2016年10月31日

ヒット打つ気ないファウル連発で四球の卑劣な手口

 平成二十八年十月二十八月付、のauのニュースサイト


  EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「ヒット打つ気ないファウル連発で四球の卑劣な手口」


 を企画、取材、執筆しました。



 プロ野球は日本シリーズの真っ最中である。この原稿を執筆している26日が終わった時点で、広島、日本ハムともに22敗。

 ここまでの試合で、特に、あとあとまでの語りぐさになるであろう試合は、今年で引退を表明した広島のピッチャー黒田博樹が先発した25日の試合であろう。

 この日、黒田が投げている間は、21で広島がリードしていた。

 そして、黒田が降板し、点数は変わず、8回裏の日本ハムの攻撃に入り、広島のピッチャーはジャクソンに代った。バッターは、9番・中島卓也。この中島は、ジャクソンの投げ込む渾身の球に対し、何度も何度も何度も、ファウルした。全力で投げるなかで、ストライクにならないボール球も出てくる。そのボール球は見逃し、中島はフォアボールで出塁した。

 この中島のやっていることは、極めて薄汚い行為に見えた人も多かったに違いない。たとえば、バッターの1番から9番まで、全員、中島みたいなことをやっていれば、相手投手は3回までもたないかもしれない。

 この8回裏の中島の執拗なファウル打ちに対し、解説者の古田敦也氏は、中島はヒットを打とうとするのではなく、フォアボール狙いでボールを当てようとしているだけ、という趣旨のことを言っていた。その言動からは、中島の行為を否定しているニュアンスが伝わってきた。

 なお、この日の試合は、中島の出塁を機に、日本ハムが逆転して勝った。中島の汚い行為が、試合を決定づけたのだ。

 ちなみに、中島が意図的にファウルを重ねて、相手投手にボール球を投げさせ、フォアボールを狙っているのは、誰の目にも明らかだが、中島本人も、そう言っている。

 例えば、スポルティーバ電子版の141012日付の記事「日本ハムのキーマン・中島卓也が語る『2番打者の極意』」には、こう書いてある。

 「721日、大阪で行なわれたバファローズとの一戦ではブランドン・ディクソンに16球を投げさせた。この打席で打ったファウルは12本。結局はショートゴロに倒れたが、先発ピッチャーを疲弊させるのに十分な働きをした。727日のイーグルス戦では、則本昂大を相手に、またもファウルを打ち続けた。

 『あの打席は一番、印象に残っています。1点負けている7回だったかな。ワンアウト一塁で打席に入って、ピッチャーは則本でした。粘って粘って、ずっと粘って、最後はフォアボールでつないだ。その直後、中田(翔)さんが逆転3ランを打って勝ったんです。すごく嬉しかったし、(ファウルで粘れたことが)よかったと思いました』」

 さらに、こう言っている。「ツーストライクを取られたら、どんないいバッターでも打率は下がります。ましてや僕なんかが、追い込まれてからヒットを打ちにいっちゃダメだと思ってるんで、ツーストライクからはアプローチを変えます。ヒットを打ちにいってファウルになるのではなく、最初からファウルを打ちにいく感じですね」

 そして、こう断言している。

 「もちろん、追い込まれてからは甘い球でもファウルを打ちにいきますよ。ヒット狙いじゃなくて、フォアボール狙いですから......何とかフルカウントまでは粘ろうと思ってるんです」

 このように、包み隠さず語っている。

 この中島のやり方を批判すると、必ず、こう反論する人がいる。

 ファウルをするのは立派な技術だ、とか、中島を批判するのは野球のド素人だ、と。

 たとえば、日本ハムファンにとっては、中島の薄汚い手口で勝った、と言われたり、ファ自身がそう思ったりすると、嬉しさも半減してしまうので、そう思いたくない、という心理が働く。それに何といっても、中島のやっていることはルール違反ではない。なので、ルールにのっとる限り、勝つために何でもする、中島みたいな真似さえもする、という考えの人も多い。

 なお、中島がファウルをするのは類まれな技術、という声については、上述のように、中島自身、「ツーストライクを取られたら、どんないいバッターでも打率は下がります。ましてや僕なんかが、追い込まれてからヒットを打ちにいっちゃダメだと思ってる」と言っている。つまり、中島は、技術があるから、ファウルばかり打っているのではなく、むしろ技術がないから、ファウルばかり打っている、ということになる。

 要するに、試合で勝つ、という一点だけでみた場合、中島のような行為が、勝利に結びつくことがあるのは事実。だが、その卑怯なプレーに、多くの人は嫌悪感を抱く。大抵の選手も、そんな卑怯な真似をしたくない。プロの誇りにかけて、やりたくない。ファンにお金を支払わせて魅せるプレーをするプロとして、そんな嫌悪感を抱かせるようなプレーなどしたくない。だから、大抵の選手は、そういうことはしない。だが、中島は、汚れ役をやる。そのエゲツなさで、レギュラーの座を勝ち取っている。そう言わざるを得ない。

 なお、中島をこう批判すると、中島は技術があるからそれができるのだ、と目くじらを立てる人もいるのは先に述べた通りだが、例えば、メジャーリーグへ行った川崎宗則は、中島のようにファウルで粘って球数を費やさせることで、監督から評価されていた。そのことについて、川崎は、こう語っている。

 「メジャーへ行って、なかなかヒットを打てる確率が、日本の時よりもちょっと少なくなっている。技術がない。今の僕には。だから去年は、球数を投げさせることしか、できなかった」「球数投げさせるってことは、ヒットを打つ技術が、乏しいだけ。ホームラン打つ技術が、ないだけ。でも、僕は、究極は、ヒットを打つ。あいだを抜けるヒットを打つ。ホームランを打つ。長打を打つ。これを絶対に前提に置いているから。そこをどうにかしないことには。球数を投げさせることで評価されるのは、納得いかない」(15510日「TBS番組S1PLUS「マイナー契約でも諦めない 川崎宗則が挑戦する理由」より)

 ファウルをわざと打つ中島は、ほかの選手よりたけている、という言い分は、この川崎の言から考えて、間違えている。

 では、中島が悪いのか、というと、ルールの範囲内で、いわば合法的に、汚いプレイをしているまだから、改めるべきルールなのかもしれない。たとえば、2ストライクからのファウルは、3回目でアウトにする、とか、故意にフォアボール狙い、あるいは、ピッチャーを潰すために、ファウルを重ねている、と審判が判断したら、その選手は退場にする、といったルールに変更すれば、中島のような選手をなくすことができる。

 なお、専門家のなかには、中島のようなラフプレイを、公然と批判している者もいる。野球評論家の広澤克実氏は、公式ブログで、こう述べている。

 「よくゴルフをプレーする方なら必ず知っているフレーズがある。それは『ゴルフは紳士のスポーツなのだ』という言葉。この言葉を耳にしたことがある人は多いと思う。

 正にゴルフのマナーとかモラルはこの『紳士のスポーツなんだ』という所から端を発している。

 では、野球の場合はどうなのだろうか。

 野球の精神の出発点は『正々堂々と男らしく戦う』事をモットーにスタートしたのだ。

 審判員が『ボール』とコールする意味は『ボールを投げたらダメだ。正々堂々と打てるボールを投げなさい』という意味で(Ball to the bat)とコールしたのだ。

 また、『ストライク』とコールする意味は『ストライクを見逃さずにちゃんと打ちなさい』という意味で(Stike=打て)とコールしたのだ、という(中略)このフェアな精神というのが大事で投手にはフェアにストライクを投げる事を求め、打者にはそのフェアなボールをフェアに打ち返す事を求めたのだ」

 そして、こう書いてある。

 「例えば、ファウルで粘って四球で塁に出ようと(中略)する事はフェアではなく男らしくない、と考えられ『なんて卑怯なんだ』とされていた」

 「野球の出発点である正々堂々の精神を知った上で現代風にアレンジするのは良いと思う。しかし、原点を知らずに『ファウルで粘る事は良い』と(中略)言うのはいかがなものか、と思うのだ」

 そして、こう書いてある。

 「そもそも悪いのは我々プロ野球の解説者ではないか。選手時代の実績を糧に野球の勉強を怠った。かく言う私も恥ずかしながらこの事実を最近まで知らなかった。

 しかし、そう考えると、バレンティンの敬遠の問題もマートンのスライディングの問題も現行のルールに違反しているかどうか以前にこの野球の精神に反しているかどうかが重要であると思える。

 勝つ為の手段や方法は色々あると思うが、どんな事があってもこの『野球の精神』を越えてはならないと私は思うのだ。(中略)私達解説者はその事を伝える義務を負っていると思う。野球中継がTVで放送されるようになって半世紀以上経つが私の知る限り、この野球の精神を伝えた人はいない。今後私がやるべき事がぼんやりと分かってきたような気がする」(なお、広澤氏は、狙いのファウルと、強打者との勝負を避ける敬遠を、同列に扱っているが、悪質の有無という点で違うとの判断から敬遠の箇所は省略した。また、文中の、正々堂々と男らしく戦う、という表現は、女性も野球をするので、現代では「正々堂々と戦う」という言葉になるのは、言うまでもない)

 たしかに、広澤氏のいうように、解説者たちが、中島のようなプレーは野球の精神に反している、と常に指摘していけば、ルールを変えるまでもなく、自然に、中島のようなことをする選手はいなくなるかもしれない。が、中島のことを批判したら日本ハムファンからクレームが来て解説者の仕事を干される、という恐れから、野球専門家たちにそれができないようなら、ルールを変えた方がよいのではないか? (佐々木奎一)








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2016年10月27日

蓮舫国籍批判とトランプに通底する人種差別排外思想

 平成二十八年十月二十一月付、のauのニュースサイト


  EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「蓮舫国籍批判とトランプに通底する人種差別排外思想」


 を企画、取材、執筆しました。



 民進党の蓮舫代表が二重国籍であるとして安倍自公政権、読売・産経新聞系列を中心とした勢力から批判を浴びている。

 蓮舫氏は東京都出身で父が台湾人、母が日本人。17歳だった1985年に日本国籍を取得している。だが、先月の民進党代表選のさなか、「二重国籍」ではないかとの批判を受けた。蓮舫氏の説明では、851月に日本国籍を取得し、台湾籍の放棄を宣言。当時、東京の台北駐日経済文化代表処(大使館に相当)に赴き、父が台湾語で手続きをしたため、「どういう作業が行われたか覚えていない」が、調べた結果、台湾当局から「台湾籍が残っていた」と連絡があったという。蓮舫氏は913日、「私の記憶の不正確で混乱を招いたことをおわびしたい」と謝罪。(毎日新聞)

 その後、蓮舫氏は手続きを進め、今月7日に日本国籍を選択したことを明かしている。(読売新聞)

