2016年12月30日

海と、天地の生き物を汚染するマイクロ・プラスチック 十

 次いで同年823日付の「高度焼却炉の現場に見るプラゴミの行方」の元原稿は以下のとおり。


726日付の当コーナーで、マイクロプラスチックを減らすために一市民にできること、を紹介した。そのなかで、プラスチックを燃やしても有害物質が出ないとされる高度な焼却炉があるが問題も多い、という話をした。

 高度な焼却炉とは、一旦どんなものなのか?それを知るため、横浜市の焼却場へ行ってきた。

 そもそも横浜市の家庭ごみは、燃やすゴミ(台所のゴミ等)、プラスチック製容器包装(以下、プラゴミ)、燃えないゴミ(ガラス、蛍光灯など)、缶・瓶・ペットボトル、古紙、粗大ゴミなどに分別して出すことになっている。

 これらのゴミは、市内に4つある焼却工場に持って行くことになっている。横浜市HPによると、各工場に事前に申し込めば見学できる、と書いてある。そこで、同市で最も最新鋭で年間1万人以上が見学にやってくるという「金沢工場」へ820日の午後に行ってきた。(写真は金沢工場)


金沢工場.jpg

 ゴミ処理を担当する同市資源循環局の男性一人が、案内役となった。見学者は筆者一人だけだった。まず、100人ほど座れるスペースの会議室に案内され、そこでスクリーン画像を見ながら、30分ほど解説を聞いた。その後、約1時間、工場内を見学した。(写真は焼却炉に運ばれるゴミ)


焼却炉に運ばれるゴミ.jpg

 この職員によると、横浜市の一般家庭から出る1年間のゴミの量は約90万トン。そのうち燃やすゴミは60万トン。家庭から出されたゴミは、市内に830台ある収集車で集めて各工場へ運ぶ。

 そのうち金沢工場は、同市の金沢区、港南区、栄区、磯子区、戸塚区、泉区、瀬田区を中心としたゴミが運ばれてくる。

 金沢工場は、2001年稼働。総工費は約626億円。ここには850950度で燃やすことのできる高度な焼却炉が3基あり、ここで1400トンのゴミを燃やしている。

850度以上の高温で焼やすことによりダイオキシンの発生を抑え、また、消石灰により、大気汚染物質の、塩化水素や硫黄酸化物を中和除去し、活性炭により水銀やダイオキシン類を吸着除去しているという。

 また、アンモニア水気化ガスを吹き込み、脱硝触媒することにより、大気汚染の窒素酸化物を分解除去する。こうして大気汚染はなくなる仕組みなのだという。

 ただし、焼却炉を止めた時に400600度に下がることがある。そうなるとダイオキシンが発生するため、作業員は、原発作業と酷似した防毒マスクと作業服を着こむことになっている。(写真はその作業服)


ダイオキシン対策の防毒マスクと作業着.jpg

 こうして燃やしたゴミは、メタル、スラグ、溶融灰(カバーリング)に分類される。メタルとは、金などを含むレアメタルで価値があるため、「年間400トン近く売っている」という。スラグとは、アルファルトなどの材料として使われる。溶融灰は使い道がなく、埋め立てられる。(写真はメタル。焼却すると3層に分かれる)


メタル.jpg


焼却すると3層に分かれる.jpg

 また、焼却炉を動かすにより発電を行っており、年間15億円分、電力会社に売電したりしている。

 なお、この職員に対し、「これまで故障などで焼却炉が動かなくなったことはありますか?」と聞いたところ、「故障はたまにあります。一度、水管が破裂して二週間止まったこともありました。だ、ポンプ類などは、故障しても交換できるよう、予備を置いて対応しています」という。

 なお、職員によると、家庭の燃やすゴミで一番多いのは、生ゴミ36.5%で、プラスチックは5.1%という。この数字をみて、プラスチックはそんなに少ないだろうか、と疑問を持ったが、それには次の理由があったのだった。

 横浜市内で収集したゴミは、工場内で、燃やすゴミと、資源ゴミに選別する。「資源ゴミ」とは、燃やすゴミ以外で分別したゴミ。つまり、プラゴミや瓶・缶・ペットボトルなどなど。

 そして、横浜市では、資源ゴミは原則、工場で燃やしていない。工場でプラスチックを燃やしている分は、燃やすゴミを入れるためのビニール袋など、ごくわずかという。それが上記の5.1%分というわけ。

 では、プラスチック類はどうしているのか? 「それを一番見たいんです」と筆者は言うと、その職員は、「選別センターは隣にありますが、それは改めて選別センターに電話して見学を申し込んでください」という。

 そもそも、横浜市のHPには、選別センターの見学の案内はなかった。工場の解説でも、燃やすゴミが増えると温暖化になる、中でも最も多い生ゴミを減らすために、食品廃棄ロスを減らしましょう、と呼びかけていたが、プラスチックの話は絶無だった。どうもプラスチックに対する問題意識は低いようである。(写真は選別工場)


選別センター.jpg

 「資源ゴミのプラゴミは、どうしているのですか?」と聞くと、「民間のJFEスチールなどの製鉄会社に持って行き、そこでコークスの補助燃料に使っています。売っているのか、無料で渡しているのかは、わかりません」という。

 その後、工場内に、プラゴミがどう処理されているのかを示すパネルがあった。そこには、「プラスチック製容器は、リサイクル業者によってガス化されます この合成ガスはアンモニアの製造に使われます→代表的な用途は工場の排ガス処理の薬品として また [キンカン]などの製品や繊維原料に生まれ変わります」と書いてある。製鉄会社に持って行っているという話は、パネルには一切書いていなかった。

 なお、横浜市の資源局が作成している資料がネットにひっそりとアップされている。その中に、家庭のプラゴミは年間48千トン排出されている、との記載があった。これらは民間中間処理施設で異物除去・梱包した後、国指定のリサイクル邦人に引き渡す。それらは「プラスチック製品の原材料、ガス化、コークス炉化学原料化、高炉還元剤など」に利用されている、と書いてあった。このような細かい記載を読んでいる市民はほとんどいないはずであり、到底、市民には伝わらない。横浜市は、市民に分別させておきながら、その後どうなっているのか全く説明責任を果たしていない。

 なお、ペットボトルの方は、リサイクル事業者の工場に運ばれ、細かく砕かれてペットボトルの原料になったり、衣料品や文房具、たまごパック等にリサイクルされているとのことだったが、ペットボトルは海を最も汚している物体であるが、それを減らす啓発もしておらず、リサイクル現場の見学すらしていない。

 日本の三大都市である横浜市にして、プラスチックのゴミの行方が全く市民に知らされていないのが実情だ。(佐々木奎一)

posted by ssk at 13:40| Comment(0) | 連載

2016年12月24日

ホリエモン文春にギャラ請求とイエロージャーナリズム

 平成二十八年十二月十九月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「ホリエモン文春にギャラ請求とイエロージャーナリズム」


 を企画、取材、執筆しました。



 ホリエモンこと堀江貴文氏が、テレビで週刊誌にギャラを請求したという。それは16日放送のTOKYOMX5時に夢中!」という番組でのこと。出演した堀江氏は、8日発売の週刊文春で報じられたことについて突っ込まれた。

 その週刊文春の記事というのは、堀江氏が1122日未明、妖艶な雰囲気の美女と手をつないで六本木の高級ホテルに入るところを同誌が撮影したというもの。その後の取材で、そのお相手は女性ではなく、「女装男子」と呼ばれる男性のなかのカリスマで執筆やタレント活動をしている大島薫氏(27)だと判明。(週刊文春電子版より)

 そのことを共演者から盛んに聞かれた堀江氏は、「恋人ではないです」と否定したあと、こう言った。

 「ぶっちゃけ、記事出すんだったら、俺にも印税よこせって思いますよね」「印税出してくれるんだったら、『ここまでOKよ』とか、そういうのはアリだと思う」「20%とかさ、バックしろよって話ですよ。見てるか文春の記者!」「だって俺がネタじゃないですか! 何で俺に入ってこないんだお金が」(サンケイスポーツ電子版より)

 このタレントの肖像権と週刊誌については、興味深い判例がある。それは平成2422日に最高裁判所第一小法廷で判決が下った、いわゆる「ピンク・レディー事件」である。(ピンク・レディーとは昭和51年から昭和56年にかけて活躍した2人組のアイドル歌手)

 事件の概要は次の通り。平成18年秋頃からピンク・レディーの曲の振り付けを利用したダイエット法が流行していた。そんな中、「女性自身」(光文社刊)が平成19213日・27日号の1618頁に、「ピンク・レディーdeダイエット」という記事を掲載し、ダイエットの解説や効果を記した文面とともに、水着姿のピンクレディーらを被写体の白黒写真(縦7cm、横4.4cm)や、18頁の下半分には「本誌秘蔵写真で綴るピンク・レディーの思い出」という見出しに、ピンク・レディーの白黒写真(縦9.1cm、横5.5cmなど計7枚)を掲載するなど、合計14枚の白黒写真を無断掲載した。

 これに対し、ピンク・レディーの2人が、光文社を相手取り、パブリシティ権が侵害されたとして不法行為に基づく損害賠償(計372万円)を求めた。

 一審、二審ではピンク・レディーが敗訴。最高裁でも敗訴した。最高裁判決(裁判長: 櫻井龍子、裁判官: 宮川光治、金築誠志、横田尤孝、白木勇)では、「人の氏名、肖像等(以下、併せて「肖像等」という。)は、個人の人格の象徴であるから、当該個人は、人格権に由来するものとして、これをみだりに利用されない権利を有する」「そして、肖像等は、商品の販売等を促進する顧客吸引力を有する場合があり、このような顧客吸引力を排他的に利用する権利(以下「パブリシティ権」という。)は、肖像等それ自体の商業的価値に基づくものであるから、上記の人格権に由来する権利の一内容を構成する」として、パブリシティ権をみだりに利用するのは違法であるという原則を指摘したうえで、こう述べた。

