2016年04月13日

池田教の毒マンジュウを喰らった観のある、東洋経済の記事

 東洋経済オンラインに、「創価学会はなぜ社会から嫌われるのか 戦後社会が育てた巨大教団」という記事が出ている。執筆者名は島田裕巳氏(宗教学者・作家)。

 この記事、見出しの「創価学会はなぜ社会から嫌われるのか」とは裏腹に、創価学会は世間から嫌われていない、という教団の言い分が、延々と書き連ねられていた。

 島田氏は、池田教団の“毒マンジュウ”を喰らった――そう疑わざるを得ないほど異様に変な記事である。

 ちな    みに、筆者の公式ブログである当サイトの今年325日付で紹介したように、この島田氏は、週刊ポスト電子版20151218日号の、「創価学会が新「勤行要典」を制定 池田大作氏崇拝さらに強く」という記事のなかで、「創価学会は今回、池田大作氏をはじめとする三代会長が“永遠の師匠”であることを日々確認していきなさいと、会員に対して指示した。つまり池田氏はこれで、いわば釈迦と同じような“崇拝対象”として創価学会の中で位置付けられた。いわゆる『池田教』の色をより一層強めた」と、創価学会は事実上、「池田教」と化している点を強調していた。

 このように言っていた島田氏だが、くだんの東洋経済オンライン記事では、その池田大作のことを、「創価学会が激しい嫌悪の対象になっていた時代において、池田大作という存在は極めて大きかった。池田氏は、創価学会の第3代会長であり、会長を退いてからは名誉会長の地位にある。池田氏が創価学会の会長に就任したのは、わずか32歳だった」「池田氏の果たした役割は、創価学会の会員ではない一般の人間は知らない。そのため、池田氏は巨大教団に君臨する独裁者であるかのようにとらえられてしまう」と、まるで池田大作が独裁者でないかのような物言いである。次いで、こうある。

 「実際、それを裏づけるような報道が、週刊誌などを中心に集中的に行われたことがあった。それは、創価学会と公明党が、自分たちを批判した書物に対してその出版を妨害しようとする「言論出版妨害事件」が起こってからである。この事件は、69年から70年にかけての出来事だった。創価学会が、公明党を組織して政界に進出していなければ、こうした報道もそれほど盛んには行われなかったであろう」と、池田教を擁護している。が、出版を妨害しようとしている点だけでみても擁護の余地がない上、この言論出版妨害事件というのは、池田大作の下半身スキャンダルにまつわる事件である。巨大教団に一気に成り上がり、貪欲を限りを尽くしていた頃の池田大作を象徴する事件である。その重要事件を島田氏は、まるで公明党が政界に出たから騒がれただけであるかのような軽い扱いにすることで、結果的に、池田教を擁護している。池田教については、言論出版妨害事件に立ち返って、総括しなければならない、と筆者は常々考えている。池田大作が、まるで聖人であるかのように、いつのまにか歴史修正されているからである。

 さらに、島田氏は、こんなふうに書いている。

 「それに関連してもう一つ重要な点は、創価学会を辞めた人間たちの存在である。宗教教団を辞めた人間は、その組織に対して不満を持ったからそうした行動に出たわけで、辞めた教団に対しては批判的である」

 このようにあるが、池田教団内部で信者は批判などできない構造である上に、そもそも宗教というのは、疑いを抱くこと自体が禁じられており、何一つ疑わずに信じることを求められる。つまり、「池田大作センセーは崇高な永遠の偉大な指導者である、だから信じなさい、池田センセーのために生きなさい、池田センセーを信じれないのは、あなたの信心が足りないからだ、と洗脳される世界。だから、洗脳された集団である教団内部からは、表立った批判がほとんど出ないのは当然である。

 それはたとえるなら、北朝鮮の人民が、脱北しないで内部にいながら批判など出来ようがないのと似ている。たとえば脱北した北朝鮮人による北の批判に対し、労働新聞が、「あの脱北者は北に不満を持っていたから脱北したわけで、脱北した者は北に批判的である。わが国の人民は、みんな、「偉大な指導者」を崇拝していて、「偉大な指導者」のために生きることに喜びを感じており、北朝鮮人民は何の不満もない生活を送っている」、と言っているようなものだ。脱北者が北を批判するのは、何よりも、独裁者に、自分の人生を奪われてきたからである。北の真実を伝ることができるのは、脱北者だけである。

 このように、辞めた人間は不満を持っている云々という理屈をこねまわして、あたかも池田教への批判は的を得ていないかのように、すり替える。いかにも池田教団が言いそうな話である。

 島田氏は、池田教の御用ライターに、成り下がった。

 池田教を擁護する御用ライター兼学者の島田氏は、こういうことも書いている。

 「一般の人間にとって創価学会が存在するメリットは少ない。ただ、会員でなくても選挙の際には公明党に投票する「フレンド票」となれば、友好的に接してくれるし、何か困ったことがあれば公明党の地方議員が相談に乗ってくれたりする。そうした手段を利用する非会員もいたが、その恩恵にあずからない人間からすれば、それもまた創価学会を嫌う理由になった。外側からは、自分たちの利益だけを追求する極めて利己的な集団に見えたのである」

 島田氏は、池田教が集票マシーンと化して、フレンド票(F)と称して、選挙のたびに、信者の知人友人親戚にかたっぱしから、公明党に投票するよう、しつこく勧誘することを、好意的に述べている。そして、「何か困ったことがあれば公明党の地方議員が相談に乗ってくれたりする」とあるが、これは、要するに、「口利き」である。公明党の、特に地方の議員は、池田教信者たちの口利きのために存在している。島田氏は、そのことを好意的に述べたうえで、「その恩恵にあずからない人間からすれば、それもまた創価学会を嫌う理由になった。外側からは、自分たちの利益だけを追求する極めて利己的な集団に見えたのである」とあるが、口利きの「恩恵」にあずかる、というのは、まさに「自分たちの利益だけを追求する極めて利己的な集団」である。それを、島田氏は、あたかも、池田教団が利己的な集団ではないかのように、言っている。

 また、教団の集票マシーン化を肯定するということは、小選挙区で決定的な票の上乗せをしている池田教団による自公政権を、肯定していることになる。つまりそれは、公明党が平和の党を詐称して、解釈改憲という手口で、集団的自衛権の行使を容認した法案を通し、その上、今夏の国政選挙で勝った暁には、ヒトラーの手口を真似て、戦時中の国家主義をほうふつとさせる自民党改憲草案を実現させて、平和憲法をぶっ壊そうとしていることを、不問に付していることになる。

 なお、筆者のいう「巨大教団に一気に成り上がり、貪欲の限りを尽くしていた頃の池田大作」の様子は、英国の歴史家アーノルド・トインビーの孫娘でジャーナリストの孫娘・ポリー・トインビーが、1984519日付の英紙ガーディアンに載せた記事に詳しい。


「トインビー博士の孫娘の手記1」

http://love.ap.teacup.com/soka/25.html


「トインビー博士の孫娘の手記2」

http://love.ap.teacup.com/soka/24.html


東洋経済オンラインの島田氏の記事「創価学会はなぜ社会から嫌われるのか 戦後社会が育てた巨大教団」

http://toyokeizai.net/articles/-/111672

posted by ssk at 18:56| Comment(0) | 随筆
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