2015年09月02日

「池田教団コーメートーは政教一致の憲法違反」への道ひらく安保法制の「解釈改憲」

 安保法制の成否を握る池田教団コーメートーは、平和の党をかたって憲法学者の圧倒的多数が違憲と断じる安保法制を、憲法改正を経ずに時の政権がどうとでも憲法を解釈できる「解釈改憲」という禁じ手をつかって、通そうとしている。

 これは、池田教団とコーメートーは政教一致の憲法違反である、という政府見解への道ひらくものだ。池田教団は、自分の首を自分で締める時限装置を作動させたに等しい。

 憲法20条には「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」とある。

 この中の、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」というのは、政教分離の原則を明記している。

 この「いかなる宗教団体も、(中略)政治上の権力を行使してはならない」との一文に、池田教団コーメートーは違反している、という指摘は多々ある。

 だが、この「政教分離の規定」について、政府見解では、こう解釈している。

 「信教の自由の保障を実質的なものにするため、国及びその機関が国権行使の場面において宗教に介入しまたは関与することを排除する趣旨のものである」

 つまり、国が宗教団体に対して介入をするのは違憲だが、宗教団体が政治上の権力を行使するのは違憲ではない、というもので、憲法にある「いかなる宗教団体も、(中略)政治上の権力を行使してはならない」との一文がスッポリ抜け落ちた解釈となっている。

 だが、これについては異論が多い。

 例えば、平成71127日の参院・宗教法人等に関する特別委員会で、自民党の関根則之氏は、こう言っている。

 「我が国の宗教団体の中で単立巨大宗教団体が最近大変政治活動を活発におやりになっております」

 「私は、政教分離というのは、まさに政治と宗教が分離するということでしょう、二つはくっついちゃだめだ、離れていなさいと、そういう原則だと思うんですよ。

 言葉の議論をするつもりはありませんけれども、これは国の権力が宗教活動に介入してはいけない、宗教団体に。それもあるけれども、逆に宗教団体が国権の行使、国の統治行為、そういうものに介入していってはいけない。介入というのは難しいかもしれませんが、それをコントロールして宗教団体が自分で政治をやっちゃう、そんなことはあってはならない。要するに、双方向性ではないかと思うんですよ」

 「アメリカが日本を占領したときに、日本の憲法の草案はこれははっきりしている、アメリカがつくったんですから。それをもちろん修正はしていますよ。

 ところが、憲法二十条という規定は、最初提案されたときには十八条という条文だった。番号が変わっただけですよ。国会の審議いろいろありましたけれども、国会の審議を経て原案どおり可決されているんです。ナンバーが十八から二十に変わっただけなんです。内容はそのまま、マッカーサー原案そのままの憲法がここに書いてあるわけですよ。(中略)

 このもとを、二十条のもとを見ますとこういうふうに書いてあるんですよ。「ノー レリジャス オーガニゼーション シャル レシーブェニー プリビレッジイズ フロム ザ ステート ノア エクササイズ エニー ポリィティカル オーソリティー」、これがもとの条文ですよ。この「ポリィティカル・オーソリティー」というのを何と訳しているんですか。政治上の権力と訳しているんですよ。

 ところが、これはもっと素直に訳せば、「ポリィティカル・オーソリティー」というのは政権のことですよ。政治権力のことですよ。英語の達者な方もいらっしゃると思いますけれども、そういう規定なんですよ。宗教団体が、エニー・レリジャス・オーガニゼーションが、ポリィティカル・オーソリティーをエクササイズしてはならない、行使してはならないというのがこの英語の原文なんですよ。これをアメリカ人やイギリス人に見せたら、まさに宗教団体が国権に介入していってはいけないんだ、国権をつかんでいってはいけないんだと、こういう規定だというふうに理解しますよ」

 「憲法を素直に読んだら、憲法二十条第一項後段にははっきり書いてあるんですから。いかなる宗教団体も政治上の権力、ポリティカルパワーを行使してはならないと書いてあるんです。そういう宗教団体というものの行動規制をしているんですよ、憲法ははっきり。

