政治とカネというテロで、民進党政調会長の山尾志桜里氏を抹殺しようとしているテロ媒体・産経新聞の今日付けの記事のなかで、26日のフジテレビ系「新報道2001」で、各党の政策責任者が出演したことを書き連ねている。そのなかで、こういう一節がある。
「山尾氏は舛添要一前東京都知事が厳しく追及された政治資金問題について、『与党、野党が法改正も含めて話し合っていくべき課題だ。参院選の公約で具体的な提案をしているので、しっかりと話し合って法改正に結びつけていきたい』と持論を訴えた」
これは持論というよりも、およそ立法府をつかさどる国会議員であれば、法律に基づき、法律でどう対処するかを考えていくのが理の当然である。それを「持論」という表現をする自体、産経の書き方はおかしい。もっとも、産経新聞がおかしいのは、いつものことである。
筆者が言いたいのは、今のご時世、山尾氏のように、当然のことを言う国会議員が、希少になってしまっている、という点だ。希少というのは憂うべきことである。
一体なぜこうなってしまったのだろう。思うに、「立法府」というのは、本来、法律の素養がなければ務まらないはずだが、実際は、法律のことが全然わかっていない者が、たくさん国会議員になっている。最近では、小中の教科書レベルの事柄すらわかっていない議員まで出てくる始末。これが大きな原因の一つではないか。
やはり山尾氏のように、司法試験に受かり、検察官か、弁護士、裁判官のキャリアのある人物が、もっと国会議員になり、国会をリードしていく必要があることを、いまの国会は示しているのではないか。違法行為をしたわけでもない舛添氏が、集団リンチに遭い辞任に追いやられたのをみて、つくづくそう思う。
なお、テロ媒体が、山尾氏をバッシングしたいのは、一重に、山尾氏が国会議員として大成するのが、怖いからである。将来性があるから、いまのうち潰したいのである。この産経の狭隘なテロリスト根性が、この国のダメにしている。
野党であれ与党であれ、優秀な国会議員がたくさん出て、国会の場で建設的な意見を戦わせ、存分に活躍させることこそが、この国のためになるのだ。
「山尾氏は舛添要一前東京都知事が厳しく追及された政治資金問題について、『与党、野党が法改正も含めて話し合っていくべき課題だ。参院選の公約で具体的な提案をしているので、しっかりと話し合って法改正に結びつけていきたい』と持論を訴えた」
これは持論というよりも、およそ立法府をつかさどる国会議員であれば、法律に基づき、法律でどう対処するかを考えていくのが理の当然である。それを「持論」という表現をする自体、産経の書き方はおかしい。もっとも、産経新聞がおかしいのは、いつものことである。
筆者が言いたいのは、今のご時世、山尾氏のように、当然のことを言う国会議員が、希少になってしまっている、という点だ。希少というのは憂うべきことである。
一体なぜこうなってしまったのだろう。思うに、「立法府」というのは、本来、法律の素養がなければ務まらないはずだが、実際は、法律のことが全然わかっていない者が、たくさん国会議員になっている。最近では、小中の教科書レベルの事柄すらわかっていない議員まで出てくる始末。これが大きな原因の一つではないか。
やはり山尾氏のように、司法試験に受かり、検察官か、弁護士、裁判官のキャリアのある人物が、もっと国会議員になり、国会をリードしていく必要があることを、いまの国会は示しているのではないか。違法行為をしたわけでもない舛添氏が、集団リンチに遭い辞任に追いやられたのをみて、つくづくそう思う。
なお、テロ媒体が、山尾氏をバッシングしたいのは、一重に、山尾氏が国会議員として大成するのが、怖いからである。将来性があるから、いまのうち潰したいのである。この産経の狭隘なテロリスト根性が、この国のダメにしている。
野党であれ与党であれ、優秀な国会議員がたくさん出て、国会の場で建設的な意見を戦わせ、存分に活躍させることこそが、この国のためになるのだ。
それを、たまごサンドがどうしたとか、マンガを買ったとか、まんじゅうをつくったとか、ガソリンが買ったとか、そんなことで政治家を追い落とすというのは、愚の骨頂である。
産経のくだんの記事と、テロ宣言「政治家デスノート」は下記の通り。
「「地球5周分」のガソリン問題「『調査する』と言って、まだ結果を発表していない」 日本のこころの和田政宗政調会長が追及」
「【政治デスクノート】舛添知事がようやく辞職…次に問われるのは貴女ですよ 山尾志桜里さん! ガソリーヌの汚名をどう返上するのか?」