葉を思い出す。それは次の言葉。 
 「赤信号、みんなで渡れば怖くない」
 それと、戦時中に亡国の戦争を批判すると「非国民」といって非難されていたというが、それもいまの風評被害現象と似ていたのではないか、という気もする。
 こういう、内部被ばくのリスクがまともに議論されない、タブー視する、現実から目をそらす、という現象は、いまの自公政権による原発再稼働ともつながっている。つまり、風評被害批判現象により、たとえ関西で原発再稼働して、原発事故が起きて、琵琶湖が放射能汚染されたとしても、福島第一原発の事故のあとの福島県産の農作物がそうであるように、何の問題もない、内部被ばくなどない、放射能など怖くない、という考えが増長することになり、それだから、原発再稼働をしても何の問題もない、という考えになり、性懲りもなく原発を再稼働していくことになる。
 風評被害で片付けて、内部被ばくのリスクに向き合わないことが、原発再稼働を推し進める、ひそかな原動力になっている。
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2016年03月20日

池田大作党の投票原理


 317日付の毎日新聞夕刊に「特集ワイド:「民主・維新・共産・生活・社民」VS「自民・公明」 「野合」って何ですか?」という記事があり、なかなか興味深い記事だった。


http://mainichi.jp/articles/20160317/dde/012/010/003000c


 毎日新聞は、たまに夕刊でおもしろい記事を書く。朝刊だと人目につき、自公政権に目をつけられるからだろう。その点が、いかにも記者クラブメディアらしいが、この記事のなかで、一点、気になる個所があった。

 それは最後のほうの、こういう下りの個所。

 「自公協力も安泰ではない。「創価学会の研究」の著者で首都大学東京の玉野和志教授(社会学)は「公明党の支持基盤である創価学会は、グローバル企業に勤め安倍政権を支持するエリート層と、平和主義や福祉を重視する伝統的な庶民層に分かれる。エリート層が成長神話をけん引して目標になっているうちは自民党と結びつく動機があるが、安倍政権が格差社会の底辺を切り捨てた時、神話は崩れ、政党協力の組み合わせが変わる可能性はある」と指摘。憲法と安保関連法が争点となる参院選では「安倍政権に批判的な庶民層の反応が鈍く、熱心に自民候補を応援しない選挙区も出るだろう」と語る」

 こういうふうにあるのだが、筆者は、玉野氏は、見誤っている、と思う。玉野氏の見通しだと、通常の有権者の行動原理と一緒である。池田大作教は、通常の有権者とは、まったく違う。

 そもそも、「神話は崩れ」云々というが、最大の神話だった、池田大作党イコール平和の党、という神話は、すでに昨年の時点で完全に瓦解しているのに、教団員たちの投票行動には一向に変化はない。神話などいくら崩壊しても、信者たちは池田党に投票し続けるのである。

 通常の有権者なら、あの政党、あの議員なら、ちゃんとした政治をしてくれるのではないか、とか、こういう点を改善されるのではないか、とか考えるものだが、池田教団の場合、まったく違う。信者たちは、たとえ個人的にコーメートーのことをどんなにおかしい、と思っていても、池田センセーが入れろ、と言っているから、とか、池田センセーがつくった党だから、とか、池田センセーが全国で合計1000万人がコーメートーに投票するのが悲願と言っているから、とか、コーメートーに自分も入れ他人にも勧めたら功徳がある、幸せになれる、とか、コーメートーを勝たせることがシテーフニ(信者たちの合言葉のひとつ。しショーとデシは一体という意味の教団用語)などと言って、投票しているのである。だから、いつまでも集票マシーンとして稼働し続ける。要するに、通常の有権者から見ると、いかれている。カルト教団たるゆえんである。