 「他方、肖像等に顧客吸引力を有する者は、社会の耳目を集めるなどして、その肖像等を時事報道、論説、創作物等に使用されることもあるのであって、その使用を正当な表現行為等として受忍すべき場合もあるというべきである」

 「そうすると、肖像等を無断で使用する行為は、1 肖像等それ自体を独立して鑑賞の対象となる商品等として使用し、2 商品等の差別化を図る目的で肖像等を商品等に付し、3 肖像等を商品等の広告として使用するなど、専ら肖像等の有する顧客吸引力の利用を目的とするといえる場合に、パブリシティ権を侵害するものとして、不法行為法上違法となると解するのが相当である」

 「これを本件についてみると、前記事実関係によれば、上告人らは、昭和50年代に子供から大人に至るまで幅広く支持を受け、その当時、その曲の振り付けをまねることが全国的に流行したというのであるから、本件各写真の上告人らの肖像は、顧客吸引力を有するものといえる。

 しかしながら、前記事実関係によれば、本件記事の内容は、ピンク・レディーそのものを紹介するものではなく、前年秋頃に流行していたピンク・レディーの曲の振り付けを利用したダイエット法につき、その効果を見出しに掲げ、イラストと文字によって、これを解説するとともに、子供の頃にピンク・レディーの曲の振り付けをまねていたタレントの思い出等を紹介するというものである。そして、本件記事に使用された本件各写真は、約200頁の本件雑誌全体の3頁の中で使用されたにすぎない上、いずれも白黒写真であって、その大きさも、縦2.8cm、横3.6cmないし縦8cm、横10cm程度のものであったというのである。これらの事情に照らせば、本件各写真は(中略)本件記事の内容を補足する目的で使用されたものというべきである。

 したがって、被上告人が本件各写真を上告人らに無断で本件雑誌に掲載する行為は、専ら上告人らの肖像の有する顧客吸引力の利用を目的とするものとはいえず、不法行為法上違法であるということはできない」

 このように判定した。なお、金築裁判官の補足意見として、「顧客吸引力を有する著名人は、パブリシティ権が問題になることが多い芸能人やスポーツ選手に対する娯楽的な関心をも含め、様々な意味において社会の正当な関心の対象となり得る存在であって、その人物像、活動状況等の紹介、報道、論評等を不当に制約するようなことがあってはならない。そして、ほとんどの報道、出版、放送等は商業活動として行われており、そうした活動の一環として著名人の肖像等を掲載等した場合には、それが顧客吸引の効果を持つことは十分あり得る。したがって、肖像等の商業的利用一般をパブリシティ権の侵害とすることは適当でなく、侵害を構成する範囲は、できるだけ明確に限定されなければならないと考える。(中略)パブリシティ権の侵害による損害は経済的なものであり、氏名、肖像等を使用する行為が名誉毀損やプライバシーの侵害を構成するに至れば別個の救済がなされ得ることも、侵害を構成する範囲を限定的に解すべき理由としてよいであろう」という。

 そして「肖像等の無断使用が不法行為法上違法となる場合として、本判決が例示しているのは、ブロマイド、グラビア写真のように、肖像等それ自体を独立して鑑賞の対象となる商品等として使用する場合、いわゆるキャラクター商品のように、商品等の差別化を図る目的で肖像等を商品等に付する場合、肖像等を商品等の広告として使用する場合の三つの類型であるが、これらは(中略)従来の下級審裁判例で取り扱われた事例等から見る限り、パブリシティ権の侵害と認めてよい場合の大部分をカバーできるものとなっているのではないかと思われる」

 「なお、原判決は、顧客吸引力の利用以外の目的がわずかでもあれば、『専ら』利用する目的ではないことになるという問題点を指摘しているが、例えば肖像写真と記事が同一出版物に掲載されている場合、写真の大きさ、取り扱われ方等と、記事の内容等を比較検討し、記事は添え物で独立した意義を認め難いようなものであったり、記事と関連なく写真が大きく扱われていたりする場合には、『専ら』といってよく、この文言を過度に厳密に解することは相当でないと考える」

 と、記している。このように、タレントの肖像権に顧客吸引力はあり、その力によって雑誌が売れる効果があっても、それが報道の一環であれば、パブリシティ権侵害には当たらない、という。たとえその報道が、娯楽的な関心だったしても、それは社会の正当な関心なのだという。

 このように出版社に寛大な判例が出ているのは、一重に、「言論の自由」のため、といえよう。

 よって、冒頭の堀江氏のいう、週刊誌が、顧客吸引力のある自分の写真や名前をのせて商売をしているのだから、ギャラをよこせ、という主張は、判例上通らないということになりそうである。

 なお、こうした「娯楽的関心」、言い換えれば「下世話」を報じるのも、正当な関心だしても、それは、時事、社会問題を報じ、検証し、道を示す、という意味での「真のジャーナリズム」ではない。下世話をせっせと報じる週刊誌やワイドショーの類は、「イエロー・ジャーナリズム」である。

 イエロー・ジャーナリズムとは、「扇情的な記事な見出しを使い、低俗な興味を誘う報道をいう。1890年代のニューヨークで、ピュリッツァーの『ワールド』紙とハーストの『ジャーナル』紙が報道合戦を演じ、人気のあった色刷り漫画『イエロー・キッド』を作者(RF・アウトコールト)ごと奪い合うほか、セックス、スキャンダル、犯罪を書き立てて部数競争を行ったことから、この種の新聞は『イエロー・ペーパー』とよばれるようになった。両紙の競争は、スペインのキューバ植民地支配についても、事実を曲げ、事件を捏造(ねつぞう)するなど激化し、アメリカ・スペイン戦争(1898)を誘発する一因となったといわれた」(日本大百科全書より)

 そして、この手のイエロー・ジャーナリズムの蔓延は、いわゆる真のジャーナリズムをむしばんでいるのが実体といえよう。たとえば、これはほんの一例だが、労働事件の過労死について、世に出回るニュースの定番は、大手企業で起きた過労死事件である。これは、中小零細企業では過労死事件が起きていないのではなく、中小企業で起きた過労死は、報じられないのである。なぜか。無名の企業の事件は、人々の関心が低いから、需要が少なく、読まれない、よって商売にならないので、報じる価値がない、と判断しているからである。

 だが、日本の企業の99.7%は中小企業であり、日本の全労働者の7割は中小企業で働いている。だから、本来、中小企業で起きている現実こそ、問題の核心なのに、報じられない。過労死という社会問題そのものではなく、大企業で起きたことなのかどうか、が関心の的になってしまっている。イエロー・ジャーナリズムである。無論、過労死だけではない。万事、この調子である。

 イエロー・ジャーナリズムが国を席巻するのは、下世話なことにしか関心のいかない国民と、その国民におもねる言論界の、下劣なハーモニーのたまものといえよう。

 だが、言論の自由の真髄は、イエロージャーナリズムをせっせと報じることではない。国家権力を監視し、国民の知る権利に応える、といった「本物のジャーナリズム」にこそ真髄がある。この国は、言論の自由を使いこなせていない、といえよう。(佐々木奎一)

posted by ssk at 16:56| Comment(0) | 記事

2016年12月22日

“卑劣な悪しき先例”池田大作党の自主投票

 平成二十八年十二月十六月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「“卑劣な悪しき先例”公明党の自主投票」


 を企画、取材、執筆しました。



 カジノ解禁法案が15日未明、成立した。

15日付の朝日新聞朝刊によると、自民党の補完勢力である与党・公明党は参院本会議採決で、党議拘束を外して自主投票し、25人の参院議員のうち、西田実仁参院幹事長ら18人が賛成、山口那津男代表、魚住裕一郎参院会長ら7人が反対したという。採決後、山口氏は記者団の問いかけに無言。魚住氏は「違法なものを政府にやらせることになる」と述べたとのこと。

 公明党は6日の衆院本会議採決でも、35人中、賛成22人、反対11人、退席が1人、欠席が1人だった。賛成は、太田昭宏前代表や漆原良夫中央幹事会長、石井啓一国交相など。反対は、井上義久幹事長、大口善徳国対委員長など。

 こうして、賛成と同時に反対のポーズも示すことで、カジノに反対する支持政党・創価学会の信者たちの不満のガス抜きをして、バランスを取ったつもりなのだろう。

 だが、それは底の見え透いた子供騙しの茶番劇である。

 この国でカジノが解禁されることになった責任の第一は、公明党にある。

 そもそもカジノ法案を巡る国会の審議は、衆院5時間33分、参院17時間40分と、特に衆院での審議不足は目に余った。しかも、5日付当コーナーで指摘の通り、自民党らが野党の質問に全く答えない、という暴挙も現出した。

 そうしたなかで、選挙のたびに票のバーター(取引)により、全国各地の小選挙区で自民党候補者に投票している創価学会=公明党が、カジノ法案に本気で反対すれば、自民党がゴリ推しすることは不可能だった。

 だからこそ、安倍晋三首相は、公明党が自主投票をすると決めた時、「公明党が困難な中でよくやってくれた」とベタボメしたのだ。(2日付時事通信電子版より)