 それを犯してしまっても、片一方で国権が宗教に介入することが禁止されているからそれでいいんだと。(中略)はっきり書いてある憲法二十条第一項後段の規定を犯してもいいなんという、そんな解釈はとても承認するわけにはいかない。従来は通ってきたかもしれないけれども、これは制度の本質、憲法の精神、そういうものに照らしたときに考え方を変えるべきだというふうに私は思います。(中略)

 したがって、政教分離の原則は一方向だけではないんだ、双方向だ、そういうふうに政府の考え方、解釈を変えてもらいたい。(中略)

 宗教団体も政治活動をやってもいいですよ。これはいい人だ、おれたちの信条と全く同じ、まじめな人だ、そういう人を選挙で出そうよということ、その程度の運動をすることはいいですよ。それは、しかしおのずから限界がある。その限界を示しているのが憲法二十条第一項後段なんですよ。宗教団体は政治上の権力を行使してはならない、そういう規定があるんですよ。その規定からいっておのずから限界がある。限界があるんだという解釈をしっかり出してもらいたい」

 「この政教分離という原則はヨーロッパで起こってきた、それがアメリカを通じて日本に入ってきた、そういう概念。どう見たってそれはキリスト教から近代社会、近代政治というものが独立をする、世俗化ですよ。昔は神の言葉で政治をやったんです、神のお告げで政治をやったんですよ。それから人間の論理で政治をやるようになったんです。それが近代民主主義です、議会制民主主義なんですよ。神からの独立。神からの独立って言葉はいいけれども、世俗化なんですよ。昔は神様が政治をやってくれたんです。今はそうじゃない。(中略)

 だから、数が多ければだれでもいい、だれが政権をとってもいいんですよ、国民から支持を受ければ。農業党も結構、工業党も結構、商業党だっていいんです。だれだっていいんですよ。米を開放したいという政党があったらそれでもいい。緑を守ろうという政党があったら、それが政権とったって構わない。ただ、宗教だけはだめですよ、宗教が政権をとることはだめですよ、それを決めたのが憲法二十条の精神なんです。

 憲法二十条というのは、ほかの、いろんな政党だとか信条の持ち主が政権をとる、政権に近づくために選挙法をきちっと使ってやることは構わない、しかし宗教団体だけはだめよというのを書いたのが憲法二十条の第一項後段なんです。いかなる宗教団体も政治上の権力を行使してはならないと書いてある。これは、そういう歴史の上に法治国として法定されているんですよ、憲法ではっきり。

 だから、あっちこっち持っていかないで、政教分離の原則は一方向だよなんて、そんなこと言わないで、まさによって来たところが、それは国権からの介入もだめだけれども、宗教団体が政権とっちゃだめだよ、それを定めた規定なんだから、双方向性ではないか。それを、勝手に政教分離の原則は国権からの介入を禁止した一方向性のものだということを前提にしておいて、そういう定義規定をつくっておいて、宗教団体が国権に介入したという事実、明らかに憲法二十条第一項後段の規定に該当するような、違反するような行動が起こっていても、自分で勝手に解釈した、こっちが残っているからそれでいいんだ、そんな解釈はとても容認することができない。

 したがって、少なくもこの政教分離の原則というのは双方向性のものであるということと、いいですか、それと憲法に書いてあることをきちんと守らなければだめですよということを言っているんですよ」

 「オウムは漫画チックなことをやりましたよ。しかし、あんなものじゃなくて、もっともっと計画的に組織的に幅広くやってそれをしたら、政権をとっちゃったら、代議士をいっぱいつくってとっちゃったときにどうなんだ。そんなことできるはずがないじゃないかなんて言っていますけれども、安心していたら危ないんですよ。日本の歴史の中ではないんですよ。宗教が日本の政権をとっちゃったなんていうなにはないんですよ。ヨーロッパにはいっぱいあるんですよ」

 (続く)

posted by ssk at 19:24| Comment(0) | 連載
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