2017年03月31日

「共謀罪」成立をたくらむ安倍自公政権

 平成二十九年三月十七月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「「共謀罪」成立をたくらむ安倍自公政権」


 を企画、取材、執筆しました。



 自公政権が「共謀罪」成立をたくらんでいる。

 共謀罪とは、広範囲にわたる犯罪(277の罪)を計画段階で処罰する「共謀罪」法案(組織的犯罪処罰法改正案)を指す。

 「共謀」とは、「二人以上の者が、共同でたくらむこと」(広辞苑第六版)。つまり、犯罪を実行する前の、たくらんだ段階で逮捕してしまおう、という法案である。これは例によって現行の刑事法、そして憲法を根底から覆す法案であり、いかにも自公政権らしい法案である。

 大学などで刑法を学ぶと、最初に出てくるのが、「罪刑法定主義」という言葉である。罪刑法定主義とは、「どのような行為が処罰されるか及びその場合どのような刑罰が加えられるかは行為前の法律(成文法)によってだけ定められるとする立法上の立場。近代刑罰論における基本原則である」(法律用語辞典 第4版(有斐閣刊))

 また、罪刑法定主義は、成文法として国会で成立すれば、どんな法律の中身でもよいというわけではない。その刑罰が国民の人権を侵害したり、合理的根拠のない場合は、刑罰権の濫用に当たるとされる。

 こうして成文化した行為をした者が、犯罪に該当する要件となる。つまり、「行為がなければ犯罪はない」というのが、刑事法の鉄の掟である。

 なぜ行為がなければ犯罪は成立しないのかというと、歴史をさかのぼれば、時の権力者に都合の悪い人々は、往々にして、政治犯などというくくりで逮捕監禁して葬ってきた。要するに、権力者が恣意的に国民に刑を科すことのできないよう、近代国家では、罪刑法定主義が鉄則となっているのである。(参考、放送大学ラジオ「刑事法第2回」)

 無論、自公政権が成立させようとしている共謀罪は、その罪刑法定主義をブチ壊す暴挙である。そのため、法律家や学者などを中心に、反対の声が沸き起こっている。

 例えば、16日付朝日新聞電子版によると、「法学や政治学などの専門家で作る『立憲デモクラシーの会』が15日、犯罪を計画段階で処罰する『共謀罪』の趣旨を盛り込んだ組織的犯罪処罰法改正案に反対する声明を発表した。

 その会見で同会共同代表の長谷部恭男・早大教授(憲法)は、「立憲主義の観点から、刑事法の基本原理を動かすには十分な理由が必要だが、必要性も合理性も立証されていない」「権力行使が最も鋭く現れるのが刑事罰の行使。それを抑制する刑事法の基本原則が揺るがされる。刑事法の原則は憲法の個々の条文の前提であり、そうした根幹が壊されようとしているのは重大な問題だ」と警鐘している。

 また、同会の五野井郁夫・高千穂大教授(国際政治学)は「人々が内面で物事を考えて、他人とつながって一緒に何かをする自由を脅かす。民主主義の営みを根幹から揺るがし危険だ。警察が人の内面に踏み込むということは、今まで戦後なかった事態だ」と指摘している。

 なお、同会の反対声明にはこうある。

 「政府は、広範囲にわたる犯罪を計画段階で処罰する「共謀罪」法案(組織的犯罪処罰法改正案)の今国会での成立を図っている。同法案は、対象とする数が当初案より絞られたとはいえ、277もの罪を対象とするもので、刑事罰の謙抑性の原則(人権を制約しかねない刑事罰は必要最小限にとどめるという原則)や、犯罪行為が既遂の場合に処罰するという原則など、刑事法の基本原則を揺るがしかねないとして、刑事法研究者からも広く、懸念や批判の声があがっている。

 政府は、国際的な組織犯罪の防止に関する国連条約(以下「国際的組織犯罪防止条約」という)を批准する上で同法案が不可欠であると説明している。しかし、この条約は、ConventionagainstTransnationalOrganizedCrimeという英語名からも分かる通り、国境を超えるorganizedcrimeの活動防止を目的とするものである。

organizedcrimeとは、マネーロンダリング、違法薬物・銃器の密輸・密売、売春目的での人身取引等の犯罪を、利得を目的として継続的に行う集団を指す(日本で言う「暴力団」、外国で言う「マフィア」)。organizedcrimeを『組織的犯罪』と訳すこと自体、妥当性に疑念があるが、277もの罪につき、共同で行う目的を持つ人の集まりを包括的に『組織的犯罪集団』とし、その活動を計画段階で処罰対象とする共謀罪法案と、国際的組織犯罪防止条約とでは、そもそもの趣旨・目的が異なる」

 次から次へと壊憲法を成立させる安倍大作自公政権。早く政権交代して、専守防衛、罪刑法定主義といった先人が築き大切に守ってきた精神を体現した社会を、取り戻さなければならない。(佐々木奎一)

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2017年03月27日

衆愚政治の典型的な支持者像

 平成二十九年三月十三月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「衆愚政治の典型的な支持者像」


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 「極右政党、欧州に烈風、15日にオランダ議会選、仏独に連鎖」という記事が12日付日本経済新聞朝刊にある。それによると、「2017年に国政選挙を迎える欧州の主要国で、ポピュリズム(大衆迎合主義)を前面にした極右政党が勢いづいている。試金石は議会選が15日に迫ったオランダ。自由党のウィルダース党首(53)が第1党をうかがう。45月の仏大統領選は国民戦線(FN)のルペン党首(48)が首位を争う。連邦議会選を9月に控えたドイツも『ドイツのための選択肢(AfD)』が力を増す。いずれも『反グローバル』や『移民排斥』などを訴え、既存の政治を厳しく批判する。選挙の結果次第では世界の政治・経済秩序に影響しかねない。

 『我々のオランダを取り戻そう』。国民にこう呼びかけるウィルダース氏はEU離脱、イスラム教の聖典コーランや礼拝所の廃止などを公約にしている。世界から批判を浴びたトランプ米大統領によるイスラム圏の入国制限令には『よくやった。私も同じことをする』と応じた」

