2013年8月11日付テレビ朝日「ザ・スクープスペシャル 戦後68年特別企画 原発と原爆〜日本の原子力とアメリカの影〜」によると、当時、アメリカではこういう議論がされていたことが、のちに開示された機密文書により明らかになっているという。
「『平和と繁栄を生む原子力』の方が、『戦争を生む原子力』よりも、世界に受け入れられやすい」「原子力が建設的に利用されれば、核兵器も受け入れやすくなるだろう」(1952年10月、米国防総省機密文書)
「現在の世界の世論の下では、我々は核兵器を使用できない」「その感情を緩和するため、あらゆる努力をすべきだ」(1953年3月、米国家安全保障会議議事録)
「アメリカが同盟国に開示する原子力の情報は、次のカテゴリーを含む。『核兵器の戦略的活用』」(1953年12月、米国家安全保障会議報告書)
また、同番組のインタビューでは、元米エネルギー省政策顧問ロバート・アルバレスがこう語っている。
「原子力の平和利用と核兵器は、安全保障政策上、表裏一体で、核には二面性があるのです」
つまり平和利用という名目で、西側諸国に原子力技術を供与し、核配備につなげようという狙いがある。
このように、後述の大々的な「原子力の平和利用」キャンペーンが始まるのは1953年からだが、讀賣新聞では、その約5年前から始まっていることを、三氏の手記は示している。
しかも、仁科芳雄の手記「原子力と平和」の約3か月前の1948年5月21日付の讀賣新聞朝刊には、「原子力を人類福祉へ ト大統領演説 利用法の発見近し」という記事もある。
それによると、「トルーマン米大統領は2日、ワシントン全国保健大会集会で、原子力の平和利用について、偉大な発見が目前に迫っていると、次のとおり演説した」という。
「原子力の平時の応用については、偉大な仕事が進行中であると聞いている。故ヘンリー・フォード氏も、かつて第二次大戦中の科学的研究の成果は、戦争による巨大な損害を補って余りあるであろう、とわたくしに述べたことがあるが、フォード氏の予言はある程度まで真実になろうとしている、というのは、我々は現在、原子力を破壊目的よりむしろ、人類の福祉に役立つように利用する方法を発見しようとしているからである、わたくしは世界を素晴らしい住家とするような偉大な発見が目前に迫っているということを聞いている、我々自身もこのような情勢に対応するため、ただちに準備を整えようではないか」
これはのちの「アトムズ・フォー・ピース」の祖形といえる。
なお、「原発・正力・CIA 機密文書で読む昭和裏面史」(有馬哲夫、新潮社、2008年2月)に、このトルーマン演説の約1年後の1949年6月に、アメリカ上院で原子力委員長ルイス・ストローズも加わって原子力の平和利用を促進する政策が議論された、と書いてある。
また、のちの「アトムズ・フォー・ピース」政策について、日本では色々な反応があったが、「原子力の平和利用についてもっとも早くから強い関心を持った人々は(中略)学者のグループだったろう。日本の原子力の研究は戦前までさかのぼることができる。その中心人物の一人は東京大学出身の物理学者、仁科芳雄博士だった」とある。
こうしたくだりは、筆者の指摘と符合する。つまり、原発イコール原爆という爪を隠した「アトムズ・フォー・ピース」政策の祖形は、1949年以降の讀賣新聞にみることができる。
ちなみに、ほかの大手紙の朝日、毎日新聞では、こうした記載は一切ない。
すでに占領中から讀賣新聞は、どこよりも「原発(=核兵器)」と密接につながっていた。
(続く)