 自主投票というのは、結局、責任を回避して法案を通す、という、唾棄すべき卑怯な手口である。つまり、公明党は、致命的に卑怯な団体である。

 しかも、これから先も、懸念山積みの様々な法案が、公明党の「自主投票」という卑劣な手口により、続々と成立する、という悪しき先例が、今回できあがった。カジノ法案は、そうした悪い意味での、エポック・メイキングである。(佐々木奎一)
posted by ssk at 20:55| Comment(0) | 記事

2016年12月20日

130歳くらいまで生き続けそうな池田大作

 ニュースサイトIWJ12月15日付に、池田教にまつわる記事がのっている。「「安保法制に反対の声をあげる会員を処分するな!!」「名誉会長がお元気であれば、『この状態は間違っている』と声明を出しているはず」――創価学会本部前で抗議のサイレント・アピール 2016.12.11」という記事。


 同記事では、将来、池田大作教を立ち上げて教祖となるであろう資質を持つ、選ばれしイデオロギッシュな人物、と筆者が目している、元創価学会本部職員・小平秀一氏が、こう語っている。

 「創価学会は絶対平和主義。公明党も同じ。それにも関わらず、安保法制を認めている。この事自体があり得ない状態だと私は思っている。(池田大作)名誉会長がお元気であれば、『この状態は間違っている』と声明を出しているだろうと私は思う。それがないということは、現在名誉会長はご判断ができないような(健康)状態にあると私は思う」
 脳髄まで池田大作に染まった資質を持つ者の言葉そのものだが、最後の一文は、多少注目に値する。
 池田大作は、ご判断ができないような状態にあると思う、と言っている箇所のことである。
 つまり、死んでいるのか、植物人間なのか、あるいは、認知症なのか、とにかく判断できない状態に違いない、と言うわけである。

  池田大作は、まったく表に出てこない状態が6年以上も続くのだから、そう考えるのは当然である。だが、こんな当たり前のことを、いまさら恐る恐る言わなければならないほど、信者たちにとっては、池田大作の状態をかたるのはタブーになっている。
 なお、9月25日付朝日新聞電子版に、池田教の原田稔会長のインタビューがのっている。
 そこには「――池田大作名誉会長は88歳。最近は表立った活動を控えています。体調はいかがですか。」
 との問いに、この会長は、「元気にしておりますよ。執筆活動などに専念しています」と答えている。
 さらに、こういう問答をしている。
 ――最近はいつ会いましたか。
 「ええ、この夏の研修で」
 ――重要な判断も可能なのですか。
 「もちろんです。ただ、数年前からは、基本的に運営は執行部に託し、見守っています」
 と、このように元気にしていて、執筆しているのだという。だが、証拠を全く示していない。証拠も示さず、元気にしてますよ、などと、いくら言葉を並べても、到底信用できない。なぜ証拠をひとつも出せないのか。ウソを言っているからに違いない。
 それに、執筆活動に専念というのも、致命的に、うさんくさい。そもそも池田大作の本の類は、ゴーストライターが書いている。それだから、執筆活動に専念、というのは、二重三重の虚偽といえよう。
 池田大作の本当の状況はどうなっているのか。
 そこで思い出すのは、かつて、週刊文春2011年10月27日号に載っていた「池田大作「創価学会」名誉会長 担当していた元看護師が語る「厳戒病室」本当の病状」という記事である。
 この記事は、のちに週刊文春のほうから、誤報である、と言って謝罪文を出したいわくつきの記事なのだが、書いてある内容は、つくづく真に迫る。
 以下、その真に迫る記事の本文のリンク。(人生はニャンとかなる!カリン様のお告げHPより)
 http://saijosigokuuchudaiichi.hatenablog.com/entry/2016/05/03/125149

 その後、週刊文春は、2011年12月29日号の巻末に、次の謝罪文をのせた。
〈〔編集長から〕
  小誌10月27日号に掲載した「担当していた元看護師が語る 池田大作『創価学会』名誉会長『厳戒病室』本当の病状」の記事につき、創価学会より「該当する看護師は存在せず、証言は事実無根である」との抗議がありました。これを受けて小誌は再取材を行いましたが、証言者が看護師であるとの確証を得るに至りませんでした。病状についての記述を取り消し、ご迷惑をおかけした関係者にお詫びいたします。〉
 このようにあるのだが、たとえ看護師ではないとしても、看護師から克明に聞いた看護師に身近な人物が、看護師の代わりに文春にリークしたのかもしれない。そして、その情報ソースは、看護師を特定されるのを避けるため、看護師の名を言わなかったのかもしれない。
 そういう可能性があるにもかかわらず、看護師であるとの確定がえられなかった、ということを誤報の根拠とする、このお詫び文は、不自然だ。ひょっとして池田教から前代未聞のレベルの圧力でも受けたのではないか、と疑わざるを得ない。
 なお、筆者は、この記事が出てから数年後、とある出版社の編集者と、この記事について雑談したことがある。そのとき、その編集者が言っていたのは、池田教の広報は、随分と色々なメディアに、この文春記事は、誤報だと触れ込んでいたという。その編集者がいうには、あの記事は本当にヘンな点があり、ガセだったらしい、というのだが、ヘンだったという具体的な点を聞くと、記事にある池田大作のいるという建物の階数やつくりが実際とは違う、といった基本的なところで間違いがあったようだ、などと言う。だが、看護師から話を聞いた人物のリークだとすれば、建物の階数といった枝葉の部分を間違えていても、不自然ではない。
それにその後、池田大作が表にでてくるのなら、誤報というのもわかるが、その後、姿を現わさず、病状も秘せられたままで、病状にまつわる情報が、あの文春記事以外、まったく出てこないのだから、あの記事は、建物の階数とか、事実と異なる点が多少あったにせよ、概ねその通りだったのではないか、と疑わざるを得ない。

 なお、教団は、このまま池田大作を130歳くらいまで生かし続ける、と筆者はみている。

 
posted by ssk at 21:39| Comment(0) | 随筆

2016年12月18日

天皇退位を巡る有識者会議の動向と天皇陛下の望み


 平成二十八年十二月十二月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「天皇退位を巡る有識者会議の動向と天皇陛下の望み」


 を企画、取材、執筆しました。




1日付の日本テレビに「陛下 友人に電話で“恒久的な退位制度を”」というニュースがある。

 それによれば、「天皇陛下が『退位』をめぐるお気持ちを公表する前の今年7月、友人に電話をかけ、『退位』の意向を強く訴えるとともに『将来を含めて可能な制度にしてほしい』と恒久的な退位の制度を希望されていたことが明らかになった。

 これは天皇陛下の同級生の明石元紹氏が明らかにしたもの。明石氏によると、713日に『退位』の意向が報道された8日後の21日の夜10時ごろ、天皇陛下から突然、電話があったという。

 天皇陛下は明石さんに対し、皇太子さまに『譲位したい』という意向を告げ、『天皇は務めを果たせる人間がやるべきで譲位は合理的な考え方だ』と話されたという。また『退位』については『将来を含めて可能な制度にしてほしい』と恒久的な制度を望まれたという。

 更に『摂政は絶対に嫌だ』と述べ、大正末期、昭和天皇が大正天皇の摂政を務めたことで周囲の人々がそれぞれの天皇の支持派に二分し、2人とも不快な思いをしたとされる歴史も説明された」という。

 そうした中、11日付の朝日新聞朝刊が、同有識者会議の論点を載せている。それによると会議のなかではこういう意見があったという。

 摂政について、皇室典範16条には「天皇が成年に達しない時」「天皇が精神もしくは身体の重患または重大な事故により国事に関する行為を自らすることができない時」と定められている。

 この摂政について、園部逸夫氏(元最高裁判事)は、高齢化時代では天皇と摂政が長期間併存する可能性がある、「天皇、摂政と国民との関係が混乱し、場合によっては天皇の象徴性や権威も低下する」、百地(ももち)章・国士舘大大学院客員教授)は「高齢でも天皇陛下のご意思がはっきりしている場合に摂政を置くのは、本来の趣旨と矛盾する」といった反対の声があった。

 他方、平川祐弘(すけひろ)・東大名誉教授、大原康男・国学院大名誉教授、櫻井よしこ・ジャーナリストの3氏は、皇室典範を改正し、摂政設置の要件に「高齢」を加えるよう提案。「退位せずとも高齢化問題への対処は摂政でできる」(平川氏)、「摂政を置くことで天皇一代の間に元号を変えないことにも適合する」(大原氏)などと摂政に賛成したという。

 そして、本題中の本題である「天皇が高齢となった場合の退位をどう考えるか」については、半数の8人が賛成、7人が反対、1人が慎重な姿勢を示した。(次の各氏の発言はNHKより抜粋)

 退位に賛成の発言は次の通り。

 「退位は皇室の安定性を確保するには避けるべきだが、国民の意思として認めるなら否定しない。退位を認める場合は、皇室典範を改正し、恒久制度化すべきだ」(古川隆久・日本大学教授)。

 「高齢社会を迎えた今日、天皇の終身在位制は公務の遂行とは両立しがたい状況に至っており、退位を認めるべきだ。特例法では憲法の趣旨に合致しないおそれがあり、恒久的な制度に改正すべきだ」(大石眞・京都大学大学院教授)

 「退位について、一代限りの特例法は憲法の規定や国民世論などから困難であり、『高齢譲位』に論点を絞れば、皇室典範の改正はさほど難しくない」(岩井克己・朝日新聞皇室担当特別嘱託)。

 これら3人は、退位を恒久的な制度にしようという明確な意思があり、評価できよう。

 それに対し、退位は一代限りとするなど、あくまで特例、あるい特例から、と位置付けているのは、以下の5名。

 「人間的・人道的観点でこの問題を考える必要がある。特例法で退位を認める場合でも、皇室典範の改正を前提とした法律にしなければならない」(保阪正康氏・ノンフィクション作家)。