 なお、この極右政治家ウィルダースは、テレビ放送で「オランダからモロッコ人を追い出せ」などと国民を扇動したかどで、昨年129日にはオランダ地裁に有罪判決を言い渡されている。(同日付ポートフォリオ・ニュースより)

 前出の日本経済新聞によると、オランダの街中で、この自由党(PVV)のウィルダースを支持する人々の声を聞いたところ、こんな発言があったという。

 「『(政治の中心地)ハーグには貧しくて遠足もできない子どもが暮らす地域もある。政治家は新しいオペラセンターしか考えていない』。タクシー運転手のブリューンさん(49)は憤った。友人のサジャーディさん(24)はイラン移民だが、賛同した。『僕のヒーロー』(ボンシンクさん=24)とウィルダース氏に心酔する若者も多い。

 『政治家の中で普通の人の代表はウィルダースだけ』。ウィルダース氏が生まれたオランダ南部の町フェンローのカフェで会った男性ペルゼールさん(53)は自由党を支持。『普通のオランダ人のための政治』を望むが、今の政治は自分たちを無視していると感じている」

 こういう「不満層」が支持基盤となっている。そして、この不満層については、こんな分析がある。

 「32日に発表された英国の経済紙フィナンシャル・タイムズ(FT)の調査分析によれば、PVV党支持と教育程度の相関性が非常に高いことがわかった。これまで、移民の数とPVV党支持者数の相関性が取りざたされていたが、実際には相関性はそれほど高くない。たしかに移民の割合が高いロッテルダム市でのPVV党支持者は多いが、同じように移民が多いアムステルダムでの支持者は少ない。

 中等教育や職業教育を中途でやめた人のPVV支持者は多い。FTの調査では学歴と極右政党支持の相関性が、他の要因(都市部か地方、移民の割合、年齢など)に比較すると圧倒的に高いことがわかった。低学歴者は極右に走りやすいというのは単純すぎる結論だとしてFTはこれを却下しているが、高学歴者は自らの考えと分析で選挙に臨むのでディベートを避け続けてきたPVV党首ウィルダース氏には投票しないと結論づけている」(32日付同)

 このように、ポピュリズムというのは、低学力の不満層を主軸に権力を掌握しようとする。衆愚政治といわれるゆえんである。無論、オランダだけではなく、日本でも同じである。(佐々木奎一)


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2017年03月25日

借金癖の浪費者を食い物にしてよしとする社会

 平成二十九年三月十月付、のauのニュースサイト


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 「借金癖の浪費者を食い物にしてよしとする社会」


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 先月から朝日新聞が依存症についての連載をしている。9日付朝刊は万引きをテーマにしているが、先月は「ギャンブル」がテーマだった。そこでは一人の北九州の男性を紹介していた。

 記事によると、その男性は大学一年のときにパチンコを始め、たまに遊んだ。卒業後、製薬会社に勤め、同僚の女性と結婚。スポーツ用品店に転職した25歳ごろからパチンコが習慣づき、週12回通い始め、30代のある休日朝、2千円を元手に大当たりし、夕方までに28万円稼いだ。「この金をもっと増やそう」と仕事の後や休日に通い詰めたが、3か月後には消え失せた。

 あまりの金遣いの荒さに、妻は金を簡単に渡さなくなると、「くれんかったら、給料もらっても一銭もやらんぞ」と声を荒らげたこともあった。そして駅前の大手消費者金融で金を借り始め、限度額の50万円を借り、パチンコにふけり、借金を繰り返し、月給20万円のうち、利息返済だけで月8万円に上ったが、「大勝ちすれば一気に返せる」と、ますますパチンコにはまった。

1999年、43歳のときに大手企業の営業職をやめ、害虫駆除の自営業を始めたが、朝から閉店までパチンコ店に入り浸るようになった。3万円程度勝つことがあっても、「28万円勝った時の記憶が鮮やかで、うれしくもなんともなかった」。消費者金融からの借り入れは6社約500万円まで膨れ上がったが、台に向かえば「大当たり、こないかな」と夢見て、気分は高揚したという。

 借金の返済期日に合わせ、利息だけ払い込み、パチンコ代は確保した。そのうち、消費者金融から借りられなくなった。

 すると、この男性は、母親に「商売で使う材料費が足りない」などとうそをつき、金をせびり、2001年の年明けには、息子2人の学習机の引き出しの鍵をボールペンの先でこじ開け、10万円のお年玉を盗み、子どもが通う学校の担任教諭や教頭の自宅に行き、「車のタイヤがパンクしたが手持ちの金がない」とうそをつき、数万円借りたりし始めた。その後、男性はギャンブル依存症と診断され、3か月入院した。

 その後、この男性は更生した、という話なのだが、筆者が言いたいのは、かつては、こういう人は、「浪費者」として扱うことができたという点である。「準禁治産制度」という制度がかつてあり、浪費者本人、配偶者、四親等内の親族などの請求により、家庭裁判所は「準禁治産宣告」をして、その浪費者を「準禁治産者」とすることができた。準禁治産者になると、借金をしたり不動産の処分等をするには、保佐人の同意を得なければならず、保佐人の同意を得ないでした行為は取り消すことができた。

 要するに、前出の男性が浪費者として準禁治産宣告されれば、借金は取り消すことができた。

 なお、この準禁治産者は、浪費者の他に、心神耗弱者も含まれていたが、法改正により平成124月から、準禁治産者は被保佐人となった。そしてこのとき、浪費者は被保佐人から除外された。

 その理由は、準禁治産制度では、浪費者に準禁治産宣告を受けさせることが、浪費者本人の保護としてではなく、家族の財産保護のために利用されたり、準禁治産制度が親族から浪費者に対する制裁的な意味合いで利用されることが多かったことや、浪費者は性格には偏りがあるにしても十分な判断能力を持つので、金銭の使い方等に裁判所が介入することは、市民生活に対する過度な干渉となり不適切であることなどが理由といわれている。(参考、朝日中央グループHP

