今日は、近所の思金神社と、隣町の鶴岡八幡宮、源頼朝の墓へお参りした。
そして、今日は、茅ヶ崎市にある、鶴嶺天満宮へ行って来た。鶴嶺天満宮は、鶴岡八幡宮の親のような存在である。
鶴嶺天満宮のHPには、御由緒がこう書いてある。
「相模の国、茅ヶ崎の総鎮守として往古より八幡信仰の地として名高い。
長元三年九月(1030年)、源頼義は下総の乱を鎮定するため懐島郷(現地)に至り、源家の守護神石清水八幡宮を勧請して戦勝祈願をしました(別に宇佐八幡宮勧請説もあります)。
永承六年(1051年)前九年の役(安倍一族の反乱)が起こり、陸奥守となった頼義の応援に向かった長子、源義家が懐島郷に入り戦勝祈願をしました。前九年の役が終わった康平六年(1063年)、頼義は鎌倉由比郷に鶴岡八幡宮の前身である「元八幡」を建立し、当八幡宮はその旧社であることから「本社八幡宮」といわれました」
そして、最後に、こうある。
「当八幡宮は源氏が関東へ進出する第一歩として祀った最初の氏神社ではありますが、このことはあまり知られていません。
本社八幡宮の由来こそ源氏の歴史、関東進出の真相を語るものであります」
そして、今日は、茅ヶ崎市にある、鶴嶺天満宮へ行って来た。鶴嶺天満宮は、鶴岡八幡宮の親のような存在である。
鶴嶺天満宮のHPには、御由緒がこう書いてある。
「相模の国、茅ヶ崎の総鎮守として往古より八幡信仰の地として名高い。
長元三年九月(1030年)、源頼義は下総の乱を鎮定するため懐島郷(現地)に至り、源家の守護神石清水八幡宮を勧請して戦勝祈願をしました(別に宇佐八幡宮勧請説もあります)。
永承六年(1051年)前九年の役(安倍一族の反乱)が起こり、陸奥守となった頼義の応援に向かった長子、源義家が懐島郷に入り戦勝祈願をしました。前九年の役が終わった康平六年(1063年)、頼義は鎌倉由比郷に鶴岡八幡宮の前身である「元八幡」を建立し、当八幡宮はその旧社であることから「本社八幡宮」といわれました」
そして、最後に、こうある。
「当八幡宮は源氏が関東へ進出する第一歩として祀った最初の氏神社ではありますが、このことはあまり知られていません。
本社八幡宮の由来こそ源氏の歴史、関東進出の真相を語るものであります」
このように、武士のみなもとのような神社である。
その鶴嶺天満宮に到着した。(写真は鳥居)
たしかに武士の祖形のような雰囲気のある神社で、懐かしいような気持ちに駆られた。鶴岡八幡宮によく行くからだろうか。
鶴嶺天満宮という、「心のふるさと」を、見い出した。
たしかに武士の祖形のような雰囲気のある神社で、懐かしいような気持ちに駆られた。鶴岡八幡宮によく行くからだろうか。
鶴嶺天満宮という、「心のふるさと」を、見い出した。