 「天皇がご高齢となった場合は、退位を認めるべきで、法律の形式は当面適用される皇室典範の特例法とすることが適当だ」(石原信雄元官房副長官)。

 「高齢化社会の到来に対応すべく、例外的に譲位を認めるべきだ。皇室典範に根拠規定を置き、それに基づいて特別法を制定し、高齢により公務をみずから行えないときには、その意思に基づき、皇室会議の議をへて譲位を認めるべきだ」(百地章・国士舘大学大学院客員教授)。

 「まずは今上天皇の退位を特別法で行い、引き続き、皇室典範の改正による退位制度の導入を検討すべきだ」(園部逸夫・元最高裁判所判事)

 「憲法は象徴的行為が困難となった場合に退位を認めることを想定していないが、現天皇のみ対象とした特例法を定めることも憲法上は可能だ。憲法論で言えば、天皇の地位を退位すれば、象徴ではなくなるので二重性は生じない」(高橋和之・東京大学名誉教授)

 これら5名は、特例、一代限り、あるいは特例からスタート(いつまでたっても恒久化しない可能性あり)している点が、冒頭の天皇陛下の望みに、明確に反している。安倍自公政権もこの類である。

 一方、退位そのものに反対しているのは以下の面々。

 「天皇は続くことと祈ることに意味があり、世襲制の天皇に能力主義的な価値観を持ち込むと皇室制度の維持が困難になる。退位をしなくても高齢化への対処は可能で、ご高齢の場合も摂政を置けばいい」(平川祐弘・東京大学名誉教授)

 「公務の負担軽減は、各皇族で分担し、量的な軽減を図り、方式も改めるべきだ。退位の制度を設けるのではなく、皇室典範を改正して高齢の場合にも『摂政』を置けるようにすべきだ」(原康男・國學院大学名誉教授)。

 「天皇の仕事の第一は、昔から国民のために祈ることであり、国民の目に触れるような活動はありがたいが、本当は必要はなく、任務を怠ったことにもならない。摂政であれば、何も問題なくスムーズにいくので皇室典範どおりにやればいい」(渡部昇一・上智大学名誉教授)。

 「退位のために皇室典範の改正も特例法の制定もすべきではない」(笠原英彦・慶應義塾大学教授)。

 「天皇のお役割は、国家国民のために『祭し』をとり行ってくださることであり、天皇でなければ果たせない役割を明確にし、そのほかのことは、皇太子さまや秋篠宮さまに分担していただく仕組みを作るべきだ。ご譲位ではなく、摂政を置かれるべきだ」(櫻井よしこ・ジャーナリスト)。

 「ご高齢の現状に鑑みて、国事行為の臨時代行こそが最も適した対応だ。法的な措置を要することは、与野党が一致するまで見送るのが相当で、天皇より上皇の方が権威を持つ『権威の分裂』という事態がありうるので、退位にはよほど慎重でなければならない」(今谷明・帝京大学特任教授)。

 「退位を認めると皇室制度の存立を脅かす。退位を実現すれば、憲法上の瑕疵が生じ、皇位の正統性に憲法上の疑義を生じさせる」(八木秀次・麗澤大学教授)。

 このように議論されている状況だが、このまま安倍自公政権の望みどおりに、恒久的ではない、特例法にしてよいのだろうか?

 よいわけがない。(佐々木奎一)

posted by ssk at 15:47| Comment(0) | 記事

2016年12月15日

年間1万5千人を殺す「受動喫煙」

 平成二十八年十二月九月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「年間15千人を殺す「受動喫煙」」


 を企画、取材、執筆しました。



8日付の朝日新聞朝刊の記事「禁煙の法制化要望 強力な規制を」によると、「日本内科学会など27学会でつくる禁煙推進学術ネットワークや日本医師会など計5団体は7日、2020年の東京五輪・パラリンピックに向け、公共空間での屋内完全禁煙を定める受動喫煙防止法・条例の制定を国や東京都などに求める要望書を発表した。

 要望書は、日本での受動喫煙による死者は推定で年間15千人に上ると指摘。喫煙室を設置しても完全に受動喫煙は防止できない上、喫煙室で従業員が受動喫煙にさらされるため、現在の国の案では対策が不十分として、屋内の完全禁煙を求めている」という。

 当サイトで幾度も指摘しているように、いまや受動喫煙は“看過しえない害悪”となっている。なぜなら、推計で年間15千もの人が、受動喫煙で“殺されている”からだ。これは、もはや喫煙者による“大量殺人事件”といっても過言ではない。だからこそ、日本医師会など27もの団体が、このような要望書を出している。

 だが、禁煙に反対の声も多く、とくに飲食店などでは、店内を禁煙にするかしないかは自由に決めさせろ、という店が多いのが実情。そうした店は、「吸いたい人は来ればいい、どうしても煙を吸いこみたくない人はうちの店に来なければいい」という量見なのかもしれないが、上記のように、それだと、少なくとも従業員が受動喫煙にさらされて殺されかねない。

 なかには従業員の大半、あるいは全員が喫煙者という店もあるかもしれない。だが、大半がタバコを吸うからといって、非喫煙者の社員を死の危険にさらす受動喫煙を強いるのは、許されないことである。たとえその非喫煙者が、採用面接などで、「タバコの煙は全然平気です」、などと言ったとしても、それはそう言わないと雇用されないから言ったに過ぎない。

 それに、たとえ従業員全員が喫煙者だとしても、なかにはタバコをやめる者も出てくることだろう。なにしろタバコを吸うと、周りの人々を息苦しくさせ、年間15千人もの命を奪う。それゆえ、喫煙者はうとまれ、隅に追いやられ、生き苦しくなっていく。タバコの価格も上がる一方だ。

 要するに、タバコを吸い続けてもろくなことがないので、やめたいという人は続出する。だから、たとえ社員全員が喫煙者だとしても、受動喫煙は許されない。

 その時代の流れのなかで、受動喫煙が横行する職場があると、禁煙社員が、受動喫煙にさらされる。タバコをやめることで職場で白い目で見られて、パワハラに遭うケースも出てくるかもしれない。せっかく禁煙した人に、再びタバコを吸わせるよう仕向ける輩も世の中には多い。

 そうしたことがないようにするためにも、法律により飲食店を含め全て禁煙にしなければならない。

 それにしても、受動喫煙で年間15千人が殺されているということは、タバコは個人の嗜好なので、吸う吸わないは個人の自由、というこれまでの言い分は、通用しない。もはやタバコは、「公共の福祉に反する」、つまり、憲法違反ではないか?

 かつて覚せい剤は、「ヒロポン」という商品名で、「除倦覚醒剤」「疲労の防止と回復に!」「各種憂鬱症 睡気除去」「体力の亢進」「作業能の増進」「頭脳の明晰化」などと広告で謳われ、普通に売っていた。それが敗戦後、禁止となり、いまや覚醒剤を使用すると、大犯罪人として扱われるのは周知のとおり。

 タバコも、同じ運命を辿るのではないか。(佐々木奎一)
posted by ssk at 20:51| Comment(0) | 記事

2016年12月14日

海と、天地の生き物を汚染するマイクロ・プラスチック 九

 次いで同年712日付の「マイクロプラスチックを減らすため一市民にできること」の元原稿は以下のとおり。


712日付の当コーナーで紹介した海を汚染する「マイクロプラスチック」。この問題を解決していくにはどうすればよいか――。引き続き東京農工大学の高田秀重教授(56歳)に取材した。

 「まず、一番はポイ捨てをやめることです」と高田氏は指摘する。ポイ捨てされたプラスチックゴミは、雨などによって水路に入り、やがて海に流れてしまう。

 また、ペットボトル対策は最重要といえる。ペットボトルのリサイクル率は87%と、色々なプラスチック製品のなかで一番リサイクル率は高い。これ以上は率が上がらないとも言われている。

 だが、実はペットボトルは海でみつかるプラスチックのゴミで一番多い。リサイクルされていない残りの13%の一部が海に出ていくのだ。

 「例えば、河川清掃するNGOが荒川で一年間に集めたペットボトルは3万本。日本全国、世界全体でみれば、何百万本という量になります」(高田氏)

 しかも、ペットボトルのリサイクルは経済的にペイされていないという。

 「ペットボトルをリサイクルしてできたものを売っても、その途中でかかる費用は賄えません。なので独立した事業としては成り立ちませんが、自治体がリサイクルを補助しているので、それでやっと事業として回っています。

 要するに、ペットボトルを使えば使うほど、僕らの税金が使われていくわけです。

 ペットボトルをリサイクルしているというのは、幻想に過ぎないわけです」(高田氏)

 では、ペットボトルを減らすには、どうすればよいか。

 「水筒を持ち歩くことが大切。例えば有料で給水できるものをコンビニなどに置けばよい。そういう流通、消費の仕組みをつくっていくべきだと思う。

 給水機も色々な場所にあります。それに水を入れておくのもよい。この間、環境省に行ったとき、環境省の建物のなかに給水機があったので水筒に水を入れて飲んでいたんですけど、環境省の職員の方は、逆にペットボトル買っていましたが(苦笑)」(高田氏)

 環境省の会議の席でもペットボトルが出てきたので、高田氏は役人たちをたしなめたともいう。

 スーパーやコンビニなどでレジ袋を使なわいことも大切。

 「ペットボトル、レジ袋は減らしていけます。この二つを減らすだけでもプラスチックゴミは今の半分ほど減ります」(高田氏)