 日本の国籍法には、「外国の国籍を有する日本国民は、外国及び日本の国籍を有することとなつた時が二十歳に達する以前であるときは二十二歳に達するまでに、その時が二十歳に達した後であるときはその時から二年以内に、いずれかの国籍を選択しなければならない」(16条)とある。

 つまり、蓮舫氏の場合、22歳になるまでに、台湾国籍か日本国籍のいずれかを選択しなければならない。

 それを現48歳になるまで選択しなかった、これは違法である、と安倍晋三総理や法務大臣の金田勝年氏などが批判し、その安倍自公政権の言い分をメディアが拡散している。

 まるで鬼の首でも取ったように騒いでいるわけだが、法務省によると、22歳以降も複数国籍のままの日本人は推定68万人にのぼる(1476日付朝日新聞朝刊「揺らぐ国籍 複数国籍者は68万人? 日本」)。

 そして、国籍法15条には、前条の「期限内に日本の国籍の選択をしないものに対して、書面により、国籍の選択をすべきことを催告することができる」「催告を受けた者は、催告を受けた日から一月以内に日本の国籍の選択をしなければ、その期間が経過した時に日本の国籍を失う」とある。だが、これまでに催告の前例は一度もない。(同)

 要するに、この国では事実上、二重国籍は放置している。罰則もなく、政府は催告すらしたことがないのだから、国籍法第1516条は、死文化している。蓮舫氏のような事態になるのは、一重に自公政権の不作為である。それを棚に上げて、蓮舫氏を個人攻撃するのは、おかど違いだ。

 将来の総理かもしれない蓮舫氏が、二重国籍だったのは問題だというなら、法律で今後はそういう事態にならないよう定めるのが筋だ。

 それに蓮舫氏が、台湾との二重国籍で、国会議員として台湾を利して日本に不利益を与えた事実があるなら別だが、そういう事実は絶無であり、すでに二重国籍を解消しているのだから、いつまでもネチネチと過去のことを批判するのは不毛である。

 なお、国籍法に詳しい近藤敦・名城大学教授(56)は、一連の騒動について、「今回の問題は、欧米では差別的に映るでしょうね。イギリスでは、外相のボリス・ジョンソン氏がアメリカ国籍を持っていましたし、カナダのジョン・ターナー元首相はイギリス国籍を持っていました」(930日週刊朝日)という。

 また、920日付朝日新聞朝刊「重国籍から見える『今』 二国の法律守る『不可能でない』」によると、近藤氏は、「今では欧米を中心に世界の半分ぐらいの国々が、法的に重国籍を容認しています」と指摘。

 なお、世界でも、第2次世界大戦以前は「国籍は一つであるべきだ」という考えが主流だったが、大戦後、現代的な民主国家が増え、「君主ではなく、法を守ることが国家への忠誠になったのです。二つの国の憲法や法律を守ることは、必ずしも不可能ではありません」という状況になり、人々の国際移動や国際結婚が増え、人権擁護が重視されるようになったことも重国籍容認を促した。「二つのルーツを持って生まれた子に片方だけを選ばせるのは酷だ、という感覚が一例です。個人のアイデンティティーという点でも多元性が大事になっています」という。例えば、1997年に欧州評議会が定めた欧州国籍条約は、生まれながらの重国籍者に国籍選択を要求しないこと、重国籍者に単一国籍者と平等な権利を認めること、を加盟国に義務づけているという。

 その一方で、こういう動きもある。「11月に本選を迎える米大統領選。共和党の指名を争ったテッド・クルーズ氏はカナダ国籍(市民権)を持つことを問題視され、2014年にそれを放棄した。

 『米国で二重国籍は法的に認められているが、大統領ともなれば、合衆国への忠誠心を疑われる理由になりかねなかった』と西崎文子・東京大教授(米国政治外交史)は分析する。

 また、オバマ大統領はハワイ生まれだが、過去2度の選挙で『米国生まれでない』との説を流され、出生証明書を公表する事態になった。『黒人だ、異質だという人種主義的な偏見を広めようとする運動でした』

 両氏のケースとも、攻撃する運動の中心にはドナルド・トランプ氏がいた」(同)

 要するに、蓮舫氏を批判する安倍自公や読売産経の言説の基底にある思想は、「民主主義の敵」として米国で批判を浴びるドナルド・トランプと同じ、排外的な人種差別の思想である。(佐々木奎一)



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2016年10月23日

電通新入社員「過労死」事件と安倍自公の暗黒

 平成二十八年十月十七月付、のauのニュースサイト


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 「電通新入社員「過労死」事件」


 を企画、取材、執筆しました。



 先週来、電通社員の過労死事件が物議を醸している。遺族の記者会見に基づいた全国紙各紙の記事によると、亡くなったのは、入社1年目の高橋まつりさん。高橋さんは、中学生の時に両親が離婚。「お母さんを楽にしてあげたい」と猛勉強して東京大学文学部に合格。大学生時代には中国に留学し、卒業後の就職先として、高いコミュニケーション能力を生かそうと広告会社を選び、昨年4月に電通に入社。遺族である母親・幸美さんによると、「電通は年収も良く、お母さんを楽にしてあげると言ってくれていた」。

 入社後、高橋さんはデジタル・アカウント部に配属され、損害保険会社や証券会社のインターネット広告の分析や、リポート作成などの業務を担当した。

 業務が大幅に増えたのは、試用期間が終わり、本採用になった昨年10月以降。部署の人数が14人から6人に減ったうえ、担当する企業が増え、時間外や休日勤務を余儀なくされた。(朝日新聞)

 例えば、本社ビルの入退館記録を基にした代理人弁護士のまとめによると、日曜日だった1025日は午後727分に出社。翌26日午前65分に退館しながら1分以内に再び入館。約32時間半後の27日午後244分に退館した。その17分後にまた入館し、28日午前042分まで働いた。わずか17分間を除いて連続約53時間、本社で拘束されたことになる。高橋さんは27日、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)上でつぶやいている。『弱音の域ではなくて、かなり体調がやばすぎて、倒れそう……』」(毎日新聞)

 電通では、社員同士の酒宴の準備を新入社員たちに担当させる風習があり、クイズ、景品、ポスター、音響、道案内、映像編集など、さまざまな準備をさせられる。そして、3次会終了の深夜に「反省会」と称し、先輩たちが新入社員たちに司会の仕方や余興の中身まで批判する。高橋さんは上司から「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」などと罵倒もされていた。

 高橋さんはSNSなどで友人や母親に、「1週間で10時間しか寝ていない」「体も心もズタズタ」「眠りたい以外の感情を失った」「本気で死んでしまいたい」と打ち明けるようなった。

116日には、1991年に電通入社2年目のラジオ担当の男性社員が自殺した事件について記載した民間団体のホームページへのリンクを貼り付けて「これと全く同じ状態です」とSNSにつぶやいた。(毎日新聞)

 そして、昨年のクリスマスの早朝、静岡県に住む母に「仕事も人生も、とてもつらい。今までありがとう」とメールが届いた。母親は慌てて電話し「死んではだめよ」と話しかけると、「うん、うん」と力ない返事があった。数時間後、高橋さんは、都内の寮の廊下から飛び降りて死亡した。1225日の夜には年納めの飲み会が予定されていた。

 その後、遺族が労災申請し、先月30日、三田労働基準監督署が労災認定した。

 なお、東京労働局と三田労基署は今月14日、労働基準法違反の疑いで電通本社への立ち入り調査を抜き打ちで行った。関西(大阪市)、京都(京都市)、中部(名古屋市)の3支社にも各地の労働局が調査に入った。違法な長時間労働が全社的に常態化していた疑いがあるとみて、刑事事件としての立件を視野に調べを進めるという。(朝日新聞)

 こうして過労死をさせた企業を取り締まることができるのも、一重に、労基法があるからである。そして、この労基法は、いうまでもなく日本国憲法のたまものである。

 当の労働局の役人たち自身が、そう言っている。厚生労働省労働基準局による労基法の逐条解説(平成22年版、労務行政刊)によると、労基法の基本理念は、三点。一つは、労働条件の原則を労基法1条第1項に定めるとおり、「労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべき」水準としている点。そして、こうある。「『人たるに値する生活』の内容は、本条の基礎をなす憲法25条第1項の『すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。』という規定により与えられる」。

 さらに、二点目として、「労働基準法は、労働関係に残存していた封建的な遺制を排除することを目的としている」。「労働基準法制定当時の我が国のごとく封建的な遺制が未だ強く残っていた社会においては(中略)使用従属の関係に封建的な身分拘束が伴いやすかったのである」とし、国会での労基法案の提案説明では、こう述べられた、と紹介している。

 「労働締結の結果として労働者、使用者の間において、使用従属の特別関係が設定されるのは当然のことでありますが、かかる特別関係はややもすれば労働関係の当事者間に身分的な拘束関係が惹起しやすいのですあります。今なお、摘発されつつある監獄部屋のごとき極端な事例は暫くおくとするも、長期労働契約、前借金、強制貯蓄、宿舎制度の所産として現存しつつある封建的な遺制は、労働条件の基準設定にあたって厳に一掃すべしと考えるのであります」

 そして、三点目は、「労働基準法は最低労働条件の国際的水準をとり入れていることである。すなわち、戦前においては、我が国は、国際的水準をはるかに下回った労働保護法しかもたず、劣悪な労働条件に基づく生産が広く行われていたため、我が国の輸出品がソーシャル・ダンピングとして国際的な非難を受けたことは、周知のとおりである。戦後、民主的な文化国家として再出発して国際社会に名誉ある地位を占めるためには、世界各国が公正に考えている労働条件を進んでとり入れることが要請される」とし、国会の労基法の提案理由説明でも、こう説明していた、と述べている。

 「戦前わが国の労働条件が劣悪なことは、国際的にも顕著なものでありました。敗戦の結果荒廃に帰せるわが国の産業は、その負担力において著しく弱体化していることは否めないのでありますが、政府としては、なお日本再建の重要な役割を担当する労働者に対して、国際的に是認されている基本的労働条件を保障し、もって労働者の心からなる協力を期待することが、日本の産業復興と国際社会への復帰を促進するゆえんであると信ずるのであります」

 このように戦前の日本は、「労働条件が劣悪」なことが世界中に知られていたほど不名誉な国で、使用者は労働者を、「監獄部屋」に閉じ込めることもあるほど、奴隷のようにコキ使っていた。

 つまり、戦前の日本は、今とは異次元の劣悪な労働環境だった。それがこんにちのように、過労死させる企業は違法であり、「ブラック企業」と世論から批判され、労働局がガサ入れするようになったのも、要するに、日本国憲法に定めた「基本的人権」による。

