2016年01月11日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 三十二

 そして、吉田真澄氏は、こう語った。

 「京都市の条例をつくった人、といってよいと思います。この人とお目にかかって、条例の中身をいちいち点検していきました。法律家という視点からして、読めるのは、どうだ、と。すると、京都市は、もともとは、エサやり行為そのものに対して、規制をつくるということをベースに考えていた、ということで、そう新聞にも書かれていましたが、条例は、縦からみても、横からみても、どこからみても、そうはなっていない。つまり、結果責任。それによって、周辺環境を悪化させる、という状況が出てくれば、それに対しては罰則の対象にする、こういうことになっていたわけです。

 それで私が、『これは行為責任ではなしに、結果責任ですよね?』と確認をしたら、担当者は、かなり青い顔をして、そのあとは、言葉もほとんど出なかった、という状況でした。

 京都市のこの条例は、もともとはエサやり行為そのものを規制の対象にし、それについて何らかの状況があれば罰則をと、こういうことを考えていたようですが、私が指摘をしたことに基づいて、これは結果責任以外には無理だ、という判断をせざるを得なかった、そこだけは実は私がたしかに、かかわりをもったといえば、かかわりをもったところであります」

 これが事実とすれば、たしかに、京都市は、条例成立後に市民に告知したパンフレットや市民しんぶん、KBS京都(京都放送)のCMで、表向きは、「餌やりは周囲に迷惑をかけないようにしましょう」「条例では、野良猫に餌を与えるときは周辺に迷惑とならないよう適切な方法で行うことを定めています。野良猫への適切な餌のやり方の基準を守り、周辺の皆様の理解も得られるよう、お願いします」「残飯ごみの放置や周囲に悪影響を及ぼすえさやりをしない」「えさやりにも周囲への思いやりが必要」「餌やり 迷惑をかけない。ふん尿の始末などを」と言ったフレーズを流していた。それは、あたかも、置きエサ、撒きエサという、明らかにトラブルになるエサのやり方でなけば問題なし、というニュアンスだった。

 このように京都市が、置きエサで近隣に迷惑をかけなければ、野良猫にエサをやってもオッケィーであるかのように表向きはなったのは、吉田真澄氏の話が事実なら、吉田真澄氏が、この条例の罰則対象は、行為責任ではなく結果責任である、と釘を刺したことが功を奏したことになる。そうであるならば、そのことについては、野良猫たちも一定の評価をしているかもしれない。

 だが、この直談判をしたという話の直後に、吉田真澄氏は、こう語った。

 「それ以外のことについては、あまりにも私は、京都では、私は、申し上げたように、色んな関係があるので、私の発言というのは、非常に重要なものになってくるはずだから、できるだけこれについては、公の場では、唯一、植田先生のその会合で、この条例はあまりできがよくない、という話はした、と記憶をしておりますが、それ以外は特にはやってこなかったというわけであります」

 つまり、京都市については、色々な人間関係が濃厚にあるので、言えない、もの申せない、というわけ。京都村の動物行政のなかで重要な立場としての人間関係があるので、波風立つことは言えない、ということであり、これはまさに、京都市役所という権力との良好な関係を維持しようとするばかりに反対できない、という、村社会特有の事情が働いていることを、正直に吐露したことになる。

 では、条例ができたあとの現実はどうかといえば、事態はまさに、猫エサやり禁止条例“発動”の様相を呈しているのである。

 (続く)
posted by ssk at 20:00| Comment(0) | 連載
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