 では、浪費者を除いたことにより、どうなったか。それについて、法テラスHPには、こういうQAがある。「借金癖のある家族について、これ以上借金ができないようにする方法はありませんか?」という問いに対し、法テラスは、「単に浪費者だということで保佐人・補助人を付けることはできません」が、「生活費までも使い込んでしまうなど、金銭管理の能力が低いという状態が精神上の障害に基づく場合や、ギャンブル依存症のような精神的な病気の場合」には、その借金癖の人は被保佐人になる可能性があります、としている。

 つまりこれは、浪費の原因が精神の障害に基かなければ、被保佐人にはならない、という意味である。なお、浪費が精神の障害が原因か、それとも単なる浪費なのか、という違いはグレーゾーンといえよう。

 さらに同HPには「貸付自粛制度を利用する方法もあります」とある。この制度は「本人が、日本貸金業協会に対して、自らを自粛対象者とする旨を申告することにより、日本貸金業協会が、これに対応する情報を個人信用情報機関に登録し、一定期間、当該個人信用情報機関の会員に対して提供する制度です」とある。

 では、この貸付自粛制度を利用すれば、浪費者を制御できるのかというと、まったくそうではない。同HPの末尾には、「貸付自粛に法的拘束力はなく、また、個人信用情報機関の会員でない業者や、ヤミ金などからの借入れをとめることはできません」「また、一定期間経過後は、本人が貸付自粛情報の撤回をすることもできます」とある。

 要するに、法改正で成年後見制度になったことにより浪費者が野放しになり、浪費者が多重債務しても自己責任、という、浪費者を食い物にして儲けることをよしとする社会になりこんにちに至っているわけだが、前の制度に戻し、浪費者は被保佐人に加えるべきではないか。(佐々木奎一)

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2017年03月21日

急増する「空き家」現象

 平成二十九年三月六月付、のauのニュースサイト


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 「急増する「空き家」現象」


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 少子高齢化により、日本各地で「空き家」が問題視されている。総務省統計によると、全国の空き家数は820万戸、いまや7戸に1戸は空き家ということになっている。(13年、総務省「住宅・土地統計調査」)。

 がしかし、この数値にはマヤカシがある。空家数820万戸の半数は、賃貸用の住宅なのである。無論、賃貸用は、空き家の定番である草木が生え放題で人が管理しない無人の腐朽した家屋とは違い、価値が高い。また、総務省の空家には、建築中の住宅、普段は人の住んでいない別荘もカウントされている。それらを除いた空き家は、約320万戸であり、およそ20戸に1戸程度となる。(参考、月刊誌「東洋経済」15829日号)

 総務省がこうした詐欺的数字の操作をして「空き家率過去最高」などと煽るのは、全国で空き家撤去の機運を加速させるためと思われる。

 総務省の役人たちのイカサマぶりはさておき、今後、空き家率は上がり続け、2033年には今の2.6倍になるともいわれている(野村総合研究所の予測)。空き家問題が今後ますます顕在化していくのは確かといえよう。

 では、どうすればよいか。かわさきFM「不動産・相続お悩み相談室」という、不動産の専門家による番組で以前、「空き家になってしまった実家の処分について」というテーマを取り上げていた。(1691日)

 それによると空き家のなかには、親の遺産の地方の実家を受け継いでいるが、当の相続人は遠く離れた都心部に住んでおり、実家は放置して荒れ放題、というケースも多いという。なぜ空き家にしておくのかというと、思い入れの深い実家なので、他人に譲りたくない、それに売ろうと思っても、更地にする費用(大体200万円以上かかる)を差し引くと、売却しても赤字になるので割に合わない、それに地方なので固定資産税はそんなに高くないのでずっと住まないけど所有しておきたい、などといって空き家化するケースが多いという。

 今後、空き家がますます増える=不動産価格はますます下落することは必死なので、不動産の売り時はいつなのかというと、今である。そして、空き家が売却されて他の人が有効活用すれば、街並みの景観や治安もよくなり、世のため、人のためにもなる。だから、思い切ってどんなに安くても売却や無償譲渡で手放すべきである、という趣旨のことが放送されていた。

 ひょっとしたら空き家は過渡期の現象であり、将来は、不動産が今より格段に安くなり、土地を買い占めたり値段を吊り上げたりする連中はいなくなり、もっと手軽に不動産が流通するようになり、一人一人の住むための土地は増え、もっと住みよい国になる、かもしれない。(佐々木奎一)



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2017年03月16日

大学生の勉強時間「小学生以下」



 平成二十九年三月三月付、のauのニュースサイト


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 「大学生の勉強時間「小学生以下」」


 を企画、取材、執筆しました。



1日付の日本経済新聞朝刊に「学ぶ意欲、入学直後に定着、大学は『遊ぶ場所』じゃない」「学習時間、小6下回る」という記事がある。そこには、こう書いてある。

 「総務省の調査では、大学生の1日の平均学習時間は約3時間半。高校3年生より4割少なく、小学6年生をも下回る。大学進学率が5割を超え、『目的を持たずに進学する学生が増えている』(河合塾教育研究部の山本康二部長)のが一因だ。

 河合塾が大学に進学する理由を受験生に聞いたところ『希望する職種・業種に進みたいから』との答えが4割を超えた。一方、『幅広い教養を身につけたい』『専門知識を深めたい』は1割超にとどまった」

 さもありなん、という数値だが、そういう大学生ばかりではない。

 例えば、東大の授業は1コマ105分、休憩時間は10分(昼は50分)、16コマあり、朝8時半から夜8時半まで授業を行っている。

 その一端について、「さんま衝撃! 東大生は入学してからも12時間勉強!?」という記事がニュースサイト・ママテナ16317日付にある。

 それによると、313日(日)に放送されたフジテレビの「さんまの東大方程式」という現役東大生40人が出演した番組はこうだったという。

 「番組独自の調査によると『勉強、単位が一番の悩み』『入ってからもこんなに勉強しなければならないなら、早稲田大学に行けばよかった。若いうちは遊ぶべきだし、東大に来る人はバカだと思う』など、入ってからの勉強が大変、とつぶやく東大生が多いことが発覚。入学後も授業が多く、勉強漬けの日々に悩まされているという。

 東大は15年からカリキュラムが変更され、授業時間も90分から105分に拡大。授業数も多く、人によっては朝の8時半〜夜の8時半まで12時間も授業を受け続けるケースも。京都大学と比べても2時間半ほど授業時間が長いようだ。