 周知のように、この日本国憲法を、安倍自公政権は、変えようと躍起になっている。当コーナーでこれまでに紹介したように、自公政権の改憲の骨子である自民党改憲草案は、前文の冒頭から、主語を「日本国民」から「日本国」に書き換えることに顕著なように、国家主義が前面に出て、基本的人権は制限する、という、戦前の思想が核になっている。

また、日本国憲法の「実質的最高法規性」を真に支える重要な条文とされる第97条「基本的人権の由来特質」の条文を、丸ごと削除している。

 自公政権が改憲する先には、この国の労働者の人権もめっきりカットされ、残業させられ放題で、過労死は今とは桁違いに横行し、労働者はひたすら搾取される、労働史の暗黒時代が再びやってくるに違いない。

 すでに、その兆候はある。それは、いわゆる「残業代ゼロ法案」である。昨年、批判を浴びた同法案は、今年の通常国会で、自公政権が審議しないため、鳴りをひそめた。今夏の参院選でも自公政権は、例によって争点になって国民から批判を浴びることを避けるため、この法案のことを選挙公約に一言も載せず、隠ぺいした。だが、この法案は生きており、いつ成立してもおかしくない状況にある。(参考、ヤフーニュース72日付、佐々木亮・弁護士・ブラック企業被害対策弁護団代表「残業代ゼロ法案は大きな争点であるのに争点化されていないのはナゼ?」)

 安倍自公政権になって以来、この国は、戦前の劣悪な労働条件に逆戻りする方向に進んでいる。しかも、労働面だけではなく、国民生活のあらやる面で、基本的人権が制限される社会こそ、安倍自公政権の目指す社会なのである。(佐々木奎一)


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2016年10月18日

“罰則付”受動喫煙防止法

 平成二十八年十月十四月付、のauのニュースサイト


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 「“罰則付”受動喫煙防止法」


 を企画、取材、執筆しました。



13日付の各紙に「受動喫煙、防止強化へ罰則案 施設・喫煙者、双方に」(朝日新聞)、「受動喫煙防止策で禁煙義務化、罰則も、東京五輪へ厚労省案」(日本経済新聞)といった記事がある。

 それによると、厚生労働省は12日、2020年の東京五輪・パラリンピックに向けた受動喫煙防止の規制強化案を明らかにした。今後、飲食やホテルの業界団体などから意見を聴いて規制内容を詰め、早ければ来年の通常国会に、健康増進法や労働安全衛生法の改正案か新法案を提出する方針という。(日本経済新聞)

 その叩き台の禁煙エリアの中身は、未成年者や患者らが主に利用する医療機関、小学校、中学校、高校や医療機関は、「敷地内禁煙」。

 官公庁、社会福祉施設、運動施設(スタジアムなど)、大学は「建物内禁煙」。

 飲食店、ホテル・旅館(ロビーほか共用部分)などのサービス業施設、事務所(職場)、ビルなどの共用部分、駅、空港ビル、船着場、バスターミナルは「原則建物内禁煙(煙が外に流出するのを防ぐ喫煙室設置は可)」。

 バス、タクシーは「乗物内禁煙」。鉄道、船舶は「原則乗物内禁煙(喫煙室設置可)」。

 「施設管理者は禁煙場所の範囲や喫煙室の位置を掲示するなどの義務、利用者は禁煙場所で喫煙しない義務があり、違反者が勧告や命令に従わない場合、過料などの罰則を適用する」(朝日新聞)。

 現状、日本は03年施行の健康増進法により、施設管理者に受動喫煙対策を課すが、努力義務にとどまっている。他方、「海外では病院や飲食店など公共の場を屋内全面禁煙とする法律を施行する国が14年末時点で49カ国あり、世界保健機関(WHO)は日本の対策を『世界最低レベル』と指摘している。国際オリンピック委員会(IOC)とWHOは『たばこのないオリンピック』を共同で推進し、近年、日本以外の五輪開催地と開催予定地は、罰則を伴う受動喫煙防止策を講じている」(同)という。

 ちなみに、95日付ニューズウィーク電子版のライター長嶺超輝氏の記事「東京五輪まであと4年、『受動喫煙防止』ルールはどうする?」によると、04年のアテネオリンピック以降、トリノ、北京、バンクーバー、ロンドン、ソチから、今年のリオデジャネイロ、そして18年予定の平昌(ピョンチャン)と、全ての開催地が受動喫煙規制を実施しており、違反者には必ず罰則を科す制度となっている。

 そうしたなか、ようやく日本政府も「罰則付の受動喫煙禁止」に向けて動き始めたようだ、というのが冒頭のニュース。

 なお、あまり知られていないが、「諸外国では、屋外での喫煙を罰則付きで禁じている例はほとんどない」(同)。

 つまり、海外では建物内は全面禁煙にする一方、公道はたばこ吸い放題というわけ。いうまでもなく、路上喫煙は、喫煙者の周囲は煙まみれになり、特に後方を歩く人はもろに煙を吸い込むことになる。また、立ち止まって吸う輩がいれば、付近を通る人に煙がかかってしまう。公道の喫煙を諸外国が野放しにしているのは、ドデカイ抜け道を作っているようなもので、一言でいってザル法と言わざるを得ない。

 その点、日本では、例えば、都心の千代田区(過料2000円)では02年から、歩きたばこに罰則を科している。そして、喫煙者は、屋外の片隅に、ひっそりと設けている喫煙スペースでのみ吸うことになっている。それにより歩行者は、受動喫煙の危害からかなり身を守ることができている。

 この千代田区の罰則条例は、日本初だったこともあって、けっこう周知されており、歩きたばこはあまり見かけない。

 なお、都市部を中心に、全国で歩きたばこに罰則を科す自治体がチラホラでてきている。例えば、横浜市では、罰則付き(過料2000円)の歩きたばこ禁止条例を07年から施行しており、横浜駅周辺や関内、みなとみらい21地区など6地区を喫煙禁止地区に指定している。だが、この条例を無視してタバコを吸う輩は、実に多い。

 そうした公道での喫煙者を発見して罰金を徴収するのは、喫煙禁止地区等指導員(以下、指導員)という名の市のスタッフ。同指導員は総勢約20人程(はまれぽ.comより)。

 要するに、監視して罰金徴収する人数が少な過ぎるから、違反者が後を絶たない。かといって、スタッフを増やせば人件費に跳ね返る。予算がない。では、どうすればよいか。

 まず、もっと民間から指導員を募集し、試験と講習、面接等により、指導員のライセンスを取得できるようにする。そして、そうした民間の指導員は、休日の私服時でも、通勤中のスーツ姿でも、いつでも免許証を所持していれば、路上喫煙者から罰金を徴収できることにする。そして、徴収した金額の何割かは、インセンティブとしてその指導員に与えることする。民間指導員の報酬は、そのインセンティブのみとする。そうすれば、指導員の人件費はかからない。指導員はほうしゅうをより得るためにも、どんどん喫煙者を取り締まることだろう。

 なお、指導員には、定期的に講習を受ける義務を課し、指導員にふさわしくない行為をした者は懲戒処分する。

 なお、歩きたばこをする人のなかには、注意すると逆ギレして殴りかかってきそうな、いかにも粗暴な容貌の輩も多い。そうした者に罰金を科すには、権限がいる。だから、指導員には、みなし公務員の資格を与え、指導員に危害を加えたり、指導員の言うことを聞かない喫煙者は、公務執行妨害罪を適用し、現行犯逮捕できるようにする。

 そうすれば、受動喫煙は激減し、民間指導員という新たな雇用も生まれ、経済効果も見込める。

 オリンピックの話に戻る。日本は、諸外国同様、屋内禁煙は、実現すべきだ。そして、一部自治体で導入している「公道での喫煙への罰金」は、先駆的な世界に誇る制度なのだから、拡充していくべきである。少なくとも、まず、オリンピックの開催地となる首都圏全域で導入する必要がある。そして、導入の際は、前出の「罰則徴収のみなし公務員の指導員」を民間から大量に募り、徴収した罰金の何割かは報酬として指導員に還元できるようにする。そうすれば、受動喫煙被害は激減し、世界のモデルケースになっていくことだろう。(佐々木奎一)
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2016年10月14日

激減するバイク人口と対策

 平成二十八年十月十月付、のauのニュースサイト


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 「激減するバイク人口と対策」


 を企画、取材、執筆しました。



6日付の朝日新聞朝刊に「原付きバイクの2強提携 ホンダ・ヤマハ発動機、発表 縮む市場、80年比9割減」という記事がある。それによると、「ホンダとヤマハ発動機は5日、50cc以下の『原付きバイク』の生産や開発で提携すると発表した」という。

 「今回の提携で、ヤマハ発は国内販売の大半を占める『ジョグ』『ビーノ』の生産をやめ、2018年中にホンダの熊本製作所に委託する。デザインは引き続き担うが、ヤマハ発は事実上、原付きバイクの生産から撤退する。(中略)今後は125ccや中大型クラスに集中する」

 「二輪車では、ホンダは世界でもトップメーカー。ヤマハ発は国内2位だ。1980年代には『HY戦争』と呼ばれるしれつなシェア争いを繰り広げ、ヤマハ発はその影響で経営危機に直面した。だが、80年に約237万台だった国内販売台数は15年に1割強の約37万台まで減った。原付きバイクはその半数を占めるが、80年の約1割に落ち込む」

 「原付きバイクの落ち込みは、若い世代を中心に魅力を感じにくくなったことが大きい。7080年代はバイクを乗り回すことが『かっこいい』と見られ、原付きバイクは『入門編』のような存在だった。だが、暴走族や交通事故が増え、警察の取り締まりや学校での指導が強化されると、二輪車の売れ行きは頭打ちに。少子化や若い世代の好みの多様化もあって販売は低迷した。地方都市での移動手段は軽自動車が主流となり、子育て世代には『電動アシスト自転車』が人気を集める。(中略)50cc以下の原付きバイクは、いわば日本で『ガラパゴス化』した車種ともいえる」という。

 たしかに、いまは原付2種といわれる50cc超〜125ccがあったりすることから、原付の人気は落ちている観がある。たとえば原付(50cc未満)が法定速度30km/hなのに対し、原付2種は60km/h。しかも原付2種は車道の真ん中を車と一緒に走ることができる等、原付より便利だ。

 だが、低迷するのは、原付だけではない。バイク界全体が低迷している。例えば、20160328日付のTHE PAGEの記事「世界トップの『バイク生産国』日本でなぜ人気低迷?」によると、バイクの販売は最盛期の8分の1まで落ち込んでいるという。要するに、原付だけに限った話ではないのである。

