2016年09月16日

安倍自公を警鐘した加藤紘一が死去

 平成二十八年九月十二日付、のauのニュースサイト


    EZニュースフラッシュ増刊号の「朝刊ピックアップ」で記事 


 「安倍自公を警鐘した加藤紘一が死去」


 を企画、取材、執筆しました。



 

 けさの各紙は、元衆院議員の加藤紘一氏(77歳)が9日午後045分、肺炎のため都内で死去したことを報じている。

 加藤氏は、山形県鶴岡市出身。東大法学部卒業後、外務省に入省。1972年の衆院選で旧山形2区から自民党公認で初当選。故池田勇人元首相がおこした同党の名門派閥「宏池会」に所属し、早くから「プリンス」として期待された。衆院当選2回で大平内閣の官房副長官を務めた後、防衛庁長官、官房長官、党政調会長、幹事長を歴任。91年に当時の竹下派支配打破や世代交代を目指し、山崎拓元副総裁、小泉純一郎元首相と「YKK」を結成して注目を浴びた。

98年には宏池会の流れを継いで派閥の会長に就き、「首相の座に一番近い男」と言われた。しかし、2000年に森内閣打倒を目指し、野党提出の内閣不信任決議案への賛成を明言。「加藤の乱」と言われたが、不発に終わり、加藤派は分裂して存在感は落ちた。

02年には自身の事務所代表による脱税事件の責任を取って自民党を離党後、議員辞職。03年の衆院選で再び当選し、復党。党内ではハト派に位置し、日中友好協会会長を務めた。(毎日新聞)

 政界では、元自民党副総裁の山崎拓氏が「終生の畏友であった加藤紘一氏の訃報に接し、強烈な衝撃を受けた。比類なき英知の持ち主であり、政界同期の私ども友人に対し、国家と郷土の発展に身命を賭して働けと常に啓蒙啓発され、文字通り日本政界のトップリーダーの一人として活躍してきた。改めて日本の政界がかけがえのない英知を失ったことを心より惜しむ次第だ」とコメント(同紙)。

 加藤氏が宏池会会長だった時の側近で、加藤の乱でたもとを分かった古賀誠・元自民党幹事長は「突然のことで驚いている。残念とか無念とかでなく、ただ悔しい」(同紙)、また、古賀氏は「加藤総理・総裁を長年夢見ていたのに、『乱』がきっかけで分裂してしまった」と振り返り、2年前、2人でミャンマーを訪ねたのが最後になった。「加藤さんが『インパール作戦の現場へ行きたい』と言ったのがきっかけ。既に体調がすぐれなかったけれど、『絶対に行く』と。道中、いろいろな話をした。本当に残念」と語った(毎日新聞)。

 ほかにも「保守リベラルの方向性を指し示してくれていた北極星のような星が消えてしまった」(民進党の辻元清美衆院議員)といった惜しむ声が出ている。

 他方、安倍自公政権の面々は、加藤氏の元秘書で前防衛相の中谷元氏が「連合などと協議して自社さ政権で連立を成し遂げたが、結論が出なければ朝まで議論することもあった。政治とは丁寧に説得を繰り返してつくり上げるものだと教わった。経世会(旧竹下派)中心の政治を変える原動力になった方だった」(毎日新聞)、宏池会を継ぐ岸田派会長の岸田文雄外相は「結果を出すべく、政策をどのように学ぶべきか教えて頂いた。偉大な先輩で、寂しく思います」、公明党の山口那津男代表は「野党議員にも分け隔てなく公平に接してくれた人だった(中略)バランスのとれた加藤さんが『今もいてくれたらなあ』という気持ちがある」(朝日新聞電子版)と言ったという。

 前者の惜しむ声は、行動が伴っている。だが、後者の安倍自公の面々は、口先だけである。

 なぜなら加藤氏は、生前、安倍自公政権に対し、次のように警鐘を発していたからだ。

 「戦後日本の平和を守ったのは、田舎の保守系無所属の人たちだ。惨めな戦場を経験し、戦後は黙々と地域に尽くし、この国を食えるようにした。世代交代で今、戦争を知らない政治家が国民をあおっている。

 僕の田舎の後援会事務長は16歳で少年兵になった。朝飯を一緒に食べた同期の仲間が隣で頭を撃ち抜かれて死んだ。いずれ自分も死ぬ。その前に恋がしたい。それで慰安所に行った。むしろの仕切りの中に入ったら、朝鮮の女性がいたそうだ。『申し訳なかった』。戦後、心の中で女性に謝り続けていたんだ。

 僕は体験者から直接話を聞いた人間として発言し続ける。政府が与党に示した集団的自衛権などの15事例なんて、官僚の小細工だ。防衛庁長官や官房長官を経験したが、集団的自衛権を使えず、日本の安全が保てなかったという経験はない。米軍に紛争地から日本人を連れて帰ってもらおう、という話もなかった。