 東大に首席合格した男子学生も『テストが多くてずっと勉強している。こんな生活でいいのかな?と思う。最近楽しかったことは何もない』と語り、授業がない日も112時間勉強し続けていることを明かした」

 このように勉強し過ぎで悩んでいるというのだが、実際は、東大は8月と123月は、夏休みと春休みで長期休暇となるので、まったく休めないということはない。

 悩んでいるというが、大学生たるもの、これくらい勉強して当然といえよう。

 いわんや、勉強時間が小学生以下などというのは、正真正銘の小学生である。(佐々木奎一)

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2017年03月13日

加速する高齢社会の労働風景の青写真


 平成二十九年二月二十七月付、のauのニュースサイト


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 「加速する高齢社会の労働風景の青写真」


 を企画、取材、執筆しました。



20日付のジャパンタイムズ電子版(ブルームバーグ配信)に、公園で半袖シャツの老人の女性が、左右それぞれの手にダンベルを持ち、それを肩まで持ち上げながら、なにやら体操をしている写真のアップ付きで、「日本の『高齢者』を再定義すれば、労働力人口の減少問題は解消しそうだ」という見出しの記事を載せている。これは、日本老年学会・日本老年医学会の高齢者に関する定義検討ワーキングループの先月の提言に基づいた記事である。

 同グループ座長は、甲斐一郎(東京大学名誉教授、日本老年学会理事長)と大内尉義(国家公務員共済組合連会虎の門病院院長、両学会前理事長)。この提言は、後述のように国策に沿っているわけだが、座長の肩書からもそれが見て取れる。

 同提言には、こう書いてある。「わが国を含む多くの国で、高齢者は暦年齢65歳以上と定義されています。しかし、この定義には医学的・生物学的に明確な根拠はありません。わが国においては、近年、個人差はあるものの、この高齢者の定義が現状に合わない状況が生じています。高齢者・特に前期高齢者の人々は、まだまだ若く活動的な人が多く、高齢者扱いをすることに対する躊躇、されることに対する違和感は多くの人が感じるところです」

 このようなことからワーキンググループを立ち上げ、「検討した結果、現在の高齢者においては1020年前と比較して加齢に伴う身体的機能変化の出現が510年遅延しており、『若返り』現象がみられています。従来、高齢者とされてきた65歳以上の人でも、特に6574歳の前期高齢者においては、心身の健康が保たれており、活発な社会活動が可能な人が大多数を占めています(中略)これらを踏まえ(中略)65歳以上の人を以下のように区分することを提言したい」として、こうある。

 「6474歳 准高齢者 准高齢期(pre-old)

 「7589歳 高齢者 高齢期(old)」

 「90歳〜 超高齢者 超高齢期(oldest-old super-old)」

 同記事で、座長の大内氏は、こう述べている。この再定義により、「労働力人口を1,000万人以上押し上げます。よりよい栄養摂取、ヘルスケア、公衆衛生により、こんにちの高齢市民は、過去の世代よりも断然健康です。その人たちをリタイア扱いするのは社会的損失です。健康で精力的な65歳以上の人はたくさんいます(大内氏自身、アクティブな68歳)。そうした人たちは、報酬を得るにせよ、得ないにせよ、働くことで社会に貢献したい、と心から思っています」「人々がもっと長く働くことで、急騰する医療費を抑えることもできます」と、このようにあった。

 ちなみに、「平成28年版厚生労働白書−人口高齢化を乗り越える社会モデルを考える」によると、日本の平均寿命は、2015年時点で男性80.79年、女性87.05年と世界トップクラスで、国立社会保障・人口問題研究所の日本の将来推計人口(平成241月推計)によれば、今後もさらに延びることが予測されている。

 高齢化率(65歳以上人口割合)は、201526.7%から、将来(出生中位・死亡中位推計)においても、202029.1%、204036.1%、206039.9%と、2060年まで一貫して上昇していくことが見込まれている。

2015年の就業者数(就業率、小数点第1位は四捨五入以下同)は、6064534万人(62%)、6569399万人(42%)、70歳以上330万人(14%)と、70歳以上の大半は働いていない。

 だが、政府の調査によれば、「あなた自身について、何歳から高齢者になると思いますか」との問いに対し、6569歳では、50%が「70歳以上」、19%が「75歳以上」、4%が「80歳以上」と回答。つまり、7割以上は、6569歳になっても、自分はまだ高齢者ではないと思っている。

 そして、7074歳では、「75歳以上」31.2%、「80歳以上」9%と、4割がまだまだ自分は高齢者ではない、と考えている。

 また、60歳以上の男女を対象に、「何歳まで働きたいか」と質問したところ、「70歳まで」24%、「75歳ぐらいまで」10%、「76歳以上」3%、「働けるうちはいつでも」30%と、実に64%が65歳以降も働きたいと思っており、そのうち43%は70歳を過ぎても働く気満々で、そのうち3割は、一生働き続けたいという。

 要するに、この白書の言わんとしていることは、冒頭の、高齢者の再定義の趣旨と符合する。

 つまり、今後、企業の定年退職の年齢は70歳が標準となり、定年後75歳までが再雇用で、75歳以上の求人も多々ある、そんな世の中になっていく、という青写真を役人たちは描いている。

 なお、前出の元気な高齢者である大内氏は、年金支給年齢が上がることについては、そういうことは考えていないという趣旨のことを言い、かたくなに否定していた。

 実際、年金支給を70歳からとか75歳からにするなどと政府が言ったら、暴動が起きるかもしれない。

 ただし、現在年金受給者が働いている間は厚生年金の支給調整があるが、その調整幅を増やして、働いて収入を得ている間は年金がより入らない仕組みにしてくるかもしれない。役人たちは。(佐々木奎一)

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2017年03月12日

海と、天地の生き物を汚染するマイクロ・プラスチック 十二

 次いで、同年920日付の「役所がコッソリと持って行くプラゴミの行方」の元原稿は以下のとおり。


823日付の当コーナーでお伝えしたように、横浜市の家庭から収集されるプラスチックゴミ(プラゴミ)の行方を知るため、市内で最も高度な性能を持つ金沢工場の現場へ行った。ところが、同工場で働く説明役の市職員によると、同工場ではプラスチックは扱っておらず、隣の「選別センター」という施設でプラゴミを選別して、民間のリサイクル施設へ持って行っているという。