 そうした中、全国の二輪車販売店1500社で構成する全国オートバイ協同組合連合会は、以下8項目を署名で訴えているという。

 「警察庁に対し、(1)現実に即した二輪車駐車違反の取り締まり、(2)二輪車の高速道路路側帯の渋滞時、悪天候時の避難利用、(3)小型二輪(125CC未満)免許の取得簡便。

 国交省に対し、(1)有料(高速)道路における二輪車通行料金の引き下げ、(2)二輪駐車場の建設促進、(3)二輪ETC車載器購入に対する助成金の復活。

 経産省に対し、(12サイクル二輪車からの乗り替え、エコ助成金の支援。

 文科省に対し、(1)交通教育の義務化。

 上記の意味するところは、「たとえば、首都圏を中心に厳しい駐車違反の取り締まりが行われたが、大都市では駐車料金も高く、また二輪の駐車場自体が不足しており、バイクを手放したり購入を控えることにつながった」

 高速道路では路側帯の通行はできないが、渋滞や悪天候の際はバイクの路側帯通行を許してスムーズな交通の回復に寄与させてほしい、特に強い風雨などの悪天候時は渋滞で長時間にわたりノロノロ運転を続けることは疲労とストレスでライダーを危険にさらし、転倒などすれば交通の混乱に拍車をかけることになると指摘するライダーも少なくない。

 高速道路などでバイクは軽自動車と同じ料金になっていることに対しても「700800kgから1t近い軽自動車に比べ100数十から200300kg前後の車重のバイクは道路への負担も少なく、占有面積の差から見ても同一料金はおかしい」とかねて指摘されている。

 また、「バイク人気の不振につながった大きな要因の一つとして、業界が挙げるのが『三ない運動』。暴走族などの問題をきっかけに免許を取らせない、バイクを買わせない、バイクを運転させないという3原則を徹底させる高校などが現れ、30数年前からはPTAの全国組織なども提唱。その後、『禁止より安全教育こそ大切ではないか』といった反省や批判もあって『数年前には三ない運動の宣言文は出されなくなった』(土居副会長)。しかしこの間の打撃は大きく、いまだに業界では『三ない運動』の決定的な影響」がある。

 このため文科省への要望として挙げた「交通教育の義務化」も、車やバイクの正しい乗り方や安全な運転法をしっかり指導することによって、バイクへの認識を改めてもらい、社会的に認知される存在としてバイク利用を広げてもらう狙いがあるという。

 これらの要望は、ライダーの願いと合致しているといえよう。都心にいると、地下鉄、電車が整備されていて、徒歩圏内に駅があり、自宅の駐車場料金が異常に高い上、店などに行くにしても駐車場がほとんどないことから、バイクの必要性はあまり感じないが、一歩都心から離れると、生活状況は一変する。例えば、東京に隣接する神奈川県では、都心より格段にバイクに乗っている人を見かけることが多かったりする。

 もちろん、バイクは車と違って転倒するリスクがあり、身体一つで乗っているので、命にかかわる事故と隣り合わせではあるが、安全運転で装備も事故に備えていれば、格段にそうしたリスクを減らすことができるのも事実。

 そして、バイクには、車では決して味わえない醍醐味がある。それは、風と自然をダイレクトに感じることができる点だ。

 そうした人生の楽しみとマナーを知り、安全運転ができるライダーが増えることは、この国にとってプラスかもしれない。

 ただし、あまり言われることはないが、バイクには、こういう点もある。いうまでもなく、バイクを運転すると、車のうしろや前を走り、赤信号になれば、車のうしろに停まることが多い。そうすると必然的に、排ガスをもろに浴びてしまう。何年も何十年もそうやって排ガスをもろに浴び続けると、健康にはよくないことは想像に難くない。その点、車は、フィルターで排ガスが車内にもろに入るのを防ぐというメリットはある。そのため、ライダー向けに高性能のマスクを製造する業者もあったりする。マスクは一定の効果はありそうだ。

 今後、排ガスを吸うのを完全に防ぐフルフェイス・ヘルメットをつくるメーカーが出てくれば、ライダーの健康と、ライダー人口の増加に、貢献すること請け合いだ。(佐々木奎一)




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2016年10月13日

象牙規制ワシントン条約会議で世界に恥 象牙規制ワシントン条約会議で世界に恥をさらす自公

 平成二十八年十月七月付、のauのニュースサイト


  EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「象牙規制ワシントン条約会議で世界に恥さらす自公」


 を企画、取材、執筆しました。



 ゾウ大量虐殺の原因である象牙取引の規制等を決めるワシントン条約締約国会議が924日〜105日に南アフリカ共和国のヨハネスブルグで開かれた。

 「ワシントン条約」とは、国際取引によって生存を脅かされている野生動植物の保護を目的とする条約。正式名称「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」(略称CITES(サイテス)。1973年にワシントンで採択されたために「ワシントン条約」とよばれる(日本大百科全書より)。締結国は182か国(201641日時点)。

 同会議では、象牙取引について、まず、非公開の第2委員会の作業部会で議論された。以下、部会関係者への取材に基づく共同通信の報道と、実際に作業部会とその後の本会議に参加した認定NPO法人トラ・ゾウ保護基金のツイッター等によると、会議は次のようなものだった。

26日、第2委員会の作業部会は、密猟によって絶滅が危ぶまれるアフリカゾウを守るため、各国に象牙の国内取引禁止を求める決議案について議論。決議案は米国などが提案。米国は提案理由として「各国内の合法取引は違法象牙のロンダリングに使われる可能性がある」と訴えた。印鑑や和楽器などとして国内に市場を持つ日本は反対する方針。決議案が採択されても強制力はないが、日本にも市場閉鎖を求める国際世論が高まることになる。(共同通信、以下、共同)

27日、同作業部会で、日本政府は、「閉鎖の対象とする市場は『密猟を増加させる著しい違法取引のある市場』に限定すべきと提案。そこまで絞り込めば、閉鎖対象外に持ち込めると考えたからだ」(トラ・ゾウ保護基金、以下、トラゾウ)、つまり、日本政府の主張通りにいくと、「閉鎖対象は、一部アフリカの無法地帯くらいに限定されてしまう」。

 が、日本の提案は、「ほとんど他国の支持が得られず」、「盟友の南ア等すら『密猟または違法取引に寄与する市場』との幅広の表現で了解」するにとどめた。さらに中国が「違法取引に関係のない市場など、この世に存在しない」と主張し、他の国々から拍手を浴び、日本の主張は顧みられなかった(トラゾウ)。このとき、トラゾウ保護基金も「100%管理されている市場などないし、50%でも存在しないかもしれない。その例として、日本の管理には問題がある」として、抜け穴を具体的に指摘した。アフリカ諸国も米国も、閉鎖の大きな例外は許されないと譲らなかった」。

 すると、日本政府は一転して、「作業部会が終了するのを静観する態度に転じ」た。その日本の姿をみた世界の国々は、「日本は観念して市場閉鎖に進む」とみた。その後、同作業部会は、「密猟または違法取引に寄与する、合法化された国内象牙市場または象牙の国内商業取引が存在するすべての締約国および非締約国は、その未加工および加工象牙の商業取引が行われる国内市場を閉鎖」する、という合意案に決まった。(トラゾウ)

 これにより「違法行為は丸で無しという極端な場合でなければ閉鎖が義務付けられる」ので、「市場を閉鎖する中国を除けば世界一の規模を誇り、しかも抜け穴だらけの法制度のもと違法行為が絶えない日本の市場が閉鎖の対象となることは明らか」な合意案だった(トラゾウ)。

 が、作業部会が終わった29日になり、にわかに日本政府は、「日本は元々密猟、違法取引に無縁なので、どうせ閉鎖の対象外と開き直った」。(トラゾウ)

 要するに、日本政府は、作業部会の議論では批判されるからといって、途中からダンマリを決め込み、皆で決めたあとになって、突然、密猟はボクちゃんには関係ないから市場は閉鎖しないもん、と言い出したというわけ。姑息というよりも、まともに相手と議論して物事を決めることができない、あきれた幼稚さである。こういう態度では、世界中から信用されず、相手にされなくなってしまう。

 さらに、日本国内では、山本公一環境相が30日の会見で、「日本は密猟によるうんぬんとかいうことに関して国内市場が成り立っているわけじゃありませんので、その点については国際社会で理解をしていただいていると思っておりますので、当然、今度のいろいろな決議の中でも日本の国内市場というのは、私は除外というか、除外の対象になるんではないかというふうに思っております」と言った(環境省HP)。が、国際社会で理解されているというが、上記のように、全く理解されていないのが現実。それをこうやって平気で国民にウソをつくのが、安倍自公政権の本質である。

 それに、「日本は密猟と関係ない」と環境相は言っているが、95日付当コーナーで伝えたように、日本で違法行為は横行している。

 また、930日付の朝日新聞朝刊でも、「警視庁は9月、象牙を無登録で売買したとして、古物店の元アルバイトの男ら5人を種の保存法違反(譲り渡し等の禁止)容疑で書類送検。115月には、大手の象牙印材販売店の男性社長や古物商らによる無登録象牙の売買が発覚した。捜査関係者は『正当な輸入ができなくなり、在庫を確保するためにルールを破る業者が横行している。国内取引がある限り、違法な売買は続くだろう』と指摘。NPO『トラ・ゾウ保護基金』事務局長の坂元雅行弁護士は『日本が市場の閉鎖を求められる国であることは議論の余地がない』と話す」とある。

2日、上記作業部会の合意案は、第2委員会で決議された。会場は静かな中、反対意見もなく採択された。「これが何を意味するのか? アフリカ諸国・米国・NGO等は、この決議の文言なら、日本市場は当然の閉鎖対象となると想定しているからである。日本は、既に市場閉鎖対象にならないと環境大臣が国内向けに発表している。しかし、そのことを今日の会議では一切コメントしようとしなかった。日本としては、そうしたいのは山々で、日本が対象外と会議でも宣言したかった。だが、それをやってしまうと、集中砲火を浴びざるを得ないのは目に見えていた」(トラゾウ)

 その後、4日の全体会合で採択され、正式決定となった。(共同)

 象牙を巡るワシントン条約会議はこのような経緯だが、日本政府(安倍自公政権)のやっていることは、率直にいって恥ずかしい、そう痛感する日本人は多々いるに違いない。(佐々木奎一)