 尖閣諸島はヤギのすむ岩山。『安保がある』と言うけれど、尖閣を守るために、なぜ米国の若者が死ななきゃいけないのか。オバマ大統領が命じますか。外交は机上の空論じゃない。自分たちの家族の命をかけることとして考えるべきなんだ。中国の脅威というが、中国の観光客は増えている。もっと民間交流を進めよう。日中とも外務官僚が仕切り、妥協の発想がない。

 日本を取り戻すというが、取り戻す日本とは何ですか」(14616日付朝日新聞朝刊)。

 「A級戦犯を合祀してから昭和天皇は靖国神社に行かなくなった。それなのに、安倍さんは『日本の心』と言って靖国へ参拝する。陛下に失礼だと思うよ。矛盾したことをやりながら、それが平気で世の中に通っていく。これは危ないなと。

 論理的に考えたのではないと思う。『戦後何十年も、革新の連中、威張りやがって』と、いわゆる「革新勢力」に対し、復讐(ふくしゅう)戦をやっているんだと思う」

 安倍自公政権が解釈改憲で集団的自衛権の行使容認したことに対しては、憲法改正で対応すべき、と言い、「やるならやはり大論議が必要。徴兵制の議論もしなければならない。それでも『アメリカと一緒に鉄砲を持とう』と決心したのなら、私は間違いだと思うが、これは民主主義だからしょうがない。いま、僕の三女には、2歳になる男の子がいる。議論もないうちに間違えて、その子に戦争に行けとなる。その子が戦争で殺されるなんて考えただけでも許せない」

 「そもそも、保守とは何だろう。保守とはタカ派か、憲法改正派か、反中、親米か。私は、そうではないと思う。戦後、中国から復員してきた人で、自民党員なんだけど、『戦争は絶対ダメだ』という人が多くいる。その人たちは保守ではないのか。

 僕はつくづく思うんだ。戦後日本の反戦抵抗勢力は岩波でも朝日でもない。やっぱり当時20代で、戦争に行って帰ってきた農家の人たち。その人たちが『絶対戦争はさせない』と。舌をかみそうになるが、『保守反戦』というのもあるんだよ」(1463日付朝日新聞朝刊)。

 加藤氏は、イラク戦争時には、自民党内でイラクへの自衛隊派遣に賛成しない考えを示し、04131日未明の衆院本会議では、古賀誠氏とともに採決時に退席し、「大量破壊兵器が見つからないなど、大義がない戦いだ。そこに自衛隊を出すという政策判断は適当ではない」と発言。(04131日付朝日新聞夕刊)

 「軍の関与は否定できない。筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた方々に、おわびと反省の気持ちを申し上げたい」(19921月、旧日本軍による従軍慰安婦問題に関し官房長官記者会見で。けさの毎日新聞より)

 「熾烈な宗教政党批判を繰り広げた自民党が公明党と連立するとは、あまりにもご都合主義ではないか」(同、著書「いま政治は何をすべきか」。同紙)

 「私は故大平正芳元首相に育てられた。大平氏は『政治は小魚を煮るように丁寧にやるんだよ』と言っていた。丁寧に政治をする心構えを取り戻さないと、保守政治の危機になる」(9911月、小渕政権を批判し。同紙)

 「悲しく許せないが、私は政治家であり、信じていることは発言し続ける」(068月、小泉純一郎首相による靖国神社参拝を批判した自身の発言に絡み、山形県鶴岡市の実家が全焼した放火事件で。同紙)

 安倍自公政権の面々は、口先ではなく行動で、加藤氏に報いるべきだが、無論、連中にそれができるわけがない。安倍自公政権という忘恩の徒に、加藤氏をしのぶ資格はない。(佐々木奎一)


 PS 記事中の「熾烈な宗教政党批判を繰り広げた自民党が公明党と連立するとは、あまりにもご都合主義ではないか」というのは、かつて加藤紘一氏が中心になり「四月会」という組織をつくり、創価学会公明党こと池田教団・池田党が、憲法20条の「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」との政教分離に違反する、創価公明党は政教一致である、と論じてきたことを指す。このとき、池田教団は例によって、加藤氏のことを鬼畜扱いし、仏敵(ぶってき)と罵っていた。がしかし、池田教が政教一致の憲法違反である、との解釈は、白を黒く塗り潰した集団的自衛権の行使を可能にした解釈改憲より、よっぽど筋がよいように観える。



PSPS 池田教信者とみられる「創価学会を弾圧しようとした仏敵加藤紘一」などという、いかにも池田大作教らしい掲示板もある。
posted by ssk at 16:12| Comment(0) | 記事