 そこで筆者は、日を改め、選別センターへ見学の申し込みをして、現場を見て来た。すると、そこで働く男性職員(横浜市の下請け機関「公益財団法人 横浜市資源循環公社」の職員)が、10人程座れるスペースの部屋に筆者を案内し、ゴミの仕分けの仕方や、選別センターで缶・瓶・ペットボトルを仕分けしていることなどを懇々と説明した。

  

懇々とゴミ分別方法の説明を受けた。選別センターにて.jpg


 ところが、いつまでたってもプラスチックの話が出ないので、プラゴミがどうなっているのか、聞いてみた。すると、驚いたことに、その職員は、「プラゴミの収集車はここには来ません。直接、リサイクル施設へ行っています。詳しいことはこちらではわかりかねますので、横浜市に聞いてください」と言った。

 現場で働いている金沢工場と選別センターの職員でさえ、プラゴミがどうなっているのか、ちゃんと把握していないのだ。

 そこで筆者は、横浜市資源局の分別・リサイクル推進担当に電話して、「家庭で分別収集したプラゴミはどこに行っているのか、詳しく知りたい」と尋ねた。すると、担当者は、こう即答した。

 「昨年度、収集してリサイクルに回した量は47,864トン。そのうち、489トン、こちらは横浜市が独自で業者に委託して資源化しています。その他の分は、日本容器包装リサイクル協会に引き渡しています。容器包装リサイクル法(容リ法)に基づき、同協会に引き渡したプラゴミは、プラスチック製品を産出しているメーカーなどの『事業者』がリサイクル費用を協会に支払う形で負担しています。ただし、容リ法に基づき、1%だけ、市町村負担として、489トンを横浜市がリサイクル費用を負担しているわけです」

 この担当者が言うには、プラゴミのリサイクル方法は、コークスやプラスチックを化学分解するガス化などがあるという。リサイクルをしている業者名はを問うと、「今年度は、横浜市の分は、千葉県にあるジャパンリサイクルに委託しています。協会分は、協会の入札により川崎市にある昭和電工とJFEプラリソース、それと千葉県にある新日本製鉄住金君津、ジャパンリサイクルの4社が行っています」という。

 そこで筆者は、「他の自治体では、プラゴミを焼却炉で燃やしているところもあるが、横浜市がリサイクル業者を使っているのはなぜか」と聞いた。

 するとこの担当者は、「他の自治体では、分別するのに費用がかかるので、燃やしている場合があります。横浜市は、容リ法と、資源の有効活用ができる、ということで、資源化しています。ただし、それにより費用はかかっています。ざっと、昨年度で収集運搬と中間処理合わせて28億円かかっています」という。

 このように現場の職員とは対照的に、横浜市役所に詰めている担当課の職員はスラスラと説明した。それにしても28億円というと、横浜市の子供からお年寄りまで全て含めて一人当たり年間753円、10年間で7530円の負担になる。

 プラゴミだけでこれだけのお金がかかるというのは、決して小さな数字ではないとは思うが、財源をけちってプラゴミを燃やすよりは環境に配慮しており、誇るべきことではないか。リサイクルをしっかりできていれば、という留保付きではあるが。

 そこで、横浜市が委託しているジャパンリサイクルへ行ってみることにした。

 住所を調べたところ最寄り駅は、千葉市内の蘇我駅である。そこから徒歩15分程の距離に同社はある。事前にアポイントを取ったところ、同社の柏倉氏は、「蘇我駅の改札を出て、右に曲がってタクシーに乗ってください。運転手は会社名を言えば必ずわかります。改札を出て左には絶対に行かないでください。左手のタクシーはうちの社名わかりませんから。工場敷地内は広いので、歩いては来ないでください」という。

 こうして98日昼過ぎ、蘇我駅に着き、タクシーに乗った。「ジャパンリサイクルお願いします」というと、運転手は「わかりました」といい、車を走らせた。しばらく行くと、「JFEスチール 東日本製鉄所」という銘板のゲートをくぐった。ジャパンリサイクルとは、JFEスチールの100%子会社なのである。

 その敷地内は異様に広く、信号機や線路もあり、工場が並び、錆びてボロボロの外装のパイプラインが碁盤の目のように敷地のあちこちで伸びている。

  

工場敷地内のあちこちを走るパイプライン.jpg


 後で知ったが、敷地総面積はなんと765.9万平方メートル、東京ドーム164個分もある。少し前までは隣接するサッカーチーム・ジェフユナイテッド市原のホームスタジアム「フクダ電子アリーナ」の一帯も製鉄所の敷地内だったというから膨大な広さである。

 敷地を実に10分近く走り、茶色の外壁の屋根にデカデカと「JFEスチール」のロゴが掲げられた建物の前で、タクシーは止まった。よく見ると、玄関に小さな字で「ジャパンリサイクル株式会社 千葉リサイクルセンター」と書いてあった。中に入り、同社の柏倉氏に話を聞いた。


ジャパンリサイクル.jpg


 柏倉氏によると、同社では、横浜市のプラゴミを年間約1千トン処理しており、他にも、千葉県の松戸市や柏市、東京都の三鷹市、葛飾区などの自治体のゴミも処理しているが、それらは全体の年間7万トンの処理量からみると微々たるもので、メインは木くずなどの産業廃棄物だという。

 同社の特徴は、プラスチックや産廃からガスを取り出して、そのガスを製鉄所に送って発電に使っている点だという。それは「サーモセレクト方式ガス化溶融炉」といって全国に7つしかない。


リサイクル施設.jpg


 これは酸素を吹きかけ2千度の発熱で分解してガス化させる。プラスチックが入ることで、これほどの高温となる。溶けた金属やがれきは、下に落ちてメタルやスラグとなって回収される。他方、ガスは上昇し、再び酸素を吹き込み1200度まで下げて2秒以上保持させることでダイオキシンを分解。その後、一気に70度に急速冷却することで、クリーンな燃焼ガスと硫黄等を精製する。このリサイクル施設では、二酸化炭素を一切出さない。ただし、精製した燃料ガスは、敷地を通るパイプラインを通って敷地内にあるズンドウ型の巨大タンクに貯蔵され、燃やして発電の燃料に使われる。