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2016年03月16日

世論調査に丸投げ

 野党新党の党名・民進党というのは、世論調査に丸投げして決めたという。
 かつて細川護熙の日本新党が、世論調査で党名を決めて一気に首相になり、自民党を下野させたことにあやかったようだが、そのときと今は、状況がまるで違う。
 大体、世論調査のなかには、自民党員もいるたろうし、池田大作教団員もいるだろうし、野党のことなどまるで期待してしない者もいるし、野党支持層といっても、たいして期待していない者や、どうしてよいかわからない、という人も多いはずである。そういう人たちの声を集めた世論調査は、参考にはしても、世論調査の結果で、最終決定する、という手法は、疑問である。
 こういう政党にしていきたい、という理念があるなら、最後は政治家が判断する、それが筋ではないか。
 そもそも細川護熙の日本新党は、たしかに一時は政権交代をしたが、そのあとすぐに崩壊している。それは政党としての核となる理念がなかったからではないか。
 それと、岡田克也氏は、ここ最近は、粘り強く党内をまとめて、ここまでもってきているように見えた。だから、党名については、党内で意見が分かれているので、最大公約数となるよう、たとえ民進という言葉になるにしても、「立憲」は付けるものだとばかり思っていた。まさか、世論調査に丸投げするとは、思いもしなかった。
 そもそも、党名という、政党の寿命を左右することを、当の政治家が決めれない、世論に丸投げするということは、政権交代した場合、この国のかじ取りをしていけるのか、と心配である。党名の決め方一つとってみても、厳しい言い方をすれば、無党派だのみ、風頼みの民主党時代と一緒ではないか、といわれても仕方がないのではないか。
 ちなみに、うちのかみさんに、参考までに、民進という党名について、どうおもうか聞いたところ、立憲という言葉が入っていないことにガッカリした、という。カミさんは、安保法制のデモによく足を運んでいた。カミさんだけでなくデモに参加した人の多くは、安倍自公政権の立憲主義を踏みにじる政治に反対の声をあげていたはずである。そういう人たちのなかには、立憲というキーワードが党名に入っていないことを、残念に思っている人も多いのではないか。
 そもそも世論調査というのは、野党に何にも期待していない人や、たいして期待していない民主党員から、党員でなくとも、熱心に国会に足を運び、安倍自公政権のやろうとしている壊憲に危機感を感じ、野党にがんばってもらいたい、と思っている人もいる。このうちの、本当に危機感をもって野党に期待している人と、そうでない人の声では、野党新党にとって、重みが違う。期待している人たちの声を重視してその支持に答えていかなければならないはずである。要するに、世論とひとくくりにいっても、重い声から軽い声まである。民進党というのは、軽い声を反映させただけではないのか。 
 筆者がひそかに期待しているのは、今後、党内で建設的な改善意見、建白書のようなものが出て、大事なことを世論に丸投げして決めるのは誤っていた、世論調査はあくまで参考程度にして、最後はトップが決める、ということで、党名に立憲を入れることだ。もしそうすると、記者クラブメディアは、迷走といって騒ぐことだろうが、過ちては則ち改むるに憚ること勿れ、である。
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2016年03月13日

党名「立憲」

 野党新党の党名が明日にも決まるといわれている。

 11日付の朝日新聞によると、「民主党と維新の党は10日、合流に伴う新しい党名の最終候補を決めた。民主が「立憲民主党」を、維新が「民進党」をそれぞれ提案。焦点は「民主」の名前が残るかどうかで14日にも決定する」という。

 それにしても、民進党、というのは、民が進む、という意味だが、一体どこに進むというのか?
 民進という言葉に、何の指針、羅針盤もない。ただでさえ日本は、全体主義に走った歴史があり、いまもそういうけが多分にあり、民進という言葉は、それを彷彿とさせる。それに、民主党と民進党では、「みんし」まで一緒で、「ゅ」と「ん」の違いでしかない。これでは何もかわっていないに等しい。

 一方、立憲民主党は、略称が、「立憲」ならば、安倍自公政権との対立軸が鮮明で、旗印、大義がある。

 あるいは、両方を立てて、「立憲民進党」ならば、党内はまとまりやすいかもしれない。個人的には、立憲民進よりも、立憲民主党の方が、言葉の意味も響きも良い気がするが。

 ただし、立憲民主党にせよ、立憲民進党にせよ、略称が民主あるいは民進なら、安倍晋三氏は、ガッツポーズをとることだろう。

 そして、略称が民主なら、安倍氏は、野党の党名変更、新党結成は有名無実でこれなら圧勝できると踏み、衆参同日選をしかけて、実際に野党壊滅という最悪のケースも現実味を帯びてくる。
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2016年03月11日

一遍上人について

 以下、その昔、プライベートで書いた文章。一遍上人について。



 鎌倉仏教・時宗の祖である一遍の生きた時代は、動乱の世だった。一遍が産まれた1239年の少し前には、源平の合戦、鎌倉幕府の成立、承久の乱が起きた。宗教、思想界も乱世で、これまでの加持祈祷による密教的な天台、真言の宗教が、もはや武士や庶民の心を満たしきれなくなっいた。

