平成二十八年十月二十八月付、のauのニュースサイト
EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事
「ヒット打つ気ないファウル連発で四球の卑劣な手口」
を企画、取材、執筆しました。
プロ野球は日本シリーズの真っ最中である。この原稿を執筆している26日が終わった時点で、広島、日本ハムともに2勝2敗。
ここまでの試合で、特に、あとあとまでの語りぐさになるであろう試合は、今年で引退を表明した広島のピッチャー黒田博樹が先発した25日の試合であろう。
この日、黒田が投げている間は、2対1で広島がリードしていた。
そして、黒田が降板し、点数は変わず、8回裏の日本ハムの攻撃に入り、広島のピッチャーはジャクソンに代った。バッターは、9番・中島卓也。この中島は、ジャクソンの投げ込む渾身の球に対し、何度も何度も何度も、ファウルした。全力で投げるなかで、ストライクにならないボール球も出てくる。そのボール球は見逃し、中島はフォアボールで出塁した。
この中島のやっていることは、極めて薄汚い行為に見えた人も多かったに違いない。たとえば、バッターの1番から9番まで、全員、中島みたいなことをやっていれば、相手投手は3回までもたないかもしれない。
この8回裏の中島の執拗なファウル打ちに対し、解説者の古田敦也氏は、中島はヒットを打とうとするのではなく、フォアボール狙いでボールを当てようとしているだけ、という趣旨のことを言っていた。その言動からは、中島の行為を否定しているニュアンスが伝わってきた。
なお、この日の試合は、中島の出塁を機に、日本ハムが逆転して勝った。中島の汚い行為が、試合を決定づけたのだ。
ちなみに、中島が意図的にファウルを重ねて、相手投手にボール球を投げさせ、フォアボールを狙っているのは、誰の目にも明らかだが、中島本人も、そう言っている。
例えば、スポルティーバ電子版の14年10月12日付の記事「日本ハムのキーマン・中島卓也が語る『2番打者の極意』」には、こう書いてある。
「7月21日、大阪で行なわれたバファローズとの一戦ではブランドン・ディクソンに16球を投げさせた。この打席で打ったファウルは12本。結局はショートゴロに倒れたが、先発ピッチャーを疲弊させるのに十分な働きをした。7月27日のイーグルス戦では、則本昂大を相手に、またもファウルを打ち続けた。
『あの打席は一番、印象に残っています。1点負けている7回だったかな。ワンアウト一塁で打席に入って、ピッチャーは則本でした。粘って粘って、ずっと粘って、最後はフォアボールでつないだ。その直後、中田(翔)さんが逆転3ランを打って勝ったんです。すごく嬉しかったし、(ファウルで粘れたことが)よかったと思いました』」
さらに、こう言っている。「ツーストライクを取られたら、どんないいバッターでも打率は下がります。ましてや僕なんかが、追い込まれてからヒットを打ちにいっちゃダメだと思ってるんで、ツーストライクからはアプローチを変えます。ヒットを打ちにいってファウルになるのではなく、最初からファウルを打ちにいく感じですね」
そして、こう断言している。
「もちろん、追い込まれてからは甘い球でもファウルを打ちにいきますよ。ヒット狙いじゃなくて、フォアボール狙いですから......何とかフルカウントまでは粘ろうと思ってるんです」
このように、包み隠さず語っている。
この中島のやり方を批判すると、必ず、こう反論する人がいる。
ファウルをするのは立派な技術だ、とか、中島を批判するのは野球のド素人だ、と。
たとえば、日本ハムファンにとっては、中島の薄汚い手口で勝った、と言われたり、ファ自身がそう思ったりすると、嬉しさも半減してしまうので、そう思いたくない、という心理が働く。それに何といっても、中島のやっていることはルール違反ではない。なので、ルールにのっとる限り、勝つために何でもする、中島みたいな真似さえもする、という考えの人も多い。
なお、中島がファウルをするのは類まれな技術、という声については、上述のように、中島自身、「ツーストライクを取られたら、どんないいバッターでも打率は下がります。ましてや僕なんかが、追い込まれてからヒットを打ちにいっちゃダメだと思ってる」と言っている。つまり、中島は、技術があるから、ファウルばかり打っているのではなく、むしろ技術がないから、ファウルばかり打っている、ということになる。
要するに、試合で勝つ、という一点だけでみた場合、中島のような行為が、勝利に結びつくことがあるのは事実。だが、その卑怯なプレーに、多くの人は嫌悪感を抱く。大抵の選手も、そんな卑怯な真似をしたくない。プロの誇りにかけて、やりたくない。ファンにお金を支払わせて魅せるプレーをするプロとして、そんな嫌悪感を抱かせるようなプレーなどしたくない。だから、大抵の選手は、そういうことはしない。だが、中島は、汚れ役をやる。そのエゲツなさで、レギュラーの座を勝ち取っている。そう言わざるを得ない。