 それにスクラブの洗顔剤や歯磨き粉に使われるマイクロビーズは、マイクロプラスチックの中のごく一部ではあるが、マイクロビーズの場合、水道管から下水処理場を素通りして確実に海に入って行くという特性があるので、「化粧品などにマイクロビーズを配合するのは止めた方がいい」と高田氏はいう。

 ただ、化粧メーカーはなかなか日本でマイクロビーズ入りの販売を止めないのが実情。だから消費者が買い控える必要がある。

 また、「3R」(Reduce(リデュース)、Reuse(リユース)、Recycle(リサイクル))という言葉がある。リデュースは「ごみそのものを減らす」、リユースは「何回も繰り返し使う」、リサイクルは「分別して再び資源として利用する」。

 「3Rの促進が大事です。それによって海に入って行くプラスチックの量を減らすことができます。ただ、3Rの促進といっても限界があります。そもそも使う量を減らさないと、大量に使って大量にリサイクルしても、大量な分、リサイクルされ残ったものも大量になり、海に出ていくことになります。まずは使う量を減らすのが大事です」(高田氏)

 また、「生分解性プラスチック」という、微生物により分解されるプラスチックもあるが、これについて高田氏はこう語る。

 「溶けて完全に水と二酸化炭素になるものであれば有効だと思います。ただ、今の使われ方は、生分解性のプラスチックと石油系のプラスチックを混ぜて素材をつくっています。例えば、コンビニのレジ袋にも生分解性のものはあります。この間、環境省の会議でコンビニの協会の方が出席し、生分解性のプラスチックの普及をしている担当の方がいらっしゃったのですが、やはり100%生分解性のものではなくて、石油系のものを混ぜているそうです。

 私は『逆に事態は悪くなる』という意見を申し上げました。中途半端に混ぜない方がいい。生分解性のプラスチックをつくるなら100%生分解性の製品にすればよい。

 そうしないと、生分解性のプラスチックだけ溶けて、石油系のプラスチックだけ残って、むしろ小さな破片は増えてしまい、通常のプラスチックよりも扱いにくくなります。

 破片になっていない段階の大きなゴミの形であれば、海岸での回収や浮いているものの回収は人手を出せばやれますが、細かく砕けて数ミリメートルになってしまうと回収できません。そういう意味では、今流通している生分解性のプラスチックは、マイクロプラスチックの生成が早まってよくありません」

 また、プラスチックのゴミを燃やす自治体も増えている。それについて、高田氏はこう語る。

 「プラスチックを使ってしまった以上、安全な処理の仕方、有害なものが出ない形で燃やしていくしかないと思います。プラスチックですから、最終的には燃やせば二酸化炭素と水にはなりますので。

 ただ、いくつか問題があって、一つは、塩と一緒の状態で燃やすとダイオキシンができやすくなります。もちろん、塩ビのように塩素を含むものを燃やせば、燃やす条件が悪ければダイオキシンが生成します。燃やす条件とは、温度が低い、酸素の供給が十分ではないなどです。

 それと、塩素を含まないプラスチックだけで燃やしたとしても、燃やす条件によっては、ダイオキシン以外の色々な発がん物質が生成します。

 そういうものが生成しないような今の技術を使った高度な焼却炉があり、色々な自治体で導入して燃やすようにしていますが、これは非常にコストがかかります。

 大体人口40万人の市のゴミを処理するための焼却炉をつくると、大体100億円かかります。焼却炉の寿命は30年ですから、これから少子高齢化して税収も減るなかで30年ごとに100億円、40万人で出し合えるかどうか、非常に疑問です。

 そもそも使う量を減らして、燃やす量を減らして長持ちさせていかなければいけない。あるいは、2箇所使っている焼却炉を一か所にするとかしていかないと、ずっと回っていきません。

 それと、今、高級な焼却炉をつくっても、事故や不具合で結構止まっているところが多いです。例えば、東京都調布市がそうですし、世田谷区も、この間、講演をやったときに聞いた話では、『世田谷区でも高級な焼却炉をつくったのですが、結構止まって動かないことが多くて困っています」という話を聞きました。

 それに、焼却炉をつくる用地がなくて、住民同士で対立している自治体もあります。例えば、小金井市には焼却炉がないので、小金井市のゴミは日野市に持って行こうとして対立が起こっています。

 燃やす選択肢は、最後の手段。やはり、なるべくゴミを減らしていく以外にありません。プラスチックの大量消費、大量焼却は、持続的な道ではありません」

 また、高田氏はこうも語った。

 「そもそもプラスチックは石油から作るもので、その石油は太古の昔に棲んでいた生物が死んで堆積して、数百万年から数千万年かけて石油になっています。プラスチックを燃やすというのは、石油を燃やしているのと同じです。

 日本では、プラスチックを燃やすことを『サーマルリサイクル』と呼んでいますが、諸外国ではそういう呼び方をしていません。リサイクルというのは、石油でできたプラスチックを燃やしてできた二酸化炭素が、またすぐに別なものに使われることをいいます。燃やすと、またすぐにプラスチックになればいいですが、実際はプラスチックになるまでには数百万年はかかるので、決してサイクルは成立しないわけです。どんどん二酸化炭素が大気中にたまって温暖化の原因になります。

 プラスチックを燃やすことはリサイクルではありません。廃棄物処理の会社のなかには、サーマルリサイクルと呼んで、どんどん進めようとしている会社もありますが、それは間違いなのです。

 また、プラスチックのゴミを埋め立てる方法もありますが、これは有害な化学物質が浸み出して高い濃度になります。シートを使えば防げますが、それをいつまでも続けられるのか疑問です。

 こうしたやり方は、数十年、数百年続くやり方では決してありません」

 また、高田氏は「知恵と技術を使えば、うまく回っていくと思います。少しずつそういう風潮はできてきていると思います。また、そうした環境に配慮した会社が評価されて売れていくようになっていくといよいと思います」とも語った。

 マイクロプラスチックは今後、20年で10倍になるという。そうすると、有害性が顕在化する事態になりかねない、と高田氏は警鐘する。そうなると人類はおろか地球の全ての生命に悪影響が及んでしまう。そうさせないために一人一人の消費者にできることは実に多い。(佐々木奎一)

posted by ssk at 19:15| Comment(0) | 連載

2016年12月11日

選手を侮辱するジャパネットたかたの卑しい広告

 フランスで開催したフィギュア・グランプリファイナルで、世にもうっとうしい広告があった。
 ジャパネットたかた、である。
ジャパネット広告.JPG

 黄色の極太文字に赤の影付きでデカデカと「利益還元祭」とあり、その上に赤字で「ジャパネット30周年」とある。
 スポーツの競技場に社名のロゴを入れるのはよくある。だが、こんな、非常識で卑しいメッセージを入れる目ざわりな会社は、このジャパネットたかただけだ。場にそぐわないこと極まりない。ジャパネットたかたという存在そのものが、選手たちを侮辱している。
 この広告で、気分をわるくした人も多かったに違いない。
 そういえば、ラジオとかでよく、ジャパネットたかた、という会社が通信販売のセールスをやっているが、それも、つくづく、うっとうしい。その企業体質が、広告にありありと現れている。この広告をみて、このジャパネットたかたという会社でだけは一生買うまい、と誓った人も多かったのではないか。
 ジャパネットたかたなどという非常識で場に直ぐない広告をのせる企業は、選考して落として、もっと場をわきまえた格式ある企業にしてほしいものだ。
 それと、格式という意味では、アコム、マルハンといった、サラ金とパチンコの広告も、排除してほしい。
 
 
posted by ssk at 22:53| Comment(0) | 随筆

2016年12月10日

政教分離違反と池田大作党 六



 池田大作教の教団幹部に多い、池田一神教に脳髄まで染まった信者連は、「選挙」のたびに「法戦」と称している。その姿は、ISやアルカイダの「ジハード(聖戦)」と酷似していることは前述した。

 実際、ISは、「イスラム国」と称している。池田大作教は、「ソーカ王国」と称している。

 また、池田教は、「革命」という物騒極まりない思想も持っている。「革命」とは、「従来の被支配階級が支配階級から国家権力を奪い、社会組織を急激に変革すること」(広辞苑第六版)である。

 池田大作教は、平和革命とか人間革命などと、例によって詭弁を弄しているが、結局、革命というのは、この国を乗っ取り、ちがう国にしてしまおう、という、この上なく危険な犯罪的野望である。その実行部隊の一つが、池田党ことコーメートーである。

 この国を乗っ取る、という池田大作の危険思想は、オウムと酷似している。オウムの尊師・麻原彰晃は、拙速にテロによってこの国を乗っ取ろうとした。

 池田大作は、政治、行政、司法、芸能、経済などあらゆる分野に信者を張り巡らせ、教祖のために生きるよう信者を洗脳し、この国を乗っ取り牛耳ろうとした。

 池田大作の革命は、麻原彰晃よりも時間をかけ、この国に根深く侵食している。その一点で、麻原彰晃よりも巨悪である。

posted by ssk at 19:46| Comment(0) | 連載

カジノ解禁法案、安倍自公独裁政権の異質の強行採決

 平成二十八年十二月五月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「カジノ解禁法案、安倍自公独裁政権の異質の強行採決」


 を企画、取材、執筆しました。



 カジノやホテル等の統合型リゾート(IRIntegrated Resorts)の整備を政府に促す「カジノ解禁法案」が2日の衆院内閣委員会で強行採決され、6日の衆院本会議で可決させ、14日の会期末までに成立させる方針という。(朝日新聞)