発電用の燃料タンク.jpg


 この発電するとき、二酸化炭素が大気に放出させる。

 要するに、横浜市のプラゴミが何の役に立っているかというと、仮にリサイクル時にプラゴミを使わないと、プラスチックの代りに重油を使わなければならない。この重油の分が、リサイクルにより浮く。

 話をきいた後、リサイクル施設を回ってみた。施設の周りには、産廃のトラックが並び、その横に、四角い塊が並んでいる。これは、「ベール」と呼ばれる。ベールとは、横浜市などで家庭のプラゴミを収集した後、専門業者が選別してプレスして1メートル立方メートルに圧縮したもの。つまり、ベールの状態でここに持ち込まれる。そのベールを、解体して、木くずなどの産業廃棄物とともに、前出のように酸素を吹き込んでいく。

  

ベール.jpg


 なお、「この辺りは撮らないで下さい」と柏倉氏の言った地点には、小さめのタンクロータリーがあった。「これは醤油なんです」という。なんでも、タンクには醤油会社の不良品の醤油が入っているそうで、醤油は塩が入っているので燃やすと焼却施設に物質がついたりで厄介な代物だが、ここの施設なら、プラスチックで高温になり過ぎるときに、醤油でカロリー調整して温度を下げるために便利なのだという。

こうして見学を終えた。プラゴミをただ焼却施設で燃やしてしまうより、ここでリサイクルする方が、環境に役立っていることは明らかであろう。

 今、プラスチックなよる海洋汚染が世界的関心事になっている。(例えば、ニューヨークタイムズで1か月間に何度もクロズアップされたりしている)。そうした中、横浜市の取組みは誇っていい実績といえよう。日々プラゴミを分別している市民に対し、プラゴミの行方をちゃんと報告すべきである。(佐々木奎一)

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2017年03月09日

ネコノミクスの裏側

 平成二十九年二月二十四月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「ネコノミクスの裏側」


 を企画、取材、執筆しました。



 去る222日は、何の日だったか、ご存じだろうか?

 答えは、「猫の日」である。無論、2はニャンを意味する。

 その「猫の日」について、毎日新聞社、月刊誌「ねこのきもち」、ペットフード会社・ブルーバッファロー・ジャパンはHPを作成している。

 そこには、こういう言葉がある。

 「ネコノミクスという言葉が生まれ、猫の映画やグッズがたくさん売られ、空前のねこブームです。けれど、その影で殺処分の問題があったり、ネコ科のトラが絶滅の危機にあったり、明るい話だけではありません」

 また、05年に創刊した同誌の真辺陽子編集長は、「創刊当時と今とでは、猫を取り巻く環境も随分と変わりました。特に昨今の猫ブームが後押しし、猫を飼う人も少しずつ増え、書店には猫関連本が並び、猫イベントも年間を通じて増えています。猫に注目が集まることは、猫を愛し、日々猫のことを考えている私達にとって、とても嬉しいこと」という一方で、こう記している。

 「とはいえ、良いことばかりではありません。猫のかわいいビジュアルやしぐさにばかり目がいき、軽い気持ちで猫を飼い始めてはいないだろうか。ブームの影では、殺処分や飼育放棄といった問題があるのも事実なのです」

 このように、猫ブームの裏側には、「猫のアウシュヴィッツ」による殺処分の横行という闇が横たわっている。猫のことを「かわいい、かわいい」といって、ペットショップで猫をあたかもモノのように買う者、ペットショップではないにしてもエゴイズムで猫を飼う者、そういう猫を愛するのではなく自分を愛しているだけのエゴイストは、歳をとったり病気になったりケガをしたりしてビジュアルが変わった時や、もっとかわいい生き物をみつけたとき、それまで散々かわいいといって飼っていた猫を用済みと見なし、どこかに捨てたり殺処分する。ほかにも、引っ越し先は猫が飼えない、だとか、海外に住むことになり飼えなくなった、子どもができて猫アレルギーになるかもしれない、などといった身勝手な理由で、ある日突然、猫を捨てたり、殺処分送りにする者もいる。

 残念ながら、こうした度し難い悪質な人間は、世の中に一定割合いる。だから、猫ブームになると、不幸な猫がさらに増えることが懸念される。

 捨てられた猫は、無論、野良猫となる。猫は繁殖力が旺盛なため、どんどん子どもを産み、増えていく。そうした野良猫のなかで特に子猫が、殺処分されるケースが多い。

 その不幸の連鎖をストップさせるため、現在、日本各地で、猫ボランティアたちが、「地域猫活動」をしている。これは一定の場所でエサをやり、避妊去勢手術をして、一代限りの猫生を全うさせる活動である。

 だが、その主旨を理解せず、エサやりは、近隣に迷惑だ、野良猫は邪魔だ、などといって、エサやりと野良猫を排斥する者は実に多い。エサやり禁止条例を制定する京都市のような自治体まである。

 だが、京都市のような、エサをやるな、野良猫は勝手に生きるから放っておけ、というやり方は、アウシュヴィッツ収容所のように猫を殺しまくる結果を招く、と観る識者は実に多い。

 要するに、猫ブーム、ネコノミクスというならば、その分、飼い主のしつけが必要不可欠である。つまり、排除すべきは、度し難い飼い主である。

 もしも飼い主を資格制にして、しっかり教育を受けた者のみが、猫を飼う権利を持つ世の中になれば、不幸な猫をなくすることができるだろう。(佐々木奎一)

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2017年03月06日

「清流復活」ダム撤去の町と、八ツ場ダム…

  平成二十九年二月二十月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「「清流復活」ダム撤去の町と、八ツ場ダム…」


 を企画、取材、執筆しました。




10日付の朝日新聞朝刊群馬県版に「八ツ場ダム見学のプログラム開始へ 国交省、小中学生向け」という記事がある。それによると、「2019年度の完成に向けて工事が進む八ツ場ダム(長野原町)を小中学生に見学してもらおうと、国土交通省関東地方整備局は4月から、社会科見学向けのプログラムを始める」という。*

