その席で吉田真澄氏は、動物愛護行政の歴史を話したあと、全国で、以前よりは整備が行き届いた施設である動物愛護センターができてきている、と述べた後、こう語った。
「色々と今日の話のなかでもでてきた、京都の動物愛護センターというのも、一連の(全国的な)流れのなかで出てきたものだ、というふうに理解をしてよいと思います。そして、京都の場合には、今日の一つの重要なテーマであった、野良猫へのエサやりというものが非常に重要な対象になっている条例というものができ、それが効力をもつ施行された時と、おおむね、この京都動物愛護センターの開所が重なったものですから、『どうも、ウサンくさい』というような言い方がされているということではないか、というふうに思っております。
さらにいえば、私個人では、私がこの条例の中身を決めるについて、深くかかわったのではないか、という、そういうウワサが一時流れた」
つまり、全国一ともいわれる動物愛護センターというアメダマと引き換えに、エサやり禁止条例という痛すぎるムチが導入された、そして、その条例の作成に、動物法の権威である法律家の吉田真澄氏は深く携わった、このように巷では疑いの目で見られているというのである。
次いで吉田真澄氏は、こう語った。
「私はもちろん京都市の議員あるいは職員のことは比較的よく知っている立場にはあります。それで、たまたま植田先生の会で2月に京都市の条例をテーマにした集会があり、そこで私が基調講演を頼まれて話をする、ということになった」
これは前述した2月7日の集会である。
なお、この時点では、京都市の条例の条文は明らかになっていなかった。その後、議会に正式に提出されて可決成立し、その後、京都市は条例の施行規則等をつくった。こうして形が鮮明になっていく中で、吉田氏は、京都市の条例をつくった中枢の人物と会ったという。
(続く)