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政教分離違反と池田大作党 五

 このように民主主義の敵である池田教信者たちは、滑稽なことに、自分たちこそが民主主義の実践者だと思い込んでいる。
 例えば、ほんの一例をあげると、コーメートーHPで、「草の根民主主義とネットワークの力」と題し、自画自賛したりしている。
 民主主義を騙り、仏教を騙り、平和を騙る。池田教はウソばっかりだ。ウソで塗り固めて成り立っている。
 たとえば、前に紹介した掲示板系サイト「静かに創価学会を去るために」のリードには、「このブログには「創価学会は宗教ではなく詐欺団体だ」と気づいた創価学会員と元創価学会員の切実な体験のコメントが19000件以上寄せられています」とある。
 「宗教ではなく詐欺団体」としている。これは池田教はウソで塗り固めているから、詐欺団になるわけで、必然的に、その詐欺団体を率いる親玉、つまり教祖・池田大作こそが、真に巨悪の詐欺師ということになる。
 池田大作は詐欺師だ、と言えば、池田原理主義者たちはイキリ立つのかもしれないが、実際のところ、池田教に騙された、と後悔し、騙した連中に対して怒り心頭に達している膨大な人々の全員が、池田大作は詐欺師だ、と心底思っているに違いないのである。
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2016年10月12日

安保法採決時にニヤニヤと談笑に興じる池田大作党

 ネットをみてたら、「戦争法案関連…ニヤける公明党」という記事があった。それは「みんなどこか変わってるから大丈夫」というHPの15年9月21日付の記事。
 そのなかの安保法案の採決時に、池田党の国会議員たちがニヤニヤしている写真がある。
  
 
ニヤける公明党議員団.JPG

 この文章には、魂の叫びがある。以下、本文。
 「俺、自民党のことは一生許すつもりないけど、アイツらのことも許すつもりないで…」

 「俺、アイツらのニヤけ顔を、絶対の絶対忘れへんで

ちなみに、これほど広汎な市民の反対を押し切って違憲の戦争法案を強行採決しながら
アイツらがなんであんなにニヤけてるんか…と言うたら、それは
公明党の候補になるだけで自動的に創価学会の全面支援が約束されて
たやすく議員の椅子が手に入るからやと推測するけど、
アイツら、支持率低下で「今度はすべるかも知れへん…」と多少不安になってる自民党以上に腐っとるで

そうやって国会議員になったアイツらは、自分を国会議員にしてくれた創価学会のロボットとなって
自ら考えることをせず、なんでもかんでも創価学会(幹部)のいいなり…
俺、政治家が「自分の頭で考えない」…なんてこと、考えられへんねんけど
そういう「考えられへんこと」を実践してるアイツらを、心の底から軽蔑するで

そんでから、俺、人の信心にはかまへん主義…というか、
基本的に信心というのは他者がとやかく言うもんやないと思ってて、今まで相当抑えてきたけど
人の信心のためにここまで明確な不利益を与えられてもうたら、もう、そんなこと言うてられへんわ
そやから、これからは遠慮なく創価学会およびその信者(学会員)に言わせてもらうことにするで

創価学会(幹部)は信者である学会員に対して、公明党の候補に投票することが(公明党の候補を当選させることが)
「(宗教的)功徳」やと指令を出しつつ、そうやって当選させた公明党の議員に対して
「自民党とくっついてなんでも自民党の言う通りにしなさい」…という指令も出してるようやけど
それやったらもう、「創価学会」なんて名称は放棄して「自民党と一緒に歩む会」…とか
「自民党友の会」ってなわかりやすい名称にしたらええんとちゃうか?

そんでもこれは、そんな(宗教的)指令を出す学会幹部だけが悪い…という問題でもなくて
公明党が自民党と一緒になってどれだけ悪政を重ねようと、
「自分の頭で考えずに」学会幹部の指令に従うだけの学会員にも、相当の罪があるで

俺、学会員に言いたいねん
アンタたちの麗しい信心は、「戦争をすること」と繋がってるんか?
自民党と一緒になって「主権奪取クーデター」の共犯者になって、
日本を戦争する国にする政党を熱烈に支援支持することが、アンタたちの信心なんか?

なぁ、アンタたちも主権者やったら、もう、ええ加減に、自分の頭で考えようや
アンタたち学会員が、このまま学会幹部の「宗教的指令」に漫然と従い続けるんやったら
俺からみて、アンタたちは「極右」や「右翼」とおんなじ「敵」やで
アンタたちがいくら口で「平和」を唱えようと、
それは安倍が「戦争法」を「平和安全法制」って言うてんのと一緒で、「ふざけんな!」って話やで

慢心しきって、自らの権力に酔った者の薄ら笑い…
それは人類ができる最も醜い顔の一つや
参院特別委員会採決後、法案成立を確信しきったときの安倍の薄ら笑いを
俺、絶対忘れることはでけへんけど、この公明党議員のニヤけ顔も絶対忘れへんで」
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政教分離違反と池田大作党 四

 池田教徒にとって、コーメートーに投票することは、宗教行為なので、投票の自由はない。
 池田教徒にとって、コーメートーを批判したり、選挙でコーメートーに投票しないことは、教祖である池田大作の意志に反することになる。
 池田教徒にとって、池田大作の意志に反するというのは、踏み絵と一緒、池田大作の顔写真を踏みつけてグチャグチャにするのと一緒で、この世で最も恐ろしいことなのである。池田信者たちは、コーメートーに投票しないと、バチが当たり、一生地獄の苦しみに遭うのみならず、生まれ変わっても永遠に苦しみ続ける、地獄行き確定、と信じ込んでいる。
 だから、コーメートーが壊憲しようが戦争しようが人権蹂躙しようが、投票行動に変化はない。コーメートーを支持し続ける。
 なお、昨年、安保法制をコーメートーが成立させる時、ごくわずかの池田信者が反対のデモをしたりしていた。池田教の内実を知らない人たちは、その動きに期待していたが、デモをする信者は、池田信者全体の、万分の一でしかない。圧倒的多数は、コーメートーに投票しないのは、池田大作の意志に反することであるとして恐れ、相変わらずコーメートーを支持し続けている。
 そして、コーメートーを批判するのは、仏(悟りを得た者、仏陀)=池田大作に背く仏敵(ブッテキ)である、といって排斥する。
 こういう狂信の世界なので、たとえ、コーメートーはおかしいのではないか、と思う信者がいても、コーメートーに投票しないとバチが当たる、イケダセンセーに背くことになる、とか、デモをしている奴らにはバチが当たる、奴らはブッテキだ、コーメートーがおかしいと思うのはシンジンがないからだ、とか幹部等に言われる。これは、恫喝である。
 そもそも、この国の選挙は、自分自身の自由な考え方にそって、誰にも干渉されずに投票することができることになっているが、池田教には、自由な投票はない。池田教は、反民主主義、反社会的勢力である。
  
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2016年10月10日

キム・ジョンウンと暗に指摘されて色をなす安倍晋三


 平成二十八年十月三月付、のauのニュースサイト


  EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「北朝鮮と暗に指摘されて色をなす安倍総理」


 を企画、取材、執筆しました。



 当コーナー930日付で、安倍晋三首相が衆院の所信表明演説で、拍手を促し、自民党議員たちが一斉に立ち上がって手をたたき続け、それを見ながら安倍氏は満足げな表情を浮かべ拍手で応じる、という、北朝鮮のような光景が現出したことを伝えた。

 ちょうどその日、国会で民進党の細野豪志代表代行が、安倍総理に対し、このシーンについて、「自民党のみなさんをみていると、自衛官や海上保安官に拍手をしているというよりは、安倍総理に拍手をしているように見えるわけですよ。さらにいうならば、総理ご自身も本会議場の壇上で拍手をしておられる姿をみていると、率直に私が感じたのは、この国の国会ではないのではないか、という錯覚すらおぼえましたよ」と言った。

 これに対し、安倍氏は、議員のなかで私に向けて拍手をしたと言っている者がいるなら別だが、自衛官等のために、と言って、それに応じているのだから、それを私に対する拍手というのは、批判のための批判だ、という趣旨の反論した。そして、安倍氏は色をなして、こう言った。

 「私が許せないと思うのは、どっかの国と同じではないか、と。どの国なんですか? これはあまりにも侮辱ではないかと思いますよ。どっかの国と同じではないか、というのは、どこなんでしょうかね? それは」

 ここで時間切れとなり、細野氏は応答しなかった。が、どこかの国、というのは、当コーナーで指摘したように、いうまでもなく北朝鮮であろう。

 つまり、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)扱いされて、安倍氏は怒りで顔色を変えたというわけ。

 なお、安倍氏は、米国で演説した折、十数回スタンディングオベーションがあったことを引き合いに、米議会ではよくある、とも述べた。また、自民党の高村正彦副総裁は党役員連絡会で「スタンディングオベーションが叱られる議会のあり方は、グローバルスタンダードにあっているのか」と語ったという。(1日付日本経済新聞朝刊)

 つまり、安倍政権の面々は、アメリカ流にやっているだけだ、と言いたいようである。だが、米紙ウォール・ストリート・ジャーナルのピーター・ランダース東京支局長は、こう指摘している。「米議会のスタンディングオベーションは安倍晋三首相の所信表明演説のケースと性質が違う。米議会では、演説する人に賛同を示すために皆が立って拍手するのに対して、安倍首相の場合は、その場にいない自衛隊員や海上保安庁の職員に敬意を表すために拍手を呼びかけた。私の記憶では、そのような呼びかけは米国でも珍しいと思う。それが日本の政治文化にふさわしいかは日本人の判断に任せたい」(同)

 要するに、自民党議員たちが安倍氏に向かって拍手しているように見えた、という細野氏の指摘は、アメリカからみても、もっともなのである。

 そして、その光景が、北朝鮮のように見えた、と暗に指摘した細野氏に対し、安倍氏は色をなしたわけだが、これまでの経緯からみて、北朝鮮の独裁制に見えるのは、当然である。

 当コーナーで再三指摘しているように、安倍自民党になってから、北朝鮮さながら党内で異論は封じ込められ、記者クラブメディアに対する言論統制が常態化し、安倍氏にゴマをする者が幹事長となり党を仕切るようになり、総裁任期延長で東京オリンピックまで総裁の座に居座ろうとしている。

 さらに、北朝鮮的なのは、自民党改憲草案の中身である。

 例えば、細野氏も安倍氏に追及していたが、その草案には、憲法97条が、丸ごと削除されている。そのことについて、安倍氏は、逐条的に解説する立場ではない、などと言って逃げ回っていた。

 では、日本国憲法第97条は、どういう意味を持つのか。

97条は「第十章 最高法規」のなかの「基本的人権の由来特質」というタイトルで、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と定めている。

