「まず第一が、大学教授の地位を現在のごとく恒久的なものとしないで、研究あるいは後輩の指導に実績を上げない人は、どしどし免職にすることである。(中略)
第二には、大学の制度を変えて、現在のごとく講座の数をやたらに多くせず、これをできるだけ少なくし、一講座の定員を、うんと増加する、そして、その中の一人が名実ともに研究主任となり、その講座における研究を統率する、研究主任の、仕事のうえにおける命令は絶対であり、統制を破るものは、どしどし首にする。
いまのように一つの大学の一学部に十近くの講座があり、十人近くも教授がいて、各々が別々なことをやっていたのでは、はなはだ能率があがらない、一つの大学に何から何まで設備される必要はないのだから、できるだけ講座の数は減らして、ある種の研究に集中するようにしなければ駄目である。
第三に、全国の各大学の各講座の統率者が、現在の学術研究会議のようなものを組織する。
そして、この会議が、我が国における学術界の参謀本部となり、軍部や企画院と連絡をとり、研究方針を決定し、資材の分配を行い、また教授、助教授の任免の権限ももつ、大学以外の各省や民間の研究所からも、それぞれ指導者が、この会議の会員として加わる」
こうした言い分は、文系学部を廃止せよ、という安倍自公政権と似ている。
そして次に、菊地は、こう精神論を述べている。
「今日のごとく日本の科学が未だに世界の水準に達していないのも、要するにその時代のわれわれの努力が足りなかったのである。われわれは、その責任を痛感すべきであって、いまさら自由にしておいてくれなければ能率が上がらない、などと言えた義理ではあるまいと思う。(中略)
われわれの当面しているこの国難を克服する唯一の道は、われわれのすべてが私を捨てて、国に尽くす強い覚悟をもって立つ以外に手はないのである。いわゆる一億一心滅私奉公の精神を身に体現させる以外に手はないのである。(中略)
国のために命をすてると、口でいうのは比較的簡単であるが、静かに自分の心に反省してみて、おれにその覚悟が十分ある、と言い得る人が、一体何人あるだろうか。ちょっと食糧の不安でも起こると、目の色を変えるのではないか。米が欠乏したら、自分が一番先に飢え死にしよう、燃料がなくなったら自分が一番先に凍死しようという覚悟が、腹からできているかどうか、よくよく反省してみることだ。(中略)
日本の将来の運命が、科学の今後の発達に非常に影響されるところにあることを思うならば、それを託されているわれわれの責任がいかに重いかということを、痛切に感じなければならないはずである。
特に、幾人かの人を統率して行うというような立場にある人は、敵前にあるトーチカを守る部隊長の覚悟をもって当たるべきである。
業績が上がらないということは、敵にトーチカを明け渡すと同じ罪に相当するのである。死んで陛下にお詫びする覚悟をもって、研究に従事すべきである。業績も上げずに地位にへばりついているような真似は、到底できるはずはないのである。
われわれ一同が、この気持ちのもとに団結すれば、どんな改革もたちまちでき上がる」
なお、菊地正士がこの手記を載せたのは38歳のとき。つまり、若造にもかかわらず、軍部の手先になって、年配の学者たちの“首斬りの嵐”を宣告して、学術界を取り仕切っている。戦時中の原子力の研究が、いかに軍部から重宝されていたかを窺わせる。
(続く)