 この法案での“強行採決”は、同紙によると次のようなものだという。「この『言論の府』のありようは、有権者が望んだ姿なのか。TPP承認案、年金制度改革法案に続く今国会3度目の自民党による採決強行。しかも、今回はこれまでとは意味合いが異なる。

 過去2度は連立を組む公明党と採決を合意していた。しかし、今回は慎重論が強い公明に議論の時間を与えず、前のめりになる日本維新の会を別動隊のようにして採決に突き進んだ。

 自民は夏の参院選で勝利し、27年ぶりに衆参両院で単独過半数を握った。見えてきたのは、協力する政党を自在に選択し、異論に向き合わないまま、自分たちの思い通りに社会の秩序を変えようとする姿だ。(中略)自民は、関係閣僚の出席、地方公聴会の開催、参考人質疑など2年前に与野党で合意していた審議手順も踏まなかった。

 資金不正の温床になることへの懸念から、野党議員は2日、関連業者のカネと政治の関係を問うたが、提案者の自民、維新議員5人全員が答えを拒んだまま、質疑は打ち切られた。国会は合意形成の場としての機能を失った」

 このようにカジノ解禁法案は、安倍自公政権の独裁の先例となるリスクが高い。

 なお、よくいわれるように、カジノが解禁されると、ギャンブルにハマる国民は確実に増える。しかも、厚生労働省研究班(代表=樋口進・国立病院機構久里浜アルコール症センター院長)の2014年の調査によると、ただでさえ、日本は国際指標で「病的ギャンブラー(ギャンブル依存症)」に該当する者が、成人人口の男性8.7%、女性1.8%、男女合わせ4.8%(合計536万人)もいる。アメリカ(ルイジアナ)1.58%(02年)、カナダ0.9%(02年)、フランス1.24%(08年)、香港1.8%(01年)、韓国0.8%(06年)などの他国と比較して、日本は別格である。(同調査。赤旗新聞電子版より孫引き)

 そもそも、ギャンブルは、刑法で禁じられている。たとえば最高裁の判例では、「賭博行為は、一面互に自己の財物を自己の好むところに投ずるだけであつて、他人の財産権をその意に反して侵害するものではな」いようにみえる、と前置きしたうえで、「しかし、他面勤労その他正当な原因に因るのでなく、単なる偶然の事情に因り財物の獲得を僥倖せんと相争うがごときは、国民をして怠惰浪費の弊風を生ぜしめ、健康で文化的な社会の基礎を成す勤労の美風を害するばかりでなく、甚だしきは暴行、脅迫、殺傷、強窃盗その他の副次的犯罪を誘発し又は国民経済の機能に重大な障害を与える恐れすらある」と述べている。

 つまり、ギャンブルが解禁されると、ズブズブとギャンブルにハマる者が続出し、仕事をしなくなる「怠惰浪費」の風潮がはびこり、借金漬けとなり、強盗、殺傷などの犯罪行為を誘発する。

 だから、刑法では、「賭博をした者は、五十万円以下の罰金又は科料に処する」、「常習として賭博をした者は、三年以下の懲役に処する」、「賭博場を開張し、又は博徒を結合して利益を図った者は、三月以上五年以下の懲役に処する」、「富くじを発売した者は、二年以下の懲役又は百五十万円以下の罰金に処する」といった刑罰を科している。

 そして、判例では、こうした賭博行為について、「これ等の行為は畢竟公益に関する犯罪中の風俗を害する罪であり、新憲法にいわゆる公共の福祉に反するものといわなければならない」としている。(昭和251122日、最高裁判所大法廷)

 なお、前出のように日本で異様にギャンブル依存症が多いのは、町中に公然とパチンコという刑法の抜け道の産物があるためと見られている。要するに、パチンコを野放しにしている時点で、本来、アウトなのだ。

 パチンコに刑法を適用させてこの国からパチンコ店を消滅させて、その代りに、IRと称するギャンブル場に賭場を集中させて、国と自治体が管理するというのなら、まだわかる。だが、そうした措置が絶無のまま、自公政権は独裁的手法でギャンブルを解禁する。(佐々木奎一)



PS カジノ法案を巡り、池田大作党が右往左往しているようだが、いまのモンスターのような政権を産み出したのは、ほかならぬ池田教である。池田大作狂たちが、小選挙区の自民党議員を当選させている。それをいまさら池田党は慌てふためいている。その低劣さが、いかにも、池田大作教らしい。その低劣さこそが、巨悪の根源である。安倍自公政権下で起こる全ての責任は、宗教の仮面を被ったカルト政治集団・池田大作狂にある。


posted by ssk at 15:24| Comment(0) | 記事

2016年12月08日

役人がひた隠す貧困の連鎖を止める生活保護の特例

 平成二十八年十二月二月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「役人がひた隠す貧困の連鎖を止める生活保護の特例」


 を企画、取材、執筆しました。



1129日付の朝日新聞朝刊に「貧困の子へ贈与『税軽減を』 来年度税制改正、政府・与党で議論」という記事がある。それによると、来年度の税制改正で、貧困家庭の子への贈与税について次のように議論されているのだという。

 「現行では30歳未満の子や孫に教育資金を一括で贈与する場合、最大1500万円まで贈与税がかからない。だが、血縁関係がない場合は年間110万円を超える分が課税される。仮に一括で1500万円を受け取れば約450万円の税金を納めなければならない。

 内閣府と厚生労働省は来年度の税制改正要望で、貧困家庭の子どもが篤志家から教育資金を受け取った場合、最大1500万円まで贈与税を非課税とすることを提案。内閣府は『資力のない親の代わりに教育資金を出すと考えれば理解は得られるのでは』とする。22日の自民党税制調査会では『貧困の連鎖や世代間格差の解消につながる』との意見も出た。

 しかし、政府内には『篤志家と出会えた子どもと出会えなかった子どもとの間で不公平が生じる』との懸念があり、与党協議では『来年度の税制改正に盛り込むのは難しい』との意見が強い」というもの。

 これは例えば、相続する人がいない人などが、貧しい知人の子どもの進学のために寄付したい、といったケースがあるとする。政府内には、そういう篤志家に出会う人、出会わない人で格差が出るのは不公平、だから贈与税を免除する必要はない、と言う者がいるのだそうだ。

 だが、それをいうなら、世の中は、生まれたときから貧困家庭から中流、上流家庭といった具合に、不平等に満ち満ちているのが現実である。第一、政府内で「格差が出るのは不公平」と言ったという者は、格差社会の上位にいる。そういう者が、「格差が出るのは不公平」などとほざく資格はない。

 上述のように贈与税を1500万円まで非課税にすれば、少しでも篤志家が増える要因になる。ひいてはそれが、貧困固定の格差社会を1万分の1ミリでも改善することにつながるのではないか。

 なお、貧困家庭の子どもの教育という意味では、贈与税をどうかするよりも重要であり、すでに定められた制度でありながら、周知されていない事がある。それは、生活保護世帯の子どもの進学費用についてである。自治体の役人の中には、例えばシングルマザーの生活保護受給者に対し、「あなたのお子さんは、入学金などの費用が賄えないのだから、大学に行けません。高校を卒業したら働いて下さい」と、ひとの人生を指図する役人がいる。その役人の言葉により、進学を諦める子どもが、世の中にはたくさんいる。

 もちろん、大学に行かない=貧国というわけではないが、大学に行かない方が貧困になる可能性はアップするのは事実。ただし、当コーナーで再三再四指摘しているように、ろくに勉強をしない三流大学に行って遊び呆けて何百万円も借金をして劣化して卒業するくらいなら、すぐに社会に出て働いた方がよっぽど将来性はある。だが、他方では、ちゃんとした大学で目標を持ってしっかり学んで卒業する、真の意味での「大学生」も多々いる。そうした真の大卒者は、進学しない人より高所得者になる率は高い。

 それだから、役人が入学金を理由に進学を諦めさせることは、子どもを貧困連鎖のアリ地獄に追い落とすに等しい暴挙である。

 しかも、生活保護の制度上、子どもが進学する道があるのにもかかわらず、役人は、進学できません、と言い切る。それで進学できずに貧困に陥ったら、その役人と上司、上層部のせいだ。役人の連中に対する懲戒解雇等の処分と、役人の指図で進学を逸した子どもへの賠償をしっかりとさせる、という責任を明確にする仕組みが必要である。

 ではどうやって入学金等の進学費用を捻出するのかというと、子のアルバイトによっである。通常、子がバイトで稼いだ額は、生活保護の世帯収入に換算されるので、バイトをした分、生活保護の支給額は減る。しかし、バイトで貯めたお金を進学費用に充てることが特定できる場合は、役所に申告してそのことを認めさせて、手続きをしっかりと踏むことにより、バイト収入を、世帯収入から控除することがてぎる。つまり、生活保護が満額支給された上で、バイト収入も入る。こうしてコツコツとバイトをして稼いだお金を、進学費用に充てることができる。だから、勉強さえできれば、生活保護世帯の子どもでも大学に行き、高所得者にもなれる。

 そういう制度があるのに、そのことを言わない役人は、実に多いのだ。役人が言わないのは、生活保護費による財源の支出を減らすためとみられる。つまり、往々にしてバイトをしている生活保護世帯は、生活保護の支給を減らしたくないので、バイトをしていることを役人に隠したりする。その後源泉徴収により、役人が半年以上経ってからバイトをしていることを突き止めて、不正受給ですよ、と迫り、バイト分の生活保護支給額の返金をさせている。返金させた分、財源は浮く。役人にとっては、貧困家庭が貧困のアリ地獄から抜け出すことよりも、故意に不正受給に追い込み、貧困層から借金を取り立てることの方が大事なのだ。