 この97条は、憲法の「実質的最高法規性」を真に支える重要な条文として位置付けられている。

 「新基本法コンメンタール 憲法」(編:芹沢斉、市川正人、阪口正二郎/日本評論社刊)によると、97条にある「『人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果』とは、イギリスにおけるマグナ・カルタ(1215年)、権利請願(1627年)、権利章典(1689年)、合衆国における独立革命と独立宣言(1776年)、諸邦の憲法および合衆国憲法(1787年)、フランスにおける市民革命と人権宣言(1789年)を先駆として、その後も繰り広げられた革命および憲法制定、さらに20世紀における全体主義との闘い等、欧米における自由獲得の歴史のことである。すなわち、人権は何もしなくても手に入るものではなく、それを得るために人類の長年の努力が積み重なった結果として、戦いとられたものであることを意味する。そして、『過去幾多の試練に堪へ』とは、いったん手に入っても独裁主義、軍国主義、神権主義、ファシズム等によって常に脅かされ、それに抵抗して現在に至ったという趣旨である(宮沢・全訂800頁)」とある。

 この日本国憲法の肝心要の条文を削除しようとしている安倍政権が、前出のように、北朝鮮のようだと暗に言われて色をなしているのが、滑稽としか言いようがない。その政治思想、信条は、どうみても北朝鮮である。(佐々木奎一)





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政教分離違反と池田大作党 三


なお、信者を大別すると、上記の、選挙で現世利益を強欲を欲する浅ましい層と、もう一つ、池田一神教に脳髄まで染まっている層がある。
 脳髄まで染まっているのは、コアな信者で、幹部になるケースが多い。
 池田一神教に脳髄まで染まる、というのは、具体的には、池田大作のために生きる、と大真面目に考えている信者である。
 たとえば、信者たちは、当然、この国でいろんな仕事をしているわけだが、その仕事も、池田大作のために、やっている。
 たとえば、文筆業であれば、池田大作のために、書く、という具合だ。池田大作のために書く、というのは、たとえば、池田大作の礼賛を、学者等の識者に言わせたりする記事をのせる、といった、見え透いた提灯記事を、自分の職場の媒体で載せる、などだ。文筆に限らず、あらゆる業界で、そういうことをやっている。
 そして、信者の集まりでは、職場で池田大作を礼賛するために、こういうことをしました! といった類の報告を誇らしげにして、ほかの信者たちから拍手喝采で、ほめられ、羨望の眼差しでみられたりしている。
 こうした池田大作を絶対的価値としている信者にとって、選挙は、池田大作のために、ある。国民のために、ではない。
 連中にとっての、「選挙」=「法戦」は、ISやアルカイダの「ジハード(聖戦)」と同じである。実際、池田教のコアな幹部が、そう言っていた、という情報もある。
 「ジハード」については、鳥越俊太郎氏が、2015年7月1日の衆院平和安全特別委員会で、こう説明している。
 「イスラム教の中でジハード、聖戦。僕は、子どもからお母さん、一般の兵士も含めて全部取材をしましたけど、彼らは心から、ジハードで命を捧げた場合は天国に行けると思っている。だから自爆テロを平気で起こす」
 コアな池田教信者の理想もこれと一緒。つまり、ジハードである法戦=選挙で、集票マシーンの権化となり、末端信者に号令をかける。それは、池田大作のために票を捧げ、池田大作のために生き、池田大作のために死ぬ。池田大作のためだけに、この世に存在し、脳内から全身くまなく池田大作に染まった、池田狂信者になることを本気で目指している。そうやって生き、そうやって死ねば、「成仏(ジョウブツ)」できる、と真剣に思っている。法戦=選挙で票を集めれば、ジョウブツできる、と本気で思っている。
 なお、こういう狂信者たちは、池田教とはかかわりのない常人に対しては、こういう本音は一切くちにしない。まるで狂信者でないかのように振る舞う。だから、いまだに池田教のことを、平和の団体などと誤解している人が多い。平和な団体などというイメージは、建前の部分でしかない。
 そんな池田教団が、「理性的な討論」などできるわけがない。
 現状、池田教のこのカルト票が、日本の政治を席巻している。池田大作一神教原理主義の池田教は、民主主義と相いれない。民主主義の敵である。

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2016年10月07日

横浜市教委「朝鮮人虐殺」削除の副読本について

 神奈川新聞配信記事「『朝鮮人虐殺』記載へ 横浜市教委の副読本」によると、横浜市は、少し改善したようである。


 以下、同記事。

 「【時代の正体取材班=石橋 学】横浜市教育委員会が作成中の中学生向け副読本の原案で関東大震災時の朝鮮人虐殺の記載がなかった問題で、同市教委は7日、虐殺の史実を記載する方針を明らかにした。同日の市教委定例会で報告した。
 新副読本作成を担当している指導企画課の三宅一彦課長は「横浜で起きた痛ましい出来事を学ぶことで歴史の理解を深め、防災教育の面からも多面的・多角的に考えることのできる記載になるよう検討している」とし、記載を前提に編集作業を行っていると説明した。
 教育委員からは「人間は過去を正当化したがるものだが、虐殺という悲惨な事件を起こす可能性があるということを教訓として刻まなければいけない」と積極的に理解を示す意見も出された。
 新副読本を巡っては市民団体「歴史を学ぶ市民の会・神奈川」(北宏一朗代表)が原案を情報公開制度で入手したところ、従来の副読本にあった朝鮮人虐殺の記述がないことが判明。歴史研究者や市民団体から虐殺の史実と背景を記載するよう求める要望書が市教委に寄せられていた。」

参考:横浜市にみる歴史修正教育の実態
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京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 四十八

 「A 「京都市の動物との共生に向けたマナー等に関する条例」ができるまでの過程では、京都市が部署を横断してプロジェクトチームを立ち上げ、その後、憲章をつくるための有識者会議ができて、そこでエサやり禁止が匿名の委員の発言の形で打ち出され、その有識者会議の判断に基づき、条例がつくられて成立した、という流れになっていますが、実際は、はじめから京都市の上層部と、ある議員の間で、野良猫へのエサやり禁止の条例をつくるということで決まっていた、という情報もあります。

 市会の議事録を読む限り、罰則付きの条例へ向け熱心に取組んでいたのは、京都市議・吉田孝雄氏であり、猫行政に熱心に取り組んできたのは中村市議、とお見受けします。

 つまり、「はじめから京都市の上層部と、ある議員の間で、野良猫へのエサやり禁止の条例をつくることが決まっていた」とするならば、その「ある議員」とは、吉田市議あるいは中村市議、あるいは吉田・中村両市議が、京都市の上層部と内々ではかりながら、野良猫へのエサやり禁止の条例をつくっていった、という見立てができるのですが、その点についての見解をお聞かせ願います。」

 (続く)

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政教分離違反と池田大作党 二

 前回の記事で、「政教分離の根拠」には、第一「信教の自由の保障」のほかに、第二「宗教の腐敗・堕落の防止」、第三「民主的な政治過程の維持、あるいは政治的分断の防止」があることを紹介した。

 そして、この第三には、「およそ民主的な政治過程とは理性的な討論によって支配されるべき場であり、宗教はそもそも理性的な討論になじまないのでこれを排除すべき」、「民主的な政治過程は必ずしも理性的な討論が支配する場ではなく、様々な利益集団が互いに妥協しつつ利害調整をする場と見るべきであるが、宗教は絶対的な価値を主張するので、この妥協を困難にし、政治的な分断をもたらすので、やはり排除されるべき」という、2つの意味があることを紹介した。(「新基本法コンメンタール憲法」(編集:芹沢斉、市川正人、阪口正二郎/日本評論社刊)より)

 このなかの、「宗教はそもそも理性的な討論になじまない」「宗教は絶対的な価値を主張する」というのは、まさに池田大作一神教がそうである。

 たとえば、池田教団は、選挙のことを「法戦(ホウセン)」と言っている。法というのは、池田大作教のいわくところの仏法を指す。

 (なお、司馬遼太郎氏は、池田教は「致命的なところで仏教じゃない」と断言している。司馬氏は「ふしぎなことに日本の各時代をにぎわす新興宗教というものが、多くは日蓮宗から出ていますね。現存しているものにも本門仏立講、霊友会、創価学会……みんな日蓮宗から出ている。ただ創価学会にいたって、初めて利益ということを掲げた。お釈迦さんは利というものを捨てたところから出発している。ところが創価学会というのは利を説く。(略)利を説く以上、これはもう仏教じゃない。致命的なところで仏教じゃない」と述べている。(「司馬遼太郎対談集 日本人を考える」(文藝春秋刊)の梅原猛氏との対談より))

 その意味で、池田教は仏教を騙るカルトであるわけだが、池田教のいう法戦というのは、宗教戦争、といったニュアンスがあると捉えることができよう。

 実際、こういう記事がある。池田大作教をウォッチするFORUM21の記事「特集/くり返される異常な創価学会の政教一体選挙 参院選直前、本部幹部会発言にみる政教一体構造」(2004715日付)によると、池田教は、選挙をこう捉えているという。


 「・選挙の勝利を宗教的正当性の根拠とする。

 ・選挙を「仏敵」打倒の「法戦」とする。

 ・選挙を教勢拡大の「バロメーター」とする」


 実際、参議院選挙の公示を間近にした615日に東京・千駄ヶ谷の創価学会施設・国際友好会館で行われた本部幹部会という教団の集まりで、池田大作ほか幹部連が、こう発言した、として、音源を文字に起こしている。

 それによると、冒頭、「いよいよ創価の新時代を開く決戦が目の前に迫りました。全国の男子部はこの戦いの先陣を務めることを誇りとして、乾坤一擲の勇気の対話を猛然と重ねています。家族のこと、仕事のこと、いまの時代に悩みがないと言えばウソとなる。しかし、大いなる希望を胸に、いまこそ壁を破るチャンスだと、信心で立ち、勝ち越えながら、みなが歓喜の前進を重ねています。」(弓谷男子部長)と、信者たちに、集票マシーンとして活動すれば、仕事や家族などの悩みを解決できる、選挙は悩みを解決してハッピーになるためのチャンスなんだ、と、さかんに現世利益を説いてハッパをかけている。

 選挙で信者の欲望を煽りて、権力欲を満たそうという、欲望の塊のカルト教団。これを仏教という自体、いかに釈迦をバカにした連中かがわかる。

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2016年10月06日

北朝鮮に酷似、首相演説で立ち上がり万雷の拍手

 平成二十八年九月三十月付、のauのニュースサイト


  EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「北朝鮮に酷似、首相演説で立ち上がり万雷の拍手」


 を企画、取材、執筆しました。



26日衆院本会議の安倍晋三首相の所信表明演説で、異様な光景が現出した。安倍氏が、領土や領海、領空の警備に当たっている海上保安庁、警察、自衛隊をたたえた際、「今この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」と安倍氏が促すと、自民党議員たちが一斉に立ち上がって手をたたき続けた。それを見ながら安倍氏は満足げな表情を浮かべ拍手で応じた。(27日付朝日新聞、日本経済新聞朝刊)

