3月17日付の毎日新聞夕刊に「特集ワイド:「民主・維新・共産・生活・社民」VS「自民・公明」 「野合」って何ですか?」という記事があり、なかなか興味深い記事だった。
http://mainichi.jp/articles/20160317/dde/012/010/003000c
毎日新聞は、たまに夕刊でおもしろい記事を書く。朝刊だと人目につき、自公政権に目をつけられるからだろう。その点が、いかにも記者クラブメディアらしいが、この記事のなかで、一点、気になる個所があった。
それは最後のほうの、こういう下りの個所。
「自公協力も安泰ではない。「創価学会の研究」の著者で首都大学東京の玉野和志教授(社会学)は「公明党の支持基盤である創価学会は、グローバル企業に勤め安倍政権を支持するエリート層と、平和主義や福祉を重視する伝統的な庶民層に分かれる。エリート層が成長神話をけん引して目標になっているうちは自民党と結びつく動機があるが、安倍政権が格差社会の底辺を切り捨てた時、神話は崩れ、政党協力の組み合わせが変わる可能性はある」と指摘。憲法と安保関連法が争点となる参院選では「安倍政権に批判的な庶民層の反応が鈍く、熱心に自民候補を応援しない選挙区も出るだろう」と語る」
こういうふうにあるのだが、筆者は、玉野氏は、見誤っている、と思う。玉野氏の見通しだと、通常の有権者の行動原理と一緒である。池田大作教は、通常の有権者とは、まったく違う。
そもそも、「神話は崩れ」云々というが、最大の神話だった、池田大作党イコール平和の党、という神話は、すでに昨年の時点で完全に瓦解しているのに、教団員たちの投票行動には一向に変化はない。神話などいくら崩壊しても、信者たちは池田党に投票し続けるのである。
通常の有権者なら、あの政党、あの議員なら、ちゃんとした政治をしてくれるのではないか、とか、こういう点を改善されるのではないか、とか考えるものだが、池田教団の場合、まったく違う。信者たちは、たとえ個人的にコーメートーのことをどんなにおかしい、と思っていても、池田センセーが入れろ、と言っているから、とか、池田センセーがつくった党だから、とか、池田センセーが全国で合計1000万人がコーメートーに投票するのが悲願と言っているから、とか、コーメートーに自分も入れ他人にも勧めたら功徳がある、幸せになれる、とか、コーメートーを勝たせることがシテーフニ(信者たちの合言葉のひとつ。しショーとデシは一体という意味の教団用語)などと言って、投票しているのである。だから、いつまでも集票マシーンとして稼働し続ける。要するに、通常の有権者から見ると、いかれている。カルト教団たるゆえんである。