 そうした中、一遍が36歳のとき、蒙古が襲来した。ちょうどこの年から16年間にわたって一遍は各地を巡った。

 一遍の救いの特色は、「賦算(ぷさん)」である。これは縦7.5cm、横2cmの賦算札といわれる木版に「南無阿弥陀仏 決定往生 六十万人」と書いてある。

 ここでいう六十万人とは、南無阿弥陀仏の六字名号と、仏教で説く十界などの意味があり、要するに、一切衆生もろもろの人、という意味である。

 一遍の特色は、この札を信じない人にも配り、信じなくても札を持った人は救われる、としている点である。これは熊野権現の信託で「信不信をえらばず、浄不浄をきらわず、その札をくばるべし」といわれたため、と一遍は述べている。宗教の概念であるはずの、信じることで救われる、という教えを打ち捨て、信じなくとも救われる、という他力本願を打ち立てた。一遍から札をもらえば、無神論者でも、精神障害者でも、痴呆の人でも、赤ん坊でも、犯罪者でも、どんな人でも、もらった瞬間に往生が約束された。

 一遍は「捨て聖(ひじり)」ともいわれる。

 一遍語録の随所には、捨てる大切さが、説かれている。例えば次の言葉を遺している。

 「無為の境にはいりんため、すつるそ実の法恩よ」(さとりの世界にはいるために、この世を『すてる』ことがまことのご恩に報ゆる行為である)

 「むかし、空也上人へ、ある人、念仏はいかが申すへきやと問けれは、『捨てこそ』とはりにて、なにとも仰られすと、西行法師の撰集抄に載られたり。是誠に金言なり。念仏の行者は智恵をも愚痴をも捨て、善悪の境界をもすて、貴賎高下の道理をもすて、地獄をおそるる心をもすて、極楽を願ふ心をも捨て、又諸宗の悟をもすて、一切の事をすてて申念仏こそ、弥陀超世の本願の尤かなひ候へ。」

 「愚老か申事をも打捨、何ともかともあてかひはからすして、本願に任て念仏したよふへし」(このように、一遍が言うことを捨てて、何ともかとも思慮、分別を捨てて念仏せよ、安心、不安心を考えず、本願にまかせて念仏するのである)

 「捨ててこそ見るへかりけれ世の中をすつるも捨ぬならひ有とは」(この世を私たちは捨てても、後の世には阿弥陀仏は決して私たちを捨てないということは、この世を捨ててこそ、はじめて知ることができるのである)

 一遍は「遊行上人」ともいわれる。

 遊行とは、旅するという意味だが、その本来の意味は「神・仏に対する呼びかけ」であり、「神・仏に尽くすこと」であった。一遍にとって、遊行は単なる旅ではなく、神聖な行いだった。

 こうして遊行を続ける一遍のまわりには、一遍の弟子たちや、疾病、障害などのため通常の生活ができなくなった心身障害者や、乞食、非人、悪党らも集まっていた。その証拠に一遍聖絵には、肉のただれ落ちた顔を布で覆い隠した癩者(らいしゃ)、手に下駄をつけて地べたを這って動く躄者(へきしゃ)、こもをかぶって横たわる精神障害者、空虚な目つきの聾唖者(ろうあしゃ)、視覚障害者なども集まっていることが、描かれているのである。それは中世ヨーロッパで使徒的精神運動を推進した聖ノルベールを彷彿とさせる。

 また、一遍の救いの特色の一つは、「踊り念仏」である。それは数十人、ときに数百人が集まって、広場に櫓(やぐら)を組んで、念仏を称えながら、弥陀の極楽に往生した今がそのまま浄土だという喜びで、踊り狂うというもの。はねあがり、舞い上がる踊り念仏は、激しいリズムによって、熱狂的に踊り、身も心も裸になってゆやく(勇躍)し、踊り手に宗教的なエクスタシーをもたらす。その瞬間に、人々は阿弥陀仏に結縁するといわれる。

 なお、一遍の教えには、他の宗派のような教義もなく、文字もほとんど残していない。一遍は、教団も不要としていた。そのため、宗教改革といった、教義の構築も起こりえず、組織維持の求心力といったものを持ちえなかった。その点が他宗とは異質である。