 この光景に対し、「今までの日本の議会では見られないと思う。北朝鮮か中国共産党大会みたいで、ますます不安に感じた」(生活の党の小沢一郎共同代表)、「ちょっと異常な光景。自画自賛のためにやっている」「落ち着いて真摯に議論し合う状況でない。言論の府ではなくなってしまう」(日本維新の会の馬場伸幸幹事長、毎日新聞)といった懸念が出ている。

 また、民進党の野田佳彦幹事長は「どこかの独裁国家ではあるまいし、強い違和感と強い不快感を覚えた」「この政権はどんな国を目指しているのだろうか。その意味からも、もう一度風通しのいい、自由な日本をつくるために戦っていこうではないか」(27日夜都内の集会にて、時事通信)と訴えたという。

 他方、自民党内では、例によって二階俊博幹事長が「総理に対する信頼がああいう形になって現れた」とゴマをすっている状態。批判の声といえば、小泉進次郎氏が「あれはない。ちょっとおかしいと思いますよ。自然じゃない」と指摘した程度だ。(朝日新聞)

 日刊ゲンダイによると、共産党幹部も「二十数年国会にいるが、ああいう光景は初めて見た。気持ち悪い」と漏らしたという。

 同紙は、「政治学者の五十嵐仁氏はこう言う。『独裁は歓呼と歓声の中から生まれます。安倍1強と指摘されてきたが、ついに一線を越えてしまったと思う。この先、安倍首相がスタンディングオベーションを促すたびに、自民党議員は応じざるを得なくなるでしょう。ひとりだけ立ち上がらないと白い目で見られてしまう。独裁体制は、こうして生まれます。しかも、ただでさえ社会がキナ臭くなっているのに、今回、自衛隊をたたえた後、起きている。非常に危険な構図です』

 いずれ、全国民が北朝鮮のように『安倍首相、マンセー(※筆者注:朝鮮語で万歳)』と言わされる日が来るのではないか」と警鐘を鳴らしている。

 なお、28日付朝日新聞朝刊によると、この北朝鮮に酷似した拍手について、「関係者によると、演説前の26日午前、萩生田光一官房副長官が、自民の竹下亘・国会対策委員長ら幹部に、『(海上保安庁などのくだりで)演説をもり立ててほしい』と依頼。このとき、萩生田氏は起立や拍手までは求めなかった。

 午後、首相の演説が始まると、自民国対メンバーが本会議場の前の方に座る若手議員に萩生田氏の依頼を一斉に伝えた。(中略)『拍手してほしい』と伝えられた若手もいれば、『立って拍手してほしい』と聞いた若手もいた。指示が伝わったのは前方に座る当選回数が12回の議員ら。このため、後方の中堅・ベテラン議員のなかには『自然発生』と受け止めた人もいた」という。

 いまの自民党は、前の方に座る若手議員が、立ち上がって拍手すれば、中堅からベテラン議員まで一斉に同じ動きをするほど、同調圧力が高まっている。前出の小泉進次郎氏も、立ち上がってしまったと言っている。今の自由民主党に、自由はない。自民党は、死んだ。そのことが可視化された。

 無論、国会で起きていることは、私たち国民にとって他人ごとではない。今まさに、安倍独裁政権は、日本国憲法の自由の精神を殺す憲法改正をしかけようとしている。

 だが、大多数の国民は、政治資金で卵サンドを買ったとか、週末に温泉通いしている、といった類の話には飛びついて政治家を袋叩きにする一方で、自身や家族、周囲の人、後世の人々の権利をはく奪する壊憲の危機には、黙りこくっている。なぜか。一言でいうと、法律の素養がないゆえであろう。

 「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」と憲法第12条にあるが、戦後71年――国民が権利・自由を保持する努力を怠った成れの果てが、今の国会の姿ではないか。我々一人一人の国民に今必要なのは、自戒である。(佐々木奎一)

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2016年10月04日

政教分離違反と池田大作党


 いうまでもなく日本国憲法第二十条「信教の自由」には、こうある。
 「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
A 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
B 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」
 とある。
 このなかの、第1項、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」という政教分離の原則の一文に、公明党こと池田党と、創価学会こと池田教は抵触している、憲法違反なのではないか、という指摘は、以前からある。
 たとえば、20年数年前、自民党は、故加藤紘一氏が中心となって、四月会という団体をつくったりして、池田教団とコウメイトウが政教分離である、として国会内外で徹底追及した。
 このとき、池田教団は、加藤氏を鬼畜のように罵り、お決まりのセリフ「仏敵(ぶってき)」を口にして加藤氏を口汚く罵っていた。
 だが、加藤氏といえば、山崎拓元副総裁が先般、「君は『憲法9条が日本の平和を守っているんだ』と断言した。振り返ると僕に対する遺言だった。日本政界の最強最高のリベラルがこの世を去った」と悼むほど、リベラルな人物。そういう人物が、暴論を通そうとするわけがない。
 政教分離に抵触しているのではないか、と批判されるたびに、池田教団は、政教分離というのは、国家が特定の宗教を国教にしたりして、その他の宗教を排除する、といった、国家による宗教への介入を違憲とするものであり、宗教団体が政治団体をつくって政治に参加するのは何ら構わない、という意味合いの内閣法制局の答弁を持ち出す。
 たとえば、池田党のHPのQ&Aには、「Q 公明党と創価学会の関係は?」「A 政党と支持団体の関係です。各政党を労働組合や各種団体などが支持する関係と同類です。公明党と創価学会は不定期で「連絡協議会」を開催し、協議内容はマスコミ公開されています。一部週刊誌等で「政教一致だ」とか「憲法20条に違反した関係にある」等の記事が掲載されることがありますが、全く的外れな批判であり、既に国会の論戦の場でも決着済みのことです」とあり、こうある。
 「そもそも、憲法が定める「政教分離」原則の意味は、憲法が宗教団体の政治活動を禁止しているということではありません。内閣法制局は「憲法の政教分離の原則とは、信教の自由の保障を実質的なものとするため、国およびその機関が国権行使の場面において宗教に介入し、または関与することを排除する趣旨である。それを超えて、宗教団体が政治的活動をすることをも排除している趣旨ではない」(大森内閣法制局長官の国会答弁趣旨=1999年7月15日)としています。 憲法が規制対象としているのは、「国家権力」の側です。つまり、創価学会という支持団体(宗教法人)が公明党という政党を支援することは、なんら憲法違反になりません。 国家権力が、ある特定の宗教を擁護したり、国民に強制するようなことを禁じているのが「政教分離」原則です」
 このように、なにかといえば、まるで水戸黄門の印籠のように、内閣法制局長官の答弁を持ち出す。
 そして、上記のように、池田党は「各政党を労働組合や各種団体などが支持する関係と同類」と、戯言をぬかしているが、無論、池田教と、労組やこの国の様々な政治団体は、一線を画す。例えば、労組は、かつて社会党という政党の支持母体だったが、社会党が今までいってきたことと違うことをし始めた、と支持者たちが思い始めた途端、社会党は一気に支持を失い、崩壊した。自民党の支持団体の人々は、かつて、「お灸をすえる」といって、自民党を野党に転落させた。こうやって有権者が選挙権を駆使して選択するのが、選挙というものである。
 だが、池田教団の信者たちは、池田党が、イラク戦争に賛成しようが、集団的自衛権を容認する解釈改憲を閣議決定して法律をつくろうが、憲法を壊憲して人権を制約しようが、戦争できる国にしようが、池田党に投票し続ける。その結果、池田党が何をやっても選挙の得票数にほとんど影響しない、という異様な現象が起きている。
 つまり、通常の政治団体は、支持政党を相対的に評価、支持するのに対し、池田教団は、池田コウメイ党を絶対的に支持する。これは選挙を、宗教行為としているためである。つまり、池田コウメイ党のやり方に疑いをはさんで、投票しない、というのは、信心が足りないからだ、罰が当たるぞ、逆に池田党に投票して周囲の人々にも勧めれば功徳がある、現世利益があるぞ、という、世界である。だから、どんなに悪政を重ねようと、池田教は、池田コウメイ党に投票し続ける。
 池田教の今のような状況をつくらないために、憲法に、政教分離を定めたのではないか。このように筆者は常々、思っているのだが、「新基本法コンメンタール憲法」(編集:芹沢斉、市川正人、阪口正二郎/日本評論社刊)の、第20条には、「政教分離の根拠」という小見出しで、こういうふうに書いてある。
 「政教分離は、政治と宗教の分離を求めるものであるが、なぜ政治と宗教を分離しなければならないのだろうか。政教分離原則の根拠は、複数考えられる(長谷部・憲法188〜190頁、高橋・立憲主義173頁)。第1は、信教の自由の保障である。国家と宗教一般、ないし特定の宗教が結びつくと、宗教を信じない自由、特定の宗教を信じる自由が著しく抑圧される」
 この第1は、池田教が印籠視する、現行の内閣法制局の見解を指している。
 そして、同書には、続いてこう書いてある。
 「第2は、宗教の腐敗・堕落の防止である。これは、国家が特定の宗教と結びつくと、当該宗教自身が優遇される結果、国家に頼りその本来の宗教としての潔癖さを失うことを懸念するものである」
 小林節氏が、池田コウメイ党のことを「権力の魔性」と断定したように、腐敗・堕落とは、まさに池田教の姿といえよう。
 さらに、同書には、こうある。
 「第3は、民主的な政治過程の維持、あるいは政治的分断の防止である」
 として、この第3には、「さらに2つに分けることができる」として、こう記している。
 「1つは、およそ民主的な政治過程とは理性的な討論によって支配されるべき場であり、宗教はそもそも理性的な討論になじまないのでこれを排除すべきだというものである」
 これは、まさに筆者が常々に思っている点である。
 そして、こう書いてある。
 「もう1つは、民主的な政治過程は必ずしも理性的な討論が支配する場ではなく、様々な利益集団が互いに妥協しつつ利害調整をする場と見るべきであるが、宗教は絶対的な価値を主張するので、この妥協を困難にし、政治的な分断をもたらすので、やはり排除されるべきだとするものである」
 この点もしかり。
 そして、同書は、「このにように、政教分離原則の根拠は複数考えられるが、わが国の最高裁判例の特徴は、政教分離原則の根拠を専ら第1の点に求めている点にある」と指摘している。
 つまり、この国では、池田教が違憲状態になる根拠となる点が、なぜか、すっぽりと抜け落ちている。この不可解な解釈改憲こそが、池田党が国政にいることによる政教一致の産物なのではないか。 
 池田教がこの国の政治で猛威を振って久しい。その反省に立ち、政教分離の根拠となる上記第2、第3の論点を取り入れる日が、必ずやって来るに違いない。
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2016年10月01日