 しかも法律家などの専門家ですら、生活保護の制度を詳しく知らない人が実に多いのが実情である。

 では、どうすればよいか。生活保護受給者が、単身、役人と掛け合うというのは、できれば避けた方がよい。前述のように、役人がデタラメなことを言って、言いくるめて、進学を諦めさせる可能性があるからだ。

 そのため、できれば専門家を同行させた方がよい。例えば、法テラスを通せば、費用がかからなくて済む場合がある。ただし、法テラスを通す場合にも、ただ漫然と法律家を選んでもらう、というのでは、よい結果は望めない。法律家にとって、現状、生活保護法は、盲点となっている。生活保護法は仕事に結びつかないことが多いため、詳しい内容を知らない法律家が多いのである。

 それだから、なるべく生活保護受給者自身が、生活保護法に精通した法律家をピックアップして、その法律家の事務所に出向いて相談して進めた方がよい。

 なお、法律の専門家による各種団体は、もっと勉強して生活保護法に詳しい法律家を育成し、情報発信すべきである。(佐々木奎一)

posted by ssk at 14:51| Comment(0) | 記事

2016年12月06日

タバコの“罪と罰” ニ

 不動産屋に電話をしたところ、担当者は今日は休みで明日出勤します、と言い、要件をうかがいしましょうか、というので、事情を説明した。すると、「どこの部屋の人が吸っているか、わかりますか?」と何回か聞き返してきた。「いえ、それは確認していません」と、筆者は答えた。

 なぜなら、喫煙している現場を確認するとなると、喫煙者と目が合う可能性がある。ひょっとしたらその喫煙者は、粗暴極まりない輩かもしれない。そうすると、トラブルになるのは必定。じかには、そういう輩とかかわりたくないので、部屋を特定するためのアクションは控えていたのだ。

 結局、その不動産屋は、「わかりました。明日、担当の何々に事情は伝えておきます」と言って、電話を切った。

 それにしても、よくよく考えてみると、こういう場合、賃貸物件を管理する不動産屋、あるいは大家の考え方次第で、対応はガラリと変わってしまうはずだ。

 もしも喫煙者の言い分を擁護する前時代的な思考回路の不動産屋なら、「タバコの煙が部屋に入ってくるくらいは、我慢してください」とか言い放つことだろう。

 受動喫煙の弊害に理解のある不動産屋なら、ベランダでの喫煙を許さないことだろう。

 不動産屋の考え方一つで、住民の生活は、大きく変わってしまう。

 賃貸物件で、どんなにいい間取りで、内見した時点では非の打ちどころがなかったとしても、いざ住んでみたら、隣接する住人がベランダでタバコ吸い放題で、自分の部屋にタバコの煙がひっきりなしに入ってきて、その状況を、不動産屋が容認する、というようでは、住み心地はすこぶる悪い。

 よって、こういうときは、あらかじめ、ほかの住民がベランダで喫煙した場合は、どういう対応をしているのですか?と、質問した方がいい。もし、わたくしどもの管理しているマンションでは、外で喫煙することは禁止しています、と言うのなら、いい物件といえる。ただし、入居させたいがためのデタラメの可能性もゼロではないので、契約書のどの部分を根拠にそう言っているのか、を聞いたり根拠条文が抽象的でどうとでも解釈できるようなら、この条文を根拠にベランダでの喫煙は禁止します、とった文面を作成してもらった方が、あとあとトラブルになった場合、有利だ。

 どう対応するのか、すぐに答えられない不動産屋に対しては、しっかりと返事をするよう要求した方がいい。それでも、まともに回答できないようなら、「受動喫煙蔓延物件」かもしれない。

 考えてみれば、レンタカーなんかでも、最近は、禁煙車、喫煙車と区分けされているケースが多い。ホテルの部屋も、禁煙者専用というのが増えてきた。中古車の販売も、禁煙者のワンオーナーかどうかがわかるようになっている。

 いまや、この世のあらゆることが、禁煙か、それとも喫煙か、この二つに峻別されつつある。

 だから、賃貸物件も、最初からずっと完全禁煙の部屋とか、建物全体が「禁煙者のみ入居可」の物件で、入居後喫煙者になったりして部屋のなかで喫煙したら違約金を払って退去する契約の物件があったら、入居者が殺到するのではないか。「禁煙マンション」は、資産価値が上がることだろう。

 「喫煙マンション」は、受動喫煙被害のリスクに満ちている。喫煙者とすれ違うだけでも、タバコ残留成分がただよっているし、エレベーターで喫煙者と一緒になったら、密室空間にタバコ残留成分が蔓延することになる。それに、ベランダでの喫煙や、換気扇から蔓延する煙で、ほかの人の部屋を汚染するリスクもある。タバコの火の不始末による火事のリスクもある。

 「喫煙マンション」には、なるべく住みたくない、という人は多いはずだ。

 (続く)

posted by ssk at 16:12| Comment(0) | 連載

2016年12月05日

フィギュアNHK杯女子シングルSP「深夜枠」に放逐

 平成二十八年十一月二十八月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「フィギュアNHK杯女子シングルSP「深夜枠」に放逐」


 を企画、取材、執筆しました。



 先週末は恒例のフィギュアNHK杯が行われた。いうまでもなく、この大会は毎年、主催者であるNHKが放送している。フィギュア王国・日本の自国開催の試合とあって、楽しみにしている日本人は実に多い。

 だが、今年のそのNHKの放送は、意表を突くものだった。フィギュアNHK杯は、いつもは生放送で中継している。だが、テレビ欄をみても、初日251610分に行われた女子シングル・ショートプログラム(SP)が、見当たらないのだ。よくよく調べてみると、日付変更した25010分から、ひっそりと放送していた。

NHK杯の女子シングルを深夜放送で流すなどというのは、異例中の異例であり、2011年以降の過去6年間を調べてみても、そんな事態は絶無である。

 いったいなぜか。なにか別に重要な番組があったというのか。SPの生の時間帯には、NHKは大相撲をやっていた。18時から19時半まではニュースだった。そして、19時半からは、男子シングルSPの生放送。こちらはソチ五輪金メダリストの羽生結弦が出るとあって、しっかりと生中継した。それが終わって2045分から22時まではニュース。そして、22時から2250分は「ドラマ10 コピーフェイス〜消された私〜」というドラマ。テレビ欄には「こん身のラブ・サスペンス! 罪を犯したセレブ妻。暴こうとする雑誌記者。二人が入れ替わる時、戦慄のストーリーが始まる!」という、民放のような番組。その後、ドキュメンタリー、ニュースなどがあり、日付変更後にやっと女子シングルSPが始まる。

 要するに、仮に生放送をするのは難しかったとしても、もっと多くの人が観ることができる時間帯に放送することはできたに違いない。では、NHKは、なぜ、こんな深夜に放送したのだろうか。

 今大会の女子シングルは、宮原知子、樋口新葉などが出ていた。

 浅田真央は出ていなかった。

 もし国民的人気の浅田真央が出てていたら、深夜に放送しなかったに違いない。

 民放が、そういうことをするのなら、まだわかる。視聴率のとれる選手をゴールデンタイム(1922時)に放送することで、スポンサーをつけることができるからだ。

 だが、NHKは、国民の受信料でまかなっている。それなのに、民放のような浅薄な真似をした。

 そもそも、深夜枠で放送された宮原知子は女子シングルの日本のエースであり、樋口新葉は伊藤みどりと比較されることすらある期待の新人。そうした選手が自国の、しかも自分のところで主催している大会に出場しているというのに、人気があまりないからといって、深夜枠に放り出すというのは、あまりにも、浅ましい。

 人気があるから放送する、ではなく、NHKが放送することで国民に知らせ人気を広げていく、というコンセプトがなければ、国民に受信料を支払わせて放送する価値はない。

 いうまでもなくフィギュア王国・日本の選手が活躍すれば、国民に勇気を与え、そうした選手たちの姿をみることで、次代に継承されていく。

 その歴史の渦中で、民放のような浅ましさは、いらない。(佐々木奎一)

posted by ssk at 21:31| Comment(0) | 記事

2016年12月02日

54年ぶり…東京で11月に初雪

 平成二十八年十一月二十五月付、のauのニュースサイト


   EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「54年ぶり…東京で11月に初雪」


 を企画、取材、執筆しました。



24日は関東甲信の各地で雪が降っている。例えば東京では午前6時半前に初雪が観測された。東京で11月に初雪が観測されるのは19621122日以来54年ぶりとなる。

 この都心部の雪は、執筆現在の午前1125分時点で降り続ており、徐々に道路などに雪が積りつつある状況。(その後、みぞれまじりの雪に変わり始めた)。この初雪は、異常気象なのだろうか?