 その代り、一遍の死後、時宗は、宗教活動ではなく、文化活動で、日本の礎を築いた。時宗の門徒は、阿弥を名乗ったが、観阿弥・世阿弥の能・狂言のほか、田楽、和歌、連歌、俳句、川柳、歌舞伎、音楽、文芸、鋳物、建築、刀鍛冶、紙、蒔絵、水墨画、茶道、立花、剣術、医療、作庭、外交、運輸などの分野で、阿弥衆が日本の基層文化の立役者となっていった。




参考文献

「中世時宗史の研究」(小野澤眞、八木書店、20126

「一遍上人語録 捨て果てて」(坂村真民、大蔵出版、199410月)

「一遍聖絵を読み解く 動きだす静止画像」(武田佐知子、吉川弘文館、199812月)

「一遍聖絵を歩く 中世の景観を読む」(小野正敏、高志書院、20127月)

「徹底検証 一遍聖絵」(砂川博、岩田書院、(20131月)

「一遍の宗教とその変容」(金井清光、岩田書院、200012月)

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2016年03月07日

地域猫活動パネル展示

 今日は地域猫の発祥の地・横浜市磯子区の区役所でやっていた地域猫活動のパネル展示をみてきた。
 こういう展示が全国に広がっていくことを、切に願う。

 写真は、展示の一部。
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2016年03月05日

池田教団政治部 漆原中央幹事会長の発言について

 今日新聞を読んでいたら、池田大作教団コンペートーの議員の発言が出ていた。「公明党 漆原氏、立ち位置は『改憲』姿勢問われ」(毎日新聞)によると、「公明党の漆原良夫中央幹事会長は3日の記者会見で、憲法改正に関する公明党の立ち位置について問われ『護憲か改憲かと言われれば改憲に属すると思う』と述べた。公明党が改憲勢力の一角であるという認識を示した。漆原氏は「(憲法制定から)70年もたって憲法が老朽化している可能性がある。内容を現代に合わせていく必要性はある』と主張。『わが党は加憲主義』と語り、現行憲法を尊重した上で新たな条文を加える公明党の立場を強調した」という。

 安倍自公政権の一角として、今夏の今夏の国政選挙後に、改憲発議をしようとしている中で、いまさら「護憲か改憲かと言われれば改憲に属すると思う」というのは、寝ぼけた発言としか言いようがない。加憲という造語も、信者たち向けのゴマカシでしかない。

 が、教団内部の信者たちは、いまだに、自分たちは改憲勢力ではないと思い込んでおり、漆原の発言は、そういう信者たちにとってはニュースなのであろう。つまり、池田教団はそれほど世間の常識から隔絶している。漆原は、単に、当たり前のことを言っただけである。その点、この人物は正直といえる。つまり、他の池田教の議員たちは、偽り本音を隠している卑怯な連中というだけのは話である。

 ちなみに、今日の日本経済新聞にも、漆原の発言が出ている。記事によると、「安倍晋三首相が在任中に憲法改正を目指すと明言したことが波紋を広げている。与党内には7月の参院選で憲法改正が争点になるのは得策ではないとの見方が根強いためだ」として、自民党の幹部連が、改憲を前面に出すと選挙に不利なので争点隠しを図ろうとしている、という内容の一環で、こう書いてある。

 「公明党の漆原良夫中央幹事会会長も記者会見で『バラバラの野党に結集軸を与え、利用されることになりはしないかと心配している』と述べた」

 筆者が注目したのは、「利用されることになりはしないか」としている点だ。つまり、池田教団にとっては、安倍自公政権のやろうとしている壊憲に危機感を抱き反対する野党の動きは、憲法を利用して政争の具にしている、としか映っていない、ということになるのである。野党だけではない。安倍自公政権の暴走を食い止め、野党の結集を期待する国民のことも、憲法を利用して、池田教に敵対する勢力、という認識でいるからこそ、「利用」なとどいう言葉が口に出るのであろう。

 なお、基本的に、池田教団の人々は、池田教を批判する人間のことを影で敵視している。だから、池田教団コーメートーのことを批判し、野党に投じる国民のことも、内心、仏敵だと思っている輩が多い。

 「利用」という言葉に、そういう非人間性が表れている。

 無論、これは漆原だけの思想ではない。この人物はただ、正直に思っていることを言っているだけであり、ほかの池田教議員の連中も、本心を偽り隠しているだけのことである。



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