小林麻央、公式ブログにつづる乳癌闘病記

 平成二十八年九月二十六月付、のauのニュースサイト


 

    EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 

 「小林麻央、公式ブログにつづる乳癌闘病記」


 

 を企画、取材、執筆しました。


 



 タレントの小林麻央が今月に入り、公式ブログに癌闘病記を連日載せている。そこには、こうつづられている。

 「20142月、主人と人間ドッグを受けました。(中略)私はまだ31歳ですし、『付き添い』で受けるくらいの気持ちでした(中略)人間ドッグの結果は、その日のうちに、教えて頂くことができました。先生が、『左乳房に腫瘤(筆者注:しゅりゅう。こぶ。はれもの。超音波の検査で発見)があります。これは、しっかり検査して診てもらった方が良いので、なるべく早く、病院へ行ってください』」と言った。

 「『腫瘤ということは、癌の可能性もあるということですか』と聞いてみると、『その可能性は、五分五分です』と先生は言いました」

 「大きな病院に再検査の予約を入れました。私は、娘の授乳時から2年以上の間、週に一度、乳腺の状態を良くするための母乳マッサージに通いケアをしていたため、乳房に関しては大丈夫と、どこか安心していたところがありました。

 また、乳腺専門の知人2人から、『授乳中のしこりで癌の可能性が五分五分なんて、その先生は、オーバーだね』という意見を聞き、乳腺専門の先生がそう思うのだから、きっと大丈夫だなと、さらに安心してしまいました」

 「再検査の日。まずは触診。先生に『このしこりですね』と言われましたが、同じように触ってみても、自分ではさっぱり分かりません。もう一度超音波とさらに、マンモグラフィーでも検査を受けました。授乳中はマンモグラフィーはできないと思っていましたが、普通に行いました。

 結果、癌を疑うようなものではないとのことでした。

 『人間ドッグの先生には、五分五分で癌と言われたのですが、生検はしなくても大丈夫でしょうか』と聞いてみると、『必要ないでしょう、授乳中のしこりですし、心配いらないですよ。半年後くらいに、念のため、また診てみましょう』と言われました。

 事前に聞いていた乳腺専門の先生2人の意見と同じで、ほっとしました」

 「不安はありませんでしたが、半年後にもう一度、念のため検査には行こうと思っていました。(中略)半年後の検査は8月頃の計算でしたが、忙しい毎日のなか、時間がとれない言い訳を重ね、予約をせず、いつの間にか、10月になってしまいました」

 「201410月のある日、息子と遊んでいたときのこと、何気なく、胸元から手を入れて、左の乳房を触りました。どきっ。いきなり本当にパチンコ玉のようなしこりに触れたのです。なんだこれ。心臓が音をたてました。何度も何度も触り直します。やっぱり、ある。悪性だと、しこりが動かない 良性だと、しこりが動くと聞いたことがあったので、確認しようと思いましたが、これは、動いている、と言うのか、動いていない、と言うのか、全く分かりません。ただ、動いて欲しいので、無理やりでも動かすように思いっきりしこりを押しました汗

 必死です。だんだん、おもちゃの音も、息子の声も、遠のいていきました」

 「その場で、病院に電話をし、診察の予約を入れました。どうしよう。やってしまった。8月だったのに。8月だったのに。半年後は8月だったのに。やってしまった。

 そんな思いがとめどなく襲ってきて、自分を責めました」

 「検査の日。

 『先生、しこりが自分で触れるくらいに大きくなっています。このしこりは、前の検査のときにあった場所と同じですよね。。。!?

 先生は触診し、『これですね、、、大丈夫だと思いますよ!超音波でみてみましょう』と、言いました。

 超音波で診ていた先生が一瞬、厳しい顔つきになりました。

 『脇のしこりには気付きましたか』

 『え。脇にもあるのですか』

 奥の方を強めに触ってみると、言われてみれば、しこりがあるような、、、ないような、、、正直分かりませんでした。先生は、触って分かるようでした。

 『脇にもしこりがあるということは、私、癌で、脇にも転移しているということですよね。。。』先生に聞くと、『決まったわけではありません。脇のリンパが何らかの原因で腫れて、しこりのようになることもあります。とにかく、生検をした方が早いですから、生検をしましょう』と、言われました」

 こうして生検をしている最中、医師との会話のなかで「残念ですが95%、がんですね」と言われた。

 それでも、5%の可能性にかけていたが、「生検の結果を聞くまでの10日間は、ひとりだけ違う時間軸に生きて、ゆっくりゆっくり皆とは違う暗闇に追いていかれるような感覚だった」

 そして、「告知日。診察室に入った時の先生の表情で、『陽性だったんだな、癌なんだな』と分かった。心の準備は意外とできており、冷静に先生のお話を伺った。

 この時点では、まだ脇のリンパ節転移のみだった。(その後、現在肺や骨などに転移あり)

 私が結婚をした頃に、母が、乳癌を患っていたため、治療に関する知識はある程度あった」

 このように経緯を明かしている。人間ドッグで「五分五分で癌」という衝撃の情報を聞き、「しっかり検査して診てもらった方が良い」とまで言われたのに、癌が発覚するまで8か月かかってしまったのは、残念としか言いようがない。たられば、はないとはいえ、念のため他の病院でも検査をしていれば、という無念さに駆られる人は多いに違いない。

 だが、仕事等で多忙のため、そんなに何度も検査に行くということは、当時の状況ではあり得なかったのかもしれない。多忙をうかがわせる、こういう記述があるのだ。

 「癌の告知を受けて、それを受け入れたとき、ほっとした自分もいた。

 その1年半の間はとにかく身体が怠くて怠くて11日が精一杯だったのだ。『癌になるくらいの身体だったんだ』と思ったとき、その間の自分を初めて分かってあげられて、受け入れられて、どこか、ほっとしたのだった。

 今思えば、もっと前から癌にならないように努力できたことがあったかもしれない。

 主人が私の身体のためにしてくれていた助言にも、もっと耳を傾ければよかった。

 でも、決して何かに怠けていたわけではない。

 あれがあの時の私なりの精一杯だった。

 だから、人生に『たられば』は無し。それでも、思ってしまうものだけれど」

 このように、つづっている。病状が回復することを、ただただ願うばかりだ。

 なお、世の中の成功者のなかには、日々、過労になるほど努力して、人一倍頑張っている人が実に多い。そういうなかで、過労死、という悲劇も往々にして起こっている。

 過労と癌の関連性でみると、例えば、大阪市立大学大学院 医学研究科 疲労医学講座「疲労のメカニズム解明:披露の原因は活性化酸素だった」には、こうある。 

 「ヒトをはじめとする多くの生物は、生命維持に必要なエネルギーを得るため、絶えず酸素を消費している。これらの酸素の一部は、代謝過程において活性酸素と呼ばれる反応性が高い状態に変換される。通常、活性酸素は生体が本来持っている活性酸素消去システムによって速やかに処理されるが、オーバーワーク状態などで活性酸素が大量に発生する状況下では、十分に処理しきれないことがある。こうした過剰な活性酸素によって、細胞機能低下や組織損傷が生じる結果、疲労感や身体的パフォーマンス低下などの疲労の症状が発生すると考えられている」


http://www.med.osaka-cu.ac.jp/fatigue/topics/hirou.html


 また、過労とストレスは密接に関連のは周知の事実だが、ニュースサイトAll Aboutの医師・薬局社長の狭間研至氏の記事「ストレスはがんの原因になるの?」によると、「自律神経とは、読んで字のごとく、自らを律する神経で、ストレスを受けたときに優位になる交感神経と、リラックスするときに優位になる副交感神経の二つからなります。

 ストレスがかかると交感神経が興奮しますが、その結果(中略)色々な変化が体におこるとともに、体内に活性酸素が放出されます。活性酸素が増えすぎると、遺伝子を傷つけがんのもとになる細胞のミスコピーを増やすことになります。

 このように、ストレス→交感神経の興奮→活性酸素の増加→細胞のミスコピーの増加→がん、という流れがあることを考えると、過度のストレスを避けることは、がんの予防にも重要な役割を果たすと言えるでしょう」とある。

 また、「活性酸素」については、日本病理学会HP上で、「活性酸素は両刃の刃であり、外来細菌の殺菌に役立っていますが、重要な生体分子に傷をつけ、がんなどの病気の原因にもなっています」(豊國伸哉・名古屋大学大学院医学系研究科)という指摘もある。

 無論、乳癌と過労の関連性は不明だが、過労に陥りがちな我々日本人にとって、この闘病記は教訓にもなる。

 要するに、前出の闘病記にある、「『癌になるくらいの身体だったんだ』と思ったとき、その間の自分を初めて分かってあげられて、受け入れられて、どこか、ほっとした」「癌の告知を受けて、それを受け入れたとき、ほっとした自分もいた」といった下りは、例えるなら、身体は前々から悲鳴を上げており、やっとその状態が本人の意思に伝わり、身体の方はホッとした、という状態といえるのではないか。身体がSOSを発するとき、成功者は往々にして、その「身体のメッセージ」を聞かず、身体を酷使しがちだ。

 その姿に、家族や周囲は、心配する。休むよう、言う。だが、頑張って成功してきた人には、往々にして、そういうとき、休む、という辞書はない。ますます頑張る。

 闘病記にある、「主人が私の身体のためにしてくれていた助言にも、もっと耳を傾ければよかった」という記述からは、そうした成功者にありがちな傾向がうかがえる。

 世の中には、何歳になっても疲れを知らず働き続けることができる人が、稀に、いる。だが、大半は、そういう化け物じみたパワーは持ち合わせていないので、「身体と相談」していかなければ、過労に陥ってしまう。

 「第二の人生」という言葉があるが、前半生の努力で成功を手にしている人は、後半生は、今まで頑張った分、無理せず休むことを心がけ、培ってきたキャリアを含めた「資産」を活かすような生きた方に切り替えた方が、悲劇を避けることができるはすだ。(佐々木奎一)

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京都市“猫エサやり禁止条例”ができるまで  エサやり禁止プロジェクトチーム 四十七

 「@ 京都市の「京都市の動物との共生に向けたマナー等に関する条例」に基づき、京都市は、公道でのエサやりも迷惑な餌やり、として禁じています。(京都市は、道路でのエサやりを禁じるポスターをつくったりもしています)

 しかし、公道で飢えた野良猫にエサをやる行為自体を、迷惑として罰則の対象とするのは、事実上、エサやりを禁じたに等しく、この条例は事実上、野良猫エサやり禁止条例、と言わざるをえません。その点について、中村市議は、どのようにお考えか、お聞かせ願います。」

 (続く)

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