 その内容とは、「2部構成で、1部(40分)は、ダムの計画が発表された1952年から、反対運動や一時中止などを経て現在に至ったこれまでの歴史、ダムの必要性などを学ぶ。(中略)2部は体験型で(中略)ダム湖に沈むため、移転した道路や水道、駅、住宅地をバスで見学する(中略)八ツ場ダムは(中略)昨年6月から、高さ116メートルの本体となるコンクリートを積み上げる作業が始まっている。担当者は『ダム工事を見学できるのは今だけ。工事の最盛期にいろいろ学んでもらいたい』と話す。特に小学45年生の社会科見学を見込んでおり、ダムが完成する19年度まで続けることも視野に入れている」という。

 だが、当コーナーで再三指摘している通り、関東の水需要は減ってきている。治水面でも八ツ場ダムの効果はゼロに等しい。それでいて総工費は兆単位に膨らむ見込みで、さらに吾妻渓谷の4分の1や国の天然記念物を水没させ、絶滅の危機に瀕している動植物の生態系を破壊し、観光地の川原湯温泉も破壊し、一帯を道路や橋で埋め尽くし、水没させようとしている。

 その悪政に反対する声を絶滅させるため、安倍自公政権は、子どもの“洗脳教育”にはげんでいる。それがこの見学プログラムなるものである。ちなみに、これと同じ構図は、原発でもあった。つまり、子どもたちを原発立地に連れて行き、見学させたり、絵を描かせたり感想文を書かせるコンクールで賞をとせさたりして、子どもを洗脳する手口である。

 だが、いうまでもなく、いま見学すべき地は、八ツ場ダムなどではない。「荒瀬ダム」こそ、子どもたちに伝える価値のあるダムである。

 荒瀬ダムとは、1955年にできた発電専用ダムで、熊本県八代市の球磨(くま)川中流にある。荒瀬ダムはご多分にもれず、ダムができてから水質が悪化して漁業等に悪影響を及ぼすようになり、地元住民が撤去を求め、02年に元熊本県知事の潮谷義子氏がダム撤去を決めた。その後、二転三転したのち、2010に撤去が決まり、工事が始まった。

 そのことについて、「ダム撤去、清流復活―熊本・球磨川、生物の種類7倍に」という、昨年1219日付日本経済新聞朝刊の記事がある。それによれば、「工事開始から丸4年が過ぎ『みお筋』と呼ばれる本流が約60年ぶりに復活」。すると、水質が改善し、「カゲロウ、カワゲラなどの水生昆虫が目に見えて増えた。流量の回復で泥が除かれた河口域の干潟では、シオマネキなどの甲殻類やマテガイが姿を見せるようになった。

 県荒瀬ダム撤去室が、ダムに近い支流と球磨川が合流する地点で、14年度に川底の生き物の種類を数えたところ、69種を確認。工事前(04年度)のほぼ7倍になっていた。干潟のアナジャコ漁の漁場も広がり、竹筒を使う伝統のウナギ漁を再開する漁師も現れた。

 荒瀬ダムを抱える旧坂本村(現八代市坂本町)の人口はダム建設時の19千人から約3900人に減少し、高齢化率は県平均の1.6倍の52%。坂本住民自治協議会は『清流を復活させた町』の街おこしを計画中。森下政孝会長(75)は『ダム撤去への関心を高めて地域再生のチャンスにしたい』と話す。

 川底にはダムに堆積していた土砂が残っており、『生き物であふれた昔の川に戻るにはまだ数年はかかる』(森下さん)。また、中流にある発電用の瀬戸石ダムや河口付近の堰(せき)に阻まれ、アユは上流域までは遡上できない。地元ではこうした構造物の扱いについても議論が高まっている。

 みお筋が回復したことを受けて、今夏には球磨川で住民による初の『灯籠流し』が行われた。子供たちが願い事を書いた500基の灯籠を一目見ようと多くの見物客が集まった。川の流れだけでなく、地域の活気も取り戻せるのか。工事は183月に完了する予定だ』とある。

 そして、記事には、「球磨川に戻ってきた生き物たち」とあり、ハゼやカワゲラ、ハクセンシオマネキ(カニの一種)の写真や、「球磨川の底生動物の種類数の変化」の撤去前後の数値のグラフや、ダム撤去の前後の写真付きで、いかに清流に戻ったかを、わかりやすく示している。

 荒瀬ダム撤去工事は、この国の希望といえよう。(佐々木奎一)





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2017年03月02日

アイデンティティを喪失したモンゴルと日本

  平成二十九年二月十七月付、のauのニュースサイト

   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「アイデンティティを喪失したモンゴルと日本」


 を企画、取材、執筆しました。



13日付のロイター通信に「北京よりひどいモンゴルの大気汚染」という記事がある。それによると、モンゴルの首都ウランバートルは世界で大気汚染が最もひどい場所の1つで、「同市のPM2.5(微小粒子状物質)の濃度は先月後半のある日、855マイクログラム/立方米まで上昇。一方、北京での濃度は同日、70マイクログラム/立方米だった。世界保健機関(WHO)によると、許容できる基準は2025マイクログラム。ウランバートルの数値は1000に達することもある。

 モンゴル公共衛生当局の責任者によると、市内スモッグの約8割は、市の外れの貧困層が暮らす伝統的な移動式住居「ゲル」が建ち並ぶ地域から排出されているという。

 多くの住民は元遊牧民である。近年の極めて過酷な冬のせいで家畜が死んでしまい、都市へと移動してきたのだ。気候変動のせいもあり、ひどく過酷な冬は当たり前になってきている」とある。

 この記事には、赤茶色のスモッグとモクモクと立ち上る煙がウランバードルの町を覆う写真が付いている。

 モンゴルのこの様相は、約半世紀前とは天地雲泥の差がある。例えば作家の司馬遼太郎氏は1973年、週刊朝日の連載「街道をゆく」の取材でモンゴルへ行っている。そこには、飛行機で同地に着陸したときの情景をこう描いている。「一望の草原が眼下にせまった。川がうねり、その川をいとおしむように白い小さな建物が点在している。モンゴル人民共和国の首都であるウランバードルである。(中略)