 ちなみに、54年前の東京の初雪は、どういうものだったのか。当時の朝日新聞にはこうある。この日は「昼から真冬なみの冷え込み」で、「東京では午後712分からみぞれまじりの初雪がふりはじめ、夜がふけるにつれてみぞれの勢いは強まっていった」。

 「東京は各家庭ともあわててコタツや石油ストーブをひっぱり出し、町や駅では帰宅を急ぐ人たちで大ラッシュだった。都内の主要道路も家路を急ぐ車がいたるところでじゅずつなぎ、下町の千葉、水戸街道では夜七時ごろ解消する夕方の交通マヒが九時ごろまでかかった」「銀座など都心の盛場は早目に人の姿が消え、銀座のバー、喫茶店も客足は遠のき、早じまいの店が目立った」「新宿の繁華街も人出が少なく、チラホラの買物客は『一刻も早く家へ』と気ぜわしくタクシーへ。渋谷の映画街がハネてはき出された客たちは『おお、寒い』を連発、首をすくめて駅の方へかけ足」という状況だったという。

 なお、当時の読売新聞によると、「都心部ではみぞれだったが、気象庁の観測法規ではみぞれも“雪”となるため、これが初雪と観測された。このみぞれは二十三日午前一時すぎやんだ」とある。

 つまり、54年前は、みぞれだった。昨日は、雪そのものだった。

 なお、昨日の昼過ぎのテレビ朝日系ニュースは、「24日午前11時に東京で積雪が観測されました。11月に東京で積雪が観測されるのは史上、初めてとのことです」と、速報していた。観測史上はじめて、であれば、異常気象というのことになりそうだ。がしかし、この速報には、大なるクエッションを付けざるを得ない。

 そもそも東京で11月に初雪というのは、1876年の気象庁の観測以来、今回で11回目となる。つまり、過去53年間は降らなかったが、それ以前はおよそ8年半に一回のペースで降っていた。

 しかも、そのなかには、積雪があった、と新聞が報じているものもある。例えば、今から66年前の19501129日、東京で初雪が観測された。同日の読売新聞夕刊によると、この日は、「東京に初雪が二、三センチほど積もった―汽車も電車もバスも白い雪をのせて早朝の勤め人を運ぶ」とある。そして、同記事の横には、「こんなに積もった初雪=けさ7時馬場先門前で」というキャプション入りで、車の上に降り積もった雪を、手で掻き落としている女性の写真がのっている。

 つまり、テレビ朝日とその情報源の気象庁のいう、観測史上初めて東京で11月に積雪、というのは、実体に反する。なお、気象庁は、一点記録主義といって、大手町の観測所で雪が計測されない限り、都心のあちこちで雪が降り積もり、たとえ子供たちが雪だるまをつくる状況でも、「初雪ではありません」と言い張る組織だ。(参考「確かに雪が降ったのに…『東京は初雪ありません』気象庁 一点(大手町)観測だけで“記録”」19701226日付毎日新聞朝刊、(雪だるまの写真付))

 それだから気象庁が「観測史上初」などという大げさな謳い文句を口にして、記者クラブメディアがそれを拡散しているときは、まゆつばものである可能性も視野に入れた方がよさそうだ。

 なお、朝日、読売、毎日新聞の敗戦前の記事のなかで、11月の東京の初雪を大きく取り上げているのは稀有。例えば、19321119日付の読売新聞夕刊の記事「けさ初雪 チラリと6分間 33年ぶりのこと 早慶戦まず好天気です」によると、この日の午前820分頃、東京で初雪が降ったという。これは「明治三十三年十一月十七日につぐ三十三年振りの早い初雪」(※筆者注、観測史上、東京で最も早い初雪は今も1117日)で、この日は「八時十七分から六分間」降ったというから、かなり小ぶりである。戦前はこの程度しか報じられていないので、その意味では、昨日の初雪は、ここ140年間の11月の東京の初雪のなかでは、屈指の量の雪が降っていたもかもれしない。

 なお、東京では1117日が最も早い初雪ではあるが、東京以外では、かつてはこんな初雪もあった。

1924年(大正13年)1112日付の朝日新聞朝刊「今年の初雪 日本記録を破る」によると、同年119日、佐賀市、長崎、徳島、広島などで初雪が降り、翌10日には、筑波、水戸、足尾などでも初雪が降ったという。

 また、1938年(昭和13年)1114日付読売新聞朝刊「全国に雪の奇襲」によると、同年1113日、長崎、熊本、大分、広島、岡山、徳島、京都、彦根、浜田、福井、富山、高山、松本、長野、岐阜、名古屋などで雪が降ったという。

 このように、11月の初雪自体はけっこうある。昨日の初雪の積雪量が多いにしても、それが50年や100年に12度程度なのか、それとも頻度が増すのかどうか、今年以降の推移をみていかなければ、異常気象なのかどうか、判断できない。(佐々木奎一)

posted by ssk at 20:19| Comment(0) | 記事

2016年12月01日

タバコの“罪と罰” 一


 この国のタバコを取り巻く環境は、後進国そのものである。いまから5年、10年、20年もすれば、タバコについてまかり通っているいまの現状について、唖然とすることは山ほどにあるに違いない。あたかも、われわれ現代人が、今から3040年前の映像で、たとえば労組と会社の交渉かなにかの席で、労働者たちが大きめの部屋で椅子に座りながら灰皿も持たずにタバコをスパスパ吸いながら使用者に盛んに抗議していて、その喫煙風景を労使ともに当たり前としている様子を現代人がみると、異様にみえるのとおなじように。

 そういう時代状況で生活するなかで、最近、こんなことがあった。

 それは、筆者の住むマンションでのこと。筆者は、横浜の片隅の自然が取りえの土地に移り住んで丸二年経つ。無論、空気がよいので、窓を開けることも多いのだが、ここ34週間前から、窓をあけると、にわかに、タバコのにおいがしてくるようになった。最初は気のせいかとも思ったが、どう考えてもタバコ臭い。しかも、一度や二度ではない。ほとんどあけるたびに、数分以内にタバコのにおいがしてくる。

 タバコのにおいがいやなので、次第に、窓を開けなくなった。すると、驚いたことに、窓を締め切っているにもかかわらず、部屋の中がタバコ臭いときがあるのである。それも一度や二度ではない。かなり頻繁に、タバコくさい。

 しかも、カーテン付近では、タバコのにおいが、すでにこびりついている。

 さらに、閉口したことに、キッチンにある換気扇あたりからも、タバコのにおいがしてくるのである。それも一度や二度ではない。一日に何度も、タバコくさくなる。

 しかも、平日、祝日、土日とわず、時間帯も、朝から晩までひっきりなしに、時節、タバコくさくなるのである。

 隣か上下階か、斜め下か、斜め上の階か、定かではないが、隣人のしわざにちがいない。

 そこで、ちょっと受動喫煙について調べてみたところ、ホタル族といって、ベランダに出てタバコを吸う輩がいて、当人は外で吸えば煙は人のいないところにいく、と思っているのかもしれないが、実際は、隣室の窓から部屋の中にタバコのけむりが侵入する、という受動喫煙被害が横行している、という、被害ケースが載っていた。

 いまのご時世、職場の受動喫煙も、禁止される流れになってきており、罰則が付くのも時間の問題だというのに、世の中には、自宅にいながら受動喫煙に苛まれる人もいるという事実を知り、呆然とした。そして、筆者も、にわかに、その被害者に列したことを認識した。

 昔、アメリカの新聞かなにかで、かの国のどこかの町では、自室の部屋のなかでの喫煙さえも禁じている、とか、タバコを吸った者は追い出すマンションがある、という記事をみたことがあり、アメリカでは喫煙者は存在自体が否定されているのかと思ったものだが、いざ自宅にいながらの受動喫煙に遭ってみると、そんなアメリカに先進性を感じてきた。

 だが、日本では、自宅での受動喫煙被害を防止する法律は整備されていない。

 自宅にいながらの受動喫煙被害の場合の裁判の判例も調べてみた。が、あんまりパッとしない。画期的な判例といわれるものですら、加害者である喫煙者に対し、5万円の賠償を命じる程度。判例では、かなりの程度、住民は、受動喫煙を受忍する義務があるのだそうだ。

 受忍義務があるなどというのは、到底納得できるものではないが、裁判官が、こんな判決をしてしまうのは、社会全体の認識がそうだからである。社会認識が変われば、裁判官の認識も変わる。それに社会認識がかわれば、タバコ利権にまみれた怠け者の政治家官僚の者共も変わらざるを得ない。

 だが、残念ながらいまの社会認識は、他人の家にタバコの煙をまき散らす輩が隣人となった場合は、かなりの程度、被害者は耐え忍ぶ義務があります、というものである。

 だからこそ、被害者は、泣き寝入りしては、ならない。

 そういうことも考えつつ、12週間経過したが、あいかわらず、家のなかはタバコくさい。そこで、外とつがっている、壁に付いている通気口を閉じて、外の空気と遮断したところ、窓付近からはタバコのにおいはしなくなった。ただし、そのせいで、部屋は換気できなくなってしまった。

 そして、キッチン付近の換気扇からは、あいかわらず、タバコのにおいがする。そのため、換気扇をほとんど付けっ放しにすることにした。

 それにしても、この換気扇はどこにつながっているのだろう。ひょっとしたら、隣人が換気扇の下でタバコを吸っていて、その煙がこの部屋に流れてきているのではないか。そこで、調べてみたところ、キッチンの換気扇は、ベランダの外と通じていた。ということは、やはり、隣人がベランダに出て吸っている煙が、うちのベランダに充満している、ということになる。

 どう対処すればよいのか。

 色々考えたが、まずは、不動産屋を通して、大家さんから、各戸に、ベランダで吸わないよう、書類で通知してもらうよう、依頼することにした。もしも、通知してからも、相変わらず、タバコを吸っているようなら、そのときは、どこでだれが吸っているのか、こらちで調べて、喫煙者に個別具体的な通知をするよう依頼して、それでも、吸い続けるようなら、じかにその喫煙者と話し合いをして、双方の折り合いのつく方法を考えて、今後はこうしていく、という取り決めをして、文書に書き、サインをする。それでも、その喫煙者が約束を破る輩なら、そのときは、裁判をしなければいけない、かもしれない。

 そのように考えた末に、不動産屋に電話をした。

 (続く)

posted by ssk at 19:38| Comment(0) | 連載