2015年10月01日

京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで 苦情の内実 四十一

 英国の動物保護団体「フレッシュフィールズ」は、さらにこう書いている。

 「しかし、継続的な避妊去勢手術の計画への支持を拒絶して、無制限にエサやりを続けると、野良猫のコロニーのサイズが大きくなり、野良猫が増えて、地元住民にとって大問題になっていきます。

 そのような状況では、教育が不可欠です。どんどんエスカレートして増えていく野良猫の数に対して、どう対処してよいのかわからないという無知には、効果的に取り組むべきです。エネルギッシュに、率先し、先を見越して行動しなければなりません」

 フレッシュフィールズのこの指摘は、日本にとっても示唆深い。

 このなかの「避妊去勢手術の活動を支持せず」「無制限なエサやり」を続ける人、とは、京都市のクレーム事例で縷々出てきた「置きエサ・撒きエサ」を続けて「避妊去勢手術」をしない、「孤立したエサやり」と酷似している。京都市だけではない。こういう人たちは全国にいる。どう対処すればよいのか?

 それは、牧原プランにある、無責任なエサやりをするな、とか、地域ぐるみでエサやり禁止、ではない。

 「エデュケーション(教育)」こそ、必要なのである。もちろん、孤立したエサやりとは、コミュニケーションを取ることさえ難しいケースもある。だが、情熱をもって率先して、孤立したエサやりに接していかなければならないのだ。

 つまり、孤立したエサやりを排除するのではなく、巻き込んで参加させて、学んでもらって、いっぱしの野良猫保護の慈善活動家にしていくことこそ、解決の道なのである。

 なお、前出の、元東京都新宿区の保健所衛生課職員の高木優治氏に取材した折、筆者はこう聞いた。

 「置きエサをしている人達は、一人で、孤立して、なかには人の言う事も聞かない人もいる。家のなかでも何十匹も飼っているケースもある。そういう人を放置するわけにもいかない。どうすればよいと思いますか?」

 すると高木氏は、「地域の問題として、コミュニケーションをとって何とかしていくしか手がないですよね。その人が孤立している可能性が強ければ、誰がするかは別にして、『こんにちは』という挨拶を、継続的にしたり、『お宅の猫ちゃん、どう?』と話ができる人をつくっていくしかない」と語っていた。

 迂遠なようだが、「挨拶」と「会話」から全てが始まるといえよう。

 また、高木氏はこう指摘もしていた。「アニマルホーダーと言われている人たちは、ある種、精神的な問題を抱えているとか、対人関係が苦手だとかいう、そういう別要素も入ってくる。これをどうやってみるか、ということも必要だと思います」

 (続く)

posted by ssk at 20:00| Comment(0) | 連載
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