 飛行機から降りると「肺がはずむような感じで空気のよさがわかった。このすばらしくいい空気をわずかなモンゴル人が享受しているのかと思うと、幸福というのは一体何なのか。(中略)

 滞在中にきいた話がある。ウランバードルは都市ながらも、日本の乗鞍岳の頂上より空気の透明度が高いのだが、それでも草原の空気に馴れたモンゴル人には不満で、『ウランバードルの空気は流動体だ』とののしっているのをきいた。(中略)清流のアユがどぶ川では棲めないように、草原の暮らしの中にいるモンゴル人の肺というのがいかに空気の清濁に敏感であかにおどろかされた」

 この紀行では、その後、ゴビ砂漠へ行き、草原に生きる遊牧民のことをつづっている。少年のころからモンゴルにあこがれ、「わがモンゴルよ」と心の中で叫ぶ思いでモンゴルの地を踏んだ司馬氏が、今の現実を知ったなら、卒倒するかもしれない。

 ただし、現在のウランバードルの大気汚染の惨状は、記事にあるように、「近年の極めて過酷な冬のせい」で家畜が大量に死んでしまったことが、「近視眼的」な原因という。

 モンゴルの気象については、例えば、国際NGOセーブ・ザ・チルドレンHP16225日付記事によると、「エルニーニョ現象が発生すると、夏の間、モンゴル一帯の地域では、低温と少雨が続く傾向にあり、十分な牧草が育たない。一方で、冬に入ると状況は一転して多雨に見舞われ、モンゴルのような寒冷地では、それが深刻な寒雪害に直結する。このように、夏の干ばつと冬の寒雪害が立て続けに起こる自然災害は、モンゴルでは『ゾド』と呼ばれており、過去に起こったゾドでは、ほぼ例外なく、モンゴルの遊牧民の生活の糧である家畜の大量死が起こっている。モンゴル政府は過去の経験を踏まえ、昨年の夏から干し草や飼料の備蓄を行っていたが、それでもこの冬を乗り切るのには充分でないと言われている。国民の約18%の世帯が遊牧で暮らしを立てている同国にとって、家畜の大量死は人々の生計、ひいては国の経済に深刻な打撃を与える事態である」とある。

 このなかで注目すべきは、「国民の約18%の世帯が遊牧で暮らしを立てている」とある点だ。つまり、いまモンゴルでは18%しか馬に乗って暮らしていないことになる。モンゴルの国章は、疾駆する一騎の人馬である。誇り高き騎馬民族であるはずのモンゴル人が、いまやグルーバルな物質文明にまみれ、モンゴル人そのものである「馬」に乗ることすら忘れてしまい、町に住みついた。そのモンゴル人の堕落が、大気汚染の大局的な要因といえよう。

 冒頭の記事にもそのことは表われている。つまり、「市内スモッグの約8割は、市の外れの貧困層が暮らす伝統的な移動式住居「ゲル」が建ち並ぶ地域から排出されている」「世界保健機関(WHO)によると、許容できる基準は2025マイクログラム。ウランバートルの数値は1000に達することもある」とあるが、そうであるなら、ゲルが立ち並ぶ地域がスモッグの約8割を本当に排出していたとして、残りの2割、つまり、多いときは1000マイクログラムの2200マイクログラムという、WHOの基準の810倍もの大気汚染は、ゾドにより遊牧をやめた人以外の、馬に乗らないウランバートルの住民たちが輩出していることになる。ウランバードルの空気の汚れは、モンゴル人の堕落の象徴である。

 ひるがえって、日本をみるとどうであろう。日本は健在といえるだろうか。

 たとえば、明治時代、三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎は、旧大名家に借金をしていたことがあった。その借金証文には、いつまでに返済する、もしこのことに違えれば、お笑いください、とあるのみだった。(「風塵抄 ニ」(司馬氏著)259頁)。つまり、ウソをついて人に笑われる、というのは、忍び難い屈辱であった。この「人に笑われまい」という「恥の文化」こそ日本の唯一の民族資産であり、それによって日本は千年以上も社会を保ってきた、と同書にはある。

 この「人に笑われまい」という精神こそが、モンゴル人の馬に相当する、日本人のよりどころとするアイデンティティといえよう。

 それがいまの日本はどうであろう。政権与党の自民党幹事長は、昔の日本人ならさげすんだであろう、あからさまに首相にゴマをすり太鼓持ちに励むという醜態を日々さらし、ときの首相は、選挙に不利になるため、壊憲という真の争点を隠して当選する、という国民をだましてウソをつく軽薄な政治を公然と行い、平和を偽装したカルト教団が与党として安倍自民党の補完勢力となり、地球の裏側までアメリカの戦争に駆けつけることを可能とする憲法違反の法律を通して居直り、その自公政権は、おごり高ぶった国会運営でカジノ法を通し、あまつさえ天皇陛下の意思をないがしろする特別法をこしらえる始末。たとえば、西郷隆盛は、城山で最期を迎える時、東を向き、皇居を伏し拝んで死んだといわれる。その西郷が安倍自公の政治をみたら怒髪天を突くことだろう。

 無論、政治だけではない。例えば、野球の日本代表は、サムライを称しているにもかかわらず、ヒットを打つ気のないファウルを連発して四球狙う、という世にも卑怯な手口を常套手段とする日本ハムの中島卓也(なかしまたくや)を代表に据えたりしている。中島のように卑怯な真似をして、卑怯者と世界からモノ笑いの種になるくらいなら、昔の武士なら、死を選択したことだろう。そういう唾棄すべき卑怯者を、日本の代表に据えてサムライと呼称してはばからない。

 司馬氏は晩年、土地を金儲けの道具としてきた日本は、バブル崩壊により、第二次大戦の敗戦よりもひどい状況となり、日本そのものが滅ぶのではないか、と危機感を抱いて逝ったが、前述のモンゴルどころではない次元で、日本はもうなくなってしまっているのではないか。

 ただし、個々人でみると、かつての武士を感じさせる日本人が、今もいる。それが唯一の救いである。(佐々木奎一)

posted by ssk at 22:21| Comment(0) | 記事