2017年02月19日

大統領令差し止めと、お上にひざまずく日本の司法

 平成二十九年二月六月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「大統領令差し止めと、お上にひざまずく日本の司法」


 を企画、取材、執筆しました。



5日付の朝日新聞朝刊に「大統領令、司法『待った』 米入国禁止、差し止め 効力は一時的」という記事がある。それによると、「トランプ米大統領が署名した、難民や中東・アフリカの7カ国の国民の入国を一時停止する大統領令に、司法がストップをかけた。3日にワシントン州の連邦地裁が出した決定は、大統領令は違憲である可能性を指摘し、効力を停止させた。しかし、トランプ政権は猛反発し、法廷闘争に持ち込まれるのは必至で、騒ぎはやみそうもない。

 決定は、停止を求めたワシントン州側と、政権の双方の主張を聞いた上で、ジェームズ・ロバート判事が即日で出した。

AP通信によると、法廷で判事は、対象7カ国の国民によるテロ事件が米国内で起きているか政権に問いただした。政権側が『分からない』と答えると、判事は『答えはゼロだ。(大統領令は)米国を守らなければならないと主張するが、支える根拠がない』と述べたという。

 決定では、大統領令の効力を一時停止することは『例外的な手段だ』と認めた上で、今後の訴訟でも州側が勝つ可能性が十分にあると判断。大統領令の効力が続いた場合、州に取り返しのつかない損害が起きる可能性も考慮した。大統領令が違憲であるとの考えも示唆した。

 訴訟を起こしたワシントン州のボブ・ファーガソン司法長官は『大統領を含めて、法の上に立つ人は誰もいないことが示された』と決定を歓迎。一方、ホワイトハウスのスパイサー報道官は声明で、決定を不服として、命令の執行停止を求める方針を明らかにした。(中略)

 民主党のシューマー上院院内総務は『この決定は憲法の勝利だ。トランプ大統領は決定を心に留め、大統領令を廃止すべきだ』と訴えた」という。

 この訴訟の結末はまだわからないが、少なくとも、アメリカの裁判所は、法に基づき、大統領の命令をストップさせる権力を持っていることが、この一事をみてもわかる。

 法ではなくお上の顔色をみて判断するこの国の裁判所とは、まるで違う。

 例えば、日本には、行政事件訴訟法という法律がある。「行政訴訟」とは、「行政庁の権限の行使の適法・違法をめぐって生ずる国民と行政庁との間の紛争を正式の裁判手続に従って裁判すること」をいい、その手続きを定めたのが同法である。(日本大百科全書)

 同法25条には、裁判所が行政処分を執行停止することができる、つまり、時の政権のやっていることをストップさせることができる、とある。が、同法27条には、この裁判所の執行停止について、「内閣総理大臣は、裁判所に対し、異議を述べることができる」とある。

 そして、この首相による「異議があつたときは、裁判所は、執行停止をすることができず、また、すでに執行停止の決定をしているときは、これを取り消さなければならない」とある。

 つまり、裁判所がストップと言っても、首相が異議あり、と一言いえば、裁判所は撤回する、というわけ。

 これでは行政権が司法権を侵しており、三権分立の原則に反する、という違憲説もあるが、実際は同法がまかり通っているのが実情である。

 最高裁判所の判例も、お上にひざまずくような思考で一貫している。例えば、こんな裁判がかつてあった。

 それは、時の首相が、「抜き打ち解散」をしたときのこと。当時、衆院議院の一人が、この解散が憲法第69条「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」には当てはまらず、憲法7条「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。」の「二 国会を召集すること」も適法になされておらず違憲である、と訴えた。

 だが、一審、二審で原告敗訴。そして最高裁でも、原告は負けた。最高裁はこうのべている。(昭和3568日、最高裁判所大法廷判決)

 「衆議院の解散が、その依拠する憲法の条章について適用を誤つたが故に、法律上無効であるかどうか、これを行うにつき憲法上必要とせられる内閣の助言と承認に瑕疵があつたが故に無効であるかどうかのごときことは裁判所の審査権に服しないものと解すべきである」

 要するに、総理大臣の一存で突然衆院解散することが憲法違反かどうかは、裁判所は審査しない、という。

 さらに、こうある。「わが憲法の三権分立の制度の下においても、司法権の行使についておのずからある限度の制約は免れないのであつて、あらゆる国家行為が無制限に司法審査の対象となるものと即断すべきでない。直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為のごときはたとえそれが法律上の争訟となり、これに対する有効無効の判断が法律上可能である場合であつても、かかる国家行為は裁判所の審査権の外にあり、その判断は主権者たる国民に対して政治的責任を負うところの政府、国会等の政治部門の判断に委され、最終的には国民の政治判断に委ねられているものと解すべきである」

 この判決文からは、「法の上に立つ人は誰もいない」という精神のカケラすらもない。アメリカの司法とは、どえらい違いである。日本の司法は、独立しなければならない。(佐々木奎一)


posted by ssk at 18:45| Comment(0) | 記事
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