週刊ダイヤモンドが、池田教団の特集をしている。
特集のプロローグには、殊勝にも、「組織内部に目を向けると、さまざまな“病魔”にむしばまれていることが分かってきた。本特集では、学会と共産党という、日本の命運を左右する二つの巨大組織の知られざる内幕に、容赦なくメスを入れた」と、ある。
教団の箇所を一応、読んでみたが、結論からいうと、「容赦なくメスを入れた」という割には、口ほどにない、いつもの週刊ダイヤモンドだった。リチャード・コシミズ氏の講演の方が全然メスを入れている。ただし、同じ経済雑誌のなかでは、今年4月の東洋経済オンラインに出ていた御用学者・島田裕巳氏による、毒マンジュウを喰らった観のある提灯記事に比べると、異次元に勝っている。
そんなダイヤモンドのくだんの特集のなかで、多少、目を引いたのは、池田教団本部の職員が首になったという、滝川清志(38)、小平秀一(39)、野口裕介(37)の三氏の箇所。
この三氏は、池田教団のやり方に疑問を持つようになり、教団幹部に意見を言うようになってから、干されて、懲戒解雇処分になり、東京地裁で地位確認を求め訴訟をしていたが、昨年10月に敗訴が確定したという。
実は筆者はかつてこの事件について、調べたことがあった。が、地位確認訴訟としては筋がよいとは言い難く、原告が勝つ見込みは薄いかもしれない、と踏み、記事にするのを見送ったことがあるのだが、ダイヤモンドによると、この三人は、14年時点ですでに教団そのものを除名になっているという。雇用契約上は、首になってもしょうがないのかもしれないが、裁判資料を読む限り、この三人は、熱心に、うわべの部分の、池田大作の教えを実行しようとして、幹部に疑問をぶつけたりしていた。そういう熱心な信者を教団が除名していたことは、多少意外だった。
ただ 、それはよくよく考えると、いかにも池田教団らしいやり口である。それにしても、上層部のやり方に異論をはさむ信者の首は、容赦なく斬る、という点は、北朝鮮のキム・ジョンウン体制と酷似している。
筆者が注目したのは、その三人が今年6月4日に主催した集会で、なんと、あの小林節氏が講師として登場したという下りだ。
記事によると、「小林は今の学会を『権力の魔性性』に取りつかれた『宗教官僚組織』と指摘し、3人には『巨大化し官僚化した組織と戦うこと自体がエネルギーの無駄』だと説いた。その上で、自分が正しいと信じる『池田教』を発足させるという、いわば学会外での“宗教改革”を勧めた」という。
だが、「3人は『内部からの宗教改革』にこだわる。7月3日には、学会本部前で6度目のサイレントアピールを行う予定」とのこと。
なお、このときの集会の様子については、当の三人による「元創価学会職員3名のブログ」という、ブログに、詳しく載っていた。
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/page-1.html
それを読むと、後ろのほうに、たしかに小林節氏が、「私が彼らと同じ立場であったら脱会し、自分が正しいと思う池田教を設立する」とアドバイスを送った、という下りがある。
このせっかくの助言に対し、この三人は、「絶対に受け入れられない」と宣言して集会を閉じた、というのだが、筆者が驚いたのは、そのことよりも、このブログに書きつられてある文体である。セーキョー新聞や池田本をそのまま書き写したような、池田教団特有の、イデオロギッシュな、観念的な文体――。こういう池田教のにおいのする言葉がポロっと出てくる信者は実に多いが、ここまで観念的な言葉で埋め尽くされる、というのは珍奇である。
脳髄まで「池田大作色」に染まっているこの三人なら、たしかに「池田教」を立ち上げるにふさわしい気がする。
記事によると、「小林は今の学会を『権力の魔性性』に取りつかれた『宗教官僚組織』と指摘し、3人には『巨大化し官僚化した組織と戦うこと自体がエネルギーの無駄』だと説いた。その上で、自分が正しいと信じる『池田教』を発足させるという、いわば学会外での“宗教改革”を勧めた」という。
だが、「3人は『内部からの宗教改革』にこだわる。7月3日には、学会本部前で6度目のサイレントアピールを行う予定」とのこと。
なお、このときの集会の様子については、当の三人による「元創価学会職員3名のブログ」という、ブログに、詳しく載っていた。
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/page-1.html
それを読むと、後ろのほうに、たしかに小林節氏が、「私が彼らと同じ立場であったら脱会し、自分が正しいと思う池田教を設立する」とアドバイスを送った、という下りがある。
このせっかくの助言に対し、この三人は、「絶対に受け入れられない」と宣言して集会を閉じた、というのだが、筆者が驚いたのは、そのことよりも、このブログに書きつられてある文体である。セーキョー新聞や池田本をそのまま書き写したような、池田教団特有の、イデオロギッシュな、観念的な文体――。こういう池田教のにおいのする言葉がポロっと出てくる信者は実に多いが、ここまで観念的な言葉で埋め尽くされる、というのは珍奇である。
脳髄まで「池田大作色」に染まっているこの三人なら、たしかに「池田教」を立ち上げるにふさわしい気がする。