感じる、というよりも、実際に吉田真澄氏は、そういう意味合いのことを、自ら言っている。
吉田氏が公の場で、京都市の野良猫エサやり禁止条例について発言しているのを初めて筆者が見たのは、2015年2月7日のこと。この日、THEペット法塾が急遽、「京都市・野良猫餌やり禁止条例と野良猫保護――今みんなで考える問題・猫餌やり禁止 新しい形の殺処分――」と題する緊急集会を、京都市内の池坊短大で開催した。
その集会の冒頭、吉田眞澄氏は、こう語った。
「本来的にいえば、京都市が、あるいは京都市民が、この問題について、自分達が一体いかように考えればよいのか、ということを、真っ先に、この種の会合をつくって議論するのが、良い形ではないか、というふうに思っていましたが、なかなか、そういうことに手を上げる組織がない、ということは、京都市にとって残念なことであります。他方で、この会を、先頭に立って開催したTHEペット法塾、とりわけ、植田代表には、心から敬意を表するものであります」(写真は吉田氏。同集会にて)
そして、吉田氏は、「私は京都市民であります。生まれも育ちも京都であります」といい、これまで京都市が「動物愛護推進計画」をつくり、理想的な「動物愛護センター(仮称)」を建設することに決め、さらに世界的にも珍しい「京都動物愛護憲章」を定めたことに、誇りと期待をもってきたが、もしこの条例(野良猫餌やり禁止条例)ができてしまえば、京都は日本のなかでも、かなり突出してペットの受け入れの門の狭い街になる。そうすると、京都に動物が入ってくると、(住民から)奇異の目で見られる。はっきり言ってそれが一番怖い。そういう目があれば、果たしてここで安らかに動物たちが散歩することができますか?答えはノーであります。およそヨーロッパの様々な街と比べれば、京都は“非常に異様な街”だとヨーロッパの人たちに思われる。そして、日本人にさえ、「自分たちの街と京都の街は違う」と思われる、と懸念を吐露した。
そして、野良猫の餌やりが悪いことだと思っていません。構造的にいえば、一番悪いのは、その猫を遺棄した人であります。遺棄は、いうまでもなく犯罪です。京都市は、遺棄をする人については、何も触れていない。これは野良猫の問題を根本的に解決しようという姿勢がない表れ、と痛烈に批判した。
ことの成り行きに不安をおぼえる人々にとって、この吉田真澄氏の発言は心強かったに違いない。
その後、野良猫エサやり禁止条例が成立した後、THEペット法塾は、2015年3月26日に東京の参院議員会館で集会を開いた。このとき、代表の植田勝博・弁護士は、野良猫エサやり禁止条例について、吉田真澄氏とは意見が合わなかったため、今回は吉田先生は参加しない形となった、という趣旨の説明をたしかちらっと言っていた。
その後も、THEペット法塾の東京の集会があったが、やはり吉田真澄氏は参加していなかった。
だが、前述した2015年11月21日にTHEペット法塾が大阪市内で開催した「動物問題交流会」に、久々に吉田真澄氏が来ていた。
(続く)