なお、中島をこう批判すると、中島は技術があるからそれができるのだ、と目くじらを立てる人もいるのは先に述べた通りだが、例えば、メジャーリーグへ行った川崎宗則は、中島のようにファウルで粘って球数を費やさせることで、監督から評価されていた。そのことについて、川崎は、こう語っている。
「メジャーへ行って、なかなかヒットを打てる確率が、日本の時よりもちょっと少なくなっている。技術がない。今の僕には。だから去年は、球数を投げさせることしか、できなかった」「球数投げさせるってことは、ヒットを打つ技術が、乏しいだけ。ホームラン打つ技術が、ないだけ。でも、僕は、究極は、ヒットを打つ。あいだを抜けるヒットを打つ。ホームランを打つ。長打を打つ。これを絶対に前提に置いているから。そこをどうにかしないことには。球数を投げさせることで評価されるのは、納得いかない」(15年5月10日「TBS番組S☆1PLUS「マイナー契約でも諦めない 川崎宗則が挑戦する理由」より)
ファウルをわざと打つ中島は、ほかの選手よりたけている、という言い分は、この川崎の言から考えて、間違えている。
では、中島が悪いのか、というと、ルールの範囲内で、いわば合法的に、汚いプレイをしているまだから、改めるべきルールなのかもしれない。たとえば、2ストライクからのファウルは、3回目でアウトにする、とか、故意にフォアボール狙い、あるいは、ピッチャーを潰すために、ファウルを重ねている、と審判が判断したら、その選手は退場にする、といったルールに変更すれば、中島のような選手をなくすことができる。
なお、専門家のなかには、中島のようなラフプレイを、公然と批判している者もいる。野球評論家の広澤克実氏は、公式ブログで、こう述べている。
「よくゴルフをプレーする方なら必ず知っているフレーズがある。それは『ゴルフは紳士のスポーツなのだ』という言葉。この言葉を耳にしたことがある人は多いと思う。
正にゴルフのマナーとかモラルはこの『紳士のスポーツなんだ』という所から端を発している。
では、野球の場合はどうなのだろうか。
野球の精神の出発点は『正々堂々と男らしく戦う』事をモットーにスタートしたのだ。
審判員が『ボール』とコールする意味は『ボールを投げたらダメだ。正々堂々と打てるボールを投げなさい』という意味で(Ball to the bat)とコールしたのだ。
また、『ストライク』とコールする意味は『ストライクを見逃さずにちゃんと打ちなさい』という意味で(Stike=打て)とコールしたのだ、という(中略)このフェアな精神というのが大事で投手にはフェアにストライクを投げる事を求め、打者にはそのフェアなボールをフェアに打ち返す事を求めたのだ」
そして、こう書いてある。
「例えば、ファウルで粘って四球で塁に出ようと(中略)する事はフェアではなく男らしくない、と考えられ『なんて卑怯なんだ』とされていた」
「野球の出発点である正々堂々の精神を知った上で現代風にアレンジするのは良いと思う。しかし、原点を知らずに『ファウルで粘る事は良い』と(中略)言うのはいかがなものか、と思うのだ」
そして、こう書いてある。
「そもそも悪いのは我々プロ野球の解説者ではないか。選手時代の実績を糧に野球の勉強を怠った。かく言う私も恥ずかしながらこの事実を最近まで知らなかった。
しかし、そう考えると、バレンティンの敬遠の問題もマートンのスライディングの問題も現行のルールに違反しているかどうか以前にこの野球の精神に反しているかどうかが重要であると思える。
勝つ為の手段や方法は色々あると思うが、どんな事があってもこの『野球の精神』を越えてはならないと私は思うのだ。(中略)私達解説者はその事を伝える義務を負っていると思う。野球中継がTVで放送されるようになって半世紀以上経つが私の知る限り、この野球の精神を伝えた人はいない。今後私がやるべき事がぼんやりと分かってきたような気がする」(なお、広澤氏は、狙いのファウルと、強打者との勝負を避ける敬遠を、同列に扱っているが、悪質の有無という点で違うとの判断から敬遠の箇所は省略した。また、文中の、正々堂々と男らしく戦う、という表現は、女性も野球をするので、現代では「正々堂々と戦う」という言葉になるのは、言うまでもない)
たしかに、広澤氏のいうように、解説者たちが、中島のようなプレーは野球の精神に反している、と常に指摘していけば、ルールを変えるまでもなく、自然に、中島のようなことをする選手はいなくなるかもしれない。が、中島のことを批判したら日本ハムファンからクレームが来て解説者の仕事を干される、という恐れから、野球専門家たちにそれができないようなら、ルールを変えた方がよいのではないか? (佐々木奎一)